【産婦人科医が監修】つわりはいつから?症状、原因から危険な「妊娠悪阻」の見分け方、最新の治療法まで徹底解説
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【産婦人科医が監修】つわりはいつから?症状、原因から危険な「妊娠悪阻」の見分け方、最新の治療法まで徹底解説

妊娠おめでとうございます。新しい命の訪れは、この上ない喜びである一方、多くの妊婦さんが経験する「つわり」は、心身ともに大きな負担となり得るものです。国内の調査によれば、妊婦さんの50~80%がつわりを経験するとされています1。多くの場合、つわりは妊娠の正常な過程の一部ですが、その症状や重症度は人それぞれです。「ただのつわりだと思っていたら、実は危険な状態だった」ということもあり得ます。この記事では、JAPANESEHEALTH.ORG編集部が、産婦人科医の監修のもと、世界中の最新の医学的知見と日本の医療現場の実情を融合させ、つわりに関するあらゆる疑問や不安に答えるための、最も信頼性が高く包括的な情報をお届けします。いつから始まり、いつ終わるのかという基本的な情報から、つらい症状を和らげる科学的根拠に基づいたセルフケア、さらには重症化した「妊娠悪阻(にんしんおそ)」の見分け方と最新の専門的治療法まで、あなたが一人で悩まず、安心してこの時期を乗り越えるための一助となることをお約束します。


この記事の科学的根拠

この記事は、入力された研究報告書で明示的に引用されている最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下の一覧には、実際に参照された情報源と、提示された医学的指導との直接的な関連性が含まれています。

  • 米国産科婦人科学会 (ACOG): 本記事における妊娠悪阻(NVP/HG)の診断、非薬物療法、および薬物療法(ビタミンB6、ドキシラミンなど)に関するガイダンスは、ACOGが発行したプラクティス・ブリテンNo. 189に基づいています2
  • 英国王立産科婦人科学会 (RCOG): 診断基準(PUQEスコア)、第一選択療法(抗ヒスタミン薬)、および入院管理(輸液、チアミン、血栓予防)に関する推奨事項は、RCOGのグリーントップ・ガイドラインNo. 69に準拠しています3
  • 厚生労働省 (MHLW): 日本の妊産婦向けの食事バランス、適切な体重増加、重要な栄養素に関する具体的な推奨事項は、厚生労働省の「妊産婦のための食生活指針」に基づいています4
  • Fejzo M, et al. (2023年のシステマティックレビュー): 妊娠悪阻に対するほとんどの治療法の確実性は低い、または非常に低いという結論は、2023年に発表されたこの最新のシステマティックレビューに基づいており、治療法の限界と現状を正確に伝えています5
  • ベネッセコーポレーション (たまひよ): 「先輩ママ」の経験として紹介されている具体的な食べ物や飲み物のランキングは、株式会社ベネッセコーポレーションが実施したインターネット調査の結果を引用しています67
  • Vandraas K, et al. (2022年のシステマティックレビュー): 重症妊娠悪阻が児の長期的な健康に与える影響に関する記述は、2022年のシステマティックレビューとメタアナリシスの結果に基づいています8

要点まとめ

  • つわりは妊婦の50-80%が経験する一般的な症状で、通常は妊娠5-9週に始まり、16-20週までに落ち着きます。
  • 通常のつわりと、体重の5%以上が減少し、脱水症状などを伴う重篤な「妊娠悪阻」を区別することが極めて重要です。
  • 食事の工夫(少量頻回食、消化の良いもの)やショウガの摂取など、科学的根拠のあるセルフケアで症状を緩和できる場合があります。
  • セルフケアで改善しない場合は、国際的なガイドラインで推奨される薬物療法や、日本の医療現場で用いられる漢方薬など、専門的な治療の選択肢があります。
  • 水分が全く摂れない、急激に体重が減少するなどの危険な兆候があれば、直ちに医療機関を受診する必要があります。

第1章:つわりの基本知識

つわりは多くの妊婦さんが経験する最初の試練かもしれません。しかし、その正体を正確に知ることで、漠然とした不安は大きく軽減されます。この章では、つわりの定義から、時期、症状、原因まで、基本的な知識を医学的根拠に基づいて解説します。

1.1. つわりとは?

つわりとは、医学的には「妊娠悪阻(Nausea and Vomiting of Pregnancy, NVP)」と呼ばれ、妊娠初期に起こる吐き気や嘔吐などの不快な消化器症状の総称です。病気ではなく、多くは妊娠に伴う生理的な変化と考えられていますが、症状が重くなると治療が必要になることもあります。

1.2. いつから始まり、いつ終わる?

つわりの時期には個人差がありますが、米国産科婦人科学会(ACOG)の診療ガイドラインによると、典型的な経過は以下の通りです2

  • 始まり: 妊娠5週から9週頃に始まることが最も一般的です。
  • ピーク: 妊娠9週頃に症状が最も強くなる傾向があります。
  • 終わり: ほとんどの妊婦さんで、妊娠16週から20週頃までに自然に軽快または消失します。

ただし、一部の方では妊娠中期以降も症状が続くことがあります。終わりの見えないつらさを感じるかもしれませんが、多くの場合は一過性のものであることを知っておくことが大切です。

1.3. 主な症状:吐き気だけじゃない、多様なつわりのサイン

「つわり」と一言で言っても、その症状は千差万別です。吐き気や嘔吐が最もよく知られていますが、それ以外にも様々なタイプが存在します。

  • 吐きづわり: 最も一般的なタイプで、常に吐き気を感じたり、実際に嘔吐したりします。
  • 食べづわり: 空腹になると気持ち悪くなるため、何かを常に食べていないと気分が悪い状態です。「食べないと気持ち悪い、でも食べたら吐いてしまう」という悪循環に陥ることもあります。
  • 匂いづわり: 特定の匂い(ご飯の炊ける匂い、化粧品、香水など)に非常に敏感になり、その匂いを嗅ぐだけで強い吐き気を催します。
  • よだれづわり: 唾液が大量に分泌され、飲み込むのがつらくなるほどの状態です。

これらの症状が単独で現れることもあれば、複数同時に現れることもあります。

1.4. なぜ起こるのか?考えられる原因

つわりの正確な原因は、現代の医学でも完全には解明されていません。しかし、複数の要因が複雑に絡み合って引き起こされると考えられており、ACOGのガイドラインでは主に以下の仮説が挙げられています2

  • ホルモンの急激な変化: 妊娠によって急増するhCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)やプロゲステロンといったホルモンが、脳の嘔吐中枢を刺激することが最も有力な原因とされています。
  • 遺伝的要因: 母親や姉妹がつわりを経験した場合、本人も経験しやすいという報告があり、遺伝的な素因が関与している可能性が示唆されています。
  • 多胎妊娠: 双子や三つ子を妊娠している場合、単胎妊娠に比べてhCGホルモンの分泌量が多いため、つわりの症状がより強く出やすい傾向があります。
  • 心理的要因: 妊娠に対する不安やストレスが、症状を増悪させる一因となる可能性も指摘されていますが、これが主原因ではありません。

第2章:ただのつわり?それとも危険なサイン?「妊娠悪阻」との違い

つわりのつらさは経験した人でなければ分かりませんが、ほとんどは母体や胎児に深刻な影響を及ぼすものではありません。しかし、ごく一部のケースでは、単なる不快な症状では済まされない「妊娠悪阻(にんしんおそ)」という重篤な状態に移行することがあります。ここでは、両者の違いを明確にし、受診すべき危険なサインについて詳しく解説します。

2.1. 妊娠悪阻(Hyperemesis Gravidarum)とは

妊娠悪阻(Hyperemesis Gravidarum, HG)は、つわりが極度に重症化した状態で、全妊婦の約1~2%に発生します1。これは単なる「ひどいつわり」ではなく、放置すれば母体と胎児の双方に危険が及ぶ可能性のある、専門的な治療を必要とする病的な状態です。主な特徴は、持続的な激しい嘔吐による著しい体重減少、脱水、電解質異常などです。

2.2. 【重要】見分けるためのチェックリスト

自分や家族の症状が、通常のつわりの範囲内なのか、それとも受診が必要な妊娠悪阻の領域に入っているのかを判断することは非常に重要です。英国王立産科婦人科学会(RCOG)のガイドラインなどを参考に、以下のチェックリストを作成しました3。当てはまる項目が多いほど、専門家の診断を必要とする可能性が高まります。

表1:通常のつわり(NVP)と妊娠悪阻(HG)の比較
項目 通常のつわり (NVP) 妊娠悪阻 (HG) の可能性
体重減少 ない、または妊娠前の体重の5%未満の減少 妊娠前の体重から5%以上の減少
嘔吐の頻度 時々あるが、食事や水分をある程度は保持できる 一日中、持続的かつ激しい嘔吐がある
水分摂取 困難な時もあるが、なんとか飲める 水分をほとんど、あるいは全く口にできない
尿の状態 通常の色(淡黄色) 尿の量が極端に少なく、色が濃い(濃縮尿)
全身の状態 吐き気はあるが、日常生活はなんとか送れる めまい、立ちくらみ、極度の疲労感、錯乱などがある
検査所見 通常は異常なし 脱水、電解質(ナトリウム、カリウムなど)の異常、ケトン体の陽性

2.3. いつ医療機関を受診すべきか

以下の「危険なサイン」が一つでも見られる場合は、自己判断で様子を見るのではなく、直ちにかかりつけの産婦人科医に連絡し、受診してください

【危険なサイン:直ちに受診を!】

  • 丸一日以上、水分を全く飲むことができない
  • 体重が急激に(例:1週間で1-2kg以上)減少した
  • 尿がほとんど出ない、または色が非常に濃い
  • 立ち上がると強いめまいやふらつきがある
  • 嘔吐物に血が混じっている
  • 意識が朦朧とする、混乱している

早期に適切な治療を開始することが、重症化を防ぎ、母体と胎児の健康を守る上で最も重要です。


第3章:自分でできる!科学的根拠のあるセルフケア対策

医療機関での治療が必要になる前に、日常生活の中で症状を和らげるためにできることは数多くあります。この章では、日本の厚生労働省の指針や海外の診療ガイドライン、そして先輩ママたちの経験に基づいた、科学的根拠のあるセルフケア対策を具体的にご紹介します。

3.1. 食事と栄養の工夫:厚労省の指針を参考に

つわりで食事が思うように摂れない時でも、赤ちゃんの成長のために栄養を確保することは重要です。厚生労働省は「妊産婦のための食生活指針」の中で、バランスの取れた食事の重要性を説いています4

基本の考え方:

  • 少量頻回食を心がける: 一度にたくさん食べようとせず、クラッカーや小さなおにぎりなどを1日に5~6回に分けて食べることで、空腹による吐き気(食べづわり)と、満腹による吐き気の両方を防ぎやすくなります。
  • 食べられるものを、食べられる時に: 栄養バランスを厳密に考えすぎるとストレスになります。つわりがひどい時期は、まずは「食べられるもの」を優先しましょう。少しでも口にできるものがあれば、そこからエネルギーを摂取することが大切です。
  • 刺激物や脂っこいものを避ける: 香辛料の強い料理や揚げ物、脂肪分の多い食事は、胃腸に負担をかけ、吐き気を誘発しやすいため、避けた方が賢明です。
  • 水分補給を最優先に: 食事ができなくても、水分補給は脱水を防ぐために不可欠です。水やお茶だけでなく、スープや果物、ゼリーなどからも水分は摂取できます。

3.2. 先輩ママたちの知恵袋:実際に効果があった食べ物・飲み物

医学的な推奨事項に加え、多くの先輩ママたちが実践し、「効果があった」と感じた食べ物や飲み物を知ることも、つらい時期を乗り切るヒントになります。株式会社ベネッセコーポレーションが運営する「たまひよ」の調査によると、つわり中に助けられた食べ物・飲み物として以下のようなものが挙げられています67

【先輩ママたちが選んだ「神アイテム」ランキングより】

  • 飲み物: 炭酸水、麦茶、オレンジジュース
  • 食べ物: フライドポテト、トマト、梅干し、グレープフルーツ、そうめん、ゼリー

これらの食品が医学的に万人に効くという保証はありませんが、「フライドポテトの塩気が良かった」「炭酸水の爽快感でスッキリした」といった個々の経験は、試してみる価値があるかもしれません。

3.3. ライフスタイルの見直し

食事以外の生活習慣を見直すことも、症状の緩和につながります。

  • 十分な休息: 疲労はつわりを悪化させる大きな要因です。可能な限り休息をとり、睡眠時間を確保しましょう。
  • 誘因を避ける: 匂いづわりの原因となる特定の匂いや、暑さ、湿気、騒音といった環境的な要因をできるだけ避ける工夫をしましょう。
  • 軽い運動: 気分が良い時には、散歩などの軽い運動が気分転換になり、症状を和らげることがあります。ただし、無理は禁物です。

3.4. 代替療法:エビデンスと注意点

いくつかの代替療法については、その有効性を示唆する研究報告があります。

  • ショウガ (Ginger): 米国産科婦人科学会(ACOG)のガイドラインでも、吐き気を軽減する効果がある可能性が示唆されています2。生のショウガを料理に加えたり、ジンジャーティーやジンジャーエールを試してみるのも良いでしょう。
  • 指圧 (Acupressure): 手首の内側にある「内関(ないかん)」というツボ(P6)を刺激することが、吐き気に有効であるという報告があります。このツボを刺激するリストバンドも市販されています3

これらの代替療法を試す際は、必ず事前にかかりつけ医に相談してください。


第4章:医療機関での専門的治療

セルフケアだけでは症状が改善しない場合や、妊娠悪阻が疑われる場合には、専門的な医学的治療が必要となります。この章では、国際的な診療ガイドラインに基づいた治療の考え方から、具体的な薬物療法、そして日本で用いられる漢方薬まで、医療機関で行われる治療について詳しく解説します。

4.1. 治療の考え方:国際ガイドラインに基づく段階的アプローチ

つわりや妊娠悪阻の治療は、「段階的アプローチ(Stepped-care approach)」が基本です。これは、まず安全で負担の少ない治療法から開始し、効果が見られない場合に、より専門的な治療へと段階的に移行していく考え方です。

しかし、ここで非常に重要な事実があります。2023年に発表された妊娠悪阻の治療法に関するシステマティックレビューでは、ほとんどの治療法について、その有効性を裏付ける科学的根拠の確実性は「低い」から「非常に低い」と結論付けられています5。これは、どの治療法が誰にでも確実に効くというものではないことを意味します。だからこそ、医師と患者が密にコミュニケーションを取り、個々の症状や状態に合わせて最適な治療法を慎重に選択していくことが不可欠です。

4.2. 薬物療法:選択肢と安全性

「妊娠中に薬を飲むのは怖い」と感じる方は多いと思いますが、重度のつわりを放置するリスクと、薬を使用する利益を天秤にかけ、医師の管理下で安全性の高い薬が選択されます。以下に、ACOGやRCOGのガイドラインで推奨されている主な薬物療法の選択肢を示します23

表2:つわり・妊娠悪阻に対する主な薬物療法の選択肢(国際ガイドラインに基づく)
治療段階 薬剤の種類 特徴と注意点
第一選択薬 ビタミンB6 (ピリドキシン)
(ACOG推奨)

抗ヒスタミン薬
(RCOG推奨, ドキシラミンなど)

最も安全性が高いと考えられている初期治療。ACOGではビタミンB6とドキシラミン(抗ヒスタミン薬)の併用を第一選択としています2。日本では、これらの成分を含む合剤は承認されていませんが、個別に処方されることがあります。眠気の副作用が出ることがあります。
第二選択薬 制吐薬 (せいはつやく)
(メトクロプラミドなど)
第一選択薬で効果不十分な場合に使用される吐き気止めです。ドーパミン受容体を遮断することで効果を発揮します。長期使用では錐体外路症状(手の震えなど)のリスクがあるため、短期的な使用が原則です。
第三選択薬 セロトニン(5-HT3)受容体拮抗薬
(オンダンセトロンなど)
他の治療で効果がない重症例に考慮されます。非常に強力な制吐作用がありますが、妊娠初期の使用と特定の心奇形との関連を指摘する研究も少数あるため、使用は慎重に判断されます。便秘の副作用が起こりやすいです。
最終手段 ステロイド
(プレドニゾロンなど)
極めて重症で、他の全ての治療法が無効な場合にのみ、入院管理下で短期間使用されることがあります。有効性は示唆されていますが、長期使用による母体および胎児へのリスクも考慮する必要があります。

【行動喚起】これらの薬物療法の選択肢については、ご自身の判断で使用せず、必ず医師と相談し、症状や状態に最も適した治療法を見つけてください。

4.3. 日本で用いられる漢方薬

日本の医療現場では、西洋薬に加えて漢方薬が処方されることもあります。つわりに対して最も一般的に用いられる漢方薬の一つが「小半夏加茯苓湯(しょうはんげかぶくりょうとう)」です9

この漢方薬は、吐き気を鎮め、胃の働きを助ける作用があるとされ、体力があまりなく、みぞおちあたりが詰まった感じがするタイプの吐き気に用いられます。漢方薬は、患者さん一人ひとりの体質(「証(しょう)」と呼ばれます)に合わせて処方されるのが特徴です。西洋薬とは異なるアプローチで症状緩和が期待できるため、治療の選択肢の一つとして医師に相談してみる価値はあるでしょう。


第5章:重症妊娠悪阻(HG)の管理:入院から退院まで

妊娠悪阻と診断され、外来治療では改善が見られない場合、入院による集中治療が必要となります。入院の目的は、単に吐き気を止めることだけではありません。脱水と栄養障害を是正し、危険な合併症を防ぎ、母体と胎児の状態を安定させることが最優先されます。この章では、入院治療の具体的な内容と、合併症の予防について解説します。

5.1. 入院治療の目的と内容

入院治療の柱は、輸液療法(点滴)です。これにより、経口摂取が不可能な状態でも、水分、電解質、そしてカロリーを補給します。

  • 水分と電解質の補給: RCOGのガイドラインでは、生理食塩水などの電解質輸液が推奨されています3。これにより、脱水状態を改善し、血液中のナトリウムやカリウムのバランスを正常に戻します。
  • ビタミン補給(特にビタミンB1): Đây là một điểm cực kỳ quan trọng.重度の嘔吐が続くとビタミンB1(チアミン)が欠乏し、ウェルニッケ脳症という深刻な神経障害を引き起こす危険性があります。これを予防するため、RCOGはブドウ糖輸液を開始するに、必ずチアミンを補充することを強く推奨しています3
  • 栄養補給: 経口摂取が長期間不能な場合は、点滴による高カロリー輸液(中心静脈栄養)が必要になることもあります。

5.2. 合併症の予防と管理

重症妊娠悪阻は、長期間の臥床(がしょう:寝たきりの状態)と脱水により、命に関わる合併症のリスクを高めます。その中でも特に注意が必要なのが、静脈血栓塞栓症(VTE)です。

静脈血栓塞栓症(VTE)とは?
脱水で血液が濃縮し、長期間動かないことで血流が滞り、足などの深い部分にある静脈に血の塊(血栓)ができてしまう病態です。この血栓が血流に乗って肺に達し、肺の血管を詰まらせると、命に関わる「肺血栓塞栓症(肺塞栓)」を引き起こします。

RCOGのガイドラインでは、妊娠悪阻で入院した患者さんに対し、VTEのリスク評価を行い、必要に応じてヘパリンなどの抗凝固薬による予防策を講じることを推奨しています3。これは、妊娠悪阻の管理がいかに深刻な合併症予防と隣り合わせであるかを示しています。


第6章:つわりが母子に与える長期的影響

つらい症状は一時的なものだと分かっていても、「この経験が自分や赤ちゃんに何か長期的な影響を及ぼすのではないか」と心配になる方もいるでしょう。この章では、つわり、特に重症妊娠悪阻が母子の心身に与える可能性のある長期的な影響について、最新の研究知見を交えて解説します。

6.1. 母親への心理的影響

つわりの経験は、身体的な苦痛だけでなく、深刻な心理的影響を残すことがあります。終わりの見えない吐き気、社会からの孤立感、仕事や家庭生活への支障、そして「母親失格ではないか」という罪悪感は、うつ病や不安障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)のリスクを高めることが知られています。つらいのは自分だけではないこと、そして助けを求めることは決して弱いことではないことを忘れないでください。

6.2. 胎児および出生児への影響

通常のつわりであれば、胎児の成長に悪影響を及ぼすことはほとんどありません。むしろ、つわりがあった妊婦から生まれた子どもの方が、特定の神経発達評価において良好な結果を示したという研究も存在します。

しかし、重症妊娠悪阻(HG)の場合は話が異なります。2022年に発表されたシステマティックレビューとメタアナリシスによると、HGを経験した母親から生まれた子どもは、そうでない子どもと比較して、特定の神経発達障害(例:自閉症スペクトラム障害、注意欠如・多動性障害など)のリスクがわずかに上昇する可能性が示唆されました8。これは、HGによる重度の栄養失調やストレスが、胎児期の脳の発達に何らかの影響を及ぼす可能性を示唆するものです。この結果は、妊娠悪阻を単なる「ひどいつわり」として軽視せず、積極的に治療し、母体の栄養状態を可能な限り良好に保つことの重要性を強く裏付けています。


よくある質問(FAQ)

つわりが全くないのですが、赤ちゃんは大丈夫でしょうか?

はい、心配ありません。つわりを経験しない妊婦さんも約20~50%存在します1。つわりの有無と赤ちゃんの健康状態に直接的な関連はなく、つわりがないからといって妊娠が順調でないわけではありません。むしろ、快適な妊娠生活を送れる幸運だと考えましょう。

つわりのせいで栄養が偏っています。胎児に影響はありますか?

つわりがピークを迎える妊娠初期は、胎児が必要とする栄養量はまだそれほど多くありません。母体がもともと蓄えている栄養で十分にまかなえるため、一時的に食事が偏ったとしても、過度に心配する必要はありません。この時期は、バランスよりも「食べられるものを食べる」ことを優先し、水分補給を心がけてください。つわりが落ち着いてから、バランスの取れた食事に戻していけば大丈夫です。

二人目の妊娠ですが、つわりの重さは一人目と変わりますか?

一概には言えません。一人目より軽かったという人もいれば、重かったという人もいます。妊娠ごとにホルモンの状態や母体の体調は異なるため、つわりの重さも毎回同じとは限りません。「前は軽かったから今回も大丈夫」と油断せず、症状がつらい場合は早めにかかりつけ医に相談しましょう。

仕事をしているのですが、つわりがつらくて休むべきか迷っています。

つわりは病気ではないという風潮から、無理をしてしまう方が少なくありません。しかし、心身の消耗は症状を悪化させる可能性があります。男女雇用機会均等法に基づき、妊娠中の女性は主治医から指導を受けた場合、それを事業主に申し出て勤務時間の短縮や休憩時間の延長などの措置を受けることができます。母体保護連絡カード(母健連絡カード)などを活用し、無理せず上司や同僚に相談して休息をとることが大切です。

結論

つわりは、多くの妊婦さんが経験する、喜ばしい妊娠の兆候であると同時に、非常につらく、孤独な戦いでもあります。本記事では、その基本的な知識から、通常のつわりと危険な「妊娠悪阻」との明確な違い、そして科学的根拠に基づいたセルフケアから国際的なガイドラインに準拠した専門的治療に至るまで、包括的な情報を提供してきました。最も重要なメッセージは、「一人で抱え込まないでください」ということです。あなたのつらさは、あなただけのものではありません。信頼できる医学的情報に基づき、時には先輩ママたちの知恵を借り、そして何よりも、症状がつらいと感じた時には、ためらわずに専門家である産婦人科医に助けを求めることが、あなたと未来の赤ちゃんの健康を守るための最も確実な一歩となります。この情報が、あなたの不安を少しでも和らげ、穏やかなマタニティライフを送るための一助となることを心から願っています。

免責事項本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

参考文献

  1. moony.com, clinicalsup.jp (編集). つわり(悪阻)の症状と原因. 今日の臨床サポート [インターネット]. 2020-2024 [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://clinicalsup.jp/jpoc/contentpage.aspx?diseaseid=1726
  2. American College of Obstetricians and Gynecologists. ACOG Practice Bulletin No. 189: Nausea and Vomiting of Pregnancy. Obstet Gynecol. 2018 Jan;131(1):e15-e30. doi: 10.1097/AOG.0000000000002456. PMID: 29266076. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/29266076/
  3. Royal College of Obstetricians and Gynaecologists. The Management of Nausea and Vomiting of Pregnancy and Hyperemesis Gravidarum (Green-top Guideline No. 69). 2024 [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://www.rcog.org.uk/guidance/browse-all-guidance/green-top-guidelines/the-management-of-nausea-and-vomiting-of-pregnancy-and-hyperemesis-gravidarum-green-top-guideline-no-69/
  4. 厚生労働省. 妊娠前からはじめる妊産婦のための食生活指針 [インターネット]. 2021 [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/a29a9bee-4d29-482d-a63b-5f9cb8ea0aa2/aaaf2a82/20230401_policies_boshihoken_shokuji_02.pdf
  5. Fejzo M, et al. Treatments for hyperemesis gravidarum: a systematic review. BJOG. 2023 Dec;130(13):1533-1542. doi: 10.1111/1471-0528.17589. PMID: 37891710. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/37891710/
  6. ベネッセコーポレーション. みんなのつわり対策”コレが効いた!”ランキング|たまひよ [インターネット]. 2018 [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=22745
  7. ベネッセコーポレーション. 妊婦の神アイテムはやっぱり“アレ”!つわり対策で人気なのは…⁉。ママたちが選んだ – たまひよ [インターネット]. 2017 [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://st.benesse.ne.jp/ninshin/content/?id=181514
  8. Vandraas K, Vikanes ÅV, Vangen S, Magnus P, Støer NC. Long-term health outcomes of children born to mothers with hyperemesis gravidarum: a systematic review and meta-analysis. Am J Obstet Gynecol. 2022 Jul;227(1):47-59.e23. doi: 10.1016/j.ajog.2022.03.045. PMID: 35367190. Available from: https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/35367190/
  9. ツムラ. ツムラ小半夏加茯苓湯エキス顆粒(医療用) – 今日の臨床サポート [インターネット]. [引用日: 2025年7月21日]. Available from: https://clinicalsup.jp/jpoc/drugdetails.aspx?code=5242
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