この記事の科学的根拠
本稿は、入力された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下の一覧は、実際に参照された情報源と、提示された医学的指針への直接的な関連性を示したものです。
- 複数のメタアナリシス(Frontiers in Nutrition誌など): 本稿における世界的な精子濃度低下の傾向に関する記述は、これらの大規模な統合分析研究に基づいています1。
- 日本泌尿器科学会 (JUA): 2024年版の「男性不妊症診療ガイドライン」に関する分析、特に酸化ストレスに対する抗酸化療法の推奨度(グレードC)に関する指針は、同学会の公式見解に基づいています236。
- 世界保健機関 (WHO): 不妊の原因における男性側の要因の割合に関する記述は、WHOが示す国際的なデータに基づいています2。
- 複数の系統的レビュー(MDPI, Nutrients誌など): 地中海式食事法が精液の質を改善するという結論は、これらのレビューで一貫して支持されている科学的コンセンサスに基づいています1530。
- ランダム化比較試験のメタアナリシス (ResearchGate掲載論文など): 亜鉛、セレン、コエンザイムQ10といった特定の栄養補助食品が精液パラメータを改善するという具体的な効果に関する記述は、これらの質の高い介入研究の統合分析に基づいています16。
要点まとめ
- 近年の大規模研究により、世界的に男性の精子濃度が大幅に減少しており、男性の生殖能力低下は深刻な問題となっています1。日本でも不妊カップルの約半数に男性側の原因があり、その大半は精子を作る機能の障害です2。
- 精巣の健康は「精子形成」と「テストステロン合成」の二大機能に集約され、これらを脅かす共通の敵が「酸化ストレス」です1213。
- オメガ3脂肪酸、亜鉛、セレン、コエンザイムQ10などは、精液の質を改善する効果が複数の高品質な研究で支持されています16。
- 個々の栄養素よりも、野菜、果物、魚、全粒穀物を中心とする「地中海式食事法」が、精巣の健康に最も良い影響を与えることが科学的に証明されています15。
- 日本の食文化に合わせた「和食地中海スタイル」は、世界最高水準のエビデンスを無理なく実践するための現実的なアプローチです。
- 食事改善は健康の土台ですが、精索静脈瘤など治療が必要な疾患もあるため、不妊に悩む場合はまず男性不妊専門医の診察を受けることが絶対的に重要です536。
第1部:精巣機能の科学 — 精子とテストステロンを支える生命活動
食事戦略を理解する上で、その標的となる精巣の働きを科学的に知ることは不可欠です。ここでは、精子形成とテストステロン合成という二大機能の根幹をなす生命活動と、それらを脅かす共通の敵について解説します。
1.1 精子形成 (Spermatogenesis):約74日間にわたる生命創造の旅
精子は、精巣の中で約74日という長い歳月をかけて、一つの細胞から成熟した姿へと成長します8。この期間は、食生活の改善が精液所見に反映されるまでに約3ヶ月を要する理由を説明するものであり、継続的な取り組みの重要性を示唆しています。この複雑なプロセスを経て生み出される精子の健康状態は、主に以下の指標によって評価されます。これらは、臨床現場で行われる精液検査(SA)の基本的な評価項目です9。
- 精子濃度 (Sperm Concentration) & 総精子数 (Total Sperm Count): 精液1mLあたり、および射精1回あたりの精子の数。十分な数が存在することが、受精の確率を高める第一歩となります。
- 運動率 (Motility): 前進運動している精子の割合。卵子に到達するためには、活発に泳ぎ続ける力が必要です。
- 形態 (Morphology): 精子の形状。頭部、中片部、尾部が正常な形をしている精子は、受精能力が高いと考えられています。
しかし、これらの基本的な指標だけでは、精子の「質」の全てを捉えることはできません。近年、専門家の間で注目度が高まっているのが「精子DNA断片化(Sperm DNA Fragmentation; SDF)」という概念です1。これは、精子の見た目(形態)は正常でも、その核に収められた遺伝情報(DNA)が損傷している状態を指します。SDF率が高い精子は、受精能力の低下や、たとえ受精しても胚の発育が途中で止まってしまったり、流産のリスクを高めたりする可能性が指摘されています8。精子の健康を考える上で、数や運動能力だけでなく、この遺伝情報の完全性を守ることが極めて重要です。
1.2 男性ホルモン・テストステロン:男性らしさの源泉とその役割
テストステロンは、単に性機能や性欲を司るホルモンではありません。その影響は男性の心身のあらゆる側面に及びます。主な役割は以下の通りです6。
- 身体の構築: 筋肉量の増加と筋力の維持、そして骨密度の保持に不可欠です。がっしりとした体格の形成を支えます。
- 代謝の調節: 内臓脂肪の蓄積を抑制し、エネルギー代謝を活発に保つ働きがあります。
- 精神と認知: 意欲、決断力、競争心といった精神的な活力の源となり、認知機能にも影響を与えます。
- 造血作用: 赤血球の産生を促進する作用があり、全身への酸素供給能力、すなわち持久力にも関与します7。
テストステロンの分泌量は20代でピークに達し、その後は加齢とともに緩やかに減少していきます。しかし、この減少は、過度なストレス、睡眠不足、そして不健康な食生活といった現代的な生活習慣によって加速されることが知られています6。テストステロンレベルの低下は、性機能の減退だけでなく、いわゆる男性更年期障害(LOH症候群)のリスクを高め、長期的な健康と生活の質(QOL)に深刻な影響を及ぼす可能性があるのです。
1.3 酸化ストレス:精子とテストステロンに共通する最大の敵
精子形成とテストステロン合成。これら二つの重要な生命活動を同時に脅かす共通の敵が「酸化ストレス」です。酸化ストレスとは、体内で発生する「活性酸素種(Reactive Oxygen Species; ROS)」が、それを無害化する抗酸化システムの能力を上回った状態を指します。ROSは、呼吸によって酸素を取り込みエネルギーを産生する過程で生じる自然な副産物ですが、過剰になると細胞を構成する脂質、タンパク質、そして核酸(DNA)を無差別に攻撃し、錆びつかせてしまいます12。精巣は、この酸化ストレスに対して特に脆弱な臓器です。その理由は、活発な細胞分裂を繰り返す精子形成プロセスが大量のエネルギーと酸素を消費し、ROSを産生しやすい環境にあること、そして精子の細胞膜が酸化されやすい不飽和脂肪酸を豊富に含んでいるためです13。
過剰な酸化ストレスがもたらす具体的なダメージは以下の通りです。
- 精子へのダメージ: 精子の細胞膜を損傷させ、運動能力を著しく低下させます。また、精子のDNAを直接攻撃し、前述のDNA断片化(SDF)を引き起こす最大の原因となります12。
- テストステロン合成へのダメージ: テストステロンを産生する精巣内のライディッヒ細胞の機能を低下させ、ホルモン合成を阻害します13。
この酸化ストレスという共通の敵の存在こそが、抗酸化物質を豊富に含む食事が、精子とテストステロンの両方の健康を守る上でなぜ有効なのかを説明する科学的な根幹となります。次章以降では、この酸化ストレスに対抗し、精巣の機能を支える具体的な栄養素について、科学的根拠を基に詳しく見ていきます。
第2部:栄養素レベルでの徹底分析 — 精巣の健康に寄与する科学的根拠
精巣の健康は、特定の栄養素の適切な供給に大きく依存しています。本章では、主要な栄養素が精子形成とテストステロン合成にどのように貢献するのかを、メタアナリシスやランダム化比較試験(RCT)といった信頼性の高い科学的根拠に基づいて徹底的に分析します。重要なのは、全ての栄養素が同等のエビデンスレベルにあるわけではないという点です。その科学的証拠の強さを見極め、優先順位を理解することが、賢明な食事戦略の鍵となります。
2.1 必須ミネラル:生殖機能の土台を築く
- 亜鉛 (Zinc): 「男性生殖のマスターミネラル」と称されるほど、亜鉛は不可欠な存在です。テストステロンの合成、精子の産生、そして精子の尾部の形成やDNAの安定化など、その役割は多岐にわたります14。亜鉛が欠乏すると、テストステロン値の低下や精液所見の悪化を招くことが知られています。複数のメタアナリシスにより、亜鉛の補充が精子濃度と運動率を改善する可能性が示されています16。
豊富な食品: 牡蠣、赤身肉(脂身の少ない部位)、鶏肉、豆類(特に納豆)、ナッツ類6。 - セレン (Selenium): 強力な抗酸化酵素である「グルタチオンペルオキシダーゼ」の必須構成成分です。この酵素を通じて、精子を酸化ストレスのダメージから守る最前線で働きます14。複数のメタアナリシスが、セレンの補充が精子濃度、運動率、そして正常形態率を有意に改善することを示しており、その有効性は高いエビデンスレベルで支持されています16。
豊富な食品: 魚介類(マグロ、イワシ、カツオ)、ブラジルナッツ、肉類、卵。
2.2 抗酸化ビタミン群:細胞を守る保護シールド
- ビタミンC & E: これらは水溶性(ビタミンC)と脂溶性(ビタミンE)の代表的な抗酸化ビタミンであり、互いに協力し合って(相乗的に)働きます。ビタミンCは精液中に高濃度で存在し、ビタミンEは精子の細胞膜を酸化から守ることで、精子の完全性を維持します12。
豊富な食品(ビタミンC): 赤ピーマン、黄ピーマン、ブロッコリー、柑橘類18。
豊富な食品(ビタミンE): アーモンド、ひまわりの種、アボカド、ほうれん草18。 - ビタミンD: 近年、単なるビタミンではなく、体内でホルモンのように働くことが分かってきました。血中のビタミンD濃度とテストステロン値との間に正の相関があることや、精子の運動率改善に関与することが複数の研究で示唆されています1。しかし、その一方で、2024年に発表された大規模なメタアナリシスでは、ビタミンDの補充が精液パラメータを改善するという明確な証拠は見出されませんでした23。この食い違いは、ビタミンDの役割がまだ完全には解明されておらず、今後の研究が待たれる領域であることを示しています。
豊富な食品: 脂ののった魚(鮭、サバ)、きのこ類(特に天日干ししたもの)、強化牛乳。
2.3 脂質と脂肪酸:良質な油、悪質な油
- オメガ3脂肪酸 (DHA/EPA): 精子の健康において、最も重要視されるべき栄養素の一つです。特にDHA(ドコサヘキサエン酸)は、精子の細胞膜の主成分であり、膜の流動性を保つために不可欠です。この流動性が、精子の活発な運動能力と、卵子と融合する能力の鍵を握っています11。複数のメタアナリシスが、オメガ3脂肪酸の摂取が総精子数、精子濃度、運動率を一貫して改善することを報告しており、そのエビデンスは非常に強固です16。
豊富な食品: 青魚(イワシ、サバ、鮭、サンマ)、くるみ、亜麻仁油20。 - 飽和脂肪酸・トランス脂肪酸: これらは「悪玉」の脂肪酸です。加工肉や揚げ物、洋菓子などに多く含まれるこれらの脂肪酸の過剰摂取は、欧米型の食事パターンの特徴であり、一貫して低い精子濃度や運動率と関連付けられています13。これらの脂肪酸は体内で炎症を引き起こし、酸化ストレスを増大させることで、精巣機能に悪影響を及ぼします。
制限すべき食品: 加工肉(ソーセージ、ベーコン)、市販の菓子パンやケーキ、フライドポテトなどの揚げ物。
2.4 特殊な機能性成分:エネルギー産生と抗酸化の専門家
- コエンザイムQ10 (CoQ10): 精子の「エンジン」とも言えるミトコンドリア内で、エネルギー(ATP)を産生する電子伝達系の必須成分です。同時に、強力な抗酸化物質としても機能します。複数のメタアナリシスにより、CoQ10の補充が精子濃度、総精子数、運動率を改善することが示されています16。
豊富な食品: 肉類(特に牛肉、鶏ハツ)、魚介類(イワシ、サバ)、ブロッコリー。 - L-カルニチン: 脂肪酸をミトコンドリア内部に運び込み、エネルギー源として燃焼させるための「輸送役」を担います。精子の長距離移動に必要なエネルギー供給に不可欠であり、特に運動率の向上に寄与します。メタアナリシスでは、総運動率および前進運動率の改善効果が報告されています16。
豊富な食品: 赤身肉、魚、鶏肉、乳製品。 - リコピン (Lycopene): トマトなどに含まれる赤い色素で、カロテノイドの中でも特に高い抗酸化力を持つことで知られています。酸化ストレスから精子を守ることで、精子濃度、運動率、正常形態率を改善する可能性が複数の研究で示唆されています18。
豊富な食品: 加熱したトマト(ケチャップ、トマトソース)、スイカ、ピンクグレープフルーツ。
2.5 議論のある栄養素:科学的コンセンサスが未確立の領域
- 葉酸 (Folate/Folic Acid): DNA合成に必須のビタミンであり、理論上は精子の遺伝情報の完全性を保つ上で重要です。一部の研究では、葉酸の摂取が精子数の増加やDNA断片化の低減と関連することが示されています11。しかし、亜鉛と葉酸の補充に関する大規模なメタアナリシスでは、精子濃度は改善したものの、運動率や形態、そして最終的な臨床的成果である妊娠率や出産率には有意な改善が見られませんでした23。このため、葉酸単独での効果については、専門家の間でも見解が分かれています。
- ビタミンK & DHEA: 一部の健康情報サイトなどで、テストステロンを増やす栄養素として紹介されることがあります6。ビタミンKは動物実験レベルで精巣のステロイドホルモン合成に関与することが示唆され、DHEAは山芋などに含まれるテストステロンの前駆体(材料)です。しかし、これらがヒトのテストステロン値を実際に有意に上昇させるという、質の高い臨床試験からの証拠は現時点では限定的です。これらの栄養素は「将来性が期待される」段階にあり、亜鉛やオメガ3脂肪酸ほど確立されたものとは言えません。
表1:精巣の健康を支える主要栄養素と豊富な食品源
栄養素 (Nutrient) | 主な機能 (Primary Function) | エビデンス強度 (Evidence Strength) | 豊富な食品 (Rich Food Sources) |
---|---|---|---|
オメガ3脂肪酸 (Omega-3) | 精子細胞膜の構成、運動能の維持 | 非常に強い (複数のメタアナリシスで一貫した効果) | 青魚(サバ、イワシ、サンマ)、鮭、くるみ、亜麻仁油16 |
亜鉛 (Zinc) | テストステロン合成、精子形成、DNA安定化 | 強い (メタアナリシスで濃度・運動率の改善) | 牡蠣、赤身肉、鶏肉、レバー、納豆、ナッツ類16 |
セレン (Selenium) | 抗酸化酵素の構成、酸化ストレスからの保護 | 強い (メタアナリシスで濃度・運動率・形態の改善) | マグロ、カツオ、イワシ、卵、肉類、ブラジルナッツ14 |
コエンザイムQ10 (CoQ10) | ミトコンドリアでのエネルギー産生、抗酸化 | 強い (メタアナリシスで濃度・運動率の改善) | 牛肉、鶏ハツ、イワシ、サバ、ブロッコリー、ほうれん草16 |
L-カルニチン (L-Carnitine) | 脂肪酸の輸送、エネルギー産生、運動能の向上 | 中程度〜強い (メタアナリシスで運動率の改善) | 赤身肉(特に羊肉、牛肉)、魚、鶏肉、乳製品16 |
リコピン (Lycopene) | 強力な抗酸化作用 | 中程度 (複数の研究で良好な結果) | 加熱したトマト(ソース、ジュース)、スイカ、ピンクグレープフルーツ18 |
ビタミンC & E | 抗酸化作用(相乗効果) | 中程度 (理論的根拠が強く、観察研究で支持) | C: ピーマン、ブロッコリー / E: アーモンド、アボカド12 |
ビタミンD | テストステロン合成、運動能への関与 | 議論あり (観察研究と介入研究で結果が不一致) | 脂ののった魚(鮭)、きのこ類、強化乳製品6 |
葉酸 (Folic Acid) | DNA合成への関与 | 議論あり (介入研究での臨床的効果は限定的) | ほうれん草、ブロッコリー、枝豆、レバー18 |
第3部:食事パターンによるアプローチ — 「点」から「面」への思考転換
前章では個々の栄養素(点)の役割を分析しましたが、実際の食事は栄養素の複雑な集合体です。近年の栄養学では、特定の栄養素を追い求めるよりも、全体の食事パターン(面)を改善する方が、健康に対してより大きな効果をもたらすという考え方が主流となっています。なぜなら、食品に含まれる様々な成分が互いに影響し合い、単一の栄養素だけでは得られない相乗効果を生み出すからです。男性の生殖能力に関しても、この「食事パターンアプローチ」の有効性を示す強力な科学的証拠が蓄積されています。
3.1 最強の証明:地中海式食事法
男性の精巣の健康をサポートする食事パターンとして、現在最も科学的根拠が確立されているのが「地中海式食事法」です。これはギリシャや南イタリアなど、地中海沿岸地域の伝統的な食生活をベースにしたもので、特定の一品料理を指すのではなく、以下のような食事の原則に基づいています11。
- 豊富に摂取する: 野菜、果物、豆類、ナッツ類、全粒穀物、魚介類、そして良質な脂肪源としてのオリーブオイル。
- 適度に摂取する: 鶏肉などの家禽類、卵、ヨーグルトやチーズなどの乳製品。
- 控えめに摂取する: 赤身肉(牛肉、豚肉など)、加工肉、そして砂糖を多く含む菓子や飲料。
この食事パターンがなぜ優れているのか。その理由は、前章までで解説した精巣の健康に良い栄養素を網羅的に、かつバランス良く摂取できる点にあります。地中海式食事法は、抗酸化物質(ビタミンC, E, ポリフェノールなど)、多価不飽和脂肪酸(特に魚由来のオメガ3脂肪酸)、必須ミネラル(亜鉛、セレンなど)、そして食物繊維が極めて豊富です。これらの成分が複合的に作用し、体内の炎症を抑制し、酸化ストレスを強力に軽減することで、精巣の機能を最適な状態に保つのです13。その効果は、数多くの質の高い研究によって裏付けられています。複数の系統的レビューやメタアナリシスは、地中海式食事法の実践度が高い男性ほど、精子濃度、総精子数、運動率、正常形態率といった主要な精液パラメータが有意に良好であることを一貫して報告しています15。ある研究では、この食事法の実践度が低い男性は、高い男性に比べて精液所見が異常である可能性が2.6倍も高かったと結論付けており、その影響力の大きさがうかがえます15。
3.2 負の影響:欧米型食事法
地中海式食事法と対極にあるのが「欧米型食事法」です。これは、飽和脂肪酸やトランス脂肪酸を多く含む加工肉や赤身肉、精製された穀物(白いパンやパスタ)、高脂肪の乳製品、そして砂糖が添加された飲料や菓子類の摂取量が多いという特徴があります13。この食事パターンは、精巣の健康に対して明確に負の影響を及ぼすことが、数多くの研究で示されています。欧米型食事法を実践している男性は、精子数や運動率が有意に低い傾向にあることが一貫して報告されています13。特に、ソーセージやベーコンといった加工肉の摂取は精液の質の低下と強く関連しており21、また、糖分の多い清涼飲料水の日常的な摂取は、インスリン抵抗性を介して酸化ストレスを増大させ、精子の運動率を低下させることが指摘されています13。この二つの食事パターンの比較は、我々に重要な教訓を与えます。それは、何を「加えるか」だけでなく、何を「減らすか」もまた、精巣の健康を守る上で同等に重要であるという事実です。
表2:地中海式食事法 vs. 欧米型食事法 — 精子への影響比較
比較項目 | 地中海式食事法 (Mediterranean Diet) | 欧米型食事法 (Western Diet) |
---|---|---|
主要な食品群 | 野菜、果物、全粒穀物、豆類、ナッツ類、魚介類、オリーブオイルを豊富に摂取15 | 加工肉、赤身肉、精製穀物、高脂肪乳製品、加糖飲料を多く摂取13 |
主要な栄養素 | 多価不飽和脂肪酸 (オメガ3)、抗酸化物質、ビタミン、ミネラル、食物繊維が豊富 | 飽和脂肪酸、トランス脂肪酸、単純糖質、塩分が過剰 |
精液の質への影響 | 肯定的 (+): 精子濃度、総精子数、運動率、正常形態率の改善と強く関連15 | 否定的 (-): 精子濃度、総精子数、運動率の低下と強く関連13 |
作用メカニズム | 抗炎症作用、抗酸化作用により酸化ストレスを軽減し、精巣機能を保護する13 | 炎症を促進し、酸化ストレスを増大させることで、精巣機能にダメージを与える13 |
3.3 日本の食生活への応用:「和食地中海スタイル」の提案
地中海式食事法が優れていることは明らかですが、その原則をそのまま日本の日常に取り入れるのは難しいと感じるかもしれません。しかし、幸いなことに、伝統的な和食には地中海式食事法と多くの共通点があります。そこで本稿が提案するのが、両者の長所を融合させた「和食地中海スタイル」です。これは、国際的な研究成果を日本の食文化に根ざした、実践的で持続可能な食事法です。
その原則は以下の通りです。
- 魚を食生活の中心に: 特にサバ、イワシ、サンマ、アジといった日本の食卓に馴染み深い「青魚」を積極的に摂取します。これらはオメガ3脂肪酸の宝庫です26。
- 大豆製品を毎日: 納豆、豆腐、味噌、枝豆といった大豆製品は、良質な植物性タンパク質、食物繊維、そして亜鉛などのミネラルを豊富に含みます6。一部で「大豆は男性ホルモンに悪影響」という説がありますが、これは加工された大豆イソフラボンを大量に摂取した場合の懸念であり、伝統的な大豆食品を適度に食べることは、むしろ健康に有益であるというのが専門家の一致した見解です35。
- 野菜は色とりどりに、そして緑黄色野菜を意識して: ほうれん草や小松菜、ブロッコリー、ピーマン、トマト、人参など、様々な色の野菜を組み合わせることで、多種多様な抗酸化物質を摂取できます18。
- 主食は「白から茶へ」: 白米を玄米や雑穀米に置き換えることで、ビタミンB群やミネラル、食物繊維の摂取量を大幅に増やすことができます18。
- 良質な油を選ぶ: 炒め物やドレッシングには、可能であればオリーブオイルを使用し、間食にはくるみやアーモンドといったナッツ類を取り入れます。
- 減らすべきものを明確に: 加工肉(ソーセージ、ベーコン、ハム)、甘い菓子パンや清涼飲料水、コンビニエンスストアの揚げ物などの摂取頻度を意識的に減らします。
この「和食地中海スタイル」は、新たな食事法をゼロから学ぶのではなく、普段の和食を少し意識してアップグレードするアプローチです。これにより、世界最高水準のエビデンスに基づいた食事を、無理なく日本の生活の中で実践することが可能になります。
第4部:臨床的視点とエビデンスの批判的吟味
科学的根拠に基づいた食事法を実践することは非常に重要ですが、それを臨床的な文脈の中に正しく位置づけ、情報の限界を理解することもまた不可欠です。本章では、日本の医療現場における最新の指針を読み解き、サプリメントの役割を冷静に評価し、食事療法だけでは解決できない問題と専門医を受診する絶対的な重要性について解説します。これは、読者が過度な期待や誤解を抱くことなく、賢明な健康管理を行うために不可欠な視点です。
4.1 日本泌尿器科学会ガイドライン(2024年版)の勧告を読み解く
2024年、日本の男性不妊診療における大きな道標となる「男性不妊症診療ガイドライン」が初めて発刊されました36。このガイドラインの中で、酸化ストレスを軽減するための抗酸化療法(サプリメントなどを含む)は、「グレードC:行ってもよい」という推奨度になっています2。この「グレードC」という評価を正しく理解することは極めて重要です。これは「効果がない」という意味ではありません。臨床ガイドラインにおける推奨度は、非常に厳格な基準に基づいて決定されます。最高レベルの推奨(グレードA)を得るためには、複数の大規模なランダム化比較試験(RCT)によって、精液パラメータの改善といった「代理評価項目(サロゲート・エンドポイント)」だけでなく、「妊娠率や出産率の向上」という「真の臨床的評価項目(ハード・クリニカル・エンドポイント)」での有効性が明確に証明される必要があります23。現状では、抗酸化サプリメントが「出産率」を有意に改善するという強力なエビデンスは、まだ十分とは言えません23。これが、推奨度がグレードCに留まる主な理由です。しかし、この事実と、これまでの章で述べてきた栄養の重要性は、決して矛盾するものではありません。食事療法は、妊娠という最終ゴールを保証する「特効薬」ではありません。しかし、それは妊娠の可能性を高めるための「生物学的な土台を最適化する」ための、最も基本的かつ重要な生活習慣戦略であると言えます。精子の状態を最善に保つことは、自然妊娠であれ、生殖補助医療(ART)であれ、その成功確率を高めるための論理的な第一歩なのです。このガイドラインの冷静な視点は、米国の泌尿器科学会(AUA)や欧州泌尿器科学会(EAU)のガイドラインも同様に、ライフスタイル因子の管理の重要性を認めつつ、サプリメントによる経験的治療については慎重な立場をとっていることからも裏付けられます941。
表3:男性不妊における栄養療法の位置づけ(主要ガイドライン比較)
ガイドライン策定組織 | 日本泌尿器科学会 (JUA) 2024年版 | 米国泌尿器科学会 (AUA) 2021年版 | 欧州泌尿器科学会 (EAU) 2024年版 |
---|---|---|---|
食事・抗酸化療法への言及 | 抗酸化療法は「推奨度C(行ってもよい)」と位置づけ2。 | 経験的な薬物療法や栄養補助食品の有効性に関するデータは限定的であると指摘。生活習慣のリスク因子については患者へのカウンセリングを推奨41。 | 特発性男性不妊に対する経験的薬物療法は推奨しない。酸化ストレスが原因と考えられる場合に抗酸化物質を考慮する可能性に言及9。 |
主な論拠・コメント | 最終的な臨床的成果(出産率など)を改善するエビデンスが限定的であるため、強い推奨とはなっていない。 | 多くのリスク因子に関するデータが限定的であることを患者に伝えるべきであるとしている。 | 多くの研究で精液パラメータの改善は見られるものの、妊娠率への影響は不明確である点を指摘している。 |
共通のスタンス: 栄養補助食品を第一選択の「治療」として強く推奨するにはエビデンスが不十分であるという点で一致。一方で、生活習慣の最適化や、専門医による根本的な原因の診断・治療の重要性を強調している。 |
4.2 サプリメントの功罪
健康的な食事パターンが最善であるという原則を踏まえた上で、サプリメントの役割について考えてみましょう。まず、栄養素は可能な限り食品から摂取することが理想的です。なぜなら、食品には特定の栄養素だけでなく、その吸収や利用を助ける他の成分が複雑なネットワークを形成して含まれているからです。この「フードシナジー(食品の相乗効果)」は、単一成分を抽出したサプリメントでは決して再現できません。しかし、現代のライフスタイルにおいて、サプリメントが補助的な役割を果たす可能性はあります。その利用が検討されるのは、明確な栄養素欠乏が診断された場合や、食事からの摂取が恒常的に困難な場合です。ただし、サプリメントを利用する際には、それが「魔法の弾丸」ではないことを肝に銘じる必要があります。前述の通り、その臨床的効果については科学的な議論が続いており、異なるメタアナリシスが相反する結論を出すことも珍しくありません16。サプリメントはあくまで食事の「補助」であり、不健康な食生活の「免罪符」にはなり得ないのです。
4.3 食事療法の限界と専門医受診の絶対的重要性
本稿で提供する情報は、精巣の健康を最適化するための強力なツールですが、万能ではありません。本稿の内容は、専門的な医学的助言、診断、治療に代わるものではないことを、ここに明確に記します。不妊の原因は、食事だけで解決できるものばかりではありません。男性不妊の原因には、治療によって劇的な改善が見込める医学的な疾患が隠れていることがあります。その代表例が、以下の疾患です5。
- 精索静脈瘤 (Varicocele): 精巣の静脈にこぶ(静脈瘤)ができる疾患で、男性不妊症患者の約40%に見られます。精巣の温度を上昇させ、血流を悪化させることで、精子形成に深刻なダメージを与えます。これは、比較的簡単な外科手術によって治療が可能です。
- 閉塞性無精子症 (Obstructive Azoospermia): 精子は正常に作られているものの、精子の通り道(精路)が詰まっているために体外に射出できない状態。これも手術(精路再建術)によって治療できる場合があります。
- 低ゴナドトロピン性性腺機能低下症: 脳下垂体からのホルモン分泌不全により、精巣が刺激されず、精子やテストステロンが作られない状態。これはホルモン補充療法(注射)によって、劇的に精子形成が回復する数少ない疾患の一つです。
これらの疾患は、食事療法で治ることはありません。適切な診断と治療を受けない限り、不妊の問題は解決しないのです。国際的なガイドラインでは、避妊をせずに定期的な性交渉を1年間続けても妊娠に至らない場合、専門家による評価を受けることが推奨されています9。不妊に悩むカップルは、まず男性不妊を専門とする泌尿器科医(男性不妊専門医)の診察を受けるべきです3643。専門医は、問診、身体診察、血液検査、そして精液検査を通じて総合的に状態を評価し、治療可能な疾患の有無を判断します。食事改善は、こうした専門的な医療と並行して行う、健康の土台作りなのです。
第5部:実践アクションプラン — 明日から始める精巣ヘルスケア
これまでの科学的な分析を、日々の生活に落とし込むための具体的な行動計画を提案します。理論を実践に移し、今日からあなたの精巣の健康管理を始めましょう。
5.1 推奨食品・避けるべき食品 詳細チェックリスト
積極的に食べるべき食品 (Foods to Eat)
- □ 青魚 (Oily Fish): サバ、イワシ、サンマ、アジ、鮭など。週に2〜3回を目安に。
- □ 色とりどりの野菜 (Colorful Vegetables): ブロッコリー、ほうれん草、小松菜、ピーマン、トマト、人参など。
- □ 大豆製品 (Legumes/Soy Products): 納豆、豆腐、味噌、枝豆など。毎日いずれかを食卓に。
- □ ナッツ類と種子類 (Nuts & Seeds): くるみ、アーモンド(無塩・素焼き)、ひまわりの種など。間食に一掴み程度。
- □ 全粒穀物 (Whole Grains): 玄米、雑穀米、全粒粉パン、オートミールなど。主食を置き換える。
- □ 鶏肉 (Poultry): 脂肪の少ない胸肉やささみが望ましい。
- □ 卵 (Eggs): 栄養バランスに優れた完全栄養食品。
- □ 赤身肉(少量)(Lean Red Meat): 亜鉛の優れた供給源。脂身の少ない部位を週に1〜2回程度。
- □ 牡蠣 (Oysters): 「亜鉛の王様」。機会があれば積極的に。
- □ 良質な油 (Healthy Oils): エクストラバージンオリーブオイル。
意識して避けるべき食品 (Foods to Avoid)
- □ 加工肉 (Processed Meats): ソーセージ、ベーコン、ハム、サラミなど。
- □ 加糖飲料 (Sugar-Sweetened Beverages): コーラなどの炭酸飲料、甘い缶コーヒー、ジュース類。
- □ トランス脂肪酸 (Trans Fats): マーガリン、ショートニング、それらを使用した洋菓子、スナック菓子、ファストフード。
- □ 過剰な飽和脂肪酸 (Excessive Saturated Fats): 肉の脂身、バター、生クリーム、揚げ物。
- □ 過度のアルコール (Excessive Alcohol): 適量(純アルコールで1日20g程度、ビール中瓶1本に相当)を守る。休肝日を設ける21。
5.2 1週間のモデル献立プラン:「和食地中海スタイル」の実践例
このプランはあくまで一例です。重要なのは、様々な推奨食品をバランス良く組み合わせるという原則です。
- 月曜日
- 朝食: 玄米ご飯、納豆(ネギ・亜麻仁油がけ)、わかめと豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたし
- 昼食: 鶏むね肉のグリルと彩り野菜のサラダ(オリーブオイルドレッシング)、全粒粉パン
- 夕食: サバの塩焼き、大根おろし、具沢山の豚汁(赤身肉使用)、きんぴらごぼう
- 火曜日
- 朝食: オートミール、ヨーグルト、くるみとベリー類をトッピング
- 昼食: 豚レバーとニラの炒め物定食(玄米)、もずく酢
- 夕食: 鮭のホイル焼き(きのこ、玉ねぎ、ピーマン入り)、アボカドとトマトのサラダ
- 水曜日
- 朝食: 全粒粉パンのトースト、目玉焼き、ベビーリーフサラダ
- 昼食: とろろ蕎麦、ほうれん草のおひたし
- 夕食: 鶏肉とブロッコリーのトマト煮込み、豆とひじきのサラダ
- 木曜日
- 朝食: 玄米ご飯、焼き鮭、だし巻き卵、味噌汁
- 昼食: コンビニのサラダチキン、海藻サラダ、おにぎり(玄米または雑穀米)
- 夕食: 牛赤身肉のステーキ(にんにく醤油)、付け合わせにグリル野菜(ズッキーニ、パプリカ)
- 金曜日
- 朝食: ギリシャヨーグルト、アーモンド、季節の果物
- 昼食: イワシの缶詰を使ったトマトパスタ(全粒粉パスタ)
- 夕食: 麻婆豆腐(ひき肉は赤身で)、きゅうりとわかめの酢の物
- 土曜日
- 朝食: スクランブルエッグ、ソーセージの代わりに焼ききのこ、全粒粉トースト
- 昼食: 外食:刺身定食(ご飯は少なめ、または玄米に変更可能か確認)
- 夕食: 牡蠣とほうれん草のグラタン(ホワイトソースは低脂肪乳で)
- 日曜日
- 朝食: 山芋たっぷりのお好み焼き(小麦粉は全粒粉を混ぜる)
- 昼食: 残り物などを活用
- 夕食: 鶏肉と野菜のポトフ(根菜をたっぷり)
間食のアイデア: 素焼きナッツ、無糖ヨーグルト、ゆで卵、果物(食べ過ぎに注意)、高カカオチョコレート
5.3 コンビニ・外食で賢く選択する技術
忙しい現代人にとって、自炊が難しい日もあります。しかし、コンビニや外食でも賢い選択は可能です629。
コンビニでの選択肢
- 主食: サラダチキン、焼き魚パック(サバ、鮭など)、ゆで卵、豆腐
- 副菜: 海藻サラダ、ほうれん草のおひたし、ひじき煮、枝豆
- 炭水化物: 雑穀米や玄米のおにぎり、とろろ蕎麦、納豆巻き
- 飲み物: 無糖のお茶、水、無調整豆乳、野菜ジュース(糖分が少ないもの)
- 避けるべき: カツ丼などの揚げ物弁当、菓子パン、カップラーメン、フライドチキンなどのホットスナック
外食での心得
- 店の選択: 定食屋、蕎麦屋、寿司屋、焼き魚がメインの店を選ぶ。
- メニューの選択: 「一汁三菜」が揃う定食を選ぶ。「丼もの」や「麺類」単品よりも、品数が多い定食の方が栄養バランスが良い。
- 注文の工夫: 揚げ物を避け、焼き物・蒸し物・煮物を選ぶ。野菜の小鉢やサラダを追加で注文する。ご飯は半分にしてもらう。
- 避けるべき店: ラーメン専門店、ファストフード店、食べ放題の店(過食につながりやすい)の利用頻度を減らす。
5.4 食事以外の生活習慣の最適化
食事改善の効果を最大限に引き出すためには、他の生活習慣との相乗効果が不可欠です。
- 質の高い睡眠: テストステロンは主に睡眠中に分泌されます。7〜8時間の質の良い睡眠を確保しましょう6。
- 適度な運動: 特にスクワットやデッドリフトなどの大きな筋肉を使う筋力トレーニングは、テストステロンの分泌を促します。有酸素運動も血流改善に有効です6。
- ストレス管理: 慢性的なストレスはホルモンバランスを乱します。趣味やリラクゼーションの時間を作り、ストレスを溜め込まない工夫をしましょう6。
- 禁煙と節度ある飲酒: 喫煙は精子に対する強力な毒です。酸化ストレスを増大させ、DNAを損傷させます。過度のアルコール摂取も同様に、精巣機能とホルモンバランスを阻害します12。
- 精巣の加温を避ける: 精巣は熱に弱いため、長時間のサウナや熱い風呂、膝の上でのノートパソコンの長時間使用は避けるべきです43。体にぴったりフィットする下着よりも、通気性の良いトランクスなどが推奨されます。
よくある質問
Q1: 大豆製品はテストステロンを下げると聞きましたが、本当ですか?
これはよくある誤解の一つです。この懸念は、大豆に含まれるイソフラボンという成分が女性ホルモンに似た構造を持つことに由来します。しかし、複数のメタアナリシス(多数の研究を統合した分析)によって、納豆や豆腐のような伝統的な大豆食品を通常の食事の範囲で摂取しても、男性のテストステロン値に有意な影響を与えないことが結論付けられています35。むしろ、大豆は良質な植物性タンパク質、亜鉛、食物繊維の優れた供給源であり、「和食地中海スタイル」においても推奨される健康的な食品です。
Q2: 食事を変えれば、どれくらいの期間で精子の質は改善しますか?
精子が作られ始めてから成熟するまでには、約74日間、つまり約2.5〜3ヶ月かかります8。そのため、食事改善の効果が精液検査の結果に反映されるまでには、少なくとも3ヶ月程度の継続的な取り組みが必要です。すぐに結果が出なくても焦らず、長期的な視点で健康的な食生活を続けることが重要です。
Q3: サプリメントだけで精子の質を改善することはできますか?
サプリメントはあくまで「補助」と考えるべきです。特定の栄養素(亜鉛、セレン、コエンザイムQ10など)が精液パラメータを改善するという研究報告はありますが16、その効果は限定的であり、不健康な食生活を補うことはできません。最も重要なのは、様々な栄養素をバランス良く含むホールフード(未加工の自然な食品)を中心とした食事です。食品から摂る栄養素は、サプリメントでは再現できない相乗効果をもたらします。サプリメントの利用は、医師に相談の上で、食事改善と並行して慎重に検討すべきです。
Q4: 1年間妊活をしていますが、妊娠しません。食事改善だけで様子を見るべきでしょうか?
結論
本稿では、精巣の健康を最大化するための食事戦略について、最新かつ信頼性の高い科学的根拠を基に、多角的に分析してきました。その結論として、我々が到達した最も重要なメッセージは、個々の栄養素を追い求める「点」の思考から脱却し、食事全体の質を高める「面」のアプローチ、すなわち「和食地中海スタイル」のようなホールフード(未加工・自然な状態の食品)を中心とした栄養密度の高い食事パターンを実践することが、最も効果的で持続可能な戦略であるということです。この食事法は、精子の細胞膜を構成するオメガ3脂肪酸、精子形成とテストステロン合成に不可欠な亜鉛やセレン、そして最大の敵である酸化ストレスから精巣を守る多種多様な抗酸化物質を、自然な形でバランス良く供給します。それは、サプリメントでは決して再現できない、生命の営みに調和したアプローチです。しかし、この食事戦略は単なる「妊活食」に留まるものではありません。地中海式食事法が心血管疾患やメタボリックシンドローム、さらには一部のがんや神経変性疾患のリスクを低減することは、数多くの研究で証明されています。つまり、精巣の健康を意識した食事改善は、目先の生殖能力の向上だけでなく、将来にわたる生活習慣病を予防し、生涯を通じて活力に満ちた人生を送るための、極めて賢明な自己投資なのです。男性の健康と妊孕性は、もはやタブーでも、個人の努力不足の問題でもありません。それは科学的な知識に基づき、日々の選択を通じて主体的に管理できるものです。本稿が、読者一人ひとりが自らの健康の舵を取り、パートナーと共に希望ある未来を築くための一助となることを心から願っています。そして、その道のりにおいて、必要であれば躊躇なく専門医の扉を叩く勇気を持つこと。それこそが、現代を生きる我々に求められる、真に賢明な姿勢と言えるでしょう。
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