この記事の科学的根拠
この記事は、入力された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下に示すリストには、実際に参照された情報源と、提示された医学的ガイダンスへの直接的な関連性のみが含まれています。
- 日本婦人科腫瘍学会 (JSGO): 本稿における卵巣がんの標準治療に関する記述は、同学会が発行した「卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドライン2020年版」に基づいています6。これは日本における治療のゴールドスタンダードを示す最も権威ある情報源です。
- 国立がん研究センターがん情報サービス (NCCJ): 日本国内の卵巣がんの罹患率、死亡率、生存率に関する統計データは、すべてNCCJの公式発表を典拠としています8。
- 山本真一医師(刈谷豊田総合病院)による研究: 十全大補湯の予後改善の可能性に関する分析は、山本医師が発表した臨床研究に基づいています1。
- 八重樫伸生教授(東北大学)の見解: 化学療法の副作用を緩和する漢方薬の具体的な役割に関する記述は、婦人科がんの権威である八重樫教授への専門家インタビューを参考にしています2。
- 国際的な系統的レビュー: 漢方薬と化学療法の併用効果に関するグローバルな視点は、「Frontiers in Oncology」に掲載された系統的レビュー論文に基づいています16。
要点まとめ
- 卵巣がん治療における漢方薬の主な役割は、化学療法などの標準治療によって生じる副作用を軽減し、患者様の生活の質(QOL)を維持・向上させる「支持療法」です。
- 十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)などが予後を改善する可能性を示唆する研究も存在しますが、これはまだ研究段階であり、今後の更なる検証が待たれます。
- 日本の公式な「卵巣がん治療ガイドライン」では、現時点で漢方薬は標準治療として推奨されていません。あくまで補完的な役割と位置づけられています。
- 漢方薬の使用は、自己判断で行うべきではありません。必ずがん治療の主治医と、漢方に精通した専門医の両方に相談し、「証(しょう)」に基づいた適切な処方を受けることが極めて重要です。
卵巣がんの標準治療とその課題:現代医療の最前線
卵巣がん治療の根幹をなすのは、日本婦人科腫瘍学会が策定した治療ガイドラインに基づく「標準治療」です6。これは、現時点で最も効果的であると科学的に証明された治療法であり、すべての治療の土台となります。標準治療は通常、以下の二つの柱で構成されます。
- 手術療法:がんの進行度を正確に診断し、可能な限り腫瘍を摘出することを目的とします。
- 化学療法(抗がん剤治療):手術で取り残された可能性のある微小ながん細胞を破壊し、再発を防ぐために行われます。東北大学の八重樫伸生教授も指摘するように、現在最も一般的に用いられるのは、パクリタキセルとカルボプラチンという二つの薬剤を組み合わせる「TC療法」です2。
この標準治療は非常に強力ですが、一方で患者様の身体に大きな負担をかけることも事実です。特に化学療法は、がん細胞だけでなく正常な細胞にも影響を与えるため、さまざまな副作用を引き起こす可能性があります。これらは患者様の生活の質(QOL)を著しく低下させる大きな課題であり、漢方薬が「サポーター」として注目される主な理由となっています。
「多くの患者様が、パクリタキセルによる治療後、指先のしびれや痛みに悩まされます。また、骨髄機能が抑制されて白血球や血小板が減少したり、吐き気や食欲不振、激しい倦怠感に苦しんだりすることも少なくありません。」—このような課題こそ、漢方治療がその真価を発揮する領域なのです。
【最重要】漢方薬の役割:治療の「サポーター」としての科学的根拠
卵巣がん治療において、漢方薬が最も確かな科学的根拠を持ち、医療現場で活用されているのは、標準治療の「サポーター」としての役割、すなわち副作用の管理とQOLの向上です。ここでは、具体的な症状とそれに対応する代表的な漢方薬を、専門家の見解を交えて解説します212。
化学療法の副作用を軽減する
化学療法の副作用は多岐にわたりますが、漢方薬はそれぞれの症状に対してきめ細かく対応する力を持っています。
- 末梢神経障害(手足のしびれ・痛み):パクリタキセル投与時に頻発するこのつらい副作用に対し、牛車腎気丸(ごしゃじんきがん)がしばしば用いられます。ただし、その有効性については専門家の間でも見解が分かれており、近年の複数の研究を統合したメタアナリシスでは、一貫した有効性が確認されなかったとする報告もあります11。これは漢方治療の複雑さを示す一例であり、専門家による慎重な判断が必要です。
- 骨髄抑制(白血球・血小板の減少):化学療法は、血液細胞を作り出す骨髄の働きを抑制することがあります。これにより感染症にかかりやすくなったり、出血しやすくなったりします。十全大補湯(じゅうぜんたいほとう)や人参養栄湯(にんじんようえいとう)は、このような状態からの回復を助ける目的で処方されることがあります。
- 食欲不振・吐き気:六君子湯(りっくんしとう)は、食欲を増進させるホルモン「グレリン」の分泌を促すなど、西洋医学的なメカニズムも解明されつつあり、消化器症状の改善に広く用いられています。
- 下痢:特定の抗がん剤(例:イリノテカン)による下痢に対しては、半夏瀉心湯(はんげしゃしんとう)が有効な場合があります。
手術後の回復を助ける
開腹手術後の患者様を悩ませるのが、腸の動きが停滞することによる腹部膨満感や腸閉塞(イレウス)です。この領域では、大建中湯(だいけんちゅうとう)がその効果を広く認められており、手術後の腸管麻痺の予防や治療に積極的に使用されています2。これにより、患者様の早期回復とQOL向上が期待できます。
中国の複数の研究を統合した2019年の系統的レビューにおいても、化学療法に中国伝統医学(漢方を含む)を併用した群では、生活の質の指標(KPSスコア)や腫瘍マーカー(CA125)の改善、消化器系の副作用や骨髄抑制の軽減が見られたと報告されています16。
【研究段階】予後改善や再発予防への可能性:十全大補湯の最新研究を深掘り
副作用の軽減という確かな役割に加え、近年、一部の漢方薬が卵巣がん患者の予後(治療後の経過)そのものを改善する可能性について、注目すべき研究が登場しています。その中心にあるのが十全大補湯です。
刈谷豊田総合病院の山本真一医師が2023年に発表した研究では、進行卵巣がん患者を対象に、標準治療に十全大補湯を併用した群と、しなかった群の予後を比較しました14。その結果、特に予後が厳しいとされる漿液性腺がん(serous adenocarcinoma)の患者において、十全大補湯を併用した群で生存期間が改善する傾向が見られたと報告されています。
研究の意義と限界の理解
この研究は非常に希望を与えるものですが、解釈には注意が必要です。これは過去の診療記録を遡って分析した「後ろ向き研究(retrospective study)」であり、偶然の要素を排除した「ランダム化比較試験(RCT)」ではありません。したがって、この結果は「十全大補湯が予後を改善した」という因果関係を断定するものではなく、「両者の間に有望な関連性が見られた」という段階です。今後のより質の高い研究による検証が不可欠です。
とはいえ、十全大補湯が持つ免疫調整作用や、他のがん種における転移抑制の可能性を示唆する基礎研究は数多く存在します。これらのエビデンスの断片を統合し、卵巣がん治療における新たな可能性を探る努力が続けられています。
漢方治療の現実:ガイドライン、専門医、そして注意点
有望な研究結果がある一方で、患者様が漢方治療を安全かつ効果的に受けるためには、いくつかの重要な現実を知っておく必要があります。
治療ガイドラインにおける漢方の位置づけ
まず最も重要な事実として、2020年版の日本婦人科腫瘍学会「卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドライン」において、漢方薬は治療法として推奨されていません67。これは、現時点でその有効性や安全性を確立するだけの質の高い科学的根拠が不足していると、学会が判断していることを意味します。漢方治療は、あくまで標準治療を補完し、支えるための選択肢であるという位置づけを正しく理解することが、治療への第一歩です。
なぜ専門医の診察が不可欠なのか?「証」を理解する
漢方治療の最大の特徴は、個々の患者様の体質や状態に合わせて処方を決める「個別化医療」である点です。漢方では、患者様の体質、体力、抵抗力、病気の進行度などを総合的に判断したものを「証(しょう)」と呼びます314。同じ卵巣がんという病名であっても、体力が充実している人と、消耗している人では、用いるべき漢方薬が全く異なります。「証」を無視して、「がんに効く」という評判だけで薬を選んでしまうと、効果がないばかりか、かえって体調を崩す危険性さえあります。だからこそ、西洋医学(特にがん治療)と漢方医学の両方に精通した専門医による診断が絶対に不可欠なのです。例えば、新宿つるかめクリニックの齋藤絵美医師のように、婦人科専門医と漢方専門医の両方の資格を持つ医師は、患者様にとって心強い相談相手となるでしょう5。
安全な利用のための注意点
漢方治療を検討する際には、以下の「3つの黄金律」を必ず守ってください。
- 必ずがん治療の主治医に相談する:漢方薬を服用していることを主治医に必ず伝え、情報を共有してください。薬の飲み合わせ(相互作用)によっては、標準治療の効果を弱めたり、予期せぬ副作用を招いたりする可能性があります。
- 自己判断で標準治療を中断しない:漢方治療は、標準治療に取って代わるものではありません。科学的根拠のある標準治療を最優先し、漢方はあくまでそれを支えるものとして活用してください。
- 信頼できる情報源を選ぶ:インターネット上の体験談や、科学的根拠の乏しい宣伝文句に惑わされないようにしましょう。国立がん研究センターなどの公的機関が発信する情報も参考にしてください9。
近年の全国的な調査では、がん患者の約23.7%が漢方薬を使用している一方で、その処方率は2014年以降、減少傾向にあるという報告もあります11。これは、医療現場で漢方の役割がより慎重に評価されるようになってきたことの表れかもしれません。
結論
卵巣がん治療における漢方薬は、「奇跡の治療薬」ではありません。しかし、科学の目でその役割を正しく見極めるならば、それは標準治療という厳しい道のりを歩む患者様にとって、非常に心強い「サポーター」となり得ます。その主な役割は、化学療法のつらい副作用を和らげ、手術後の回復を助け、患者様が自分らしい生活を一日でも長く続けるための生活の質(QOL)を維持することにあります。十全大補湯のように予後を改善する可能性を示唆するエビデンスも現れ始めていますが、これはまだ研究の途上にあります。最も重要なことは、漢方治療を希望する際には、必ずがん治療の主治医と漢方の専門医に相談し、ご自身の「証」に合った適切な治療を、安全な形で標準治療に組み込んでいくことです。本稿が、皆様の賢明な意思決定の一助となることを心より願っています。
よくある質問
化学療法中に漢方薬を併用しても安全ですか?
がん治療の主治医と漢方専門医の監督下であれば、安全に併用できる可能性が高いです。最も重要なのは、服用しているすべての薬(漢方薬、サプリメントを含む)を主治医に正確に伝え、予期せぬ相互作用を避けることです。自己判断での服用は絶対に避けてください。
漢方薬は公的医療保険の対象になりますか?
はい、医師が治療に必要と判断して処方した場合、多くの医療用漢方製剤(エキス剤)は健康保険の適用対象となります。ただし、保険適用外の漢方薬(煎じ薬など)や、自由診療のクリニックもあるため、受診前に医療機関に確認することをお勧めします。
がんに詳しい漢方専門医はどこで探せますか?
まずは、現在かかっているがん治療の主治医や、病院内の相談支援センターに尋ねてみるのが良いでしょう。その上で、日本東洋医学会のウェブサイトなどで、お住まいの地域の漢方専門医を探すことができます。理想的なのは、がん治療の経験が豊富で、西洋医学の専門医資格と漢方専門医の資格を両方持つ医師を見つけることです。
参考文献
- QLife Kampo. 卵巣がんの初回標準治療に十全大補湯を併用することで予後が改善. [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://www.qlife-kampo.jp/cancer/story9627.html
- 八重樫伸生. 漢方はがん治療のサポーター. Kampo View [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://www.tsumura.co.jp/kampo-view/column/interview/yaegashi.html
- 榎屋相談薬舗. 卵巣がんの原因、症状 | 卵巣がんの治療と副作用 |腹水と漢方対策. [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://enokiyakanpo.co.jp/think/think_ransogan.html
- Yamamoto S. 13.卵巣癌と十全大補湯(48). 産科と婦人科. 2023;90(1):83-88. [アクセス制限あり]. 入手先: https://webview.isho.jp/journal/detail/abs/10.34433/og.0000000017
- 医療法人社団つるかめ会 新宿つるかめクリニック. つるかめ漢方センター. [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://tsurukamekai.jp/section/kampocenter/index.html
- 日本婦人科腫瘍学会. 卵巣がん・卵管癌・腹膜癌治療ガイドライン2020年版. [インターネット]. 東京: 金原出版; 2020. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://jsgo.or.jp/guideline/ransou2020.html
- 日本癌治療学会. 卵巣がん | がん診療ガイドライン. [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: http://www.jsco-cpg.jp/ovarian_cancer/
- 国立がん研究センターがん情報サービス. がん登録・統計. 卵巣がん. [インターネット]. 2024 [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/cancer/19_ovary.html
- 国立がん研究センターがん情報サービス. 卵巣がん・卵管がん 患者数(がん統計). [インターネット]. [引用日: 2025年7月29日]. 入手先: https://ganjoho.jp/public/cancer/ovary/patients.html
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