心血管疾患とは(動脈・静脈・心臓の基礎と主要疾患)
「心血管疾患(しんけっかんしっかん)」と聞くと、多くの方は心筋梗塞や脳卒中といった深刻な病気を思い浮かべ、少し怖いイメージを持つかもしれません。あるいは、「高血圧」や「脂質異常症(コレステロールの問題)」といった健康診断でよく指摘される項目を連想する方もいるでしょう。これらはすべて「心血管疾患」という大きな枠組みに含まれます。
簡単に言えば、心血管疾患とは、体中に血液を送る「ポンプ」役の心臓と、「通り道」である血管(動脈・静脈)に関する病気の総称です。これらは私たちの生命維持に不可欠なシステムであり、ここに問題が生じると体全体に大きな影響が及びます。
この総合ガイドでは、心血管疾患の基本的な知識から、具体的な症状、検査、最新の治療法、そして何よりも大切な予防や生活習慣の改善まで、日本の皆様に向けて分かりやすく、深く掘り下げて解説していきます。
免責事項:本記事は、医学的な情報提供を目的としています。特定の治療法を推奨するものではなく、個別の医療アドバイスに代わるものでもありません。ご自身の健康状態や症状に不安がある場合は、必ずかかりつけの医師または専門の医療機関にご相談ください。
この最初のセクションでは、まず「心血管疾患とは何か」という全体像を掴むため、心臓と血管の基本的な仕組み、そしてどのような種類の病気が含まれるのかを整理していきます。
心臓と血管:体の「ライフライン」の仕組み
私たちの体には、酸素や栄養素を全身の細胞に届け、代わりに二酸化炭素や老廃物を回収するという、絶え間ない物流システムが備わっています。これが「循環器系」であり、その中心的な役割を担うのが心臓と血管です。
- 心臓:強力なポンプ
心臓は、筋肉でできた強力なポンプです。1日に約10万回も拍動し、血液を全身に送り出します。心臓の基本的な働きは、この休むことのない拍動によって、体の隅々まで血液を循環させることです。 - 動脈:酸素と栄養を「送り出す」道
心臓から送り出された血液(酸素を多く含む動脈血)が通る血管です。心臓の強力な圧力に耐えられるよう、壁が厚く、弾力性に富んでいます。高圧のホースをイメージすると分かりやすいでしょう。 - 静脈:老廃物を「回収する」道
全身の細胞で酸素や栄養素を届け終えた血液(二酸化炭素や老廃物を含む静脈血)が、心臓に戻るために通る血管です。動脈に比べて圧力は低い(水道の蛇口に戻る水のようなイメージ)ため、壁は薄く、血液が逆流しないように「弁」という逆止弁が備わっています。 - 毛細血管:ガスや栄養を「交換する」場所
動脈と静脈をつなぐ、非常に細い網目状の血管です。ここで酸素と二酸化炭素、栄養素と老廃物の交換が行われます。 
これら心臓と血管のどこかに異常が起きると、心臓病の全体像として知られる様々な問題が発生します。
動脈と静脈:病気の種類も異なる
動脈と静脈は、その構造と役割が異なるため、起こりやすい病気の種類も異なります。
動脈の病気(高圧と詰まりが問題)
常に高い圧力(血圧)がかかる動脈では、血管の壁が硬くなる「動脈硬化(アテローム硬化)」が主な問題となります。高血圧、脂質異常症、糖尿病、喫煙などが原因で血管の壁が傷つき、コレステロールなどが溜まって血管が狭くなったり、もろくなったりします。これにより、血管が詰まる(梗塞)、瘤(こぶ)ができる(動脈瘤)、血管が裂ける(解離)といった命に関わる病気が引き起こされます。
静脈の病気(逆流とよどみが問題)
静脈は圧力が低く、血液の流れが比較的ゆっくりしています。特に足の静脈は、重力に逆らって血液を心臓に戻さなければなりません。このため、逆流防止の「弁」が壊れて血液がよどみ、血管がこぶのように膨らむ「下肢静脈瘤」が起こることがあります。また、長時間同じ姿勢でいることなどで血流がよどみ、血の塊(血栓)ができる「深部静脈血栓症(DVT)」も静脈特有の病気です。
心血管疾患の「主な種類」とは?
心血管疾患には多くの種類がありますが、ここでは代表的なものを「定義」のみ紹介します。(それぞれの詳細な症状や治療法は、本ガイドの後のセクションで詳しく解説します)
虚血性心疾患(冠動脈疾患)
心臓自身を養う血管である「冠動脈」が動脈硬化で狭くなったり、詰まったりすることで、心臓の筋肉(心筋)への血流が不足する病気です。
- 狭心症:冠動脈が狭くなり、運動時などに一時的に血流が不足して胸の痛みや圧迫感が起こる状態。
 - 心筋梗塞:冠動脈が血栓で完全に詰まり、心筋が壊死してしまう状態。命に危険が及びます。
 
冠動脈疾患(虚血性心疾患)は、日本人の死因の上位を占める重大な病気です。
心不全
特定の病名ではなく、「心臓のポンプ機能が低下し、全身が必要とする血液を十分に送り出せなくなった状態」を指す臨床症候群です。心筋梗塞、高血圧、弁膜症など、あらゆる心臓病が最終的に至る可能性があります。息切れ、むくみ、だるさなどが心不全の初期症状として現れます。
不整脈
心臓の拍動のリズムが乱れる状態の総称です。脈が速くなる「頻脈」、遅くなる「徐脈」、飛ぶ「期外収縮」などがあります。中でも「心房細動」は、心臓内で血栓ができやすくなり、脳梗塞の大きな原因となるため特に注意が必要です。
弁膜症
心臓の中にある、血液の逆流を防ぐ「弁」がうまく開かない(狭窄症)、またはうまく閉じない(閉鎖不全症)病気です。心臓に負担がかかり、放置すると心不全の原因となります。心臓弁膜症は加齢ととも増加する傾向があります。
大動脈・末梢動脈疾患
心臓から出る最も太い動脈である「大動脈」にこぶができる(大動脈瘤)や、裂ける(大動脈解離)、足などの末梢の動脈が詰まる(末梢動脈疾患:PAD)などがあります。
先天性心疾患
生まれつき心臓や血管の構造に異常がある病気です。近年は医療の進歩により、多くの方が成人期を迎えており、成人後の継続的な管理が重要となっています。
なぜ起こる?病気の「共通メカニズム」
これらの病気の多くは、別々に起こるのではなく、根本的な原因を共有しています。その最大の共通項が「動脈硬化(アテローム硬化)」です。
動脈硬化とは、血管の内側にコレステロールなどの脂質が溜まり(プラークと呼ばれます)、血管が硬く、もろくなる現象です。これは「血管の老化」とも言えますが、高血圧、脂質異常症、糖尿病、喫煙、肥満、ストレスなどが、その進行を強力に早めます。
水道管の内側にサビや汚れがこびりついて、通り道が狭くなり、最終的に詰まったり破れたりするのを想像してください。血管でも同じことが起こります。このプラークが破れると、そこを修復しようと血小板が集まり、血の塊(血栓)ができます。この血栓が冠動脈を塞げば心筋梗塞、脳の動脈を塞げば脳梗塞となります。動脈硬化を防ぐことは、心筋梗塞の兆候を防ぐ上で最も重要です。
日本における心血管疾患の現状
心血管疾患は、日本において非常に重要な健康問題です。厚生労働省の統計(令和5年)によれば、心疾患(高血圧性を除く)は、がんに次いで日本人の死因第2位となっています。また、脳血管疾患(脳卒中)も死因の上位を占めています。
医療費の観点からも、厚生労働省の資料によると、循環器系の疾患は国民医療費の約19%を占め、すべての病気の中で最も大きな割合を占めています。これは、高齢化に伴い患者数が増加していること、また、治療が長期にわたることが多いためです。
こうした状況を受け、日本では2018年に「循環器病対策基本法」が成立し、国全体として予防や治療体制の整備に取り組んでいます。世界保健機関(WHO)も、心血管疾患を世界的な主要死因として位置づけ、対策の重要性を訴えています。
このセクションのまとめ
ここまで、心血管疾患の全体像を掴むために、以下の点を解説しました。
- 心臓(ポンプ)と血管(動脈・静脈)が循環器系の基本であること。
 - 動脈は「詰まり」、静脈は「よどみ」が問題になりやすいこと。
 - 虚血性心疾患、心不全、不整脈、弁膜症などが主な病気であること。
 - その多くは「動脈硬化」という共通の原因から始まること。
 - 心血管疾患は、日本の死因第2位であり、社会全体で取り組むべき重要な課題であること。
 
後のセクションでは、具体的な症状やリスク要因について詳しく見ていきますが、もし胸の痛みや圧迫感、顎や左腕への放散痛、冷や汗、息切れ、裂けるような背中の痛みなどを感じた場合は、次のセクションを待たずに直ちに医療機関を受診するか、救急車を要請してください。
受診の目安・救急の赤旗サイン(胸痛・呼吸困難・失神・麻痺・冷汗・動悸)
前章では、心血管疾患の基本的な仕組みについて学びました。しかし、多くの方が最も知りたいのは、「自分のこの症状は、ただの疲れなのか、それとも命に関わるサインなのか」「いつ病院に行くべきか、いつ救急車を呼ぶべきか」という切実な問題でしょう。突然の症状に対する不安や恐怖は、当然の感情です。
このセクションは、その最も重要な判断基準である「受診の目安」と「救急の赤旗(レッドフラグ)」に特化して解説します。心血管疾患のサインは多岐にわたりますが、ここでは特に緊急性の高い6つの主要な症状(胸痛・呼吸困難・失神・麻痺・冷汗・動悸)を取り上げます。どのような場合に「119番通報(救急車)」が必要で、どのような場合に「#7119(救急安心センター事業)」への相談や、「通常の医療機関受診」を検討すべきか、その境界線を明らかにします。
胸痛(圧迫感・締め付けられる痛み)
胸痛は、心血管疾患の最も典型的で、最も恐れられるサインです。「胸に重い石を乗せられたような圧迫感」「胸が強く締め付けられる感じ」と表現されることが多く、心筋梗塞の兆候である可能性を常に考える必要があります。
最大の赤旗は「持続時間」です。 もし胸痛や圧迫感が15分以上続く場合は、ためらわずに119番に通報してください。 これは、心臓の筋肉(心筋)への血流が途絶え、組織が壊死し始めている可能性があることを示します。
注意すべきは、痛みを感じる場所です。痛みは胸部だけでなく、「放散痛」として他の場所にも広がることがあります。
- 左腕(時には両腕)への放散
 - 背中(特に肩甲骨の間)
 - 首や顎
 - みぞおち(胃痛と間違われることがある)
 
これらの放散痛を伴う胸痛は、極めて危険なサインです。さらに、冷や汗、息切れ、吐き気を同時に伴う場合、心筋梗塞の疑いは非常に高くなります。 すでに狭心症と診断されている方が、安静にしたり、処方されたニトログリセリン(舌下錠)を使用したりしても痛みが治まらない場合も、心筋梗塞へ移行している可能性があるため、直ちに救急車を呼ぶ必要があります。 胸痛の原因には、大動脈解離(引き裂かれるような激痛)や肺塞栓症(胸痛と呼吸困難)など、他の命に関わる病気も含まれるため、自己判断は禁物です。
呼吸困難(息切れ・息苦しさ)
「息が吸えない」「空気が足りない」「溺れるような感じ」といった呼吸困難は、心臓が悲鳴を上げているサインかもしれません。これは多くの場合、心臓のポンプ機能が急激に低下し、血液が肺に滞る「急性心不全」によって引き起こされます。
以下の状況は、直ちに119番が必要です:
- 会話ができない: 息苦しさのあまり、途切れ途切れにしか言葉を発することができない。
 - 横になれない: 座っている方が呼吸が楽で、横になると咳き込んだり、さらに息苦しくなったりする(起座呼吸)。
 - チアノーゼ: 唇や爪が紫色になる。これは血液中の酸素が極度に不足しているサインです。
 - 意識の変化: 息苦しさと同時に、混乱したり、意識がもうろうとしたりする。
 
特に、胸の圧迫感や動悸、足の強いむくみを伴う呼吸困難は、心不全や肺塞栓症の可能性を強く示唆します。 これもまた、「様子を見よう」と待つべきではありません。心不全の初期症状は見逃されやすいため、急激な悪化には最大限の注意が必要です。
失神(意識を失う)
「立ちくらみ」や「貧血」と混同されがちですが、一時的にせよ完全に意識を失う「失神」は、非常に危険な兆候である場合があります。特に心臓が原因の失神(心原性失神)は、致死的な不整脈の前触れである可能性があるため、見逃すことはできません。
特に危険な赤旗となる失神:
- 運動中の失神: 階段を駆け上がっている時や、スポーツの最中に意識を失う場合。これは心臓に強い負荷がかかった時に不整脈や構造的な問題が起きている可能性があり、最も危険なサインの一つです。
 - 臥位(横になっている時)の失神: 通常、失神は立っている時に起こりやすいものですが、横になっている時に起こる場合は、重篤な心臓の問題が疑われます。
 - 前兆のない突然の失神: 気持ち悪さや目の前が暗くなる感じ(前失神)がなく、突然意識を失う場合。
 - 胸痛や動悸を伴う失神: 意識を失う直前、または意識が戻った直後に、胸の痛みや激しい動悸を感じる場合。
 - 回復が遅い: 意識が1分以上戻らない、または戻った後に麻痺やろれつ不良などの神経症状がある場合。
 
たとえ意識がすぐに回復したとしても、「運動中に起こった」失神は、それだけで119番通報または緊急受診の対象となります。 安易に「疲れていただけ」と判断しないでください。危険な心拍数が背景にあるかもしれません。
麻痺・ろれつ不良(脳卒中のサイン:FAST)
脳卒中(脳梗塞や脳出血)は、脳の血管が詰まるか破れることで起こる、心血管系の緊急事態です。これはまさに「時間との戦い」であり、以下のサインを見たら1秒でも早く119番に通報する必要があります。
合言葉は「FAST(ファスト)」です。
- F (Face = 顔): 「イー」と笑うように求め、顔の片側がゆがんだり、口角が下がったりしないかを確認します。
 - A (Arm = 腕): 両腕を前に伸ばしてもらい、片方の腕が力なく下がってこないかを確認します。
 - S (Speech = 言葉): 簡単な言葉(例:「今日は天気が良い」)を復唱してもらい、ろれつが回らない、言葉が出ない、または意味不明なことを言わないかを確認します。
 - T (Time = 時間): 時間こそが命です。 これらのうち一つでも当てはまれば、発症時刻を確認し、直ちに119番に通報してください。
 
FAST以外にも、「突然の激しい頭痛(これまでに経験したことのない最悪の頭痛)」、「突然の視覚障害(片目が見えない、物が二重に見える)」、「突然の歩行障害(ふらついて立てない)」なども、脳卒中の重大なサインです。 脳梗塞のリスクは心房細動などの不整脈とも関連しており、脳梗塞を防ぐためには迅速な対応が不可欠です。
動悸(不規則な脈・飛ぶ脈)
「心臓がドキドキする」「脈が飛ぶ」「不規則に打つ」といった動悸は、多くの人が経験する症状であり、不安やストレスが原因であることも少なくありません。しかし、これが危険な不整脈のサインである可能性もあります。
動悸単独であれば緊急性は低いことが多いですが、以下の赤旗症状を伴う場合は直ちに119番が必要です:
- 動悸 + 胸痛・胸部不快感
 - 動悸 + 強い息切れ・呼吸困難
 - 動悸 + 失神・強いめまい(気が遠くなる感じ)
 
これらの症状が同時に起こる場合、心臓が効率的に血液を送り出せていない可能性(例:心室頻拍、心房細動による血行動態の破綻)があり、緊急の治療が必要です。 また、赤旗症状がなくても、動悸が改善しない不整脈として持続する、頻繁に繰り返す、または基礎心疾患(心不全、心筋梗塞の既往など)や突然死の家族歴がある場合は、緊急ではなくても早めに循環器内科を受診し、ホルター心電図などの検査を受けることが重要です。
冷汗・吐き気(非典型的な危険サイン)
これは特に注意が必要な点で、女性、高齢者、糖尿病患者さんでは、心筋梗塞が典型的な胸痛として現れないことがあります。 「非典型的症状」と呼ばれるこれらのサインを見逃さないことが、命を救う鍵となります。
赤旗となる非典型症状:
- 突然の冷や汗: 明らかな理由がないのに、びっしょりと冷たい汗をかく。
 - 強い吐き気・嘔吐: 胃腸の問題だと思っていたら、実は心臓が原因だったということがあります。
 - 極度の倦怠感: 「経験したことのない異常な疲れ」や、強い不安感。
 - 胸部の不快感: 激しい痛みではなく、圧迫感、違和感、または息切れ。
 
これらの症状が突然現れた場合、特に胸部の軽い違和感や息切れを伴う場合は、「消化不良」「風邪」「更年期障害」と自己判断せず、心筋梗塞の可能性を疑うべきです。 見過ごされがちなサインに気付くことが重要です。
「119番」か「#7119」か? 迷った時の判断基準
これまでに挙げたような明らかな赤旗症状がある場合は、迷わず119番に通報してください。しかし、現実には「救急車を呼ぶほどではないかもしれない」「このくらいの症状で大げさだと思われたくない」とためらってしまうことが多いのも事実です。
原則は「迷ったら119番」です。
その上で、判断に迷う時のための公的な相談窓口として「#7119」(救急安心センター事業)があります。
- #7119とは?
医師、看護師、相談員が24時間365日体制で待機しており、電話で症状を伝えると、緊急度を判断し、「すぐに119番通報すべきか」「自家用車などで救急病院に行くべきか」「翌朝まで待ってかかりつけ医に行くべきか」などを助言してくれます。 また、受診可能な医療機関の案内も行っています。 - #7119を使う時:
「胸痛が数分で治まったが、繰り返す」「動悸が続いているが、息苦しさはない」「症状は軽いが、不安だ」など、緊急性は高くないかもしれないが、どう対処すべきか判断に迷う場合。 - 119番を使う時:
持続する胸痛、麻痺、ろれつ不良、激しい呼吸困難、失神など、本セクションで挙げた明らかな赤旗症状がある場合。 
#7119は、救急車の適正利用を促すと同時に、受診の迷いによる手遅れを防ぐための重要な社会インフラです。厚生労働省のウェブサイトなどで、お住まいの地域が#7119の対象エリアかを確認しておくとよいでしょう。
救急車が来るまでに行うべきこと・避けるべきこと
119番に通報した後、救急隊が到着するまでの数分間は非常に重要です。適切な対応が、その後の経過を左右することもあります。
行うべきこと:
- 安全な姿勢をとる: 横になったり、座ったりするなど、最も楽な姿勢をとらせます。衣服を緩めて呼吸を楽にします。
 - 玄関の鍵を開ける: 救急隊がスムーズに入室できるよう、玄関の鍵やチェーンロックを解除しておきます。
 - 情報を準備する: 以下のものを準備しておくと、搬送後の診断と治療が迅速に進みます。
- お薬手帳、または現在服用中の薬のリスト
 - 保険証、診察券
 - かかりつけ医の情報
 - アレルギー歴や既往歴のメモ
 
 - AEDの準備: (もし本人が意識を失い、呼吸も停止した場合)周囲にAED(自動体外式除細動器)があればすぐに手配し、119番の通信指令員の指示に従って胸骨圧迫(心臓マッサージ)やAEDの使用を開始します。
 
避けるべきこと(厳禁):
- 自分で運転して病院に行くこと: 絶対に避けてください。 症状が急に悪化し、運転中に意識を失うなどして、重大な事故を引き起こす危険性があります。
 - 飲食させること: 病院ですぐに検査や処置(カテーテル治療や緊急手術など)が必要になる場合に備え、水や食べ物を与えないでください。
 - 自己判断での服薬: 医師の指示なく、鎮痛剤やその他の薬をむやみに飲ませないでください。
 - 「様子を見る」こと: 明らかな赤旗症状が出ているにもかかわらず、「少し休めば治るかも」と受診を遅らせることが最も危険です。
 
これらの緊急サインを理解することは、あなた自身や大切な人の命を守るための第一歩です。しかし、なぜこのような危険な状態が引き起こされるのでしょうか。次の章では、これらの緊急事態の背景にある、高血圧などのリスク要因と、心疾患を予防するための基本的な対策について詳しく見ていきます。
リスク要因と予防(高血圧・脂質異常・糖尿病・喫煙・睡眠・ストレス)
前節では、胸の痛みや呼吸困難といった、命に関わる可能性のある「救急の赤旗サイン」について学びました。それらのサインを知ることは非常に重要ですが、多くの方が次に抱く疑問は、「そもそも、どうすればそのような危険な状態を未然に防げるのか?」ということでしょう。
幸いなことに、心血管疾患の主要なリスク要因の多くは「修正可能」です。つまり、遺伝や年齢といった変えられない要因とは異なり、日々の生活習慣や行動によって、私たちが自らコントロールできる要因なのです。これらのリスクを一つひとつ管理することが、健康な心臓と血管を維持するための最も確実な道となります。
本セクションでは、特に日本人において重要とされる6つの主要なリスク要因(高血圧・脂質異常・糖尿病・喫煙・睡眠・ストレス)に焦点を当て、最新の科学的知見に基づき、それぞれのリスクがなぜ問題なのか、そして具体的にどのような予防策を講じればよいのかを、深く掘り下げて解説していきます。
日本人に多い心血管リスク:まずは減塩と体重3–5%減から
心血管疾患の予防を語る上で、避けて通れない最も重要な要因が「高血圧」です。高血圧は「サイレントキラー(静かなる暗殺者)」と呼ばれ、自覚症状がないまま血管にダメージを与え続け、ある日突然、心筋梗塞や脳卒中を引き起こします。
特に日本人において、高血圧の最大の原因とされるのが「食塩の過剰摂取」です。伝統的な和食には、醤油、味噌、漬物など塩分を多く含む食品が多いため、意識的な「減塩」が不可欠です。厚生労働省の「日本人の食事摂取基準(2025年版)」では、成人の食塩相当量の目標値を男性7.5g/日未満、女性6.5g/日未満と定めています。これは、WHO(世界保健機関)が推奨する5g/日未満よりは緩やかな目標ですが、まずはこの日本基準を達成することが第一歩です。ラーメンのスープを飲み干さない、加工食品の成分表示を確認するといった小さな行動が、大きな違いを生みます。詳しくは高血圧のリスクや食事療法の詳細も参考にしてください。
高血圧と密接に関連するのが「体重」です。日本循環器学会のガイドラインでも指摘されている通り、現在の体重からわずか3〜5%の減量を達成するだけで、血圧、血糖値、脂質といった代謝指標が有意に改善することが多くの研究で示されています。例えば80kgの人であれば、2.4kg〜4kgの減量です。これは、無理なダイエットではなく、現実的な目標と言えるでしょう。体重管理の鍵は、厚生労働省の「アクティブガイド2023」が示すように、座っている時間(座位時間)を減らし、ウォーキングのような日常的な身体活動を増やすことです。
LDL・HDL・中性脂肪:数値の意味と生活で下げるコツ
血圧と同じく、健康診断で必ずチェックされるのが「脂質異常症」に関する数値です。検査結果に並ぶ「LDL」「HDL」「TG(中性脂肪)」といったアルファベットを見て、「どれが何を意味するのか分からない」と混乱してしまう方も少なくないでしょう。
これらは血液中の「脂質(あぶら)」の種類です。非常に簡単に言えば、以下の3つのキャラクターとして理解すると分かりやすいです。
- LDLコレステロール(悪玉):血管の壁に潜り込み、プラークと呼ばれる「コブ」を作って動脈硬化を進行させる張本人。基準値(例:140mg/dL以上)を超えると注意が必要です。
 - HDLコレステロール(善玉):血管の壁にたまった余分なコレステロールを回収し、肝臓へ運ぶ「掃除屋」。基準値(例:40mg/dL未満)を下回ると問題です。
 - TG(中性脂肪):体や食事から作られるエネルギー源。しかし、過剰になると(例:空腹時150mg/dL以上)、LDLを小型化させてより悪玉化させたり、HDLを減らしたりします。
 
脂質異常症の怖いところは、高血圧と同様に自覚症状が全くない点です。気づかないうちに動脈硬化が進行し、心筋梗塞や脳梗塞のリスクが高まります。予防の基本は、やはり生活習慣の改善です。特に「食事」と「運動」が鍵を握ります。食事療法では、肉の脂身やバターなどに含まれる「飽和脂肪酸」を減らし、青魚(サバ、イワシなど)に含まれる不飽和脂肪酸や、野菜、大豆製品を積極的に摂ることが推奨されます。運動は、特に中性脂肪を減らし、善玉のHDLを増やす効果が期待できます。LDLコレステロールが高いと指摘された場合は、これらの生活改善から始めてみましょう。
禁煙の効果はいつから?1年でCHDリスク半減
心血管疾患の予防において、もしあなたが喫煙者であれば、他のどの生活習慣改善よりも強力で、即効性のある行動が「禁煙」です。
喫煙は、血管の内皮細胞を傷つけ、動脈硬化を促進し、血液をドロドロにして血栓(血の塊)を作ります。まさに心筋梗塞や脳卒中への「アクセル」を踏み込むような行為です。中には「もう何十年も吸ってきたから、今更やめても手遅れだ」と考える方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、それは大きな誤解です。禁煙の効果は、あなたが思っているよりもずっと早く現れます。CDC(米国疾病予防管理センター)やWHOの報告によれば、禁煙による健康改善のタイムラインは驚くほど劇的です。
- 禁煙後20分:心拍数と血圧が下がり始めます。
 - 禁煙後12時間:血中の一酸化炭素濃度が正常に戻ります。
 - 禁煙後2週~3ヶ月:心機能と肺機能が改善し始めます。
 - 禁煙後1年:冠動脈疾患(心筋梗塞など)のリスクが、喫煙を続けた場合の約半分にまで減少します。
 - 禁煙後15年:冠動脈疾患のリスクが非喫煙者のレベルにまで近づきます。
 
「1年でリスクが半減する」という事実は、禁煙をためらう方にとって強力な動機付けとなるはずです。もちろん、ニコチン依存症は意志の力だけで克服するのが難しい場合もあります。その際は、禁煙外来や禁煙支援プログラムなどの専門的なサポートを活用することをためらわないでください。
睡眠不足と心臓病:睡眠ガイド2023で整える生活
食事、運動、禁煙と並び、近年「第4の健康習慣」として注目されているのが「睡眠」です。忙しい現代社会において、睡眠時間は真っ先に削られがちです。「週末に寝だめすればいい」と考える方も多いかもしれませんが、慢性的な睡眠不足は「借金」のように積み重なり、心血管系に深刻なダメージを与えます。
睡眠不足がなぜ心臓に悪いのでしょうか?第一に、睡眠不足は交感神経を緊張させ、血圧を上昇させます。第二に、食欲を調節するホルモン(レプチンとグレリン)のバランスを崩し、過食や肥満、さらには2型糖尿病のリスクを高めます。これらはすべて、心血管疾患の強力な危険因子です。
厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」では、単に「何時間寝るか」という量だけでなく、睡眠の「質」と「規則性」の重要性を強調しています。心血管疾患予防のための睡眠習慣として、以下の点を心がけましょう。
- 日中の眠気で困らない程度の睡眠を確保する:必要な睡眠時間には個人差があります。時間にとらわれず、「日中しっかり覚醒していられるか」を基準にしましょう。
 - 規則正しい睡眠スケジュールを保つ:平日も週末も、できるだけ同じ時間に寝て、同じ時間に起きるようにしましょう。
 - 睡眠環境を整える:寝室を暗く、静かで、涼しい状態に保ちましょう。就寝前のスマートフォンやPCの使用は、ブルーライトが睡眠を妨げるため避けるべきです。
 - 睡眠時無呼吸症候群(OSA)に注意:いびきがひどい、日中に強い眠気がある場合は、睡眠中に呼吸が止まっている可能性があります。これは脳卒中や心臓病の重大なリスクであり、専門医の診断が必要です。
 
ストレスは心血管リスク:職場・家庭でできる対処法
「ストレスは万病のもと」と昔から言われますが、心血管疾患に関しても例外ではありません。精神的なストレスが、私たちの心臓や血管に物理的な影響を与えることは、科学的に証明されています。
強いストレスや抑うつ状態にあると、体は「闘争か逃走か」モードに入り、コルチゾールやアドレナリンといったストレスホルモンを大量に分泌します。これにより、血圧が上昇し、心拍数が増加し、血糖値が上がります。これが慢性的に続けば、血管は常に緊張状態に置かれ、動脈硬化が進行します。
さらに、ストレスは私たちの「行動」にも影響します。ストレスを感じると、タバコやお酒の量が増えたり、やけ食い(特に高脂肪・高糖質のジャンクフード)に走ったり、運動する気力がなくなったりしがちです。これら「不健康なコーピング(対処行動)」が、心血管リスクをさらに高めるという悪循環に陥ります。
ストレスをゼロにすることは不可能ですが、それを「管理」することは可能です。心臓を守るためのストレスマネジメントには、以下のような方法があります。
- 身体活動:運動は最も効果的なストレス解消法の一つです。気分転換になるだけでなく、ストレスホルモンを分解し、脳内に「幸せホルモン」(エンドルフィン)を分泌させます。
 - 社会的つながり:家族や友人と話すこと、信頼できる人に悩みを打ち明けることは、孤独感を和らげ、ストレスの緩衝材となります。
 - リラクゼーション:深呼吸、瞑想、ヨガ、趣味の時間を持つなど、自分が「リラックスできる」方法を見つけ、日常に取り入れましょう。
 - 専門家の助け:ストレスや抑うつ感情が強く、自分だけでは対処しきれないと感じる場合は、ためらわずに産業保健スタッフや心療内科、カウンセラーなどの専門家に相談してください。
 
40〜74歳は年1回:特定健診で“見つけて・変える”
これまで、高血圧、脂質異常症、睡眠不足、ストレス、そしてこれらすべてに関連する糖尿病のリスクについて説明してきました。しかし、これらのリスク要因が「サイレントキラー」と呼ばれる最大の理由を覚えているでしょうか?
それは、「自覚症状がほとんどない」ことです。
自分が高コレステロールであることも、血糖値が高めであることも、「感じる」ことはできません。だからこそ、予防において最も重要な行動の一つが、「定期的な健康診断で自分の数値を知る」ことです。
日本では、40歳から74歳のすべての人を対象に、メタボリックシンドロームに着目した「特定健診(特定健康診査)」が年1回実施されています。これは、心血管疾患の芽を早期に発見するための、非常に重要なスクリーニング(ふるい分け)です。
特定健診は、単に「検査して終わり」ではありません。検査結果に基づき、リスクが高いと判断された人には「特定保健指導」というサポートが提供されます。これは、医師や保健師、管理栄養士が、個々の生活習慣を見直すための具体的なアドバイスや動機付け支援を行うプログラムです。「分かっているけどやめられない」という行動変容の壁を、専門家と一緒に乗り越えるための仕組みです。
40歳未満であっても、職場の健康診断や任意の健診を受ける機会を大切にしてください。「まだ若いから大丈夫」という過信が、最も危険なリスク要因かもしれません。予防への第一歩は、「自分の現在の状態を正確に知る」ことから始まります。
さて、これらのリスク要因を理解し、特定健診の重要性を認識したところで、次の疑問が湧いてくるはずです。「健診では具体的に何を調べるのか?」「心電図や心エコーといった検査は、何が分かるのか?」
次節では、これらの疑問に答えるため、心血管疾患を診断するための具体的な検査の流れと、それぞれの検査の目的について詳しく見ていきましょう。
診断の流れと主要検査(問診・身体所見/心電図・ホルター・心エコー/CT・MRI・負荷試験・血液)
前節では、高血圧や脂質異常症といった心血管疾患の「リスク要因」について詳しく見てきました。しかし、「自分にリスクがあるのは分かったけれど、実際に胸の違和感や息切れがある場合、病院では一体何が行われるのだろう?」という不安や疑問をお持ちの方も多いでしょう。
医療機関の扉を叩くとき、多くの人が緊張し、何をどう説明すればよいか戸惑うものです。このセクションでは、心血管疾患が疑われた場合、医師がどのような「思考の地図」を持って診断を進めていくのか、その標準的な流れと、各検査の目的(何が分かり、何が分からないのか)を、ステップバイステップで詳しく解説します。検査の流れを知ることは、ご自身の状態を理解し、不安を和らげる第一歩となります。
初診での「探偵作業」:問診と身体所見の重要性
心血管疾患の診断は、最新の高度な検査機器だけで行われるわけではありません。すべての基本となるのが、患者さんとの対話である「問診」と、医師が五感を使って情報を集める「身体所見」です。
問診:あなたの「物語」が最大のヒント
医師は、まるで探偵のように、あなたの症状という「物語」から重要な手がかりを集めます。以下のような質問には、すべて深い意味があります。
- 「いつからですか?」:数分前に突然始まった痛み(急性心筋梗塞の可能性)か、数ヶ月前から続いているか(安定狭心症など)。
 - 「どんな痛みですか?」:「圧迫されるよう」「締め付けられるよう」な痛みは心臓由来を強く疑います。一方で「チクチクする」「指でここ、と示せる」痛みは、心臓以外の原因(筋肉痛や神経痛)も考えられます。
 - 「どんな時に起こりますか?」:階段や坂道での労作時(労作性狭心症)、それとも安静時や夜中(冠攣縮性狭心症や不安定狭心症)か。
 - 「どのくらい続きますか?」:数秒で消える痛みは心臓の可能性が低い一方、5分〜15分程度続く場合は狭心症、30分以上持続する場合は心筋梗塞を疑います。
 - 「他に症状は?」:冷や汗、吐き気、肩や顎への放散痛、呼吸困難などを伴うか。
 - 「どうすれば楽になりますか?」:休むと治まるか、特定の薬剤(ニトログリセリンなど)が効くか。
 
これらの情報は、医師が次にどの検査を選ぶべきかを判断する上で、最も重要な「前確率(PTP:Pre-Test Probability)」、つまり「その症状が本当に心臓の病気である可能性」を見積もるために不可欠です。
身体所見:体に現れるサインを見逃さない
次に医師は、聴診器や手、目を使って、あなたの体に現れているサインを探します。
- 血圧・脈拍:血圧が極端に低い(ショック状態)、脈が速すぎる・遅すぎる・不規則(不整脈)でないか。
 - 頸静脈:首の静脈が怒張していないか(心不全による「うっ血」のサイン)。
 - 胸部(聴診):心臓の音に雑音はないか(心臓弁膜症)、肺の音に「水が溜まったような音(ラ音)」はないか(心不全)。
 - 下肢(触診・視診):足がむくんでいないか(浮腫、心不全や静脈疾患)。
 
これら問診と身体所見は、患者さんへの負担がゼロでありながら、緊急性が高い状態(急性大動脈解離や肺塞栓など)を即座に鑑別し、トリアージ(治療の優先順位付け)を行うための、最も基本的で強力なツールです。心不全が疑われる場合の詳細な問診については、こちらの記事もご参照ください。
すべての基本:12誘導心電図(ECG)
胸痛や動悸を訴えて受診した場合、ほぼ100%行われるのが12誘導心電図(ECG)です。ベッドに横になり、胸や手足に電極を装着して、心臓が拍動する際に発生する微弱な電気信号を記録します。
心電図で何がわかるか?
この検査は「今、この瞬間」の心臓の電気的状態を捉えます。特に重要なのは以下の点です。
- 急性心筋梗塞(ACS):心筋が虚血(血流不足)に陥ると、「ST」と呼ばれる波形部分が特徴的な変化(上昇または低下)を示します。これは急性冠症候群の診断において決定的であり、緊急カテーテル治療の要否を判断する最大の根拠となります。
 - 不整脈:脈が速い(頻脈)、遅い(徐脈)、または不規則(心房細動など)かを即座に診断できます。
 - 過去の心筋梗塞:古い心筋梗塞の痕跡(異常Q波)や、心筋の負担(心肥大)なども読み取ることができます。
 
心電図の「限界」を知る
非常に重要なことですが、「症状がない時の心電図が正常=心臓が健康」とは限りません。狭心症の多くは、労作時など心臓に負担がかかった時にのみ虚血が起こり、安静時に行った心電図では全く異常が出ないことが普通です。そのため、心電図が正常であっても、問診で狭心症が強く疑われれば、次のステップ(負荷試験やCTなど)に進む必要があります。心筋梗塞の兆候は多様であり、心電図はその一部を捉えるに過ぎません。
隠れたサインを捉える:ホルター心電図とイベントレコーダー
「病院の心電図は正常だった。でも、昨日の夜、確かに動悸がした」「朝方、胸が苦しくなることがある」…。このように、症状が一時的(発作性)で、病院受診時には治まってしまっているケースは非常に多く、患者さんにとっては「気のせいだと思われたらどうしよう」と不安になるものです。
このような「隠れた」症状を捉えるために開発されたのが、携帯型の心電計です。
- ホルター心電図:小型の心電計を24時間装着し、日常生活中の心電図をすべて記録します。これにより、危険な動悸や不整脈、あるいは夜間や早朝の狭心症(冠攣縮性狭心症)の証拠を捉えられる可能性があります。ホルター心電図の具体的な流れについては、こちらの記事で詳しく解説しています。
 - イベントレコーダー/植込み型ループレコーダー(ILR):症状の頻度が数週間に1回、あるいは数ヶ月に1回と非常に低い場合、24時間では捉えられません。その場合、症状が出た時に患者さん自身がボタンを押して記録する「イベントレコーダー」や、さらに頻度が低く失神などを起こす場合には、皮下に小さなデバイスを植え込む「ILR」が使われます。Cochraneのレビューでは、原因不明の失神において、ILRが従来の検査よりも診断率を大幅に向上させることが示されています。[12]
 
心臓の「窓」:心エコー(超音波検査)
心電図が心臓の「電気的」な活動を見るのに対し、心エコー(超音波検査)は心臓の「構造」と「動き(ポンプ機能)」をリアルタイムで見る、非常に重要な検査です。妊婦さんのお腹の赤ちゃんを見るのと同じ、安全な超音波を使います。
心エコーで何がわかるか?
暗くした部屋で、ベッドに横になり、胸にゼリーを塗ってプローブ(探触子)を当てます。この検査だけで、心臓に関する膨大な情報が得られます。
- ポンプ機能:心臓がどれくらいの力で血液を送り出しているか(左室駆出率:LVEF)を正確に測定できます。これは心臓の基本的な働きを評価する上で最も重要であり、心不全の診断と重症度判定に必須です。
 - 心筋の動き:心臓の壁(心筋)の動きを詳細に観察します。もし一部の壁の動きが悪い(壁運動異常)場合、その領域を栄養する冠動脈が詰まっている(心筋梗塞)か、詰まりかけている(狭心症)ことが強く疑われます。
 - 弁膜症:心臓にある4つの「弁」が正しく開閉しているか、逆流や狭窄がないかを精密に評価できます。心雑音を指摘された場合の確定診断に用いられます。
 - 心筋症・心肥大:心臓の筋肉が異常に厚くなっていないか(心肥大)、薄くなっていないか(拡張型心筋症)など、心筋自体の病気も分かります。
 
心エコーは、被曝もなく、痛みも伴わないため、日本循環器学会のガイドラインでも、心不全や弁膜症が疑われる際の初期診断ツールとして必須と位置づけられています。[2] より詳細な観察が必要な場合(例えば、人工弁の評価や血栓の確認)、口から胃カメラのようにプローブを挿入する「経食道心エコー(TEE)」が行われることもあります。
血液が語るサイン:バイオマーカー(トロポニンとBNP)
心電図や心エコーと並行して、あるいはその前段階で、血液検査も行われます。採血は、心血管疾患の診断において、目に見えない「危険信号」を客観的な数値で捉えるために極めて重要です。
高感度トロポニン(hs-cTn):心筋ダメージの直接証拠
「胸が痛い」と救急外来を受診した際に、ほぼ必ず測定されるのがこの項目です。トロポニンは、心臓の筋肉(心筋)の中にのみ存在するタンパク質です。通常は血中にほとんど漏れ出てきません。
しかし、心筋梗塞などで心筋細胞が壊死すると、このトロポニンが血中に大量に放出されます。近年の「高感度」トロポニン検査は、ごく微量の漏れも検出できます。英国のNICEガイドライン[9]では、この高感度トロポニンを、胸痛発症時と、その1〜3時間後に再測定するプロトコルを推奨しています。もし数値が上昇すれば心筋梗塞(NSTEMI)を強く疑い、逆に2回とも極めて低値であれば、安全に「ルールアウト(心筋梗塞ではない)」と判断できる可能性が高まります。
BNP / NT-proBNP:心臓の「お疲れ度」バロメーター
「最近、息切れがする」「足がむくむ」といった心不全の兆候がある場合、BNP(脳性ナトリウム利尿ペプチド)またはNT-proBNPの測定が極めて有用です。これらは、心臓に負担がかかり、心筋が「引き伸ばされた」時に心臓自体から分泌されるホルモンです。
NICEの慢性心不全ガイドライン[7]では、未治療の患者さんにおいて、NT-proBNPの数値に基づいた受診のタイムラインを明確に示しています。
- 400 ng/L未満:心不全の可能性は極めて低い(ルールアウト)。
 - 400〜2000 ng/L:心不全の可能性あり。6週間以内に専門医の評価と心エコー検査を受ける。
 - 2000 ng/L以上:心不全の可能性が非常に高い。2週間以内に専門医の評価と心エコー検査を受ける。
 
これらの数値は、心不全のスクリーニング(ふるい分け)に強力なツールとなります。BNPの多面的な効果については、こちらの記事も参照してください。
その他の必須検査
もちろん、リスク要因を評価するための脂質プロファイル(LDL, HDL, 中性脂肪)、HbA1c(糖尿病)、貧血の有無(息切れの原因になる)、腎機能・肝機能(薬剤選択に影響)なども同時に測定されます。
血管を直接見るか、働きを見るか:CCTA vs 負荷試験
さて、ここまでの検査(問診、ECG、トロポニン、心エコー)で、緊急性の高い心筋梗塞や重度の心不全は概ね診断がつきます。問題は、「安定した労作時胸痛」、つまり「安静時は正常だが、動くと胸が苦しい」という、安定狭心症が疑われるケースです。
ここでの診断のゴールは、「冠動脈(心臓を栄養する血管)に、血流を妨げるほどの狭窄があるか?」を証明することです。そのために、大きく分けて2つのアプローチがあります。
1. 解剖学的評価:冠動脈CT(CCTA)
これは、造影剤を腕から注射しながら心臓のCTを撮影し、冠動脈の3D画像を作成する検査です。「血管の形(解剖)」を直接見ることができます。
- 強み:最大の強みは、「陰性的中率(NPV)」が非常に高いことです。つまり、「CCTAで狭窄がない」と判断されれば、ほぼ100%の確率で「冠動脈に危険な狭窄はない」と言い切れます。このため、英国のNICEガイドライン[8]などでは、低〜中等度のリスク(前確率)の患者さんに対する第一選択の検査として強く推奨されています。
 - 弱み:放射線被曝と造影剤(アレルギーや腎機能への影響)が必要です。また、石灰化が強いと評価が困難な場合があります。さらに、狭窄が「見える」ことと、それが本当に「血流を妨げている(=虚血を引き起こしている)」か(機能的評価)は、必ずしもイコールではありません。
 
2. 機能的評価:負荷試験(ストレス検査)
これは、あえて心臓に「負荷」をかけ(運動や薬剤で)、心電図の変化や心筋の動き、血流の変化を捉えることで、「虚血が起こるか(機能)」を見る検査です。
- 運動負荷心電図(トレッドミル):最も古くからある検査で、ルームランナーの上を歩きながら心電図を記録します。手軽でコストも低いですが、NICEのエビデンスレビュー[11]でも指摘されている通り、診断精度(特に女性での感度・特異度)には限界があります。
 - 負荷エコー:運動や薬剤で心臓に負荷をかけた状態で心エコーを行います。虚血が起これば、その領域の心筋の動き(壁運動)が悪くなるため、心電図よりも高い精度で診断できます。放射線被曝がないのが大きな利点です。[2]
 - 核医学検査(SPECT/PET):放射性同位元素を注射し、心筋への血流分布を画像化します。負荷時と安静時を比較することで、虚血の範囲と重症度を客観的に評価できます。感度が高いのが特徴です。
 
日本の実臨床での使い分け
日本循環器学会のガイドライン[1]では、NICEほどCCTA一辺倒ではなく、患者さんの前確率(PTP)、運動能力、施設のリソース(どの検査が得意か)などを総合的に考慮して、CCTA、負荷エコー、核医学検査、運動負荷心電図などを「使い分ける」アプローチが取られています。例えば、頸動脈エコーなどで既に動脈硬化のリスクが高いと分かっている場合などは、より積極的な画像評価が検討されます。
最終診断とさらなる評価:心臓MRIと心臓カテーテル検査
上記の非侵襲的検査(患者さんへの負担が比較的少ない検査)で診断が困難な場合や、より詳細な情報が必要な場合、さらに高度な検査に進みます。
心臓MRI(CMR)
心エコーでは画質が不十分な場合や、心筋自体の「質」を評価したい場合に非常に強力な検査です。放射線被曝はありませんが、検査時間が長く(30分〜1時間)、狭いトンネルの中で大きな音を聞く必要があります。
- 強み:心筋症(心臓の筋肉自体の病気)や心筋炎(心筋の炎症)の診断、心筋梗塞後の心筋の生存評価(バイアビリティ)において、他の検査では得られない情報を提供します。心エコーが苦手とする組織の性状(線維化など)を詳細に描出できます。
 
心臓カテーテル検査(CAG)
これは、冠動脈疾患の診断における「ゴールドスタンダード(最終的な診断基準)」とされる検査です。手首や足の付け根の動脈からカテーテルという細い管を心臓の冠動脈まで進め、造影剤を直接注入してX線撮影を行います。
- 特徴:入院が必要な「侵襲的」な検査ですが、CCTAと異なり、狭窄の「見た目」だけでなく、血流の「機能」もFFR(冠血流予備量比)という手法で正確に測定できます。
 - 最大の利点:診断と同時に治療(PCI:ステント治療)が行えることです。そのため、非侵襲的検査で明らかに重度の虚血が証明された場合や、急性心筋梗塞の際には、診断・治療の目的で緊急で行われます。カテーテル検査の安全性や詳細については、こちらの記事もご参照ください。
 
これらの検査を適切に組み合わせることで、心臓のどの部分に、どのような問題が起きているのかが解明されます。診断が確定すれば、いよいよ治療のステップに進みます。次章からは、心血管疾患の中でも特に頻度の高い「高血圧」について、その管理と治療を詳しく見ていきましょう。
高血圧:基準・測定法・生活改善・薬物治療(減塩・運動・降圧薬)
前節では心血管疾患を見つけるための様々な検査について概観しました。その検査の結果、最も多くの人が診断され、また最も基本的な管理が求められるのが「高血圧」です。
「血圧が高めですね」と医師から告げられた時、多くの方が「自分は大丈夫だろうか」「一生薬を飲み続けなければならないのか」といった不安を感じます。高血圧は自覚症状がほとんどないため「サイレントキラー(沈黙の殺人者)」と呼ばれますが、放置すれば確実に動脈硬化を進行させ、脳卒中や心筋梗塞といった重大な病気の引き金となります。しかし、高血圧は「正しく知り、正しく管理する」ことで、そのリスクを大幅に下げることができる病気でもあります。このセクションでは、高血圧とは何か、その診断基準、日々の測定方法、そして治療の柱である生活改善と薬物治療について、深く掘り下げて解説します。
日本の高血圧「基準値」:なぜ診察室と家庭で違うのか
高血圧の管理は、まず「自分の正確な血圧を知る」ことから始まります。ここで多くの人が混乱するのが、「基準値」です。高血圧の診断基準は、測定する場所によって異なります。
- 診察室血圧: 140/90 mmHg以上
 - 家庭血圧: 135/85 mmHg以上
 
なぜ数値が2種類あるのでしょうか。それは、診察室では緊張やストレスで一時的に血圧が上がってしまう「白衣高血圧」の人が少なくないからです。研究では、診察室の血圧よりも、リラックスした環境で測る家庭血圧の数値の方が、将来の心血管疾患リスクをより正確に反映することがわかっています。したがって、現代の高血圧診療では、家庭血圧(HBPM)の測定が最も重要視されています。
注意すべきは、白衣高血圧とは逆に、診察室では正常なのに自宅、特に夜間や早朝の血圧が高い「仮面高血圧」です。これは見逃されやすく、夜間高血圧を含め、心血管イベントの非常に高いリスクとなります。だからこそ、家庭での測定が不可欠なのです。
さらに、治療を始める際の「降圧目標」も重要です。日本の最新ガイドライン(JSH2025)では、多くの患者さんで 130/80 mmHg未満 を目指すことが推奨されています。これは、より厳格に血圧を管理することで、将来の脳卒中や心筋梗塞を強力に予防できるというエビデンスに基づいています。ただし、高齢の方や他の合併症がある場合は、立ちくらみなどを防ぐために、目標値は個別に設定されます。
家庭血圧の「正しい測り方」:なぜそれが最も重要なのか
「毎日血圧を測ってください」と言われ、血圧計を購入したものの、いつ測れば良いか分からず、気が向いた時に測っている、ということはないでしょうか。実は、高血圧管理において「いつ、どのように測るか」は、治療方針を決める上で最も重要な情報となります。
まず、使用する血圧計は、精度の観点から「上腕式(カフを腕に巻くタイプ)」が強く推奨されます。手首式は手軽ですが、測定時の高さが心臓とずれやすく、誤差が出やすいためです。信頼できるメーカーの認証された血圧計を選ぶことも大切です。
正しい測定の手順は以下の通りです。これは診断の根拠となるため、厳密に行うことが推奨されます。
- 測定タイミング: 1日2回。「朝」は起床後1時間以内、排尿後、朝食前、降圧薬服薬前。「夜」は就寝直前。
 - 安静: 測定前に、椅子に座って1〜2分(できれば5分)安静にし、リラックスします。会話やテレビ観覧は避けます。
 - 姿勢: 腕帯(カフ)を心臓の高さに合わせます。カフは素肌、または薄手のシャツの上から、指が1本入る程度の強さで巻きます。
 - 回数: 1回の測定機会で「2回」測定し、その平均値を記録します。(1回目と2回目の間は1分程度あけます)
 - 記録: 測定した数値(朝2回・夜2回の平均)を血圧手帳に記録します。医師は、少なくとも7日間の平均値を見て、あなたの血圧の状態を判断します。
 
この手順で測定することで、一日の血圧変動(日内変動)や、早朝の血圧が特に高い「早朝高血圧」など、治療に必要な重要な情報が得られるのです。
薬の前に試すべき「生活習慣の改善」:減塩・運動・節酒
「血圧が高い=すぐに薬」と考える方も多いですが、治療の根幹は「生活習慣の改善」です。これは薬物治療中であっても、基本中の基本として継続する必要があります。特に軽症の高血圧であれば、生活習慣の改善だけで血圧が正常範囲に戻ることも少なくありません。
1. 減塩(食塩摂取量の見直し)
日本人にとって、高血圧対策の最大の柱は「減塩」です。日本の伝統的な食事(醤油、味噌、漬物、干物)は塩分が多く、世界的に見ても塩分摂取量が多い国です。塩分(ナトリウム)を過剰に摂取すると、体は水分を溜め込み、血液量が増加して血圧が上がります。
目標値は、高血圧の人は1日6g未満です(日本人の食事摂取基準では一般男性7.5g未満、女性6.5g未満)。これは非常に厳しい目標です。例えば、ラーメンのスープを全部飲むと、それだけで5〜6gの塩分になることがあります。DASH食(高血圧予防の食事法)も参考に、だしや香辛料、酸味(レモンやお酢)を上手に使い、加工食品や外食を控える工夫が必要です。
また、塩分の排出を促す「カリウム」を野菜や果物から十分に摂ることも重要です(ただし、腎機能が悪い方はカリウム制限が必要なため、医師に相談してください)。
2. 運動(身体活動)
運動は、血管を広げ、血圧を下げる効果があります。WHO(世界保健機関)は、週に150分~300分の中等度の運動(早歩き程度)を推奨しています。ウォーキングのような有酸素運動が効果的です。「週末にまとめて」ではなく、「1日30分を週5日」のように、継続することが大切です。
3. 節酒と禁煙
アルコールは一時的に血圧を下げることがありますが、長期的な過度の飲酒は高血圧の原因となります。節酒の目安は、1日あたり純エタノール換算で男性20g程度(ビール中瓶1本、日本酒1合程度)、女性はその半分程度です。喫煙は、それ自体が血圧を上げ、動脈硬化を強力に推進するため、高血圧の人は絶対に禁煙が必要です。
その他、肥満の解消(体重管理)、十分な睡眠、ストレス管理も血圧の安定に不可欠です。
降圧薬(薬物治療):いつから、どの薬を飲むのか
生活習慣の改善を数ヶ月続けても血圧が目標値まで下がらない場合や、診断時の血圧が非常に高い場合(例:160/100 mmHg以上)、または糖尿病や腎臓病などの合併症がある場合は、薬物治療(降圧薬)の開始が検討されます。
「一度薬を始めたら、一生やめられないのではないか」と不安に思う方は多いです。しかし、降圧薬は「将来の脳卒中や心筋梗塞からあなたを守るための、最も確実な手段の一つ」です。高血圧治療薬には多くの種類があり、患者さんの状態や合併症に合わせて選択されます。主な第一選択薬は以下の4種類です。
- Ca(カルシウム)拮抗薬(CCB): 血管を広げて血圧を下げます。効果が安定しており、高齢者にも使いやすい薬です。
 - ARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)/ ACE阻害薬: 血管を収縮させる物質の働きを抑えます。心臓や腎臓を保護する作用もあります。
 - サイアザイド系利尿薬: 体内の余分な塩分と水分を尿として排出し、血液量を減らして血圧を下げます。
 
β遮断薬は、心不全や心筋梗塞後など、特定の状態の患者さんに主に使われます。副作用が心配な方もいますが、最近の薬は副作用が少なくなるよう工夫されています。1剤で効果が不十分な場合は、作用の異なる薬を少量組み合わせて(併用療法)、効果を高めつつ副作用を抑える方法が主流です。
合併症がある場合の注意点(特にCKD)
高血圧は腎臓に負担をかけ、慢性腎臓病(CKD)の原因となります。逆にCKDがあると高血圧になりやすくなります。特にCKDで蛋白尿(アルブミン尿)が出ている場合、腎臓を守るためにACE阻害薬またはARBが第一選択となります。
【重要】ACE阻害薬とARBの併用は禁忌です。
かつては両者を併用する治療も試みられましたが、腎機能の悪化や高カリウム血症のリスクが著しく高まることが判明し、現在は「併用禁忌(絶対に併用してはいけない)」とされています。(日本腎臓学会ガイドライン)
また、複数の薬を飲んでも血圧が下がらない場合は、他の原因(二次性高血圧)が隠れている可能性もあるため、専門医による詳細な検査が必要です。
よくある質問(FAQ)
Q1: 高血圧は治るのですか?
A: 高血圧は、風邪のように「治癒(完治)する」病気ではなく、「管理(コントロール)する」病気です。生活習慣の改善によって血圧が正常化し、薬が不要になるケース(特に軽症の場合)もありますが、その真実は、管理を生涯続ける必要があるという点です。自己判断で薬をやめると、血圧がリバウンドして非常に危険です。
Q2: 降圧薬は朝飲むべきですか、夜飲むべきですか?
A: 薬の種類やあなたの血圧パターン(特に夜間高血圧の有無)によって最適解が異なります。かつては朝服用が一般的でしたが、夜間高血圧を抑えるために夜服用を勧める研究(TIME試験など)もあり、議論は分かれています。最も重要なのは、医師の指示通りに、毎日決まった時間に飲み続けることです。
Q3: コーヒーやレモン水は血圧に良いですか?
A: コーヒー(カフェイン)は、飲んだ直後に一時的に血圧を上げることがありますが、長期的な適量の摂取は必ずしも高血圧のリスクにはならないとされています。一方、レモンに含まれるクエン酸やカリウムは健康に良いですが、レモン水だけで血圧が劇的に下がるという科学的根拠は強くありません。これらは「治療」ではなく、バランスの取れた食生活の一部として考えるべきです。
高血圧の管理は、数字との地道な戦いのように思えるかもしれません。しかし、家庭血圧の測定、減塩、運動、そして適切な服薬は、すべて未来のあなた自身の大切な命を守るための投資です。高血圧は、あなたの健康を守るための重要なシグナルです。この病気は単独で存在することは少なく、多くの場合、次のセクションで解説する「脂質異常症(高コレステロール)」と密接に関連しています。血圧と脂質、この二つを管理することが、心血管疾患予防の鍵となります。
脂質異常症:LDL/HDL/TGの目標値・食事/サプリの安全性・薬物治療
前節の高血圧に続き、心血管疾患のもう一つの静かな、しかし極めて強力なリスク要因が「脂質異常症」です。多くの方が健康診断で「コレステロールが高い」「中性脂肪が基準値超え」といった指摘を受け、漠然とした不安を感じているかもしれません。「LDL」「HDL」「TG(トリグリセリド)」といったアルファベットが並び、一体どれが問題で、何をすれば良いのか混乱してしまうのも無理はありません。
脂質異常症は、高血圧と同様に自覚症状がほとんどないまま進行し、気づかないうちに血管壁を傷つけ、動脈硬化を引き起こします。これは、心筋梗塞や脳梗塞といった命に関わる病気の「土台」を作っていることに他なりません。しかし、逆に言えば、この数値を正しく理解し、適切に管理することは、将来の重大な病気を防ぐための最も効果的な「投資」の一つです。
このセクションでは、脂質異常症の管理における核心部分、すなわち「何を目標に管理するのか」「食事やサプリメントとの賢い付き合い方」「薬物治療が必要な場合、どのような選択肢があるのか」について、最新のエビデンスに基づき、深く掘り下げて解説します。
「基準値」と「管理目標値」:なぜ数値が違うのか?
健康診断の結果表を見て、多くの方が最初に戸惑うのが「数値の意味」です。特に脂質に関しては、「基準値」と「管理目標値」という二つの異なる物差しが存在し、これが混乱の元となりがちです。
まず、健康診断で用いられる「診断基準」は、日本動脈硬化学会によって設定されており、一般的に以下のようになっています(空腹時採血)。
- LDL(悪玉)コレステロール:140 mg/dL 以上
 - HDL(善玉)コレステロール:40 mg/dL 未満
 - TG(トリグリセリド/中性脂肪):150 mg/dL 以上
 
これに加えて、最近ではnon-HDLコレステロール(総コレステロールからHDLを引いた値)が170 mg/dL以上であることも診断基準の一つとされています。これらの数値のどれか一つでも当てはまれば、「脂質異常症」と診断されます。
しかし、ここで重要なのは、**「診断基準(≥140)」はあくまで「異常かどうか」のライン引き**であり、**「治療を始めるべきか」「どこまで下げるべきか」という「管理目標値」とは異なる**ということです。
管理目標値は、その人の持つ他のリスク(高血圧、糖尿病、喫煙歴、年齢、心臓病の既往など)を総合的に評価して、個別に設定されます。なぜなら、同じLDL 140mg/dLでも、他にリスクがない健康な人と、すでに心筋梗塞を起こした人では、次に心筋梗塞を起こす危険度が全く異なるからです。
日本のガイドラインや自治体の資料などで示される管理目標の一例(あくまで目安)は以下の通りです。
- 低リスク(他にリスクがほぼない):LDL < 140 mg/dL(現状維持または生活習慣改善)
 - 中リスク(高血圧、糖尿病、CKDなど):LDL < 120 mg/dL
 - 高リスク(心筋梗塞や狭心症の既往がある、二次予防):LDL < 100 mg/dL
 
脂質異常症の診断と管理は、単一の数値で決まるものではなく、その人の「将来のリスク」に基づいて個別最適化されるのです。ちなみに、国際的なガイドライン(例:英国NICEガイドライン)では、二次予防の目標をLDL 2.0 mmol/L(約77 mg/dL)以下と、さらに厳しい目標を設定する傾向にあります。これは、LDLは「低ければ低いほど良い(Lower is better)」という考え方が主流になっているためです。
食事療法の核心:何を減らし、何に置き換えるか
「コレステロールが高い」と指摘された時、多くの人が「もう油ものは一切食べられない」「味気ない食事を我慢しなければならない」と悲観的になりがちです。しかし、脂質異常症の食事療法の核心は「我慢」ではなく、「賢い選択」と「置き換え」にあります。
重要なのは、摂取する「脂質の量」よりも「脂質の質」です。特にLDL(悪玉)コレステロールに直接影響を与えるのは、**飽和脂肪酸**と**トランス脂肪酸**です。
- 減らすべきもの:飽和脂肪酸
- 多く含まれる食品:肉の脂身(バラ肉、ひき肉)、バター、ラード、生クリーム、チーズ、パーム油(加工食品や揚げ物によく使われる)
 - なぜ?:飽和脂肪酸は、体内でコレステロールを合成する働きを最も強力に促進します。これを減らすことがLDL低下の第一歩です。
 
 - 置き換えるもの:不飽和脂肪酸
- 多く含まれる食品:青魚(サバ、イワシ、サンマに含まれるEPA・DHA)、オリーブオイル、アボカド、ナッツ類、アマニ油、えごま油
 - なぜ?:これら(特に多価不飽和脂肪酸)は、飽和脂肪酸の代わりに摂取することで、LDLコレステロールを下げ、中性脂肪を減らし、動脈硬化を防ぐのを助けます。
 
 - 可能な限り避けるもの:トランス脂肪酸
- 多く含まれる食品:マーガリン、ショートニング、それらを使用したパン、クッキー、ケーキ、スナック菓子、ファストフードの揚げ物
 - なぜ?:トランス脂肪酸は、LDLを増やすだけでなく、HDL(善玉)コレステロールまで減らしてしまう最悪の脂質とされています。日本の食事摂取基準でも、摂取量を可能な限り低く抑えることが推奨されています。
 
 
具体的な実践プランとしては、脂質異常症の食事療法で推奨されるように、「バターの代わりにオリーブオイルを使う」「バラ肉の代わりに鶏むね肉や魚を選ぶ」といった「置き換え」を意識することが効果的です。
また、コレステロールの吸収を抑える**水溶性食物繊維**(海藻、キノコ類、こんにゃく、大麦など)を積極的に摂ることも非常に重要です。飲み物に関しても、科学的根拠に基づいた飲料の選択(例:緑茶のカテキン効果)が役立つ可能性があります。巷で言われるレモン水が脂質に効くかといった疑問についても、科学的根拠を正しく理解することが大切です。
サプリメントの落とし穴:EPA、紅麹、ナイアシンの真実
「薬は副作用が怖いから、まずはサプリメントで様子を見たい」と考える方は非常に多いです。ドラッグストアには脂質対策を謳うサプリメントが溢れていますが、その実力と安全性には大きな差があり、中には深刻なリスクを伴うものさえあります。
特に注意が必要な3つの成分について、エビデンスの観点から解説します。
1. 魚油(オメガ3、EPA/DHA):「処方薬」と「市販サプリ」は別物
これは最も誤解が多い点です。「魚油は血液をサラサラにする」というイメージから、多くの人がサプリメントを摂取しています。
しかし、科学的根拠は単純ではありません。
- 肯定的なエビデンス(REDUCE-IT):中性脂肪が高く、スタチンを服用中の患者に対し、**高純度EPA製剤(イコサペント酸エチル)**を1日4gという高用量で追加投与したところ、心血管イベントが減少したという臨床試験(REDUCE-IT)があります。これは「医療用医薬品」としての効果です。
 - 否定的なエビデンス(STRENGTH, Cochrane):一方、EPAとDHAの混合製剤(市販のサプリに多い)を用いたSTRENGTH試験では、心血管イベントの予防効果は示されませんでした。また、複数の研究を統合したCochraneレビューでも、一般的なオメガ3サプリメントによる心血管疾患の予防効果は乏しいと結論付けられています。
 - 安全性:高用量のオメガ3は、出血リスクや、特に心房細動のリスクをわずかに上昇させる可能性が指摘されています。
 
結論:市販の一般的な魚油サプリメントが心筋梗塞を予防するという確固たる証拠はありません。医師が処方する高純度EPA製剤とは明確に区別して考える必要があります。
2. 紅麹(モナコリンK):「天然のスタチン」の危険性
紅麹サプリメントは「コレステロールを下げる」として人気がありましたが、2024年に日本で深刻な健康被害(腎障害など)が報告され、大きな社会問題となりました。
紅麹がコレステロールを下げる理由は、紅麹菌が産生する「モナコリンK」という成分にあります。このモナコリンKは、医療用医薬品である「ロバスタチン」と**化学的に同一の物質**です。
つまり、紅麹サプリメントを飲むことは、**「医師の管理外で、品質や用量が不明確なスタチン(医薬品)を飲む」**ことと同義です。スタチンが持つ横紋筋融解症や肝障害といった副作用のリスクをそのまま負うことになり、さらに製品間の含有量のバラツキや、シトリニンといった腎毒性のあるカビ毒の混入リスクも懸念されます。米国NIH(国立衛生研究所)も、そのリスクと医薬品との相互作用について警告しています。
3. ナイアシン(ビタミンB3):効果より副作用が上回る
ナイアシンはHDL(善玉)を増やし、TG(中性脂肪)を下げる効果があるため、かつては治療薬として使われていました。しかし、その後の大規模臨床試験で、スタチンにナイアシンを追加しても**心血管イベントの予防効果は上乗せできず**、むしろ潮紅(顔が火照る)、肝障害、糖代謝の悪化といった**副作用が増加する**ことが判明しました。Cochraneレビューでも、その利益は乏しいとされています。現在、脂質異常症の治療目的でナイアシンを推奨する主要なガイドラインはありません。
サプリメントは医薬品の代替にはなりません。脂質管理の基本はあくまで食事と運動であり、サプリメントの利用は主治医と相談の上、慎重に行うべきです。
薬物治療のステップ:スタチンから最新治療まで
食事療法や運動を3~6ヶ月続けても脂質管理目標を達成できない場合、または初診時からリスクが非常に高いと判断された場合(例:心筋梗塞の直後、家族性高コレステロール血症など)、薬物治療が開始されます。
「一度始めたら一生やめられないのでは?」「副作用が怖い」といった不安は当然のものです。しかし、現代の薬物治療は、心筋梗塞や脳梗塞という最悪の事態を回避するための、最も確実な手段の一つです。薬との正しい付き合い方を知ることが重要です。
脂質異常症の薬物療法は、エビデンスに基づいた明確なステップ(順番)があります。
ステップ1:スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)
脂質治療の「王様」であり、第一選択薬です。肝臓でのコレステロール合成を強力にブロックし、血液中のLDLを大幅に低下させます。何よりも、世界中の大規模臨床試験で「心筋梗塞や脳梗塞を減らす」というアウトカム(臨床結果)が一貫して証明されている点が強みです。
安全性:最も注意すべき副作用は、まれに起こる「横紋筋融解症」です。医薬品添付文書にも明記されていますが、これは筋肉が壊れて腎臓にダメージを与える重篤な状態で、急激な筋肉痛や脱力感、褐色の尿がサインです。このような症状が出た場合は、直ちに服薬を中止し、医療機関を受診する必要があります。ただし、これは非常に稀な副作用であり、大半の人は安全に服用を継続できます。
ステップ2:エゼチミブ(小腸コレステロールトランスポーター阻害薬)
スタチンを最大量使用しても目標値に届かない場合や、副作用でスタチンを強く使えない場合に追加されます。小腸でのコレステロール吸収をピンポイントで阻害します。スタチン(肝臓で作るのを止める)とエゼチミブ(腸から入るのを止める)の併用は、非常に強力なLDL低下作用をもたらします。IMPROVE-IT試験では、スタチン単独よりイベントを減少させることが示されました。
ステップ3:PCSK9阻害薬(エボロクマブ、アリロクマブなど)
スタチンとエゼチミブを使っても目標に届かない最重症例(家族性高コレステロール血症や、心筋梗塞の既往があるハイリスク患者)に使用される注射薬です。血液中のPCSK9というタンパク質を無力化し、肝臓がLDLをリサイクルする能力を劇的に高めます。2週間または4週間に1回の皮下注射で、LDLをさらに50〜60%低下させることができます。FOURIER試験やODYSSEY OUTCOMES試験で、心血管イベントの減少が証明されています。
その他の新薬(インクリシラン、ベンペド酸)
近年、さらに新しい選択肢が登場しています。インクリシランはsiRNA製剤という新しいタイプで、PCSK9の「設計図」自体をブロックし、年2~3回の注射で済むという利便性があります(2023年日本承認)。また、ベンペド酸はスタチンとは異なる機序でコレステロール合成を抑え、スタチン不耐(副作用で使えない)患者さんの新たな希望としてCLEAR Outcomes試験で有効性が示されました(2025年日本承認)。
高トリグリセリド(中性脂肪)の管理:膵炎リスクを回避する
ここまでは主にLDLコレステロールの話でしたが、もう一つの脂質であるTG(トリグリセリド、中性脂肪)にも注意が必要です。中性脂肪とコレステロールは、しばしば混同されますが、その性質とリスクは異なります。
TGが高い場合、動脈硬化のリスクにもなりますが、それ以上に緊急性が高いのが**「急性膵炎」**のリスクです。血液中の中性脂肪が極端に高い状態(特に 500 mg/dL以上、1000 mg/dLを超えると非常に危険)になると、血液が「ドロドロ」になり、膵臓の細い血管を詰まらせ、膵臓自体が自分を消化してしまうという激烈な炎症(急性膵炎)を引き起こすことがあります。急性膵炎は、死亡リスクもある重篤な病気です。
TGが非常に高い場合の管理は、LDLとは異なります。
- 最優先事項:アルコール(飲酒)の絶対的な禁止。アルコールは肝臓での中性脂肪合成を劇的に亢進させます。
 - 食事:糖質(ご飯、パン、麺類、果物、お菓子)の過剰摂取を厳しく制限します。余った糖質はすぐに中性脂肪に変換されるためです。
 - 薬物治療:スタチンもTGをある程度下げますが、TGが主たる問題の場合は「フィブラート系薬剤」が第一選択となることが多いです。
 
中性脂肪が高いと指摘されたら、それは「お酒の飲み過ぎ」「糖質の食べ過ぎ」のサインかもしれません。特に500 mg/dLを超えている場合は、心筋梗塞の心配の前に、まずは急性膵炎を予防するための緊急的な生活改善と治療が必要です。
脂質異常症の管理は、単に数値を下げるゲームではありません。脂質異常症がもたらす本当のリスク、すなわち動脈硬化の進行を食い止め、次のセクションで詳しく解説する「虚血性心疾患(心筋梗塞・狭心症)」を予防するための、生涯にわたる重要な取り組みなのです。
虚血性心疾患(狭心症・心筋梗塞):症状・診断・PCI/バイパス後の管理
前節では、心血管疾患の主要なリスクである脂質異常症について詳しく見ました。脂質管理が不十分な場合、動脈硬化が進行し、最終的に心臓自身を養う血管(冠動脈)が狭くなったり、詰まったりすることがあります。これが「虚血性心疾患」と呼ばれる状態です。
このセクションでは、虚血性心疾患の代表である「狭心症」と「心筋梗塞」に焦点を当て、その具体的な症状の見分け方、病院での診断プロセス、そしてカテーテル治療(PCI)やバイパス手術(CABG)を受けた後の重要な管理方法について、日本の日本循環器学会(JCS)のガイドラインや最新の研究に基づき、深く掘り下げて解説します。
狭心症と心筋梗塞の症状差:典型と非典型を見分ける
「胸が痛い」と感じたとき、それが一時的なものなのか、それとも命に関わるサインなのかを判断することは非常に重要です。狭心症と心筋梗塞はどちらも冠動脈の問題ですが、緊急性が大きく異なります。
- 狭心症(安定狭心症)の典型的な症状:
これは「心臓の一時的な酸欠」状態です。冠動脈が動脈硬化で狭くなっているものの、まだ完全には詰まっていません。そのため、坂道や階段を上る、重いものを持つ、寒い日に外に出るといった、心臓に負担がかかる(労作)時に症状が出ます。症状は「胸が締め付けられる」「胸が圧迫される」といった特徴的な胸痛です。多くの場合、数分間安静にすると症状は自然に消失します。 - 心筋梗塞(急性心筋梗塞)の危険な症状:
これは「心臓の筋肉が壊死し始めている」緊急事態です。冠動脈が血栓(血の塊)などで完全に詰まってしまい、血流が途絶えています。症状は狭心症と似ていますが、はるかに強く、持続します(例:15分以上)。安静にしていても治まらず、以下のような随伴症状を伴うことが多くあります。- 放散痛: 痛みや不快感が胸だけでなく、左腕、肩、背中、顎、喉へと広がる。
 - 冷や汗: 顔面が蒼白になり、脂汗が出る。
 - 吐き気・嘔吐: 強い吐き気や、実際に嘔吐してしまう。
 - 呼吸困難: 息苦しさ、息切れ。
 - 強い不安感: 理由のない強い不安や恐怖感に襲われる。
 
 
これらの心筋梗塞の兆候が一つでも見られた場合は、絶対に我慢せず、直ちに救急車を要請してください。
注意:非典型的な症状(サイレントMI)
特に高齢者、糖尿病患者、女性では、典型的な胸痛が出ないことがあります。代わりに「急に息苦しくなった」「ひどい吐き気がある」「体が極端にだるい」といった症状だけが前面に出ることもあり、「サイレント・心筋梗塞」と呼ばれます。いつもと違う強い体調不良を感じた際は、胸痛がなくても心臓の可能性を疑うことが重要です。
急性冠症候群(ACS)の診断と初期対応:時間との戦い
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心筋梗塞や、心筋梗塞に移行しつつある不安定な狭心症を総称して「急性冠症候群(ACS)」と呼びます[cite: 1]。これは一刻を争う状態で、「Time is Muscle(時間は心筋)」という言葉の通り、治療が早ければ早いほど心筋のダメージを減らし、生命予後を改善できます。
病院到着後の流れは非常に迅速です。
- 12誘導心電図(ECG): 病院到着後、原則10分以内に実施されます。ここで特徴的な「ST上昇」という波形(STEMI: ST上昇型心筋梗塞)が見られた場合、冠動脈が完全に詰まっている可能性が極めて高く、直ちに緊急カテーテル治療(Primary PCI)の準備が開始されます。
 - 血液検査(高感度トロポニン): 心筋が壊死すると、筋肉の成分である「トロポニン」という酵素が血液中に漏れ出します。この値を測定することで、心筋障害の有無と程度を客観的に評価します。特に「高感度トロポニン(hs-cTn)」はごく初期の心筋ダメージも検出でき、時間を追って複数回測定し、その値が「上昇または低下する推移」を確認することが診断に不可欠です。血液検査は、カテーテル治療で使用する造影剤のための腎機能(クレアチニン)チェックも兼ねています。
 - 初期治療: 禁忌がなければ、血栓の形成を抑えるためにアスピリンなどの抗血小板薬の投与が開始されます。
 
慢性冠症候群(CCS)の診断ステップ:CTか負荷試験か
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一方、ACSのような緊急性はないものの、「労作時の胸痛」が繰り返し起こる場合は「慢性冠症候群(CCS)」(安定狭心症)が疑われます[cite: 2]。この場合の診断は、リスク評価から段階的に進められます。
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まず、年齢、性別、症状の典型度、リスク要因(高血圧、脂質異常症、糖尿病、喫煙歴など)から、冠動脈疾患の「事前確率」を評価します[cite: 2]。その確率に応じて、次に進む検査が選択されます。
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 - 冠動脈CT(CTA): 冠動脈の「解剖学的」な狭窄を直接画像化する検査です。特に事前確率が中程度の場合に有用で、狭窄がなければ冠動脈疾患をほぼ否定できます[cite: 2]。
 
 
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- 機能的負荷試験: 運動や薬物で心臓に負荷をかけながら心電図や心エコー、核医学検査を行い、実際に心筋虚血(酸欠)が起こるかを「機能的」に評価します[cite: 2]。
 
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これらの非侵襲的検査で有意な狭窄や虚血が強く疑われた場合、最終的な診断と治療方針の決定のために、侵襲的な「心臓カテーテル検査(冠動脈造影)」が考慮されます。この検査では、狭窄が「血流をどれだけ妨げているか」を正確に測定するFFR(冠血流予備量比)という機能的評価も同時に行われることがあります[cite: 2]。
治療の選択:PCI(ステント)とバイパス手術(CABG)
冠動脈の狭窄や閉塞が確認され、治療が必要と判断された場合、「血行再建術」(血流を取り戻す治療)が行われます。主な選択肢は「カテーテル治療(PCI)」と「バイパス手術(CABG)」です。
- カテーテル治療 (PCI – Percutaneous Coronary Intervention):
手首や足の付け根の動脈から細い管(カテーテル)を挿入し、冠動脈の狭窄部まで進めます。そこで風船(バルーン)を膨らませて血管を広げ、多くの場合「ステント」と呼ばれる金属のメッシュを留置して血管を内側から支えます。ステント治療は局所麻酔で行え、体への負担が少ないのが特徴です。STEMI(急性心筋梗塞)の場合は、時間との勝負であるため、ほぼ全例でこのPrimary PCIが最優先されます。 - 冠動脈バイパス手術 (CABG – Coronary Artery Bypass Grafting):
胸骨を切開し(近年は低侵襲手術もあります)、心臓を動かしたまま、あるいは一時的に止めて、自身の内胸動脈(胸の血管)や足の静脈などを用いて、狭窄部の「先」へ新しい血流の道(バイパス)を作る外科手術です。 
どちらの治療法を選択するかは、病変の複雑さによって決まります。
- 1枝または2枝病変: 多くの場合、PCIが選択されます。
 - 多枝病変(主要3枝)や左主幹部病変:
病変が複雑である場合、特に糖尿病を合併している患者さんでは、長期的な予後(再発率や生命予後)においてCABGがPCIよりも優れている可能性が多くの研究で示されています。FAME 3試験などの近年の大規模研究でも、3枝病変においてPCIはCABGに対する非劣性を示せませんでした。 
このように、PCIとバイパス手術のどちらが最適かは、循環器内科医、心臓血管外科医、麻酔科医などで構成される「ハートチーム」が、患者さん個々の年齢、体力、併存疾患、病変の重症度を総合的に評価して決定します。
PCI後の重要課題:DAPT期間と出血リスク(HBR)
PCIでステントを留置した後、最も警戒すべき合併症の一つが「ステント血栓症」です。これは、留置されたステント(金属)が異物と認識され、その表面に血栓ができて再び血管が詰まってしまう現象で、発症すると致死的な心筋梗塞を引き起こします。
これを防ぐために不可欠なのが、DAPT(Dual Antiplatelet Therapy:抗血小板薬2剤併用療法)です。通常、アスピリンと、もう1種類の抗血小板薬(クロピドグレル、プラスグレル、チカグレロルなど)を併用します。
しかし、DAPTは血を固まりにくくするため、同時に「出血リスク」を高めます。脳出血や消化管出血などの重大な出血は、時に心筋梗塞そのものと同じくらい予後に悪影響を与えます。この「血栓リスク」と「出血リスク」のバランスを取ることが、PCI後管理の最大の課題です。
近年、このバランスを個別化するために「HBR(High Bleeding Risk:高出血リスク)」という概念が重視されています。高齢者、腎機能低下、消化管出血の既往、貧血、抗凝固薬の併用が必要な患者さんなどはHBRと判定されます。
- 標準的なDAPT期間: ACS(急性冠症候群)後は原則12か月、CCS(慢性冠症候群)後は6か月が目安でした。
 - HBR患者の場合(日本循環器学会 2020年改訂):
出血リスクが血栓リスクを上回ると判断された場合、DAPT期間を1か月から3か月に短縮する、あるいは強力な薬から標準的な薬へ変更(デエスカレーション)することが積極的に推奨されます。 - 三剤併用療法(心房細動合併など):
心房細動などで抗凝固薬(ワーファリンやDOAC)が必要な患者がPCIを受けた場合、抗凝固薬+DAPT(計3剤)となりますが、これは出血リスクが極めて高いです。日本のガイドラインでは、この三剤併用は原則1か月を超えて継続すべきではない(クラスIII Harm)と強く警告されています。 
DAPTの期間は一律ではなく、個々のリスクに応じて主治医が判断します。ステント治療後の生活において、自己判断で薬を中断することは絶対に避けてください。
CABG・PCI後の心臓リハビリと二次予防
PCIやCABGは、詰まった血管を「修理」する治療であり、病気の「原因」である動脈硬化そのものを治すものではありません。治療後に再発を防ぎ、心筋梗塞後の予後を改善するためには、退院後の「二次予防」が決定的に重要です。
1. 徹底した薬物療法とリスク管理
二次予防の柱は薬物療法です。DAPTに加え、以下の薬剤が基本となります。
- 脂質管理: 最も重要な柱の一つです。高強度スタチン(強力なコレステロール低下薬)を速やかに導入し、LDL(悪玉)コレステロール値を厳格に管理します(目標値は70mg/dL未満、場合によっては55mg/dL未満を目指す)。目標未達の場合は、エゼチミブやPCSK9阻害薬の追加が検討されます。脂質管理を含む食事療法も並行して行います。
 - 心保護薬: 心筋梗塞後などで心臓の機能(LVEF)が低下している場合、ACE阻害薬/ARBやβ遮断薬といった薬剤が、心臓の負担を減らし(リモデリング抑制)、予後を改善する目的で継続されます。
 - 血糖管理: 糖尿病を合併している場合、GLP-1受容体作動薬やSGLT2阻害薬など、心血管イベント抑制効果が示されている薬剤の導入が考慮されます。
 
2. 心臓リハビリテーション
退院後の冠動脈疾患の管理において、心臓リハビリテーション(心リハ)は薬物療法と並ぶほど重要です。心リハは単なる運動ではなく、医師、看護師、理学療法士、栄養士、臨床心理士などがチームで行う包括的なプログラムです。
- 運動療法: 安全な範囲での有酸素運動(ウォーキングなど)を行い、体力(運動耐容能)を回復させます。
 - 栄養指導・禁煙指導: 再発予防のための食生活(減塩・脂質管理)や禁煙をサポートします。
 - 心理社会的サポート: 病気への不安や抑うつに対応し、ストレス管理法を学びます。
 
心リハを行うことで、再入院率や死亡率が低下し、生活の質(QOL)が大きく改善することが科学的に証明されています。
3. バイパス手術(CABG)後の特有の注意点
CABGでは胸骨(胸の真ん中の骨)を切開するため、その骨が癒合するまでの期間は特別な注意が必要です。骨の癒合には個人差がありますが、一般的に6〜12週間かかります。この期間は、重いもの(例:5kg以上)を持ち上げる、腕立て伏せ、ゴルフのスイングといった胸骨に負担がかかる動作は厳禁です。職場復帰や運転の再開時期についても、NICEのガイドラインなどに基づき、主治医が症状の安定性を確認した上で個別に判断されます。
不整脈(心房細動・期外収縮・発作性頻拍):脳梗塞予防と治療選択
前節では、心臓の血管が詰まる虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞)について詳しく見てきました。心臓の問題は、血管だけでなく「電気系統」のトラブル、すなわち「不整脈」としても現れます。
「動悸がする」「胸がドキッとする」「脈が飛ぶ」といった感覚は、多くの方が一度は経験するものであり、強い不安を感じる原因となります。これらは単なるストレスや疲れによるものなのでしょうか、それとも心臓からの危険なサインなのでしょうか。不整脈には多くの種類がありますが、このセクションでは特に頻度が高く、また重要な判断を必要とする以下の3つの不整脈に焦点を当てます。
- 心房細動(AF):最も注意が必要な不整脈の一つ。症状そのものよりも、重篤な「脳梗塞」のリスクをいかに防ぐかが治療の最大の柱となります。
 - 期外収縮(PAC/PVC):「脈が飛ぶ」感覚の正体であることが多い不整脈。ほとんどは良性ですが、どのような場合に治療が必要になるのかを見極めます。
 - 発作性上室頻拍(PSVT):「突然始まり、突然止まる」激しい頻拍発作。多くは命に別状ありませんが、生活の質(QOL)を大きく損ないます。急性期の止め方と、根治を目指す治療について解説します。
 
ここでは、これらの不整脈がなぜ起こり、どのような危険性があり、そして最新のガイドラインに基づいたどのような治療選択肢(薬物治療、カテーテルアブレーションなど)があるのかを、特に「脳梗塞予防」と「根治」という観点から深く掘り下げていきます。
心房細動(AF)と脳梗塞:「症状がない」が最も危険な理由
不整脈の中で最も重要視されるのが心房細動(Atrial Fibrillation: AF)です。これは、心臓の上部にある「心房」が正常なポンプ活動を失い、1分間に400回以上も不規則に細かく震える(細動する)状態を指します。心房が震えるだけでは、心臓全体が停止するわけではありません。その電気信号がランダムに心室に伝わるため、脈拍は完全にバラバラ(絶対的不整脈)になりますが、多くの場合、生命維持は可能です。
では、なぜ心房細動がこれほど問題視されるのでしょうか。最大の理由は、症状の有無にかかわらず、重篤な脳梗塞(心原性脳塞栓症)を引き起こす強力なリスク因子であるためです。
心房が震えているだけでは、心房内の血液は効率よく送り出されません。特に、心房内にある「左心耳(さしんじ)」と呼ばれる小さな袋状のスペースは、血液の流れがよどみやすい「淀み場」となります。川の流れが遅い場所にゴミが溜まるのと同じで、この左心耳によどんだ血液が溜まると、数時間から数日で「血栓(けっせん)」と呼ばれる血の塊が形成されます。心房細動で発生する血栓の90%以上は、この左心耳で作られるとされています。
この血栓は、普段は左心耳に付着していますが、何かの拍子(例えば、拍動が強くなった瞬間など)に剥がれ落ち、心臓から大動脈を通って全身へと送り出されます。そして、その多くが脳の太い血管に到達し、血管を詰まらせます。これが「心原性脳塞栓症」です。
他の原因(例えば動脈硬化)による脳梗塞と比べ、心臓から飛んでくる血栓はサイズが大きいため、脳のより中枢の血管を詰まらせる傾向があります。その結果、広範囲の脳細胞が壊死し、重篤な麻痺や言語障害、意識障害、時には死に至る可能性が非常に高くなります。心房細動の治療における最優先課題は、この最悪の事態である脳梗塞を予防することにあります。
恐ろしいのは、この血栓形成プロセスが、患者さん本人の自覚症状(動悸、息切れ、めまいなど)とは全く無関係に進むことです。「症状がないから大丈夫」「たまにしか動悸がしないから放置している」という方が、ある日突然、重篤な脳梗塞で倒れるケースが後を絶ちません。だからこそ、医師は心房細動と診断された患者さんに対し、症状の有無にかかわらず、まず脳梗塞のリスクを評価し、予防策を講じることを最重要視するのです。
脳梗塞リスクの評価法:CHADS2, CHA2DS2-VASc, HELT-E2S2
「心房細動が見つかったら、全員が脳梗塞予防の薬を飲むべきか?」というと、そうではありません。血栓ができやすいかどうかは、個人が持つリスク因子によって大きく異なります。そのリスクを客観的に評価するために、国際的および国内でいくつかの「リスクスコア」が用いられています。
これらのスコアの目的は、「この患者さんは、脳梗塞予防薬(抗凝固薬)を飲むことで得られるメリット(脳梗塞予防)が、薬によるデメリット(出血リスク)を上回るか」を判断することです。
- CHADS2(チャッズ・ツー)スコア:
古くから使われているシンプルなスコアです。- C (Congestive Heart Failure: 心不全) … 1点
 - H (Hypertension: 高血圧) … 1点
 - A (Age: 年齢 ≥ 75歳) … 1点
 - D (Diabetes Mellitus: 糖尿病) … 1点
 - S2 (Stroke: 脳梗塞/一過性脳虚血発作の既往) … 2点
 
合計点が高いほどリスクが高く、日本の最新ガイドライン(JCS 2024)では、実臨床での判断としてCHADS2スコアが1点以上の場合に抗凝固薬の開始が推奨されています。
 - CHA2DS2-VASc(チャッズ・ツー・デスク)スコア:
CHADS2スコアをより詳細にしたもので、国際的に広く用いられています。- C (心不全) … 1点
 - H (高血圧) … 1点
 - A2 (年齢 ≥ 75歳) … 2点
 - D (糖尿病) … 1点
 - S2 (脳梗塞/TIAの既往) … 2点
 - V (Vascular Disease: 血管疾患(心筋梗塞、末梢動脈疾患など)) … 1点
 - A (年齢 65-74歳) … 1点
 - Sc (Sex Category: 性別(女性)) … 1点
 
日本のガイドライン(JCS 2020)では、このスコアを用いる場合、欧米と異なり「女性である」という理由だけではリスク因子とせず、他のリスク因子(高血圧など)がある場合にのみ女性を1点として加算します。
 - HELT-E2S2スコア:
日本人の大規模データを基に作成された、日本人特有のリスク評価に役立つとされるスコアです。CHADS2スコアが0点や1点で判断に迷う場合に、補助的に用いられることがあります。 
実臨床では、まずCHADS2スコアで迅速に評価し(1点以上なら抗凝固を推奨)、0点の場合や1点で迷う場合にCHA2DS2-VAScやHELT-E2S2を補助的に用いて、最終的な方針を患者さんと相談しながら決定していきます。例えば、高血圧の管理がしっかりできているか、心不全の兆候はないか、といった他の要素も総合的に判断されます。
抗凝固療法(DOACとワルファリン)と出血リスク管理
脳梗塞リスクが「高い」(例:CHADS2スコア≧1点)と判断された場合、血栓の形成を防ぐための「抗凝固薬(こうぎょうこやく)」の内服治療が開始されます。これは俗に「血液をサラサラにする薬」と呼ばれますが、正確には「血液を固まりにくくする薬」です。この治療の目的は、左心耳での血栓形成を抑制することです。
DOAC(直接経口抗凝固薬)が第一選択
現在、心房細動(弁膜症性*を除く)の抗凝固療法において、第一選択薬はDOAC(ドアック)、またはNOAC(ノアック)と呼ばれる「直接経口抗凝固薬」です。
かつては「ワルファリン」という薬が唯一の選択肢でした。ワルファリンは非常に優れた薬ですが、「ビタミンK」の働きを抑えることで効果を発揮するため、ビタミンKを多く含む納豆や青汁、クロレラなどの摂取が制限されるという大きな欠点がありました。また、効果に個人差が大きく、定期的に採血をして薬の効き目(PT-INR)をチェックし、ミリ単位で用量を調整する必要がありました。
DOAC(ダビガトラン、リバーロキサバン、アピキサバン、エドキサバンなど)は、血液凝固因子を直接阻害する新しいタイプの薬です。ワルファリンと比較したDOACの主な利点は以下の通りです。
- 食事制限が不要(納豆も食べられます)
 - 効果が安定しており、原則として定期的な採血によるモニタリングが不要
 - ワルファリンと同等以上の脳梗塞予防効果
 - 特に脳出血のリスクがワルファリンよりも低い
 
この「脳出血のリスクが低い」という点は非常に重要です。抗凝固薬は血を固まりにくくするため、脳梗塞を予防する代わりに、全身の出血(鼻血、歯茎の出血、消化管出血、そして最も重篤な脳出血)のリスクが必ず上昇します。DOACは、脳梗塞を同等に防ぎつつ、最も怖い副作用である脳出血を減らせるという点で、ワルファリンより安全性が高いと評価されています。
(*注:機械弁置換後や、リウマチ性の僧帽弁狭窄症などの「弁膜症性心房細動」の場合は、ワルファリンが必須であり、DOACは使用できません。)
日本のガイドラインに基づく用量調節(減量基準)
DOACは非常に優れた薬ですが、その効果は腎臓の機能や体重、年齢に影響されます。特に高齢者や腎機能が低下している方、低体重の方では、薬の血中濃度が上がりすぎて出血リスクが高まるため、日本の添付文書では厳格な「減量基準」が設けられています。自己判断で服薬量を増減するのは極めて危険です。
例えば、代表的なDOACの減量基準(非弁膜症性心房細動の場合)は以下のようになっています。
- アピキサバン:(1)80歳以上、(2)体重60kg以下、(3)血清クレアチニン値1.5mg/dL以上、のうち2項目以上に該当する場合に減量。
 - エドキサバン:(1)体重60kg以下、(2)腎機能(CrCl)15-50mL/min、(3)特定の併用薬(P糖タンパク阻害薬)のいずれかに該当する場合に減量。
 - リバーロキサバン:腎機能(CrCl)15-49mL/minの場合に減量。
 
このように、薬剤ごとに基準が異なります。医師はこれらの基準に基づき、患者さん個々の状態に合わせて最適な薬剤と用量を選択します。
出血リスク(HAS-BLEDスコア)と周術期管理
抗凝固薬を飲む上で、出血リスクの評価も同時に行われます。そのためのスコアが「HAS-BLED(ハズブレッド)スコア」です。
ここで非常に重要なことは、英国NICEガイドラインなどでも強調されている通り、「HAS-BLEDスコアが高い」ことは「抗凝固薬を中止する理由」にはならない、という点です。むしろ、スコアが高い(例:3点以上)ということは、出血しやすい要因(コントロール不良の高血圧、過度の飲酒、他の併用薬など)を抱えているということであり、それらの「修正可能な因子」を特定し、より慎重に管理・治療するための指標となります。
また、手術や内視鏡検査、抜歯などを受ける際の「周術期管理」も重要です。かつては、ワルファリンを一時中止し、その間を入院してヘパリンという点滴薬で補う「ヘパリンブリッジ」が広く行われていました。しかし、その後の研究で、このブリッジングは出血リスクを大幅に高める割に、脳梗塞の予防効果は限定的であることがわかり、現在は原則としてヘパリンブリッジは非推奨となっています。DOACの場合は、薬剤ごとに決められた時間(通常は24~48時間程度)、手術前に休薬するだけで安全に検査や手術が受けられるようになりました。
治療戦略:レート制御 vs リズム制御(早期介入とアブレーション)
心房細動の治療戦略には、脳梗塞予防という「守り」の治療のほかに、動悸などの症状をコントロールする「攻め」の治療があります。これには大きく分けて2つの考え方があります。
- レート制御(Rate Control):
心房細動そのものは受け入れ(心房は震えたままにし)、心室に伝わる電気信号の「回数」だけを減らす戦略です。脈拍が速くなりすぎないように(例:安静時110拍/分未満)コントロールすることで、動悸や息切れの症状を和らげます。β遮断薬や一部のカルシウム拮抗薬、ジゴキシンなどが用いられます。 - リズム制御(Rhythm Control):
心房細動そのものを停止させ、正常な脈拍(洞調律)に戻し、それを維持する戦略です。抗不整脈薬の内服や、後述するカテーテルアブレーションがこれにあたります。 
かつては、特に高齢者の場合、レート制御でもリズム制御でも予後(生命維持)に大きな差はないとされ、症状がなければレート制御が選ばれることも多くありました。しかし、2020年に発表された「EAST-AFNET 4」という大規模臨床試験により、この考え方に変化が訪れます。
この試験では、心房細動と診断されてから1年以内の早期の患者さんにおいて、早期から積極的に正常な脈拍に戻す「早期リズム制御戦略」を行った群は、レート制御を中心とした従来の治療群に比べ、心血管死、脳梗塞、心不全による入院といった複合的なイベントの発生率が有意に低いことが示されました。
これにより、「症状がないからレート制御で良い」ではなく、「診断早期であれば、将来的な心不全やイベントを防ぐために、積極的にリズム制御を検討すべき」という考え方が主流になりつつあります。
カテーテルアブレーションという選択肢
リズム制御のための抗不整脈薬は、時に副作用(他の不整脈を誘発するなど)が問題となることがあり、長期的な維持が難しい場合もあります。
そこで、薬物治療でコントロールが難しい場合や、副作用で内服が困難な場合、あるいは早期の根治を目指したい場合に、カテーテルアブレーション(心筋焼灼術)が強力な選択肢となります。心臓カテーテル検査の技術を応用した治療法で、足の付け根の血管から細いカテーテルを挿入し、心臓内部(左心房)まで進めます。
心房細動の異常な電気信号の多くは、「肺静脈」という肺から心臓に戻ってくる血管の付け根あたりから発生することがわかっています。アブレーション治療では、この肺静脈の周囲の心筋を高周波(RF)で焼灼(焼く)または冷凍凝固(Cryoballoon:凍らせる)することで、異常な電気が心房全体に伝わらないように「電気的な壁」を作ります。
日本のガイドラインでも、症候性(症状がある)の発作性心房細動に対して、抗不整脈薬が無効または副作用で使えない場合の標準治療として推奨されています。近年では、冷凍バルーンカテーテル(Cryoballoon)という新しいデバイスも登場し、高周波(RF)アブレーションと同等の有効性と安全性が示されています。
アブレーション治療の最大のメリットは、成功すれば心房細動の治療法として、不整脈そのものからの「根治」または「著しい減少」が期待できる点です。ただし、アブレーションが成功した後も、脳梗塞リスク(CHADS2スコアなど)が依然として高い場合は、抗凝固薬の内服は原則として継続する必要があることに注意が必要です。
抗凝固が困難な場合の「左心耳閉鎖術(LAAO)」
心房細動の患者さんの中には、「脳梗塞リスクは非常に高い」にもかかわらず、「重篤な消化管出血を繰り返す」「他の病気で極めて出血しやすい」といった理由で、抗凝固薬(DOACやワルファリン)の内服そのものが禁忌、あるいは継続が極めて困難な方がいらっしゃいます。
このような「脳梗塞も怖い、しかし出血も怖い」というジレンマを抱える患者さんに対し、近年新たな選択肢として「経皮的左心耳閉鎖術(LAAO)」が登場しました。
前述の通り、心房細動による血栓の90%以上は「左心耳」という袋小路で作られます。この治療は、カテーテルを使って左心耳の入口に「フタ」(閉鎖デバイス)を留置し、左心耳を物理的に閉鎖してしまう方法です。血栓ができやすい「淀み場」そのものを塞いでしまうことで、血栓が全身に飛んでいくのを防ぎます。
この治療は、あくまでも抗凝固薬の長期的な内服が困難な患者さんが対象であり、特定の条件を満たす必要があります。日本の循環器学会からも適正使用指針が示されており、実施可能な施設も限定されていますが、特定の患者さんにとっては脳梗塞予防の重要な選択肢となり得ます。
期外収縮(PAC/PVC):「脈が飛ぶ」の治療適応
「胸がドキッとする」「一瞬、脈が飛んだ気がする」「咳が出そうになる」——こうした症状で最も多い原因が「期外収縮(きがいしゅうしゅく)」です。
期外収縮とは、正常な電気信号が出るタイミングよりも「期(タイミング)を外れて」早く異常な電気が発生する不整脈です。心房から出るものを「心房性期外収縮(PAC)」、心室から出るものを「心室性期外収縮(PVC)」と呼びます。
この不整脈は、健康な人でもホルター心電図(24時間心電図)で調べれば、ほぼすべての人に見つかります。ストレス、睡眠不足、カフェイン、アルコールなどが誘因となることもあります。
いつ治療が必要か?
期外収縮の大部分は良性であり、放置しても問題ありません。しかし、以下のような場合には治療が検討されます。
- 自覚症状が非常に強い場合:
脈が飛ぶ感覚が不快で、日常生活や仕事、睡眠に支障をきたすほど強い場合です。 - 背景に心疾患が隠れている場合:
期外収縮自体が問題なのではなく、背景に心筋梗塞、心筋症、弁膜症といった「器質的心疾患」が隠れている場合があります。特に心室性期外収縮(PVC)の場合は、まず心臓超音波(心エコー)検査などで、心臓の基本的な働き(ポンプ機能)に異常がないかを確認することが極めて重要です。 - 頻度が極めて高く、心機能低下を引き起こしている場合:
器質的心疾患がない場合でも、心室性期外収縮(PVC)の頻度が極端に多い(例:1日の総心拍数の15%~20%以上)と、それ自体が心臓のポンプ機能に負担をかけ続け、徐々に心臓の動きが悪くなる「PVC関連心筋症」を引き起こすことがあります。 
治療法
心房性期外収縮(PAC)やPVCの症状が強い場合、まずはβ遮断薬などの内服薬で症状を和らげる治療が試みられます。心機能低下を引き起こしているような高頻度のPVCの場合、または薬物治療で効果がない場合は、カテーテルアブレーションが検討されます。期外収縮の原因となっている異常な電気の発生源(多くの場合、特定の1箇所から発生している)を特定し、そこをピンポイントで焼灼することで根治が期待できます。
発作性上室頻拍(PSVT):「突然の頻拍」への対応と根治
「何の前触れもなく、突然スイッチが入ったように脈が速くなり(毎分150~200拍程度)、数分から数時間続いた後、また突然スイッチが切れたように止まる」——これが「発作性上室頻拍(ほっさせいじょうしつせいひんぱく:PSVT)」の典型的な症状です。
多くの場合、命に危険はありませんが、発作中の動悸、息切れ、めまい、不安感は非常に強く、生活の質を著しく低下させます。また、いつ発作が起こるかわからないという予期不安も問題となります。
この不整脈の正体は、心房と心室のつなぎ目である「房室結節」の周囲に、生まれつき(または加齢により)余計な電気の通り道(バイパス路)や、電気の旋回(リエントリー)を起こしやすい回路が存在することです。普段は作動していませんが、期外収縮などがきっかけとなり、この回路に電気が入り込むと、電気が高速で旋回し始め、頻拍発作となります。
急性期:発作の止め方(自分でできる対処法)
もしPSVTの発作が起きた場合、病院に行く前に自分で試すことができる「迷走神経刺激(めいそうしんけいしげき)」という方法があります。これは、自律神経のうちリラックスする方向(副交感神経)に働く迷走神経を刺激し、房室結節の電気の伝わりを強制的にゆっくりさせることで、頻拍の回路を断ち切る方法です。
- バルサルバ法:息をこらえ、お腹に力を入れて強く「いきむ」動作を10~15秒ほど行います。(排便時にいきむ動作に似ています)
 - 冷水刺激:冷たい水で顔を洗う、または氷水を口に含みます。(乳幼児の場合は、氷を入れた袋で顔を冷やす方法がとられることがあります)
 
これらの方法で約2~3割の発作は停止すると言われています。もし止まらない場合は、我慢せずに医療機関(救急外来など)を受診してください。病院では、まず心電図で頻拍の種類を確認した後、アデノシン(ATP)という薬を静脈注射します。この薬は、房室結節の電気伝導を一瞬(数秒間)だけ強力にブロックする作用があります。注射した瞬間、一瞬「心臓が止まるような」不快な感覚がありますが、即座に回路がリセットされ、正常な脈に戻る非常に効果的な治療法です。
根治治療:カテーテルアブレーションが第一選択
発作を予防するためにβ遮断薬などを内服する方法もありますが、発作性上室頻拍(PSVT)の治療において、現在ではカテーテルアブレーションが第一選択とされています。
心臓電気生理検査で異常な回路の場所を正確に特定し、その回路を高周波で焼灼することで、頻拍の原因を根本から取り除くことができます。この治療の成功率は非常に高く(95%以上)、一度成功すれば再発はまれであり、「根治」が期待できます。
PSVTは命の危険が少ない不整脈ですが、いつ起こるかわからない発作に怯えながら生活するストレスは計り知れません。「薬で抑える」か「アブレーションで根治を目指す」か、ご自身のライフスタイルに合わせて主治医とよく相談することが大切です。そして、不整脈の改善には、生活習慣の見直しも同時に重要となります。
心不全:病態・増悪サイン・最新治療(薬物・デバイス)と再発予防
前節では不整脈について解説しましたが、心筋梗塞、高血圧、弁膜症、そして不整脈など、さまざまな心血管疾患の多くが最終的にたどり着く状態、それが「心不全」です。「心不全」という言葉を聞くと、「心臓が止まってしまう」といった非常に深刻な事態を想像し、大きな不安を感じるかもしれません。しかし、心不全は特定の病名ではなく、「心臓のポンプ機能が低下し、全身が必要とする血液を十分に送り出せなくなった状態」を示す症候群です。
重要なのは、心不全は一度診断されたら終わりではなく、適切な治療と自己管理によって、症状をコントロールし、再発(再入院)を防ぎ、より良い生活の質(QOL)を維持することが可能な時代になっているということです。このセクションでは、心不全の根本的な病態、絶対に見逃してはいけない悪化のサイン、そして近年の治療を劇的に変えた最新の薬物療法やデバイス治療、再発予防のための具体的なセルフケアについて、深く、詳しく解説します。
心不全とは何か?:「ポンプ機能の低下」以上の深刻な病態
心不全の核心は、単なる「ポンプの力不足」だけではありません。心臓の機能が低下すると、体は「非常事態」と認識します。この危機的状況を乗り切るため、体は交感神経系(SNS)やレニン・アンジオテンシン・アルドステロン系(RAAS)といった神経・体液性因子を過剰に活性化させます。これはいわば、体に「もっと頑張れ」と鞭を打つようなものです。
短期的には、この反応が血圧を維持し、重要臓器への血流を保とうとします。しかし、この「非常事態」が慢性的に続くと、事態は悪化します。過剰な交感神経の興奮は心拍数を上げ、血管を収縮させ、心臓にさらなる負担をかけます。RAASの活性化は体に塩分と水分を溜め込ませ(体液貯留)、心臓が送り出す血液量を増やそうとしますが、これが「むくみ(浮腫)」や「息切れ(うっ血)」の直接的な原因となります。
さらに深刻なのは、これらの因子が心筋そのものに作用し、心臓の「リモデリング(構造的変化)」を引き起こすことです。心筋は肥大し、線維化(硬くなる)し、心臓の形が引き伸ばされていきます。このリモデリングが進むと、心臓はさらに効率悪く、硬いポンプになってしまい、心不全がさらに悪化するという悪循環に陥るのです[16]。心臓の基本的な働きが、この悪循環によって根本から損なわれていくのです。
HFrEFとHFpEF:心不全の2つの主要タイプ
心不全の治療を考える上で、心臓の「収縮力」がどの程度保たれているかが極めて重要です。これは主に左室駆出率(LVEF)という指標(心臓が1回の拍動でどれだけの血液を送り出せるかの割合)で分類されます[1]。
- HFrEF (ヘフレフ / 収縮不全): LVEFが低下した心不全(例:40%未満)。心筋梗塞などで心筋がダメージを受け、心臓の「縮む力(収縮能)」そのものが弱くなった状態です。ポンプが弱く、血液を力強く送り出せません。
 - HFpEF (ヘフペフ / 拡張不全): LVEFが保たれた心不全(例:50%以上)。収縮力は保たれていますが、高血圧や加齢により心筋が硬く(線維化)、心臓が十分に「広がる力(拡張能)」が低下した状態です。硬いために血液をうまく取り込めず、結果として送り出す血液量も減ってしまいます。高齢者や女性、高血圧や糖尿病を持つ方に多く見られます。
 - HFmrEF (ヘフムレフ): LVEFが軽度低下した心不全(例:40-49%)。両者の中間的なタイプです。
 
なぜこの分類が重要なのでしょうか。それは、HFrEFとHFpEFでは、その成り立ちも、そして効果が期待できる治療薬も異なっていたからです(ただし、後述するSGLT2阻害薬の登場により、この垣根は変わりつつあります)。
絶対に見逃してはいけない「心不全悪化」のサイン
心不全の管理において最も重要なことの一つは、「悪化のサイン」にいち早く気づき、深刻な状態になる前(急性増悪による緊急入院)に対処することです。「年のせいか、疲れやすいだけ」と見過ごされがちな症状の裏に、心不全の悪化が隠れていることがよくあります[14]。
これらのサインの多くは、心臓が体に溜め込んだ余分な水分、すなわち「うっ血」によって引き起こされます。心不全の兆候として、以下の3つのサインに特に注意してください。
- 短期間での急な体重増加
「2〜3日で2〜3kg増えた」という場合、それは脂肪が増えたのではありません。心臓のポンプ機能が追いつかず、体に余分な水分(塩分)が溜まっているサインです。これは、心不全悪化を示す最も客観的で早期のサインの一つです。 - 息切れ、特に「起座呼吸(横になると苦しい)」
坂道や階段での息切れが悪化するだけでなく、「夜、横になって寝ると咳が出たり、息苦しくて目が覚め、枕を高くしたり、座ったりすると楽になる」という症状(起座呼吸)は非常に重要です。横になると、日中下半身に溜まっていた水分が上半身(胸部)に戻り、弱った心臓が処理しきれず、肺に水が溜まる(肺うっ血)ために起こります[14]。 - むくみ(浮腫)
特に夕方になると足のすねや甲がパンパンにむくみ、指で強く押すと跡が残る(圧痕性浮腫)のは、体液貯留のサインです。 
緊急受診が必要なレッドフラグ
以下の症状は、命に関わる重症化のサインであり、直ちに救急車を要請するか、緊急受診が必要です[13]。
- 突然の、安静にしていても治まらない激しい呼吸困難
 - 唇や爪が紫色になる(チアノーゼ)
 - 冷や汗を伴う、これまでにない強い胸痛
 - 意識が朦朧とする、または失神する
 - 急激な全身状態の悪化(急速なむくみの増悪、尿がほとんど出ないなど)
 
これらのサインは、心筋梗塞や重度の肺うっ血など、緊急の治療を要する状態を示唆しています。ためらわずに助けを求めてください。
心不全治療の「4本柱」:HFrEFの予後を改善する最新薬物療法
かつて心不全治療は、利尿薬で「うっ血」を取り除く対症療法が中心でした。しかし、病態の理解が進んだ結果、現在は心臓の「リモデリング」と「神経体液性因子」の悪循環を断ち切ることが予後(生命や入院リスク)を改善するために不可欠とされています[1]。
特にHFrEF(収縮不全)において、予後を劇的に改善するエビデンスが確立された「4本柱」と呼ばれる基本的な治療薬があります。これらの薬は、症状が安定している時も、心臓を守り、悪循環を断ち切るために継続することが非常に重要です。
- ARNI(アーニィ)またはACE阻害薬/ARB
これらは悪循環の中心であるRAASをブロックします。特にARNI(サクビトリル/バルサルタン)は、RAASをブロックするだけでなく、体を守る「良い」ホルモン(ナトリウム利尿ペプチド)を増やす作用も併せ持ちます。大規模臨床試験(PARADIGM-HF)では、従来のACE阻害薬よりもHFrEF患者の心血管死や心不全入院を有意に減少させました[8]。 - β遮断薬(ベータしゃだんやく)
「弱った心臓の働きをさらに抑えるなんて大丈夫?」と不安に思うかもしれませんが、これは非常に重要な薬です。心臓に「頑張れ」と無理な命令を出し続ける交感神経の過剰な興奮をブロックし、心臓を休ませ、長期的に心臓の機能とリモデリングを改善させる効果があります。 - MRA(ミネラルコルチコイド受容体拮抗薬)
RAASの下流で働くアルドステロンというホルモンをブロックします。アルドステロンは、塩分・水分の貯留だけでなく、心筋の線維化(硬化)にも関与しており、これを抑えることで心臓を守ります。 - SGLT2阻害薬(エスジーエルティーツーそがいやく)
この薬の登場は、心不全治療における最大のゲームチェンジャーの一つです。元々は糖尿病の薬でしたが、大規模試験(DAPA-HF[5]など)で、糖尿病の有無にかかわらず、HFrEF患者の心不全入院と心血管死を劇的に減らすことが示されました。単に尿から糖を出すだけでなく、利尿作用によるうっ血改善、心筋のエネルギー代謝改善、腎保護など、多面的なメカニズムで心臓を保護すると考えられています。 
心不全治療の新しい指針では、これら4つのクラスの薬剤を、可能な限り早期から導入し、最適化することが推奨されています[1]。
「EFが保たれた心不全(HFpEF)」の治療戦略
HFrEFの治療が大きく進歩した一方で、HFpEF(拡張不全)は長らく、予後を改善する確実な治療法が確立されていませんでした。治療は主に、利尿薬による症状緩和と、原因となる高血圧、心房細動、糖尿病などの「併存症」の管理が中心でした[併存症の管理は、HFpEFの病態を理解する上で非常に重要です]。
しかし、この分野でも大きなブレークスルーが訪れました。
- SGLT2阻害薬の躍進: HFrEFで劇的な効果を示したSGLT2阻害薬は、HFpEFおよびHFmrEFに対しても大規模試験(EMPEROR-Preserved[6], DELIVER[7])が行われました。その結果、EFが保たれた患者さんにおいても、心不全による入院を有意に減少させることが証明されました。これにより、SGLT2阻害薬はEFタイプを問わず使用が推奨される基盤薬の一つとなりました。
 - ARNIの可能性: ARNIもHFpEFで試験(PARAGON-HF)が行われましたが、全体としては主要評価項目(心血管死と心不全入院)で統計的な有意差にはわずかに届きませんでした[9]。ただし、女性や、EFが比較的低めのHFpEF患者など、特定のサブグループでは有効性が示唆されており、症例を選んでの使用が考慮されます。
 - 併存症への積極的介入:
 
薬だけではない治療:デバイス(ICD/CRT)と心臓リハビリテーション
薬物療法を最適化しても、心不全のコントロールが難しい場合や、特定の条件下では、デバイス治療や包括的なリハビリテーションが重要な役割を果たします。
デバイス治療:ICDとCRT
これらは心臓手術とは異なる、デバイス(医療機器)を用いた治療です。
- ICD (植込み型除細動器): 心機能が著しく低下した心不全(特にHFrEF)では、命に関わる致死性の心室性不整脈(心室細動など)による突然死のリスクが高まります。ICDは、心臓のリズムを常時監視し、危険な不整脈が発生した瞬間に電気ショックを与えて心臓を正常なリズムに戻す、いわば「お守り」のようなデバイスです[3]。ICD治療の詳細については、適切な薬物療法を最大限行ってもLVEFが低いままであることなどが適応の基準となります。
 - CRT (心臓再同期療法): 心不全患者さんの中には、心臓内の電気信号の伝達がうまくいかず(特に心電図でQRS幅が広い、左脚ブロックなど)、心室の壁がバラバラのタイミングで収縮している(同期不全)方がいます。これは、ポンプの効率を著しく低下させます。CRTは、心臓の複数の場所にリード(電線)を留置し、電気刺激で心室の収縮タイミングを「再同期」させる治療です。これによりポンプ効率が改善し、症状や予後が良くなることが期待されます[3]。
 
包括的心臓リハビリテーション
「心臓が悪いのに運動して大丈夫?」と思うかもしれませんが、適切な管理下での「心臓リハビリテーション(心リハ)」は、心不全治療のもう一つの柱です。これは単なる運動ではなく、医師、看護師、理学療法士、栄養士、薬剤師、臨床心理士などがチームとなり、運動療法、患者教育、カウンセリングを包括的に行うプログラムです[2]。近年の研究でも、心リハが心不全患者の再入院を減らし、QOL(生活の質)と運動耐容能を改善させることが一貫して示されています[2, 11]。
再入院を防ぐためのセルフケアと生活習慣
心不全は、残念ながら「完治」する病気ではなく、「長く付き合っていく」病気です。一度症状が安定しても、ちょっとしたきっかけ(風邪、塩分の摂りすぎ、薬の飲み忘れ)で容易に再入院(急性増悪)につながる可能性があります。この再発予防の主役は、医療者ではなく、患者さんご自身です。以下のセルフケアが、再入院を防ぐ鍵となります[1, 2]。
- 毎日の体重・血圧・脈拍測定:
これが最も重要です。特に体重は「心不全悪化のバロメーター」です。毎朝、起床してトイレに行った後、朝食をとる前に、同じ条件で体重を測定し、「心不全手帳」などに記録してください。前述の通り、短期間(2〜3日)で2kg以上の体重増加は、体液貯留=悪化のサインです。すぐに受診の相談をしてください。 - 塩分制限(減塩):
塩分(ナトリウム)は水分を体に溜め込みます。塩分を摂りすぎると、心臓の負担が直接的に増大します。日本のガイドラインでは、心不全患者さんの塩分摂取量は1日6g未満が推奨されています[1]。心不全患者さんのための食事について、加工食品や外食を避け、出汁や香辛料をうまく使う工夫が必要です。 - 薬剤の確実な内服:
症状が良くなったからといって、自己判断で「4本柱」などの薬をやめてしまうと、心臓の悪循環が再開し、高い確率で再発します。これらの薬は、症状を抑えるためだけでなく、心臓を守るために飲み続ける必要があります。 - 感染予防(ワクチン接種):
インフルエンザや肺炎球菌などの感染症は、心不全を急性増悪させる最大の引き金の一つです。CDC(米国疾病予防管理センター)も、心疾患患者はインフルエンザの重症化ハイリスク群であると明記しています[15]。ワクチン接種で予防できる感染症は、積極的に予防しましょう。 - 過労・ストレスの回避と早期のフォローアップ:
無理をせず、十分な休息を取ること。そして、退院後は早期に外来を受診し、治療が最適化されているかを確認することが、再入院を防ぐために非常に重要です。 
弁膜症(大動脈弁・僧帽弁 ほか):TAVI/修復術の適応と術後フォロー
前節までの心不全の解説で、心臓のポンプ機能が低下する状態を見てきました。その心不全を引き起こす大きな原因の一つが、今回解説する「心臓弁膜症」です。弁膜症とは、心臓の中にある「弁(バルブ)」—つまり血液が一方通行に流れるように制御している「扉」—が正しく機能しなくなる病気です。
具体的には、扉が硬くなって開きにくくなる「狭窄(きょうさく)」や、扉がうまく閉まらずに血液が逆流してしまう「閉鎖不全(へいさふぜん)」があります。特に重要なのが、心臓の出口の扉である「大動脈弁」と、左心房と左心室の間にある「僧帽弁」です。
「弁膜症の手術」と聞くと、胸を大きく開ける大手術を想像し、恐怖を感じるかもしれません。しかし近年、技術の進歩は目覚ましく、カテーテルを使った低侵襲治療(体に負担の少ない治療)が急速に普及しています。代表的なものが、大動脈弁狭窄症に対する「TAVI(タビ:経カテーテル大動脈弁治療)」や、僧帽弁閉鎖不全症に対する「TEER(ティアー:経皮的僧帽弁接合不全修復術)」です。
このセクションでは、弁膜症の治療法、特にTAVIや外科手術(SAVR)、MitraClip®(TEERの一種)といった治療法の「どのような場合に、どちらを選ぶのか(適応)」、そして「治療後にどのような生活や管理が必要になるのか(術後フォロー)」について、日本のガイドラインや最新の研究結果に基づき、詳しく、そして深く掘り下げて解説します。
適応決定の鍵:「ハートチーム」による総合的判断
弁膜症の治療方針を決定する上で最も重要なのが、「ハートチーム(Heart Team)」の存在です。これは、一人の医師が独断で決めるのではなく、複数の専門家が集まって患者さんにとって最善の治療法を議論するチーム医療体制を指します。
「弁膜症かもしれない」と診断されたら、多くの不安がよぎるでしょう。「自分は手術に耐えられるだろうか?」「カテーテル治療はできないのか?」「家族に迷惑をかけないか?」。これらの疑問や不安は、ハートチームが解消するためにあります。
ハートチームには、以下のような専門家が含まれます。
- 循環器内科医: 診断の中心となり、心エコーやカテーテル検査、薬物治療を担当します。
 - 心臓血管外科医: 外科手術(弁置換術や弁形成術)の専門家です。
 - 麻酔科医: 手術やカテーテル治療中の全身管理を担当します。
 - 画像診断医: CTやMRI、心エコーで弁の形状や心臓の機能を詳細に評価します。
 - 看護師・臨床工学技士・理学療法士: 治療のスムーズな進行、機器の管理、術後のリハビリテーションを支えます。
 
彼らは、日本循環器学会のガイドライン[1]に基づき、患者さんの「手術リスク(STSスコアやJapanSCOREなど)」、「解剖学的な特徴(CT画像での弁の形や血管の太さ)」、「併存疾患(糖尿病、腎臓病、心不全など)」、そして非常に重要な「フレイル(虚弱)の程度」や「患者さんご自身の価値観・生活の希望」を総合的に評価します。この徹底した議論こそが、最適な心臓治療への第一歩となるのです。
大動脈弁狭窄症(AS):TAVI vs 外科手術(SAVR)
大動脈弁狭窄症(AS)は、心臓の「出口」である大動脈弁が加齢や動脈硬化で硬くなり、血液を全身に送り出しにくくなる病気です。重症化すると、心不全の兆候(息切れ、むくみ)や胸痛、失神などを引き起こし、生命に関わります。
治療法は、この硬くなった弁を新しい弁に取り替えることですが、その方法には大きく分けて2つあります。
1. 外科的大動脈弁置換術(SAVR:サバー)
従来から行われている、胸骨を縦に切開して心臓を一時的に止め、硬くなった弁を直接切り取って新しい人工弁(機械弁または生体弁)に縫い付ける手術です。
- 利点: 確立された治療法であり、特に弁の石灰化が強い場合や、他の心臓手術(冠動脈バイパス手術など)も同時に必要な場合に適しています。若い方には、耐久性の高い機械弁を選択できる唯一の方法です。
 - 欠点: 体への負担が大きく、入院期間やリハビリ期間が長くなります。超高齢者や体力が著しく低下している(フレイル)方、他の重い病気を持つ方にはリスクが高すぎることがあります。
 
2. 経カテーテル大動脈弁治療(TAVI:タビ)
胸を開けず、心臓も止めずに、足の付け根(大腿動脈)などからカテーテルを挿入し、折りたたんだ生体弁を大動脈弁の位置まで運んで広げる治療法です。
- 利点: 体への負担が劇的に少なく、入院期間も数日〜1週間程度と短くなります。従来「手術は無理だ」と判断されていた超高齢者やハイリスクな患者さんにとって、大きな希望となる治療法です。
 - 欠点: 弁の周囲からのわずかな逆流(弁周囲逆流:PVL)が残る可能性や、心臓の電気系統(伝導系)を圧迫してペースメーカーが新たに必要になる可能性がSAVRよりわずかに高いとされます。また、カテーテルが通る血管(大腿動脈など)が細すぎたり石灰化が強すぎたりすると、治療が困難な場合があります。
 
どちらを選ぶのか?
この選択は、前述のハートチームが患者さん一人ひとりの状態を精査して決定します。
- 手術不能・ハイリスクの患者さん(主に80歳以上や重い併存疾患あり): TAVIが第一選択となります[1]。
 - 低リスクの患者さん(主に75歳未満で体力がある方): 従来はSAVRが第一選択でした。なぜなら、TAVI弁の長期的な耐久性(10年、15年後)に関するデータがまだ不足しているためです。しかし、近年の大規模研究(PARTNER 3試験など)では、低リスク患者さんにおいてもTAVIとSAVRの5年後の成績は同等であると報告されています[9]。
 - 中間リスクの患者さん: まさにハートチームでの議論が最も重要になる領域です。年齢、解剖学的な特徴、患者さんの希望(早期の社会復帰を望むか、長期の耐久性を最優先するか)を考慮して、TAVIとSAVRのどちらが最適かを判断します[1]。
 
TAVIの適応を判断する上で欠かせないのが、治療前の「造影CT検査」です。心エコーだけでは分からない弁の正確な大きさ(弁輪径)、石灰化の分布、冠動脈の入り口までの距離、そしてカテーテルが通る大腿動脈の太さや曲がり具合を3Dで詳細に評価し、安全に治療が行えるかを決定します[1]。
僧帽弁閉鎖不全症(MR):外科的修復 vs 経皮的修復(TEER)
僧帽弁閉鎖不全症(MR)は、左心房と左心室の間にある「僧帽弁」がうまく閉まらず、血液が左心室から左心房へ逆流してしまう病気です。心臓の効率的な働きが損なわれ、心房細動や心不全の原因となります。
MRはその原因によって、治療戦略が大きく異なります。
1. 一次性(器質性)MR
弁そのものが変性したり(弁逸脱症など)、断裂したりして壊れている状態です。
- 治療の第一選択: このタイプの弁膜症の標準治療は「外科的弁形成術」です[1]。これは弁を交換するのではなく、壊れた部分を修復(縫い合わせたり、補強したり)する手術です。自分の弁を温存できるため、長期的な成績が良好とされています。
 - 代替治療(TEER): 手術のリスクが非常に高いと判断された場合に限り、カテーテル治療(TEER、MitraClip®など)が代替手段として考慮されます[1]。
 
2. 二次性(機能性)MR
弁自体は壊れていないものの、心筋梗塞や心筋症などで心臓の筋肉(左心室)が弱って拡大し、その結果として弁が引っ張られて閉じなくなった状態です。
- 治療の第一選択: まずは原因となっている心不全に対する薬物治療(GDMT)や、心臓再同期療法(CRT)を最大限に行うことです。
 - カテーテル治療(TEER): 最大限の薬物治療を行っても症状が改善しない場合、心臓の機能や弁の形態が一定の基準を満たせば、「TEER(MitraClip®など)」が非常に有効な選択肢となります[1]。これはカテーテルで「クリップ」を送り込み、逆流している弁尖同士を中央でつまんで逆流を減らす治療法です。外科手術よりもはるかに負担が少なく、心不全症状を劇的に改善させる可能性があります。
 
最重要:術後の抗血栓療法(血液サラサラの薬)
TAVIや外科手術で新しい弁(生体弁)を入れた後、多くの患者さんが「薬はいつまで飲むのか?」という疑問を持たれます。人工弁の表面では血液が固まりやすく、血栓(けっせん)ができるリスクがあるため、術後は「抗血栓療法」が必要です。この戦略は、ここ数年で大きく変わりました。
患者さんの状態は、大きく以下の3パターンに分けられます。
1. TAVI後(心房細動がない場合)
これが最も大きく変わった点です。以前は、血小板の働きを抑える薬を2種類(アスピリン+クロピドグレルなど:DAPT)を数ヶ月間飲むのが一般的でした。
しかし、近年の大規模研究(POPular-TAVI試験など)[8]により、DAPTはアスピリン単剤(SAPT)と比べて、脳梗塞などを防ぐ効果は変わらない一方で、出血のリスクを有意に高めることが示されました。
この結果を受け、現在では脳梗塞などの血栓リスクと出血リスクを天秤にかけ、アスピリン単剤(SAPT)を基本とする「最小化戦略」が主流になっています[1]。
2. TAVI後(心房細動がある場合)
心房細動(AF)を合併している方は、もともと脳梗塞予防のために抗凝固薬(OAC:ワーファリンやDOAC)を飲んでいます。TAVI後、これにアスピリンなどを追加すると、出血のリスクが非常に高くなります。
最新の研究では、特別な理由がない限り、TAVI後は抗凝固薬(OAC)単剤とし、不要な抗血小板薬(アスピリンなど)の併用は避けることが推奨されています[8]。
3. 外科手術後(機械弁 vs 生体弁)
- 機械弁(SAVRのみ): 非常に耐久性が高いですが、血栓ができやすいため、生涯にわたり抗凝固薬(ワーファリン)の内服が必要です。
 - 生体弁(SAVRまたはTAVI): 血栓はできにくいですが、耐久性に限りがあります(10〜20年)。術後の抗血栓療法は、上記1または2のTAVI後に準じた管理が基本となります[1]。
 
自己判断で薬を中断することは、脳梗塞や弁の機能不全に直結する非常に危険な行為です。必ず主治医の指示に従ってください。
術後のフォローアップと生涯続く「IE予防」
治療が成功した後、日常生活に戻る上で2つの重要な管理が必要になります。「定期的な画像フォロー」と「感染性心内膜炎(IE)の予防」です。
1. 定期的な心エコー検査
退院後も、新しい弁が正しく機能しているか、弁の周囲から逆流(PVL)が増えていないか、心臓のポンプ機能が改善しているかを確認するため、定期的な心エコー(TTE)検査が不可欠です。
一般的なスケジュール(目安)は以下の通りです[7, 11, 12]:
- 退院後 6週〜3ヶ月: 治療直後の状態を評価します。
 - 治療後 6ヶ月〜1年: 状態が安定していることを確認します。
 - 以降、年1回: 症状がなくても、弁の構造的劣化(SVD)や機能不全が起きていないかを生涯にわたりチェックします。
 
もし、再び息切れや胸痛、めまいなどの症状が現れた場合は、次の検診を待たず、すぐに主治医に相談してください。
2. 感染性心内膜炎(IE)の生涯予防
これは、人工弁(TAVI、外科弁)を入れた患者さんにとって、最も重要な注意点の一つです。「感染性心内膜炎(IE)」とは、血液中に入り込んだ細菌が人工弁の表面に付着し、感染の「巣」を作ってしまう重篤な病気です[2]。
この細菌は、多くの場合「口腔内(口の中)」から侵入します。
したがって、以下の2点が生涯にわたって必要です。
- 徹底した口腔衛生(デンタルケア):
毎日(特に就寝前)の丁寧な歯磨き、デンタルフロスの使用、そして半年に一度は歯科医によるプロフェッショナルケア(クリーニング、検診)を受けることが強く推奨されます。虫歯や歯周病を放置することは、IEのリスクを高めます。 - 高リスク処置時の「予防的抗菌薬」:
歯科治療(抜歯、歯石除去、インプラントなど出血を伴う処置)や、その他の侵襲的な処置を受ける際は、処置の前に必ず抗菌薬(抗生物質)を飲む必要があります[2, 15]。これは、処置の際に一時的に血液中に入る細菌を殺菌し、人工弁への付着を防ぐためです。必ず守ること: 歯科医や他の科の医師にかかる際は、「心臓に人工弁(TAVIまたは外科弁)が入っている」ことを必ず、毎回申告してください。そして、予防的抗菌薬が必要かどうかを確認してください。
 
万が一、退院後に原因不明の発熱や悪寒(おかん)、倦怠感が続く場合は、IEの可能性も考えられるため、ただちに医療機関を受診してください。
末梢血管・静脈疾患(下肢静脈瘤・動脈硬化・血栓症):症状・治療・セルフケア
心臓が中心的なポンプである一方、全身に血液を送り届け、そして回収する「配管」である血管の健康も、循環器疾患を語る上で欠かせない要素です。前節では心臓内部の「弁」の機能不全について詳しく見ましたが、本節では、特に手足、とりわけ足(下肢)の血管に起こる代表的な3つの疾患—**下肢静脈瘤**、**末梢動脈疾患(PAD)**、そして**静脈血栓症(DVT/PE)**—に焦点を当てます。
これらはそれぞれ「心臓に戻る静脈が壊れる」「心臓から送る動脈が詰まる」「静脈に血の塊ができる」という異なる問題ですが、いずれも生活の質(QOL)を著しく低下させ、時には命に関わる事態を引き起こします。ここでは、それぞれの症状の見極め方、最新の治療法、そしてご自身でできるセルフケアについて、日本の最新ガイドラインも踏まえながら深く解説します。
下肢静脈瘤:足の「重だるさ」と皮膚の変化
「夕方になると足がパンパンにむくむ」「足が重くてだるい」「ふくらはぎの血管がボコボコと浮き出ている」—これらは下肢静脈瘤の典型的なサインです。下肢静脈瘤は、足の静脈にある血液の逆流を防ぐための「弁」(静脈弁)が正しく機能しなくなることで発症します。本来、足から心臓へ重力に逆らって血液を戻すために、これらの弁は一方向にのみ開く「逆流防止弁」として働いています。しかし、立ち仕事や加齢、妊娠・出産などによって弁が壊れると、血液が逆流し、足の下の方に「うっ滞」してしまいます。
この結果、血管が内部からの圧力で膨らみ、皮膚表面に浮き出て見えるようになります。しかし、問題は見た目だけではありません。血液のうっ滞が続くと、以下のような様々な症状を引き起こします。
- だるさ・重さ:特に夕方から夜にかけて強くなる、言葉にしにくい不快感。
 - むくみ(浮腫):血液の水分が血管の外に漏れ出し、足首やふくらはぎが腫れます。
 - 痛み・こむら返り:血流が滞ることで筋肉が疲れやすくなり、夜間や明け方に足がつりやすくなります。
 - 皮膚の変化:最も注意すべきサインです。栄養が届きにくくなるため、皮膚が乾燥してかゆくなったり(うっ滞性皮膚炎)、シミのように茶色く色素沈着したりします。重症化すると皮膚が硬くなり、最終的には治りにくい潰瘍(かいよう)ができることもあります。下肢静脈瘤の原因については、こちらの記事でも詳しく解説しています。
 
静脈瘤の最新治療と「弾性ストッキング」の正しい使い方
かつて静脈瘤の治療は、問題のある静脈を引き抜く「ストリッピング手術」が主流でしたが、体への負担が大きいものでした。しかし現在、特に英国NICEガイドラインなどでは、より低侵襲な治療が第一選択として推奨されています。
主な治療法は、壊れた静脈を内側から「焼いて」塞ぐ**血管内焼灼術(けっかんないしょうしゃくじゅつ)**です。これにはレーザー(EVLA)や高周波(RFA)を用いる方法があり、局所麻酔で日帰りまたは短期入院で行える施設が増えています。細いカテーテルを挿入し、熱で静脈を閉塞させることで、血液の逆流を根本的に止めます。閉塞された静脈は時間とともに体に吸収され、血液は他の正常な静脈を通って心臓に戻るようになります。その他、比較的小さな静脈瘤には、薬剤を注入して固める**フォーム硬化療法**なども選択されます。利用可能な治療法を比較検討することも重要です。
セルフケアと症状緩和の柱は、**弾性ストッキング(圧迫療法)**です。これは足を外側から適切に圧迫することで、血液のうっ滞を減らし、筋肉のポンプ作用を助ける医療機器です。しかし、この使用には極めて重要な安全上の注意点があります。日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)も注意喚起していますが、以下の点を必ず守ってください。
- 動脈疾患(PAD)の合併は禁忌:足の動脈が詰まっている人(後述)が使用すると、血流をさらに悪化させ、最悪の場合、足の壊死を招く危険があります。自己判断での使用は危険です。
 - 夜間・就寝時は原則使用しない:横になっている時は足の静脈圧が下がるため、強い圧迫は不要であり、むしろ動脈の血流を妨げる可能性があります。日中の活動時にのみ着用するのが基本です。(ただし、医師の特別な指示がある場合を除く)
 - シワやたるみは厳禁:ストッキングがシワになると、その部分だけが強く圧迫され、「止血帯」のようになってしまいます。必ずシワなく均等に装着してください。
 - 正しいサイズを選ぶ:圧迫が弱すぎても効果がなく、強すぎても危険です。医療機関で正しく採寸してもらうことが理想です。
 
その他、就寝時に足を高くして休む(脚挙上)、長時間の立ちっぱなし・座りっぱなしを避け、こまめに歩いたり足首を動かしたりすること、保湿ケアで皮膚を保護することも重要です。
末梢動脈疾患(PAD):「歩くと痛む」は動脈硬化のサイン
静脈瘤とは逆に、心臓から足へ送られる動脈の血流が悪くなるのが**末梢動脈疾患(PAD)**です。原因のほとんどは動脈硬化であり、悪玉コレステロールなどが血管壁に蓄積し、血管が狭く、硬くなることで発症します。
PADの最も典型的な症状は「**間欠性跛行(かんけつせいはこう)**」と呼ばれます。これは、「一定の距離を歩くと、ふくらはぎや太ももが重く、痛くなって歩けなくなるが、少し休むと痛みが消えて、また歩けるようになる」という特徴的な症状です。
なぜこのようなことが起こるのでしょうか?歩行時、足の筋肉は大量の酸素(血液)を必要とします。しかし、動脈が狭くなっていると、需要に対して供給が追いつかず、筋肉が「酸素欠乏(虚血)」状態に陥ります。これが痛みとして感じられるのです。休むと筋肉の酸素需要が減るため、痛みが和らぎます。これは、足が「悲鳴を上げている」サインであり、「年のせい」と見過ごしてはいけません。
PADが危険なのは、足だけの問題ではないからです。足の動脈に動脈硬化があるということは、心臓の冠動脈(狭心症・心筋梗塞の原因)や脳の動脈(脳梗塞の原因)にも同様の動脈硬化が隠れている可能性が非常に高いことを意味します。PADは全身の動脈硬化の「窓」とも言えるのです。症状が進行し、安静にしていても足が痛む、足に治りにくい傷や潰瘍ができる、足が冷たく紫色になる、といった状態は「**重症下肢虚血(じゅうしょうかしきょけつ)**」と呼ばれ、血行を再開しなければ足を切断するリスクもある緊急事態です。
PADの治療:運動療法と血行再建術
PADの治療の基本は、動脈硬化の進行を抑えるための薬物療法(抗血小板薬や脂質異常症治療薬など)とリスク因子(高血圧、糖尿病、喫煙)の管理ですが、間欠性跛行の症状改善には「**運動療法**」が極めて重要です。
「歩くと痛いのに、運動するのか」と疑問に思われるかもしれませんが、これが最も効果的な治療の一つです。英国NHSなどが推奨する「ストップ&ゴー歩行」や、専門家の指導下で行う「**監視下運動療法(SEP)**」は、痛くても無理のない範囲で歩行と休息を繰り返します。これを続けることで、狭くなった血管の代わりに新しい側副血行路(バイパス血管)が発達し、筋肉への血流が改善し、より長い距離を痛みなく歩けるようになります。
運動療法や薬物療法で十分な改善が見られない場合や、重症下肢虚血に陥っている場合は、血流を直接回復させる「**血行再建術**」が必要となります。カテーテル治療(ステント留置術)で狭窄部を内側から広げる方法や、バイパス手術で新たな血流路を作る方法があり、日本循環器学会/日本血管外科学会(JCS/JSVS)の最新ガイドライン(2025年)に基づき、患者さんの状態に最適な方法が選択されます。
静脈血栓症(DVT)と命を脅かす肺血栓塞栓症(PE)
最後に、最も緊急性の高い疾患である**深部静脈血栓症(DVT)**です。これは、主に足の深い場所にある静脈(深部静脈)に血の塊(血栓)ができる病気です。「エコノミークラス症候群」という名前で知られていますが、飛行機だけでなく、長時間のデスクワーク、手術後や病気での長期臥床(寝たきり)、災害時の車中泊など、足を動かさない状態が続くと発症リスクが高まります。
DVTの典型的な症状は、**片方の足**(特にふくらはぎ)の急な腫れ、痛み、赤み、熱感です。静脈瘤と異なり、血栓が静脈を「塞栓」するため、急激に症状が現れます。「なぜ片足だけ?」と疑問に思うかもしれませんが、両足同時に同じ場所に血栓ができることは稀であり、この「片側性」の症状はDVTを強く疑うサインです。DVTの詳しいガイドもご参照ください。
DVTが本当に恐ろしいのは、足の症状そのものよりも、その合併症です。足の静脈にできた血栓が何かの拍子で剥がれ、血流に乗って心臓を経由し、肺の動脈に詰まってしまうことがあります。これが「**肺血栓塞栓症(PE)**」、いわゆる「肺塞栓」です。
肺は酸素を取り込む重要な臓器であり、その動脈が詰まると、突然の激しい呼吸困難、鋭い胸の痛み、時には血痰(けったん)や失神を引き起こします。これは命に直結する極めて危険な状態で、一刻も早い救急要請が必要な赤旗サインです。
血栓症の治療(抗凝固療法)と予防
DVTやPEと診断された場合、治療の柱は**抗凝固療法**です。これは「血液をサラサラにする薬」(抗凝固薬、DOACなど)を用いて、これ以上血栓が大きくなるのを防ぎ、新たな血栓ができるのを予防する治療です。日本の最新ガイドライン(JCS 2025年改訂版)でも、急性期の治療の基本とされています。薬は血栓を直接「溶かす」わけではありませんが、体が本来持つ血栓溶解能力(線溶系)が働くのを助けます。この治療は、心房細動による脳梗塞予防にも用いられる薬剤と共通しています。
DVT/PEの予防(セルフケア)として最も重要なのは、「足を動かさない状態を避ける」ことです。WHOの研究(WRIGHT研究)によれば、4時間を超える長時間の移動(飛行機、電車、車)はVTE(DVT/PEの総称)のリスクを高めます。予防のためには、以下の点を心がけましょう。
- 1〜2時間ごとに立ち上がって少し歩く。
 - 座ったままでも、かかとの上げ下ろしや足首を回す運動をこまめに行う。
 - アルコールやカフェインを避け、十分な水分(水やお茶)を摂取する。
 - ゆったりとした服装を心がける。
 - 手術後や入院中は、医師の許可が出次第、できるだけ早くベッドから離れて歩行する(早期離床)。
 
これらの疾患特有のセルフケアに加え、心血管系全体の健康を支える基本的な生活習慣が極めて重要です。脳梗塞などの深刻な事態を避けるためにも、次節で解説する全般的な生活習慣の改善に、ぜひ取り組んでください。
生活習慣の実践(食事・減塩・運動・体重・睡眠・アルコール/喫煙対策)
前節までで、末梢血管の疾患を含む様々な心血管疾患について見てきました。しかし、これらの疾患の多くは、共通の土台の上に成り立っています。それが「生活習慣」です。心筋梗塞や脳卒中の診断を受けた方はもちろん、まだ診断は受けていないものの高血圧や脂質異常症を指摘された方も、「具体的に何から始めればよいのか」と悩まれることが多いでしょう。
このセクションでは、心血管疾患の予防と再発防止の「核」となる6つの柱—食事(減塩・脂質)、運動、体重管理、睡眠、アルコール、そして禁煙—について、科学的根拠に基づき「何を」「どれだけ」「どのように」実践すればよいかを、具体的かつ詳細に解説します。
なぜ生活習慣の実践が心血管疾患の鍵となるのか
心血管疾患の治療において、薬物療法やカテーテル治療、バイパス手術は非常に重要です。しかし、それらは例えるなら「火事の火を消す」あるいは「焼け跡を修復する」行為です。一方で、生活習慣の改善は「火事が二度と起きないように、火の元を管理し、燃えやすいものを片付ける」根本的な対策にあたります。
高血圧、脂質異常症、糖尿病といった最大の危険因子は、日々の生活習慣と密接に結びついています。これらを放置したまま強力な薬だけを使い続けても、動脈硬化の進行を根本から抑えることは困難です。高血圧治療において薬に頼る前に試すべき生活習慣を実践することは、治療効果を最大化し、将来的な薬の量を減らす可能性にもつながります。
特に、40代から現れる健康リスク(メタボリックシンドロームなど)は、まさに生活習慣の乱れが表面化するサインです。ここで紹介する6つの柱は、それぞれが独立しているのではなく、互いに深く関連しあっています。例えば、運動は体重管理とストレス解消に役立ち、良い睡眠は食欲のコントロールを容易にします。一つずつ、できることから着実に取り組むことが、10年後、20年後の心臓と血管の健康を守る最も確実な投資となります。
食事(1): 「減塩」の壁を越える実践テクニック
生活習慣改善の中で、最も効果が大きく、そして最も実践が難しいとされるのが「減塩」です。「味が薄くなると食事が楽しくない」「外食や加工食品が多くて避けられない」という声は当然です。しかし、なぜこれほどまでに減塩が重要視されるのでしょうか。
食塩(塩化ナトリウム)の過剰摂取は、体内に水分を溜め込み、血液量を増やします。これにより血管壁にかかる圧力が直接的に上昇し、高血圧を引き起こします。高血圧は、血管の内側を常に傷つけ、動脈硬化を促進する最大の要因です。
目標値には2つの基準があります。まず、厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」では、成人男性で1日7.5g未満、女性で6.5g未満を推奨しています。一方で、世界保健機関(WHO)は、心血管疾患予防のためにより厳格な「1日5g未満」を強く推奨しています。まずは日本の基準をクリアし、可能であればWHOの基準を目指すのが理想的です。
問題は、私たちが摂取する食塩の多くが、加工食品や外食に「隠れている」ことです。以下の実践テクニックが役立ちます。
- 栄養成分表示の確認: 「ナトリウム(mg)」ではなく「食塩相当量(g)」を見ます。もしナトリウム量しか記載がない場合は、「ナトリウム(mg) × 2.54 ÷ 1000 = 食塩相当量(g)」と計算します。
 - 「かける」より「つける」: 醤油やソースは、料理に直接かけるのではなく、小皿にとって「つけて」食べることで、使用量を大幅に減らせます。
 - 風味の活用: 酢、レモン、ゆずなどの酸味、こしょう、唐辛子、ハーブなどの香辛料、だし(昆布・かつお)の旨味を最大限に活用し、塩味への依存を減らします。
 - 汁物は「具だくさん」に: 味噌汁やスープは、野菜や海藻をたっぷり入れることで、汁の量を減らしても満足感を得られます。麺類のスープは残す習慣をつけましょう。
 - 加工品の工夫: ハムやソーセージ、練り物、漬物、インスタント食品は、それ自体が多くの塩分を含みます。食べる頻度を減らすか、無塩・減塩タイプを選びます。
 
これら減塩の具体的なアプローチは、高血圧対策のための栄養学(DASH食)でも中心的な役割を担っています。また、最近では塩化ナトリウムの代わりに塩化カリウムを使用した「減塩塩(低ナトリウム塩)」も市販されています。Cochraneの2022年のレビューでは、これらの代替塩が血圧と心血管イベントをわずかに減少させる可能性が示されました。ただし、腎機能が低下している方や特定の降圧薬を服用中の方は、カリウムの排泄がうまくいかず高カリウム血症という危険な不整脈を引き起こす可能性があるため、使用前に必ず医師に相談してください。
食事(2): 脂質の「質」の転換と食物繊維の力
「脂質=悪」ではありません。重要なのは、摂取する脂質の「量」と「質」です。心血管疾患のリスクを高める脂質を減らし、守る脂質を積極的に摂る「脂質の質の転換」が求められます。
- 減らすべき脂質(飽和脂肪酸): 主に動物性の脂に多く含まれます。霜降りの肉、バラ肉、鶏肉の皮、バター、生クリーム、ラードなどです。これらは悪玉コレステロール(LDL)値を上昇させ、動脈硬化を直接促進します。
 - 避けるべき脂質(トランス脂肪酸): マーガリン、ショートニング、それらを使用したパン、洋菓子、揚げ物などに含まれます。WHOはトランス脂肪酸の摂取をほぼゼロにするよう強く勧告しており、これはLDLコレステロールを増やし、善玉コレステロール(HDL)を減らす最悪の脂質です。
 - 増やすべき脂質(不飽和脂肪酸):
- 多価不飽和脂肪酸: 青魚(サバ、イワシ、アジ)に含まれるEPAやDHA、亜麻仁油やえごま油に含まれるα-リノレン酸(オメガ3)、大豆油やコーン油のリノール酸(オメガ6)など。特にオメガ3は中性脂肪を下げ、血液をサラサラにする効果が期待されます。
 - 一価不飽和脂肪酸: オリーブオイルやキャノーラ油、ナッツ類に多いオレイン酸など。LDLコレステロールを下げる働きがあります。
 
 
この「脂質の転換」は、権威あるNEJM誌に掲載されたPREDIMED研究(2018年)で有名になった「地中海型食事パターン」の核となる考え方です。この研究では、オリーブオイルやナッツを豊富に含む地中海食が、心血管イベントを優位に低下させることが示されました。
さらに、脂質管理と密接に関連するのが食物繊維です。全粒穀物(玄米、オートミール)、豆類、野菜、果物、海藻に豊富な食物繊維は、腸内でコレステロールの吸収を妨げ、体外へ排出するのを助けます。また、血糖値の急上昇を抑え、満腹感を持続させることで体重管理にも貢献します。これらは、脂質異常症の食事療法の基本です。一方で、心臓病患者が避けるべき食品(主に高塩分・高飽和脂肪・高トランス脂肪酸の食品)を知っておくことも同様に重要です。
身体活動と運動:週150分+筋トレ2回のつくり方
「運動する時間がない」「運動は苦手だ」と感じる方は多いですが、心血管の健康にとって運動は「特効薬」とも言える効果を持ちます。運動は血圧を下げ、脂質プロファイルを改善し、血糖コントロールを助け、体重を管理し、さらにストレスを軽減します。
WHOの2020年ガイドラインでは、成人に以下の身体活動を推奨しています。
- 有酸素運動: 「ややきつい」と感じる中等度の運動を週に150分~300分。または、「かなりきつい」と感じる高強度の運動を週に75分~150分。
 - 筋力トレーニング: 主要な筋肉群(脚、背中、胸、腕など)を使うトレーニングを週に2回以上。
 
「週150分」と聞くと圧倒されるかもしれませんが、これは「1日約22分」です。「週末にまとめて」行うよりも、「毎日少しずつ」積み上げる方が習慣化しやすく、健康効果も高いとされています。厚生労働省の「アクティブガイド」では、「まずは今より10分多く体を動かす(+10:プラステン)」ことから推奨しています。例えば、エスカレーターの代わりに階段を使う、一駅分歩く、早歩きで通勤するなどです。
中等度の運動とは、「息が弾むが、会話はかろうじてできる」程度が目安です。高血圧に効果的なウォーキングは、その最も安全で簡単な実践方法の一つです。また、筋力トレーニングが見落とされがちですが、筋肉量を維持・増加させることは基礎代謝を上げ、インスリンの効きを良くするため、体重管理や糖尿病予防に不可欠です。自宅でできるスクワットや腕立て伏せ、ダンベル体操などで十分です。
【安全のための重要事項】: すでに心疾患の診断を受けている方、未治療の重度高血圧がある方、運動中に胸痛・動悸・めまいを感じたことがある方は、運動プログラムを開始する前に必ず主治医に相談し、運動負荷試験(心電図)などで安全な運動強度を確認してください。
体重管理:BMI 22を目指すエネルギーバランス
体重、特に内臓脂肪の蓄積は、心血管疾患の独立した強力なリスク因子です。肥満(特に内臓脂肪型肥満)は、高血圧、脂質異常症、糖尿病を同時に引き起こす「メタボリックシンドローム」の中核であり、体内で慢性的な炎症を引き起こし、動脈硬化を加速させます。
自身の体格を客観的に知る指標がBMI (Body Mass Index)です。計算式は「体重(kg) ÷ [身長(m) × 身長(m)]」です。日本肥満学会の基準では、BMI 18.5未満を「低体重」、18.5以上25未満を「普通体重」、25以上を「肥満」と定義しています。統計的に最も病気になりにくいとされる理想的なBMIは「22」とされています。
肥満症と診断された場合でも、目標は必ずしも「標準体重」である必要はありません。現在の体重から5~10%を減量するだけでも、血圧、血糖値、脂質データは劇的に改善することが多くの研究で示されています。例えば、90kgの人であれば、まず4.5kg~9kgの減量を目指すことが現実的かつ効果的な第一歩です。
体重管理の原則は、非常にシンプルです。「摂取エネルギー(食事) < 消費エネルギー(基礎代謝+身体活動)」のバランスを作ることです。これは、前述した「食事(脂質・食物繊維)」と「運動」の実践そのものです。極端な食事制限(〇〇抜きダイエットなど)は、一時的に体重が落ちてもリバウンドしやすく、栄養失調や筋肉量の低下を招き、長期的には逆効果です。バランスの取れた食事を適量摂り、身体活動を増やすという地道な努力こそが、心臓を守る唯一の道です。
睡眠とストレス:見過ごされがちな心臓の休息
食事や運動に比べ、睡眠とストレス管理の重要性は見過ごされがちです。しかし、これらは心血管の健康に直接的な影響を与えます。「忙しいから睡眠時間を削る」「ストレスは現代社会では当たり前」という考えは、心臓にとって非常に危険です。
睡眠: 米国国立心肺血液研究所(NHLBI)によると、慢性的な睡眠不足は心臓の健康に深刻な害を及ぼします。睡眠中は、心拍数と血圧が下がり、心臓と血管が休息する重要な時間です。しかし、睡眠が不足すると、交感神経系が優位になり、血圧が上昇し、心拍数が高止まりします。また、炎症反応やストレスホルモン(コルチゾール)が増加し、血管内皮を傷つけます。
睡眠不足と高血圧の関係は科学的に明らかであり、睡眠時間と脳卒中リスクも相関が指摘されています。厚生労働省の「健康づくりのための睡眠ガイド2023」では、成人に6時間以上の睡眠を推奨しています。また、睡眠時無呼吸症候群(SAS)は、高血圧や不整脈の大きな原因となるため、いびきや日中の強い眠気がある場合は専門医に相談すべきです。
ストレス: 精神的なストレス、特に抑うつや不安は、心筋梗塞の引き金(トリガー)となり得ることが知られています。ストレスがかかると、交感神経が興奮し、血圧上昇、心拍数増加、血管収縮が起こり、心臓に負担がかかります。また、慢性的なストレスは、喫煙、過食、飲酒といった不健康な行動(ストレスコーピング)につながりやすく、間接的にもリスクを高めます。
運動、趣味、リラクゼーション(瞑想、ヨガなど)、信頼できる人との対話などを通じて、ストレスを溜め込まない工夫が不可欠です。
アルコール:「ほどほど」の真実と「控える」戦略
「少量のアルコール(特に赤ワイン)は心臓に良い」という「Jカーブ効果」は、長年信じられてきました。しかし、この通説は近年、大きく見直されています。最新の研究では、「アルコール摂取量がゼロ」が最も心血管疾患のリスクが低い可能性が示唆されており、「少量なら健康」という通説は、統計的な誤りを含む可能性が指摘されています。
アルコールの過剰摂取は、飲酒や喫煙が血圧に与える影響として知られる通り、血圧を直接上昇させ、中性脂肪を増やし、心房細動などの不整脈のリスクを高めます。
厚生労働省の「お酒の健康影響Q&A」でも、健康への影響に注意喚起しています。もし飲む場合の「節度ある適度な飲酒」とは、1日あたりの純アルコール量で約20g程度とされています。これは、ビール(5%)なら中瓶1本(500ml)、日本酒(15%)なら1合(180ml)、ワイン(12%)ならグラス2杯弱(200ml)に相当します。女性や高齢者は、これより少ない量が推奨されます。
英国のNHS(国民保健サービス)は、より明確に「男女とも週14ユニット(純アルコールで112g)以下」を「低リスク」と定義し、「安全なレベルはない」と明記しています。基本姿勢は「できるだけ控える」ことであり、飲まない人がわざわざ飲み始める必要は全くありません。また、週に1~2日の「休肝日」を設けることも強く推奨されます。
禁煙:最も確実なリスク低減策とそのタイムライン
生活習慣の改善において、最も効果が大きく、即効性があり、誰にとっても絶対に必要とされるのが「禁煙」です。喫煙は、心血管疾患のリスクを2倍から4倍に高める、単一で最大の予防可能な要因です。
タバコの煙に含まれるニコチンや一酸化炭素、その他の有害物質は、以下の作用を通じて心臓と血管を直接攻撃します。
- 血管の内皮細胞を傷つけ、動脈硬化のプラーク(粥腫)を不安定にする。
 - 血圧を上昇させ、心拍数を増加させる(心臓に余計な負担をかける)。
 - 血液を固まりやすくし、血栓(血の塊)の形成を促進する。
 - 善玉(HDL)コレステロールを減少させる。
 
これらの影響は、喫煙者本人だけでなく、副流煙を吸う周囲の人(受動喫煙)にも及びます。職場や家庭での完全な禁煙環境が不可欠です。
禁煙が難しいと感じる方も、その多大な利益を知れば動機づけになるかもしれません。禁煙の効果は、最後の1本を吸い終わった直後から始まります。米国疾病予防管理センター(CDC)によると、心血管リスクの低下には以下のタイムラインがあります。
- 禁煙後1~2年: 心筋梗塞のリスクが急激に低下し始めます。
 - 禁煙後3~6年: 冠動脈疾患(狭心症・心筋梗塞)になるリスクが、喫煙を続けた場合の約半分にまで低下します。
 - 禁煙後5~10年: 脳卒中のリスクが非喫煙者と同レベルまで低下する人もいます。
 - 禁煙後15年: 冠動脈疾患のリスクが、非喫煙者のレベルにほぼ近づきます。
 
禁煙は「意志の力」だけで達成しようとすると困難を伴うことが多いです。これはニコチン依存症という病気だからです。現在では、禁煙外来での保険適用の治療(ニコチンパッチ、内服薬)があり、自力での禁煙よりもはるかに成功率が高まります。心血管疾患の診断を受けたことは、最も強力な禁煙の動機となります。ぜひ専門家の助けを借りて、確実な一歩を踏み出してください。
これらの生活習慣の柱は、すべてが連携しています。一つを改善すれば、他も改善しやすくなる相乗効果があります。次のセクションでは、これらの基本的な実践を、妊娠中や高齢期といった特定のライフステージにおいてどのように調整・応用していくかについて解説します。
ライフステージ別の注意(妊娠・高齢者・復職と運転・旅行/手術前後)
前節では、食事や運動といった全般的な生活習慣の改善について見てきました。しかし、心血管疾患の管理は常に一定ではありません。診断を受け、治療を続けていく中で、人生のさまざまな転機(ライフステージ)に直面します。その際、「妊娠は可能なのか」「高齢の親は何に注意すべきか」「仕事への復帰は?」「旅行や手術は安全か?」といった、非常に具体的で切実な疑問が生じるのは当然のことです。
心血管疾患との付き合いは、病状そのものだけでなく、これらのライフイベントにいかに安全に適応していくかが鍵となります。本セクションでは、国内外の主要なガイドラインに基づき、各ライフステージで特に注意すべき実践的なポイントを、専門的な知見から詳しく解説します。
妊娠中の心血管管理:使える薬・避けるべき薬
心疾患をお持ちの方が妊娠を考えるとき、喜びと同時に「自分の体は耐えられるだろうか」「赤ちゃんに影響はないか」という深い不安を感じるかもしれません。この不安を解消する第一歩は、ご自身の状態を正確に把握することです。
まず理解すべき点は、妊娠が心臓に大きな負担をかけるという事実です。妊娠中は血液量が平常時より約40~50%増加し、心拍数も上昇します。心臓はより多くの血液を全身に送り出すために、通常よりも激しく働かなければなりません。このため、心疾患の種類や重症度によっては、妊娠の継続がハイリスクとなる場合があります。
医療現場では、日本循環器学会のガイドライン[1]などが推奨する「修正WHO(mWHO)分類」を用いて、妊娠による母体リスクを評価します。この評価に基づき、循環器内科医、産科医、麻酔科医、新生児科医からなる多職種チームが連携し、周産期(妊娠中から産後まで)の管理計画を綿密に立てます。
薬剤の選択:安全性が最優先
妊娠中の薬剤管理は、母体の心血管状態を安定させると同時に、胎児への安全性を確保するという、非常にデリケートなバランスが求められます。
- 高血圧治療薬: 妊娠高血圧症候群の管理は重要ですが、通常使われる降圧薬の一部は妊娠中は禁忌(使用禁止)です。特に、ACE阻害薬やARB(アンジオテンシンII受容体拮抗薬)は、胎児の腎機能障害や奇形を引き起こすリスクがあるため使用できません。英国NICEガイドライン[2]などでは、第一選択薬としてラベタロールが、代替薬としてメチルドパや徐放性ニフェジピンが推奨されます。高血圧の薬物治療に関する基本的な考え方を理解しておくことも大切です。
 - 抗凝固薬: 人工弁置換術後などでワルファリンを服用している場合、特に注意が必要です。ワルファリンは胎盤を通過し、催奇形性リスクがある(特に妊娠初期)ため、原則として妊娠中は回避されます[4]。代わりに、胎盤を通過しないヘパリンの自己注射などに変更するのが一般的です。
 - 脂質異常症治療薬: スタチン系薬剤(コレステロールを下げる薬)は、日本の医薬品添付文書上[3]、妊婦または妊娠している可能性のある女性には原則として投与しないことになっています。妊娠中は脂質管理の緊急性が低いため、多くの場合、出産後まで中断します。
 
最も重要なのは、自己判断で薬を止めたり、妊娠を諦めたりするのではなく、妊娠を希望する段階(妊活前)から主治医と十分に相談することです(これを「プレコンセプション・カウンセリング」と呼びます)。成人先天性心疾患(ACHD)の方の妊娠を含め、安全な出産に向けた計画を一緒に立てていきましょう。
高齢者の心血管管理:フレイル・ポリファーマシー対策
高齢者の心血管疾患管理は、「心臓だけ」を診るのでは不十分です。加齢に伴う身体全体の変化、特に「フレイル」「サルコペニア」「ポリファーマシー」という3つの課題に目を向ける必要があります。
フレイル・サルコペニアという「負の連鎖」
「最近、歩くのが遅くなった」「ペットボトルの蓋が開けにくい」といった筋力の低下や、「疲れやすくて外出が億劫になった」という活動量の低下を感じていませんか。これは単なる「年のせい」ではなく、**フレイル(虚弱)**や**サルコペニア(筋肉減少症)**と呼ばれる状態かもしれません。
e-ヘルスネット(厚生労働省)[9]によれば、サルコペニアは心血管イベントや死亡リスクと関連することが知られています[10]。特に、「心不全で入院」→「安静による筋力低下(サルコペニア)」→「退院後の活動量低下・フレイル進行」→「心不全の再発・再入院」という負の連鎖に陥りやすいことが大きな問題です。
この連鎖を断ち切るには、心臓リハビリテーションを通じた包括的な介入が不可欠です。安全性を確保した上での有酸素運動(ウォーキングなど)、レジスタンス運動(軽い筋トレ)、そして十分なタンパク質を意識した栄養管理、地域活動への社会参加の3本柱が推奨されます[5]。高齢者の高血圧管理においても、これらの生活習慣の見直しは治療の土台となります。
ポリファーマシー(多剤併用)のリスク
心疾患の他にも高血圧、糖尿病、整形外科疾患など、複数の持病を抱えると、受診する科が増え、結果として飲む薬の種類が非常に多くなることがあります。これを**ポリファーマシー**と呼びます。
薬が多すぎると、薬物相互作用や副作用のリスクが高まります。特に高齢者で注意すべきは、降圧薬の効きすぎによる起立性低血圧(立ちくらみ)、それに伴う転倒・骨折、そして腎機能の低下です。厚生労働省の指針[8]でも、漫然とした多剤併用を避け、定期的に処方を見直すこと(減薬=Deprescribing)の重要性が指摘されています。
「お薬手帳」を一つにまとめ、かかりつけ医や薬剤師に「本当に全ての薬が必要か」を定期的に確認してもらう勇気が、安全な療養生活につながります。60歳以上の血圧目標値なども参考にしつつ、不安や精神的ストレスが血圧に与える影響も考慮しながら、総合的な管理を目指しましょう。
復職(職場復帰)と運転再開の目安
心筋梗塞や心臓手術といった大きな治療を乗り越えた後、「早く元の生活に戻りたい」という焦りや、「また発作が起きたらどうしよう」という不安が入り混じるのは、ごく自然なことです。特に「仕事」と「運転」は、社会生活の根幹であり、いつ再開できるかは重大な関心事です。
復職:焦らず、段階的に
退院後すぐに、以前と同じように満員電車で通勤し、フルタイムで働くことは、心臓に大きな負担をかけ、再発のリスクを高める可能性があります。日本循環器学会のリハビリガイドライン[5]では、段階的な社会復帰が強く推奨されています。
その判断基準となるのが、心臓リハビリで行う運動負荷試験(CPX:心肺運動負荷試験)や6分間歩行試験です。これらで「どの程度の負荷まで安全か」を客観的に評価し、それに基づいて復職プランを立てます。
- 第1段階: まずは通勤の練習から。ラッシュアワーを避ける。
 - 第2段階: 時短勤務や、デスクワークなどの軽作業から開始する。
 - 第3段階: 産業医や主治医と連携し、徐々に勤務時間を延ばし、業務内容を元に戻していく。
 
復職はゴールではありません。復職後も、ステント治療後の管理や服薬アドヒアランス(決められた通りに薬を飲むこと)、メンタルヘルス、睡眠の質を維持することが非常に重要です。
運転再開:自己判断は厳禁
運転は、一瞬の判断ミスや意識消失が重大な事故につながる行為です。心血管疾患、特に失神(意識消失)の既往がある場合や、重症の不整脈、急性冠症候群(心筋梗塞)の直後は、運転再開を慎重に判断する必要があります。
再開の時期は、病状や治療内容によって大きく異なります。例えば、英国NHSの実務情報[12]では、合併症のない心筋梗塞後、症状が安定していれば1週間程度で運転再開を考慮できる場合もあるとされていますが、これはあくまで一例です。日本では、個々の臨床判断が優先されます。
ペースメーカーやICD(植込み型除細動器)を植え込んだ場合も、デバイスの作動状況や基礎疾患の安定性を確認するまで、一定期間の運転制限が設けられます。心筋梗塞後の予後にも関わるため、必ず主治医の許可を得てから再開してください。
旅行(飛行機・高地)の注意点とDVT予防
治療が安定し、体力が回復してくると、「旅行に行きたい」という気持ちも湧いてきます。適切な準備さえすれば、心疾患患者さんでも旅行を楽しむことは十分可能です。ただし、「飛行機」と「高地」には特有のリスクがあります。
飛行機:低酸素とDVT(深部静脈血栓症)
飛行機旅行で注意すべき点は2つあります。
- 機内の低酸素環境: 旅客機の機内は、標高6,000~8,000フィート(約1,800~2,400m)の山にいるのと同程度の気圧に設定されています。米国CDCのYellow Book[11]によると、この環境では酸素分圧が地上より低下します。安定している心疾患患者さんには通常問題ありませんが、重症の心不全、コントロール不良の不整脈、最近の心筋梗塞や手術直後の場合は、低酸素が心臓に負担をかける可能性があります。
 - 深部静脈血栓症(DVT): いわゆる「エコノミークラス症候群」です。長時間同じ姿勢で座っていると、足の静脈に血栓(血の塊)ができやすくなります。この血栓が肺に飛ぶと、命に関わる肺塞栓症を引き起こすことがあります。DVTの予防は非常に重要です。
 
DVT予防のための機内対策
- 水分を十分に摂る(アルコールやカフェインは利尿作用があるため控える)
 - 1~2時間ごとに通路を歩く(通路側の席が便利)
 - 座ったまま、足首を回したり、かかとの上げ下げをしたりする
 - ゆったりとした服装を心がける
 - リスクが高い場合は、主治医に相談の上、弾性ストッキングの着用を検討する
 
また、時差ボケによる睡眠不足は血圧変動にもつながるため、服薬リズムの調整も含め、事前に主治医と旅行計画を共有しましょう。
高地:ゆっくりと順応
高地(一般的に2,500m以上)では、酸素がさらに薄くなります。急激に高地へ移動すると、心臓は酸素不足を補うためにより激しく働く必要があり、心不全症状が悪化したり、狭心症発作が起きやすくなったりします。CDC[14]は、高地順化のために3~5日かけて徐々に高度を上げることを推奨しています。決して無理なスケジュールを組まないことが肝心です。
手術前後(非心臓手術)の心血管管理
心疾患の治療中に、別の病気(例:胆石症、白内障、がん、整形外科疾患など)で手術(非心臓手術)が必要になるケースは少なくありません。この「手術前後(周術期)」は、心血管系の合併症(心筋梗塞や心不全など)が起こりやすい、非常にデリケートな時期です。
日本循環器学会の周術期管理ガイドライン[6]では、まず手術の緊急度と、患者さん自身の心血管リスク(病態の安定度、既往歴、運動耐容能など)を層別化することから始めます。安定している場合は、心電図や心エコーなどの基本検査で評価しますが、不安定な要素があれば、手術の前に心臓の追加検査や治療を優先することもあります。
最大の課題:抗血栓薬の中断
周術期管理における最大のジレンマは、抗血栓薬(血液をサラサラにする薬)の管理です。
- 外科医の視点: 手術中の出血リスクを減らすため、薬を「中止」してほしい。
 - 循環器内科医の視点: 薬を中止すると、ステント内血栓症や脳梗塞のリスクが急上昇するため、「継続」してほしい。
 
特に、冠動脈疾患でステント(PCI)治療を受けた直後に、抗血小板薬2剤併用療法(DAPT)を中断することは、ステント血栓症という致死的な合併症のリスクが極めて高いため、原則として避けなければなりません[7]。
このため、手術が緊急でない場合は、ステント留置から十分な期間(薬剤溶出性ステントで通常6ヶ月~1年)が経過するまで、待機的手術を延期するのが最善策です。どうしても手術が必要な場合は、循環器内科医、外科医、麻酔科医が緊密に連携し、DAPTの中断期間を最小限にする、あるいはヘパリンなどで一時的に代替(ブリッジング)するなどの戦略を、患者さん個々のリスクに応じて決定します。心臓手術そのものとは異なり、PCIやバイパス手術後の管理は、こうした他科との連携が非常に重要になります。
よくある質問(FAQ)と参考ガイドライン・用語集
これまで、妊娠中や高齢期といったライフステージ特有の心血管リスクや、日常生活での注意点について詳しく見てきました。さまざまな情報を知る中で、「自分のこの症状は大丈夫だろうか?」「聞いたことのない検査名を言われたが、どういう意味だろう」といった、新たな疑問や不安が生まれてくるかもしれません。
この最後のセクションでは、そうした疑問を解消するため、心血管疾患に関して患者さんから特によく寄せられる質問(FAQ)を取り上げ、日本の学会情報や国際的なエビデンスに基づいて、一つひとつ丁寧にお答えします。また、ご自身やご家族が参照できる信頼性の高い「主要ガイドライン」や、医師の説明を理解するために役立つ「重要な医学用語集」もご紹介します。
※本セクションで提供する情報は一般的な知識の整理であり、個別の医学的アドバイスに代わるものではありません。具体的な症状や治療方針については、必ず主治医にご相談ください。
よくある質問(FAQ)— エビデンスで答える
Q1. 胸痛が出たら、いつ「救急受診」を考えるべきですか?
これは最も重要で、判断に迷う質問の一つです。「胸が痛い」と感じたとき、それが「様子を見ても良い痛み」なのか、「一刻を争う痛み」なのかを見極めることは非常に難しいです。しかし、命に関わる心筋梗塞や急性冠症候群には、特徴的なサインがあります。
すぐに救急車(119番)を呼ぶべきサインは以下の通りです:
- 痛みの性質: 「象が乗っているような」圧迫感、「万力で締め付けられるような」痛み。チクチクやズキズキではなく、「重苦しい」感じが特徴です。
 - 持続時間: 痛みが15分以上続く場合。(数秒で消える痛みは、心筋梗塞の可能性は低いですが、他の病気の可能性はあります)
 - 随伴症状: 冷や汗(脂汗)、強い吐き気、息苦しさ、めまい、失神感を伴う場合。
 - 放散痛: 痛みが胸だけでなく、左腕の内側、顎(あご)、歯、背中、肩甲骨の間に広がる(放散する)場合。
 
これらの症状は、心臓の血管が詰まり、心筋が壊死し始めているサイン(急性冠症候群)である可能性が非常に高いです。英国の国民保健サービス(NHS)も、胸痛が突然現れ、腕や顎、背中に広がる場合は緊急事態であるとしています。一刻も早く血流を再開させる必要があり、心筋梗梗塞の兆候を見逃さないことが生死を分けます。迷った場合は、絶対に自分で運転しようとせず、すぐに救急車を呼んでください。
すべての胸痛が心臓由来ではありませんが、胸痛の原因は多岐にわたるため、危険なサインをまず除外することが最優先です。
Q2. 「胸痛=心臓」ではない? 見分けのポイントは?
その通りです。胸痛の原因は心臓(狭心症、心筋梗塞、大動脈解離、心膜炎など)以外にも、肺(気胸、肺塞栓)、消化器(逆流性食道炎)、骨・筋肉(肋間神経痛、胸壁痛)、皮膚(帯状疱疹)、さらには心因性(不安発作)まで、非常に多岐にわたります。
心臓由来の痛みの特徴は、Q1で述べた「圧迫感」「放散痛」に加え、「労作との関連性」があります。例えば、「階段を上ると胸が苦しくなるが、休むと数分で治まる」というのは、労作性狭心症の典型的な症状です。一方、「体をひねった時に痛む」「特定の場所を押すと強く痛む(圧痛)」場合は、心臓よりも骨や筋肉(胸壁)の痛みを示唆します。
しかし、これらの特徴はあくまで目安です。特に高齢者や糖尿病患者さんでは、典型的な胸痛が出ない(無痛性心筋梗塞)こともあります。英国NICEのガイドライン(CG95)では、胸痛の評価において、安易な自己判断を避け、心電図や血液検査(高感度トロポニン)、必要に応じて冠動脈CT(CCTA)などで客観的に評価することの重要性を強調しています。胸の違和感が続く場合は、循環器内科で相談してください。
Q3. 自宅血圧はどれくらいで「高血圧」なのですか?
健康診断で「血圧が高い」と指摘され、自宅での測定を勧められた方も多いでしょう。重要なのは、診察室での血圧と自宅での血圧では、「高血圧」とされる基準値が異なるという点です。
一般的に、診察室では緊張などから血圧が上がりやすいため(これは白衣高血圧とも呼ばれます)、自宅でリラックスして測る血圧(家庭血圧)の方が低く出る傾向があります。そのため、家庭血圧の基準値は診察室の基準値よりも「5 mmHg」低く設定されています。
- 診察室血圧: 140 / 90 mmHg以上で「高血圧」
 - 家庭血圧: 135 / 85 mmHg以上で「高血圧」
 
英国のNICEガイドライン(NG136)でも、家庭血圧の平均値が135/85 mmHg以上であれば高血圧の治療を考慮するよう推奨しています。大切なのは、正しい方法で血圧を測定し(例:朝晩2回、安静にしてから測定)、その平均値を記録して医師と共有することです。厚生労働省のe-ヘルスネットにも基礎知識がまとめられています。
Q4. 塩分はどれくらい減らすと心血管リスクに効きますか?
減塩が血圧を下げることは広く知られていますが、「どれくらい減らせば、どれくらい効くのか」は重要な関心事です。多くの大規模研究(メタ解析)が、減塩が血圧を有意に低下させることを示しています。さらに、単なる減塩だけでなく、食塩中のナトリウムをカリウムに置き換えた「減塩調味料(カリウム塩)」の使用が、脳卒中や主要な心血管イベントを減少させることも示されています。
日本の高血圧治療ガイドラインでは、高血圧患者さんの減塩目標を「1日6g未満」とすることを強く推奨しています。これは、日本人の平均食塩摂取量(約10g)よりもかなり低い目標ですが、達成できれば確実な降圧効果が期待できます。ただし、腎機能が悪い方など、カリウム摂取に注意が必要な場合もありますので、具体的な減塩・栄養指導は主治医や管理栄養士と相談して決めることが重要です。
Q5. LDL、HDL、中性脂肪… 健康診断で結局「どれ」を見れば良いですか?
脂質異常症の検査結果には多くの項目があり、混乱しやすいポイントです。これらはすべて重要ですが、それぞれ動脈硬化における「役割」が異なります。
- LDLコレステロール(悪玉): これが動脈硬化の主な原因物質です。多すぎると血管の壁に蓄積し、プラーク(粥腫)を作って血管を狭めます。厚生労働省のe-ヘルスネットでも解説されている通り、まずはこのLDL値を管理することが最優先されます。
 - HDLコレステロール(善玉): こちらは血管の壁に溜まった余分なコレステロールを回収し、肝臓に戻す「掃除屋」の役割をします。そのため、HDL値は低いこと(一般に40 mg/dL未満)がリスクとなります。
 - 中性脂肪(トリグリセリド): 主にエネルギー源として使われますが、高すぎると(空腹時150 mg/dL以上)動脈硬化のリスクを高め、またHDL(善玉)を減らすことにも繋がります。
 
日本動脈硬化学会(JAS)の動脈硬化性疾患予防ガイドライン2022年版では、これら脂質の管理目標値は、その人の持つ他のリスク(高血圧、糖尿病、喫煙歴、家族歴など)によって細かく分類されています。したがって、「どの項目も」重要であり、医師が個々のリスクに応じてどの数値を最優先で管理すべきかを判断します。
Q6. コレステロールの薬(スタチンなど)はどう使い分けますか?
脂質異常症の薬物治療において、基本となるのは「スタチン」です。スタチンは肝臓でのコレステロール合成を強力に抑え、LDL(悪玉)コレステロールを確実に低下させる効果があり、心筋梗塞や脳卒中の予防効果に関する豊富なエビデンスがあります。
しかし、スタチンを最大量使用しても目標値まで下がらない場合や、副作用でスタチンが使えない場合には、他の薬を併用・変更します。例えば、「エゼチミブ」は小腸でのコレステロール吸収を抑える薬で、スタチンと併用することで、さらにLDL値を下げることができます。
それでも管理が難しい重症の患者さん(家族性高コレステロール血症など)には、数週間または半年に一度の注射薬である「PCSK9阻害薬」が使われることもあります。これは非常に強力にLDL値を下げる薬です。英国NICEのガイドライン(NG238)でも、まずはスタチンから開始し、リスクに応じてこれらの薬剤を追加していく「治療強度」の考え方が示されています。どの薬を選択するかは、個々のリスク評価に基づき決定されます。
Q7. 心不全では「新しい薬」があると聞きましたが、どのようなものですか?
心不全とは、心臓のポンプ機能が低下し、全身に必要な血液を送れなくなったり、体に水分が溜まったり(うっ血)する状態を指します。従来は利尿薬やACE阻害薬、β遮断薬などが治療の中心でした。
近年、心不全治療は大きく進歩しており、特に「SGLT2阻害薬」という種類の薬が注目されています。この薬はもともと糖尿病の治療薬として開発されましたが、その後の大規模な臨床試験で、糖尿病の有無にかかわらず、心不全患者さんの心血管死や入院を減らす効果が示されました。SGLT2阻害薬は、尿から糖を排出させることで利尿作用や心臓への負荷軽減、代謝改善など、多面的なメカニズムで心臓を保護すると考えられています。
最新の日本循環器学会 2025年改訂版 心不全診療ガイドラインにおいても、SGLT2阻害薬は、心臓の収縮力(駆出率)が低下した心不全(HFrEF)の基盤治療薬の一つとして強く推奨されています。心不全治療の選択肢は増えており、新しいガイドラインに基づいた最適な治療を受けることが重要です。
Q8. 不整脈(心房細動)は脳梗塞と関係がありますか?
はい、深く関係しています。心房細動は、心房が不規則に細かく震える不整脈です。これにより心房内の血流がよどみ、血の塊(血栓)ができやすくなります。その血栓が心臓から脳に飛んでいくと、太い血管を詰まらせ、重篤な脳梗塞(心原性脳塞栓症)を引き起こす可能性があります。
心房細動による脳梗塞は、他のタイプの脳梗塞と比べて後遺症が重くなりやすいことが知られています。そのため、心房細動と診断された場合、脳梗塞を予防するために「抗凝固薬(血液をサラサラにする薬)」を内服する必要があるかを評価します。英国NICEのガイドライン(NG196)では、年齢や他のリスク因子(高血圧、糖尿病、心不全、脳卒中既往など)に基づいてリスクをスコア化し、抗凝固療法の必要性を判断します。動悸を感じたら、まずはご相談ください。
Q9. 心臓弁膜症の治療は手術だけですか? カテーテル治療(TAVIなど)とは何ですか?
かつて心臓弁膜症の治療は、胸を大きく開ける外科手術(弁置換術や弁形成術)が主流でした。しかし近年、特に大動脈弁狭窄症に対しては、カテーテルを用いた低侵襲治療「TAVI(タビ:経カテーテル大動脈弁留置術)」が急速に普及しています。
TAVIは、足の付け根の血管などからカテーテルを挿入し、硬くなった古い大動脈弁の内側に、新しい人工弁を押し広げて留置する治療法です。開胸手術に比べて体への負担が格段に少ないため、高齢や他の病気(併存疾患)のために外科手術のリスクが高いと判断された患者さんにとって、重要な選択肢となっています。大動脈弁狭窄症の治療適応は、日本循環器学会の弁膜症ガイドラインで、年齢やリスクを考慮して詳細に定められています。
Q10. 心臓リハビリはどのような人が対象ですか?
心臓リハビリテーション(心リハ)は、心筋梗塞、狭心症、心不全、心臓手術後(バイパス手術や弁膜症手術後など)の患者さんを対象とした、包括的なプログラムです。
単なる運動療法だけでなく、病気の再発予防のための食事指導、服薬指導、ストレス管理、禁煙指導などのカウンセリングも含まれます。心リハの目的は、体力を回復させて早期に社会復帰を果たすこと、病気への不安を取り除くこと、そして最も重要なのは、再発や再入院、死亡リスクを減らすことです。多くの研究が、心リハが患者さんのQOL(生活の質)と生命予後を改善することを示しており、ガイドラインでも強く推奨されています。
参考ガイドライン(日本/国際)— 信頼できる情報の探し方
心血管疾患の治療は日々進歩しており、その多くは「診療ガイドライン」に基づいています。これは、多くの臨床研究の結果を専門家が分析し、現時点で最も推奨される診断や治療法をまとめた指針です。ご自身の状態を理解する上で、これらの情報源を知っておくことは非常に有益です。
日本の主要ガイドライン(学会・政府)
日本の臨床現場で最も重視されるガイドラインです。
- 日本循環器学会 2025年改訂版 心不全診療ガイドライン: 心不全治療の最新の考え方、薬物療法(SGLT2阻害薬など)の位置づけが示されています。(ガイドライン本文)
 - 日本循環器学会 弁膜症治療のガイドライン(2020): TAVI(経カテーテル大動脈弁留置術)など、弁膜症の外科手術とカテーテル治療の適応を整理しています。(ガイドライン本文)
 - 日本動脈硬化学会 動脈硬化性疾患予防ガイドライン2022年版: 脂質異常症や高血圧のリスク評価と管理目標値が示されています。(ガイドライン本文)
 - 厚生労働省 e-ヘルスネット: 一般の方向けに、高血圧、脂質、喫煙などの健康情報を分かりやすく解説しています。(トップページ)
 
国際ガイドライン(参考)
世界の治療方針に影響を与えるガイドラインです。
- NICE (英国国立医療技術評価機構) NG238:脂質管理(2023): 脂質管理について、日本のような「目標値」設定よりも、「治療強度(どの薬をどれだけ使うか)」を重視する考え方を示しています。(ガイドライン本文)
 - NICE (英国) CG95:胸痛(2010, 2019更新): 胸痛の評価方法、特に冠動脈CT(CCTA)の役割について詳細に規定しています。(ガイドライン本文)
 
心血管疾患の主要用語集
医師の説明や検査結果を理解するために、よく使われる基本的な用語を解説します。これらの用語を理解することは、ご自身の状態を把握し、治療に主体的に参加するために役立ちます。
- LDLコレステロール(LDL-C)
 - いわゆる「悪玉コレステロール」。肝臓から全身へコレステロールを運びますが、増えすぎると血管の壁に蓄積し、動脈硬化を引き起こす主な原因となります。健康診断ではこの数値の管理が非常に重要視されます。
 - HDLコレステロール(HDL-C)
 - いわゆる「善玉コレステロール」。全身の余分なコレステロールを回収して肝臓に戻す働きがあり、動脈硬化を防ぐ方向に作用します。運動不足や喫煙で減少しやすく、低い値(40 mg/dL未満)が問題となります。
 - 中性脂肪(トリグリセリド:TG)
 - 体内の主要なエネルギー貯蔵形態ですが、過剰になると(特に空腹時150 mg/dL以上)、動脈硬化のリスクを高めたり、HDL(善玉)コレステロールを減少させたりします。アルコールの飲み過ぎや糖質の摂りすぎで上昇しやすい特徴があります。
 - BNP / NT-proBNP
 - 心臓、特に心室に負担がかかると心筋から分泌されるホルモンです。血液検査でこの数値が高い場合、心不全の存在や重症度を強く示唆します。息切れなどの症状が心不全によるものかを鑑別するのに役立ち、治療効果の判定にも用いられます。BNPは心臓の状態を反映する重要な指標です。
 - ホルター心電図
 - 24時間装着する携帯型の小型心電計です。病院での短時間の心電図検査では捉えられない、日常生活中の不整脈(動悸の原因)や狭心症の発作(一過性の心電図変化)を検出するために行います。ホルター心電図は、症状の原因を特定する上で非常に有力な検査です。
 - PCI(経皮的冠動脈インターベンション)
 - カテーテル(細い管)を使って、狭くなったり詰まったりした心臓の冠動脈を内側から広げる治療法です。手首や足の付け根からカテーテルを挿入し、風船(バルーン)で狭窄部を広げたり、ステントと呼ばれる金属の網を留置して血管を支えたりします。心筋梗塞の緊急治療や、狭心症の症状改善に広く行われます。
 - CABG(キャベッジ:冠動脈バイパス術)
 - 心臓外科手術の一つです。狭窄部や閉塞部を迂回する新しい血管(バイパス)を、体の他の場所(内胸動脈や足の静脈など)から採取して繋ぎ、心筋への血流を確保します。一般的に、PCI(カテーテル治療)が困難なほど病変が複雑な場合(例:多くの血管が詰まっている、左主幹部という大元の血管が狭い、糖尿病を合併しているなど)に選択されます。
 - TAVI(タビ:経カテーテル大動脈弁留置術)
 - 重症の大動脈弁狭窄症に対するカテーテル治療です。高齢や他の病気のために体力が低下し、従来の開胸手術(大動脈弁置換術)のリスクが高いと判断された患者さんに対して、カテーテルを用いて新しい人工弁を心臓に留置する治療法です。体への負担が少ないため、急速に普及しています。
 
受診が必要な症状(緊急時の赤旗サイン)
心血管疾患の中には、一刻を争う緊急事態があります。以下の症状(赤旗サイン)が現れた場合は、自己判断で様子を見たり、自分で車を運転したりせず、直ちに救急車(119番)を要請してください。
これらのサインは、心筋梗塞、大動脈解離、重度の心不全など、命に直結する状態を示唆している可能性があります。
- 突然の、または持続する胸の痛み・圧迫感: 特に「締め付けられる」「象が乗っている」ような強い圧迫感が15分以上続く場合。
 - 痛みの広がり(放散痛): 胸痛が左腕、両腕、顎、首、背中に広がる場合。
 - 胸痛以外の随伴症状: 冷や汗(脂汗)、強い吐き気・嘔吐、極度の息苦しさ、めまい、意識が遠のく感じを伴う場合。
 - 突然の激しい背中の痛み: 「引き裂かれるような」と表現されるほどの激烈な胸背部痛は、大動脈解離の可能性があります。
 - 急激な呼吸困難や浮腫(むくみ): 横になると息が苦しくて眠れない(起座呼吸)、数日で急激に足がむくみ体重が増えた、といった症状は、重症心不全の悪化サインかもしれません。
 
これらの症状がない場合でも、労作時(階段を上る、重いものを持つなど)に決まって胸が苦しくなり、休むと数分で治まる場合は、狭心症の可能性があります。その場合も、放置せずに早めに循環器内科を受診してください。
まとめ:心血管疾患と賢く向き合うために
この記事では、心血管疾患の基本から、症状、危険因子、診断、そして高血圧、脂質異常症、虚血性心疾患、不整脈、心不全、弁膜症といった主要な病気の治療と管理、さらにはライフステージ別の注意点までを包括的に解説してきました。
心血管疾患と賢く向き合うために、以下の点を心に留めておくことが重要です。
- 「沈黙の病気」を管理する: 心血管疾患の最大の危険因子である高血圧や脂質異常症は、自覚症状がないまま進行します。健康診断の結果を放置せず、日々の血圧測定や生活習慣の改善(減塩、運動、禁煙)に取り組むことが、予防の第一歩です。
 - 「赤旗サイン」を見逃さない: 突然の胸痛、息切れ、冷や汗、放散痛は、心筋梗塞などの緊急事態のサインかもしれません。「様子を見よう」とためらわず、すぐに救急車を呼ぶ勇気が命を救います。
 - 治療は日々進歩している: かつては大きな手術が必要だった病気も、PCI(カテーテル治療)やTAVI(経カテーテル弁治療)のように、体への負担が少ない治療が可能になっています。また、心不全のSGLT2阻害薬など、新しい治療薬も次々と登場しています。諦めずに最新の治療情報を主治医と共有することが大切です。
 - 生涯を通じたパートナーシップ: 心血管疾患の多くは、一度治療したら終わりではなく、生涯にわたって管理を続ける必要があります。信頼できる主治医を見つけ、二人三脚でご自身の心臓と血管を守っていくという意識を持ちましょう。
 
心血管疾患の真実を知り、正しい知識を持つことが、不安を減らし、より良い健康な未来を選択するための最大の力となります。
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