【臨床心理士監修】受動的攻撃(パッシブアグレッシブ)のすべて|原因・兆候から科学的対処法、日本文化との関連まで徹底解説
精神・心理疾患

【臨床心理士監修】受動的攻撃(パッシブアグレッシブ)のすべて|原因・兆候から科学的対処法、日本文化との関連まで徹底解説

現代社会、特に調和を重んじる日本の組織や家庭において、多くの人々が「言葉にされない不満」や「理由のわからない不機嫌」といった、漠然とした人間関係のストレスに悩まされています。職場の同僚が浮かべる冷ややかな笑み、家庭内で続く重苦しい沈黙。これらの背後には、しばしば「受動的攻撃(パッシブアグレッシブ)」と呼ばれる心理的な行動パターンが存在します。しかし、その正体は曖昧にしか理解されておらず、多くの人々が効果的な対処法を知らないまま、疲弊しているのが現状です。その不可解な行動の裏には、実は「受動的攻撃」という名の、声なきSOSが隠されているのかもしれません。本記事は、この読者の「痛み」を根本から解決することを目的とし、受動的攻撃行動とは何か、その原因はどこにあるのか、そして私たちはそれにどう向き合えばよいのか、最新の心理学研究と臨床知見に基づいた明確な答えと、具体的な解決策を提示する羅針盤となることを目指します。

この記事の科学的根拠

この記事は、引用されている入力研究報告書に明示的に記載されている、最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下の一覧には、実際に参照された情報源のみが含まれており、提示された医学的指導との直接的な関連性も示されています。

  • アメリカ精神医学会(APA): この記事における受動的攻撃性パーソナリティ障害の歴史的変遷に関する記述は、精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)を発行するアメリカ精神医学会の定義に基づいています。
  • Signe Whitson, L.S.W.: 受動的攻撃行動への具体的な対処法として紹介されている「穏やかな対決(Benign Confrontation)」は、ソーシャルワーカーでありこの分野の専門家であるSigne Whitson氏の著作で提唱された理論に基づいています。
  • Lorna Smith Benjamin, PhD: 受動的攻撃の深層心理的な原因、特に幼少期の体験が成人後の対人関係に与える影響についての解説は、対人関係再構成療法(IRT)の開発者であるLorna Smith Benjamin博士の「コピープロセス」理論に基づいています。
  • 日本の学術団体(日本精神神経学会, 日本心理学会など): 日本の文化的背景と受動的攻撃行動との関連性についての考察は、これらの学会で発表されたひきこもりやアサーションに関する研究を参照しています。

要点まとめ

  • 受動的攻撃とは、怒りや不満を直接言葉にせず、意図的な遅延、皮肉、無視などの間接的な行動で示すコミュニケーション戦略です。
  • かつては「パーソナリティ障害」の一種とされていましたが、最新の診断基準(DSM-5)では独立した病名ではなく、誰もが陥る可能性のある「行動パターン」と理解されています。
  • 主な原因には、感情表現を抑制された幼少期の家庭環境、対立への恐怖、権威への無力な抵抗感、うつ病などの心理的問題が挙げられます。
  • 他者の受動的攻撃には、感情的に反応せず、非難せずに事実と影響を伝える「穏やかな対決」が有効です。自身の傾向には、感情の自覚とアサーティブ・コミュニケーションの習得が重要です。
  • 「空気を読む」日本の文化は受動的攻撃を生みやすい側面もありますが、相手への配慮を組み込んだ「和のアサーション」を身につけることで、健全な人間関係を築くことが可能です。

受動的攻撃(パッシブアグレッシブ)とは何か?―専門的定義と歴史的変遷

あなたの周りで起こる「もやもや」する人間関係の問題を理解するためには、まず「受動的攻撃」という概念を正確に知ることが不可欠です。これは単なる「嫌な態度」ではなく、特定の心理的メカニズムに基づいた行動なのです。

怒りの間接的な表現:その中核的メカニズム

受動的攻撃行動とは、怒り、不満、敵意といった否定的な感情を直接的に表現することを避け、意図的な仕事の遅延、皮肉、沈黙といった間接的・消極的な行動を通じて示すことであると、多くの専門機関では定義されています12。言葉で「はい」と答えながらも行動が伴わない、あるいは言葉とは裏腹の態度で不快感を示すのが典型的なパターンです。この行動の核心には、「直接対決を避けたい」という恐怖と、「しかし自分の不満には気づいてほしい」という相反する欲求の葛藤が存在します3

誤解されがちな「パーソナリティ障害」との関係

受動的攻撃について語る上で、専門的に最も重要な点は、これが現在では独立した「精神疾患」とは見なされていないということです。かつてアメリカ精神医学会(APA)が発行する「精神障害の診断と統計マニュアル(DSM)」において、「受動攻撃性パーソナリティ障害(Passive-Aggressive Personality Disorder, PAPD)」という診断名が存在した時期がありました。しかし、その後の研究で、この特性が多くの他のパーソナリティ障害やうつ病などにも見られること、また特定の状況下では健常者にも現れることから、診断基準としての妥当性が疑問視されるようになりました4。その結果、最新版であるDSM-5では、独立したパーソナリティ障害の分類からは削除されています5。これは、受動的攻撃を特定の人の「病的な性格」と決めつけるのではなく、誰もが状況によって陥る可能性のある「不適応な行動パターン」として捉えるべきだという、現代の精神医学的なコンセンサスを反映しています。一方で、世界保健機関(WHO)の国際疾病分類(ICD-10)では、「他の特定のパーソナリティ障害」のカテゴリーに受動的攻撃的な特性が含まれており、専門家の間でもその位置づけには議論が続いています5

表1:診断基準における受動的攻撃性パーソナリティ障害(PAPD)の歴史的変遷
診断基準 (発行年) PAPDの扱い 主な特徴の記述
DSM-III-R (1987) 軸IIパーソナリティ障害として正式に記載 先延ばし、頑固さ、意図的な非効率性など、社会的・職業的機能における受動的な抵抗の広範な様式。5
DSM-IV (1994) 「今後の研究のための基準案」として付録に移動 要求される課題に対する拒絶的な態度と受動的な抵抗の広範な様式。5
DSM-5 (2013) 正式な診断分類からは削除 独立した診断カテゴリーとしては認められず。「他の特定されるパーソナリティ障害および特定不能のパーソナリティ障害」に含めうる。5
ICD-10 「他の特定のパーソナリティ障害(F60.8)」に分類 「受動的-攻撃的パーソナリティ障害」という名称が含まれる場合がある。5

あなたや周りの人は大丈夫?受動的攻撃行動の具体的な兆候

受動的攻撃は、巧妙かつ間接的に行われるため、受け手は「何かおかしい」と感じつつも、その正体を明確に指摘することが難しい場合があります。以下のチェックリストは、職場や家庭など、日常生活の様々な場面で見られる具体的な兆候をまとめたものです。あなた自身や周りの人の行動を客観的に振り返るための一助としてください。

表2:受動的攻撃行動の兆候チェックリスト
カテゴリ 具体的な行動例
皮肉やあいまいな批判 ・褒めているように見せかけて、トゲのある言葉を言う。(例:「(棒読みで)すごいですね」「あなたにしては、よくできましたね」)
・「普通はこうしますよね?」「常識的に考えて…」と、個人の意見を一般論にすり替えて批判する6
意図的な非効率・サボタージュ ・頼まれた仕事をわざと遅らせる、または忘れたふりをする7
・重要な情報を意図的に伝えない、または不完全な形で伝える。
・「忘れていました」「知りませんでした」という言い訳を繰り返す。
沈黙・無視 ・不満がある時に、その理由を言わずに完全に沈黙する(ストーンウォーリング)1
・意図的にメールの返信をしない、電話に出ない。
・挨拶を無視したり、特定の人物を会話の輪から意図的に外したりする。
不機嫌な態度(非言語的攻撃) ・わざと聞こえるように大きなため息をつく8
・舌打ちをする、ドアを強く閉める、物を乱暴に置くなど、音を立てて不満を示す。
・常に不機嫌な表情を浮かべているが、理由を尋ねると「別に何でもない」と答える。
責任転嫁・被害者意識 ・自分のミスや遅延を、他人のせいや不運のせいにする。(例:「〇〇さんがもっと早く言ってくれれば…」)
・「自分はいつも正当に評価されていない」「誰も自分のことを分かってくれない」と不平を言う6

危険度を測る5つのレベル:Whitson博士による重症度分類

ソーシャルワーカーであり、この分野の専門家であるSigne Whitson氏は、その著書『The Angry Smile』の中で、受動的攻撃行動をその深刻度に応じて5つのレベルに分類しています910。この分類は、行動の危険性を理解し、適切な対処法を考える上で非常に有用です。

  • レベル1:一時的な追従(Verbal Compliance)
    言葉では同意・承諾するものの、行動が伴わない。最も一般的で軽度なレベル。(例:「はい、やります」と返事しつつ、先延ばしにする)
  • レベル2:意図的な非効率(Intentional Inefficiency)
    わざと時間をかけたり、ミスをしたりして、相手の足を引っ張る。先延ばしよりも積極的な妨害の意図がある。(例:わざと質の低い仕事をして、相手に手直しさせる)
  • レベル3:問題の放置(Letting a Problem Escalate)
    問題に気づいていながら、それを報告せず、事態が悪化するのを傍観する。相手が困ることで、間接的に復讐を果たす。(例:プロジェクトの重大な欠陥に気づきながら、締め切り直前まで黙っている)
  • レベル4:隠された復讐(Hidden, Revengeful Compliance)
    相手の権威を利用して、相手自身を傷つける。より巧妙で悪意のあるレベル。(例:「部長のご指示通りにやりました」と言って、明らかに失敗するであろう指示を忠実に実行し、責任を上司に負わせる)
  • レベル5:自己破壊(Self-Depreciation)
    相手を困らせるために、自分自身を傷つける行動をとる。最も深刻で危険なレベル。(例:重要なプレゼンテーションの当日に「病気で」欠席し、チーム全体を窮地に陥れる)

なぜ人は受動的攻撃的になるのか?―科学が解き明かす4つの原因

受動的攻撃行動は、単なる「意地悪な性格」から生じるものではありません。その背景には、個人の生育歴や心理的特性、置かれた環境などが複雑に絡み合った、根深い原因が存在します。科学的な知見は、主に4つの要因を指摘しています。

原因1:幼少期の家庭環境と「コピープロセス」

最も根源的な原因として、多くの専門家が指摘するのが幼少期の家庭環境です11。怒り、悲しみ、反論といった否定的な感情を子どもが表現した際に、親がそれを無視したり、罰したり、あるいは親自身が感情を抑圧する姿を見せたりする環境で育つと、子どもは「感情を直接表現することは危険だ」「受け入れられない」と学習します。臨床心理学の権威であるLorna Smith Benjamin博士は、このメカニズムを「コピープロセス」理論で説明しています1213。これは、幼少期の重要な他者(主に親)との関係パターンを、無意識のうちに成人後の人間関係で再現してしまうプロセスです。

  • 内在化(Introjection): かつて親からされたように、自分自身を扱う。例えば、感情を抑圧する親に育てられた人は、成人後も自分の感情を「取るに足らないもの」として抑圧しがちになります。
  • 同一化(Identification): かつての親のように、他者に振る舞う。例えば、親が皮肉で子どもをコントロールしていた場合、その子どもは成人後に自分の部下やパートナーに対して同じように皮肉を用いることがあります。
  • 反復(Recapitulation): まるで親がまだそこにいるかのように、他者に対して振る舞う。親の顔色をうかがって本音を言えなかった人は、上司やパートナーに対しても同じように、直接的な要求を避け、間接的な態度で不満を示そうとします。

このように、受動的攻撃は、安全に感情を表現する方法を学ぶ機会がなかった人が、不満を伝え、かつ自分を守るために無意識に身につけた、歪んだ自己表現の戦略なのです14

原因2:対立への極度の恐怖と回避

直接的な対立や口論を、何としてでも避けたいという強い欲求も、受動的攻撃の大きな引き金となります15。彼らは、自分の意見を率直に述べることで相手を怒らせたり、関係が気まずくなったり、拒絶されたりすることを極度に恐れています。しかし、不満や反論の気持ちが消えるわけではありません。その結果、対立のリスクが低い、より「安全」な間接的・消極的な方法で不満を漏洩させることを選ぶのです。

原因3:権威や支配への無力な抵抗

この行動様式は、もともと第二次世界大戦中の米軍において、上官の絶対的な命令に直接反抗できない兵士たちの抵抗手段として注目されたという歴史的背景があります5。現代においても、職場や家庭など、自分ではコントロールが難しいと感じる力関係の中に置かれた時、受動的攻撃は「無力な者の最後の抵抗手段」として現れることがあります7。自分の意見が聞き入れられない、正当な評価を受けていないと感じる時、正面から反論する力はないが、せめてもの抵抗としてサボタージュや非協力的な態度をとることで、密かに権威に一矢報いようとするのです。

原因4:関連する心理的問題(うつ病・不安など)

受動的攻撃行動は、それ自体が独立した問題であるだけでなく、他の心理的な問題の兆候として現れることも少なくありません。特に、うつ病との関連は複数の研究で指摘されています16。うつ病に特徴的な自己肯定感の低下、無力感、悲観的な思考パターンは、他者と対等なコミュニケーションをとる自信を奪います。その結果、自分の要求を健全に主張することができず、不満を内に溜め込み、それが間接的な形で表出されるのです。また、社交不安障害など、他者からの評価を過度に気にする傾向も、直接的な自己表現を妨げ、受動的攻撃行動につながる一因となり得ます。

【実践編】受動的攻撃への科学的アプローチ

受動的攻撃行動は、される側にとっても、する側にとっても、人間関係を蝕む深刻な問題です。しかし、これは改善不可能な性格の問題ではありません。科学的知見に基づいた適切なアプローチにより、この破壊的なサイクルを断ち切ることは可能です。ここでは、「相手の行動に対処する方法」と「自分自身の傾向を克服する方法」の二つの側面に分けて、具体的なステップを解説します。

Part 1:相手の受動的攻撃に振り回されないための対処法

相手の不可解な言動に、これ以上心をすり減らさないために。感情的な消耗戦を避け、冷静かつ建設的に状況を改善するための戦略を紹介します。

Step 1: 感情的に反応せず、行動を冷静に認識する

最も重要な第一歩は、相手の挑発に乗らないことです。皮肉や不機嫌な態度に対して、怒りや苛立ちで応酬することは、相手の思うつぼです。受動的攻撃を行う人は、しばしば相手を感情的に引きずり込み、対立の責任を相手に転嫁しようとします2。深呼吸をし、「これは私個人への攻撃ではなく、相手が自分の感情をうまく処理できずにいることの表れだ」と捉え直しましょう。問題と個人を切り離して考えることが、冷静さを保つ鍵です。

Step 2: Whitson博士の「穏やかな対決(Benign Confrontation)」

Signe Whitson氏が提唱する「穏やかな対決」は、相手を非難することなく、問題行動そのものに焦点を当てる極めて有効なコミュニケーション手法です17。これは、行動のパターンを認識し、怒りの感情を認めつつも、その表現方法について建設的な対話を促すことを目的とします。

  1. 行動パターンを認識する:一度きりの出来事ではなく、繰り返されるパターンであることに気づく。
  2. 対立サイクルに乗らない:感情的な反応をせず、冷静さを保つ。
  3. 怒りを肯定する:相手の隠された怒りの感情そのものは、正当なものかもしれないと認める。(例:「あなたが腹を立てるのも無理はないかもしれません」)
  4. 否定に対処する:相手が「怒っていない」と否定しても、「そうですか。しかし、あなたの行動(事実)は、私にはこう見えました」と、あくまで自分の観察を伝える。
  5. 考えを再訪する:一度距離を置き、相手が自分の感情と向き合う時間を与える。
  6. 有能な領域を特定する:相手が直接的かつ建設的に自己主張できた際には、その行動を積極的に評価する。

重要なのは、「あなたはいつも遅い(You-Message)」と非難するのではなく、「あなたが締め切りに間に合わないと(客観的な事実)、私はプロジェクトの次の工程に進めず困ってしまう(I-Message)」というように、非難せずに事実と自分への影響(I-Message)を伝えることです。

Step 3: ニュートラルな言葉で意図を直接的に確認する

相手の曖昧な言動の裏に隠された、本当の要求や感情を推測し、それを言語化して返すことも有効な場合があります2。「あなたが黙ってしまうということは、もしかしてこの提案に納得していないということかな?」「何か懸念があれば、教えてもらえると助かるのだけど」といったように、決めつけずに、かつ思いやりのある形で質問します。これにより、相手は「察してもらえた」と感じ、防御的な態度を解いて本音を話しやすくなる可能性があります。

Part 2:自分自身の受動的攻撃的な傾向を克服する方法

もし、自分自身にこれらの傾向があると感じるなら、それは大きな気づきであり、変化への重要な第一歩です。自己嫌悪に陥る必要はありません。これは学習によって改善できるコミュニケーションのスキルなのです。

Step 1: 自分の感情と言動を自覚する(ジャーナリングなど)

まずは、自分がどのような状況で、どのような相手に対して、受動的攻撃的な行動をとりがちかを自覚することが不可欠です18。怒りや不満、不安を感じた時に、それを言葉にする代わりに、どのような態度(沈黙、先延ばし、皮肉など)をとってしまったかを、日記やメモに客観的に書き出してみましょう。感情とその結果としての行動を結びつけて認識することが、パターンを断ち切るための土台となります。

Step 2: アサーティブ・コミュニケーションを学ぶ

健全な自己表現のためには、アサーティブ・コミュニケーションのスキル習得が最も重要です18。アサーティブとは、攻撃的(Aggressive)でもなく、非主張的(Non-assertive)でもない、第三の選択肢です。これは、自分自身の意見、感情、要求を、相手の権利を侵害したり軽視したりすることなく、誠実かつ率直に、そして対等な立場で表現するスキルです。特に、主語を「あなた」ではなく「私」にする「アイ・メッセージ(I-Message)」は基本中の基本です。

  • 非主張的:「(自分の意見は言わずに)まあ、それでいいんじゃないですか…」(不満を溜め込む)
  • 攻撃的:「なぜそんなことも分からないんだ!普通はこうだろう!」(相手を非難する)
  • アサーティブ:「私はその意見とは少し違っていて、このように考えています。理由としては…」(自分の意見を冷静に伝える)

Step 3: 専門家の助けを求める(カウンセリング・心理療法)

自分一人の力でパターンを変えることが難しい場合、専門家の助けを求めることは非常に賢明な選択です。認知行動療法(CBT)は、受動的攻撃の引き金となる否定的な思考パターン(例:「反対意見を言ったら嫌われる」)を特定し、より現実的で建設的な思考に置き換える手助けをします。また、対人関係療法(IPT)は、現在の対人関係の問題に焦点を当て、より良いコミュニケーションのあり方を実践的に学びます。問題の根がより深い幼少期の体験にある場合は、前述したLorna Smith Benjamin博士の対人関係再構成療法(IRT)のような、より深層にアプローチする心理療法が有効な選択肢となることもあります19

【日本文化と受動的攻撃】「察する文化」がもたらす影響と独自の処方箋

受動的攻撃行動は世界共通の現象ですが、その現れ方や容認されやすさには、文化的な背景が色濃く影響します。特に、日本の文化特性はこの行動と深い関連性を持っています。

「本音と建前」「空気を読む」文化との根深い関連性

「和を以て貴しとなす」という価値観が社会の基盤にある日本では、集団の調和を乱す可能性のある直接的な対立や、否定的な感情の露骨な表現は、しばしば未熟な行為として敬遠されます20。このような「本音と建前」を使い分けることや、言葉にされない相手の意図を「察する」ことがコミュニケーション能力の高さとされる文化(ハイコンテクスト文化)は、ネガティブな感情を直接言葉にするハードルを上げます21。その結果、不満や反論があっても、それをストレートに伝える代わりに、「態度で示す」「遠回しに気づかせる」といった受動的攻撃的な表現方法が、ある種のコミュニケーション戦略として選択されやすくなる土壌が存在するのです。また、この行動が「ひきこもり」の精神病理と関連している可能性も、日本の精神医学会で議論されています22

日本の対人関係で有効な「和のアサーション」

このような文化的背景を考慮すると、西洋で開発された直接的な自己主張のスタイルが、そのまま日本のすべての人間関係で最適とは限りません。そこで重要になるのが、日本の文脈に合わせて調整された「和のアサーション」です。これは、アサーティブ・コミュニケーションの核である「誠実・率直・対等」の精神はそのままに、相手への配慮を表現に組み込むことで、より受け入れられやすくする工夫です。

  • クッション言葉を使う:自己主張の前に、相手の意見や感情を受け止める言葉を添える。(例:「おっしゃることも、よく分かります。その上で、私の考えとしましては…」「ご意向に沿えず申し訳ないのですが、今回は…」)
  • 肯定的な依頼形にする:「~しないでください」という否定形ではなく、「~していただけると、大変助かります」という肯定的な依頼の形をとる。
  • 代替案を添える:単に反対・拒否するだけでなく、「その案は難しいのですが、代わりにこのような方法はいかがでしょうか」と、対話の扉を開く代替案を提示する。

これらの工夫は、相手との対立を避けながらも、自分を犠牲にしないための、日本の社会で生きる私たちにとって極めて実践的な知恵と言えるでしょう。

結論

受動的攻撃行動は、職場や家庭における目に見えないストレスの大きな源泉であり、私たちの心の平穏を静かに蝕んでいきます。しかし、本記事で詳述してきたように、その正体は特定の「悪い性格」などではなく、多くの場合、感情を健全に表現する方法を学ぶ機会がなかったことによる「未熟なコミュニケーション戦略」です。その背景には、幼少期の経験、対立への恐れ、そして時には日本特有の文化的圧力が存在します。重要なのは、この行動パターンが、意識と学習によって改善可能であるという事実です。相手の受動的攻撃に対しては、感情の渦に巻き込まれず、冷静かつ毅然と、しかし非難的ではない態度で向き合うこと。そして、自分自身の傾向に気づいたならば、勇気を出して自分の感情を認め、アサーティブという新たな表現方法を学ぶこと。本記事で紹介した知識とスキルが、あなた自身と、あなたの周りの人々との間に、より誠実で、透明性が高く、生産的な人間関係を築くための一助となることを、JHO編集部一同、心より願っています。

よくある質問

受動的攻撃は、精神的な病気なのでしょうか?

いいえ、現代の主要な精神医学の診断基準(DSM-5)では、受動的攻撃行動それ自体は独立した精神疾患(パーソナリティ障害)とは見なされていません5。これは、特定の人の病的な性格というよりは、ストレスや特定の状況下で誰にでも起こりうる「不適応な行動パターン」と理解されています。ただし、うつ病や不安障害など、他の精神的な問題の一症状として現れることはあります。

自分が受動的攻撃的かどうか、どうすれば分かりますか?

不満や怒りを感じた時に、それを直接言葉で伝えることを避け、「わざと仕事を遅らせる」「返事をしない」「皮肉を言う」「不機嫌な態度をとる」といった行動を繰り返しとってしまう場合、その傾向がある可能性があります。本記事の「兆候チェックリスト」をご自身の行動と照らし合わせ、客観的に振り返ってみることが第一歩です。

家族や同僚の受動的攻撃的な態度に、どう対処すればよいですか?

最も重要なのは、感情的に反応しないことです。相手の挑発に乗らず、冷静さを保ちましょう。その上で、相手を非難するのではなく、「あなたが〜すると(事実)、私は〜と感じる(影響)」という「アイ・メッセージ」を使って、行動が自分に与える影響を具体的に伝えます2。これは「穏やかな対決(Benign Confrontation)」と呼ばれる有効な手法です。

受動的攻撃的な行動は、治すことができますか?

はい、改善することは十分に可能です。受動的攻撃は固定的な性格ではなく、学習された行動パターンだからです。まずは自分の感情や行動パターンを自覚し、次に自分の要求を相手への配慮と共に誠実に伝える「アサーティブ・コミュニケーション」のスキルを学ぶことが非常に有効です18。必要であれば、認知行動療法などを通じてカウンセラーや臨床心理士などの専門家の助けを求めることも、変化を大きく後押しします。

免責事項本記事は一般的な情報提供を目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

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