この記事の科学的根拠
この記事は、引用元として明示された質の高い医学的根拠にのみ基づいています。以下に、本稿で提示される医学的指導の根拠となる主要な情報源とその関連性を示します。
- 鉄欠乏性貧血の診療指針 (2024年): 本記事における鉄欠乏性貧血の診断基準、新しい経口鉄剤の投与法、そして画期的な静注鉄剤に関する最新の指針は、この診療指針に基づいています。
- 日本腎臓学会「CKD患者の貧血管理」ガイドライン: 腎性貧血の治療、特にESA製剤と新しいHIF-PH阻害薬の役割分担に関する記述は、この専門学会のガイドラインを根拠としています。
- 各種造血器疾患診療ガイドライン(日本血液学会など): 再生不良性貧血、自己免疫性溶血性貧血、骨髄異形成症候群などの専門的な貧血に関する治療法の記述は、関連する最新の診療ガイドラインに基づいています。
- 国際的な医学論文・総説(ASH、NHS、Merck Manualsなど): 貧血治療に関する世界的な標準治療や最新の研究動向についての記述は、米国血液学会(ASH)の教育プログラム、英国国民保健サービス(NHS)の公的情報、世界的に信頼される医学マニュアルなどの査読済み文献を情報源としています。
要点まとめ
- 貧血は単一の病気ではなく、様々な原因によって引き起こされる「症状」です。自己判断で市販薬を使い続けることは、重大な病気を見逃す危険性があります。
- 最も多い鉄欠乏性貧血の治療は、2024年の新指針の登場で大きく進歩しました。特に新しい注射薬は、1回の投与で鉄分を補充し、症状を迅速に改善できる可能性があります。
- 腎臓病に伴う腎性貧血では、注射薬に加え、毎日服用できる新しい経口薬(HIF-PH阻害薬)が登場し、患者の負担が大幅に軽減されました。
- 関節リウマチなどの慢性疾患に伴う貧血では、原因となる病気の治療が最も重要です。安易な鉄剤投与は効果がないばかりか、逆効果になることもあります。
- 原因不明の貧血症状が続く場合は、必ず内科や血液内科などの専門医に相談し、血液検査による正確な診断を受けることが、適切な治療への第一歩です。
序章:その「疲れ」、もしかして貧血?- 自己判断の前に知っておくべきこと
貧血は、日本、特に女性にとって極めて身近な健康問題です。厚生労働省の調査によれば、月経のある20代から40代の女性では、実に65%もの人々が「貧血」またはその一歩手前の「かくれ貧血(潜在性鉄欠乏)」の状態にあると推計されています2。年代別に見ても、20代女性の14.8%、30代で19.0%、40代では22.3%が貧血とされており、年齢とともにその割合は増加傾向にあります3。これは単なる個人の体調不良ではなく、社会全体の生産性や生活の質にも影響を及ぼす、見過ごせない公衆衛生上の課題と言えるでしょう。
貧血の症状は多岐にわたります。以下のチェックリストで、ご自身の状態を確認してみてください。
貧血の症状セルフチェックリスト
一般的な症状:
特徴的な症状:
- □ 爪が薄くなり、割れやすくなった。またはスプーンのように反り返っている(スプーン状爪)7
- □ 口の端が切れる(口角炎)、舌がヒリヒリする(舌炎)8
- □ 理由なく氷を無性に食べたくなる(氷食症)7
- □ 髪の毛が抜けやすくなった1
- □ 寝ている間に足がむずむずして眠れない(むずむず脚症候群)7
もし複数の項目に心当たりがあるなら、それは貧血のサインかもしれません。しかし、ここで最も重要なことは、自己判断で「自分は貧血だから鉄剤を飲もう」と安易に結論づけないことです。
本稿の核心的なメッセージは、「貧血は単一の病気ではなく、様々な原因によって引き起こされる『症状』である」という点にあります。そして、本当に「効く薬」は、その根本原因を正確に突き止めることによって初めて決まります9。鉄不足が原因の場合もあれば、腎臓や他の慢性疾患、さらには血液のがんが隠れている可能性もゼロではありません10。
近年、貧血治療は目覚ましい進歩を遂げています。特に、最も多い鉄欠乏性貧血に対しては、2024年に日本の診療指針が大きく改訂され、新しい世代の治療薬が登場したことで、治療の選択肢が劇的に広がりました11。これは、長年「体質だから」と諦めていた多くの人々、特に女性にとって大きな希望となり得ます。従来の治療法では効果が不十分だったり、副作用に悩まされたりしていた方々にも、新たな解決策が提示できる時代になったのです。
第1部:最も多い「鉄欠乏性貧血」- 市販薬から最新の注射薬までの完全ガイド
貧血の中で最も頻度が高く、全体の約7割を占めると言われるのが「鉄欠乏性貧血」です11。これは、赤血球の主成分であるヘモグロビンを作るために不可欠な「鉄」が体内で不足することによって起こります。ここでは、その診断から治療の全貌を、最新の知見を交えて詳しく解説します。
1-1. 診断の第一歩:血液検査で何がわかるのか?
鉄欠乏性貧血の治療は、必ず血液検査による正確な診断から始まります9。症状だけで判断し、自己流で鉄剤を摂取することは、重大な病気を見逃す危険性があるため絶対に避けるべきです。医師は主に以下の項目をチェックして、体内の鉄の状態を評価します。
- ヘモグロビン (Hb): 血液の酸素運搬能力を直接示す指標です。この数値が基準値を下回ると「貧血」と診断されます。世界保健機関(WHO)や日本の基準では、一般的に成人女性で 12.0g/dL 未満、成人男性で 13.0g/dL 未満が目安とされています12。
- 血清フェリチン: 体内に貯蔵されている鉄、いわば「鉄の貯金」の量を示します。この値が低いことは、鉄欠乏の最も確実な証拠です13。一般的に、フェリチン値が12〜15ng/mL 未満であれば、鉄欠乏と診断されます13。より感度を高めるために、30ng/mL 未満を鉄欠乏のカットオフ値として推奨するガイドラインもあります14。
- トランスフェリン飽和度 (TSAT): 血液中で鉄を運搬するタンパク質(トランスフェリン)が、どれくらいの割合で鉄と結合しているかを示す指標です。これが低い(通常 20% 未満)場合、赤血球を作るための鉄が不足している状態を意味します15。
これらの検査結果を総合的に判断することで、医師は鉄欠乏性貧血の確定診断を下します。2024年7月に日本で新たに発刊された『鉄欠乏性貧血の診療指針』は、こうした診断基準を標準化し、最新の治療法への道筋を示す重要なものです11。この指針は、後述する新しい治療薬の登場を踏まえ、より効果的で患者中心の医療を実現することを目指しています。
1-2. まずはセルフケア?市販薬(OTC医薬品)とサプリメントの上手な使い方
ドラッグストアでは、様々な貧血用の市販薬や鉄分のサプリメントが販売されています。これらは手軽に入手できる反面、使い方を誤ると危険性も伴います。
- 市販薬の選択肢: 日本で入手可能な代表的な第2類医薬品には、「ファイチ」(小林製薬)、「マスチゲン錠」(日本臓器製薬)、「エミネトン」(佐藤製薬)などがあります16。これらは、医療用医薬品に比べて鉄の含有量は少なめですが、軽度の鉄不足を補う目的で使用されます。また、アサヒの「ディアナチュラ ヘム鉄」やDHCの「ヘム鉄」のようなサプリメントも人気があります16。
- 適切な使用と限界: これらの製品は、健康診断で軽い貧血を指摘された、あるいは食生活の乱れから鉄分不足が気になる、といった明確な理由がある場合に、薬剤師に相談の上で試すのは一つの選択肢です。
1-3. 病院での基本治療:経口鉄剤(飲み薬)
血液検査で鉄欠乏性貧血と診断された場合、治療の第一選択は経口鉄剤(飲み薬)の処方です9。これは世界中のガイドラインで標準治療として位置づけられています。
- 治療の目標と期間: 治療の目的は、単にヘモグロビン値を正常に戻すことだけではありません。枯渇してしまった体内の「鉄の貯金(フェリチン)」を十分に満たすことが不可欠です13。多くの患者さんが、ヘモグロビン値が正常化した時点で「治った」と自己判断して服用をやめてしまいますが、これは再発の大きな原因となります。ガイドラインでは、ヘモグロビン値が正常化してからも、さらに3〜6ヶ月間は鉄剤の服用を継続することが推奨されています13。
- 副作用との付き合い方: 経口鉄剤の継続を妨げる最大の要因は、吐き気、便秘、下痢、腹痛といった消化器系の副作用です1。これらの症状のために、指示通りに薬を飲めない患者さんは少なくありません。
副作用を軽減し、効果を高める現代的な服用法
以前は「1日3回食後」という処方が一般的でしたが、近年の研究から、より効果的で副作用の少ない服用方法がわかってきました。患者さんが医師と相談する上で知っておくと非常に役立つ、実践的なテクニックです。
- ビタミンCとの併用: オレンジジュースなど、ビタミンCを多く含むものと一緒に鉄剤を服用すると、鉄の吸収率が高まります17。
- 飲み合わせに注意: 制酸剤(胃薬)や、お茶・コーヒーに含まれるタンニンは鉄の吸収を妨げるため、服用する時間を2時間以上ずらすことが望ましいです1。
- 「隔日投与」という新しい選択肢: 最新の研究では、鉄剤を毎日服用するよりも1日おきに1錠服用する(隔日投与)方が、鉄の吸収を調節するホルモン「ヘプシジン」の変動を抑え、結果的に吸収効率が上がり、消化器系の副作用も軽減できる可能性が示されています18。副作用で服用が困難な場合、このような新しい投与方法について医師に相談してみる価値は十分にあります。
1-4. 最新治療の最前線:静注鉄剤(注射薬)の進歩
経口鉄剤が基本である一方、特定の状況下では静脈内に直接鉄を投与する「静注鉄剤」が極めて有効な選択肢となります。そして、この分野こそが、近年の貧血治療において最も大きな変革が起きた領域です。
静注鉄剤が必要となるケース
以下の状況では、経口薬ではなく注射による治療が推奨されます9。
- 経口鉄剤の副作用が強く、服用を続けられない場合。
- 消化管からの吸収が著しく悪い場合(例:炎症性腸疾患、胃切除後など)。
- 慢性的な出血が多く、経口薬での補充が追いつかない場合。
- 手術前や妊娠後期など、短期間で安全に貧血を改善する必要がある場合。
2024年新ガイドラインとパラダイムシフト
前述の通り、2024年の『鉄欠乏性貧血の診療指針』では、新しい世代の静注鉄剤の普及が大きなトピックとして取り上げられています11。これは単なる新薬の追加ではなく、治療戦略そのものの考え方を変える「パラダイムシフト」を意味します。
新世代の静注鉄剤がもたらした革命
従来の静注鉄剤は、少量ずつを何回にも分けて投与する必要があり、患者さんの通院負担が大きいという課題がありました。しかし、近年登場したカルボキシマルトース第二鉄(商品名:フェインジェクト)やデルイソマルトース第二鉄(商品名:モノヴァー)といった新しい薬剤は、この常識を覆しました11。
- 「1回完結型」の治療: これらの新薬は、1回の点滴(約15〜30分)で、体内に不足している鉄の全量を補充できるほどの高用量(500〜1000mg)を安全に投与することが可能です19。これにより、数週間にわたる通院が不要となり、1日で治療を大きく前進させることができます。
この治療法の変化は、単に「新しい便利な薬ができた」ということ以上の意味を持ちます。従来の治療が、経口薬でじっくりと時間をかけて改善を目指す「逐次的なアプローチ」だったのに対し、新世代の静注鉄剤は、適切な患者さんに対して「初めに一気に鉄を補充し、速やかに症状を改善させる」という、いわば「フロントローディング型」のアプローチを可能にしました。これにより、生活の質を著しく損なう辛い症状から患者さんを迅速に解放し、早期の社会復帰を促すことができるのです。もちろん、稀なアレルギー反応の危険性管理のため医療機関での投与が必須であり、鉄過剰症を避けるための厳格な適応判断が求められますが9、この治療選択肢の登場は、鉄欠乏性貧血の治療を新たな段階へと引き上げたと言えるでしょう。
第2部:特殊な貧血とその専門的治療
「貧血」と一括りにされがちですが、その原因は鉄不足だけではありません。ここでは、専門的な診断と治療を要する特殊な貧血について、最新の治療法を含めて解説します。これらの病気の初期症状が、ありふれた鉄欠乏性貧血と酷似していることを知ることは、安易な自己判断の危険性を理解する上で極めて重要です。
2-1. 腎臓が原因の「腎性貧血」:注射から飲み薬へのパラダイムシフト
慢性腎臓病が進行すると、多くの患者さんが貧血を合併します。これは「腎性貧血」と呼ばれ、特殊な仕組みによって引き起こされます。
- 原因: 腎臓は、血液を作るように骨髄に指令を出す「エリスロポエチン(EPO)」というホルモンを産生しています。腎機能が低下すると、このEPOの産生が不足し、結果として赤血球が十分に作られなくなり貧血に至ります20。
- 従来の治療法:ESA製剤(注射薬): 長年にわたり、腎性貧血の標準治療は、不足したEPOを体外から注射で補充する「ESA(赤血球造血刺激因子)製剤」でした21。この治療は非常に効果的ですが、2〜4週間に1度の定期的な通院と注射が必要であり、患者さんにとっては身体的・時間的な負担となっていました22。
最新治療:経口薬「HIF-PH阻害薬」の登場
近年、この分野に革命的な新薬が登場しました。それが経口投与(飲み薬)が可能な「HIF-PH(ヒフ・ピーエイチ)阻害薬」です。これは、腎性貧血治療における真のパラダイムシフトと言えます。
- 画期的な作用機序: この薬は、体を意図的に軽い「低酸素状態」にあると錯覚させます。これにより、体内で「低酸素誘導因子(HIF)」というタンパク質が活性化され、患者さん自身の体内でEPOを自然に産生する能力を高めるとともに、赤血球の材料となる鉄の利用効率も改善します21。
- 患者さんへの絶大な利点: 最大の利点は、定期的な注射が不要になることです。毎日の飲み薬に切り替わることで、通院の負担が大幅に軽減され、注射の痛みからも解放されます。これは患者さんの生活の質を劇的に向上させます22。また、体内に炎症があるとESA製剤の効果が落ちることがありますが、HIF-PH阻害薬はそのような状態でも効果が期待できるとされています22。
- 代表的な薬剤: 日本では、「ロキサデュスタット」「バダデュスタット」「ダプロデュスタット」などが承認され、広く使用されています22。
- 注意点: 新しい薬であるため、長期的な安全性については引き続き注意深い観察が必要です。特に、血栓塞栓症の危険性が指摘されており、また、作用機序に関連して血管新生因子(VEGF)に影響を与える可能性があるため、定期的な眼科検診が推奨されています23。
以下の表は、腎性貧血に対する2つの主要な治療法を比較したものです。
特徴 | ESA製剤 | HIF-PH阻害薬 |
---|---|---|
投与方法 | 注射(皮下または静脈)- 2〜4週間に1回22 | 経口薬(飲み薬)- 毎日または週3回22 |
作用機序 | 体外からエリスロポエチンを直接補充21 | 体内の低酸素応答を活性化し、自身のEPO産生と鉄利用を促進22 |
主な利点 | 長年の使用実績がある | 通院負担の軽減、注射の痛みがない、炎症状態でも効果が期待できる22 |
注意点・副作用 | 鉄過剰の危険性、高血圧など10 | 血栓塞栓症の危険性、眼科的合併症の監視が必要23 |
2-2. 慢性疾患に伴う貧血(炎症性貧血):根本原因の治療が鍵
関節リウマチなどの自己免疫疾患、炎症性腸疾患、慢性的な感染症、がんなどの病気を長期間患っていると、貧血が起こることがあります。これは「慢性疾患に伴う貧血」または「炎症性貧血」と呼ばれます。
- 「閉じ込められた鉄」の問題: この貧血の仕組みは、鉄不足とは全く異なります。体内に慢性的な炎症があると、肝臓から「ヘプシジン」というホルモンが過剰に分泌されます。このヘプシジンは、体内のマクロファージ(免疫細胞の一種)などに鉄を閉じ込めてしまい、赤血球の生産工場である骨髄で鉄が利用できなくなるという現象を引き起こします24。体全体の鉄の量は十分にある、あるいは過剰でさえあるのに、必要な場所で使えない「機能的鉄欠乏」の状態です。
- 治療の原則: この種類の貧血に対して、経口鉄剤を投与してもほとんど効果はありません25。鉄が吸収されても、ヘプシジンによってすぐに細胞内に閉じ込められてしまうためです。最も重要な治療は、貧血の原因となっている根本の慢性疾患(関節リウマチや感染症など)をしっかりと制御することです。炎症が治まれば、ヘプシジンの分泌が正常化し、閉じ込められていた鉄が解放され、貧血は自然に改善します24。症状が重い場合には、腎性貧血と同様にESA製剤や、細胞内に閉じ込められた鉄を迂回できる静注鉄剤が補助的に使用されることもあります25。
2-3. その他の重要な貧血:知っておきたい専門治療
頻度は低いものの、生命に関わる重篤な貧血も存在します。これらの病気を知ることは、貧血という症状の多様性と、専門医による診断の重要性を理解するために不可欠です。
- 再生不良性貧血: 血液細胞の源である骨髄の造血幹細胞が何らかの原因で傷害され、赤血球・白血球・血小板のすべてが作れなくなってしまう難病です(汎血球減少症)26。治療は血液内科の専門医のもとで行われます。自身の免疫系が骨髄を攻撃していると考えられるため、免疫の働きを抑える免疫抑制療法(抗胸腺細胞グロブリンやシクロスポリンなど)が中心となります20。若年の重症例では、唯一の根治治療である造血幹細胞移植(骨髄移植)が検討されます20。
- 溶血性貧血: 赤血球が通常よりも早く(寿命は通常約120日)破壊されてしまうことで起こる貧血です27。骨髄が生産を増やしても、破壊の速度に追いつかなくなります。自己免疫の異常によって起こる自己免疫性溶血性貧血が代表的です。この場合、赤血球を攻撃している免疫系を抑えるために、副腎皮質ステロイドが第一選択薬として用いられます28。
- 骨髄異形成症候群に伴う貧血: 主に高齢者に見られる血液のがんの一種で、骨髄で正常な血液細胞が作れなくなる病気です。「不応性貧血」とも呼ばれます。この貧血に対しても、近年新しい治療薬が登場しています。特にルスパテルセプトは、特定の種類の骨髄異形成症候群患者さんにおいて、従来のESA製剤よりもヘモグロビン値を改善し、輸血の頻度を減らす効果が高いことが臨床試験で示された、注目の新薬です29。
これらの稀で重篤な病気も、初期症状は「疲れやすい」「顔色が悪い」「息切れがする」といった、ごくありふれた貧血症状であることは少なくありません26。だからこそ、貧血症状を軽視し、「いつものことだから」と市販の鉄剤で済ませてしまうことには、大きな危険性が伴うのです。専門的な治療が必要な病気を見逃さないためにも、原因不明の貧血は必ず専門医に相談するという原則が、何よりも重要になります。
よくある質問
市販の鉄剤を飲んでいれば安心ですか?
いいえ、安心ではありません。市販薬は軽度の鉄不足を補う助けにはなりますが、貧血の原因は鉄不足だけとは限りません。特に成人男性や閉経後の女性の場合、消化管のがんなど重篤な病気が隠れている可能性もあります1。市販薬で症状が一時的に改善することで、根本的な病気の発見が遅れる危険性があるため、原因不明の貧血症状がある場合は、まず医療機関を受診してください。
貧血の治療にはどのくらいの期間がかかりますか?
注射の鉄剤はどのような時に使いますか?
注射の鉄剤(静注鉄剤)は、飲み薬の副作用が強くて続けられない場合、消化管からの鉄の吸収が悪い場合、出血が多くて飲み薬では補充が追いつかない場合、あるいは手術前などで迅速に貧血を改善する必要がある場合などに使用されます9。特に最新の注射薬は1回の投与で多くの鉄分を安全に補充できるため、治療の選択肢が大きく広がっています。
貧血は遺伝しますか?
貧血そのものが直接遺伝するわけではありませんが、貧血を引き起こす可能性のある特定の病気(遺伝性溶血性貧血など)には遺伝的な要因が関与するものがあります。また、月経量が多いといった体質が家族内で似ることで、鉄欠乏性貧血になりやすい傾向が見られることはあります。しかし、ほとんどの貧血は後天的な原因によるものです。気になる場合は医師にご相談ください。
結論:貧血治療で最も大切なこと – 専門医への相談
本稿では、貧血に効く薬について、その原因別に最新の治療法を網羅的に解説してきました。最後に、貧血と向き合う上で最も重要な点を改めて強調します。
- 貧血は「症状」であり、診断ではない: 疲れやめまいは、体が発するサインです。その根本原因を突き止めることが、治療の全ての始まりです。
- 治療法は原因によって全く異なる: 最も多い鉄欠乏性貧血には鉄剤が有効ですが、腎性貧血にはエリスロポエチン産生を促す薬、炎症性貧血には原因疾患の治療、そして再生不良性貧血のような難病には免疫抑制療法や移植が必要となります。
- 治療は劇的に進歩している: かつては副作用や通院の負担が大きかった治療も、新世代の静注鉄剤や画期的な経口薬(HIF-PH阻害薬など)の登場により、より効果的で患者さんの負担が少ないものへと進化しています。長年貧血に悩んできた方も、諦める必要はありません。
- 自己判断は禁物、専門医への相談が不可欠: これまで見てきたように、貧血の背後には、単純な鉄不足から生命を脅かす病気まで、様々な可能性が潜んでいます。正しい診断なくして、正しい治療はあり得ません。
以下の表は、本稿で解説した主要な貧血の種類、原因、そして治療法をまとめたものです。この多様性こそが、専門家による診断の重要性を物語っています。
貧血の種類 | 主な原因 | 診断の鍵 | 主な治療法 |
---|---|---|---|
鉄欠乏性貧血 | 鉄分の不足(食事、出血など) | 低フェリチン値13 | 経口鉄剤、または最新の静注鉄剤9 |
腎性貧血 | 腎臓病によるEPO産生低下23 | 慢性腎臓病の存在 | ESA製剤(注射)またはHIF-PH阻害薬(飲み薬)22 |
炎症性貧血 | 慢性的な炎症による鉄利用障害25 | 基礎疾患の存在、フェリチン正常〜高値25 | 根本原因の疾患の治療25 |
再生不良性貧血 | 骨髄の造血機能不全26 | 汎血球減少(全血球の減少)26 | 免疫抑制療法、造血幹細胞移植20 |
溶血性貧血 | 赤血球の破壊亢進27 | 溶血の所見(ビリルビン高値など)27 | ステロイド、原因疾患の治療28 |
もし、あなたが、あるいはあなたの大切な人が、原因のわからない倦怠感や息切れ、めまいに悩まされているのであれば、どうかそれを放置しないでください。医療機関、特に内科や血液内科を受診し、専門家による正確な診断を受けることが、健康を取り戻すための最も確実で安全な第一歩です。あなたに合った正しい薬は、正しい診断から始まります。適切な治療を受ければ、生活の質は大きく改善する可能性があります。
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