この記事の科学的根拠
この記事は、引用元として明記された最高品質の医学的根拠にのみ基づいて作成されています。以下は、本記事で提示される医学的指導の根拠となる主要な情報源とその関連性です。
- 日本産科婦人科学会 (JSOG) / 日本産婦人科医会: 本記事における正常妊娠の定義、妊婦健診の標準スケジュール、日本国内の標準的な医療アプローチに関する記述は、日本の産科医療の根幹をなす「産婦人科診療ガイドライン―産科編 2023」に基づいています1。
- 英国王立産婦人科医会 (RCOG): 「つわりがない妊婦は約2割存在する」という重要な統計は、RCOGが発行した妊娠悪阻に関する公式ガイドラインのデータを根拠としています2。
- 厚生労働省 (MHLW): 日本のすべての妊婦に推奨される妊婦健康診査の重要性や公的な位置づけに関する記述は、厚生労働省の公式発表に基づいています3。
- 国立成育医療研究センター (NCCHD): 流産に関する医学的情報、特にその原因についての解説は、日本の周産期医療を牽引する同センターの公開情報を参照しています4。
- 国立保健医療科学院 (NIPH): 日本独自の制度である母子健康手帳の目的や活用法に関する解説は、同院が作成した公式手引きに基づいています5。
要点まとめ
- 妊娠初期に特徴的な症状(つわりなど)がないことは異常ではなく、全妊婦の約20%(5人に1人)が経験する正常な経過の一つです2。
- 症状の有無は、主にホルモン(hCG)に対する体の感受性の個人差によるものであり、症状がないからといって赤ちゃんの成長に問題があるわけではありません6。
- しかし、出血や持続的な腹痛など、他の異常な兆候がある場合は、流産の可能性も考慮し、直ちに医療機関を受診する必要があります4。
- 症状の有無にかかわらず、母子ともに健康な妊娠期間を過ごすために最も重要なのは、日本で制度化されている「妊婦健康診査(妊婦健診)」を定期的に受診することです13。
- 「母子健康手帳」は、健診結果を記録し、医師とのコミュニケーションを円滑にするための重要なツールであり、その積極的な活用が推奨されます5。
驚くべき事実:つわりがない妊婦は「約2割」存在する
多くの人が「妊娠=つわり」というイメージを持っているため、妊娠が判明しても吐き気や体調不良といった症状がないと、「本当に妊娠しているのだろうか?」と不安に駆られることがあります。しかし、医学的なデータは、その思い込みが必ずしも正しくないことを示しています。国際的に高い権威を持つ英国王立産婦人科医会(Royal College of Obstetricians and Gynaecologists, RCOG)が発行したガイドラインによると、妊娠中の吐き気や嘔吐(NVP: Nausea and Vomiting of Pregnancy)は、最大で80%の妊婦が経験するとされています2。この数字は非常に高いものですが、逆に言えば、少なくとも20%、つまり5人に1人の妊婦は、はっきりとした吐き気や嘔吐を経験しないまま妊娠期間を過ごすことを意味します。あなたが「症状がない」と感じているのであれば、それは決して孤立した特殊なケースではなく、多くの妊婦が経験する正常な経過の一つである可能性が高いのです。この客観的な事実を知ることは、漠然とした不安を和らげるための最初の重要な一歩となります。
なぜ症状がない?考えられる4つの医学的・生理学的理由
では、なぜ同じように妊娠しているにもかかわらず、症状がはっきりと出る人と、ほとんど感じない人がいるのでしょうか。その「なぜ?」という疑問に対して、現代の医学ではいくつかの理由が考えられています。症状の有無は、愛情の深さや赤ちゃんの元気さとは全く関係がなく、個人の体質による部分が大きいのです。
1. ホルモン(hCG)への感受性の個人差
妊娠初期の様々な症状、特に吐き気や嘔吐の主な原因と考えられているのが、ヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)というホルモンです。このホルモンは、胎盤の一部となる組織から分泌され、妊娠を維持するために不可欠な役割を果たします1。妊娠が成立するとhCGの血中濃度は急激に上昇しますが、このホルモンの増加に対して体がどのように反応するかには、大きな個人差があります。症状の有無や強さは、hCGの絶対量だけで決まるわけではなく、体がそのホルモン変化にどれだけ敏感か、つまり「感受性」の違いに大きく左右されるのです。米国産科婦人科学会(American College of Obstetricians and Gynecologists, ACOG)も、症状の重症度は個人の知覚に大きく依存する点に言及しており6、体がホルモン変化にうまく順応できれば、症状をほとんど感じないことも十分にあり得ます。
2. 妊娠のごく初期段階(妊娠4~5週頃)
あなたが「症状がない」と感じているのが、単に時期が早いだけという可能性もあります。日本産科婦人科学会(JSOG)のガイドラインによれば、妊娠悪阻(つわり)などの症状は、一般的に妊娠5~6週頃から現れ始め、妊娠9~10週頃にピークを迎えることが多いとされています1。市販の妊娠検査薬で陽性反応が出るのは、早い場合で生理予定日頃(妊娠4週)です。そのため、妊娠4週や5週といったごく初期の段階では、まだ症状が本格化しておらず、体調の変化を感じないのはごく自然なことです。
3. 症状が軽微で気づいていない可能性
「症状が全くない」と思っていても、実はごく軽微な変化が起きていることに気づいていないだけかもしれません。例えば、「なんとなく体がだるい」「普段より眠気が強い」「少し胃がもたれる感じがする」といった症状は、仕事の疲れや日常生活の些細な不調と区別がつきにくく、妊娠の兆候として認識されていない可能性があります。特に初めての妊娠の場合、何が妊娠による変化なのかを判断するのは難しいものです。
4. 遺伝的・体質的要因
一部のウェブサイトでは、「胃腸が強い」「ポジティブ思考」といった特徴が挙げられることがありますが78、これらが直接的な原因であるという明確な医学的根拠は確立されていません。しかし、母親や姉妹がつわりを経験しなかった場合、自身も経験しない傾向があるといった報告もあり、何らかの遺伝的・体質的要因が関わっている可能性は示唆されています。ただし、これらはあくまで傾向であり、科学的に証明された事実ではないと理解しておくことが重要です。
【要注意】症状がない場合に確認すべきリスクと病気
多くの場合は心配ない一方で、産婦人科医の視点からは、いくつかの注意すべき点について誠実にお伝えする責任があります。症状がないことを楽観視するだけでなく、万が一のリスクについても正しく理解し、適切なタイミングで専門家の助けを求めることが、あなたと赤ちゃんの健康を守る上で最も重要です。
1. 流産の兆候を見逃すリスク
まず最も大切なこととして、症状の有無と流産の可能性が直接結びつくわけではないことを強調しておきます。症状が全くなくても妊娠が順調に進むケースは数多くあります。しかし、注意が必要なのは「これまであった軽い症状(胸の張りやだるさなど)が、ある日を境に急に、かつ完全に消失した」といった場合です。これは、妊娠の継続に必要なホルモンの分泌が停止した兆候である可能性もゼロではありません。
日本の周産期医療の拠点である国立成育医療研究センターによれば、妊娠初期の流産の約80%は、赤ちゃん自身の染色体異常などが原因で起こるもので、お母さんの行動や生活習慣が原因となることはほとんどありません4。ですから、決してご自身を責めないでください。
最も重要な警戒すべきサインは、「性器出血」と「持続的な下腹部痛(生理痛のような痛み)」です。これらの症状がみられた場合は、症状の有無にかかわらず、直ちに医療機関を受診するよう強く推奨します4。
2. 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)との関連
多嚢胞性卵巣症候群(Polycystic Ovary Syndrome, PCOS)は、排卵が起こりにくくなる疾患で、月経不順などを引き起こします。PCOSを持つ女性は、そのホルモンバランスの特性上、典型的な妊娠症状を感じにくい場合があると指摘されています。もしあなたがPCOSの診断を受けている、あるいは月経不順の傾向がある場合は、妊娠した際に医師にその旨を伝えることが重要です。PCOSは、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病などのリスクをわずかに高める可能性があるため9、基礎疾患を持つ場合は特に、定期的な妊婦健診を通じて慎重に経過を観察していく必要があります。
【日本の妊婦さんへ】安心のための第一歩:妊婦健診と母子健康手帳
ここからが、本記事の最も重要な核心部分です。あなたの不安を、医学的根拠に基づいた具体的な行動へと繋げ、確かな安心感を得るための道筋をお示しします。そのための最も強力なツールが、日本が世界に誇る公的な母子保健制度、「妊婦健康診査(妊婦健診)」と「母子健康手帳」です。
1. 妊婦健診の重要性:症状がなくても、必ず受診を
まず、根本的な認識として、妊婦健診は「病気や異常があるから行く」ものではありません。これは、「お母さんと赤ちゃんの双方が健康であることを定期的に確認し、すこやかな妊娠期間と安全な出産を迎えるために行く」ものです。この考え方は、厚生労働省も公式に推奨しており3、日本産科婦人科学会(JSOG)の診療ガイドラインでも、すべての妊婦が受けるべき標準的な医療として位置づけられています1。
症状がない場合でも、妊娠高血圧症候群や妊娠糖尿病、貧血、感染症など、自覚症状のないまま進行する可能性のある合併症を早期に発見し、適切に対処するためには、定期的な健診が不可欠です10。
市販の検査薬で陽性を確認したら、まずは産婦人科を受診しましょう。初診時には通常、以下の様な検査が行われ、正常な妊娠であるかどうかが確認されます1。
- 問診:最終月経日、既往歴、現在の健康状態などの確認
- 超音波検査(エコー検査):子宮内に胎嚢(たいのう:赤ちゃんが入る袋)が確認できるか、そして妊娠6週以降には胎児の心拍が確認できるか、といった極めて重要な確認が行われます。
- 血液検査・尿検査:貧血の有無、感染症(B型肝炎、C型肝炎、HIV、梅毒、風疹など)の有無、血糖値、血液型などを調べます。
これらの客観的な検査結果を通じて、医師から「順調ですよ」という言葉をもらうことこそが、何よりも確かな安心に繋がります。
2. あなたの健康記録「母子健康手帳」の役割と活用法
産婦人科で妊娠が確定診断されると、お住まいの市区町村の役所(保健センターなど)で母子健康手帳が交付されます11。この手帳は、単なるスタンプラリーのような記録帳ではありません。国立保健医療科学院が示すように、これは母子保健法に基づく公的な文書であり、妊娠から出産、そして子どもの就学前までの母子の健康状態を一貫して記録するための、極めて重要なツールなのです5。
母子健康手帳は、以下のような点であなたの大きな助けとなります。
- 医療者とのコミュニケーションツール:健診のたびに、血圧、体重、尿検査の結果、超音波検査で測定された赤ちゃんの大きさなどが記録されます。これにより、複数の医療機関を受診した場合や、里帰り出産をする場合でも、あなたの健康情報が正確に引き継がれます。また、「医師に聞きたいこと」などをメモしておく欄を活用すれば、診察時に質問し忘れることを防げます。
- 信頼できる育児情報源:手帳には、妊娠中の栄養、生活上の注意点、産後のケア、予防接種のスケジュールなど、国が監修した信頼性の高い情報が満載です。
- 成長の記録と心の支え:健診時の超音波写真(エコー写真)を貼ったり、その時の気持ちを書き留めたりすることで、かけがえのない妊娠期間の思い出の記録となります。「症状がなくて不安だった」という今の気持ちも、ぜひ書き留めてみてください。後で読み返した時、それもまた貴重な思い出となるはずです。
よくある質問
Q1. 妊娠検査薬で陽性でしたが、症状が全くありません。流産の可能性はありますか?
Q2. つわりがないと、赤ちゃんに何か影響がありますか?
Q3. 症状がない場合、何か特別に気をつけることはありますか?
A3. 基本的には、症状がある人と変わりありません。バランスの取れた食事、適度な運動、十分な休息を心がけ、アルコールや喫煙を避けるといった、妊娠中の基本的な生活習慣を守ることが大切です。最も重要なことは、症状の有無に一喜一憂するのではなく、定められたスケジュール通りに妊婦健診を受け、専門家による客観的な評価を受けることです3。
結論
妊娠初期に特徴的な症状がないことは、決して異常なことではなく、約5人に1人の妊婦が経験する正常な経過の一つです。その主な理由は、ホルモン変化に対する体の感受性の個人差にあり、症状の有無が赤ちゃんの健康状態を直接反映するものではありません。大切なのは、不確かな情報に惑わされたり、他人と比較して不安になったりすることなく、科学的な事実を正しく理解することです。
しかし、同時に、万が一のリスクを見逃さないためにも、専門家による客観的な診察は不可欠です。幸いにも、日本には、すべての妊婦さんを支える「妊婦健診」という素晴らしい公的制度と、母子の健康記録を一元管理する「母子健康手帳」が存在します。
あなたの不安を確かな安心に変えるための最も確実な方法は、これらの制度を最大限に活用することです。あなたの次のステップは、かかりつけの産婦人科医に相談し、あなたと赤ちゃんのための妊婦健診スケジュールを立てることです。この一歩が、安心で健やかなマタニティライフの始まりとなることを、JAPANESEHEALTH.ORG編集委員会は心より願っています。
免責事項本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別の医学的診断や治療に代わるものではありません。妊娠に関するご心配やご質問は、必ず産婦人科医にご相談ください。
参考文献
- 日本産科婦人科学会, 日本産婦人科医会. 産婦人科診療ガイドライン―産科編 2023. [インターネット]. 2023 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.jsog.or.jp/activity/pdf/gl_sanka_2023.pdf
- Royal College of Obstetricians and Gynaecologists. The Management of Nausea and Vomiting of Pregnancy and Hyperemesis Gravidarum (Green-top Guideline No. 69). [インターネット]. 2016 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.rcog.org.uk/media/y3fen1x1/gtg69-hyperemesis.pdf
- 厚生労働省. ~すこやかな妊娠と出産のために~ “妊婦健診”を受けましょう. [インターネット]. [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/boshi-hoken13/
- 国立成育医療研究センター. 流産について. [インターネット]. [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.ncchd.go.jp/hospital/pregnancy/column/souki_ryuzan.html
- 国立保健医療科学院. 母子健康手帳の交付・活用の手引き. [インターネット]. 2012 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.niph.go.jp/soshiki/07shougai/hatsuiku/index.files/koufu.pdf
- American College of Obstetricians and Gynecologists. ACOG Practice Bulletin No. 189: Nausea And Vomiting Of Pregnancy. Obstet Gynecol. 2018 Jan;131(1):e15-e30. doi: 10.1097/AOG.0000000000002456. Available from: PMID: 29266076
- tomonite編集部. 【医師監修】妊娠初期症状やつわりがないことはある?生理が… [インターネット]. 2024 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://tomonite.com/articles/7726
- naturaltech編集部. 妊娠初期症状がない人の特徴とは?症状がなくても妊娠の可能性は… [インターネット]. 2023 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://brands.naturaltech.jp/media/mitas-series/columns/noearlypregnancysymptoms-feature
- MSDマニュアル プロフェッショナル版. 多嚢胞性卵巣症候群(PCOS). [インターネット]. [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.msdmanuals.com/ja-jp/professional/18-%E5%A9%A6%E4%BA%BA%E7%A7%91%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E7%94%A3%E7%A7%91/%E6%9C%88%E7%B5%8C%E7%95%B0%E5%B8%B8/%E5%A4%9A%E5%9A%A2%E8%83%9E%E6%80%A7%E5%8D%B5%E5%B7%A3%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4-pcos
- 厚生労働省. 妊婦健診. [インターネット]. [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/boshi-hoken13/dl/02.pdf
- 厚生労働省. 母子健康手帳、母子保健情報等に関する資料. [インターネット]. 2022 [引用日: 2025年7月23日]. Available from: https://www.mhlw.go.jp/content/11908000/000942846.pdf