この記事の科学的根拠
この記事は、入力された研究報告書で明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源の一部であり、提示された医学的指針との直接的な関連性を示しています。
- 厚生労働科学特別研究事業三輪班: 本稿における日本の嗅覚・味覚障害の発生率、回復過程、および「風味障害」の概念に関する記述は、三輪貴兼教授(金沢医科大学)が主導する厚生労働省の研究班による報告に基づいています10,11。
- 広島県における横断研究: ウイルス変異株(従来株、アルファ株、デルタ株、オミクロン株)による嗅覚・味覚障害の発生率の劇的な変化に関するデータは、広島県の入院患者11,353人を対象とした大規模な横断研究から引用しています14。
- 日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会: オミクロン株における嗅覚・味覚障害の発生率低下や、治療法に関する推奨(ステロイド点鼻薬、漢方薬など)についての記述は、同学会の公式発表や専門家向け情報に基づいています5,16。
- 国際的なメタアナリシスおよび研究: 世界的な発生率、人種差、病態生理(ACE2/TMPRSS2の役割)、および長期的な後遺症に関するデータは、PubMed等で公開されている複数の国際的な系統的レビューや大規模コホート研究(Lechienら、Bhattacharyyaら)から引用しています6,7,8,31。
要点まとめ
- 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)における嗅覚・味覚障害(OGD)は、パンデミック初期には特異性の高い早期警告サインでしたが、オミクロン株の出現により発生率は著しく低下しました。
- 発生率には人種差・地域差が見られ、欧米では東アジアよりも高い傾向にありました。これはウイルスの変異(D614G)や宿主の遺伝的要因が関連している可能性が示唆されています。
- 病態生理学的には、ウイルスは嗅神経細胞を直接攻撃するのではなく、支持細胞などに感染し、炎症による嗅裂の閉塞を引き起こすことが主因と考えられています。
- 患者が訴える「味覚障害」の多くは、実際には嗅覚の低下による「風味障害」です。客観的な味覚検査では正常であることが多く、この鑑別は臨床上非常に重要です。
- 多くの患者は短期的に回復しますが、一部は長期的な後遺症に悩みます。特に、匂いを不快に感じる「異嗅症」はQOLを著しく低下させる深刻な問題です。
- 確立された特効薬はありませんが、嗅覚刺激療法が最もエビデンスのある治療法として推奨されており、日本では漢方薬(当帰芍薬散など)も併用されることがあります。
COVID-19における嗅覚・味覚障害の疫学
国際的データと人種・地域差
パンデミックの黎明期より、OGDは一般的な症状として記録されてきました。大規模なメタアナリシスは、世界的な発生率に関する定量的推定値を提供しています。8,438人の患者を対象とした24研究の系統的レビューでは、嗅覚障害のプールされた発生率は41.0%(95% CI, 28.5%~53.9%)、味覚障害は38.2%(95% CI, 24.0%~53.6%)と報告されました7。別の22研究を対象としたメタアナリシスでも同様の結果が示され、何らかの嗅覚障害の発生率は55%(95% CI, 40%-70%)、味覚障害は41%(95% CI, 23%-59%)でした1。
最も興味深い疫学的所見の一つは、OGDの発生率における地理的地域および人種間の著しい差異です。約27,500人の患者を対象とした大規模なメタアナリシスでは、ヨーロッパ(54.40%)および北米(51.11%)の患者における嗅覚障害の発生率が、アジアの患者(31.39%)よりも明らかに高いことが示されました8。von Bartheldらの別の研究では、西洋におけるOGDの発生率は東アジアの3倍にも上ると結論づけています6。この差は単なる報告方法の違いによるものではありません。
この格差を説明するための主要な仮説は、ウイルスの特性と宿主の遺伝的要因という二つの要素に焦点を当てています。ウイルス側では、パンデミック初期にヨーロッパと北米で急速に広がったスパイクタンパク質のD614G変異を持つ変異株が重要な要因とされています。この変異はウイルスの感染力を高めることが証明されており、嗅上皮の細胞へのウイルスの親和性を高め、結果としてOGDの発生率を上昇させた可能性があります6,9。対照的に、多くのアジア地域では、初期のD614変異株がより長い期間優勢でした。宿主側では、ACE2受容体やTMPRSS2酵素のような分子の構造や発現における人種間の差異も役割を果たしている可能性があります。
日本国内における有病率
日本からのデータは重要な視点を提供し、OGDの発生率が決して低くないことを示しています。鍵となる研究の一つは、厚生労働科学特別研究事業の一環として金沢医科大学の三輪貴兼教授の研究班(三輪班)から報告されたものです。この研究は、日本でアルファ株が主流であった2021年2月から5月にかけて実施されました。251人の患者からの結果では、自己申告による嗅覚障害の発生率は57%、味覚障害は40%でした10,13。これらの数値は高いだけでなく、欧米諸国で報告された率に匹敵し、同様の変異株に直面した場合、日本の人々もOGDを発症する高い危険性があることを示唆しています。
流行の波を通じたより包括的な視点を得るため、広島県で行われた大規模な横断研究では、2020年4月から2023年1月までに入院した11,353人のCOVID-19患者のデータが分析されました14,15。この研究は、時間経過と異なる変異株の優勢に伴うOGDの変化を追跡するためのユニークなデータセットを提供しています。
ウイルス変異株による発生頻度の変遷
これは本稿の中心的な論点の一つであり、パンデミックの動的な性質を明確に示しています。臨床的兆候としてのOGDの役割は、ウイルスの進化とともに著しく変化しました。広島での研究データは、この変化を明確に定量化することを可能にしています14。
主要変異株 | 期間 | 総症例数 | OGD発症例数 | OGD発生率 (%) |
---|---|---|---|---|
従来株 (Wild-type) | 2020年4月 – 2021年2月 | 1,141 | 241 | 21.12% |
アルファ株 | 2021年3月 – 2021年6月 | 1,265 | 223 | 17.63% |
デルタ株 | 2021年7月 – 2021年11月 | 1,516 | 480 | 31.66% |
オミクロン株 | 2021年12月 – 2023年1月 | 7,431 | 317 | 4.27% |
出典: 広島県における横断研究データ14 |
上の表は明確な傾向を示しています。OGDの発生率はデルタ株が優勢だった時期にピークに達し、31.66%にまで上昇しました。しかし、オミクロン株の出現とともに、この率はわずか4.27%に急落し、デルタ株の時期と比較して約7分の1に減少しました。この劇的な減少は、国際的な報告や、オミクロン株感染者におけるOGDの減少について早期に公式見解を発表した日本耳鼻咽喉科頭頸部外科学会のような専門機関からの声明によっても確認されています16。同時に、咽頭痛のような他の症状がより一般的になりました6。
この変化は深い臨床的意義を持ちます。初期およびデルタ株の段階では、OGDの突然の発症はCOVID-19感染の高い陽性的中率(Positive Predictive Value – PPV)を持つ指標でした。「Smell Check」のような公衆衛生キャンペーンは、シンプルで効果的なスクリーニングツールとして提案されました3。しかし、オミクロン時代においては、OGDの発生率が大幅に低下したため、この症状の診断的価値は著しく弱まりました。感染疑い例のスクリーニングをOGDのみに依存することは効果が薄れ、臨床ガイドラインや公衆衛生に関する情報発信において、より広範な症状スペクトラムに焦点を移すといった調整が求められるようになりました。
臨床的特徴と病態生理
早期警告サインとしての臨床像
最初の流行の波において、COVID-19関連のOGDは、他の原因による嗅覚脱失と区別するのに役立つ、かなり特徴的な臨床像を示しました。最も顕著な特徴は、しばしば前触れなく起こる突然の発症(突然発症)です17,18。これは、鼻づまりや鼻水といった他の呼吸器症状が軽快した後に徐々に発症することが多い、通常の感冒後嗅覚障害とは異なります。
もう一つの重要な特徴は、COVID-19によるOGDが、鼻閉(鼻づまり)や鼻汁(鼻水)といった鼻閉塞症状を伴わずに発生することが多い点です17。ヨーロッパのある研究では、鼻づまりや鼻水の症状がない患者のうち、実に79.7%が嗅覚の低下または喪失を経験したことが示されています19。これは、原因が単純な機械的閉塞ではないことを示唆しています。
さらに、OGDは疾患の最初の症状であり、時には唯一の症状である可能性もありました。ある研究では、患者の11.8%が他のどの症状よりも先にOGDを経験したと報告されています18。この可能性は、「早期警告サイン」としてのOGDの役割を強化し、特に無症状または軽症のウイルス保菌者の症例を発見し、早期隔離と感染拡大防止に貢献しました2。
嗅覚障害の発生機序
COVID-19におけるOGDの病態生理の理解は大きく進展しました。最も重要な発見の一つは、SARS-CoV-2ウイルスが嗅神経細胞を直接攻撃して破壊するわけではないらしいということです。代わりに、ウイルスの主な標的は嗅上皮内の非神経細胞です6。
現在最も広く受け入れられている機序は、ウイルスがアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)受容体と膜貫通型セリンプロテアーゼ2(TMPRSS2)酵素を利用して細胞に侵入するというものです。研究により、嗅神経細胞はこれらの分子をほとんど、あるいは全く発現しないことが示されています。対照的に、支持細胞(support cells/sustentacular cells)やボウマン腺(Bowman’s gland)の細胞は、これらを非常に高い密度で発現しています6。これらの細胞は、嗅上皮の構造と機能を維持するために重要な役割を果たしています。
ウイルスが支持細胞やボウマン腺細胞に侵入し増殖すると、局所的に激しい炎症反応を引き起こします。この炎症状態は上皮の浮腫と分泌物の増加につながり、嗅神経細胞が空気と接触する狭い空間である嗅裂(きゅうれつ)を閉塞させます。この閉塞は、匂い分子が神経受容体に到達するのを妨げ、嗅覚喪失の状態を引き起こします。このメカニズムは気導性嗅覚障害と呼ばれます6。磁気共鳴画像法(MRI)研究からのエビデンスはこの仮説を裏付けており、急性期には嗅裂の閉塞像が示され、ほとんどの患者で約1ヶ月後には再び開通し、彼らの急速な嗅覚回復過程と一致しています6。
味覚障害と風味障害の鑑別
これは臨床実践において微妙でありながら非常に重要な分析点です。非常に多くの患者が「味覚喪失」を報告していますが、科学的証拠はこれらのケースの大部分が実際には「風味障害」であることを示唆しています20。
私たちが感じる食品の風味は、舌の味蕾によって検出される5つの基本味(甘味、塩味、酸味、苦味、うま味)だけから来るのではありません。風味体験のより大きく複雑な部分は、咀嚼や嚥下の過程で喉の奥から鼻腔に立ち上る食品の匂い分子(後鼻腔嗅覚 – retronasal olfaction)から来ています。嗅覚機能が著しく低下すると、この風味を感じる能力も失われ、舌の基本的な味覚機能が保たれていても、食べ物が味気なく無味に感じられるようになります。
日本の三輪班の研究は、この論点に対する説得力のある証拠を提供しました。彼らの研究では、味覚障害のみを報告した患者はわずか4%であったのに対し、大部分(37%)は嗅覚と味覚の両方の障害を持っていました10。さらに重要なことに、客観的な機能検査を実施したところ、味覚喪失を自己申告した患者の大多数が、味覚検査(基本味の溶液を使用)では正常な結果を示しました。対照的に、嗅覚喪失を報告した人々は嗅覚検査で低いスコアを示しました20,23。これは、患者の「味覚喪失」の訴えが主に匂いによる風味の知覚能力の喪失に起因することを示しています。
真の味覚障害(true ageusia)のメカニズムはまだ完全には解明されていません。舌の味蕾細胞におけるACE2受容体の存在に関するいくつかの報告はあるものの、ウイルスがこれらの細胞に直接与える影響の程度はさらなる研究が必要です6。
この病態生理を理解することは、予後と臨床的アプローチを決定します。ウイルスが主に非神経系の支持細胞を攻撃するという事実は、なぜ大多数の患者が迅速に回復するのかを説明します。急性感染が過ぎ去り、炎症が治まると、嗅裂は再び開通し、嗅覚機能が回復します。しかし、ごく一部のケースでは、炎症反応が過剰になり、隣接する嗅神経細胞に二次的な損傷を引き起こすことがあります。この神経損傷は、他のウイルス感染後の嗅覚障害(感冒後嗅覚障害と似た病態)のメカニズムと同様に、数ヶ月から数年を要するはるかに長い再生プロセスを必要とします6。これが、一部の患者が長期的な後遺症に苦しむ理由を説明します。臨床的には、「味覚障害」と「風味障害」を区別することは、患者に正確なカウンセリングを提供し、不要な味覚検査を避け、嗅覚機能の評価と治療に集中するために極めて重要です。
回復過程と後遺症
短期的な回復率
COVID-19関連OGDの特徴の一つは、特に感染後最初の1ヶ月において、大部分の患者で比較的回復が速い傾向にあることです24,25,26。様々な情報源からの多くの報告がこの点で一致しています。日本の三輪班の研究データによると、初回の調査から1ヶ月以内に、患者の60%が嗅覚を、そしてより印象的なことに84%が味覚を回復しました20。この結果は国際的な報告とも一致しており、大多数の患者にとって短期的な予後が良好であることを示しています。
他の情報源も同様の数値を示しており、約60%から80%の患者が2週間から1ヶ月以内に症状の改善を認識しています25。この迅速な回復は、前述の病態生理と一致しており、損傷が広範な神経破壊によるものではなく、主に一時的な炎症と浮腫によるものであることを示唆しています。
長期的な遷延と後遺症
短期的な予後は良好であるものの、決して少なくない割合の患者が長期にわたるOGD症状に直面し、これがいわゆるロングコビッドの一部となっています。この後遺症の負担は重大な医療問題です。縦断的追跡研究は、時間経過に伴うこれらの症状の残存率に関する重要なデータを提供しています12。
研究 | 対象集団 | 6ヶ月時点の残存率 | 12ヶ月時点の残存率 | 18ヶ月超時点の残存率 |
---|---|---|---|---|
三輪班29 | 日本 (アルファ株) | 嗅覚: 11.6% 味覚: 5.8% |
嗅覚: 5.8% 味覚: 3.5% |
– |
福永班5 | 日本 | 嗅覚: 7% 味覚: 9% |
嗅覚: 5% 味覚: 5% |
– |
Bhattacharyyaら(NHIS)30 | 米国 (2021) | – | ~27% (嗅覚) ~22% (味覚) (一部回復/未回復を含む) |
– |
Lechienら31 | ヨーロッパ | 24.2% (客観的) | 17.9% (客観的) | 2.9% (客観的, 24ヶ月) 29.8% (主観的, 24ヶ月) |
上の表が示すように、1年後でさえ、日本の患者の約5%が依然としてOGDに苦しんでいます20,28。米国のデータはさらに懸念されるもので、OGDを発症した人々の約4分の1が完全には回復しないと推定されています30。これは、世界中で何百万人もの人々がOGDの後遺症とともに生活している可能性があることを示しています。
注目すべき点の一つは、客観的な測定結果と患者の主観的な報告との間の乖離です。Lechienらの研究では、24ヶ月後には客観的な匂い同定検査で異常を示した患者はわずか2.9%でしたが、自己申告では29.8%もの人々が嗅覚が正常に戻っていないと報告しています31。この差異は、問題が単に匂いを検知する能力にあるだけでなく、匂いの質的感覚や、他の心理的・認知的要因にもあることを示唆しています。
異嗅症・異味症とQOLへの影響
長期的な後遺症を持つ人々にとって、問題はしばしば機能の完全な喪失(無嗅覚症/無味覚症)から、質的な感覚の障害(qualitative dysfunction)へと移行します。
異嗅症(parosmia)は、ロングコビッド患者において特に不快で一般的な後遺症です。これは匂いの誤った知覚であり、コーヒー、チョコレート、香水のような身近で心地よい香りが、焦げた匂い、化学薬品の匂い、ゴミの匂い、あるいは金属臭のような不快で嫌悪感を抱かせる匂いとして感じられる状態です5。異嗅症は、新しい嗅神経細胞が再生し、脳内で「誤った」接続を形成する、不完全な神経再生プロセスの結果であると考えられています。注目すべきことに、三輪班の追跡研究では、異嗅症と異味症(parageusia)の割合が6ヶ月および12ヶ月の追跡時点で増加する傾向にあり、長期罹患患者の主要な問題となっていることが示されました29。
長期にわたるOGD、特に異嗅症が生活の質(QOL)に与える影響は計り知れません。ほとんどの食事が不快な匂いや味になるため、食事を楽しむ能力(食事が楽しめなくなった)が著しく損なわれます20。これは食欲不振、意図しない体重減少、栄養不足につながる可能性があります。加えて、OGDは重大な心理社会的影響も引き起こします。患者は、家族や友人と食事の経験を分かち合えないことによる孤立感、自分自身の体臭に関する不安、あるいはガス漏れや腐敗した食品のような危険を察知できないことへの恐怖を感じることがあります29。これらの要因はすべて、不安、ストレス、さらにはうつ病につながる可能性があります5。
このように、生理学的な回復と体験的な回復との間には明確な乖離が存在します。ロングコビッドOGDの問題は、「匂いがしない」ことだけでなく、しばしば「匂いが間違っている」ことです。客観的な検査での機能回復が、必ずしも患者の満足や日常生活への復帰を意味するわけではありません。これは、ロングコビッドOGD患者の管理が、単にテストのスコアを改善することに焦点を当てるだけでなく、精神的な苦痛に対処し、栄養指導を行い、患者に心理的サポートを提供する包括的なアプローチでなければならないことを示しています。
治療と管理へのアプローチ
COVID-19感染後のOGDの管理は挑戦的です。なぜなら、現在までのところ、明確に効果が証明され、世界的に承認された特異的な治療法は存在しないからです5。現在のほとんどのアプローチは、他のウイルス感染後の嗅覚障害治療の経験に基づいており、身体の自然な回復プロセスを支援することに焦点を当てています。
日本では、特に症状が2週間以上改善しない場合、臨床ガイドラインや診療実践において、いくつかの主要な介入が提案されることがよくあります27。
- 嗅覚刺激療法 (Olfactory Training): これは最も確かなエビデンス基盤を持つ介入法と見なされ、広く推奨されています。この方法は、患者が異なる匂いのグループに属する4種類の香り(古典的な例:バラ – 花の香り、ユーカリ – 樹脂の香り、レモン – 果物の香り、クローブ – スパイスの香り)を能動的かつ集中的に嗅ぐことを含みます32,33,34。患者は、このトレーニングを1日2回(朝と夕方)、各匂いを約10〜20秒間嗅ぎ、このプロセスを少なくとも12週間から数ヶ月間、根気強く繰り返すよう指導されます18,35。この療法の目的は、嗅覚の神経経路を繰り返し刺激し、神経細胞の再生と再編成を促進し、匂いを識別・区別する上で脳を「再訓練」することです。患者はまた、コーヒー、石鹸、または各種スパイスなど、日常生活における身近な香りを使って練習することもできます。
- 漢方薬 (Kampo Medicine): これは日本の医療実践における特徴的な点です。当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん)という処方が、日本の専門家や専門学会によってしばしば推奨されます5,22。この選択は、通常の感冒後嗅覚障害の治療におけるこの処方の有効性に関するエビデンスに基づいています。作用機序は、嗅上皮領域の血行改善と炎症抑制に関連すると考えられています。
- その他の治療法:
医学的介入に加えて、患者への指導と支援が極めて重要な役割を果たします。医師は患者に対し、回復過程が長期にわたる可能性があり、忍耐が必要であることを明確に説明する必要があります5。心理的サポートの提供、感覚を強化するための食事調整法(例:食感、温度、辛味の要素を加える)に関するアドバイス、そして患者を支援グループにつなげることが不可欠です。日本では、東京都や大阪府など多くの自治体が「コロナ後遺症相談窓口」を設置し、情報提供、相談、そして患者を適切な専門医療機関へ紹介する取り組みを行っています36,37,38。
考察
現存するデータを包括的に分析した結果、COVID-19パンデミックにおけるOGDの複雑かつ動的な全体像が浮かび上がりました。本稿の主要な論点は、OGDの軌跡が、パンデミックの初期波における重要な早期診断の指標から、より一般的ではなくなったものの、一部の患者に重大な後遺症の負担を残す症状へと移行したということです。
オミクロン株の優勢に伴うOGDの頻度の著しい減少は、最も顕著な発見の一つです。日本において、発生率がデルタ株期のピーク時31.66%からオミクロン株期にはわずか4.27%に減少したことは、その明確な証拠です14。これは、オミクロン株のスパイクタンパク質の構造変化によって説明できる可能性があります。これらの変異はウイルスの親和性を変化させ、嗅上皮の支持細胞よりも上気道の細胞に優先的に感染するようにし、それによってOGDを引き起こす能力を低下させたのかもしれません。この変化は、現在の臨床実践において、独立したスクリーニングツールとしてのOGDの価値を低下させました。
本稿で強調されるもう一つの重要な点は、真の「味覚障害」と嗅覚喪失による「風味障害」を明確に区別する必要性です。日本の研究データ、特に主観的評価と客観的評価の両方を用いた研究からのデータは、味覚に関する訴えのほとんどが嗅覚機能の低下に起因することを説得力をもって示しています20。この混同が明確にされなければ、味覚検査の乱用や不必要な亜鉛補充の処方など、不適切な診断・治療アプローチにつながる可能性があります。
長期的な後遺症、特に異嗅症(parosmia)の問題は、増大する臨床的課題です。客観的な検査で測定された回復率と患者の主観的な感覚との間の乖離31は、神経の回復過程が必ずしも完璧ではないことを示唆しています。「誤った」神経の再編成が異嗅症の原因である可能性があります。これは、将来の介入が、末梢神経レベル(適切な再生を促進する)と中枢神経レベル(脳が信号を正確に再解釈するのを助ける)の両方を標的とする必要があるかもしれないことを示唆しています。
しかしながら、既存の研究の限界を認識する必要があります。評価方法の不均一性(自己申告対UPSITのような標準化されたテスト)、追跡期間のばらつき、そして多くの初期研究における適切な対照群の欠如は、データの統合を困難にしました。したがって、将来の研究の方向性は極めて重要です。新しい変異株感染後のOGDの自然経過をより良く理解するためには、世界的に標準化された大規模な縦断的追跡研究がさらに必要です。嗅覚刺激療法、漢方薬、およびその他の新しい治療法の有効性を厳密に評価するためには、ランダム化比較試験(RCTs)が不可欠です。最後に、機能的脳画像技術を用いた異嗅症の神経メカニズムに関するより深い研究は、新たな標的治療法への道を開くでしょう。
結論
嗅覚・味覚障害(OGD)は、COVID-19の動的で絶えず変化する症状であり、SARS-CoV-2ウイルス自体の進化を反映しています。当初、OGDは特徴的で価値のある早期警告サインとしての役割を果たしましたが、新しい変異株、特にオミクロン株の出現により、その役割は著しく低下しました。
しかし、発生頻度の低下は、OGD、特に長期的な後遺症の管理の重要性を減じるものではありません。かなりの割合の患者が依然として嗅覚喪失、味覚喪失、そして特に生活の質、栄養状態、精神的健康に深刻な影響を与える異嗅症に直面しています。病態生理、特にほとんどの「味覚喪失」の症例における嗅覚障害の中心的な役割を理解することは、正確な診断と適切な治療方針の鍵となります。
承認された特異的な治療法がない現状では、嗅覚刺激療法や当帰芍薬散のような一部の漢方薬といった介入が初期の有望性を示しており、さらなる研究が必要です。何よりも重要なのは、カウンセリング、心理的サポート、期待値の管理を含む、患者への包括的なアプローチが中核的な要素であることです。医療界および政策立案者にとって、OGD後遺症の負担に対する認識を高め、患者のための専門的な支援システムを構築することは、パンデミック後の段階においても、依然として喫緊の臨床的・研究的優先事項です。
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