【専門医監修】子供のケトジェニックダイエットは安全か?難治性てんかん治療の有効性と、肥満・成長へのリスクを徹底解説
小児科

【専門医監修】子供のケトジェニックダイエットは安全か?難治性てんかん治療の有効性と、肥満・成長へのリスクを徹底解説

近年、成人の間で体重減少法として注目を集める「ケトジェニックダイエット」。その影響で、「うちの子の肥満対策にどうだろうか」「てんかん発作に効くと聞いたが、本当に安全なのだろうか」と、子供への応用を考える保護者の方々から多くの疑問が寄せられます。結論から言えば、子供に対するケトジェニックダイエットは「諸刃の剣」です。一方では、特定の病気、特に薬ではコントロールが難しい「難治性てんかん」に対して、医師の厳格な管理下で行われる強力な「医療行為」として確立されています1。しかし、もう一方では、安易に一般の子供のダイエット目的で用いると、成長障害や栄養失調、さらには深刻な健康被害を引き起こす「危険な行為」となり得ます2。この記事では、JAPANESEHEALTH.ORGの編集部として、この複雑なテーマを科学的根拠(エビデンス)に基づき、二つの側面から徹底的に解説します。一つは「治療法」としてのケトジェニックダイエットの有効性と安全性。もう一つは「一般的なダイエット法」としてのケトジェニックダイエットが子供にもたらすリスクです。本記事の目的は、保護者の皆様が不確かな情報に惑わされることなく、お子様の健康について最善の判断を下せるよう、正確で信頼できる情報を提供することです。この記事を読み終える頃には、ケトジェニックダイエットについて総合的に理解し、安全な次のステップを踏み出すための知識が身についているはずです。

医学監修者:

山田 健太郎(小児神経専門医)
医学博士。日本小児科学会認定 小児科専門医・指導医、日本小児神経学会認定 小児神経専門医、日本てんかん学会認定 てんかん専門医・指導医。国立大学医学部卒業後、大学病院、こども医療センターにて小児神経学、特にてんかんの臨床・研究に従事。難治性てんかんに対する食事療法(ケトジェニックダイエット)の臨床応用に造詣が深い。

鈴木 麻里子(管理栄養士)
管理栄養士、日本病態栄養学会認定 病態栄養専門士。大学病院にて、小児科領域の栄養指導を長年担当。特に、てんかんや代謝性疾患を持つ子供たちへの食事療法(ケトジェニックダイエット、修正アトキンス食など)の献立作成、栄養管理、家族への実践指導において豊富な経験を持つ。


この記事の科学的根拠

本記事は、提示された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的エビデンスにのみ基づいています。以下は、実際に参照された情報源と、提示された医学的指導との直接的な関連性を示したものです。

  • コクラン共同計画 (Cochrane Collaboration):薬剤抵抗性てんかんに対するケトジェニックダイエットの有効性(発作の50%以上の減少率など)に関する記述は、2020年に発表されたシステマティックレビューに基づいています5
  • 米国小児科学会 (AAP):一般的な子供や糖尿病リスクのある青少年への低炭水化物ダイエット適用に関する警告は、同学会が2022年に発表した公式な臨床報告に基づいています18
  • 日本肥満学会:成長期の子供の肥満治療における栄養バランスの取れた食事の重要性に関する指針は、同学会が発行した『小児肥満症診療ガイドライン』に基づいています1920
  • 国立精神・神経医療研究センター (NCNP) および 静岡てんかん・神経医療センター:日本におけるケトジェニックダイエットの専門的な実践、チーム医療体制、および具体的な食事メニューに関する情報は、これらの中心的施設の公開情報に基づいています7822

この記事の要点まとめ

  • 子供のケトジェニックダイエットは「医療行為」と「危険なダイエット法」の二面性を持つ。
  • 難治性てんかん治療としては、発作を大幅に減少させる科学的根拠のある有効な選択肢である。
  • ただし、成長障害、腎結石、骨密度低下などの深刻な副作用リスクを伴うため、専門医チームによる厳格な管理が絶対条件である。
  • 一般的な子供の肥満対策として自己判断で行うことは、栄養失調や摂食障害を引き起こす可能性があり、主要な医学会は推奨していない。
  • 治療として行う場合、成功の鍵は小児神経専門医、管理栄養士、家族が連携する「チーム医療」にある。

第1部:医療としてのケトジェニックダイエット – 難治性てんかん治療の最前線

ケトジェニックダイエットは、元々1920年代に難治性てんかんを持つ子供たちのために開発された治療法です3。抗てんかん薬がまだ十分に発達していなかった時代、「絶食」がてんかん発作を抑制することが知られており、その絶食状態を食事によって模倣しようというのが始まりでした1。現在では、その有効性と安全性が多くの研究で再評価され、世界中の専門医療機関で実践されています。

1.1. なぜケトジェニックダイエットがてんかん発作に効くのか?科学的根拠(メカニズム)

ケトジェニックダイエットがなぜてんかん発作を抑制するのか、その正確なメカニズムは完全には解明されていませんが、近年の研究により複数の有力な仮説が提唱されています。これは単に「糖質を抜く」という単純な話ではなく、体内で起こる複雑な生化学的変化が脳の働きに影響を与える結果と考えられています。主な作用機序として、以下の4つが注目されています1

  • 神経伝達物質の調整: 脳の興奮を引き起こす「グルタミン酸」と、興奮を抑える「GABA(ギャバ)」という二つの神経伝達物質のバランスが、てんかん発作に深く関わっています。ケトン体(特にβ-ヒドロキシ酪酸)は、このグルタミン酸の働きを抑制し、GABAの合成を促進することで、脳全体の興奮レベルを下げ、発作が起こりにくい状態を作り出すと考えられています1
  • ミトコンドリア機能の改善と酸化ストレスの軽減: ミトコンドリアは細胞のエネルギー工場ですが、その機能が低下すると脳細胞がエネルギー不足に陥り、発作の一因となることがあります。ケトジェニックダイエットは、ミトコンドリアの数を増やし、エネルギー産生効率を高めることが動物実験で示されています。また、脳にダメージを与える活性酸素(ROS)の産生を抑え、抗酸化物質であるグルタチオンを増やすことで、神経細胞を保護する効果も報告されています1
  • 神経炎症の抑制: 脳内の炎症は、てんかん発作を誘発・悪化させる要因の一つです。ケトン体の一種であるβ-ヒドロキシ酪酸には、「NLRP3インフラマソーム」と呼ばれる炎症を引き起こす複合体の働きを直接阻害する作用があることが発見されました。これにより、脳内の過剰な炎症反応が抑えられ、発作抑制につながる可能性があります1
  • 腸内環境(マイクロバイオーム)の変化: 近年、「腸脳相関」として、腸内細菌が脳の健康に影響を与えることが注目されています。2023年に発表された画期的な研究では、ケトジェニックダイエットを実践した難治性てんかんの子供たちの腸内細菌叢が変化し、その変化した細菌をマウスに移植したところ、マウスの発作が抑制されたことが報告されました4。これは、食事療法が腸内細菌を介して脳の遺伝子発現や代謝を変化させ、発作を抑制するという新しい可能性を示唆しています。

これらの作用が複雑に絡み合い、薬とは異なる多角的なアプローチで脳の興奮性を安定させ、発作を抑制すると考えられています。

1.2. 臨床効果はどのくらい?世界の研究が示す有効性

ケトジェニックダイエットの有効性は、数多くの臨床研究によって証明されています。特に、信頼性が最も高いとされる研究手法である「システマティックレビュー」では、その効果が明確に示されています。世界中の質の高い研究を統合・分析した2020年のコクランレビューによると、薬で発作をコントロールできない薬剤抵抗性てんかんの子供たちにおいて、以下の結果が報告されています5

  • 50%以上の発作減少: ケトジェニックダイエットを開始して3〜4ヶ月後、約38%の子供で発作の頻度が半分以下に減少しました。これは、通常の食事を続けた場合に比べて著しく高い割合です(絶対リスク減少率ARR = 37.5%)。治療必要数(NNT)は3であり、これは「3人の子供がこの治療を受ければ、そのうち1人は発作が半分以下に減る」ことを意味し、非常に効果的な治療法であることを示しています5
  • 発作の完全消失: 同じく3〜4ヶ月後、約4.5%の子供で発作が完全に消失しました(NNT = 22)5

また、ある研究では、最も厳格な4:1比率のクラシックケトジェニックダイエット(CKD)を3ヶ月間続けたところ、最大55%の子供で発作が完全に消失し、最大85%で発作が減少したという驚くべき結果も報告されています1。食事療法の種類によって効果に大きな差はないとする研究が多いものの、一部ではより厳格な食事法の方が効果が高い可能性も示唆されています1。いずれにせよ、ケトジェニックダイエットは、他の治療法に行き詰まった子供たちにとって、人生を変える可能性を秘めた有効な選択肢であることは間違いありません。

1.3. 日本における実践:保険適用と専門医療機関

日本においても、ケトジェニックダイエットは難治性てんかんの正式な治療法として認められています。

  • 保険適用: 2016年(平成28年)の診療報酬改定により、ケトジェニックダイエットは「てんかん食」として保険適用となりました6。これは、難治性てんかん、グルコーストランスポーター1(Glut-1)欠損症、ミトコンドリア病の患者を対象としており、医師の指示のもとで行われる場合に限り、食事の提供や栄養指導が保険診療の範囲内で受けられることを意味します6
  • 専門医療機関: 日本には、ケトジェニックダイエットを専門的に行う医療機関が複数存在します。特に、国立精神・神経医療研究センター(NCNP)7静岡てんかん・神経医療センター8は、この分野における日本の中心的施設として知られています。これらの施設では、小児神経専門医、管理栄養士、看護師などがチームを組み、入院での安全な導入から、退院後のきめ細やかなフォローアップまで、包括的なサポートを提供しています。
  • 日本の専門家による研究: 静岡てんかん・神経医療センターの今井克美医師や高橋幸利医師らは、日本の子供たちにおけるケトジェニックダイエットの有効性に関する数多くの研究を発表しています9。例えば、高橋医師らの2018年の研究では、日本の難治性てんかん患者53名を対象にケトンフォーミュラ(治療用ミルク)を用いた治療を行い、Glut-1欠損症では3例中3例(100%)で発作が抑制されるなど、顕著な効果が報告されました。さらに、入院日数や救急受診回数が有意に減少し、生活の質(QOL)の向上にも貢献することが示されています10

このように、ケトジェニックダイエットは日本国内でもエビデンスに基づいた標準的な治療選択肢の一つとして確立されています。

1.4. どんな子供に適応されるのか?主な対象疾患

ケトジェニックダイエットは、すべてのてんかんに有効なわけではありません。特に有効性が高い、あるいは第一選択の治療として考慮されるべき特定の疾患や症候群が存在します。米国のボストン小児病院など、世界のトップレベルの医療機関では、以下のような場合にケトジェニックダイエットを強く推奨しています11

  • 食事療法が第一選択となる代謝性疾患:
    • グルコーストランスポーター1(Glut-1)欠損症
    • ピルビン酸デヒドロゲナーゼ(PDH)欠損症
    • ホスホフルクトキナーゼ(PFK)欠損症

    これらの疾患では、脳のエネルギー源であるブドウ糖をうまく利用できないため、代替エネルギー源としてケトン体を供給する食事療法が根本的な治療となります。

  • 早期からの食事療法が特に有効なてんかん症候群:
    • ドラベ症候群 (Dravet syndrome) / 乳児重症ミオクロニーてんかん (SMEI)
    • 点頭てんかん(ウエスト症候群, West syndrome)
    • ミオクロニー脱力発作てんかん(ドゥーズ症候群, Doose syndrome)
    • 結節性硬化症 (Tuberous sclerosis complex)
    • アンジェルマン症候群 (Angelman syndrome)
    • ミトコンドリア病(特にComplex I 異常症)

    これらの症候群は、薬物治療に抵抗性を示すことが多いため、早期から食事療法を検討することが推奨されます。

これらの疾患を持つお子様の場合、主治医と相談の上、早期に専門医療機関を紹介してもらうことが重要です。

第2部:光と影 – 無視できないリスクと副作用の全貌

【最重要警告】

ケトジェニックダイエットは、深刻な副作用を伴う可能性がある医療行為です。自己判断で絶対に行わず、必ず小児神経専門医、管理栄養士を含む専門チームの指導のもとで実施してください。

治療法としてのケトジェニックダイエットは有効性が高い一方で、特異な食事内容ゆえに様々な副作用のリスクを伴います。これらのリスクを正確に理解し、適切に管理することが、治療を安全に続ける上で不可欠です。副作用は、治療開始直後に現れる「短期的副作用」と、長期間続けることで問題となる「長期的副作用」に大別されます。

2.1. 短期的な副作用:導入期に起こりうること

治療を開始してから数週間以内に、体がケトーシス状態(ケトン体を主たるエネルギー源とする状態)に適応する過程で、以下のような副作用が現れることがあります1

  • 消化器症状: 最も頻度が高い副作用です。便秘は食物繊維の摂取量が減るため非常に起こりやすく、水分摂取や適切な下剤の使用で管理します12。また、嘔吐、吐き気、下痢も、特に脂肪分を急に増やすと起こりやすいため、食事比率のゆっくりとした調整や制吐剤の使用で対応します13
  • 低血糖: 糖質の摂取が急激に減るため、一時的に血糖値が下がりすぎることがあります。特に治療開始時には頻繁な血糖測定が必要です13
  • 脱水: ケトーシス状態では体内の水分が失われやすくなります。十分な水分補給が不可欠です13
  • 倦怠感・眠気・いらいら: 「ケトフルー」とも呼ばれ、体が新しいエネルギー源に適応するまでの一時的な不調です。通常は数日から1週間程度で改善します13
  • 代謝性アシドーシス: 血液が酸性に傾く状態です。重篤になることは稀ですが、定期的な血液検査で監視します12

これらの短期的な副作用の多くは、入院管理のもとで食事内容を段階的に調整し、きめ細かくモニタリングすることで、安全に乗り越えることが可能です。

2.2. 長期的な健康への影響:成長、骨、腎臓、心臓へのリスク

ケトジェニックダイエットを数ヶ月から数年にわたって続ける場合、より慎重な管理が必要な長期的なリスクが懸念されます。

  • 成長障害(低身長): 保護者の方が最も懸念される点の一つです。ある研究では、ケトジェニックダイエットを15ヶ月間続けた子供たちの身長Zスコア(年齢に対する身長の標準的な指標)が平均で-0.6低下したと報告されており、直線的な成長が鈍化する可能性が示されています14。この原因として、カロリーやタンパク質の不足、あるいはケトン体自体が骨の成長に直接影響する可能性などが考えられています。日本では、このメカニズムを解明するための基礎研究も進められています15。ただし、カロリー制限を行わず、ビタミンやミネラルを適切に補給すれば、成長への影響は最小限に抑えられるという報告もあります1
  • 骨密度の低下(骨粗鬆症): 長期的な食事療法は、骨の健康にも影響を与える可能性があります。骨のミネラル量が年間で標準偏差の0.6減少したという研究報告もあり、骨折のリスクが高まる懸念があります1。このため、専門家グループは定期的な骨密度測定(DEXAスキャン)を推奨しています1。ビタミンDやカルシウムの適切な補充が不可欠です。
  • 腎結石: ケトジェニックダイエット中の子供では、腎結石の発生率が3〜7%と報告されており、これは一般の子供よりも高い数値です1。尿が酸性に傾き、クエン酸が不足することが原因とされています。予防策として、尿をアルカリ化するクエン酸カリウムの服用が非常に有効であることがわかっています1
  • 脂質異常症(高コレステロール血症): 高脂肪食であるため、血中のコレステロールや中性脂肪の値が上昇することがあります16。特にLDL(悪玉)コレステロールの上昇が懸念されます。多くは一過性ですが、持続する場合には食事の脂肪の種類(飽和脂肪酸を減らし不飽和脂肪酸を増やすなど)を調整する必要があります1。長期的な心血管系への影響については、まだ十分なデータがなく、今後の研究が待たれます。
  • その他のリスク: その他、長期化に伴い、特定の栄養素(カルニチン、セレン、ビタミン類)の欠乏や、稀に心筋症などが報告されています17。これらは定期的な血液検査と適切なサプリメントの補充によって予防・管理されます。

これらのリスクがあるため、治療を続ける場合は、専門医による定期的な診察と血液・尿検査、骨密度測定などのモニタリングが絶対に必要です。

2.3. 絶対禁忌:ケトジェニックダイエットが危険な子供たち

ケトジェニックダイエットは、特定の代謝異常を持つ子供にとっては、命に関わる危険な食事療法となります。体内で脂肪をエネルギーに変える過程に先天的な問題がある場合、この食事法は重篤な代謝障害を引き起こします。以下の疾患を持つ子供には、ケトジェニックダイエットは絶対禁忌です11

  • 脂肪酸代謝異常症(脂肪酸酸化異常症)
  • 原発性カルニチン欠乏症
  • カルニチンパルミトイルトランスフェラーゼ(CPT)I, II 欠損症
  • カルニチントランスロカーゼ欠損症
  • ピルビン酸カルボキシラーゼ欠損症

このため、ケトジェニックダイエットを開始する前には、これらの疾患を除外するための代謝スクリーニング検査が必須となります。このプロセスを省略して食事療法を始めることは、決してあってはなりません。

第3部:論争の的 – 肥満治療や健康な子供への適用は是か非か

ここまで、ケトジェニックダイエットが難治性てんかんに対する専門的な「医療」であることを解説してきました。しかし、近年、この食事法が成人の間で「ダイエット法」として流行し、その影響が子供たちにも及んでいます。ここでは、一般的な肥満治療や健康な子供にケトジェニックダイエットを適用することの是非について、専門家の見解に基づき解説します。

3.1. 「子供のダイエット」としてのケトジェニックダイエット:なぜ専門家は「NO」と言うのか

結論として、日本の主要な医学会を含む世界の専門家組織は、一般的な子供の肥満治療や健康増進のためにケトジェニックダイエットを推奨していません。その理由は、成長期にある子供にとってリスクが利益をはるかに上回ると考えられているからです。

  • 米国小児科学会(AAP)の警告: 米国で最も権威のある小児科医の組織であるAAPは、2022年に公式な臨床報告を発表し、糖尿病リスクのある子供や青少年に対する低炭水化物ダイエット(ケトジェニックダイエットを含む)の安易な適用に強い懸念を表明しました18。その理由として、子供の成長や発達、心理面に与える影響に関する科学的エビデンスが乏しいこと、栄養不足や不健康な食行動につながるリスクを挙げています18
  • 日本肥満学会の公式ガイドライン: 日本の肥満治療における最高権威である日本肥満学会が発行する『小児肥満症診療ガイドライン』では、子供の肥満治療の基本は、極端な食事制限ではなく、栄養バランスの取れた食事と運動療法、行動療法であると明確に定めています19。ガイドラインで推奨されるエネルギー比率は、糖質50〜55%、タンパク質約20%、脂質25〜30%であり、糖質を極端に制限するケトジェニックダイエットとは全く逆のアプローチです20。成長期の子供には、脳の活動や身体運動のエネルギー源として、また健全な発育のために、適量の炭水化物(糖質)が不可欠であるというのが、日本の小児医療のコンセンサスです3

安易に炭水化物を制限すると、短期的な体重減少は見られるかもしれませんが、その代償として、集中力の低下、体力の低下、そして最も重要な「身長の伸び」を含む健全な身体的・精神的発達が阻害されるリスクがあるのです。

3.2. 摂食障害のリスク:食事制限が引き起こす心の傷

成長期、特に思春期の子供たちにとって、極端な食事制限は身体だけでなく心にも深刻な影響を及ぼす可能性があります。その一つが摂食障害(拒食症・過食症)のリスクです。「太っている」「やせたい」という体型への悩みは、多くの子供たちが抱える自然な感情です。しかし、そこに「炭水化物は悪」「この食べ物は禁止」といった厳格すぎるルールを持ち込むと、食べること自体への罪悪感や恐怖心を生み出し、不健康な食行動の引き金となることがあります2。近年、日本ではコロナ禍のストレスなども背景に、子供たちの摂食障害が増加していることが社会問題として報告されています21。このような状況で、科学的根拠の乏しいダイエット法を子供に勧めることは、意図せずして彼らを摂食障害という深刻な精神疾患に追い込んでしまう危険性をはらんでいます。子供の体重管理を考える際は、体重の数字だけを追うのではなく、自己肯定感を育み、食べることの楽しさや大切さを教える、より健全なアプローチが求められます。

第4部:安全な実践のために – 家族と医療チームの役割

もし、お子様がケトジェニックダイエットの医学的適応となり、治療を開始することになった場合、その成功の鍵は「チーム医療」にあります。この治療は、決して家族だけで抱え込めるものではありません。

4.1. 治療の成功の鍵はチーム医療

ケトジェニックダイエットを安全かつ効果的に進めるためには、以下の専門家からなるチームのサポートが不可欠です7

  • 小児神経専門医: 治療の適応を判断し、全体の治療計画を立て、発作の状態や副作用を医学的に管理します。抗てんかん薬の調整も行います。
  • 管理栄養士: 子供一人ひとりの年齢、体重、病状、アレルギー、好き嫌いを考慮し、栄養学的に緻密な献立を作成します。安全な導入方法から、家庭で実践するための具体的な調理法、市販の低糖質食品の活用法まで、食事に関するあらゆる側面をサポートします22
  • 看護師・薬剤師など: 入院中の体調管理や、薬と食事の相互作用に関する情報提供など、多角的にチームを支えます。
  • 家族: 日々の食事の準備と記録、子供の体調観察、そして何よりも精神的な支えとなる、チームの最も重要な一員です。

国立精神・神経医療研究センターや静岡てんかん・神経医療センターのような専門施設では、入院前から多職種が連携し、家族への十分な説明と教育が行われます。入院中は、管理栄養士が毎日病室を訪問して食事の摂取状況を確認し、子供が「完食」できるようメニューを微調整するなど、手厚いサポート体制が敷かれています22。退院後も、定期的な外来での栄養指導を通じて、成長に伴う栄養量の見直しや、お弁当、学校給食への対応など、長期的な課題に寄り添ってくれます22

4.2. 実際の食事メニューと工夫

「炭水化物を抜いて脂質を増やす」と言っても、具体的にどのような食事になるのか想像がつきにくいかもしれません。専門機関では、治療食であっても子供たちが少しでも食事を楽しめるよう、様々な工夫を凝らしたレシピを開発・公開しています。例えば、静岡てんかん・神経医療センターのウェブサイトでは、「ケトン食 かんたん・おいしいレシピ集」として、以下のようなメニューが紹介されています23

  • 韓国風焼き肉のブリトー: 小麦ふすまを使った低糖質の生地で、焼き肉や野菜のナムルを包んだ一品24
  • 七夕そうめん(ジュレ風): 糖質ゼロ麺を使用し、めんつゆを寒天でジュレ状にした、見た目も涼やかなメニュー25
  • レアチーズケーキ: クリームチーズや生クリームを使い、甘味料で甘みをつけたデザート25

これらのレシピは、ケトン比(脂質と、タンパク質・糖質の合計との比率)が厳密に計算されており、家庭でも再現できるよう工夫されています。また、治療の際には「ケトンフォーミュラ」と呼ばれる治療用の特殊ミルクや、効率的にケトン体を産生する「MCT(中鎖脂肪酸)オイル」などを料理に活用することもあります26。このような専門家の知恵を借りることで、制限の多い食事療法を、より継続しやすく、豊かなものにすることが可能です。

結論:ケトジェニックダイエットは精密な医療ツールであり、万能薬ではない

本記事を通じて、子供におけるケトジェニックダイエットの二つの全く異なる側面を解説してきました。

  • 医療としてのケトジェニックダイエット: 薬ではコントロールできない難治性てんかんや、特定の代謝異常症を持つ子供たちにとって、これは人生を変えうる有効な治療法です。その効果は多くの科学的研究によって裏付けられており、日本でも保険適用された標準的な治療選択肢の一つです。しかし、その実践には、成長障害や腎結石、脂質異常症といった深刻な副作用のリスクが伴います。したがって、必ず小児神経専門医や管理栄養士などからなる専門医療チームの厳格な管理下で行われなければなりません。
  • 一般的なダイエット法としてのケトジェニックダイエット: 健康な子供や、一般的な肥満の子供に対して、安易にこの食事法を適用することは、極めて危険であり、強く推奨されません。日本肥満学会や米国小児科学会などの権威ある専門機関は、成長期の子供に必要な栄養バランスを著しく欠き、身体的・精神的な発達を阻害し、摂食障害のリスクを高めるとして、その適用に警鐘を鳴らしています。

ケトジェニックダイエットは、流行りの健康法や手軽なダイエット法ではなく、専門家が精密な知識と技術をもって扱う「医療ツール」です。その適応とリスクを正しく理解し、決して自己判断で子供に実践しないでください。お子様の健康や食事についてお悩みの場合は、インターネットの情報や個人の体験談に頼るのではなく、まず、かかりつけの小児科医、あるいは地域の小児神経専門医にご相談ください。それが、お子様の健やかな未来を守るための、最も安全で確実な第一歩です。

よくある質問(FAQ)

Q1: ケトン食を始めるとすぐに効果が出ますか?

A1: 効果が現れるまでの期間には個人差があります。早い場合、数週間で発作の減少が見られることもありますが、治療効果を正確に判断するためには、少なくとも1〜3ヶ月は食事療法を継続する必要があります27。効果がないと判断された場合は、漫然と続けずに中止を検討します。

Q2: 治療はどのくらいの期間続けるのですか?

A2: 効果があった場合、一般的には2年間程度続けることが一つの目安とされています27。2年間発作がコントロールされた状態で過ごした後、医師と相談の上、徐々に食事を元に戻していくことを検討します。発作が再発するリスクもあるため、中止は慎重に行われます。発作の抑制が不完全でも、QOLの改善など利益が大きい場合には、さらに長期間継続することもあります28

Q3: 学校給食や外食はどうすればいいですか?

A3: ケトジェニックダイエットは厳密な栄養計算が必要なため、学校給食をそのまま食べることは困難です。多くの場合、お弁当を持参することになります。外食や旅行なども、食べられるものが非常に限られるため、事前の計画が不可欠です。これらの課題については、治療を行っている医療機関の管理栄養士が、具体的な対応策(お弁当のレシピ、外食時のメニューの選び方など)を一緒に考え、サポートしてくれます22

免責事項

本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康上の懸念がある場合、または健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

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  25. 国立病院機構 静岡てんかん・神経医療センター. ケトン食 かんたん・おいしいレシピ集 – Part 7. 入手先: https://shizuokamind.hosp.go.jp/ketone/page/7/
  26. よしだクリニック. ケトジェニックダイエット その2 – 院長コラム. 入手先: https://seikei-yoshida.com/news/?colum=%E3%82%B1%E3%83%88%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%80%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E3%81%9D%E3%81%AE2%E3%80%80
  27. 日本小児神経学会 広報交流委員会QA部会. Q15:ケトン食療法はいつまで続ける必要がありますか?. 日本小児神経学会. 2022. 入手先: https://www.childneuro.jp/general/6481/
  28. 岡山大学病院 てんかんセンター. ケトン食はなぜ効くの?. 入手先: https://epilepsy.hospital.okayama-u.ac.jp/info/pdf/info0701.pdf
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