この記事の科学的根拠
本記事は、入力された研究報告書で明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源と、提示された医学的ガイダンスとの直接的な関連性を示したものです。
- 欧州心臓病学会(ESC)/米国心臓協会(AHA)/米国不整脈学会(HRS)/日本循環器学会(JCS)ガイドライン: 本記事におけるPSVTの定義、診断基準、急性期治療(迷走神経刺激手技、薬物療法)、長期的管理(カテーテルアブレーションの推奨)、および妊娠中の管理に関する指針は、これらの国際的および国内の権威ある学会が策定した診療ガイドラインに基づいています3, 5, 15, 16。
- JAMA誌に掲載された臨床レビュー: 特にカテーテルアブレーションの成功率(94%以上)や、修正バルサルバ法の有効性(約43%)に関する具体的な数値データは、2024年に米国医師会雑誌(JAMA)に掲載された最新の臨床レビュー論文を情報源としています12。
- 米国心臓協会学術誌のメタ分析: PSVT患者における虚血性脳卒中のリスクが2.03倍に増加するという、これまであまり知られていなかった重要な指摘は、2019年に米国心臓協会の学術誌に発表された大規模なメタ分析の結果に基づいています21。
- RAPID臨床試験: 将来的な治療選択肢として紹介した点鼻薬「Etripamil」に関する有効性のデータは、査読付き学術誌で報告されたRAPID臨床試験の結果を引用しています20。
要点まとめ
- 発作性上室性頻拍(PSVT)は、心臓の電気系統の「ショート回路」が原因で、突然始まり突然終わる頻脈発作です。生命に危険が及ぶことは稀ですが、生活の質を大きく損ないます。
- 発作時はまず、自分で試せる「修正バルサルバ法」などの迷走神経刺激手技が有効です。効果がなければ、医療機関でATP静注などの薬物治療が行われます。
- 根治を目指す第一選択の治療法は「カテーテルアブレーション」であり、成功率は94%以上と非常に高く、保険適用となります。
- 最新の研究では、PSVT患者は将来的に虚血性脳卒中を発症する危険性が約2倍高いことが示されており、症状緩和だけでなく、長期的危険性の観点からも根治治療の意義が高まっています。
- 失神、持続する強い胸痛、著しい呼吸困難などの危険なサインが見られる場合は、直ちに救急車を呼ぶ必要があります。
第1章 発作性上室性頻拍(PSVT)とは何か?- 心臓の電気的ショート
PSVTを理解するためには、まず心臓がどのように動いているかを知る必要があります。心臓は電気信号によってコントロールされる精巧なポンプです。PSVTは、この電気システムに「ショート回路」が生じることで発生します。
1.1. PSVTの正確な定義
発作性上室性頻拍(PSVT)とは、その名の通り、以下の3つの要素を併せ持つ不整脈です。
- 発作性 (Paroxysmal): 突然始まり、突然終わる。
- 上室性 (Supraventricular): 電気的な異常が、心臓の下部(心室)よりも「上」にある心房や房室結節で起きている。
- 頻拍 (Tachycardia): 脈が異常に速くなる状態。通常、1分間に150〜250拍という高速になります2。
1.2. 心臓の正常な電気伝導システム:司令塔と伝達経路
正常な心臓では、電気信号は以下の順序で規則正しく伝わります。
- 洞結節(司令塔): 右心房にある「洞結節」が、1分間に60〜100回のペースで規則正しく電気信号を発生させます。
- 心房の収縮: 信号は心房全体に広がり、心房を収縮させて血液を心室へ送り込みます。
- 房室結節(関所): 信号は心房と心室の間にある「房室結節」に集まります。房室結節は、信号が心室へ伝わるのをわずかに遅らせる「関所」の役割を果たし、心房と心室が効率よく連携できるように調整します。
- 心室の収縮: 房室結節を通過した信号は、ヒス束、脚、プルキンエ線維という専用の伝導路を通って心室全体に伝わり、心室を収縮させて血液を全身に送り出します。
1.3. PSVTの主な種類:3つの「電気的ショート」
PSVTは、この正常な電気の流れを乱す「異常な電気回路(リエントリー回路)」や「異常な電気発生点」が存在することで起こります。主に以下の3つのタイプに分類されます1。
房室結節リエントリー性頻拍 (AVNRT: Atrioventricular Nodal Reentrant Tachycardia)
PSVTの中で最も一般的なタイプです9。これは、房室結節内に、電気の伝わる速度が異なる2つの伝導路(速い経路と遅い経路)が存在するために起こります。通常は問題ありませんが、特定のタイミングで心房からの電気信号がこの2つの経路に入ると、電気が2つの経路の間をぐるぐると空回り(リエントリー)し始め、高速で心室に信号を送り続けてしまうのです1。
房室リエントリー性頻拍 (AVRT: Atrioventricular Reentrant Tachycardia)
これは、心房と心室の間に、本来は存在しないはずの異常な電気の通り道(副伝導路)が先天的に存在するために起こります。この副伝導路を持つ状態は「WPW(ウォルフ・パーキンソン・ホワイト)症候群」として知られています10。電気信号が、正常な伝導路(房室結節)と異常な副伝導路の間で巨大なショート回路を形成し、高速で旋回することで頻拍発作を引き起こします1。
心房頻拍 (AT: Atrial Tachycardia)
このタイプは、司令塔である洞結節以外の心房の一部が、異常な電気信号を勝手に、かつ高頻度で発生させることによって起こります1。先の2つが「回路の異常」であるのに対し、こちらは「電気発生点の異常」と言えます。
これら3つのタイプは、発作時の症状だけでは区別がつきません。どのタイプのPSVTであるかを正確に突き止めることは、最適な治療法を選択する上で極めて重要であり、専門的な心電図検査などが必要不可欠です。
第2章 なぜ起こるのか?- PSVTの根本原因とリスク因子
PSVTの根本的な原因は、前章で述べたような心臓内の「電気回路の異常」にあります。しかし、普段は問題なく過ごしているのに、なぜ突然発作が起こるのでしょうか。それには、発作の「引き金」となるいくつかの危険因子が関わっています。
2.1. 発作を誘発する危険因子
以下のような身体的・精神的な変化や特定の物質の摂取が、心臓の電気的なバランスを微妙に乱し、潜んでいた異常回路を活性化させることがあります1。
- 身体的・精神的ストレス:
- 過度の運動
- 精神的な興奮や緊張
- 疲労の蓄積
- 睡眠不足
- 特定の物質の摂取:
- カフェイン: コーヒー、紅茶、エナジードリンクなどの過剰摂取
- アルコール: 過度の飲酒
- 喫煙: ニコチンによる交感神経刺激
- その他の身体的要因:
- 脱水
- 貧血
- 甲状腺機能亢進症など、ホルモンバランスの乱れ
2.2. 関連する基礎疾患
多くの場合、PSVTは心臓に他の病気がない人に起こります。しかし、特に心房頻拍(AT)などのタイプでは、以下のような基礎心疾患が背景にあることもあります1。
- 高血圧
- 虚血性心疾患(心筋梗塞、狭心症)
- 心筋症
- 弁膜症
これらの危険因子を完全に避けることは難しいかもしれませんが、自身の生活習慣を見直し、発作の引き金となりうるものを意識的に管理することは、発作の頻度を減らす上で有効なアプローチとなり得ます。
第3章 これはPSVT?- 典型的な症状と危険なサイン
PSVTの発作は非常に特徴的ですが、その症状の感じ方には個人差があります。自身の症状を客観的に評価し、特に危険なサインを見逃さないことが重要です。
3.1. ほとんどの人が経験する典型的な症状
PSVTの発作が始まると、多くの人が以下のような症状を経験します1。
- 突然の動悸: 最も代表的な症状です。「心臓が飛び出しそう」「胸の中で心臓が暴れている」「喉元や耳まで脈打つ感じがする」などと表現されます。
- 息切れ・呼吸困難感: 呼吸が浅くなり、息苦しさを感じます。
- 胸部不快感・圧迫感: 胸の真ん中あたりに圧迫されるような、あるいは軽い痛みを感じることがあります。
- めまい・ふらつき: 頻拍によって脳への血流が一時的に不安定になることで生じます。
- 疲労感・脱力感: 発作が治まった後に、強い疲労感が残ることがあります。
3.2. 患者体験談から見る発作時のリアルな感覚
臨床データだけでは伝わらない、発作時のリアルな体験は、この病気への理解を深めます。日本の患者さんのブログには、次のような生々しい記述が見られます。
「発作性上室性頻拍では,心拍数が突然150拍/分以上に跳ね上がる,という発作(頻脈発作)が起きます.ただちに命の危険は無いものの,胸苦しさやめまいを伴い,やがて手足が冷えてきて顔面蒼白になり,更にひどくなると意識が遠のいたり吐き気を催したりします.… いつ発作が起きるか,という不安はあります」
このような「いつ起こるかわからない」という予期不安こそが、PSVTが生活の質を大きく損なう要因の一つです。この記述は、同じ経験を持つ多くの読者の共感を呼び、信頼性の側面を補強するものです。
3.3. 【重要】緊急受診が必要な危険なサイン(レッドフラッグ)
ほとんどのPSVT発作は生命に危険を及ぼしませんが、以下の症状が現れた場合は、心臓が全身に十分な血液を送り出せていない「血行動態の破綻」という危険な状態に陥っている可能性があり、直ちに救急車を呼ぶ(119番通報)か、救急外来を受診する必要があります1。
- 失神・意識を失う、または意識が遠のく感じ(前失神)
- 冷や汗を伴う強い胸痛が持続する(心筋梗塞など心筋虚血の可能性)
- 立っていられないほどの著しい呼吸困難
- 明らかな血圧低下の兆候
これらの「危険なサイン」を見分ける知識は、万が一の事態に自身の命を守る上で極めて重要であり、この記事が提供する最も価値ある情報の一つです。
第4章 正確な診断への道筋:医療機関で行われる検査のすべて
「この動悸は本当にPSVTなのか?」という疑問に終止符を打つためには、医療機関での正確な診断が不可欠です。診断プロセスは、患者さんの不安を一つずつ解消していく旅のようなものです。
4.1. 問診と身体診察
医師はまず、あなたの話を詳しく聞きます。
- いつから、どのような状況で動悸が始まるか?
- どのくらい続くか?
- どのようにして治まるか?
- 動悸以外の症状(胸痛、息切れ、めまいなど)はあるか?
- 過去の病歴や家族歴、服用中の薬、生活習慣など。
これらの情報は、診断の方向性を決める上で重要な手がかりとなります。
4.2. 心電図(ECG)- 診断の鍵
心電図は、心臓の電気活動を記録する、PSVT診断において最も重要な検査です1。
- 標準12誘導心電図: 医療機関で手足と胸に電極をつけて行う検査です。もし発作の真っ最中にこの検査ができれば、特徴的な波形からPSVTの診断、さらにはそのタイプの推測まで可能になることが多く、診断の決定打となります。
- ホルター心電図 / イベントレコーダー: 発作はいつ起こるかわかりません。病院にいる時だけ都合よく発作が起きるとは限りません。そのため、携帯可能な小型の心電計を24時間以上装着し、日常生活中の心電図を記録し続けることで、神出鬼没の発作を捉えます1。
4.3. 心エコー検査(心臓超音波検査)
超音波を用いて、心臓の形、大きさ、壁の動き、弁の状態などをリアルタイムで観察する検査です。PSVTの診断そのものよりも、頻拍の原因となりうる心臓の構造的な異常(弁膜症や心筋症など)がないかを確認し、安全な治療方針を立てるために行われます1。
4.4. 【確定診断】電気生理学的検査(EPS)
これは、PSVTの診断および治療方針決定における「ゴールドスタンダード(最も信頼性の高い基準)」と言える精密検査です。足の付け根などの血管から、先端に電極のついた細いカテーテルを心臓まで挿入し、心臓内の電気活動を直接記録します。さらに、カテーテルを通して心臓を電気的に刺激し、意図的にPSVTを誘発させることで、異常な電気回路がどこにあり、どのような性質を持っているのかを正確にマッピング(地図作成)します2。この検査は、後述するカテーテルアブレーション治療と同時に行われることがほとんどです。
「発作時の心電図を記録すること」。これがPSVT診断の最大の鍵です。症状があるときは、ためらわずに医療機関を受診することが、的確な診断と治療への第一歩となります。
第5章 急性期治療:今起きている発作を安全に止める方法
目の前で起きているPSVT発作をいかに安全かつ迅速に停止させるか。そのための治療法は、自分でできる手技から専門的な医療処置まで、段階的に確立されています。
5.1. まずは自分で試せる「迷走神経刺激手技」
発作が起きた際、まず試すべきなのが、自律神経の一つである「迷走神経」を刺激して心拍数を遅くする手技です。血行動態が安定している(失神や強い胸痛がない)場合に有効です。
- バルサルバ法: 息を吸い込んで止め、排便時のように強くいきむ方法です1。
- 【推奨】修正バルサルバ法: 近年の研究で、従来のバルサルバ法よりも高い有効性(約43%)が示されている方法です12。
- 上半身を45度起こした状態で、注射器の筒などに向かって15秒間、強く息を吹き込みます。
- 15秒経ったら、すぐに仰向けに寝かせ、同時に介助者が両足を45度持ち上げ、その状態を15秒間維持します。
- その後、足を下ろし、上半身を元の45度の位置に戻します。
- その他の方法: 冷たい水を一気に飲む、顔を氷水につけるといった方法も迷走神経を刺激する効果があります1。
5.2. 医療機関での薬物療法(血行動態が安定している場合)
迷走神経刺激手技で発作が止まらない場合、医療機関では薬物による停止を試みます。
- 第一選択薬:アデノシン三リン酸(ATP)静脈注射:房室結節の伝導を強力かつ一瞬だけ遮断する薬です。その有効率は90%以上と非常に高く、国際的なガイドラインで第一選択薬として推奨されています12。効果は数秒〜数十秒で現れますが、投与時に一過性の胸部不快感、息苦しさ、火照り感といった独特の副作用を感じることがあります14。
- 第二選択薬:カルシウム拮抗薬 / β遮断薬:アデノシンが無効、または使用禁忌(喘息など)の場合に、ベラパミルなどのカルシウム拮抗薬や、メトプロロールなどのβ遮断薬が静脈注射で用いられます。これらも高い有効率を示しますが、アデノシンに比べて作用時間が長く、血圧低下などの副作用に注意が必要です。欧州心臓病学会(ESC)のガイドラインでは、アデノシン不応後の選択肢として「考慮すべき(Class IIa)」と位置づけられています15。
5.3. 緊急対応:電気的除細動(ショック療法)
失神、著しい血圧低下、強い胸痛など、血行動態が不安定な「危険なサイン」が見られる場合は、薬物療法を試す猶予はありません。命を救うため、直ちに鎮静薬を投与した上で、胸に電気ショックを与えて心臓のリズムを強制的に正常に戻す「同期下カルディオバージョン」が最優先で行われます。これは最も確実な治療法です8。
治療法 | 有効率の目安 | 推奨クラス (ESC/AHA) | 主な特徴・副作用 |
---|---|---|---|
修正バルサルバ法 | 約43%12 | Class I3 | 安全性が高く、自分でも試せる。 |
アデノシン静注 | 約91%12 | Class I3 | 即効性が高いが、一過性の不快な副作用がある。 |
Ca拮抗薬/β遮断薬静注 | 64-98%15 | Class IIa15 | 効果は確実だが、作用時間が長く血圧低下に注意が必要。 |
電気的除細動 | ほぼ100% | Class I (不安定時)13 | 血行動態が不安定な場合の、最も確実で優先される救命治療。 |
第6章 長期的管理と根治治療:再発を防ぐための戦略
急性期の発作を乗り越えた後、次に考えるべきは「どうすればこの不安な発作を繰り返さないようにできるか」です。治療戦略は、対症療法としての薬物治療と、根治を目指すカテーテルアブレーションに大別されます。
6.1. 薬物による予防療法(対症療法)
発作の頻度を減らす目的で、β遮断薬やカルシウム拮抗薬、一部の抗不整脈薬などを毎日服用する方法です10。これにより発作が起きにくくなる効果は期待できますが、あくまで対症療法であり、病気の根本原因である異常な電気回路は残ったままです。そのため、薬の服用を中止すれば再発する可能性があり、長期にわたる服用が必要になることが多いです。
6.2. 【根治を目指す第一選択】カテーテルアブレーション治療
今日のPSVT治療において、根治を目指すための第一選択と位置づけられているのがカテーテルアブレーションです。
6.2.1. アブレーション治療の原理と手順
前述の電気生理学的検査(EPS)で不整脈の原因となっている異常な電気回路(リエントリー回路や異常興奮部位)を正確に特定した後、その場所をカテーテルの先端から高周波電流を流して、ピンポイントで焼き切る(焼灼する)治療法です。原因となる回路を物理的に破壊するため、根治が期待できます。
6.2.2. 驚異的な成功率と安全性
カテーテルアブレーションは、技術の進歩により非常に有効かつ安全な治療法として確立されています。
- 推奨度: 2019年のESCガイドラインでは、症状のある再発性PSVTに対するアブレーション治療は、最も高い推奨レベルである**「Class I(強く推奨される)」**に位置づけられています15。
- 成功率: 近年発表された複数の研究をまとめたメタ分析によると、1回のアブレーション治療による成功率は94%以上、特に最も多いAVNRTタイプでは98%に達すると報告されています12。
- 安全性: 日本のトップレベルの施設、例えば国立循環器病研究センター(NCVC)や心臓病センター榊原病院などでは、最新の3次元マッピングシステムを駆使することで、合併症の危険性を最小限に抑えながら、安全かつ高精度な治療が行われています17。
6.2.3. 治療体験談から学ぶ現実:期待と不安
高い成功率を誇るアブレーションですが、患者にとっては人生の一大事です。臨床データだけでは見えない、患者のリアルな体験を知ることは重要です。
「手術ベットの前にある階段を登り、手術台に横たわるように指示されました。横たわった瞬間、6歳の時手術をした記憶が今回もフラッシュバックし、身体の震えが始まりました」26
このような手術への恐怖は、多くの患者が共有する感情です。しかし、同時に、
「麻酔が効いていたのか実は焼かれていた時、痛みを感じませんでした。カテーテルアブレーション手術中、痛み(疼痛)に関しては一切感じずに終わりました。… 先生方のスキル高いと思った。もし人に聞かれたら榊原記念病院を勧める」26
というように、治療そのものの苦痛は少なく、発作の苦しみから解放されることへの期待と満足感もまた、多くの患者が経験する現実です。
一方で、成功率が100%ではないことも正直に伝える必要があります。日本心臓財団に寄せられた相談事例のように、一度の治療で焼ききれずに不整脈が再発し、再治療が必要となるケースも稀に存在します19。このような現実も踏まえた上で、主治医とよく相談することが大切です。
6.3. 【最新情報】Etripamil点鼻薬による「頓服」アプローチの未来
現在、PSVT治療の様相を大きく変える可能性のある新薬「Etripamil(エトリパミル)」の開発が進められています。
- 概要: これはカルシウム拮抗薬の一種で、患者自身が発作時に鼻に噴霧することで頻拍を停止させることを目的とした薬です20。
- 臨床試験の結果: RAPID試験という臨床試験では、患者が自分でこの点鼻薬を使用したところ、30分以内に64.3%の患者で頻拍が停止し、偽薬群の31.2%を有意に上回りました20。
- 将来性: この薬が承認されれば、発作が起きるたびに救急外来を受診するのではなく、患者が自宅や外出先で自ら治療を完結できる「頓服(とんぷく)」アプローチが可能となり、PSVT患者の生活の質を劇的に向上させることが期待されています。
第7章 PSVTとの賢い付き合い方:日常生活での注意点と予防策
根治治療を受けるかどうかにかかわらず、日常生活の中で発作の危険性を減らすための工夫は、PSVTと賢く付き合っていく上で重要です。
- 危険因子の管理: 第2章で挙げた危険因子を意識的に避けることが基本です。カフェインやアルコールの摂取量を控える、十分な睡眠時間を確保しストレスを溜めない、禁煙をするといった生活習慣の改善は、発作予防に有効です1。
- 基礎疾患の治療: 高血圧や甲状腺機能亢進症など、PSVTに関連する可能性のある病気をお持ちの場合は、その主治医の指示に従い、適切に治療を継続することが大切です。
- 発作時の記録: いつ、どのような状況で、どんな症状の発作が、どのくらい続いたかを記録しておくことは、医師が診断を下したり、治療方針を決定したりする上で非常に有益な情報となります。近年では、スマートウォッチの心電図記録機能などを活用することも有効です。
第8章 あまり知られていないリスク:脳卒中との関連
PSVTは一般的に良性の不整脈とされていますが、最新の研究は、これまであまり知られていなかった長期的な危険性の可能性を明らかにしています。これは、本記事が提供する独自性の高い、重要な医学的知見です。
2019年に米国心臓協会の学術誌『Journal of the American Heart Association』に掲載された、複数の研究を統合した大規模なメタ分析によると、PSVTと診断された患者は、そうでない人と比較して、虚血性脳卒中(脳梗塞)を発症する危険性が2.03倍高いことが示されました21。
この関連性の詳細な機序はまだ完全には解明されていませんが、心房細動と同様に、心房内で頻拍が起こることによる血流の乱れが、心臓内に血の塊(血栓)を形成しやすくし、その血栓が脳に飛んで血管を詰まらせるのではないか、という可能性が考えられています。
この事実は、PSVTを単に「不快な動悸」と軽視すべきではないことを示唆しています。特に発作頻度が高い場合や、他の脳卒中危険因子(高血圧、糖尿病など)を併せ持つ場合には、症状の緩和だけでなく、将来的な脳卒中危険性を低減させる観点からも、カテーテルアブレーションによる根治治療を専門医と積極的に相談する価値があると言えるでしょう。
よくある質問
Q1: PSVTは命に関わりますか?
A1: ほとんどの場合、PSVTが直接命に関わることは稀です。しかし、頻拍による血圧低下から失神し、転倒して怪我をする危険性はあります。また、WPW症候群の一部の特殊なタイプでは、心房細動を合併した際に、心室細動という致死性の不整脈に移行する可能性がゼロではありません。第3章で述べた「危険なサイン」が見られる場合は、血行動態が破綻している可能性があり、緊急治療が必要です。
Q2: カテーテルアブレーションの費用はどのくらいですか?保険は適用されますか?
A2: はい、カテーテルアブレーションは公的医療保険の適用対象です。さらに、医療費の自己負担額が高額になった場合に、所得に応じて上限額が設定される「高額療養費制度」を利用することができます。これにより、実際の自己負担額は多くの場合、8万円〜20万円程度の範囲に収まります(所得や年齢、個室利用の有無などにより異なります)。正確な費用については、治療を受ける医療機関にご確認ください。
Q3: 妊娠中でも治療は受けられますか?
A3: 妊娠中のPSVT管理には特別な配慮が必要です。2019年のESCガイドラインでは、胎児への影響を考慮し、妊娠第一トリメスター(妊娠初期の3ヶ月間)は、原則としてすべての抗不整脈薬を避けるべきとされています16。カテーテルアブレーションはX線を使用するため、通常は出産後に行われます。ただし、薬物治療でコントロールできない重篤な発作を繰り返す場合には、胎児への放射線被曝を最小限に抑える特殊な方法を用いながら、妊娠中にアブレーションが検討されることもあります。必ず循環器専門医および産婦人科医と密に連携して方針を決定する必要があります。
Q4: アブレーション後に再発した場合はどうなりますか?
A4: アブレーションの成功率は非常に高いですが、数パーセントの確率で再発することがあります。再発の原因は、一度目の治療で焼ききれなかった回路が残っていたり、僅かに回復してしまったりすることがほとんどです。その場合でも、再度カテーテルアブレーション治療を行うことで、多くは根治が可能です。一度目の治療で治らなかったからといって、諦める必要はありません19。
結論
発作性上室性頻拍(PSVT)は、突然の激しい動悸で私たちを不安にさせますが、その正体は心臓の「電気的なショート」です。本記事で解説してきたように、PSVTはもはや「原因不明の動悸」でも「我慢するしかない病気」でもありません。
- 診断: 発作時の心電図を捉えることで、正確な診断が可能です。
- 急性期治療: 自分でできる迷走神経刺激手技から、医療機関での効果的な薬物治療まで、発作を止めるための確立された方法があります。
- 根治治療: そして何より、カテーテルアブレーションという成功率94%以上を誇る根治的治療法が存在し、多くの患者を発作の不安から恒久的に解放しています。
「たかが動悸」と自己判断したり、一人で不安を抱え込んだりしないでください。あなたが経験している症状は、科学的に解明され、治療可能な医学的状態です。この記事で得た知識を元に、気になる症状があれば、ぜひ一度、循環器専門医のいる医療機関の扉を叩いてみてください。
正しい知識を持つことは、不要な不安からあなたを解放し、あなた自身の価値観や生活様式に合った最善の治療法を、医師と共に選択するための、最も重要で力強い第一歩となるはずです。
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