この記事の科学的根拠
この記事は、明示的に引用された最高品質の医学的エビデンスにのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源と、提示された医学的ガイダンスとの直接的な関連性を示したものです。
- 世界保健機関 (WHO): 本記事における周産期メンタルヘルスの国際的な定義、重要性、および母子保健サービスへの統合に関する指針は、世界保健機関(WHO)が発行したガイドラインに基づいています2。
- 米国国立精神衛生研究所 (NIMH): 周産期うつ病の科学的定義、詳細な症状リスト、原因、および治療法に関する包括的な解説は、米国国立精神衛生研究所(NIMH)の出版物を参照しています3。
- 日本周産期メンタルヘルス学会 (JSPMH): 治療法、特に心理療法や薬物療法に関する推奨事項は、日本の臨床現場の標準である日本周産期メンタルヘルス学会の「周産期メンタルヘルス コンセンサスガイド 2023」を主軸としています4。
- 厚生労働省 (MHLW): 日本国内の産後うつの有病率、妊産婦の自殺に関する統計、および産後ケア事業などの公的支援に関する記述は、厚生労働省が公表した各種報告書やマニュアルに基づいています5。
- 日本精神神経学会 (JSPN): 薬物療法の詳細なリスク評価に関する指針は、日本精神神経学会が発行した「精神疾患を合併した、或いは合併の可能性のある妊産婦の診療ガイド」を参照しています6。
要点まとめ
- 妊娠中や産後のうつ病は、ホルモンバランスの急変などが原因で起こる「病気」であり、気力や性格の問題ではありません。日本の母親の約10人に1人が経験します2。
- 2週間以上続く気分の落ち込み、興味の喪失、睡眠障害などは重要なサインです。放置すると母子ともに深刻な影響が及ぶ可能性があり、特に「死にたい」という考えは命に関わる危険な兆候です。
- 治療には、専門家との対話を通じて考え方や人間関係を整理する「心理療法」や、安全性を考慮しながら行う「薬物療法」などの有効な選択肢があります。
- 日本には、市区町村が実施する「産後ケア事業」や保健センターなど、利用できる公的支援が多数存在します。一人で抱え込まず、専門家や支援窓口に相談することが回復への第一歩です。
- パートナーや家族の役割は、単なる「手伝い」ではなく、病気を正しく理解し、話を傾聴し、家事・育児へ主体的に「参加」することです。一番身近な人のサポートが、何よりの力になります。
1. 妊娠中のうつ病(周産期うつ病)とは?まず知っておきたい基本
多くの人が「産後の気分の落ち込み」と聞くと、「マタニティブルー」を思い浮かべるかもしれません。しかし、治療が必要な「周産期うつ病」は、それとは明確に異なる状態です。この違いを正しく理解することが、適切な対応への第一歩となります。
1.1. 「マタニティブルー」との決定的な違い
「マタニティブルー」と「周産期うつ病」は、症状の期間、重症度、そして治療の必要性において根本的に異なります。以下の表でその違いを確認し、ご自身の状態を客観的に見つめる手がかりにしてください。
特徴 | マタニティブルー | 周産期うつ病 |
---|---|---|
時期と期間 | 産後数日から2週間程度で自然に軽快する一過性の状態7。 | 妊娠中から産後1年以内に発症し、症状が2週間以上持続する3。 |
症状の重さ | 気分のゆらぎ、涙もろさ、不安感など。日常生活への支障は比較的軽い。 | 強い抑うつ気分、興味・喜びの喪失、罪悪感などがほぼ毎日続き、日常生活や育児に深刻な支障をきたす。 |
原因 | 出産によるホルモンバランスの急激な変動が主な原因と考えられている。 | ホルモン変動に加え、心理的・社会的なストレス、遺伝的要因などが複雑に絡み合って発症する。 |
治療の必要性 | 通常、専門的な治療は不要。家族のサポートや十分な休息で改善する。 | 自然な回復は難しく、専門的な治療(心理療法、薬物療法など)が必要な「病気」である。 |
米国精神医学会の診断基準(DSM-5)では、うつ病エピソードの発症が妊娠中または産後4週間以内である場合に「周産期発症」という特定用語を用いると定義されていますが、臨床現場ではより広く、産後1年以内の発症を周産期うつ病として捉えるのが一般的です3。
1.2. どれくらいの人が経験するの?日本の現状と統計データ
この問題は、決して珍しいものではありません。客観的なデータは、あなたが感じている苦しみが「自分だけではない」ことを示しており、孤立感を和らげる助けとなります。
- 厚生労働省の研究班の報告によると、日本における産後うつハイリスク者(エジンバラ産後うつ病質問票で9点以上)の割合は、産後1ヶ月時点で約10%前後で推移しているとされています5。これは、毎年約9万人近くの母親が産後うつに苦しんでいる可能性があることを意味します。
- この割合は、米国疾病予防管理センター(CDC)が報告している米国のデータ(出産した女性の約8人に1人が症状を経験)と近似しており8、周産期うつ病が世界共通の重要な健康課題であることを示しています。
- そして、最も深刻な事実は、日本の妊産婦の死因に関するデータです。警察庁の自殺統計に基づく分析によれば、2010年以降、妊産婦の死因の第一位は「自殺」であり、その背景には周産期うつ病が深刻に関わっていると複数の専門機関が指摘しています19。
1.3. なぜ早く気づくことが大切?母子への影響
周産期うつ病の治療は、母親自身のためだけではありません。放置した場合、赤ちゃんの発育や、その後の親子関係にも長期的な影響を及ぼす可能性があるため、早期の発見と介入が極めて重要です。
- 母親自身への影響: 育児への意欲や喜びを感じられなくなり、自己肯定感が著しく低下します。症状が重くなると、日常生活を送ることさえ困難になり、最悪の場合、自分自身を傷つける行為(自傷)や自殺に至る危険性があります10。
- 赤ちゃんへの影響: 妊娠中のうつ病は、低出生体重児や早産のリスクを高める可能性が報告されています11。また、出産後に母親がうつ状態にあると、赤ちゃんとの愛着形成(ボンディング)がうまくいかず、長期的に子どもの情緒的・認知的発達に影響を及ぼす可能性も指摘されています12。
2. もしかして?自分で気づくためのサインと症状
周産期うつ病は、心の不調だけでなく、体の症状としても現れます。米国国立精神衛生研究所(NIMH)などが示す代表的な症状を以下に示します。ご自身の状態を振り返るための参考にしてください3。
2.1. こころに現れる主な症状
- ほぼ毎日、一日中続く悲しい、不安な、または「空っぽ」な気持ち
- これまで楽しめていたはずの活動(趣味、友人との交流など)に対して、興味や喜びを全く感じられない
- 将来に対する絶望感、自分を責める気持ち(罪悪感)、自分には価値がないと感じる(無価値感)、どうしようもないという無力感
- 理由もなくイライラしたり、落ち着かなく感じたりする(焦燥感)
- 物事に集中できない、本やテレビの内容が頭に入らない、記憶力が落ちた、簡単な決断ができない
2.2. からだに現れる主な症状
心の不調は、しばしば体のサインとして現れます。これらの身体症状は、うつ病によるものである可能性があります13。
- 睡眠の問題(なかなか寝付けない、夜中に何度も目が覚める、朝早く目覚めてしまう、逆に一日中眠りすぎる)
- 食欲の変化(全く食欲がない、または甘いものなどを過剰に食べてしまう)
- 常に疲れている、体が鉛のように重く、エネルギーが全くないと感じる
- 検査をしても特に異常がないのに、頭痛や腹痛、体のあちこちの痛みが続く
2.3. 【セルフチェック】エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)を試してみよう
エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)は、日本でも妊婦健診や乳幼児健診で広く使われている、産後うつの可能性を調べるための信頼性の高いスクリーニングツールです14。これはうつ病の診断を下すものではありませんが、ご自身の心の状態を客観的に把握し、専門家に相談するきっかけとして非常に有用です。
【重要】EPDS利用上の注意
この質問票の結果は、あくまで「うつ病の可能性の高さ」を示す目安です。自己判断で「うつ病だ」と結論づけたり、逆に点数が低いから「問題ない」と安心したりするためのものではありません。点数が高い場合(一般的に9点以上が目安とされます)はもちろん、点数が低くてもご自身で「つらい」と感じる場合は、専門家への相談をためらわないでください。
(注:実際の質問票の掲載は著作権の観点からここでは行いませんが、多くの自治体のウェブサイトや医療機関で様式が公開されています。「EPDS 質問票」などのキーワードで検索してみてください。)
2.4. 【特に注意すべき危険なサイン】
以下のサインが一つでも見られる場合は、命の危険が迫っている緊急事態の可能性があります。ためらわずに、今すぐ助けを求めてください。
これらの考えは、病気の症状によるものであり、あなたの本心ではありません。すぐにパートナーや信頼できる家族に打ち明け、かかりつけの医療機関、地域の精神保健福祉センター、または「いのちの電話」などの相談窓口に連絡してください。
3. なぜ私だけ?周産期うつ病の主な原因
周産期うつ病の発症は、決してあなたの「せい」ではありません。その背景には、自分ではコントロールできない生物学的な変化と、深刻な心理的・社会的ストレスが存在します。
3.1. ホルモンバランスのジェットコースター
妊娠から出産にかけて、女性の体内では女性ホルモンであるエストロゲンやプロゲステロンの量が劇的に変動します。特に産後は、これらのホルモンが急降下し、まるでジェットコースターのような状態になります。このホルモンの「津波」が、気分を安定させる役割を持つ脳内の神経伝達物質(セロトニンなど)の働きを混乱させ、うつ病発症の大きな引き金になると考えられています15。
3.2. 身体的なストレスと心身の疲労
つわりや体型の急激な変化、出産の際の身体的ダメージ、そして出産後は昼夜を問わない授乳やおむつ替えによる慢性的な睡眠不足。これら一連の身体的負担は、鉄人であっても心身のエネルギーを消耗させ、心の余裕を奪っていきます16。
3.3. 心理的・社会的なプレッシャー
- 育児への不安と重圧: 「良い母親にならなければ」というプレッシャーや、24時間365日続く赤ちゃんのお世話への責任感は、計り知れないストレスとなります17。
- サポート不足と社会的孤立: 核家族化が進んだ現代社会では、かつてのように親や親戚、近所の人々から日常的なサポートを得ることが難しくなっています。パートナーが仕事で多忙であったり、育児への理解が乏しかったりする場合、母親は社会から孤立し、一人で全ての負担を背負い込むことになります16。
- 日本特有の文化的背景: 日本社会には、「母親は子どものためにすべてを捧げるべき」「出産は喜ばしいことなのだから、つらい顔を見せてはいけない」といった「母親神話」が根強く存在します。女優の加藤貴子さんが自身の経験として「育児が大変なんて言ったらぜいたくだと思い、だれにも相談できませんでした」と語っているように18、精神的な不調を「甘え」や「わがまま」と捉えられがちで、SOSを出しにくい文化的土壌が、問題を深刻化させる一因となっています。
3.4. リスクを高めることが知られている要因
以下の要因に当てはまる場合、周産期うつ病を発症するリスクがより高いことが知られています。これは、あなたが「弱い」からではなく、医学的なリスク要因を抱えているということです。早期の相談や予防的な介入を検討することが重要です19。
- 過去にうつ病や不安障害などの精神疾患と診断されたことがある
- 家族(親や兄弟姉妹)にうつ病の人がいる
- 今回の妊娠が予期せぬものであったり、望まない妊娠であったりする
- パートナーとの関係が不安定であったり、DV(ドメスティック・バイオレンス)や精神的な虐待を受けたりしている
- 経済的な問題、失業、近親者の死など、妊娠中に深刻なライフイベントを経験した
4. 専門家による治療法:あなたに合った選択肢を見つける
周産期うつ病は、適切な治療によって回復が可能な病気です。一人で悩まず、専門家の助けを借りることが、あなたと赤ちゃんにとって最善の道です。
4.1. 治療の第一歩:どこに相談すればいい?
「どこに相談したらいいかわからない」という声は非常に多く聞かれます。最初の一歩として、以下の窓口を検討してみてください。彼らは専門家であり、あなたを適切なサポートへと繋ぐ「ハブ」の役割を担っています20。
- かかりつけの産婦人科医: 妊娠中からあなたの体調を最もよく知る専門家です。まずは妊婦健診などの際に、勇気を出して「最近、気分が沈んでつらいです」と伝えてみましょう。
- 地域の保健センターの保健師: 自治体の保健センターには、母子保健を専門とする保健師がいます。電話相談や家庭訪問も行っており、医療機関への受診に抵抗がある場合の最初の相談相手として非常に頼りになります。
- 精神科・心療内科: 気分の落ち込みや不安が強く、日常生活に大きな支障が出ている場合は、精神科や心療内科を直接受診することも重要です。周産期メンタルヘルスを専門とするクリニックも増えています。
4.2. 心理療法(カウンセリング)
薬物療法に抵抗がある方や、比較的症状が軽い場合には、心理療法が非常に有効です。薬を使わない治療法があることを知るだけでも、気持ちが楽になるかもしれません。
- 支持的精神療法: 専門家があなたの話を評価したり否定したりせず、共感的に耳を傾けてくれます。自分の気持ちを安心して話せる場を持つことで、心が整理され、孤独感が和らぎます21。軽症のうつ病にはこのアプローチが有効です。
- 認知行動療法(CBT)と対人関係療法(IPT): これらは、中等症以上のうつ病に対して科学的根拠が確立されている心理療法です22。
- 認知行動療法 (CBT): あなたを苦しめている、物事の捉え方や考え方の「クセ」(認知の歪み)に気づき、より現実的でバランスの取れた考え方ができるようにサポートします。
- 対人関係療法 (IPT): パートナーや家族など、身近な人との人間関係の問題に焦点を当て、コミュニケーションのパターンを見直すことで、ストレスを軽減し、症状の改善を目指します。
米国予防医学専門委員会(USPSTF)は、うつ病のリスクが高い妊産婦に対して、予防的にカウンセリングなどの介入を行うことを推奨しており19、治療だけでなく予防の観点からも心理療法の重要性が指摘されています。
4.3. 薬物療法:抗うつ薬との正しい付き合い方
薬物療法、特に抗うつ薬の服用は、赤ちゃんへの影響を心配される方が最も多い治療法かもしれません。しかし、最新の研究とガイドラインに基づいた正しい知識を持つことが、不安を和らげ、適切な判断を下すために不可欠です。
【絶対的な基本方針】自己判断で薬をやめない・始めない
過去にうつ病の治療で抗うつ薬を服用していた方が、妊娠を機に自己判断で中断してしまうケースがありますが、これは症状の再発・悪化を招く非常に危険な行為です。日本精神神経学会のガイドラインでは、「治療しないことのリスク」も同様に大きいと強調されています6。うつ病の悪化は、母子ともに深刻な結果をもたらす可能性があります。薬に関するすべての判断は、必ず専門医と相談の上で行ってください。
- 妊娠中の服用について: 日本周産期メンタルヘルス学会のコンセンサスガイドによると、多くの抗うつ薬(特にSSRIと呼ばれる種類)は、妊娠中に服用を継続することのメリットが、潜在的なリスクを上回ると考えられています23。ただし、一部の薬(例:パロキセチン)では、他の薬と比較して、ごくわずかに赤ちゃんの心臓の奇形リスクが高まる可能性が指摘されているため、医師との慎重な検討が必要です24。
- 授乳中の服用について: ほとんどの抗うつ薬は、母乳へ移行する量がごくわずかであり、赤ちゃんへの影響は極めて小さいと考えられています。そのため、授乳と薬物療法は両立可能というのが、日本うつ病学会を含む国内外の専門機関の一般的な見解です625。
- 専門相談窓口: 薬に関する詳細な情報や個別性の高い不安については、国立成育医療研究センターの「妊娠と薬情報センター」に相談することができます。かかりつけの医師を通じて、最新かつ専門的な情報を得ることが可能です26。
【表】主要な抗うつ薬の妊娠・授乳中におけるリスクとベネフィット
以下の表は、日本周産期メンタルヘルス学会のコンセンサスガイド2023などの情報に基づき、代表的なSSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)についてまとめたものです。あくまで一般的な情報であり、実際の選択は医師が個別に判断します424。
一般名 | 主な特徴と考慮点 |
---|---|
セルトラリン | 妊娠中・授乳中ともに、比較的安全性が高いと考えられている第一選択薬の一つ。母乳への移行が非常に少ないことで知られる。 |
エスシタロプラム | 比較的新しい薬で、副作用が少ないとされる。妊娠中・授乳中の使用に関するデータも蓄積されつつあり、選択肢となりうる。 |
パロキセチン | 妊娠初期の服用で、心奇形のリスクが他のSSRIよりわずかに高い可能性が指摘されているため、妊娠を計画している場合や妊娠初期には、他の薬への変更が検討されることが多い。自己判断での中止は厳禁。 |
4.4. その他の治療選択肢
薬物療法で十分な効果が得られない重症例や、急速な改善が必要な場合には、以下のような治療法も検討されます。
- TMS治療(反復経頭蓋磁気刺激法): 磁気を用いて脳の特定の部分を刺激し、うつ症状を改善させる治療法です。薬物療法のような全身性の副作用が少ないという利点があります20。
- 電気けいれん療法(mECT): 安全に通電することで、脳の機能を正常化させる治療法です。非常に効果が高く、自殺のリスクが差し迫っている場合など、緊急性が高い重症例において最も確実な治療法とされています27。
5. 一人で抱え込まないで:日本で使える公的支援とサポート
日本では、困難を抱える妊産婦を支えるための様々な公的支援制度が用意されています。これらの制度を知り、活用することは、あなたの権利です。
5.1. 【最重要】産後ケア事業:制度の概要と「賢い」使い方
産後ケア事業は、出産後の母親と赤ちゃんの心身の不調や育児不安を軽減するため、市区町村が主体となって実施している最も重要な支援策の一つです28。
- 制度の概要: 専門スタッフ(助産師など)から、心身のケア、授乳指導、育児相談などのサポートを受けられます。サービス形態には、施設に宿泊する「宿泊型」、日帰りで利用する「デイサービス型」、スタッフが自宅を訪問する「アウトリーチ(訪問)型」の3種類があります。
- 利用状況と課題: こども家庭庁の報告によると、制度は全国の多くの自治体で実施されていますが、その利用率はまだ低いのが現状です29。その背景には、「そもそも制度を知らない」「手続きが複雑で申請しにくい」「利用料が負担」「希望しても施設の予約が満床で取れない」といった様々な課題が存在します30。
- 利用者のリアルな声: 実際に利用した人からは、「専門家のアドバイスで育児への不安が解消された」「久しぶりにまとまった睡眠がとれて、体が休まった」といった肯定的な声31が多数寄せられています。一方で、「利用を決めるまで、また利用するための準備が大変だった」という現実的な意見32もあります。
- アクションプラン: まずは、お住まいの市区町村の役所(子育て支援課、こども家庭課など)や保健センターに「産後ケア事業について知りたいのですが」と電話で問い合わせてみましょう。それが、具体的なサポートに繋がる確実な第一歩です。
5.2. 自治体の身近な相談窓口
- 子育て世代包括支援センター(母子健康包括支援センター): 多くの自治体に設置されており、妊娠期から子育て期にわたるあらゆる相談に、保健師などの専門職がワンストップで対応してくれます。あなたの状況に合わせた支援プランを一緒に考えてくれる、地域の「子育てコンシェルジュ」のような存在です。
- 保健所・保健センター: 地域の母子保健活動の中心的な役割を担っています。電話相談のほか、保健師による家庭訪問なども実施しており、気軽に相談できる身近な窓口です。
5.3. NPOや民間団体による多様な支援
公的な支援に繋がりにくい場合でも、諦める必要はありません。日本助産師会が各都道府県で運営する無料電話相談窓口33や、妊産婦のメンタルヘルス支援を専門とするNPO法人34など、多様な民間のサポートが存在します。あなたの状況に合った支援が、きっと見つかるはずです。
6. パートナー・家族ができること:一番身近なサポーターとして
周産期うつ病からの回復には、パートナーや家族の理解とサポートが不可欠です。一番身近なサポーターとして何ができるのか、具体的な行動指針を示します。
6.1. まずは「知る」こと:産後うつへの正しい理解
最も重要なのは、周産期うつ病が本人の「気合」や「根性」、「母親としての自覚」が足りないから起こるのではなく、治療が必要な「病気」であると正しく理解することです。「甘えている」「わがままを言っている」といった言葉で本人を責めることは、症状を悪化させるだけでなく、回復への道を閉ざしてしまいます。
6.2. 「傾聴」と「共感」:「どうすればいい?」ではなく「つらいね」
多くの場合、特に男性は問題に直面するとすぐに解決策を提示しようとします。しかし、本人が求めているのはアドバイスではありません。まずは、判断や評価をせず、ただ黙って話を聞き、「そうか、そんなにつらいんだね」と、その気持ちを丸ごと受け止めてあげてください。この共感的な姿勢が、本人の孤独感を和らげ、何よりの心の支えとなります35。
6.3. 具体的な行動:家事・育児への「参加」
意識を「手伝う」から「当事者として参加する」へと転換することが求められます。家事や育児は、夫婦の共同作業です。具体的な行動リストを以下に示します3536。
- 率先して家事を引き受ける(食事の準備、後片付け、掃除、洗濯など)。
- 育児タスクを分担する(おむつ替え、沐浴、寝かしつけ、夜間のミルク対応など)。
- 最も重要なこと:母親が一人になれる時間を意識的に作る。たとえ1時間でも、一人でゆっくりお風呂に入ったり、眠ったり、好きなことをしたりする時間を作ってあげることは、心身の回復を劇的に後押しします。
- 行政の手続き(出生届、児童手当、産後ケア事業の申請など)を代行する。
6.4. 父親自身のメンタルヘルス:「パタニティブルー」に気づく
見過ごされがちですが、父親も生活の激変や経済的なプレッシャー、睡眠不足などから、産後にうつ状態(パタニティブルー、または父親の産後うつ)になることがあります37。夫婦がお互いの心身の不調に気を配り、必要であれば一緒に専門家の助けを求めるという視点が、家族全体でこの危機を乗り越えるために重要です。
結論:回復への道のりは、確実な一歩から
周産期うつ病は、ホルモンの変動、身体的疲労、そして心理社会的ストレスが複雑に絡み合って発症する、治療可能な病気です。「つらい」「しんどい」と感じることは、決してあなたの弱さや欠点のせいではなく、助けを求めるべき大切なサインです。この記事を通じて、あなたは一人ではないこと、そして有効な治療法や頼れるサポートが存在することをご理解いただけたと思います。
治療には、カウンセリングや薬物療法といった確立された選択肢があり、専門家があなたに最適な方法を一緒に考えてくれます。産後ケア事業をはじめとする公的支援や、パートナー・家族の理解と協力は、あなたの回復を力強く後押しするでしょう。
回復への道のりは、まず信頼できる誰か一人に、あなたの今の気持ちを話すことから始まります。あるいは、この記事で紹介した相談窓口に、一本の電話をかけることから始まります。その小さな一歩が、あなたとあなたの大切な赤ちゃん、そして家族の未来を、より明るい方向へと導く最も確実な一歩となるのです。
健康に関する注意事項
よくある質問(FAQ)
Q1. うつ病の薬を飲むと、赤ちゃんに必ず影響が出ますか?
A1. いいえ、必ず影響が出るわけではありません。多くの抗うつ薬は、妊娠・授乳中でも安全に使用できると考えられています。リスクが完全にゼロではありませんが、うつ病を治療しないことのリスクも非常に大きいため、医師が個々の状況を総合的に判断し、あなたにとってメリットがリスクを上回る最適な薬を選択します。薬に関する専門的な不安については、国立成育医療研究センターの「妊娠と薬情報センター」などで詳細な相談が可能です26。
Q2. 夫にこのつらさをどうやって伝えたらいいですか?
A2. パートナーを責めるような口調(「あなたは何もしてくれない」など)は避け、「私は今、こういう理由でとてもつらく感じている」と、ご自身の気持ちを主語(I-message、アイメッセージ)にして伝えることが効果的です38。また、感情的に話すのが難しい場合は、このJAPANESEHEALTH.ORGの記事を一緒に読んでもらい、周産期うつ病が客観的な情報に基づいた「病気」であることを理解してもらうのも良い方法です。
Q3. 産後ケア事業は、具体的にいくらくらいかかりますか?
A3. 費用は、お住まいの自治体や利用するサービス内容(宿泊型、日帰り型など)によって大きく異なります。例えば、こども家庭庁の令和元年度の調査では、宿泊型を利用した場合の一般世帯の自己負担額の平均は1泊あたり7,000円前後でした30。ただし、住民税非課税世帯や生活保護世帯など、所得に応じた利用料の減免制度を設けている自治体も多いため、まずはご自身の市区町村の窓口に問い合わせて確認することが最も重要です。
Q4. 2人目の妊娠ですが、うつ病になりやすいですか?
A4. いくつかの研究では初産婦の方が周産期うつ病を発症しやすい傾向が示されていますが、2人目以降の経産婦であってもリスクは十分にあります。特に、上の子の育児をしながら新生児のお世話をするという二重の負担は、母親の心身のキャパシティを超えやすく、うつ病の引き金となることがあります。また、過去に一度でもうつ病を経験したことがある場合は、再発のリスクが統計的に高まるため、より早期からの注意と予防的な対策が推奨されます。
参考文献
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