要点まとめ
- 糖尿病の「進行段階」とは、単一のステージ分類ではなく、主に「腎症」「網膜症」「神経障害」という三大合併症がそれぞれどの程度進んでいるかを示す「病期分類」によって評価されます。
- 糖尿病性腎症は5段階で評価され、初期段階(第1期・第2期)では自覚症状がほとんどなく、尿検査による早期発見が極めて重要です3。
- 糖尿病網膜症は失明の主要原因の一つであり、自覚症状がないまま進行するため、定期的な眼底検査が不可欠です。
- 糖尿病神経障害は最も頻度の高い合併症で、足のしびれや痛みから始まり、放置すると足の潰瘍や切断のリスクを高めるため、日々のフットケアが重要となります。
- 日本の公的医療制度である「特定健診」の結果を活用することは、自身の健康状態を把握し、早期に医師と相談を始めるための非常に有効な手段です4。
糖尿病とその診断:すべての基本
糖尿病は、インスリンというホルモンの作用不足により、血液中のブドウ糖(血糖)が慢性的に高くなる病気です。主に1型糖尿病、2型糖尿病、妊娠糖尿病などの種類に分けられます。診断は、血糖値や過去1~2ヶ月の血糖コントロール状態を反映するヘモグロビンA1c(HbA1c)の値に基づいて行われます5。日本の診断基準は日本糖尿病学会(JDS)によって定められていますが、国際的には米国糖尿病協会(ADA)の基準も広く用いられています。両者の基準を理解することは、ご自身の状態を客観的に把握する上で役立ちます67。
検査項目 | 正常型 | 境界型(予備群) | 糖尿病型 |
---|---|---|---|
空腹時血糖値 | <110 mg/dL | 110~125 mg/dL | ≥126 mg/dL |
75g経口ブドウ糖負荷試験(OGTT)2時間値 | <140 mg/dL | 140~199 mg/dL | ≥200 mg/dL |
随時血糖値 | – | – | ≥200 mg/dL |
HbA1c (NGSP値) | <6.5% | – | ≥6.5% |
出典: 日本糖尿病学会「糖尿病診療ガイドライン 2024」8、米国糖尿病協会「Standards of Care in Diabetes—2025」7を基に作成。
【病期 I】糖尿病性腎症:沈黙の進行と5つのステージ
糖尿病性腎症は、高血糖が続くことで腎臓の微細な血管が傷つき、フィルター機能が低下していく合併症です。「沈黙の殺人者」とも呼ばれるのは、初期段階では自覚症状が全く現れないためです9。ある患者様の例では、健康診断で微量アルブミン尿を指摘されても(第2期)、体調に変化がないため放置してしまいました。数年後、足のむくみ(浮腫)や倦怠感といった明らかな症状(第3期)が現れて初めて医療機関を受診したときには、腎機能は既に取り返しのつかない段階まで悪化していました1011。この経験談は、症状がないうちから定期的に尿検査を受けることの重要性を物語っています。
腎症の5つの病期分類
腎症の進行度は、尿中アルブミン排泄量とeGFR(推算糸球体濾過量)という2つの指標を基に、以下の5つのステージに分類されます312。
病期 | 名称 | 尿中アルブミン排泄量 (mg/gCr) | eGFR (mL/min/1.73m²) | 主な状態と症状 | 管理目標 |
---|---|---|---|---|---|
第1期 | 腎症前期 | 正常アルブミン尿 (<30) | 正常 (≥90) | 自覚症状なし。腎臓の構造的変化が始まる。 | 血糖コントロールの最適化。 |
第2期 | 早期腎症期 | 微量アルブミン尿 (30-299) | 正常 (≥90) | 自覚症状なし。この段階での発見が極めて重要。 | 厳格な血糖・血圧管理。進展抑制を目指す。 |
第3期 | 顕性腎症期 | 顕性アルブミン尿 (≥300) | 低下し始める (30-89) | 浮腫(むくみ)、高血圧、貧血などが出現。 | 腎機能低下の速度を緩める。食事療法(蛋白・塩分制限)。 |
第4期 | 腎不全期 | 問わない | 著明低下 (15-29) | 倦怠感、食欲不振、吐き気など尿毒症症状。 | 透析導入の準備と計画。 |
第5期 | 末期腎不全期 | 問わない | <15 | 透析療法または腎移植が必要。 | 生命維持とQOLの改善。 |
第1期・第2期:早期発見が鍵
この段階は、腎機能がまだ正常に保たれている「可逆的」な時期です。適切な介入、特に厳格な血糖コントロールと血圧管理を行うことで、腎症の進行を大幅に遅らせたり、場合によっては改善させたりすることが可能です3。自覚症状がないため、健康診断や定期的な通院での尿検査が唯一の発見手段となります。
第3期以降:不可逆的な段階へ
第3期に入ると、腎機能の低下は基本的に元には戻りません。治療の目標は、いかにして腎機能の低下速度を緩め、透析導入を先延ばしにするか、という点にシフトします11。この段階からは、より積極的な薬物療法に加え、専門家の指導のもとでのタンパク質や塩分を制限した食事療法が不可欠となります。
【病期 II】糖尿病網膜症:失明に至る道のりとその分類
糖尿病網膜症は、成人の失明原因のトップクラスを占める深刻な合併症です13。腎症と同様に、初期には自覚症状がほとんどなく、視力に影響が出始めたときには、すでにかなり進行しているケースが少なくありません。したがって、糖尿病と診断されたら、視力に問題がなくても定期的な眼底検査を受けることが絶対条件となります。網膜症の進行度は、国際的な重症度分類に基づいて評価されます14。
分類 | 主な眼底所見 | 状態 |
---|---|---|
網膜症なし | 異常所見なし | 合併症は発症していない。 |
単純型 (NPDR) | 毛細血管瘤、点状・斑状出血、硬性白斑 | 軽度、中等度、重度の3段階。血管がもろくなり、血液成分が漏れ出している状態。 |
増殖前網膜症 (Pre-PDR) | 軟性白斑、網膜内細小血管異常 (IRMA) | 網膜の血流不足が進行し、新しい血管(新生血管)が生まれようとしている危険な状態。 |
増殖型 (PDR) | 新生血管、硝子体出血、網膜剥離 | 新生血管が破れて大出血を起こしたり、網膜を引っ張って剥がしたりする。失明の危険性が非常に高い。 |
出典: 日本眼科学会14の情報を基に作成。
単純糖尿病網膜症(NPDR)
初期段階であり、網膜の毛細血管に小さなこぶ(毛細血管瘤)ができたり、わずかな出血が見られたりします。通常、この段階では自覚症状はありません。しかし、血糖コントロールが悪いと、着実に次の段階へと進行していきます。
増殖糖尿病網膜症(PDR)
網膜の酸素不足を補うために、もろくて破れやすい新生血管が生えてくる非常に危険な状態です。この新生血管が破れると、眼球内(硝子体)で大出血を起こし、急激な視力低下をきたします。また、増殖した膜が網膜を引っ張り、網膜剥離を引き起こすこともあります13。この段階では、レーザー光凝固術などの治療が必要となります。
【病期 III】糖尿病神経障害:足のしびれから全身へ
糖尿病神経障害は、最も頻度が高く、最も早期に出現する合併症です15。高血糖により神経細胞がダメージを受け、様々な症状を引き起こします。最も一般的なのは、足先や手先のしびれ、痛み、感覚が鈍くなる「多発神経障害」です。しかし、影響はそれだけでなく、立ちくらみ(自律神経障害)や消化不良など、全身に及ぶ可能性があります。
ステージ | 状態 | 主な症状・所見 |
---|---|---|
N0 | 神経障害なし | 症状も検査所見もなし。 |
N1 (Subclinical) | 無症候性神経障害 | 自覚症状はないが、神経伝導速度検査などで異常が認められる。 |
N2 (Clinical) | 症候性神経障害 | 足のしびれ、痛み、感覚低下などの自覚症状がある。 |
N3 (Disabling) | 重症(身体障害を伴う)神経障害 | 神経障害が原因で歩行困難、足潰瘍、切断に至る。 |
出典: Dyck, P. J. らの研究16に基づく臨床的分類を参考にJHOが編集。
フットケアの重要性
神経障害で特に注意すべきは、足の感覚が鈍くなることです。これにより、靴擦れや小さな傷に気づかず、そこから細菌が感染して重篤な潰瘍や壊疽に発展し、最悪の場合は足を切断せざるを得なくなります15。日本における足潰瘍の発生率は欧米より低いものの、一度発症すると再発率が非常に高いことが知られており、決して軽視できない問題です17。毎日、自分の足を観察し、清潔に保ち、適切な靴を選ぶといった基本的な「フットケア」が、足を守るために不可欠です。
進行を防ぐための包括的マネジメント
合併症の進行を防ぎ、健康な生活を長く続けるためには、個別の治療だけでなく、生活習慣全体を管理する包括的なアプローチが必要です。日本糖尿病学会の「糖尿病診療ガイドライン 2024」でも、食事療法、運動療法、薬物療法の三本柱を基本とした管理が強調されています8。
食事療法:日本人のための具体的アプローチ
「バランスの良い食事」という一般的なアドバイスだけでは不十分です。日本人を対象とした研究では、朝食を抜く、早食い、夕食後の間食といった食習慣が糖尿病リスクを高めることが指摘されています1819。また、日本人の食生活で過剰摂取になりがちな白米や菓子パンなどの精製炭水化物にも注意が必要です20。漠然としたカロリー制限ではなく、こうした具体的な食習慣を見直すことが、効果的な血糖コントロールにつながります。
運動療法と薬物療法
有酸素運動とレジスタンス運動を組み合わせることが推奨されています。薬物療法も近年大きく進歩しており、従来の経口薬やインスリンに加え、心臓や腎臓を保護する効果を持つ新しいタイプの注射薬も登場しています。どの治療法を選択するかは、個々の病状やライフスタイルに合わせて主治医と相談して決定します。
日本の制度を活用する:特定健診の重要性
これは日本の読者にとって非常に有用かつ独自の視点です。日本には「特定健診・特定保健指導」という全国的な健康診断プログラムがあります4。研究によれば、このプログラムは健康指標の改善に一定の効果があることが示されています2122。年に一度の特定健診の結果をただ受け取るだけでなく、それを早期警告システムとして活用し、血糖値やHbA1c、尿検査の結果を持参して主治医と相談することで、合併症の超早期発見と介入が可能になります。これは、ご自身の健康を主体的に管理するための最も強力なツールの一つです。
よくある質問 (FAQ)
糖尿病の「進行段階」とは、具体的にどういう意味ですか?
臨床的には、糖尿病自体の「段階」というよりも、高血糖によって引き起こされる主要な合併症、すなわち「腎症」「網膜症」「神経障害」がそれぞれどの病期(ステージ)にあるかで進行度を評価します。この記事で解説したように、例えば腎症は5段階、網膜症は所見によって数段階に分類され、それぞれの段階に応じた管理や治療が行われます。
初期の合併症にはなぜ気づきにくいのですか?
糖尿病性腎症や網膜症の初期段階では、体の機能がまだ代償されているため、むくみや視力低下といった自覚症状がほとんど現れません。症状が出てきたときには、病状がかなり進行していることが多いのがこの病気の特徴です。だからこそ、糖尿病と診断されたら、症状がなくても定期的に尿検査や眼底検査を受けることが、将来の深刻な合併症を防ぐために不可欠なのです。
合併症の進行を止めることはできますか?
腎症の第1期や第2期のように、ごく初期の段階であれば、厳格な血糖・血圧コントロールによって進行を大幅に遅らせたり、状態を改善させたりすることが可能です。しかし、一度進行してしまうと(例:腎症第3期以降)、機能を元に戻すことは困難になります。治療の目標は、進行のスピードを最大限に緩やかにすることに変わります。早期発見・早期治療がいかに重要であるかがお分かりいただけるかと思います。
結論:自分のステージを知り、主治医と共に歩む
糖尿病の進行という現実は、決して単純なものではありません。しかし、それを合併症の「病期」という正確な物差しで理解することで、漠然とした不安は、具体的な対策を立てるための力に変わります。糖尿病の進行は、適切な管理によって効果的にコントロールすることが可能です23。その鍵は、特定健診のような機会を活かして定期的に検査を受け、ご自身の体の状態、すなわち各合併症がどのステージにあるのかを正確に把握することです。そして、その情報をもとに主治医や医療チームと緊密に連携し、自分だけの治療計画を立て、粘り強く実行していくこと。それこそが、合併症の進行を食い止め、豊かな人生を長く歩み続けるための最も確実な道筋なのです。
参考文献
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- 糖尿病のステージ別の症状とは?ステージ別の主な症状と体の変化… 浅草橋総合内科. (2025年6月18日アクセス). https://asakusabashi-mo.jp/blog/diabetes-stage-symptoms
- 糖尿病腎症のステージごとの症状は?元となる糖尿病の原因や症状… 四谷・胃腸内視鏡クリニック. (2025年6月18日アクセス). https://www.yotsuya-naishikyo.com/diabetes-lab/diabetic-nephropathy/
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