【医師監修】妊娠中の疥癬 完全ガイド：胎児への影響、安全な治療薬、再発させない対策のすべて

第1章：疥癬の理解—原因、症状、診断

疥癬を正しく理解することは、不必要な恐怖を和らげ、適切な対処を行うための第一歩です。この病気は、目に見えないほど小さなダニが原因で引き起こされます。

1.1 目に見えない原因：ヒゼンダニの生態

疥癬は、ヒゼンダニ（学名: Sarcoptes scabiei）という体長約0.4mmの非常に小さなダニが人の皮膚に寄生して起こる皮膚感染症です⁵⁶。このダニは肉眼ではほとんど見えず、皮膚の最も外側にある角質層に「疥癬トンネル」と呼ばれる横穴を掘って生活します²。雌ダニは交尾後、4～6週間の寿命の間に1日2～3個の卵を産み続け、卵は約3～4日で孵化し、約2週間で成虫へと成長します⁶。ヒゼンダニは人の皮膚から離れると長く生きられず、通常は2～3日で感染力を失うと米国疾病予防管理センター（CDC）は報告しています²。

1.2 特徴的な症状：激しいかゆみと発疹

疥癬の症状は、主にダニそのものやその排泄物に対するアレルギー反応によって引き起こされます⁶。最も特徴的なのは、夜間に特に強くなる激しいかゆみです²。このかゆみは睡眠を妨げるほど強烈なことが少なくありません。その他、赤いブツブツ（丘疹）や、時には水ぶくれ（小水疱）のような発疹が、指の間、手首、脇の下、おへそ周りなど、皮膚の柔らかい部分に現れます²。乳幼児の場合は、成人とは異なり、頭や顔、手のひら、足の裏にも発疹が広がることがあります²。また、雌ダニが角質層を掘り進んだ跡が、灰色がかった細い線状の「疥癬トンネル」として見えることもあります²。

1.3 診断プロセス：医師による確定方法

疥癬の診断は、臨床症状、顕微鏡によるダニの検出、そして感染者との接触歴などを総合的に評価して行われます³。最も確実な診断は、皮膚から検体を採取し、顕微鏡でヒゼンダニの虫体、卵、または糞を直接確認することです¹。しかし、通常疥癬では寄生するダニの数が10～15匹以下と非常に少ないため、一度の検査でダニを見つけ出すのが困難な場合があります²。ある患者の体験談では、当初は別の皮膚疾患と誤診され、診断が遅れたケースも報告されています⁷。そのため、日本皮膚科学会のガイドラインでは、臨床症状から強く疥癬が疑われる場合、検査が陰性であっても再検査を検討することが推奨されています³。

1.4 通常疥癬と角化型疥癬の違い

疥癬には主に二つのタイプがあります。一般的に見られるのは「通常疥癬」で、寄生するダニの数は少なく、感染には比較的長時間の肌の接触が必要です²。一方、免疫力が低下した高齢者などに見られる重症型の「角化型疥癬（旧称：ノルウェー疥癬）」では、ダニが100万匹以上に増殖し、感染力が非常に強くなります⁶。剥がれ落ちた皮膚の屑（鱗屑）を介しても感染が広がるため、施設での集団発生の原因となることがあります⁸。妊娠中に角化型疥癬を発症することは極めて稀ですが、この違いを理解することは重要です。

第2章：疥癬根治を成功させるための4つの基本原則

疥癬の治療は、単に薬を塗るだけでは完了しません。再発を防ぎ、完全に治癒させるためには、以下の4つの基本原則を徹底することが不可欠です。

2.1 原則1：「全員一斉」のアプローチ

最も重要な原則は、感染者本人だけでなく、同居家族や性的パートナーなど、日常的に濃厚な接触がある人全員が、症状の有無にかかわらず同時に治療を開始することです¹。疥癬の潜伏期間は初感染の場合4～8週間と長いため、症状のない人が無自覚の感染源となり、治療済みの人に再感染させてしまう「ピンポン感染」を防ぐためです²。

2.2 原則2：「全身塗布」の徹底

処方された外用薬は、かゆみのある部分だけでなく、首から下の全身にくまなく塗布する必要があります¹。特に、指の間、爪の下、足の裏、性器の周りなど、ダニが潜みやすい部分は念入りに塗ることが重要です⁸。日本皮膚科学会の専門家セミナーにおいても、乳幼児の場合は顔面や頭部への塗布も考慮されるべきとされています⁹。

2.3 原則3：2回の治療サイクル

多くの治療薬は成虫には有効ですが、卵には効果が不十分な場合があります¹⁰。そのため、1回目の治療から1週間後に2回目の治療を行い、生き残った卵から孵化したダニを駆除することが、ダニの生活環を断ち切るために不可欠です¹。

2.4 原則4：治療後に残るかゆみの理解

治療が成功し、すべてのダニが死滅した後でも、かゆみは数週間（通常2～4週間）続くことがあります¹。これは「疥癬後瘙痒（かいせんごそうよう）」と呼ばれ、皮膚内に残ったダニの死骸などに対するアレルギー反応が原因です。治癒の判定基準は、新しい発疹や疥癬トンネルが出現しないことであり、かゆみが完全になくなることではありません¹¹。この事実を知っておくことで、不必要な再治療を避けることができます。

第3章：妊娠中の女性に対する日本の疥癬治療法

妊娠中の疥癬治療では、有効性以上に胎児への安全性が最優先されます。そのため、日本国内で推奨される治療法は、海外の標準治療とは異なる場合があります。特に、全身への吸収が少ない外用薬が治療の中心となります¹²。

3.1 日本における第一選択：イオウ（硫黄）製剤

日本の専門家の間では、イオウ（硫黄）製剤が妊婦や乳幼児に対して安全に使用できる薬剤として長年の実績があり、第一の選択肢として推奨されています¹³。通常、5～10%の沈降イオウをワセリン基剤に混ぜた軟膏（沈降硫黄ワセリン）が院内製剤として処方され、保険適用となります⁹。これを首から下の全身に塗布し、24時間後に洗い流すというサイクルを数日間続けます¹³。独特の臭いや皮膚への刺激が欠点として挙げられますが、その高い安全性から、妊娠中においては依然として重要な選択肢です¹³。

3.2 その他の外用薬：慎重な評価が必要な選択肢

• フェノトリン5%ローション（スミスリン®）: 一般成人に対しては日本皮膚科学会のガイドラインで強く推奨される第一選択薬ですが¹⁴、妊婦に対する安全性は確立されておらず、「治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ使用する」とされています¹⁵。
• クロタミトン10%クリーム（オイラックス®）: 疥癬に対する保険適用はありませんが、鎮痒効果もあり、審査上は使用が認められています¹⁴。しかし、日本の資料では、大量または長期間の広範囲な使用は控えるべきとされています¹⁴。
• ペルメトリン5%クリーム: 有効性と安全性の両面から、多くの国で妊婦を含む疥癬治療の第一選択薬とされていますが、日本では未承認薬です¹¹²。使用するには医師の責任のもとで個人輸入が必要となり、一般的な選択肢ではありません¹¹。

3.3 妊娠中に使用してはならない薬剤

イベルメクチン内服薬（ストロメクトール®）は、非常に有効な経口治療薬ですが、妊娠中の安全性は確立されておらず、胎児へのリスクが懸念されるため、絶対に使用してはいけません（禁忌）¹¹⁶。

第4章：徹底した環境整備と再感染の予防

薬剤治療と並行して、生活環境からダニを排除することが極めて重要です。ヒゼンダニは人の体から離れると長く生存できないため、ポイントを押さえた対策で対応できます。

• リネン類と衣類の処理: 治療開始前の3日間に使用した寝具、タオル、衣類などは、50℃以上のお湯に10分以上浸すか、乾燥機で高温乾燥させます²。これによりダニと卵は死滅します。
• 洗濯できないものの処理: 高温処理が難しいものは、大きなビニール袋に密封し、3日間から1週間程度放置します¹。人の皮膚から離れたダニは数日で死滅します。
• 生活空間の清掃: カーペットや布張りのソファなどは、掃除機を徹底的にかけます⁸。通常疥癬の場合、殺虫剤を部屋に散布する必要は一般的にありません¹¹。

第5章：出産後と新生児の保護

出産を控えた時期の感染は、生まれてくる赤ちゃんへの影響が最も心配されますが、適切な対応でリスクは最小限に抑えられます。

5.1 出産後の安全な環境と授乳

母親が指示通りに治療を完了していれば、出産時に新生児へ感染するリスクは極めて低く、母子を隔離する必要はありません¹¹。授乳に関しても、治療薬の選択が重要です。国際的なデータでは、ペルメトリン外用薬は授乳中でも安全とされていますが、内服薬のイベルメクチンは推奨されません⁴。日本で承認されているフェノトリンも授乳中の安全性は確立されていないため¹⁵、授乳期間中の治療が必要な場合、やはりイオウ製剤が安全な選択肢となる可能性が高いです。

5.2 新生児が感染した場合の対応

万が一、新生児が感染してしまった場合でも、過度に心配する必要はありません。新生児の疥癬は治療法が確立されており、小児科医や皮膚科医の指導のもと、乳児にも安全なイオウ製剤などで治療が可能です¹³。海外では生後2ヶ月以上の乳児にはペルメトリンが安全に使用できるとされています⁸。

第6章：人的側面：心身の負担への対処

疥癬は単なる皮膚の病気ではなく、その治療過程は患者に多大な精神的、社会的な負担を強います。ある患者の体験談では、耐え難いかゆみによる不眠、毎日の洗濯という重労働、そして「他人にうつしてしまうかもしれない」という恐怖から社会的に孤立してしまった経験が語られています¹⁷。また、治療が完了した後も続くかゆみは、「まだ治っていないのではないか」という強い不安を引き起こし、さらなるストレスを生む悪循環に陥りかねません。この病気は誰でも感染しうるものであり、個人の衛生観念とは無関係であることを理解し、治療後の正常な経過について正しい知識を持つことが、心理的負担を軽減する助けとなります。

よくある質問

結論

妊娠中の疥癬という困難な状況に直面した際、正しい知識は最大の武器となります。ヒゼンダニの感染自体は胎児に害を及ぼさず、安全な治療法が存在することをまず理解してください。日本における妊娠中の治療は、安全性が最優先され、イオウ製剤が中心となることが一般的です。治療の成功は、あなた自身とあなたの身近な接触者全員が、治療の基本原則を忠実に守れるかにかかっています。そして、治療後に続くかゆみは正常な治癒過程の一部であることを覚えておくことが、不必要な不安を避ける上で重要です。疥癬の治療は肉体的にも精神的にも厳しい道のりですが、正しい治療と管理を行えば、必ず完全に治癒する病気です。この困難な旅には明確な終わりがあることを信じ、皮膚科医と緊密に連携しながら、自信を持って治療に臨んでください。