はじめに
多系統萎縮症(以下、MSA)は、脳の変性により自律神経機能や運動機能などが幅広く障害される、まれではありますが深刻な進行性の神経疾患です。かつてはShy-Drager症候群と呼ばれたこともあり、パーキンソン病に似た症状(筋強剛・動作の遅さ・バランス障害など)を示す一方で、排尿障害や起立性低血圧などの自律神経症状が顕著にみられるという特徴があります。多くの場合、中高年期(50~60歳前後)に初期症状が現れ、進行に伴い日常生活のあらゆる局面で支障をきたすようになります。本記事では、多系統萎縮症の主な症状や原因、診断方法、治療の方向性、合併症、そして生活面での対策などを詳しく解説していきます。
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当サイトの情報は、Hello Bacsi ベトナム版を基に編集されたものであり、一般的な情報提供を目的としています。本情報は医療専門家のアドバイスに代わるものではなく、参考としてご利用ください。詳しい内容や個別の症状については、必ず医師にご相談ください。
なお、本疾患は進行性であり、根本的な治療法はまだ確立されていないとされますが、症状を緩和しながら生活の質(QOL)を向上させることは十分可能とされています。特に日本国内では検診や早期受診の体制が整いつつあるため、気になる症状があれば速やかに医療機関を受診することが大切です。また、世界各国で様々な研究が進められており、近年の研究(2021年「Movement Disorders」誌や2023年「Acta Neuropathologica」誌の報告など)によって、MSAの原因究明と治療開発に新たな知見が積み重ねられています。これらの研究は日本国内でも症例解析や治療戦略に活かせる可能性があり、今後の治療方針にも大きく寄与することが期待されています。
本記事は医療・健康情報として参考になるよう努めておりますが、個人の病状や生活環境は千差万別ですので、具体的な治療や対策については必ず専門の医師にご相談ください。
専門家への相談
本記事の内容に関しては、医療従事者や研究機関の知見をもとにまとめられた情報をもとにしています。特に、Bác sĩ Nguyễn Thường Hanh(Nội khoa – Nội tổng quát · Bệnh Viện Đa Khoa Tỉnh Bắc Ninh)による医学的なアドバイスを参考に、一部解釈や補足を加えて構成しています。また、国内外の権威ある研究機関(Mayo Clinic、National Institute of Neurological Disorders and Stroke、NHS、Cleveland Clinicなど)や近年の学術論文に基づく情報も織り交ぜ、最新の知見を反映しています。
多系統萎縮症(MSA)とは何か
多系統萎縮症は、中枢神経系のうち小脳・基底核・脳幹といった運動制御・自律神経制御に関わる領域が選択的に変性・萎縮することで、以下のような多岐にわたる症状がみられる病気です。
- 自律神経症状:起立性低血圧、膀胱機能障害(排尿障害・失禁など)、便秘、発汗異常(汗が出にくい、または極端に汗をかく)など。
- 運動機能障害:動作の遅れ、筋強剛、バランス障害、歩行時のふらつきなどパーキンソン症候群に似た症状。あるいは小脳症状として、協調運動の障害、歩行失調、発声障害などが生じる場合もある。
- その他:睡眠障害(睡眠時無呼吸やレム睡眠行動障害など)、性機能障害(勃起不全、性的欲求の低下など)、情動失禁(不適切に笑う・泣くなど)。
かつて「Shy-Drager症候群」「オリーブ橋小脳変性症」「線条体黒質変性症」などと呼ばれてきた病型がまとめて多系統萎縮症と呼ばれるようになりました。病名が示すとおり、複数の神経系統が同時・あるいは段階的に障害されるため、患者さん一人ひとりで症状の現れ方が異なるのが特徴です。
発症時期
多系統萎縮症の多くは、50歳代・60歳代で発症するといわれています。しかし、それより若い世代での発症例もあり、個人差が大きいのが実情です。初期にはパーキンソン病との区別が難しい場合があり、診断まで時間がかかるケースもあります。
病型の大きな分類
- パーキンソン型(MSA-P)
パーキンソン病に似た運動症状が強く出る病型です。四肢のこわばりや動作の遅れ(寡動)、バランス不良、姿勢保持の困難などが顕著で、ふるえ(振戦)は少ない傾向にあります。 - 小脳型(MSA-C)
小脳の変性が目立ち、失調症状(歩行時のふらつき、四肢の協調運動障害、構音障害など)が主体となる病型です。
多系統萎縮症の特徴として、病型を問わず自律神経障害がみられることが挙げられます。特に、起立性低血圧や排尿障害は早期から出現しやすく、日常生活を大きく妨げる要因となります。
主な症状
運動症状(パーキンソン型・小脳型)
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パーキンソン症状に類似したもの
- 筋強剛(リジディティ):関節の曲げ伸ばしがしにくくなる
- 寡動・無動:動作の開始が遅れたり、表情が乏しくなる
- バランス障害:歩行時につまずきやすくなる、転倒しやすくなる
- ふるえ(振戦)は少ないが、まれにみられる場合もある
-
小脳症状
- 失調:四肢や体幹の協調運動が難しくなり、歩行がふらつく
- 構音障害:声が小さくなる、発音が不明瞭になる
- 眼球運動障害:複視、注視困難、視線を合わせるのが難しい
自律神経症状
- 起立性低血圧
立ち上がった際に急激に血圧が下がり、めまいや失神を起こす。横になったときに血圧が異常に高くなるケースも報告されています。 - 排尿障害・便秘
膀胱や腸管の自律神経調節がうまくいかず、尿意があっても排尿がスムーズにできない、あるいは失禁する、便秘が慢性化するなど。 - 性機能障害
勃起障害(男性)、性的欲求の著しい低下など。 - 体温調節障害
発汗量が極端に少なくなることで体温調節がうまくいかず、暑さ寒さに弱くなる。手足が冷えやすい場合もある。 - 分泌物の減少
涙や唾液の分泌が減り、ドライアイや口渇感などが起こることがある。
その他の症状
- 睡眠障害
睡眠時無呼吸やレム睡眠行動障害(夢の内容に合わせて体を動かしてしまう)、いびき・呼吸の乱れなど。 - 情動失禁
笑い・泣きが抑えられず、場にそぐわないタイミングで感情が爆発することがある。 - 精神症状
抑うつ傾向、意欲低下、集中力の低下などが現れることもあり、本人や周囲の生活に大きな影響を及ぼす場合がある。
原因
多系統萎縮症の原因は、いまだ完全には解明されていません。遺伝的要因・環境的要因・たんぱく質の代謝異常など、複数の要素が複雑に絡み合っていると考えられています。特に異常なたんぱく質「α-シヌクレイン」が脳のさまざまな部分で蓄積し、神経細胞に変性や萎縮を引き起こすことがMSAの病態と深く関係しているとされています。
2021年に「Movement Disorders」誌に発表されたKogaらの研究(臨床病理学的調査・doi:10.1002/mds.28563)では、MSA病理と進行性核上性麻痺(PSP)病理の一部が重なる症例があることを示唆しており、神経変性疾患の中でもα-シヌクレインの蓄積がどのように各疾患で異なる形態をとるかについて興味深い知見を与えています。また、2023年に「Acta Neuropathologica」誌に掲載されたKogaらの研究(doi:10.1007/s00401-022-02525-6)では、MSAにおける神経病理学および分子診断の最新情報を更新しており、α-シヌクレインの異常集積がどのように病態形成に影響を及ぼすかを詳細に報告しています。これらの新しい知見は、MSAの診断や将来的な治療法の開発に役立つと期待されています。
診断
多系統萎縮症の診断は非常に難しいとされています。なぜなら、筋強剛や動作の遅れなどのパーキンソン病に似た運動症状が見られるだけでなく、小脳失調が加わるケースもあり、初期段階ではほかの神経変性疾患(パーキンソン病、オリーブ橋小脳変性症など)との鑑別が困難なためです。
主な検査方法
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神経学的検査・問診
症状の経過や特徴、起立性低血圧の有無、排尿障害・便秘などの自律神経症状を詳細に聞き取り、神経学的所見(筋強剛、歩行失調、言語障害など)を確認します。 -
画像検査(MRIなど)
脳のMRIを撮影することで、小脳や脳幹、基底核に萎縮がないかを調べます。多系統萎縮症では、小脳や被殻などが萎縮する傾向が認められやすいとされています。 -
自律神経機能検査
- 起立時の血圧・心拍数変化の測定(ティルトテーブル検査)
横になった状態から立位に近い姿勢に変化させたときの血圧や心拍数を測定し、起立性低血圧があるかどうかを評価します。 - 発汗テスト
発汗量や部位を調べることで、自律神経の働きを把握します。 - 膀胱機能検査
尿流量や残尿量などを評価し、排尿障害の程度を確認します。
- 起立時の血圧・心拍数変化の測定(ティルトテーブル検査)
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睡眠検査
睡眠時無呼吸やレム睡眠行動障害などの有無を調べるため、就寝中の呼吸や脳波などを計測します。
上記の検査結果を総合的に判断しても、初期段階では確定診断が難しいケースが多くあります。しかし、症状の組み合わせや経過観察を重ねることで、徐々にMSAの可能性が高まっていきます。早期に専門医療機関を受診し、定期的にフォローアップを受けることが重要です。
治療法
多系統萎縮症の現在のところ、原因を根本的に取り除く「根治療法」は確立されていません。ただし、症状を緩和し、QOLを改善するために以下の治療・ケアが行われます。
薬物療法
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パーキンソン症状に対する治療
レボドパ+カルビドパなど、パーキンソン病で用いられる薬が筋強剛や動作の遅れを和らげる場合があります。ただし、すべてのMSA患者さんに効果があるわけではなく、効果が限定的な場合や、ある程度の期間を過ぎると薬効が落ちる場合もあります。 -
起立性低血圧への対応
- フルドロコルチゾン(ステロイドの一種):ナトリウム・水分貯留作用により血圧を上げる
- ミドドリン:血管を収縮させることで血圧を上昇させるが、服用後すぐ横になるのは避ける必要がある
- ピリドスチグミン:立位時に限って血圧を上げ、臥位での高血圧を軽減する可能性が示唆されている
- Droxidopa:米国FDAが承認しているが、頭痛やめまい、悪心などの副作用が報告される場合がある
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勃起障害の治療
シルデナフィルなど、ED(勃起障害)改善のための薬が使用されることがあります。 -
その他の対症療法
便秘に対する下剤の処方や、うつ症状への抗うつ薬など、個々の症状に応じた薬物治療を行います。
リハビリテーションとサポート
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理学療法(PT)
筋力維持やバランス機能向上のため、専門的な運動指導を受けることで転倒リスクを減らし、日常生活動作を少しでも長く保つことをめざします。 -
作業療法(OT)
日常生活で必要な動作(食事、着替えなど)を効率的に行う方法や、福祉用具の活用法を学び、可能な限り自立度を保つことを支援します。 -
言語聴覚療法(ST)
構音障害や嚥下障害が生じた場合、発声練習や嚥下訓練などを通じて、コミュニケーション能力や誤嚥予防の向上を図ります。 -
栄養管理・嚥下指導
嚥下障害が進行すると食事中のむせや誤嚥リスクが高まるため、テクスチャの調整(ソフト食・ペースト食など)や食事形態の工夫を行うことが推奨されます。
補助デバイス・外科的処置
- ペースメーカーの装着
心拍数を一定に保つことで血圧低下を緩和する可能性があります。 - 胃ろうや経鼻胃管
嚥下障害が重度化した場合、経口摂取が困難になることがあり、その際には胃ろうなどの処置が考慮されることがあります。 - 膀胱カテーテル留置
重度の排尿障害がある場合、自己導尿かカテーテル留置が選択肢になります。
合併症と進行
多系統萎縮症は進行性の疾患であり、以下のような合併症やリスクが高まります。
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呼吸障害
睡眠時無呼吸や声帯の麻痺など、呼吸機能の障害が生じる可能性があり、最重症化した場合は生命を脅かすリスクがあります。 -
転倒事故
バランス障害や起立性低血圧によるめまい・失神で転倒しやすく、骨折や頭部外傷につながる可能性があります。 -
褥瘡(じょくそう)
病状が進むとベッドで過ごす時間が増えるため、体位変換が不十分だと皮膚の圧迫による褥瘡が生じるおそれがあります。 -
栄養不良や誤嚥性肺炎
嚥下障害が進むと口から十分に食べられず、栄養不良や誤嚥性肺炎が起こりやすくなります。
多くの報告によると、初期症状が顕在化してから7~10年程度で重度化するとされますが、個人差も大きく、15年以上生活できるケースもあります。重篤化による死亡要因としては、呼吸器合併症(誤嚥性肺炎や呼吸困難など)が多いと報告されています。
生活上の工夫
多系統萎縮症の症状と進行を完全に止めることは難しいものの、生活上の配慮や工夫によってQOLを向上させることが期待できます。以下のポイントを参考にしてください。
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起立性低血圧への対策
- 水分や塩分を適度に摂る:血圧維持のために有効な場合がある
- コーヒーや紅茶、緑茶などカフェインを含む飲み物をうまく活用
- 就寝時には頭側を30度ほど高くして臥位時の高血圧を抑える工夫
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食事と栄養管理
- 便秘対策として食物繊維を豊富に含む野菜や果物、海藻類などを積極的に取り入れる
- 少量頻回の食事や、炭水化物を摂りすぎないようコントロールする
- 嚥下が難しくなった場合はやわらかい食事やとろみをつけた飲み物で誤嚥を防止
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体温調節と発汗の管理
- 暑い日はエアコンの活用やこまめな水分補給を行う
- 発汗低下により体温調節がうまくいかないケースがあるため、寒い季節には保温対策を十分に行う
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リハビリや運動習慣
- 無理のない範囲で専門家(理学療法士、作業療法士など)の指導を受ける
- 転倒防止のため、歩行器や杖などを使用し、安全に運動を行う
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睡眠環境の整備
- 睡眠時無呼吸症候群などの合併症が疑われる場合は専門外来を受診し、CPAPなどの治療を検討
- 布団やまくらの高さを調整し、呼吸しやすい姿勢を保つ
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心理的・社会的サポート
- 疾患が進むにつれて抑うつ状態や不安が生じやすいため、家族や支援団体、医療ソーシャルワーカーなどからサポートを受ける
- 介護保険サービス(訪問リハビリ・通所リハビリ・ヘルパー派遣など)を積極的に活用して生活環境を整える
まとめと推奨事項
多系統萎縮症(MSA)は、神経変性が多面的に進行する難治性の疾患です。運動症状だけでなく、自律神経系や小脳機能など幅広く障害が及ぶため、個々の症状に合わせた総合的なケアが必要となります。現時点では根治療法は確立されていませんが、薬物療法やリハビリテーション、日常生活上の工夫によってQOLを保ち、合併症を予防することは可能です。
また、近年の研究(2021年、2023年のKogaらによる報告など)によって、病態の詳細や新たな治療戦略に関する知見が蓄積されつつあり、将来的にはより効果的な治療法が開発される期待が高まっています。日本国内においても、MSAに対する専門外来や先進的なリハビリ施設が徐々に増えており、早期診断・早期介入を通じて患者さんやご家族の負担を軽減する取り組みが進められています。
重要なポイントとして、MSAは症状の進行度合いや病型が多彩であるため、定期的に専門医を受診し、自分の体調や症状の変化をこまめに伝えていくことが望まれます。 医療スタッフ・介護スタッフ・家族・地域のサポートを総合的に活用しながら、患者さんができる限り自分らしく生活を続けられるよう、多角的な支援体制を築いていくことが大切です。
参考文献
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Mayo Clinic (アクセス日:2020年2月19日) -
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National Institute of Neurological Disorders and Stroke (アクセス日:2020年2月19日) -
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- Koga S, Sekiya H, Kondru N, Ross OA, Dickson DW. Neuropathology and molecular diagnosis of MSA: an update. Acta Neuropathol. 2023;145(3):463-478. doi:10.1007/s00401-022-02525-6
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