【医師監修】妊娠高血圧症候群(旧 妊娠中毒症)とは?原因から症状、治療、産後ケアまで徹底解説
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【医師監修】妊娠高血圧症候群(旧 妊娠中毒症)とは?原因から症状、治療、産後ケアまで徹底解説

妊婦健診で「少し血圧が高いですね」と指摘されたり、これまで経験したことのないような頭痛や急なむくみに「もしかして…」と不安を感じていませんか。その不調は、あなたと赤ちゃんの両方にとって注意が必要な「妊娠高血圧症候群(HDP)」のサインかもしれません。かつて「妊娠中毒症」と呼ばれていたこの病気は、日本の妊産婦死亡原因の第一位であった時代もあるほど、決して軽視できない状態です1。しかし、正しい知識を持ち、適切に管理すれば、母子ともに安全な出産を迎えることは十分に可能です。
私たちJAPANESEHEALTH.ORG編集委員会は、読者の皆様が抱えるその不安を解消し、確かな情報に基づいてご自身の健康と向き合えるよう、この記事を作成しました。本記事は、日本の産科医療の基準となる日本産科婦人科学会(JSOG)1および日本妊娠高血圧学会(JSSHP)2の診療指針、さらに世界の標準治療をリードする米国産科婦人科学会(ACOG)3や米国心臓協会(AHA)4の最新の科学的エビデンスに完全準拠しています。原因の根本的なメカニズムから、具体的な症状、最新の治療法、そして出産後の長期的な健康管理に至るまで、妊娠高血圧症候群に関するあなたの全ての疑問に、専門的かつ分かりやすくお答えします。
免責事項
本記事は、信頼できる医学的情報に基づいていますが、情報提供のみを目的としており、個別の医学的アドバイスに代わるものではありません。診断、治療、健康管理については、必ずかかりつけの産婦人科医にご相談ください。

要点まとめ

  • 妊娠高血圧症候群(HDP)は、かつて「妊娠中毒症」と呼ばれ、妊娠20週以降に高血圧を発症する病気です。根本原因は胎盤の形成不全にあると考えられています。
  • 診断は血圧測定と尿検査が基本ですが、蛋白尿がなくても頭痛や目のチカチカなどの臓器障害のサインがあれば重症と診断されることがあります。
  • HDPには4つのタイプがあり、もともと高血圧がある場合は特に注意が必要です。自覚症状がなくても進行することがあるため、日本の手厚い妊婦健診を必ず受けることが極めて重要です。
  • 唯一の根本治療は「出産」です。治療の目的は、降圧薬やけいれん予防薬を用いて母子の安全を保ちながら、可能な限り妊娠を継続することにあります。
  • HDPを経験した女性は、将来、高血圧や心臓病、脳卒中になるリスクが数倍高まることがわかっています。出産後も生涯にわたる健康管理が不可欠です。

「妊娠中毒症」から「妊娠高血圧症候群」へ:なぜ名前が変わったのか?

かつて多くの妊婦さんが「妊娠中毒症」という言葉に大きな不安を抱いていました。「中毒」という言葉が、何か得体の知れない毒素によって母体が蝕まれるような印象を与えていたからです。しかし、長年の研究により、この病態の本質が未知の「毒素」によるものではなく、「高血圧」が母体と胎児に様々な悪影響を及ぼす根源であることが科学的に明らかになりました。
この医学的知見の進展を受け、日本産科婦人科学会は2005年に、病態をより正確に反映する「妊娠高血圧症候群(Hypertensive Disorders of Pregnancy: HDP)」へと正式に名称を変更しました5。この変更は単なる言葉の言い換えではありません。病態の中心が「高血圧」であると明確になったことで、診断基準から「むくみ(浮腫)」が必須項目ではなくなり、血圧の厳格な管理が治療戦略の中心に据えられたのです。さらに2018年には、国際的な定義との整合性を図り、より包括的な疾患群としてHDPの概念が導入され、現在に至っています。この名称変更の背景を理解することは、病気に対する不要な恐怖を取り除き、正しい知識で向き合うための第一歩です。

妊娠高血圧症候群(HDP)とは?- 科学的根拠に基づく正確な定義と診断基準

日本妊娠高血圧学会(JSSHP)が発行した『妊娠高血圧症候群の診療指針2021』によると、HDPは「妊娠時に高血圧を認める場合」とシンプルに定義されています2。具体的には、妊娠20週以降に初めて高血圧が発症し、分娩後12週までに正常に回復する場合を指します。この診断は、3つの主要な柱に基づいて行われます。

診断の3本柱:血圧・蛋白尿・臓器障害

HDPの診断は、血圧測定、尿中の蛋白量、そして高血圧によって引き起こされる各種臓器の機能障害の有無を評価することによって行われます。

血圧基準

血圧はHDP診断の最も基本的な指標です。測定は、少なくとも5分以上安静にした後、座位で行うのが原則です。以下の基準のいずれかを満たした場合に「高血圧」と診断されます2

  • 収縮期血圧(最高血圧): 140mmHg以上
  • 拡張期血圧(最低血圧): 90mmHg以上

さらに、血圧が収縮期160mmHg以上、または拡張期110mmHg以上に達した場合は「重症高血圧」とされ、母子ともに危険な状態に陥るリスクが非常に高いため、迅速な治療介入が必要となります3

蛋白尿基準

高血圧によって腎臓の血管がダメージを受けると、本来は尿に漏れ出ることのないタンパク質(主にアルブミン)が尿中に排出されるようになります。これが蛋白尿です。JSSHPの指針では、以下のいずれかを満たす場合に陽性と判断されます2

  • 24時間蓄尿法: 1日の尿をすべてためて測定し、蛋白量が300mg/日以上
  • 尿蛋白/クレアチニン比: 随時尿(任意の時間の尿)で測定し、0.3以上

蛋白尿がない場合の診断(重症サイン)

かつては高血圧と蛋白尿の両方が診断に必須とされていましたが、研究が進むにつれて、蛋白尿がなくても重篤な状態に陥るケースがあることが分かってきました。米国産科婦人科学会(ACOG)は、この点を重視しており、高血圧がある妊婦さんに蛋白尿がなくても、以下のいずれかの臓器障害のサインが一つでも認められれば、重症の妊娠高血圧腎症と診断すべきであると明確にしています3。これは日本の診療においても重要な考え方となっています。

  • 血小板減少: 血液を固める役割の血小板が10万/μL未満に減少する。
  • 肝機能障害: 肝酵素(ASTまたはALT)が正常上限の2倍以上に上昇し、右上腹部痛やみぞおちの痛みを伴うことがある。
  • 腎機能障害: 血清クレアチニン値が1.1mg/dL以上に上昇する。
  • 肺水腫: 肺に水がたまり、息切れや呼吸困難を引き起こす。
  • 中枢神経症状: これまで経験したことのないような持続する激しい頭痛(鎮痛薬が効かない)、または目の前がチカチカする、物が見えにくくなるといった視覚異常。

表1:妊娠高血圧症候群(HDP)の診断基準の比較

項目 日本(JSSHP 2021)2 米国(ACOG 2020)3
高血圧 収縮期 ≥140mmHg または 拡張期 ≥90mmHg(異なる機会に2回以上) 収縮期 ≥140mmHg または 拡張期 ≥90mmHg(4時間以上の間隔をあけて2回)
重症高血圧 収縮期 ≥160mmHg または 拡張期 ≥110mmHg 収縮期 ≥160mmHg または 拡張期 ≥110mmHg(数分以内に確認)
蛋白尿 ≥300mg/24時間 または 尿蛋白/Cr比 ≥0.3 ≥300mg/24時間 または 尿蛋白/Cr比 ≥0.3、または試験紙法で2+以上
蛋白尿がない場合の
重症サイン
診断基準として明確には定義されていないが、臨床的にはACOG基準を参考に管理されることが多い。 血小板減少、肝機能障害、腎機能障害、肺水腫、持続する頭痛・視覚異常のいずれか一つ。

HDPの4つのタイプ:あなたの診断はどれ?

HDPは、発症時期や合併する症状によって、以下の4つのタイプに分類されます。この分類は、リスクの程度や治療方針を決定する上で非常に重要です。国立成育医療研究センター(NCCHD)の解説によると、これらのタイプはそれぞれ特徴が異なります17

1. 妊娠高血圧(GH: Gestational Hypertension)

妊娠20週以降に初めて高血圧のみが認められるタイプです。蛋白尿やその他の臓器障害は見られません。一見、軽症に思えるかもしれませんが、GHと診断された妊婦さんの約半数が、後に妊娠高血圧腎症(PE)に移行すると報告されており、慎重な経過観察が必要です1

2. 妊娠高血圧腎症(PE: Preeclampsia)

HDPの中で最も典型的で、注意が必要なタイプです。妊娠20週以降の高血圧に加え、蛋白尿、あるいは前述したような肝機能障害や血小板減少などの臓器障害を伴います。重症化すると、子癇(けいれん発作)やHELLP症候群といった命に関わる状態を引き起こす可能性があります。

3. 加重型妊娠高血圧腎症(SPE: Superimposed Preeclampsia)

妊娠前から高血圧症や腎臓病を持っている女性が、妊娠20週以降に状態が悪化し、蛋白尿が出現したり、元々の症状が増悪したりするタイプです。母体にもともと負担がかかっているため、HDPの中でも特にリスクが高く、厳重な管理が求められます。

4. 高血圧合併妊娠(CH: Chronic Hypertension)

妊娠前から高血圧症と診断されている、または妊娠20週までに高血圧が認められる場合を指します。このタイプの女性は、妊娠中に加重型妊娠高血圧腎症(SPE)を発症するリスクが非常に高いことが知られています。

なぜ起こるのか?- HDPの根本原因とリスク因子

長年の研究にもかかわらず、HDPの根本的な原因は完全には解明されていません。しかし、現在最も有力な説として「two-stage disorder theory(二段階説)」が広く支持されています1

原因:胎盤形成の異常が引き金に

この説によると、HDPの発症は2つの段階を経て起こると考えられています。

  1. 第一段階:胎盤形成不全
    妊娠初期、赤ちゃんに栄養と酸素を供給するための胎盤が作られる過程で、本来起こるべき子宮の「らせん動脈」という血管のリモデリング(構造変化)が不完全に終わってしまう状態です。これにより、胎盤への血流が不足し、胎盤が低酸素状態に陥ります。
  2. 第二段階:全身の血管内皮障害
    血流不足に陥った胎盤から、「sFlt-1(可溶性fms様チロシンキナーゼ-1)」や「sEng(可溶性エンドグリン)」といった血管の成長を妨げる因子(抗血管新生因子)が母体の血中に過剰に放出されます27。これらの因子が全身の血管の内側を覆う「血管内皮細胞」を攻撃し、傷つけることで、高血圧、蛋白尿、血液凝固異常といった全身の様々な症状が引き起こされるのです。

つまり、HDPは単なる「血圧の病気」ではなく、「胎盤の異常に端を発する全身の血管の病気」であると理解することが重要です。

あなたは当てはまる?HDPのリスク因子

HDPは誰にでも起こりうる病気ですが、特定の因子を持つ人は発症リスクが高まることが知られています。ACOGのガイドラインでは、これらの因子を「高リスク」と「中等度リスク」に分類しています3。ご自身の状況を確認し、早期からの対策に役立ててください。

表2:妊娠高血圧症候群(HDP)のリスク因子チェックリスト

リスク分類 リスク因子 該当チェック
高リスク因子
(1つでも該当すればハイリスク)
過去の妊娠で妊娠高血圧腎症(PE)になったことがある
多胎妊娠(双子、三つ子など)
慢性高血圧症
1型または2型糖尿病
中等度リスク因子
(2つ以上該当すればハイリスク)
今回の妊娠が初めての出産(初産婦)である
肥満(妊娠前のBMIが30以上)
母親や姉妹にPEの既往歴がある
年齢が35歳以上である
体外受精(IVF)による妊娠である

出典: 米国産科婦人科学会(ACOG)Practice Bulletin No. 222 の情報に基づきJHO編集委員会が作成318

症状と危険なサイン:母体と赤ちゃんへの命の警告

HDPの最も恐ろしい点の一つは、初期段階ではほとんど自覚症状がない「サイレントな病気」であることです。血圧の上昇や蛋白尿は、妊婦健診で指摘されて初めて気づくことがほとんどです。しかし、病状が進行すると、母体と赤ちゃんの両方に命の危険が及ぶ重大な合併症を引き起こす可能性があります。以下のサインは、直ちに医療機関に連絡すべき危険な警告です。

母体に現れる危険な合併症

  • 子癇(しかん): HDPの最重症型で、突然けいれん発作を起こします。発作の前兆として、目の前がチカチカする(眼華閃発)、持続する激しい頭痛、嘔吐などが現れることがあります。発作は母子の生命に直接関わる極めて危険な状態です。
  • HELLP症候群: 溶血(Hemolysis)、肝酵素上昇(Elevated Liver enzymes)、血小板減少(Low Platelet count)の頭文字をとったもので、急速に進行する危険な合併症です。特徴的な症状として、突然の激しいみぞおちの痛みや右上腹部痛が挙げられます17
  • 常位胎盤早期剥離: 赤ちゃんが生まれる前に胎盤が子宮の壁から剥がれてしまう状態で、大量出血を引き起こします。持続的な激しい腹痛(お腹が板のように硬くなる「板状硬」)と性器出血が主なサインです。母子ともに非常に危険な状態に陥ります。
  • その他の重篤な合併症: その他にも、脳出血、肺に水がたまる肺水腫、腎臓の機能が急激に低下する急性腎障害、全身の血管内で血液が固まってしまう播種性血管内凝固症候群(DIC)など、命に関わる合併症を引き起こすことがあります。

お腹の赤ちゃんへの影響

HDPは、お腹の赤ちゃんにも深刻な影響を及ぼします。胎盤の血管が障害されることで、赤ちゃんへの酸素や栄養の供給が滞ってしまうためです。

  • 胎児発育不全(FGR): 胎盤機能の低下により、赤ちゃんが子宮内で十分に成長できず、週数に比べて小さくなってしまう状態です。
  • 胎児機能不全(胎児ジストレス): 胎盤からの酸素供給が不足し、赤ちゃんが苦しい状態に陥ることです。胎動の減少や心拍数の異常として現れます。
  • 子宮内胎児死亡: 最も悲劇的な転帰として、赤ちゃんが子宮内で亡くなってしまうことがあります。
  • 早産: 母体の状態が悪化した場合、赤ちゃんが未熟であっても、救命のために妊娠を中断し、早期に出産させる(医原性早産)必要が生じることがあります。

診断と管理:日本の手厚い妊婦健診が命綱

HDPの多くは自覚症状がないまま進行するため、早期発見と適切な管理には定期的な妊婦健康診査(妊婦健診)が不可欠です。日本の医療制度の大きな利点として、ほとんどの自治体で14回程度の妊婦健失が公費で助成されており、これは世界的に見ても非常に手厚いサポート体制です1415。健診ごとに行われる血圧測定と尿検査は、まさにHDPを早期に発見するための「命綱」と言えます。これらの検査で異常が指摘された場合は、より詳細な検査や入院管理へと進み、母子へのリスクを最小限に抑えるための対策が講じられます。

HDPの治療法:安静、薬物療法から分娩まで

HDPの治療における大原則は、この病気の唯一の根本的な治療法は「胎盤を体外に出すこと」、つまり「分娩」であるという点です1。したがって、分娩に至るまでの治療はすべて、母体と胎児の状態を安定させ、できるだけ安全に妊娠期間を延長し、赤ちゃんが子宮の外でも生きていける週数まで時間を稼ぐことを目的とした対症療法となります。

1. 基本管理:安静と食事療法

HDPと診断された場合、まず基本となるのが安静です。血圧の上昇を防ぎ、子宮や胎盤への血流を維持するために、入院または自宅での安静が指示されます。また、食事療法も重要で、特に塩分摂取量を1日7~8g以下に制限する減塩が推奨されます2。日本食は醤油や味噌、漬物など塩分を多く含む食品が多いため、出汁の旨味を活用するなど、意識的な工夫が必要です。

2. 薬物療法:血圧とけいれんをコントロールする

降圧療法

血圧が重症域(160/110mmHg以上)に達した場合、脳出血などの重篤な合併症を防ぐために、速やかな降圧薬による治療が必要です。ACOGのガイドラインでは、ラベタロール(静注・経口)、ヒドララジン(静注)、ニフェジピン(経口)などが第一選択薬として推奨されています320。治療の目標は、血圧を急激に下げすぎず、140-150/90-100mmHg程度の安定した範囲にコントロールすることです。

表3:HDPにおける緊急降圧薬の例(ACOGガイドライン準拠)

薬剤名 投与方法 一般的な用法・用量 主な注意点
ラベタロール 静脈内投与 初回20mg、その後必要に応じて40mg、80mgと増量 喘息、心不全のある患者には禁忌
ヒドララジン 静脈内投与 5-10mgを15-20分かけて投与 頭痛、頻脈、血圧の急激な低下に注意
ニフェジピン 経口投与 10-20mgを20分毎に、必要であれば反復投与 急速な作用発現。舌下投与は推奨されない

出典: 米国産科婦人科学会(ACOG)Practice Bulletin No. 222318

けいれん予防(硫酸マグネシウム)

重症のPEと診断された場合や、子癇を発症した場合には、けいれん発作の予防と治療のために「硫酸マグネシウム」の点滴投与が絶対的な第一選択となります3。これは母体の安全を確保するために極めて重要な治療です。投与中は、副作用(呼吸抑制など)を監視するために厳重な管理が行われます。

3. 分娩のタイミング:母子にとって最善の時期を見極める

治療の最終目標は分娩ですが、そのタイミングは妊娠週数とHDPの重症度、母体と胎児の状態を総合的に判断して慎重に決定されます。ACOGのガイドラインでは、以下のような推奨がなされています318

  • 妊娠高血圧(GH)または軽症のPE: 妊娠37週0日以降での分娩が推奨されます。
  • 重症サインを伴うPE: 妊娠34週0日以降であれば、診断が確定次第、速やかに分娩させることが推奨されます。34週未満であっても、母体または胎児の状態が不安定な場合は、直ちに分娩が必要となることがあります。

4. 予防:ハイリスクな人のための低用量アスピリン療法

過去にPEの既往がある、多胎妊娠、慢性高血圧など、前述の「リスク因子チェックリスト」でハイリスクと判断された妊婦さんに対しては、PEの発症を予防するために「低用量アスピリン(81mg/日)」の内服が強く推奨されています3。ACOGは、妊娠12週から16週の間に内服を開始し、36週まで継続することを推奨しています。この予防法は、胎盤の血管形成を助け、HDPの発症リスクを下げることが多くの研究で示されています。日本でもこの考え方は広く受け入れられており、該当する方は医師と相談することが重要です。

出産後も続くケア:産後の管理とあなたの長期的な健康

出産によって胎盤が排出されるとHDPは快方に向かいますが、危険が完全に去ったわけではありません。産後数日間は血圧が不安定になりやすく、子癇発作も産後に初めて起こることがあります。そのため、出産後も厳重な血圧管理が必要です。

産後の血圧管理と授乳

産後も高血圧が続く場合は、降圧薬の内服が必要になります。その際は、母乳への影響が少ない薬剤が選択されます21。また、会陰切開や帝王切開の痛みを和らげるために使用される鎮痛剤の中には、血圧を上げる作用を持つもの(NSAIDsなど)があるため、医師や薬剤師と相談しながら慎重に使用する必要があります。

最も重要なメッセージ:HDPは将来の健康への「警告」

HDPを経験した女性にとって最も重要なことは、この病気が「妊娠期間中だけの問題ではない」という事実です。米国心臓協会(AHA)は、複数の大規模研究に基づき、「HDPの既往は、将来の心血管疾患(高血圧、心臓病、脳卒中など)の強力な危険因子である」という科学的声明を発表しています421
具体的には、HDPを経験した女性は、経験しなかった女性に比べて、

  • 慢性高血圧症になるリスクが約4倍
  • 虚血性心疾患(心筋梗塞など)のリスクが約2倍
  • 脳卒中のリスクが約2倍

に上昇することが示されています。HDPは、妊娠という身体への大きな「負荷試験(ストレステスト)」によって、その人の将来の健康上の弱点が早期に明らかになった「警告サイン」と捉えるべきなのです。

あなたが今からできること:生涯にわたる健康管理

この「警告」を真摯に受け止め、産後の生活習慣を見直すことが、あなたの未来の健康を守る鍵となります。

  1. 医療機関との連携: HDPの既往歴を、産婦人科だけでなく、内科や循環器科のかかりつけ医にも必ず伝えましょう。
  2. 定期的な健康診断: 少なくとも年に1回は健康診断を受け、血圧、血糖値、コレステロール値などをチェックする習慣をつけましょう。
  3. 健康的な生活習慣: バランスの取れた食事(特に減塩)、適度な運動、適正体重の維持、禁煙など、健康的なライフスタイルを心掛けることが、将来の心血管疾患リスクを大幅に低下させます。

よくある質問(FAQ)

Q1: 足のむくみがひどいのですが、妊娠高血圧症候群のサインでしょうか?
A: かつて「むくみ(浮腫)」は妊娠中毒症の主要な診断基準の一つでしたが、現在では診断基準からは外されています。なぜなら、多くの正常な妊婦さんにもむくみは見られ、必ずしも病的な状態とは限らないからです1。しかし、急に体重が1週間で1kg以上増えるような急激なむくみや、顔や手にまで及ぶひどいむくみは、HDPの兆候である可能性もあります。むくみだけで判断せず、血圧やその他の症状と合わせて、かかりつけ医に相談することが重要です。
Q2: 一度HDPになると、次の妊娠でも再発しますか?
A: 残念ながら、一度HDP(特に重症のPE)を経験した方は、次回の妊娠で再発するリスクが一般の妊婦さんよりも高くなります。再発率は報告によって異なりますが、15~25%程度とされています。しかし、リスクが高いからといって次の妊娠を諦める必要はありません。リスクを十分に理解した上で、妊娠初期からかかりつけ医と緊密に連携し、前述した「低用量アスピリン療法」3などの予防策を講じることで、リスクを管理しながら次の妊娠に臨むことが可能です。
Q3: 妊娠前から減塩を徹底すれば、HDPは予防できますか?
A: HDPの根本原因は胎盤の形成異常にあるため、残念ながら食事療法だけで完全に発症を予防することは困難です1。しかし、高血圧の管理において減塩が重要であることは間違いありません。特に、もともと高血圧のリスクがある方や、肥満傾向のある方は、妊娠前から塩分を控えたバランスの良い食事を心掛けることが、HDPの重症化を防ぐ一助となる可能性があります。予防というよりは、発症後の管理をスムーズにするための準備と捉えると良いでしょう。
Q4: HDPと診断されたら、必ず帝王切開になるのでしょうか?
A: HDPと診断されたからといって、必ずしも帝王切開になるわけではありません。母体と胎児の状態が安定していれば、陣痛促進剤などを用いて経腟分娩を試みることが十分に可能です2829。しかし、母体の血圧がコントロールできない、胎児の状態が急激に悪化している(胎児機能不全)など、分娩を急ぐ必要がある緊急時には、母子の安全を最優先するために緊急帝王切開が選択されることが多くなります。最終的な分娩方法は、刻々と変化する状況をみて、担当医が総合的に判断します。

結論

妊娠高血圧症候群(HDP)は、あなたと大切な赤ちゃんの命に関わる可能性のある、決して軽視できない病気です。しかし、その正体は「未知の毒」ではなく、「胎盤に起因する高血圧を中心とした全身の血管の病気」です。そのメカニズム、リスク、危険なサイン、そして対処法について正しい知識を持つことが、不安を乗り越えるための最大の力となります。
日本の優れた妊婦健診制度を最大限に活用し、定期的なチェックを欠かさないこと。そして、もし異常が指摘された場合には、専門家であるかかりつけの医師を信頼し、その指示に従うこと。これが母子の安全を守るための最も確実な道です。さらに、HDPの経験は、あなたの生涯にわたる健康への貴重な「警告」です。このメッセージを真摯に受け止め、出産後も続く健康管理に取り組むことで、あなたはより健やかな未来を築くことができるでしょう。正しい知識を武器に、専門家と手を取り合って、この大切な時期を乗り越えていきましょう。

参考文献

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