本稿の科学的根拠
本記事は、引用されている最高品質の医学的・心理学的エビデンスにのみ基づいて作成されています。以下は、提示されている医学的ガイダンスに直接関連する、実際に参照された情報源の一部です。
- 京都橘大学 濱田智崇 准教授ら: 本稿における父親の育児に関する葛藤、特に父親が抱えるネガティブな感情と、それを安心して表現できる「安全な場所」の必要性に関する指針は、濱田氏らの「男性相談」に関する研究と実践に基づいています56。
- 柏木惠子氏・高橋惠子氏ら: 日本の男性が抱える心理的な問題、特に伝統的な「男らしさ」が感情表現や自己認識に与える影響についての分析は、日本の男性心理学の分野を切り拓いた両氏らの基礎研究に依拠しています78。
- 針間克己 医師: セクシュアリティとメンタルヘルスの関連性、特に勃起不全(ED)が男性の自尊心に与える心理的影響に関する記述は、同氏のような臨床専門家の知見を参考にしています910。
- 学術的メタ分析: 子どもの感情表現における男女差11や、日本人の自尊心の性差12に関する記述は、複数の独立した研究結果を統計的に統合した、信頼性の高いメタ分析研究に基づいています。
- 政府・研究機関の調査: 日本人男性の幸福度13、労働者のストレス実態14、若年層のメンタルヘルス不調15に関するデータは、内閣府や厚生労働省、パーソル総合研究所といった公的機関および研究機関による大規模調査を典拠としています。
要点まとめ
- 男性が本音を言わないのは「言いたくない」のではなく、社会的に弱さを見せることが許されないため、感情を言語化する訓練が不足しており「言えない」ことが多い。
- 男性の「怒り」は、しばしば悲しみ、不安、恥といった本当の感情(一次感情)を隠すための「二次感情」である可能性がある。
- 男性の自尊心は仕事の成功など外面的な評価に依存しがちで、失敗によって容易に崩れる「脆さ」を抱えている。
- 男性のSOSは言葉ではなく、突然の離職、引きこもり、飲酒量の増加といった「行動の変化」として現れることが多い。
- 彼の本音を引き出す鍵は、無理に問い詰めることではなく、何を話しても否定されないという「心理的安全性」のある対話の場を作ることである。
第1部:科学が解き明かす「男性の心」の仕組み – 感情・ストレス・SOSのサイン
男性の行動や言葉の裏にある「本音」を理解するためには、まず彼らの感情がどのように生まれ、処理され、表現されるのか、その基本的な「OS(オペレーティングシステム)」を知る必要があります。このセクションでは、心理学、社会学、生物学の知見を基に、男性の心の働きを解き明かします。
1-1. 感情表現のギャップ:「言わない」のではなく「言えない」心理
パートナーが感情を表現してくれない時、私たちは「話したくないのだ」と解釈しがちです。しかし、多くの研究が示唆しているのは、「言わない」のではなく「言えない」あるいは「自分の感情が何なのか、うまく認識できていない」という可能性です。
内部の嵐と外部の静寂
感情研究における重要な発見の一つに、感情的な刺激に対する男女の反応の違いがあります。ストレスを感じる状況下で、男性は女性と同等か、場合によってはそれ以上に強い生理的興奮(心拍数や血圧の上昇、ストレスホルモンであるコルチゾールの分泌など)を経験することが分かっています。しかし、その内的な嵐とは裏腹に、外面的な感情表現は抑制される傾向にあるのです16。この「内面の感情」と「外面の表現」の間に生じる大きなギャップこそが、女性が男性の感情を読み取りにくいと感じる根本的な原因です。彼は内心で大きな動揺や悲しみを感じていても、表情や態度にはほとんど出さない、あるいは全く別の形で(例えば「怒り」として)表出させてしまうことがあります。
「感情の社会化」が作る男女差
このようなギャップは、生まれつきのものではなく、幼少期からの「社会化」の過程で学習される側面が大きいことが、発達心理学の研究で明らかになっています。複数の研究を統合・分析したメタ分析によると、感情表現における男女差は、年齢が上がるにつれて顕著になります11。特に、親の関わり方が子どもの感情表現スタイルを形成する上で重要な役割を果たします。ある研究では、父親は娘が悲しみや不安を表現した際には共感的に応じる一方で、息子が同様の感情を示すと取り合わず、むしろ怒りを表現した際に強く反応する傾向が見られました16。このような経験を通じて、子どもたちは「男の子が表現しても良い感情(怒りなど)」と「女の子が表現しても良い感情(悲しみなど)」を学習していきます。さらに、一般的に男の子は女の子に比べて、幼少期の言語能力や行動を抑制する能力の発達が緩やかであるとされています16。このため、悲しみや不安といった複雑なネガティブな感情を言葉で整理し、適切に表現することが苦手で、より原始的で分かりやすい「制御されていない怒り」として表出させてしまう傾向があるのです。
「男らしさ」がもたらす感情への恐怖と「二次感情」としての怒り
この社会化のプロセスは、男性が特定の感情に対して「恐怖」を抱くようになるという、より深刻な問題につながります。伝統的な男性性の規範を強く内面化している男性ほど、自身の感情、特に弱さや無力感につながる感情を経験すること自体を恐れる傾向があることが、研究で示されています3。ここで、極めて重要な概念が「二次感情」です。人が経験する感情には、出来事に対して最初に自然に湧き上がる「一次感情」(例:失敗した時の悲しみ、批判された時の恐れ、侮辱された時の恥)と、その一次感情を覆い隠すために後から生じる「二次感情」があります。男性の場合、悲しみ、恐れ、恥といった「弱さ」と結びつく一次感情は、「男らしくない」ものとして表現が禁じられています。その結果、これらの許容できない一次感情を感じた時、それを覆い隠すための「鎧」として、唯一表現が許されているパワフルな感情、すなわち「怒り」が二次感情として現れるのです。したがって、女性がパートナーの「怒り」に直面した時、それは彼の本心ではない可能性があります。その怒りの仮面の下には、本当は職場で傷ついた「悲しみ」や、あなたを失うことへの「恐れ」、あるいは自分の不甲斐なさに対する「恥」といった、脆弱で助けを求めている一次感情が隠れているのかもしれません。この視点の転換は、彼の「本音」に寄り添うための第一歩となります。
規範的男性失感情症(Normative Male Alexithymia)
この感情の認識と表現の困難さは、臨床的な概念としても注目されています。「アレキシサイミア(失感情症)」とは、自らの感情を自覚したり、認知したり、表現したりすることが困難な状態を指す言葉です。臨床心理学者のロナルド・レバントは、多くの男性が社会化の過程で感情から切り離されるあまり、このアレキシサイミアに似た状態に陥っているとし、これを「規範的男性失感情症(Normative Male Alexithymia)」と名付けました1718。これは、彼が「意地悪で言わない」のではなく、そもそも自分の内側で何が起きているのかを言語化するスキルや習慣を十分に発達させてこなかった結果である可能性を示唆しています。彼の沈黙は、悪意ではなく、一種の「スキルの欠如」と捉えることで、非難から理解へと視点を移すことができるのです。
1-2. 男性の自尊心と幸福度:何に支えられ、何に傷つくのか
男性の感情や行動を理解する上で、もう一つの重要な要素が「自尊心」と「幸福度」です。彼らが何によって自信を得て、何によって深く傷つくのかを知ることは、彼らの「本音」を読み解く鍵となります。
日本人男性の幸福度の実態
内閣府が定期的に行っている「満足度・生活の質に関する調査」によると、日本の男性の総合的な生活満足度は、一貫して女性よりも低い水準にあります13。特に、仕事や家庭での責任が重くのしかかる30代から50代にかけて、男女間の幸福度の差が最も大きくなることが指摘されています19。これは、男性がキャリアや家庭におけるプレッシャーを特に強く感じ、それが生活全体の満足度を押し下げている可能性を示唆しています。
脆く、条件付きの自尊心
一方で、自尊心に関する研究は、少し異なる側面を明らかにしています。日本人を対象とした複数の研究を統合したメタ分析では、平均すると男性の方が女性よりもわずかに自尊心が高いという結果が示されています(効果量 g=+0.17)12。しかし、この「高さ」は注意深く解釈する必要があります。男性の自尊心は、しばしば「仕事での成功」「社会的地位」「他者からの承認」といった、外部からの評価や達成に強く依存する傾向があります。これはつまり、仕事での失敗、降格、あるいは他者からの批判といった出来事によって、その基盤が容易に揺らぎ、崩れ去ってしまう「脆さ」を内包していることを意味します。彼のプライドが高く見える時、その裏側には深い不安定さが隠れている可能性があるのです。
パートナーとの関係性が幸福度に与える影響
興味深いことに、パートナーとの関係性も男性の幸福度に複雑な影響を与えます。ある調査では、夫の幸福度は、妻が自営業や家族従業者である場合に最も高く、妻が専業主婦である場合には、妻自身の幸福度は高いにもかかわらず、夫の幸福度は比較的低いという結果が出ています20。これは、男性が単に「稼ぎ手」であることだけでなく、パートナーシップにおける役割分担や、家庭への貢献感といった要素が、彼の幸福感に深く関わっていることを示唆しています。
1-3. ストレスの現実:なぜ男性は一人で抱え込み、SOSを出せないのか
男性が抱える内面的な葛藤は、しばしば深刻なストレスとなり、心身の健康を脅かします。しかし、彼らはそのSOSをなかなか表に出すことができません。ここでは、データに基づき、日本人男性が直面しているストレスの厳しい現実と、彼らが助けを求められない背景にある構造的な問題を探ります。
データで見るメンタルヘルス・クライシス
日本の労働者の82%以上が仕事に関して強いストレスを感じており、その割合は男性の方が女性よりもわずかに高いことが報告されています14。男性がストレスの主な原因として挙げるのは、「仕事の失敗や責任の発生」「仕事の量」、そして「対人関係」です14。この抱え込んだストレスは、時に悲劇的な結果を招きます。日本の自殺者数は、男性が女性の2倍以上にのぼるという厳しい現実があります21。同じ社会で生きているにもかかわらず、これほど大きな差が生まれる背景には、男性が「一人で問題を解決しようとする」「弱音を吐けない」という、伝統的な男性規範が深く根ざしているのです。特に深刻なのが、若年層の男性を取り巻く状況です。以下の表は、パーソル総合研究所などによる近年の調査から明らかになった、若手男性のメンタルヘルスに関する衝撃的なデータを示しています。
指標 | データ | 出典 |
---|---|---|
20代男性のメンタルヘルス不調経験率 (過去3年) | 18.5% が治療なしでは日常生活が困難なレベルの不調を経験 | 15 |
不調を職場に相談しない20代の割合 | 約54% (46.1%が相談したというデータから算出) | 2223 |
職場に相談しない最大の理由 | 「相談しても解決につながらないと思った」 (34.5%) | 2223 |
相談しなかった20代の離職率 | 35.2% | 2223 |
管理職が部下の不調を「仮病では」と疑う割合 | 16.6% | 15 |
実際に「仮病」だった割合 | わずか1.0% | 15 |
認識のギャップが生む絶望
この表が示すデータの中でも、特に注目すべきは、管理職が部下の不調を「仮病ではないか」と疑う割合(16.6%)と、実際に仮病であった割合(1.0%)との間に存在する、あまりにも大きな認識のギャップです15。このギャップは、男性が「相談しても無駄だ」と感じる根本的な理由を浮き彫りにします。彼らは、勇気を出して不調を訴えても、理解されるどころか「怠けている」「精神的に弱い」と判断されるのではないかという強い不安を抱えています。この不安が、「相談しても解決につながらない」という諦めを生み2223、結果として約半数の若者が誰にも相談できずに一人で苦しむという状況を作り出しているのです。
「サイレント・クイッティング」という名のSOS
そして、この構造がもたらす最も悲しい帰結の一つが、相談せずに会社を辞めていく若者の多さです。メンタルヘルスの不調を職場に相談しなかった20代のうち、実に35.2%が離職に至っています2223。この行動は、単なる「キャリアチェンジ」として片付けられるべきではありません。これは、言葉で助けを求めることができない男性が、最後の手段として取る「行動によるSOS」なのです。男性は、問題解決志向が強く、自立を重んじるように社会化されています24。心理的な苦痛が耐えがたいレベルに達した時、「助けてほしい」「もう限界だ」と口に出すことは、彼らが内面化した男性規範に反します。そこで彼らは、自分にできる唯一の「解決策」を実行します。すなわち、「この苦痛の原因は職場にある。だから、職場を去ることでこの問題を解決する」という論理です。したがって、パートナーが突然「仕事をやめたい」と言い出した時、それは単なるキャリアの悩みではなく、深刻なメンタルヘルスの不調が背景にある可能性を考える必要があります。彼の「離職」という行動は、言葉にできなかった「助けて」という心の叫びなのかもしれないのです。
第2部:【場面別】男性の「本音」のサインを読み解く – 恋愛・仕事・家庭
第1部で明らかにした男性の心の基本的な仕組みを踏まえ、このセクションでは、女性が日常的に直面する「恋愛」「仕事」「家庭」という3つの具体的な場面で、彼の行動や言葉の裏にある「本音」をどのように読み解けばよいのかを解説します。
2-1. 恋愛・パートナーシップにおける本音
最も身近な関係であるからこそ、すれ違いが生まれやすいのが恋愛関係です。彼の不可解な行動の裏には、男性特有のコミュニケーションスタイルや心理が隠されています。
コミュニケーションの目的の違い
男女の会話が噛み合わない一因として、コミュニケーションの目的の違いが挙げられます。一般的に、女性は共感や親密さを育むため(ラポール・トーク)に会話を用いるのに対し、男性は情報伝達や問題解決のため(レポート・トーク)に会話を用いる傾向があります25。彼があなたの話に「で、結論は?」と口を挟んだり、目的のない長電話を嫌がったりするのは、あなたへの関心がないからではなく、彼にとって会話が「用件を伝えるためのツール」だからかもしれません25。彼は、言葉で愛情を語るよりも、あなたのために何かを「する」こと(例えば、重い荷物を持つ、車で送り迎えをする)で愛情を表現しようとしている可能性があります。
記念日を忘れる「エピソード記憶」の特性
「どうして大事な記念日を忘れるの?」という不満は、多くのカップルが経験する問題です。これも、彼の愛情が薄れた証拠と結論づけるのは早計かもしれません。心理学の研究では、男性は女性に比べて、個人的な出来事や経験に関する記憶、いわゆる「エピソード記憶」が弱い傾向にあることが示唆されています25。もちろん、これは言い訳にはなりませんが、このような男女の認知的な特性の違いを知っておくことは、不必要な誤解を避ける助けになります。彼が記念日を忘れた時、それは「あなたを軽んじている」のではなく、彼の脳の特性として「出来事の記憶が抜け落ちやすい」だけかもしれないのです。
身体的な触れ合いとセクシュアリティの重要性
言葉での感情表現が苦手な男性にとって、身体的な触れ合いは、愛情や親密さを伝えるための非常に重要なコミュニケーション手段です。手をつなぐ、抱きしめるといった行為は、彼らにとって「愛している」という言葉以上の意味を持つことがあります。この文脈で、非常にデリケートでありながら避けては通れないのが、セクシュアリティの問題です。特に、勃起不全(ED)は、男性の自尊心を深く傷つけ、パートナーシップに大きな影響を与えます。ED診療の専門的なガイドラインによれば、EDの原因は身体的なものだけでなく、心理的な要因が複雑に絡み合っている「混合性」のケースがほとんどであると指摘されています26。彼が性的な関係を避けたり、自信なさげな態度を見せたりする時、それはあなたへの性的関心が失われたからではなく、仕事のストレスや将来への不安、あるいは「パートナーを満足させられないかもしれない」というパフォーマンスへの不安が原因である可能性が高いのです。専門家の間では、EDの治療においては、たとえ原因が身体的なものであっても心理的なサポートが不可欠であり、すべての男性の性機能障害に対してカウンセリングが検討されるべきだという意見もあります26。彼の性的な態度の変化は、彼の内面で起きているより深い問題のサインと捉え、繊細なアプローチが求められます。
2-2. 仕事の悩みとプライド
多くの男性にとって、「仕事」は単なる収入源ではなく、自己のアイデンティティと自尊心の根幹をなすものです。そのため、仕事に関する悩みは、彼の心全体を揺るがす大きな問題となります。
仕事=自己価値という認識
第1部で述べたように、男性の自尊心は外部からの評価、特に仕事での成功に強く結びついています。したがって、仕事での失敗や挫折は、単なる職業上の問題にとどまらず、彼自身の価値が否定されたかのような、深刻な個人的危機として経験されます14。日本の男性労働者が抱えるストレスの最大の原因が「仕事の失敗、責任の発生等」であるというデータは、この事実を裏付けています14。彼が仕事の後に不機嫌であったり、口数が少なくなったりするのは、家庭に不満があるからではなく、職場で彼のアイデンティティが脅かされるような出来事があったからかもしれません。
「稼ぎ手」としてのプレッシャー
伝統的な性別役割分業の意識が根強い社会では、男性は「一家の大黒柱」「主要な稼ぎ手」であるべきだというプレッシャーを今なお強く感じています。この「稼ぎ手役割」へのプレッシャーは、特に経済が不安定な現代において、男性にとって大きなストレス源となります。パートナーの就労状況が夫の幸福度に影響を与えるというデータ20も、この役割意識が彼の心理に深く関わっていることを示唆しています。彼が過剰に仕事に打ち込んだり、金銭的な話題に敏感になったりするのは、このプレッシャーからくる不安の表れである可能性があります。
2-3. 父親としての喜びと葛藤
メディアでは「イクメン」という言葉が浸透し、積極的に育児に関わる父親像が理想化されています。しかし、そのポジティブなイメージの裏で、多くの父親が誰にも言えない葛藤や苦しみを抱えています。
「イクメン」の理想と現実のギャップ
現代の父親たちは、「育児に積極的に関わるべきだ」という新しい価値観と、「男は仕事で一家を支えるべきだ」という古い価値観の板挟みになっています。この状況は、男性の心理に深刻な矛盾と葛藤を生み出します。この問題に光を当てたのが、京都橘大学の濱田智崇准教授らによる「男性相談」の研究と実践です5。彼らの研究によれば、多くの父親は育児の喜びを感じる一方で、思い通りにならない子どもへの苛立ち、睡眠不足による疲労、社会からの孤立感、そして「良い父親であらねばならない」というプレッシャーといった、ネガティブな感情も同時に経験しています。しかし、「男らしさ」の規範から、これらのネガティブな感情を口にすることは「父親失格」の烙印を押されることだと感じ、一人で抱え込んでしまうのです。
父親が必要とする「安全な場所」
濱田氏らの実践は、父親たちが本当に必要としているのは、単なる育児スキルの指導ではなく、育児に関するあらゆる感情、特にネガティブな感情をジャッジされることなく安心して吐き出せる「安全な場所」であることを示しています2728。興味深いことに、男性は単に「話し合いましょう」という場には参加しにくい傾向があります。濱田氏らが開発した支援プログラムでは、まず親子での遊びの時間を設けるといった「仕掛け」を用意することで、男性が構えずにリラックスした状態で、その後の父親同士の語り合いに入れるよう工夫されています27。これは、男性の「レポート・トーク」モードを和らげ、感情を語りやすいモードへと移行させるための、計算されたアプローチです。
父性の危機という「本音」
現代の父親が直面している問題は、単なる「育児の悩み」ではありません。それは、効果的な育児に求められる「共感性」「受容性」「感情表現」といった資質が、彼らが幼少期から教え込まれてきた伝統的な「男らしさ」(感情を抑制し、強く、自立的であること)と真っ向から対立するという、根源的なアイデンティティの危機なのです。この「父性」と「男性性」の間の激しい葛藤こそが、多くの父親が抱える最大の「言えない本音」です。パートナーがこの葛藤を理解し、彼が「完璧な父親」でなくても良いのだというメッセージを伝えることが、彼の重荷を軽くし、家族としての絆を深める上で極めて重要になります。
第3部:彼の「本当の気持ち」に寄り添うためのアクションプラン
これまで、男性の心の仕組みと、様々な場面で見られる行動の背景を科学的に解き明かしてきました。最終部となるこのセクションでは、それらの理解を基に、あなたが明日から実践できる具体的な「アクションプラン」を提案します。彼の心を無理にこじ開けるのではなく、彼が自ら心を開きたくなるような、安全で信頼に満ちた関係を築くための方法です。
3-1. 「聞く」から「聴く」へ:安全な対話の場を作る方法
彼が本音を話せない最大の理由の一つは、「話しても理解されない」「批判されるかもしれない」という恐れです。したがって、最も重要なのは、彼が何を話しても受け止められるという「心理的安全性」を確保することです。
問題解決志向に寄り添う
男性は、感情をただ吐露するよりも、問題を解決することに関心が高い傾向があります29。会話を始める際に、「どう感じているの?」と感情を直接問うのではなく、「何か困っていることがあるなら、一緒に考えたいな。何か力になれることはある?」と、問題解決のパートナーとしての姿勢を示すと、彼は心を開きやすくなります。彼の話が始まったら、まずは解決策を提示するのではなく、彼の「戦い」を理解しようと努めましょう。
プレッシャーの少ない環境を作る
真正面に向き合って「さあ、話して」というスタイルは、男性に大きなプレッシャーを与えます。散歩をしながら、ドライブをしながら、あるいは一緒に料理をしながらといった、何か共通の活動をしている時に、さりげなく会話を切り出す方が効果的です。視線が直接合わない状況は、緊張を和らげ、本音を話しやすくさせます。
まずは「承認」、そして「具体化」の手伝い
彼が重い口を開いてくれた時、最も大切なのは「承認(Validation)」です。たとえ彼の意見に同意できなくても、まずは「そう感じたんだね」「それはすごくストレスだったでしょう」と、彼の感情そのものを肯定的に受け止めてください。その上で、「もう少し詳しく聞いてもいい?」と、彼が自分の感情や状況を言語化する手助けをします。男性は自分の感情を捉えるのが苦手な場合があるため1718、あなたが安全なガイド役となることで、彼自身も自分の心の中を整理できるようになります。
3-2. 彼の「男らしさ」を否定せず、理解する
彼が抱える「男らしさ」の規範は、時にあなたとの関係を阻む壁になるかもしれません。しかし、それを正面から否定することは、彼のアイデンティティそのものを攻撃することになり、逆効果です。
逆効果になるアプローチを避ける
「もっと感情的になってよ」「男らしくない」といった言葉は、彼を追い詰めるだけです。また、男性の特性を考慮しない支援が、かえって有害なステレオタイプを強化してしまう可能性も指摘されています30。彼のありのままを尊重し、彼のペースを大切にすることが基本です。
彼の「強さ」を承認した上で、新たな選択肢を示す
彼の自立心や問題解決能力は、これまで彼自身や周りの人々を支えてきた、紛れもない「強さ」です。その強さをまず承認しましょう。「あなたがいつも一人で頑張って、色々なことを乗り越えてきたのは本当にすごいと思う」と伝えた上で、「でも、この問題だけは、一人で背負う必要はないんじゃないかな。私も一緒に背負いたい」と提案するのです。これは、男性に特化したカウンセリングでも用いられるアプローチで、彼のプライドを傷つけることなく、助けを受け入れる選択肢を与えることができます29。
3-3. SOSのサインに気づき、専門家の助けを促すには
彼のストレスが限界に達している時、あるいはうつ病などの精神疾患が疑われる場合には、専門家の助けを借りることが不可欠です。しかし、男性は助けを求めることに強い抵抗を感じるため、慎重なアプローチが求められます。
見逃してはいけない「SOS」のサイン
男性のうつや不安は、女性のように「悲しみ」や「涙」として現れるとは限りません。以下のような、より微妙なサインに注意してください。
- 怒りっぽさ、イライラ:些細なことでカッとなることが増える16。
- アルコールや他の物質への依存:飲酒量が増える、ギャンブルにのめり込むなど16。
- 社会的引きこもり:友人との付き合いや趣味を避けるようになる。
- 身体的な不調:原因不明の頭痛、腹痛、倦怠感など、心身症的な症状24。
- 性的な関心の変化:性欲の減退やEDなど26。
- 仕事への過剰な没頭、あるいは無気力。
専門家の助けを促すためのステップ
ただ「病院に行ったら?」と言うだけでは、彼は反発する可能性が高いでしょう。
- 非難せずに懸念を伝える:「最近、すごく疲れているように見えるけど、大丈夫? あなたのことが心配で」と、”I”メッセージ(私はこう感じる)で伝えます。
- 専門家の助けを再定義する:カウンセリングや心療内科を、「心の弱さ」の証明ではなく、「心のパフォーマンスを上げるためのコーチング」や「より良く生きるためのツールを手に入れる場所」として再定義します。「専門家と一緒に、今の状況を整理してみるのも一つの手かもしれないね」と提案します。
- 具体的なハードルを下げる:彼が一人で行動するのを待つのではなく、具体的な手助けを申し出ます。「プライバシーが守られるオンラインカウンセリングもあるみたいだよ。良さそうなところをいくつか探してみたから、一緒に見てみない?」と提案することで、行動へのハードルを大きく下げることができます。オンラインでの相談は、対面よりも男性が抵抗を感じにくいという指摘もあります1718。
信頼できる相談窓口
もし、あなたやパートナーが助けを必要としているなら、一人で抱え込まないでください。日本には、信頼できる相談窓口があります。
- いのちの電話:一般社団法人日本いのちの電話連盟が運営する、無料・匿名の電話相談。緊急の心の危機に対応しています。
- 厚生労働省「まもろうよ こころ」:SNSや電話での相談窓口をまとめたポータルサイト。LINEなど、若者にもアクセスしやすい窓口が紹介されています21。
- 男性相談:濱田智崇氏が関わる「日本男性相談フォーラム」のように、男性特有の悩みに特化したカウンセリングサービスも存在します631。
- 地域の精神保健福祉センター:各都道府県・指定都市に設置されており、心の健康に関する相談を無料・匿名で受け付けています。
よくある質問
彼が怒っている時、本当は何を感じていることが多いのですか?
仕事の失敗で落ち込んでいる彼に、どう接すればいいですか?
記念日を覚えてもらう、何か良い方法はありますか?
専門家の助けを勧めても、彼が拒否する場合はどうすればいいですか?
結論
この記事を通して、私たちは男性の「本音」が、単に隠された言葉ではなく、彼らの生きてきた歴史、社会からの期待、そして心理的な仕組みそのものであることを見てきました。彼の沈黙や不可解な行動は、あなたを拒絶しているサインではなく、彼自身が内なる葛藤と静かに戦っている証なのかもしれません。本当の意味での理解とは、彼の心の扉を無理やりこじ開け、秘密を暴くことではありません。それは、彼が「男らしさ」という重い鎧を、ほんの少しだけ脱いでも大丈夫だと感じられるような、安全で、温かく、信頼に満ちた空間を、辛抱強く育んでいくプロセスです。彼の行動の裏にある「言えない」気持ちに気づき、彼の「強さ」と「弱さ」の両方を丸ごと受け止め、そして時には、専門家の助けを借りる勇気を後押しすること。本記事で示した科学的根拠に基づくアプローチを実践することで、あなたは彼の最高の理解者となり、二人の関係をより深く、より本質的で、揺るぎないものへと変えていくことができるはずです。彼の「本音」を引き出す最高の鍵は、テクニックではなく、あなたの深い理解と共感なのです。
本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
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