歯の健康徹底解説 | 科学的根拠に基づく生涯セルフケア・ガイド
口腔の健康

歯の健康徹底解説 | 科学的根拠に基づく生涯セルフケア・ガイド

世界保健機関(WHO)の推定によると、全世界の人口の約半分に相当する35億人近くが何らかの口腔疾患に罹患しています1。この衝撃的な事実は、歯の健康が単なる個人的な問題ではなく、世界的な公衆衛生上の課題であることを示しています。しかし、お口の健康とは、単に病気がない状態を指すのではありません。世界歯科連盟(FDI)は、これを「自信を持って、痛みや不快感、頭蓋顔面部の疾患なく、話し、笑い、匂いを嗅ぎ、味わい、触れ、噛み、飲み込み、そして顔の表情を通じて様々な感情を表現できる能力」と定義しています2。これは、お口の健康が私たちの生活の質(QOL)そのものに深く関わっていることを意味します3。近年、お口の健康が全身の健康と密接に連携していることが科学的に次々と明らかになっており4、その重要性はますます高まっています。この記事では、大阪大学大学院歯学研究科の天野敦雄教授の監修のもと、最新の科学的根拠と日本の公的データに基づき、乳幼児から高齢者まで、あらゆるライフステージにおけるお口の健康を守るための包括的な知識と実践的なセルフケア方法を徹底的に解説します。

医学監修者:
天野 敦雄 教授(大阪大学大学院歯学研究科 予防歯科学講座)56
歯周病原細菌の研究の第一人者であり、予防歯科学分野における日本のトップランナー。数多くの研究論文を発表し、歯周病と全身疾患の関連性についての啓発にも尽力している。


この記事の科学的根拠

本記事は、提供された調査レポートで明示的に引用されている、最高品質の医学的エビデンスにのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源と、本記事で提示される医学的指導との直接的な関連性を示したものです。

  • 世界保健機関(WHO): 本記事における口腔疾患の世界的な有病率、リスク要因(アルコールなど)、および健康に関する全般的な推奨事項は、WHOの公式報告書およびファクトシートに基づいています17
  • 世界歯科連盟(FDI): 口腔健康の現代的な定義、生涯を通じたケアの重要性、および歯ブラシの交換時期などの具体的な推奨は、FDIの「Vision 2030」レポートや各種ガイドラインに基づいています28
  • 厚生労働省(MHLW): 日本における虫歯の有病率、歯周病の罹患状況、および「8020運動」の達成率など、国内の主要な統計データは、令和4年(2022年)に実施された「歯科疾患実態調査」の結果に基づいています91011
  • 日本歯科医師会(JDA): プラーク(歯垢)の形成、歯周病の進行段階、およびかかりつけ歯科医を持つことの重要性に関する基本的な解説は、JDAが提供する一般向けの啓発資料を参考にしています1213
  • 日本歯周病学会(JSP): 歯周病の専門的な分類(2018年の新分類など)や治療に関する記述は、JSPが発行する「歯周治療のガイドライン」の知見に基づいています1415

要点まとめ

  • お口の健康は、単に歯に病気がないことではなく、QOL(生活の質)の基盤であり、全身の健康と密接に関連しています。
  • 虫歯と歯周病は二大口腔疾患であり、主な原因は細菌の塊である「プラーク(歯垢)」です。特に歯周病は初期段階では自覚症状が乏しく、「沈黙の病気」と呼ばれます。
  • 毎日のセルフケア(歯磨き、歯間清掃)と、定期的なプロフェッショナルケア(歯科検診、PMTC)の両方が、お口の健康維持には不可欠です。
  • 必要な口腔ケアは、乳幼児期から高齢期までライフステージごとに変化します。特に高齢期では「オーラルフレイル」の予防が重要です。
  • 禁煙、バランスの取れた栄養、ストレス管理といった生活習慣も、お口の健康を内側から支える重要な要素です。

第1章:あなたの歯と口を解き明かす – 基礎知識

適切なお手入れのためには、まず自分のお口の中を正しく理解することが第一歩です。この章では、咀嚼システムの構造と機能に関する基本的な知識を提供します。

歯の数と種類

人間には生涯で二組の歯が生えます。乳歯と永久歯です16。一般的な成人の永久歯は、親知らずを除いて上下14本ずつ、合計28本です17。これらの歯は、食べ物を噛み切る「切歯」、引き裂く「犬歯」、そしてすり潰す「臼歯(小臼歯と大臼歯)」というように、それぞれ異なる役割を担っています17

歯の構造

一本の歯は、主に三つの層から構成されています。

  • エナメル質 (Enamel): 歯の一番外側を覆う層で、人体で最も硬い組織です。外部の刺激から歯を守る鎧の役割を果たします。
  • 象牙質 (Dentin): エナメル質の下にある層です。内部には神経につながる無数の細い管(象牙細管)が通っており、エナメル質が削れるとこの管が露出し、しみ(知覚過敏)の原因となります。
  • 歯髄 (Pulp): 歯の中心部にあり、血管や神経が詰まっています。歯に栄養を供給し、感覚を伝える重要な部分です。

お口の中の生態系

お口の中は、非常に複雑な生態系(エコシステム)です。唾液は消化を助け、潤滑油となり、酸を中和し、さらには自然の抗菌作用も持っています4。しかし同時に、お口の中には数百種類もの細菌が生息しています。これらの細菌が歯の表面に蓄積して形成されるネバネバした膜が「プラーク(歯垢)」または「バイオフィルム」であり、これがほとんどの口腔疾患の直接的な原因となります13

第2章:虫歯と歯周病 – 二大巨頭との戦い

この章では、最も一般的な二つの口腔疾患について、最新の科学的データとガイドラインに基づき、包括的かつ現代的な視点から深掘りします。

虫歯(う蝕 – Dental Caries)

虫歯は、「細菌(特にストレプトコッカス・ミュータンス菌)」「糖分(食事や飲み物由来)」「時間」という三つの主要因が複雑に絡み合って発生するプロセスです18。プラークの中の細菌が糖分を分解して酸を作り出し、その酸が歯のエナメル質からミネラルを溶かし出す(脱灰)ことで、虫歯の穴ができます。特に、唾液の分泌が減少する就寝前の飲食は、酸が歯の表面に長時間留まるため非常に危険です16。厚生労働省の2022年の調査によると、日本の子供や若者の虫歯は減少傾向にあるものの、25歳以上の成人では依然として高い罹患率が続いており、年齢層によってはほぼ100%に達します9

歯周病(Periodontal Disease)

歯周病は、歯の周りの組織(歯周組織)が細菌感染によって炎症を起こす病気です。その進行度によって大きく二つに分けられます。

  • 歯肉炎 (Gingivitis): 歯周病の初期段階です。歯ぐきが赤く腫れ、歯磨きの際に簡単に出血するのが特徴です。この段階であれば、適切な口腔清掃によって完全に健康な状態に戻すことが可能です13
  • 歯周炎 (Periodontitis): 歯肉炎が放置されると、炎症はさらに深部へと進行し、歯を支える歯槽骨や歯根膜を破壊し始めます。この過程で歯と歯ぐきの間に「歯周ポケット」と呼ばれる深い溝が形成され、最終的には歯がぐらついて抜け落ちてしまいます。この段階で破壊された骨は、基本的には元に戻りません13。日本歯周病学会などが採用する2018年の国際的な新分類では、病状の重症度を示す「ステージ(Staging)」と進行速度を評価する「グレード(Grading)」を用いて、より精密な診断が行われます14

危険な「沈黙」

歯周病の最も恐ろしい特徴の一つは、初期から中期にかけて痛みを伴わないことが多いという点です19。歯ぐきからの出血、口臭、歯ぐきの腫れといった初期症状はありますが、痛みがないために多くの人々が見過ごしてしまいます。この「沈黙」こそが、早期発見と予防の最大の障壁です。多くの人が痛みや歯の動揺といった深刻な症状が出て初めて歯科医院を訪れますが、その時にはすでに手遅れに近い状態であることも少なくありません。したがって、「痛くなってからでは遅い」というメッセージが極めて重要です。ご自身の状態を把握するため、以下のセルフチェックリスト20をご活用ください。

歯周病セルフチェック

  • 朝起きたとき、口の中がネバネバする。
  • 歯磨きのときに出血する。
  • 口臭が気になる。
  • 歯ぐきが赤く腫れている。
  • 歯ぐきがむずがゆい、痛い。
  • 硬いものが噛みにくくなった。
  • 歯が長くなったように見える(歯ぐきが下がった)。
  • 歯と歯の間にすき間ができて、食べ物が挟まりやすくなった。

一つでも当てはまる項目があれば、歯周病の可能性があります。早めに歯科医師に相談しましょう。

日本の現状:データが示すリスク

歯周病は高齢者特有の問題と思われがちですが、データはその認識が誤りであることを示しています。以下の表は、日本における歯周病(4mm以上の歯周ポケットを持つ人の割合)の年代別罹患率です。

表1: 日本における年代別歯周病有病率(歯周ポケット≧4mm)(2022年)
年齢層 有病率 (%)
15–24歳 19.8%
25–34歳 33.1%
35–44歳 42.6%
45–54歳 49.6%
55–64歳 51.5%
65–74歳 56.2%
75歳以上 56.0%
出典: 厚生労働省 令和4年(2022年)歯科疾患実態調査のデータを基に編集委員会が作成1021

このデータから明らかなように、歯周病のリスクは非常に若い年代から始まり、年齢と共に着実に増加します。これは、若いうちからの予防がいかに重要であるかを強く物語っています。

第3章:生命線としてのつながり – 口腔の健康と全身の健康

お口は独立した器官ではなく、全身への入り口です。この章では、口腔の健康が全身の健康にいかに深く影響を及ぼすか、科学的根拠を基に解説します。

つながりのメカニズム

歯周病に罹患すると、歯ぐきは炎症を起こして潰瘍化し、口の中に「開いた傷口」ができるのと同じ状態になります。これにより、歯周病原細菌や、それらが産生する炎症性物質(毒素やサイトカインなど)が容易に血管内に侵入します。そして血流に乗って全身を駆け巡り、他の臓器や組織で新たな炎症を引き起こしたり、既存の慢性炎症を悪化させたりするのです422

関連が証明されている主な全身疾患

  • 糖尿病: この二つの疾患の関係は「双方向の道」と例えられます。歯周病はインスリン抵抗性を悪化させ、血糖コントロールを困難にします。逆に、糖尿病患者(特にコントロール不良の場合)は免疫機能が低下し、創傷治癒能力も低いため、歯周病が発症・重症化しやすくなります423
  • 心血管疾患: 歯周病による慢性的な炎症は、動脈硬化(アテローム性動脈硬化)のプロセスを促進すると考えられています。これにより、心筋梗塞や脳卒中のリスクが高まることが多くの研究で示唆されています42425
  • 誤嚥(ごえん)性肺炎: これは特に高齢者や嚥下機能が低下した人々にとって、生命を脅かす深刻なリスクです。お口の中の細菌が気管や肺に誤って吸い込まれることで、重篤な肺炎を引き起こします2627
  • 妊娠への影響: 妊娠中の女性が歯周病に罹患している場合、早産や低出生体重児のリスクが高まることが報告されています。歯ぐきからの炎症性物質が子宮に影響を及ぼす可能性が考えられています48
  • その他の疾患: 研究は、歯周病と関節リウマチ、慢性腎臓病、さらにはアルツハイマー病といった疾患との関連性も探求しています423

第4章:毎日のセルフケア – 予防の黄金律

予防こそが口腔衛生の礎です。この章では、自宅で実践できる、科学的根拠に基づいた詳細なケア方法を解説します。

セルフケアの基本:プラークコントロール

毎日のケアの主目的は「プラークコントロール」です。これは、歯の表面から細菌の膜であるプラークを、物理的に、かつ定期的に除去することを意味します28

正しい歯の磨き方

  • 方法: 広く推奨されているのは「バス法」です。歯ブラシの毛先を歯と歯ぐきの境目に45度の角度で当て、歯周ポケットに毛先が入るようにします。そして、2~3本ずつ小刻みに優しく振動させるように磨きます29
  • 力加減: ゴシゴシと強く磨いても汚れがよく落ちるわけではなく、むしろ歯の摩耗や歯ぐきの退縮を引き起こす原因になります。鉛筆を持つ程度の軽い力で十分です。
  • 磨き残しやすい場所: 下の前歯の裏側、一番奥の歯の後ろ側、そして歯と歯の間など、磨きにくい場所には特に注意が必要です4。鏡を見ながら磨くことで、磨き残しを防ぐ助けになります。
  • 頻度と時間: 少なくとも1日2回、特に就寝前は重要です。唾液の分泌が減る夜間は細菌が最も繁殖しやすいためです16。1回の歯磨きには、最低でも2分間かけることが推奨されます30

歯間清掃の重要性

通常の歯ブラシだけでは、歯と歯の間のプラークを6割程度しか除去できないと言われています。残りの4割を除去するためには、歯間清掃用具の使用が不可欠です。

  • デンタルフロス: 歯と歯のすき間が狭い場合に必須のツールです。フロスを指に巻きつけ、のこぎりを引くように優しく歯の間に挿入し、歯の側面に沿わせて上下に動かします。
  • 歯間ブラシ: 歯と歯のすき間が比較的広い場合や、ブリッジ、矯正装置がある場合に非常に効果的です。歯ぐきを傷つけないよう、すき間の大きさに合った適切なサイズを選ぶことが重要です29

舌ケア

舌の表面にも多くの細菌や食べかすが溜まり、口臭の主な原因となります。舌クリーナーや歯ブラシの裏側などを使い、奥から手前に向かって優しく数回かき出すように清掃します29

補助的な製品の活用

  • フッ化物配合歯磨剤: フッ化物(フッ素)は、歯のエナメル質を酸に強い構造に変え、初期の虫歯であれば再石灰化を促進して修復する効果が科学的に証明されています31
  • 洗口液(マウスウォッシュ): 細菌の数を減らしたり口臭をマスキングしたりする補助的な役割を果たしますが、プラークを物理的に除去する歯磨きやフロスの代わりにはなりません32

第5章:プロフェッショナルケア – 専門家という名の味方

セルフケアは不可欠ですが、それだけでは十分ではありません。この章では、長期的な口腔の健康を維持するために、歯科専門家が果たす重要な役割を強調します。

なぜセルフケアだけでは不十分なのか

どんなに完璧に歯を磨いたつもりでも、磨きにくい場所のプラークを完全に取り除くことはほぼ不可能です。そして、取り残されたプラークは唾液中のミネラルと結合し、やがて硬い「歯石」へと変化します。歯石になってしまうと、もはや歯ブラシでは除去できません4

「かかりつけ歯科医」の重要性

自分の口腔内の状態や既往歴を継続的に把握してくれる「かかりつけ歯科医」を持つことは、一貫性のある効果的なケアにつながります20

定期検診

  • 推奨頻度: 個々のリスクに応じて、3~6ヶ月ごと、少なくとも年に1回は定期検診を受けることが推奨されています4
  • 日本の現状: 2022年の調査では、過去1年間に歯科検診を受けた日本人は約58%でした。しかし、この割合は仕事などで多忙な30~54歳の働き盛りの世代で著しく低い傾向にあります10。これは、症状がなくても定期的に検診を受けることの重要性についての認識を高める必要があることを示しています。
  • 検診内容: 歯科医師は、虫歯、歯周ポケットの状態、噛み合わせ、古い詰め物や被せ物の状態などをチェックし、口腔がんの早期兆候がないかもスクリーニングします。

専門的機械的歯面清掃(PMTC)と歯石除去

これらは歯科医院でしか行えない処置です。歯科医師や歯科衛生士が専門の器具を使い、日常の歯磨きでは届かない歯周ポケットの内部や、硬く付着した歯石を徹底的に除去します28

第6章:ライフステージ別・口腔ケアの旅

口腔ケアのニーズは、人生の各段階で変化します。パーソナライズされた情報を提供することで、読者は自分に直接関連する推奨事項をより効果的に実践できます。

乳幼児・小児期

口腔ケアは最初の乳歯が生えた瞬間から始まります。湿らせたガーゼで優しく拭うことから始め、歯が増えてきたら、米粒程度の量のフッ化物配合歯磨剤をつけた子供用の柔らかい歯ブラシを使います8。フッ化物は子供の虫歯予防に極めて重要であり、歯磨剤の使用や歯科医院でのフッ化物塗布が強く推奨されます33。「哺乳瓶う蝕」と呼ばれる、哺乳瓶で甘い飲み物を与えながら寝かせる習慣による深刻な虫歯にも注意が必要です34。子供が自分で効果的に歯を磨けるようになるまで、通常は8~10歳頃まで、親が監督し、仕上げ磨きをしてあげる必要があります34

妊娠期

妊娠中のホルモンバランスの変化は、プラークに対する歯ぐきの炎症反応を増強させ、「妊娠性歯肉炎」を引き起こしやすくなります4。母体の歯周病は早産や低出生体重児のリスクと関連しているため8、妊娠中も口腔衛生を良好に保ち、歯科検診を受けることが母子双方の健康のために非常に重要です。

成人期

この年代の主な焦点は、歯周病の予防と管理、そして喫煙、ストレス、全身疾患といったリスクファクターのコントロールです28。また、健康だけでなく笑顔の美しさへの関心の高まりから、ホワイトニングや歯列矯正といった審美歯科のニーズも増えています35

高齢期

高齢期は、特有の課題があり、深い配慮が必要です。

「8020運動」のパラドックス

「80歳で20本以上の歯を残そう」という「8020運動」は日本で大きな成功を収め、達成者の割合は51%を超えました9。しかし、これは新たな課題を生み出しています。つまり、多くの歯が残っているということは、虫歯(特に歯ぐきが下がって露出した歯の根にできる根面う蝕)や歯周病になるリスクのある歯面も多いということです。

表2: 日本における「8020運動」達成率と年齢階級別現在歯数の平均値
年齢層 平均現在歯数 8020達成率 (%)
40-49歳 27.9本
50-59歳 26.2本
60-69歳 22.9本
70-79歳 18.2本
80歳以上 14.1本 51.6% (80歳時点の推計)
出典: 厚生労働省 令和4年(2022年)歯科疾患実態調査及び関連資料を基に編集委員会が作成936

オーラルフレイル (Oral Frailty)

これは、お口の機能(噛む、飲み込む、話すなど)が徐々に衰えていく状態を指す重要な概念です。食べこぼしやわずかなむせ、硬いものが食べにくい、口の渇き、滑舌の低下などが初期のサインです。オーラルフレイルは全身のフレイル(虚弱)の前兆であり、要介護状態となるリスクを高めます2037

介護者向けガイド

要介護者の口腔ケアは、特別な配慮と技術を要します。

  • 心理的ケアとコミュニケーション: ケアは信頼関係の構築から始まります。これから何をするのかを常に説明し、優しい声で語りかけ、決して無理強いしてはいけません。忍耐と共感が鍵です3839
  • 準備と姿勢: 必要な物品をすべて手元に準備します。ケアを受ける人が安全な姿勢、理想的には顎を少し引いた座位を保てるようにします。臥位の場合は、唾液や洗浄液による誤嚥を防ぐために顔を横向きにします294041
  • 清掃(器質的ケア): 極めて柔らかい毛の歯ブラシや、粘膜清掃用のスポンジブラシ、湿らせたガーゼなど、本人の状態に合った器具を使用します4243
  • 義歯(入れ歯)のケア: 義歯は毎日取り外して専用のブラシで清掃します。通常の歯磨き粉は義歯の表面を摩耗させる可能性があるため使用しません。外している間は、乾燥による変形を防ぐため、水や専用の洗浄液に浸しておきます423440
  • 機能的ケア: 口をすぼめたり膨らませたり、舌を前後左右に動かすといった簡単な口の体操や、唾液腺(顎下腺、舌下腺、耳下腺)のマッサージを行うことで、唾液の分泌を促し、筋力を維持し、咀嚼・嚥下機能をサポートします293440

表3: ライフステージ別口腔ケア早見表

ライフステージ 主な課題 推奨されるケア
乳幼児期 虫歯予防、哺乳瓶う蝕 フッ化物配合歯磨剤の使用、親による仕上げ磨き、甘い飲み物の制限34
学童期 永久歯への生え変わり、歯並び 正しい歯磨き習慣の確立、定期的なフッ化物塗布、歯科矯正の検討。
成人期 歯周病、ストレス、生活習慣病 歯間清掃の徹底、定期検診とPMTC、禁煙、リスクファクター管理28
妊娠期 妊娠性歯肉炎 丁寧なブラッシング、妊娠中の歯科検診の受診4
高齢期 歯の喪失、根面う蝕、オーラルフレイル、誤嚥性肺炎 義歯の適切なケア、唾液腺マッサージ、口腔機能訓練、介護者による介助2026

第7章:栄養と生活習慣 – 内側から築く歯の健康

口腔の健康は、外側からの清掃だけでなく、内側からの栄養と健康的な生活習慣によっても支えられています。

歯と歯ぐきに不可欠な栄養素

  • カルシウムとリン: エナメル質と象牙質の主成分。牛乳、チーズ、ヨーグルト、骨ごと食べられる小魚などに豊富です4
  • ビタミンD: カルシウムの吸収を助けます。日光を浴びることで体内で合成され、脂肪の多い魚にも含まれます。
  • ビタミンA: 丈夫なエナメル質の形成と維持を助けます。ニンジン、サツマイモ、緑黄色野菜に多く含まれます4
  • ビタミンC: コラーゲンの生成を助け、歯ぐきの健康に重要です。パプリカ、キウイ、ブロッコリーに豊富です4
  • 良質なタンパク質: 歯周組織を含む、体中のあらゆる組織の構築と修復に必要です16

有害な要因とその管理

  • 糖分: 甘い食べ物や飲み物の摂取、特に間食を控えることが重要です。食品表示を見て「隠れ砂糖」にも注意しましょう18
  • 喫煙: 歯周病の最大のリスクファクターの一つとされています。喫煙は免疫力を低下させ、歯ぐきへの血流を悪くし、傷の治りを妨げ、出血などの初期症状を隠してしまいます。データによれば、喫煙者は非喫煙者に比べて重度の歯周病になるリスクが5倍も高いとされています4。禁煙は、お口と全身の健康のためにできる最善の行動の一つです。
  • アルコール: 過度の飲酒は口の渇き(ドライマウス)を引き起こし、虫歯や歯周病のリスクを高める可能性があります7
  • ストレス: 慢性的なストレスは免疫系を弱め、歯周病を含む感染症への抵抗力を低下させる可能性があります28

第8章:よくある質問(FAQ)と結論

最後の章では、一般的な疑問に答え、重要なメッセージを再確認し、読者の行動を促します。

よくある質問

食後すぐに歯を磨くのは良いことですか?

伝統的には食後すぐの歯磨きが推奨されてきました。しかし、オレンジや炭酸飲料など酸性度の高い食品を摂取した直後は、エナメル質が一時的に柔らかくなっています。そのため、食後30分ほど待って唾液が酸を中和してから磨く方が、エナメル質の摩耗を防ぐ観点からは望ましいとされています。

電動歯ブラシは手磨きより優れていますか?

電動歯ブラシは、特に手先の細かい動きが苦手な方にとって、プラーク除去において手磨きよりも効率的な場合があります。しかし、最も重要なのは歯ブラシの種類ではなく、正しい磨き方ができているかどうかです44

歯ブラシはどのくらいの頻度で交換すべきですか?

毛先が開いたり、摩耗したり、あるいは病気のあとなど、遅くとも3ヶ月ごとに交換することが推奨されています8

歯周病は遺伝しますか?

歯周病へのかかりやすさには、ある程度の遺伝的要因が関与していると考えられています。しかし、発症の決定的な要因は、やはり日々の口腔清掃と生活習慣です4

歯がしみる(知覚過敏)のはどうすればいいですか?

知覚過敏は、歯ぐきの退縮やエナメル質の摩耗によって象牙質が露出することで起こります。知覚過敏用の歯磨き粉を使用するとともに、原因を特定し、適切な治療を受けるために歯科医師に相談することが重要です4

結論

本記事を通じて、お口の健康がいかに私たちの人生の質と深く結びついているか、ご理解いただけたことでしょう。最後に、最も重要なメッセージを改めてお伝えします。(1) 予防こそが最善の治療であり、それは毎日の丁寧なセルフケアから始まります。(2) お口の健康は全身の健康の鏡であり、切り離して考えることはできません。(3) 必要なケアはライフステージと共に変化するため、自分に合ったケアを継続することが重要です。お口の健康への投資は、より質の高い、健やかな人生への投資です。先延ばしにせず、今日、あなたのかかりつけ歯科医に予約の連絡を入れ、生涯にわたる健康への旅を始めましょう。

免責事項本記事は情報提供を目的としたものであり、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康上の懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

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