しかし、現代の消化器病学は、この「原因不明」とされてきた腹痛の正体に、科学的な光を当てつつあります。これまで「機能性消化管障害(Functional Gastrointestinal Disorders, FGIDs)」と呼ばれてきた一連の病態は、現在では「脳腸相関障害(Disorders of Gut-Brain Interaction, DGBI)」という、より本質を捉えた名称で理解されるようになりました2。これは単なる名称の変更ではありません。それは、これらの疾患が「気のせい」や「精神的なもの」ではなく、脳と腸の間の双方向的な情報伝達システムの不調という、明確な生物学的基盤を持つ病態であるという、医学界のパラダイムシフトを意味しています。
かつての国際的な診断基準(ローマIII基準)では、「器質的疾患の証拠がないこと」が診断の要件とされていました。これは、他の病気ではないことを確認し、最後に残ったものを「機能性」と診断する、いわゆる「除外診断」のアプローチでした4。しかし、2016年に発表された最新の国際診断基準(ローマIV基準)では、「適切な医学的評価の後、その症状を他の医学的状態に帰することができない」という表現に変わりました4。これは、特定の症状の組み合わせを満たすことで積極的に診断を下す「陽性診断」への転換を意味します11。つまり、あなたの症状は、診断がつかない「不明」なものではなく、脳腸相関障害(DGBI)という明確な診断名を持つ可能性が高いのです。
この診断概念の転換は、患者の経験を正当化し、スティグマを払拭する上で極めて重要です。かつて「機能性」という言葉は、しばしば「実体のない」「精神科的な」問題と誤解され、患者が正当な医療を受けにくくする一因となっていました10。これに対し、ローマ財団をはじめとする国際的な専門家組織は、DGBIを消化管運動異常、内臓知覚過敏、粘膜・免疫機能の変化、腸内細菌叢の変化、中枢神経系における情報処理の異常といった、具体的な病態生理学に基づいた疾患群として再定義しました2。これにより、患者が抱える痛みは、目に見える潰瘍や腫瘍がなくとも、確かな生物学的根拠を持つ「本物」の痛みであることが、医学的に認められたのです。
脳腸相関障害は、決して珍しいものではありません。世界的な調査では、全人口の40%もの人々が何らかのDGBI症状を経験しており、医療機関を受診する主要な理由の一つとなっています2。日本消化器病学会が主導した大規模な国際共同調査でも、日本の人口の40.3%がDGBI関連の症状を有していることが報告されています14。
本記事の目的は、この複雑で誤解されやすい腹痛の謎を解き明かし、その科学的背景を深く掘り下げ、診断から最新の治療法に至るまでの明確なロードマップを提示することです。この記事を通じて、あなたが自身の状態を正しく理解し、医療者との対話を深め、痛みを管理し、より良い生活の質(QOL)を取り戻すための一助となることを目指します。
この記事の科学的根拠
この記事は、ご提供いただいた研究報告書に明示的に引用されている、最高品質の医学的エビデンスにのみ基づいています。以下に、参照された実際の情報源の一部と、提示された医学的ガイダンスとの直接的な関連性を示します。
- ローマ財団 (The Rome Foundation): 本記事における脳腸相関障害(DGBI)の定義、診断基準(ローマIV基準)、および病態生理に関する記述は、この分野の国際的な基準を確立している同財団の公式刊行物に基づいています610。
- 日本消化器病学会 (JSGE): 過敏性腸症候群(IBS)や機能性ディスペプシア(FD)の診断アルゴリズム、治療選択肢(低FODMAP食、薬物療法、漢方薬など)に関する日本の臨床現場に即した指針は、同学会が発行する最新の診療ガイドラインに準拠しています1437。
- 米国家庭医学会 (AGA): 診断プロセスにおける患者と医師の治療的同盟関係の重要性や、中枢性に作用する薬剤(ニューロモジュレーター)の使用に関する専門的見解は、同学会が発表した臨床実践アップデートに基づいています1340。
- 国際消化管障害財団 (IFFGD): 特に中枢性腹痛症候群(CAPS)のような疾患に関する患者向けの解説や、オピオイド使用の危険性に関する警告は、患者支援を目的とする同非営利団体の情報に基づいています319。
要点まとめ
- 「原因不明」とされてきた慢性腹痛の多くは、脳と腸の連携不全である「脳腸相関障害(DGBI)」という、科学的根拠のある明確な病態です。
- DGBIの診断は、危険な疾患を除外した上で、ローマIV基準などの国際的な症状基準に基づいて積極的に行われます。検査で「異常なし」という結果は、重篤な病気がないことを確認する重要な情報であり、診断の終わりではなく始まりです。
- 痛みの主な原因には、腸が過敏になる「内臓知覚過敏」と、脳が痛みを増幅してしまう「中枢性感作」があります。これは「気のせい」ではなく、生物学的な変化です。
- 治療は、食事療法(低FODMAP食など)、消化管に作用する薬、脳の痛みの感じ方を調節する薬(脳腸相関改善薬)、認知行動療法などの心理療法を組み合わせた、包括的なアプローチが有効です。
- 信頼できる医療専門家と強固なパートナーシップを築き、自身の状態を正しく理解し、治療に主体的に参加することが、症状を管理し生活の質を回復させるための鍵となります。
脳と腸の対話「脳腸相関」—痛みの根源を探る
なぜ、ストレスを感じるとお腹が痛くなるのでしょうか。なぜ、検査では異常がないのに、腸が過敏に反応するのでしょうか。その答えの鍵を握るのが、「脳腸相関(Gut-Brain Axis)」という概念です。これは、脳と腸が独立して機能しているのではなく、神経系、ホルモン(内分泌)系、免疫系を介して常に情報を交換し合う、密接な双方向のコミュニケーションネットワークを形成しているという考え方です2。DGBIの根源を理解するためには、まずこの驚くべき対話の仕組みを知る必要があります。
脳と腸を結ぶ双方向ハイウェイ
私たちの消化管には、脳に次ぐ規模の神経細胞ネットワークが存在し、「第二の脳」とも呼ばれる腸管神経系(Enteric Nervous System)を形成しています6。興味深いことに、この腸の神経系は、胎児期において脳や脊髄と同じ神経堤という組織から発生します6。つまり、脳と腸は生まれながらにして「兄弟」のような関係にあるのです。
この二つの脳は、迷走神経などの神経回路を通じて直接結ばれており、絶えず情報をやり取りしています。脳が感じたストレスや不安、恐怖といった情動は、瞬時に腸に伝達され、その運動や分泌機能に影響を及ぼします。これは、「胃がキリキリする」「お腹に蝶が舞うようだ(butterflies in my stomach)」といった日常的な表現にも現れています6。逆に、腸の状態、例えば腸内細菌のバランスや炎症の有無といった情報も、同じ経路を辿って脳に送られ、私たちの気分や感情、さらには痛みの感じ方までをも左右するのです2。
ストレスが物理的な痛みになるメカニズム
脳腸相関の最も分かりやすい例は、ストレスが消化器症状を引き起こす現象です。歴史的な研究では、被験者が恐怖や抑うつを感じると胃の運動や分泌が低下し、逆に怒りや攻撃的な感情を抱くと活発になることが観察されています6。現代の科学では、そのメカニズムがさらに詳細に解明されています。強いストレスに晒されると、脳はコルチゾールなどのストレスホルモンを分泌します。このホルモンは血流に乗って全身を巡り、腸の運動パターンを変化させ、下痢や便秘を引き起こす直接的な原因となります16。
しかし、DGBIにおける痛みの問題は、単なる腸の動きの変化だけでは説明できません。ここで重要になるのが、「内臓知覚過敏(Visceral Hypersensitivity)」という概念です2。これは、腸の神経そのものが過敏になってしまう状態を指します。健常者であれば感じることのない、ごく少量のガスや便の移動、あるいは通常の消化活動といった刺激に対して、DGBIの患者の腸は「痛い」という異常な信号を脳に送ってしまうのです。
さらに、この状態が長く続くと、問題は腸だけに留まらなくなります。痛みの信号を繰り返し受け取った脳は、次第にその信号を増幅して認識するようになります。これを「中枢性感作(Central Sensitization)」と呼びます19。脳の中にある痛みの「ボリューム調整ノブ」が、常に高い位置で固定されてしまうような状態です。こうなると、腸からの刺激がほとんどなくても、脳が勝手に痛みを作り出し、持続的で激しい腹痛が生じることになります。これは特に、後述する中枢性腹痛症候群(CAPS)の主要な病態と考えられています。
もう一人の主役:腸内細菌叢
近年、脳腸相関の議論において、腸内細菌叢(マイクロバイオーム)が第三の重要なプレーヤーとして注目されています2。私たちの腸内には数百兆個もの細菌が生息し、独自の生態系を形成しています。この細菌バランスの乱れ(ディスバイオーシス)は、腸のバリア機能の低下や微小な炎症を引き起こすだけでなく、細菌が産生する物質が神経や免疫系を介して脳にシグナルを送り、気分や不安、痛みの知覚にまで影響を及ぼすことが分かってきました9。
例えば、過去の感染性胃腸炎(食中毒など)がDGBIの引き金になることが知られています16。これは「感染後IBS」などと呼ばれ、感染によって腸内環境や免疫システムが長期的に変化し、内臓知覚過敏が誘発されることが一因と考えられています。
日本における研究の貢献
脳腸相関の研究分野は、日本の研究者が世界をリードしてきた領域の一つです。特に、東北大学の福土審名誉教授は、1993年という早い段階で、脳波解析を用いてストレス下の脳機能の変化と消化管運動が相関することを科学的に証明し、この分野の先駆者として国際的に高く評価されています28。このような国内の専門家の存在は、日本におけるDGBIの診断と治療の発展に大きく貢献しています。
DGBIを理解する上で極めて重要なのは、痛みを引き起こした「きっかけ(誘因)」と、痛みを長引かせている「要因(増悪・維持因子)」は、必ずしも同じではないという点です13。例えば、最初のきっかけは感染性胃腸炎や大きなライフイベントだったかもしれません3。しかし、その出来事が腸の神経を過敏にし(末梢性感作)、やがて脳がその痛みを増幅するようになり(中枢性感作)、さらに痛みが続くことへの不安や、痛みの原因を探し続ける思考(破局的思考)が、新たなストレスとなって痛みを維持する悪循環を生み出します13。この悪循環を理解することは、治療戦略を立てる上で非常に重要です。なぜなら、もはや過去の「きっかけ」を解決することに固執する必要はなく、現在痛みを維持している「要因」、すなわち中枢性感作や心理的要因に直接アプローチすることで、症状の改善が期待できるからです。
腹痛の正体—代表的な脳腸相関障害(DGBI)の理解
「原因不明の腹痛」という漠然とした不安から抜け出す第一歩は、自分の症状がどのタイプのDGBIに当てはまるのかを具体的に知ることです。DGBIには様々な種類がありますが、ここでは慢性的な腹痛を主症状とする代表的な3つの疾患—過敏性腸症候群(IBS)、機能性ディスペプシア(FD)、そして中枢性腹痛症候群(CAPS)—について、国際診断基準であるローマIV基準に基づき詳しく解説します。これらの基準を理解することは、自身の状態を客観的に把握し、医師との対話をより実りあるものにするために不可欠です。
2.1 過敏性腸症候群 (Irritable Bowel Syndrome, IBS)
IBSは、DGBIの中で最もよく知られ、研究が進んでいる疾患です。その本質は、腹痛と便通異常(下痢や便秘)が慢性的に関連している状態です4。
- 有病率: 日本人の約10%が罹患していると推定される非常にありふれた疾患です32。ローマIV基準を用いた国際調査では、日本の有病率は2.2%と報告されていますが、関連する機能性便秘(16.6%)や機能性下痢(5.2%)を含めると、非常に多くの人が悩んでいることが分かります14。
- ローマIV診断基準: 以下の基準を満たすことで診断されます10。
- 最近3ヶ月間において、平均して週に1日以上、腹痛が繰り返し起こる。
- その腹痛が、以下の項目のうち2つ以上と関連している。
- 排便に関連する
- 排便頻度の変化(増加または減少)を伴う
- 便の形状(外観)の変化(軟便または硬便)を伴う
- 病型(サブタイプ): IBSは、便の性状によって主に4つのタイプに分類されます。この分類には、便の形状を7段階で評価する「ブリストル便形状スケール」が用いられます30。
2.2 機能性ディスペプシア (Functional Dyspepsia, FD)
FDは、みぞおち(心窩部)を中心とした上半身の腹部の不快な症状を特徴とするDGBIです。胃もたれや胃痛として自覚されることが多く、かつては「慢性胃炎」や「神経性胃炎」と診断されてきたケースの多くが、このFDに該当すると考えられています27。
- 有病率: FDも非常に一般的な疾患で、日本の健診受診者を対象とした調査では11〜17%、上腹部症状で病院を受診した患者では45〜53%がFDに該当すると報告されています35。
- ローマIV診断基準: 以下の4つの症状のうち、1つ以上が慢性的に存在することで診断されます10。
- つらいと感じる食後のもたれ感 (Postprandial fullness)
- 早期飽満感 (Early satiation): 食事を始めてすぐに満腹になり、最後まで食べられない。
- 心窩部痛 (Epigastric pain): みぞおちの痛み。
- 心窩部灼熱感 (Epigastric burning): みぞおちが焼けるような感じ。
- 病型(サブタイプ): FDは、主な症状によって2つのタイプに分類されます(両方が重なることもあります)10。
- 食後愁訴症候群 (Postprandial Distress Syndrome, PDS): 食後のもたれ感や早期飽満感が主な症状のタイプ。胃の運動機能(食べたものをためる、送り出す)の異常が関与していると考えられます。
- 心窩部痛症候群 (Epigastric Pain Syndrome, EPS): みぞおちの痛みや灼熱感が主な症状のタイプ。胃酸に対する知覚過敏などが関与していると考えられます。
2.3 中枢性腹痛症候群 (Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome, CAPS)
CAPSは、DGBIの中でも特に重症で、痛みのメカニズムが脳(中枢)に強く依存していると考えられる疾患です。その最大の特徴は、痛みが食事や排便といった消化管の生理現象とはほとんど無関係に、持続的あるいはほぼ持続的に続くことです3。
- 有病率: IBSやFDに比べると稀で、人口の0.5〜2.1%と推定されています22。
- ローマIV診断基準: 診断には、過去3ヶ月間、以下のすべての基準を満たす必要があります5。
- 持続的、またはほぼ持続的な腹痛がある。
- 痛みと生理的現象(食事、排便、月経など)との関連がないか、あってもごくわずかである。
- 痛みが日常生活の何らかの側面を制限している。
- 痛みは詐病ではない。
- 痛みは、他の器質的・機能的消化管疾患や他の医学的状態で説明できない。
- 病態生理: CAPSの痛みは、末梢(腸)からの刺激よりも、脳における痛みの制御システムの破綻(中枢性感作と、痛みを抑制する下行性疼痛抑制系の機能不全)が主な原因と考えられています20。そのため、治療も脳に働きかけるアプローチが中心となります。
疾患名 | 主な症状 | 痛みの特徴 | 症状の頻度と期間(ローマIV基準) | 食事・排便との関連 |
---|---|---|---|---|
過敏性腸症候群 (IBS) | 腹痛、便通異常(下痢・便秘) | 腹部全体の痛みや不快感。痙攣性のことが多い。 | 腹痛が週に1日以上(過去3ヶ月) | 強い関連あり。排便によって軽快または増悪する。食事によって誘発されることがある。10 |
機能性ディスペプシア (FD) | 胃もたれ、早期飽満感、みぞおちの痛み・灼熱感 | みぞおち(心窩部)に限局した痛み、もたれ感、焼ける感じ。 | 週に数回以上(過去3ヶ月) | 強い関連あり。特に食後に症状が出現・増悪する(PDS)。空腹時に痛むこともある(EPS)。10 |
中枢性腹痛症候群 (CAPS) | 持続的な腹痛、日常生活の機能障害 | 持続的またはほぼ持続的で、しばしば重度の痛み。 | ほぼ毎日(過去3ヶ月) | 関連なし、またはごくわずか。食事や排便、月経などとは無関係に痛みが続く。5 |
DGBIと器質的疾患の境界は、従来考えられていたよりも曖昧であることが分かってきています。例えば、セリアック病(グルテンに対する免疫反応で生じる小腸の疾患)の小児患者を調査した研究では、グルテンフリー食を遵守し、疾患活動性がコントロールされているにもかかわらず、43%もの患者がIBSや機能性腹痛といったDGBIの診断基準を満たしていたことが報告されています7。これは、セリアック病という器質的疾患が「引き金」となり、脳腸相関の不調という独立した問題を引き起こし、それが持続している可能性を示唆しています。同様に、IBS患者は健常者と比較して、将来的に潰瘍性大腸炎やクローン病といった炎症性腸疾患(IBD)を発症するリスクが高いことも報告されています31。これは、DGBIにおける微小な炎症や腸内環境の変化が、より重篤な器質的疾患への素地となる可能性を示唆するものです。これらの知見は、「器質的か、機能的か」という二元論的な考え方ではなく、両者が連続したスペクトラム上にある可能性を示しており、DGBIと診断された後も、新たな症状の変化には注意を払い、継続的に医療者と連携していくことの重要性を物語っています。
診断への道のり—医師はどのように「見えない痛み」を診るのか
検査で「異常なし」とされながらも続く痛み。その中で、医師はどのようにしてDGBIという診断にたどり着くのでしょうか。この章では、診断プロセスを具体的に解説し、患者が自身の役割を理解し、安心して医療を受けるための知識を提供します。DGBIの診断は、単に病名をつける作業ではなく、患者と医師が信頼関係を築き、共に治療のゴールを目指すための出発点です。
診断の礎:詳細な病歴聴取
DGBIの診断において、最も重要なツールは、CTや内視鏡といった高度な検査機器ではなく、患者自身の「言葉」です1。経験豊富な医師は、丁寧な問診(病歴聴取)を通じて、診断に必要な情報の大部分を得ます。患者には、以下のような点をできるだけ具体的に伝えることが求められます。
- 痛みの性質: キリキリする、シクシク痛む、焼けるような、差し込むような、など、痛みを表現する言葉1。
- 痛みの場所: みぞおち、下腹部、お腹全体など、痛む部位。
- 痛みのパターン: いつ痛みが始まるか(食後、空腹時、夜間など)、どのくらい続くか、一日の中で変動はあるか。
- 関連する要因: 食事、排便、月経、ストレス、特定の姿勢など、痛みを悪化させる要因や、逆に入浴や安静などで和らげる要因1。
- 随伴症状: 腹痛以外の症状(便秘、下痢、吐き気、お腹の張り、胸やけ、体重減少、発熱など)。
治療的同盟関係の構築
米国家庭医学会(AGA)などの専門機関は、DGBIの管理において、患者と医療提供者の間の協力的で共感的な関係(治療的同盟関係)の構築を強く推奨しています3。優れた医師は、単に症状を聞くだけでなく、「この症状について、ご自身では何が原因だと思われますか?」「一番心配なことは何ですか?」といった開かれた質問を通じて、患者の考えや不安を理解しようと努めます13。このプロセスを通じて、患者は自分の苦しみが理解されたと感じ、治療に前向きに取り組むことができます。
重篤な疾患を見逃さないための「危険信号(レッドフラグ)」
DGBIの診断プロセスにおける最初の重要なステップは、腹痛の原因となりうる重篤な器質的疾患(がん、炎症性腸疾患など)の可能性を慎重に除外することです。そのために、医師は「危険信号(レッドフラグ)」または「警告症状」と呼ばれる特定の症状や徴候の有無を確認します。国際的なガイドラインや日本の診療ガイドラインで挙げられている主な危険信号には、以下のようなものがあります1。
- 消化管出血の兆候: 血便、黒色便、吐血。
- 全身症状: 説明のつかない体重減少(例:6ヶ月で3kg以上)、原因不明の発熱、寝汗。
- 重度の症状: 夜間に痛みや下痢で目が覚める、嚥下困難(飲み込みにくい)、持続する嘔吐。
- 身体所見: 腹部のしこり(腫瘤)の触知、黄疸(皮膚や白目が黄色くなる)、関節痛。
- 病歴・家族歴: 50歳以上での症状発症、大腸がんや炎症性腸疾患の家族歴。
- 検査異常: 血液検査での貧血や炎症反応。
これらの危険信号が一つでも認められる場合、医師は原因を特定するために、内視鏡検査などの精密検査を勧めます。
症状・徴候 | 考えられる疾患の例 | 推奨される対応 |
---|---|---|
血便・黒色便・吐血1 | 大腸がん、胃がん、消化性潰瘍、炎症性腸疾患 | 必須の精密検査(大腸・胃内視鏡検査など) |
予期せぬ体重減少(例:6ヶ月で3kg以上)4 | 悪性腫瘍、吸収不良症候群、甲状腺機能亢進症 | 必須の精密検査 |
50歳以上での発症5 | 大腸がんなどの悪性腫瘍のリスク増加 | 精密検査を強く推奨(特に大腸内視鏡検査) |
夜間の症状(痛みや下痢で目が覚める)4 | 炎症性腸疾患、腫瘍性疾患 | 精密検査を検討 |
持続する嘔吐、嚥下困難4 | 食道・胃の閉塞性病変、食道運動異常 | 胃内視鏡検査などの精密検査 |
原因不明の発熱、関節痛4 | 炎症性腸疾患、膠原病、感染症 | 精密検査、血液検査 |
腹部のしこり(腫瘤)の触知14 | 悪性腫瘍、炎症性腫瘤 | 画像検査(CT、超音波)、内視鏡検査 |
大腸がんや炎症性腸疾患の家族歴5 | 遺伝的素因によるリスク増加 | 大腸内視鏡検査を強く推奨 |
血液検査での貧血や炎症反応陽性5 | 慢性的消化管出血、炎症性疾患 | 精密検査による原因検索 |
検査の役割とその解釈
危険信号がない場合、DGBIの診断のために行われる検査は限定的です。日本のIBS診療ガイドラインでは、明確な診断アルゴリズムが示されています。危険信号やリスク因子がなく、血液検査などの基本的な検査で異常がなければ、ローマIV基準に基づいて積極的にIBSと診断します14。内視鏡検査などの精密検査は、危険信号がある場合に、器質的疾患を除外する目的で実施されます。
ここで重要なのは、検査結果の解釈です。患者にとっては、内視鏡検査などで「異常なし」と告げられると、「これだけ痛いのに原因が見つからない」と、かえって不安や不満が増大することがあります2。しかし、現代のDGBI診療において、この「異常なし」という結果は、決して診断の失敗ではありません。むしろ、それは「がんや潰瘍といった生命を脅かす重篤な病気ではないことが確認できた」という非常に価値のある情報なのです。
この点を患者に丁寧に説明し、安心感を与えることが、治療的同盟関係を築く上で極めて重要です。AGAのガイドラインが示すように、医師は「あなたの痛みは本物です。そして、検査で危険な病気がないことが分かったので、これからは脳腸相関の不調という、痛みの本当の原因に対する治療に集中できます」と伝えるべきです13。このように、「異常なし」という結果を、DGBIという陽性診断への確かな一歩として捉え直すことが、患者が前向きに治療に取り組むための鍵となります。
痛みを管理し、生活を取り戻す—包括的治療アプローチ
DGBIの診断が確定したら、次はいよいよ治療の段階です。DGBIの治療は、一つの特効薬で完治を目指すものではなく、病態の多面的な性質を反映した、包括的なアプローチが求められます。その目標は、必ずしも痛みを完全にゼロにすることではなく、症状を管理可能なレベルに抑え、損なわれた生活の質(QOL)を回復させることです3。この章では、生活習慣の改善から最新の薬物療法、心理学的アプローチまで、科学的根拠に基づいた様々な治療選択肢を詳しく解説します。
4.1 治療の土台:患者と医師のパートナーシップ
あらゆる治療の根幹をなすのは、患者と医師との強固な信頼関係(パートナーシップ)です3。医師は、脳腸相関のメカニズムや内臓知覚過敏といった病態について、患者が理解できる言葉で丁寧に説明する責任があります40。患者が自身の状態を正しく理解することは、それ自体が不安を軽減し、治療効果を高める「教育的治療」となり得ます。そして、患者と医師が協力して、現実的な治療目標(例:「痛みのために仕事を休む日を減らす」「友人との食事を不安なく楽しめるようになる」など)を設定し、共有することが成功への鍵となります。
4.2 生活習慣と食事療法:自分でできるセルフケア
薬物療法に頼る前に、あるいはそれと並行して、生活習慣や食事を見直すことは、DGBI管理の基本であり、非常に重要です。
ストレス管理とライフスタイル
- ストレス軽減: 深呼吸、瞑想、ヨガなどは、ストレス反応を和らげ、自律神経のバランスを整えるのに役立ちます44。
- 十分な睡眠: 睡眠不足はストレス耐性を低下させ、痛みを増強させます。規則正しい睡眠習慣を心がけることが重要です45。
- 適度な運動: ウォーキングや軽いジョギングなどの有酸素運動は、ストレス解消になるだけでなく、腸の動きを正常化し、腸内細菌叢にも良い影響を与えることが知られています45。
食事療法:低FODMAP食という選択肢
近年、特にIBSの症状改善において、科学的根拠のある食事療法として「低FODMAP(フォドマップ)食」が世界的に注目されています。
- FODMAPとは?: 以下の短鎖炭水化物の頭文字をとったものです4。
- Fermentable(発酵性の)
- Oligosaccharides(オリゴ糖:小麦、玉ねぎ、にんにく、豆類など)
- Disaccharides(二糖類:牛乳、ヨーグルトなどの乳糖)
- Monosaccharides(単糖類:はちみつ、果物などの果糖)
- And
- Polyols(ポリオール:マッシュルーム、人工甘味料など)
- なぜ症状を引き起こすのか?: これらの炭水化物は小腸で吸収されにくいため、そのまま大腸に到達します。大腸では、腸内細菌によって急速に発酵させられ、ガス(水素、メタンなど)を大量に発生させます。また、浸透圧が高いため、腸管内に水分を引き込みます。内臓知覚過敏のある人では、このガスと水分による腸の伸展が、腹痛、お腹の張り、下痢といった症状の直接的な引き金となるのです14。
- 実践方法: 低FODMAP食は、特定の食品を永久に避ける食事法ではありません。専門家の指導のもと、通常3つの段階を経て行われる体系的なプログラムです。
- 導入期(Elimination): 2〜6週間、高FODMAP食品を厳格に除去し、症状が改善するかを確認します。
- 再導入期(Reintroduction/Challenge): 症状が改善したら、FODMAPの各グループ(オリゴ糖、乳糖など)の食品を少量ずつ計画的に試し、どの食品がどの程度までなら症状を引き起こさないか、個人の耐性(閾値)を見極めます。
- 個別化期(Personalization): 再導入期の結果に基づき、耐性のあったFODMAP食品を食事に戻し、制限を最小限にした、栄養バランスの取れた長期的な食事プランを作成します。
日本の診療ガイドラインでもその有効性は認められていますが、日本人における有効性や実践方法についてはさらなる研究が必要とされています14。
カテゴリー | 高FODMAP食品(導入期に避ける) | 低FODMAP食品(導入期に楽しめる) |
---|---|---|
穀物 | 小麦(パン、うどん、ラーメン、パスタ)、大麦、ライ麦 | 米、米粉パン、米粉麺(フォー、ビーフン)、そば(10割)、オートミール(少量) |
野菜 | 玉ねぎ、にんにく、ねぎ(白い部分)、ごぼう、アスパラガス、納豆、きのこ類(マッシュルーム、しいたけ) | にんじん、ほうれん草、トマト、きゅうり、なす、ピーマン、かぼちゃ、じゃがいも、大根、もやし、ねぎ(緑の部分)、木綿豆腐 |
果物 | りんご、梨、桃、柿、すいか、マンゴー、はちみつ | バナナ(未熟なもの)、いちご、ぶどう、オレンジ、キウイフルーツ、メロン、パイナップル |
乳製品・代替品 | 牛乳、ヨーグルト、ソフトチーズ、アイスクリーム | 乳糖不耐症用牛乳(ラクトースフリー)、アーモンドミルク、固いチーズ(チェダー、パルメザン)、バター |
タンパク質 | 豆類(ひよこ豆、レンズ豆)、カシューナッツ、ピスタチオ | 肉類、魚介類、卵、木綿豆腐、くるみ、ピーナッツ、マカダミアナッツ |
甘味料 | はちみつ、オリゴ糖、キシリトール、ソルビトール | 砂糖、メープルシロップ、ステビア |
4.3 薬物療法:症状を和らげるためのツール
生活習慣の改善だけでは症状のコントロールが難しい場合、薬物療法が有効な選択肢となります。DGBIの治療薬は、大きく「消化管に直接作用する薬」と「脳(中枢)に作用する薬」に分けられます。
脳腸相関に働きかける薬(脳腸相関改善薬/ニューロモジュレーター)
これはDGBI治療における最も重要な薬剤群の一つです。主に低用量の抗うつ薬が用いられますが、その目的はうつ病の治療ではなく、脳の痛みの感じ方を調節(Modulate)することにあります3。これらの薬は、脳内の神経伝達物質(セロトニン、ノルアドレナリンなど)のバランスを整えることで、腸から送られてくる痛みの信号に対する脳の過剰反応を抑え、「痛みのボリュームを下げる」効果が期待できます3。
- 三環系抗うつ薬 (TCAs): アミトリプチリンなど。古くからある薬で、痛みを抑える効果に関するエビデンスが最も豊富です。便秘の副作用があるため、下痢型のIBSに適しています4。
- セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬 (SNRIs): デュロキセチンなど。痛みに対する効果が期待され、TCAsが使えない場合などに選択されます13。
- 選択的セロトニン再取り込み阻害薬 (SSRIs): パロキセチンなど。痛みに対する効果はTCAsやSNRIsより弱いとされていますが、不安や抑うつが強い場合に有効なことがあります4。
消化管に直接作用する薬
- 消化管運動機能改善薬(プロキネティクス): 胃の運動を活発にし、FDの胃もたれやIBS-Cの便秘を改善します14。
- 抗コリン薬・鎮痙薬: 腸の異常な収縮(けいれん)を抑え、IBSの差し込むような痛みを和らげます50。
- 粘膜上皮機能変容薬: 腸管からの水分分泌を促し、IBS-Cの便秘を改善します。リナクロチドやルビプロストンなどがあります14。
- 高分子重合体: ポリカルボフィルカルシウムなど。水分を吸収・保持することで、便の硬さを調節し、下痢と便秘の両方に効果を示します14。
- プロバイオティクス: 善玉菌を補給し、腸内環境を整えます。特定の菌株(ビフィズス菌、乳酸菌など)がIBS症状を改善するという報告があります14。
- 漢方薬: 日本のガイドラインでは、個人の体質(証)に合わせて処方される漢方薬も選択肢とされています。IBS-Dの腹痛には桂枝加芍薬湯、IBS-Cの腹部膨満感には大建中湯、FDには六君子湯などが有効な場合があります14。
非常に重要な警告:オピオイド系鎮痛薬の危険性
強い痛みに対して、モルヒネなどのオピオイド系鎮痛薬が処方されることがありますが、DGBIのような慢性的な腹痛に対しては、原則として使用すべきではありません13。長期間使用すると、依存のリスクがあるだけでなく、「麻薬性腸症候群(Narcotic Bowel Syndrome, NBS)」という、オピオイドの使用によってかえって腹痛が悪化する、という逆説的な状態を引き起こす危険性があります20。NBSの唯一の治療法は、困難を伴いますが、オピオイドを中止することです。
薬剤クラス | 主な薬剤名の例 | 主な作用 | 対象となる症状・疾患 | 主な副作用 |
---|---|---|---|---|
三環系抗うつ薬 (TCA) | アミトリプチリン | 脳内の痛覚伝達を調節(鎮痛) | 慢性的な腹痛(特にIBS-D, CAPS) | 口渇、便秘、眠気、ふらつき4 |
SNRI | デュロキセチン | 脳内の痛覚伝達を調節(鎮痛) | 慢性的な腹痛、不安・抑うつ | 吐き気、眠気、頭痛13 |
SSRI | パロキセチン | 不安・抑うつの改善 | 不安・抑うつを伴うDGBI | 吐き気、眠気、性機能障害4 |
消化管運動機能改善薬 | モサプリド、アコチアミド | 胃腸の運動を促進 | FD(胃もたれ、早期飽満感)、IBS-C | 下痢、腹痛14 |
抗コリン薬・鎮痙薬 | ブチルスコポラミン | 腸の過剰な収縮を抑制 | IBS-Dの痙攣性腹痛 | 口渇、便秘、目のかすみ14 |
粘膜上皮機能変容薬 | リナクロチド、ルビプロストン | 腸管への水分分泌を促進 | IBS-C、慢性便秘症 | 下痢14 |
5-HT3拮抗薬 | ラモセトロン | 腸の運動亢進と知覚過敏を抑制 | IBS-D | 便秘、硬便14 |
プロバイオティクス | ビフィズス菌、乳酸菌製剤 | 腸内細菌叢のバランスを改善 | 全般的なIBS症状、腹部膨満感 | 副作用は稀14 |
漢方薬 | 六君子湯、大建中湯 | 多元的な作用(体質改善) | FD、IBS-C(腹部膨満感)など | 副作用は少ないが、偽アルドステロン症などに注意14 |
4.4 心理学的アプローチと代替療法
DGBIが脳と腸の相互作用の疾患である以上、脳に直接働きかける心理療法が非常に有効な治療法となり得ます。驚くべきことに、小児のDGBIを対象とした大規模な系統的レビューでは、薬物療法を含む他の多くの治療法よりも、心理療法の方が有効性を示すエビデンスの質が高いことが示されました12。これは、これらの治療法が十分に活用されていない現状を浮き彫りにしています。
- 認知行動療法 (Cognitive Behavioral Therapy, CBT): 痛みに対する破局的な考え方(「この痛みは耐えられない」「きっと悪い病気に違いない」など)や、痛みを避けるための不適応な行動パターンを修正し、より現実的で建設的な対処スキルを身につけることを目指す治療法です。その有効性は多くの研究で支持されています12。
- 催眠療法 (Hypnotherapy): 専門家による誘導で深いリラックス状態に入り、消化管の機能や痛みの知覚をコントロールする暗示を与える治療法です。特に腹痛に対して高い効果が報告されており、CBTと並んで最もエビデンスの豊富な心理療法です12。
- その他のアプローチ: マインドフルネス瞑想、鍼灸、ヨガなども、症状緩和に役立つ可能性が示唆されています53。
DGBIの治療は、一つの方法がすべての人に効くわけではありません。その治療戦略は、病態生理を反映した段階的なアプローチを取ることが一般的です。日本のクリニックでも採用されているように、まずは食事や生活習慣の改善、消化管に作用する薬といった、末梢(腸)に働きかける治療から始めます41。それで効果が不十分な場合に、脳腸相関改善薬(ニューロモジュレーター)といった中枢(脳)に作用する治療を追加します。そして、心理的要因が強いと考えられる難治例では、CBTなどの専門的な心理療法が検討されます41。この論理的なステップを理解することで、患者は治療の道のりをより明確に展望し、根気強く取り組むことができるようになります。
よくある質問
Q1: 検査で「異常なし」と言われたのに、なぜお腹が痛いのですか?
これはDGBIを抱える方が最も悩む点ですが、現代医学では明確な答えがあります。痛みは「気のせい」ではありません。原因は主に二つ考えられます。一つは「内臓知覚過敏」で、腸の神経が過敏になり、通常では痛みとして感じないようなわずかな刺激(ガスの移動など)を「痛み」として脳に伝えてしまう状態です2。もう一つは「中枢性感作」といい、痛みの信号を繰り返し受け取った脳自体が過敏になり、痛みを増幅して認識してしまう状態です19。つまり、内視鏡などで見える「器質的」な異常はなくても、神経のレベルで「機能的」な異常が起きているのです。検査で異常がないことは、がんなどの重篤な病気ではないという良い知らせであり、脳腸相関の治療に集中できるというサインです。
Q2: ストレスだけで、こんなにひどい腹痛になるものでしょうか?
Q3: 低FODMAP食とは何ですか?自分で試しても良いですか?
低FODMAP食は、特定の糖質(FODMAP)を一時的に食事から除去し、症状の改善を図る科学的根拠のある食事療法です。FODMAPは小腸で吸収されにくく、大腸でガスを発生させて腹痛やお腹の張りを引き起こすため、これを制限することで症状が緩和されることがあります14。しかし、これは非常に専門的な食事療法であり、自己流で行うと不必要な栄養制限につながる可能性があります。本来は、厳格な除去期間の後に、どの食品が自分に合わないかを特定する「再導入期」が最も重要です。そのため、開始する際は、管理栄養士やこの食事療法に詳しい医師など、専門家の指導のもとで行うことを強く推奨します。
Q4: この痛みは、いつか治るのでしょうか?
DGBIの治療目標は、必ずしも痛みを完全に「ゼロ」にすることだけではありません。多くの場合、目標は症状を管理可能なレベルにまでコントロールし、痛みに振り回されることなく、仕事や学業、趣味といった日常生活を十分に楽しめる状態を取り戻すことです3。治療法は一つではなく、食事療法、薬物療法、心理療法など多岐にわたります。自分に合った治療法を見つけるには時間がかかることもありますが、諦めずに専門家と協力して根気強く取り組むことで、多くの方が症状の改善を実感しています。大切なのは、希望を失わずに治療を続けることです。
結論
長年にわたり「原因不明」という霧の中で苦しんできた腹痛の正体が、脳と腸の間の複雑な対話の不調、すなわち「脳腸相関障害(DGBI)」という、科学的に解明されつつある実体のある疾患であることが、本記事を通じて明らかになったことでしょう。最も重要なメッセージは、あなたの痛みは「本物」であり、決して「気のせい」ではないということです。そして、その痛みは管理可能であり、希望を持って未来に臨むことができる、ということです。
DGBIとの付き合いは、時に長く、根気のいる道のりかもしれません。しかし、その道のりは孤独なものではありません。鍵となるのは、あなたの苦しみを理解し、共に治療のゴールを目指してくれる医療提供者との、強固なパートナーシップを築くことです3。この記事で得た知識は、あなたが自身の状態を深く理解し、医療者との対話において主体的な役割を果たすための力となるはずです。
効果的な治療法は一つではありません。生活習慣の見直し、低FODMAP食のような食事療法、症状を和らげる薬物療法、そして脳の働きに直接アプローチする心理療法など、多岐にわたる選択肢が存在します。あなたにとって最適な治療法を見つけるためには、試行錯誤が必要かもしれませんが、一つ一つの試みは、より良い生活を取り戻すための確かな一歩です。
最後に、日本国内でDGBIに関する信頼性の高い情報や専門的な診療を求める際に役立つリソースをいくつかご紹介します。腹痛の謎は、もはや解けないパズルではありません。それは、科学の光によって照らし出された、理解と対処が可能な医学的状態です。この知識を武器に、あなた自身が治療の主役となり、専門家と手を取り合って、痛みから解放された穏やかな日常を取り戻すことを心から願っています。
信頼できる情報源と専門機関
- 学会:
- 専門的な診療が期待できる医療機関(例):
- 情報ポータルサイト:
参考文献
- American College of Gastroenterology. Abdominal Pain Syndrome. Accessed June 26, 2025. Available from: https://gi.org/topics/abdominal-pain/
- Black CJ, Ford AC. Functional gastrointestinal disorders: advances in understanding and management. Lancet. 2020;396(10263):1664-1674. Available from: https://universalgastro.com.au/wp-content/uploads/2023/06/FGID1-lancet.pdf
- International Foundation for Gastrointestinal Disorders. Common Questions About Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome (CAPS). Accessed June 26, 2025. Available from: https://iffgd.org/gi-disorders/lower-gi-disorders/centrally-mediated-abdominal-pain-syndrome/common-questions/
- Madani S, Biyani D. Functional Abdominal Pain in Children. In: StatPearls [Internet]. Treasure Island (FL): StatPearls Publishing; 2024. Available from: https://www.ncbi.nlm.nih.gov/books/NBK537298/
- MDCalc. Rome IV Diagnostic Criteria for Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome (CAPS). Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.mdcalc.com/calc/10308/rome-iv-diagnostic-criteria-centrally-mediated-abdominal-pain-syndrome-caps
- Drossman DA. Functional Gastrointestinal Disorders: History, Pathophysiology, Clinical Features, and Rome IV. Gastroenterology. 2016;150(6):1262-1279.e2. Available from: https://theromefoundation.org/wp-content/uploads/functional-gastrointestinal-disorders-history-pathophysiology-clinical-features-and-rome-iv.pdf
- HCP Live. DGBI Common in Children with Adequately Managed Celiac Disease, Study Finds. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hcplive.com/view/dgbi-common-children-adequately-managed-celiac-disease-study-finds
- Osaka Metropolitan University. 機能性消化管疾患|診療と研究. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.omu.ac.jp/med/shokakinaika/research/functional-gastrointestinal-disorders/
- Bonaz B, Bazin T, Pellissier S. The gut microbiome in disorders of gut-brain interaction. Nat Rev Gastroenterol Hepatol. 2024. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC11218806/
- The Rome Foundation. Rome IV Criteria. Accessed June 26, 2025. Available from: https://theromefoundation.org/rome-iv/rome-iv-criteria/
- OHSU. Abdominal Pain Workup and How to Approach Patients When it’s Negative. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.ohsu.edu/sites/default/files/2023-06/PGI23-04-Duffield-Abdominal%20Pain.pdf
- Ye Z, Zhou Q, He L, et al. Efficacy of interventions for the treatment of irritable bowel syndrome, functional abdominal pain-not otherwise specified, and abdominal migraine in children: a systematic review and network meta-analysis. Lancet Gastroenterol Hepatol. 2024. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/40246358/
- Drossman DA, Lumbang WA, Toner BB, et al. AGA Clinical Practice Update on Management of Chronic Gastrointestinal Pain in Disorders of Gut-Brain Interaction: Expert Review. Gastroenterology. 2021;161(3):1023-1031. Available from: https://www.giboardreview.com/wp-content/uploads/2021/11/AGA-Clin-Prac-Update-chronic-GI-pain-in-functional.pdf
- Japanese Society of Gastroenterology. 機能性消化管疾患診療ガイドライン 2020―過敏性腸症候群(IBS). Tokyo: Nankodo; 2020. Available from: https://www.jsge.or.jp/committees/guideline/guideline/pdf/IBSGL2020_.pdf
- yoi. 【腸活と脳】腸が”都合よく生きるためのシステムとして脳をつくった”って本当?〈脳腸相関の専門医インタビュー〉. Accessed June 26, 2025. Available from: https://yoi.shueisha.co.jp/body/innercare/7216/
- Himawari Clinic. あなたの過敏性腸症候群はガス型?過敏性腸症候群の症状・原因・治し方について. Accessed June 26, 2025. Available from: https://soujinkai.or.jp/himawariNaiHifu/ibs/
- Hoag. Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome (CAPS). Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hoag.org/specialties-services/digestive-health/diseases-conditions/centrally-mediated-abdominal-pain-syndrome-caps/
- Nippon-Iji-Shinposha. 機能性消化管疾患における知覚過敏の関与 【ストレスによる肥満細胞の脱顆粒】. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.jmedj.co.jp/journal/paper/detail.php?id=5653
- International Foundation for Gastrointestinal Disorders. Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome (CAPS). Accessed June 26, 2025. Available from: https://iffgd.org/gi-disorders/centrally-mediated-abdominal-pain-syndrome/
- Aziz Q, Gschossmann J, Enck P, et al. Centrally Mediated Disorders of Gastrointestinal Pain. Gastroenterology. 2016;150(6):1468-1479. Available from: https://eprints.whiterose.ac.uk/id/eprint/116140/
- Aziz Q, Gschossmann J, Enck P, et al. Centrally Mediated Disorders of Gastrointestinal Pain. Gastroenterology. 2016;150(6):1468-1479. PubMed. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/27144628/
- Bielefeldt K. Centrally mediated abdominal pain syndrome: Causes and treatments. World J Gastroenterol. 2023;29(23):3628-3642. Available from: https://www.researchgate.net/publication/371861436_Centrally_mediated_abdominal_pain_syndrome_Causes_and_treatments
- Han K, Bielefeldt K. Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome. Korean J Gastroenterol. 2021;78(2):77-87. Available from: https://www.kjg.or.kr/journal/view.html?doi=10.4166/kjg.2021.083
- Li X, Wu F, Lv Y, et al. The Clinical Characteristics and Related Factors of Centrally Mediated Abdominal Pain Syndrome. J Clin Med. 2023;12(22):7188. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC10684177/
- Liu J, Liu S, Chen S, et al. Analysis of clinical characteristics of centrally mediated abdominal pain syndrome, exploration of diagnostic markers and its relationship with the efficacy of duloxetine treatment. Front Psychiatry. 2022;13:1003112. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9726388/
- Luke’s Ashiya Clinic. 過敏性腸症候群(IBS)の確定診断が血液検査で行えるようになりました. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.lukesashiya.com/blog/2020/06/ibs-2.html
- Keio University Hospital. 機能性ディスペプシア (FD) | KOMPAS. Accessed June 26, 2025. Available from: https://kompas.hosp.keio.ac.jp/disease/000802/
- Tohoku University Graduate School of Medicine. 福土審教授. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.med.tohoku.ac.jp/wp-content/uploads/2024/01/4.fukudo.pdf
- CaN. 脳腸相関から人間の行動が解けるか:福土 審(東北大学大学院 医学系研究科 心療内科学分野 教授). Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.can-neuro.org/2022/advance_health_2_2/2193/
- Velasco-Benitez CA, Saps M, Chavannes-Mazjourik S, et al. Understanding functional abdominal pain disorders among children: a multidisciplinary expert consensus statement. Front Pediatr. 2025;13:1576698. Available from: https://www.frontiersin.org/journals/pediatrics/articles/10.3389/fped.2025.1576698/full
- Japanese Society of Gastroenterology. 患者さんとご家族のための過敏性腸症候群(IBS)ガイド 2023. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.jsge.or.jp/committees/guideline/disease/pdf/ibs_2023.pdf
- Tanabe Mitsubishi Pharma Healthcare. 数字でなっとく!過敏性腸症候群(IBS). Accessed June 26, 2025. Available from: https://hc.mt-pharma.co.jp/site_cerekinon/ibs-data/01/
- Astellas Pharma Inc. 過敏性腸症候群(IBS)への気づきと受診・治療を広く呼びかける 「IBS 疾患啓発活動」を. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.astellas.com/jp/system/files/news/2018-06/090924.pdf
- Enweluzo C, Grover M. Functional Dyspepsia: Evaluation and Management. Am Fam Physician. 2020;101(2):84-89. Available from: https://www.aafp.org/pubs/afp/issues/2020/0115/p84.html
- Yamaoka Naika Clinic. 腹痛でお悩みの方ー機能性ディスペプシアについてー. Accessed June 26, 2025. Available from: https://y-naika-clinic.com/2022/06/23/%E8%85%B9%E7%97%9B%E3%81%A7%E3%81%8A%E6%82%A9%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%96%B9%E3%83%BC%E6%A9%9F%E8%83%BD%E6%80%A7%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%97%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84/
- Clinical Support. 機能性ディスペプシア | 症状、診断・治療方針まで. Accessed June 26, 2025. Available from: https://clinicalsup.jp/jpoc/contentpage.aspx?diseaseid=239
- Japanese Society of Gastroenterology. 機能性消化管疾患診療ガイドライン 2021―機能性ディスペプシア(FD)(改訂). Tokyo: Nankodo; 2021. Available from: https://www.jsge.or.jp/committees/guideline/guideline/pdf/fd2021r_.pdf
- Han K, Bielefeldt K. Randomized clinical trial: the effects of pregabalin for centrally mediated abdominal pain syndrome. Scand J Gastroenterol. 2023;58(5):508-516. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9989377/
- American College of Surgeons. ABDOMINAL PAIN. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.facs.org/media/k3ddrpfx/abdominal_pain_content.pdf
- Drossman DA, Lumbang WA, Toner BB, et al. AGA Clinical Practice Update on Management of Chronic Gastrointestinal Pain in Disorders of Gut-Brain Interaction: Expert Review. Gastroenterology. 2021;161(3):1023-1031. PubMed. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/34229040/
- Kondo Clinic. 千葉県千葉市で過敏性腸症候群・機能性ディスペプシアの治療なら. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.kon-naika.com/abdominal-disease/
- MDCalc. Rome IV Diagnostic Criteria for Child Functional Abdominal Pain. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.mdcalc.com/calc/10330/rome-iv-diagnostic-criteria-child-functional-abdominal-pain
- ACP Gastroenterology. New best practice advice tackles pain in disorders of gut-brain interaction. Accessed June 26, 2025. Available from: https://gastroenterology.acponline.org/archives/2021/07/23/2.htm
- Okubo Digestive and Endoscopy Clinic. ストレスでの腹痛|対処法. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.okubo-naika.jp/stress-and-stomach-pain/
- Yaegaki Bio-industry. 脳腸相関とは?メカニズムからセロトニン・自律神経・睡眠との関係まで徹底解説!. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.yaegaki.co.jp/bio/column/4435/
- Morinaga Milk Industry. 腸と脳の関係は?脳腸相関について知ろう. Accessed June 26, 2025. Available from: https://kenko.morinagamilk.co.jp/user_data/column_10
- fdoc. ストレスによる腹痛の対処法は?お腹を温めて!病院での治療について. Accessed June 26, 2025. Available from: https://fdoc.jp/byouki-scope/features/stomachache-stress/
- Wakamoto Pharmaceutical. ストレスで下痢・腹痛が続く「過敏性腸症候群」とは?症状や予防・改善対策. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.wakamoto-pharm.co.jp/tips/intestine-body/irritable-bowel-syndrome/
- Japanese Society of Gastroenterology. 機能性ディスペプシア(FD)|ガイドライン一覧. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.jsge.or.jp/committees/guideline/guideline/fd.html
- Saitama Central Endoscopy Clinic. 過敏性腸症候群を専門的に対応|予約不要、丁寧な診療. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.endoscopic-clinic.com/ibs/
- Lacy BE, Wang F, Bhowal S, et al. Antispasmodics for Chronic Abdominal Pain: Analysis of North American Treatment Options. Am J Med. 2021;134(8):998-1007.e1. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC8315189/
- Sperber AD, Bangdiwala SI, Drossman DA, et al. Insights on Disorders of Gut-Brain Interaction. Gastroenterology. 2022;162(4):1066-1077. Available from: https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC9021180/
- Horvath K, Kovacs T, Varga A, et al. New advances in the treatment of paediatric functional abdominal pain disorders. Expert Opin Pharmacother. 2020;21(3):351-364. PubMed. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/31859185/
- Japanese Society of Gastroenterology. 過敏性腸症候群(IBS)|ガイドライン一覧. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.jsge.or.jp/committees/guideline/guideline/ibs.html
- The Japanese Gastroenterological Association. 日本消化管学会雑誌. Accessed June 26, 2025. Available from: https://jpn-ga.or.jp/jga-magazine/
- Asakura Publishing. 機能性消化管疾患の診断と治療. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.asakura.co.jp/detail.php?book_code=32272
- Tohoku University Hospital. 心療内科. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hosp.tohoku.ac.jp/departments/d1109/
- Tohoku University Hospital. 医師紹介 – 心療内科. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hosp.tohoku.ac.jp/departments/d1109/doctor/
- Tohoku University Hospital, Department of Psychosomatic Medicine. 東北大学病院心療内科. Accessed June 26, 2025. Available from: http://square.umin.ac.jp/thkpsm/TohokuPSM.htm
- Hyogo Medical University Hospital. 消化管内科. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/service/department/gastro/
- Hyogo Medical University Hospital. 医師紹介 – 消化管内科. Accessed June 26, 2025. Available from: https://www.hosp.hyo-med.ac.jp/service/department/gastro/doctor/
- Hyogo Medical University, Department of Gastroenterology. 機能性消化管疾患・その他. Accessed June 26, 2025. Available from: https://hyo-med-gastro.jp/others.html
- Minds. 機能性消化管疾患診療ガイドライン2021-機能性ディスペプシア(FD)改訂第2版. Accessed June 26, 2025. Available from: https://minds.jcqhc.or.jp/summary/c00643/
- Minds. 「胃食道逆流症(GERD)」「機能性ディスペプシア(FD)」「成人・小児進行固形がんにおける臓器横断的ゲノム診療」の診療ガイドラインを公開しました. Accessed June 26, 2025. Available from: https://minds.jcqhc.or.jp/p4002/