妊娠中の歌う楽しみ:科学が解き明かす、お母さんの声が赤ちゃんに届ける幸福のシンフォニー
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妊娠中の歌う楽しみ:科学が解き明かす、お母さんの声が赤ちゃんに届ける幸福のシンフォニー

母親がお腹の赤ちゃんに歌いかけるという行為は、時代や文化を超えて見られる、きわめて直感的で普遍的な愛情表現です。この「歌う」というシンプルな行為が、単なる情緒的な習慣にとどまらず、母子の心と体に深く、そして測定可能な形で良い影響を与えることが、最新の科学研究によって次々と明らかにされています。「妊娠中の歌う楽しみは、お母さんの幸せが赤ちゃんにも届く」という言葉は、もはや詩的な表現ではなく、科学的な真実となりつつあります。かつて日本で「胎教」という言葉が広まった当初は、お腹の赤ちゃんを早期に教育し、優れた能力を育むという「英才教育」の側面が強調されることもありました。しかし、胎児学や神経科学の進歩により、その概念は大きく進化しています。現代の胎教の核心は、お母さんが心身ともにリラックスした状態で過ごすことで、その穏やかな幸福感が赤ちゃんにも伝わり、健やかな発育と親子の深い絆を育むという、よりホリスティックなアプローチに移行しています1。本稿では、JapaneseHealth.org編集委員会が、この新しい胎教観に基づき、妊娠中に歌うことの多面的な効果を科学的知見を交えながら深く掘り下げていきます。赤ちゃんがいつから、どのように音の世界を認識するのかを解き明かし、お母さん自身が歌うことで得られる心身の恩恵、そしてお母さんの声が持つ特別な力が赤ちゃんの脳や発達に与える持続的な影響を検証します。そして最後に、すべての妊婦さんが自信を持って、喜びに満ちた「歌う胎教」を実践できるよう、包括的な情報を提供します。

この記事の要点まとめ

  • 赤ちゃんの聴覚は妊娠24週~26週頃には十分に発達し、子宮の外の音、特に母親の声を認識し始めます2
  • 妊婦が自ら歌うことは、単に音楽を聴くよりも、ストレスホルモン(コルチゾール)の減少と気分の改善に有意に大きな効果があることが科学的に示されています3
  • 歌唱は「愛情ホルモン」であるオキシトシンの分泌を促し、母親自身の自己効力感(自信)を高める効果も確認されています3
  • 母親の「生」の歌声は、新生児の脳活動を「鎮静化」させる独特の効果がありますが、CDなどのデジタル音源は脳を「活性化」させる傾向があり、その違いが日本の研究で示されています4
  • 胎教に「最高の音楽」はなく、クラシック音楽に特別な効果があるという根拠は乏しいです5。お母さん自身が心からリラックスし、楽しめる曲が赤ちゃんにとって最も良い音楽です。

第1章 胎児の感覚世界の幕開け:あなたの声はこうして届いている

お腹の赤ちゃんが音を「聞く」能力は、私たちが想像するよりもずっと早い段階から、驚くべきプロセスを経て発達します。この生物学的なタイムラインを理解することは、歌いかけるという行為が、いつ、どのように赤ちゃんの世界に意味を持ち始めるのかを知るための鍵となります。

1.1. 聴覚が発達するまでの科学的タイムライン

胎児の聴覚器官の発達は、妊娠初期から着実に進んでいきます。米国の医学情報サイトHealthlineが提供する情報によると、その過程は以下の通りです2

  • 妊娠4週~9週: 妊娠初期、胎児の顔や脳、そして耳や目となる部分の細胞が形成され始めます。この段階ではまだ音を聞くことはできませんが、聴覚という精巧なシステムのための基礎が静かに築かれています。
  • 妊娠18週: 重要な節目となるこの時期に、赤ちゃんの耳の内部構造と、脳で音を処理する神経終末が十分に発達し、初めての音を感知できるようになります。
  • 妊娠24週~26週: 聴覚はさらに鋭敏になり、お母さんの体内の音だけでなく、子宮の外の世界の音も聞こえ始めます。この時期になると、外からの声や物音に心拍数を変化させるなどの反応を示すようになり、意図的な胎教を始めるのに最適な「機会の窓」が開かれます。
  • 妊娠後期(妊娠27週以降): 聴覚システムはほぼ成人と同レベルまで発達します。この段階では、単に音が聞こえるだけでなく、異なる声を区別し、特にお母さんの声を明確に認識し、それに選好を示すようになります。

多くの育児情報で胎教の開始時期として妊娠6~7ヶ月頃が推奨されているのは、決して偶然ではありません6。この推奨時期は、胎児の聴覚と脳が、単に音を感知するだけでなく、特定の複雑な音(例えば母親の声)を認識し、記憶し、意味のある反応を示すレベルまで成熟する科学的なタイムラインと完全に一致しているのです。

1.2. 子宮内のサウンドスケープ:リズムとメロディーに満ちた世界

胎児が過ごす子宮の中は、無音の空間ではありません。むしろ、生命のリズムと音に満ちた豊かな環境、いわば最初の「音響空間(サウンドスケープ)」です。

  • 体内の音: 赤ちゃんが常に聞いているのは、お母さんの心臓の規則正しい鼓動、呼吸音、血流の音、消化器系の活動音といった「内部の音」です。このリズミカルで絶え間ない音環境は、赤ちゃんにとって根源的な安心感をもたらします。
  • 外部の音: 子宮の外からの音は、羊水や母体の組織によってフィルターがかかり、音量がおよそ半分に減衰して聞こえます。この自然のフィルターは、高周波の鋭い音を和らげる一方、人の声や歌の抑揚やリズムといった比較的低い周波数の音は通過させやすい特性があります。
  • お母さんの声という特例: 他の外部の音と異なり、お母さんの声は、空気中を伝わって届く音(外部伝達)と、自身の骨や体組織の振動を通して直接伝わる音(内部伝達)の両方で赤ちゃんに届きます1。この二重の伝達経路により、お母さんの声は子宮内の他のどの音よりも明瞭で際立った存在となり、その強力な影響力の源となっています。

この子宮内の音環境は、赤ちゃんにとって最初の音楽であり、最初の言語教室でもあります。絶え間ない心音のリズムと、言葉の意味は分からなくとも母親の声が持つメロディ(専門的にはプロソディと呼ばれます)に包まれることで、赤ちゃんの脳は生まれる前から音楽(リズム、テンポ)と⾔語(抑揚、イントネーション)の基本的な要素を学び始めています。したがって、妊娠中に歌うことは、音楽を「初めて聞かせる」のではなく、すでに始まっている音楽的・言語的な学習環境を、愛情豊かに「深化させる」行為なのです。

第2章 お母さんの声:認識と発達を促す特別なシンフォニー

胎児がお母さんの声を単に聞いているだけでなく、積極的に聴き、記憶し、そして特別なものとして認識していることを示す科学的証拠は数多く存在します。その声は、赤ちゃんの脳と心の発達を促す、まさにシンフォニーのような役割を果たしています。

2.1. 胎児が「認識」している科学的証拠

近年の研究は、胎児の驚くべき学習能力を明らかにしています。

  • 生理学的反応: 研究によると、胎児はお母さんの声に心拍数を変化させて反応します。多くの場合、心拍数は穏やかに低下し、これはリラックスや「定位反応」(注意を向けている状態)を示唆します。この反応は特異的で、知らない人の声に対しては同様の変化が見られないことが確認されており、胎児が声の主を区別していることを示しています。
  • 記憶と選好: 生後わずか数日の新生児が、他の女性の声よりも母親の声を明らかに好むことは、数々の研究で示されています。さらに有名な実験では、胎内で繰り返し聞かされた特定の物語の一節や歌を認識し、おしゃぶりを吸うパターンを変化させることで、その記憶を示しました。これは、学習と記憶が出生前から活発に行われていることの動かぬ証拠です。

2.2. 「マザリーズ(母親語)」:絆を紡ぐ生得的な音楽

お母さんが赤ちゃんに語りかけるとき、その声は自然と特別な性質を帯びます。この「マザリーズ」または「ペアレンティーズ(対乳児発話)」と呼ばれる話し方は、それ自体が音楽的な特徴を持っています。

  • 音響的特徴: マザリーズは、通常よりも高いピッチ、大きな抑揚、ゆっくりとしたテンポ、長めの間、そしてメロディのような滑らかなイントネーションが特徴です。本質的に、それは歌に近いスピーチと言えます。
  • 母親の脳への影響: ある脳画像研究では、母親がマザリーズで話すとき、脳の言語野が強く活性化することが示されました7。これは、マザリーズが単なる「赤ちゃん言葉」ではなく、愛情を伝えようとする深く根差した、情動的なコミュニケーションの試みであることを物語っています。
  • 言語習得の礎: マザリーズの誇張された抑揚は、乳児が連続的な音声の中から単語の区切りを見つけ、コミュニケーションの感情的なトーンを学ぶのを助けます。これは、言語を習得するための重要な「足がかり」となります7

お母さんの声は、単に心地よい音響刺激であるだけでなく、胎児と新生児の脳を形成する上で積極的な役割を果たす「神経発達ツール」です。特に、早産児を対象とした研究では、母親の声に触れることで神経発達の速度が向上し、経口哺乳のスキルさえも改善することが示されています。歌うことは、この生物学的な「セラピー」を、構造的かつ感情豊かに届ける理想的な手段なのです。
お父さんの役割: 母親の声が主役である一方で、お父さん(またはパートナー)の役割も非常に重要です。胎児は妊娠後期には外部の声を区別でき、お父さんの声も認識できることが複数の研究で示唆されています。お父さんが一貫して話しかけたり歌ったりすることもまた、赤ちゃんの学習に貢献し、生まれてからの絆の礎を築く、価値あるコミュニケーションとなります。

第3章 歌の科学:妊婦にもたらされる測定可能な恩恵

妊娠中に歌うことのメリットは、情緒的な満足感だけではありません。それは、ストレスレベルの低下や幸福感の増大として、科学的に測定できる具体的な生理学的変化をもたらします。

3.1. 妊娠中の不安に対する非薬物的な処方箋

妊娠期間は喜びに満ちていると同時に、多くの女性にとって大きな不安を伴う時期でもあります。ストレスホルモンであるコルチゾールの高いレベルは、母体と胎児の両方に悪影響を及ぼす可能性があり、多くの妊婦が薬物を用いない安全な介入を望んでいます。
この点で、音楽と歌唱の効果は科学的に高く評価されています。2024年に発表されたあるシステマティック・レビューでは、33件ものランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)を分析した結果、音楽療法が妊婦の一時的な不安(状態不安)と持続的な不安(特性不安)の両方を一貫して有意に減少させることが結論付けられました8。これは、音楽が不安管理のための有効な手段であることを示す、非常に強力なエビデンスレベルです。
さらに注目すべきは、ヴルフ(Wulff)らが2021年に発表した、歌唱グループ、音楽聴取グループ、対照グループを直接比較したRCTです3。その結果は驚くべきものでした。自ら歌う「歌唱グループ」は、単に音楽を聴くだけの「音楽聴取グループ」と比較して、唾液中のコルチゾール(主要なストレスホルモン)が有意に大きく減少し、気分の改善(快感情)もより大きいと報告されたのです3。これは、能動的に歌うという行為そのものが、受動的な聴取を上回るストレス軽減効果を持つことを示唆しています。

3.2. 絆と幸福感のホルモン・シンフォニー

歌うことの恩恵は、体内のホルモンレベルの変化としても測定できます。

  • コルチゾールの減少: 前述の通り、歌うという行為はストレスホルモンのレベルを積極的に低下させます3。高い母体コルチゾール値は胎児の発達上の問題と関連しているため、歌うことによるストレス軽減は、胎児に対する直接的な保護効果を持つ可能性があります。
  • オキシトシンの増加: ヴルフらの研究では、歌唱と音楽聴取の両方が、唾液中のオキシトシンを有意に増加させることも発見されました3。オキシトシンは「愛情ホルモン」や「絆ホルモン」として知られ、社会的な絆、母性行動、そして親密な感情に不可欠です。歌うことは、この赤ちゃんと感じる絆を深めるホルモンの放出を直接的に刺激するのです。
  • 自己効力感の向上: 同研究において、歌唱グループは数週間にわたり、一般的な自己効力感(自分の能力で物事を成し遂げられるという信念)が有意に向上したことも示されました3。これは、歌うという行為が母親に自信を与え、育児という新たな挑戦に対する力を育む可能性を示唆しています。

これらの臨床研究から得られた主要な知見を以下の表にまとめます。

妊娠中の歌唱および音楽聴取に関する主要な臨床研究の知見
研究 (年) & 出典 介入の種類 主要な測定項目 定量的結果 妊婦への示唆
Wulff et al. (2021)3 グループ歌唱 vs 音楽聴取 ストレス (唾液コルチゾール) 歌唱グループは音楽グループよりも有意に大きなコルチゾール減少を示した (p=0.001)。 能動的に歌うことは、音楽を聴くだけよりも生理的ストレスを効果的に軽減する。
Wulff et al. (2021)3 グループ歌唱 & 音楽聴取 絆 (唾液オキシトシン) 両グループともセッション後にオキシトシンレベルが有意に増加した。 歌唱や音楽聴取は、赤ちゃんと感じる絆を生物化学的に強化することができる。
Wulff et al. (2021)3 グループ歌唱 自信 (一般的自己効力感) 歌唱グループは数週間で自己効力感が有意に向上した。 定期的に歌うことは、母親としての能力に対する自信を育むことができる。
システマティック・レビュー (2024)8 音楽療法 (多種) 不安 (状態不安 & 特性不安) 33件のRCTを通じて一貫して有意な不安の軽減が示された。 音楽療法は、妊娠関連の不安を管理するための科学的に検証された効果的な非薬物的アプローチである。

これらの効果は一方通行ではありません。お母さんが歌うことで、自身のコルチゾールが低下しオキシトシンが増加し、穏やかでつながりを感じる状態になります。その歌声は子宮内の赤ちゃんに届き、赤ちゃんの心拍数を安定させ、穏やかな状態へと導きます。お母さんは、その穏やかな胎動を通じて赤ちゃんの状態を感知し、それがさらにお母さん自身の幸福感を高めるという、ポジティブな循環が生まれます。これは、内分泌学、神経生物学、愛着理論が交差する「出生前の共同調整(コ・レギュレーション)」の始まりであり、母子関係のまさに最初の礎が築かれる瞬間なのです。

第4章 子宮から世界へ:子どもへの持続的な影響

歌う胎教の効果は、新生児の脳活動を直接観察した日本のユニークな研究によって、より具体的に示されています。その影響は、新生児期を過ぎても持続する可能性が示唆されています。

4.1. 穏やかな脳:新生児への影響を可視化する

東京福祉大学の岡村弘教授が主導した一連の科学研究費助成事業(KAKEN)では、近赤外分光法(Near-Infrared Spectroscopy, NIRS)という、脳の血流変化を測定することで活動状態を可視化する先進技術が用いられました4。この研究がもたらした発見は、母親の歌声が持つ特別な力を浮き彫りにします。

  • 主要な発見: 新生児がお母さんの生の歌声や、アナログな音であるオルゴールの音を聴くと、脳活動は「沈静化する傾向」を示しました。対照的に、CDなどのデジタル音源を聴いた場合は、脳が「活性化する傾向」が見られたのです4

この結果は、お母さんの自然な声が持つ独特の鎮静効果を、神経学的に直接証明した画期的なデータです。生の声には、音程や音色の微細な揺らぎ、そして母親の身体から伝わる物理的な振動といった、無限のニュアンスが含まれています。これはしばしば「1/fゆらぎ」として言及される、自然界の音に共通する心地よい不規則性です6。デジタル録音は、明瞭ではあっても、その有機的な複雑さと直接的な物理的つながりを欠いています。このことは、新生児を落ち着かせるという目的においては、音の「質」と「源」が極めて重要であることを示唆しており、母親自身が歌うことの価値を強力に裏付けています。

4.2. 長期的な発達上の恩恵

岡村教授らの研究は、音楽胎教の効果が長期にわたる可能性も示唆しています。

  • 発達指数の向上: 同研究において、音楽胎教を受けた乳児は、実年齢が1歳の時点で、平均して1.2歳の発達年齢を示し、測定可能な発達上のアドバンテージがあることが示唆されました4
  • 母親による実感: 研究に参加した母親の70%以上が胎教の効果を実感しており、「夜泣きが少ない」「子育てがしやすい」といった具体的な報告をしています4。また、胎内で聴いていた歌を聴かせると赤ちゃんが落ち着く、という体験談も多く寄せられており、これは出生前の記憶に関する科学的知見と一致するものです。

第5章 能動的な声、より深い絆:なぜ歌唱は聴取を凌駕するのか

これまでのエビデンスを統合すると、なぜ自ら歌うことが単に音楽を聴くことよりも優れた効果をもたらすのか、その理由が明らかになります。それは生理学的、心理学的な複数の要因が組み合わさった結果です。

5.1. 歌うことの生理学

歌うという身体的な行為そのものが、ユニークな恩恵をもたらします。

  • 呼吸と身体の調整: 歌唱は、深くコントロールされた呼吸(腹式呼吸)を必要とします。この呼吸法自体が、心拍数や血圧を下げることが知られている強力なリラクゼーション技法です。つまり、歌うことは自然とリラクゼーションを実践していることになります。
  • 振動という特別な刺激: 歌うことで生じる声の振動は、母親の胸郭や腹部を通じて内部から伝わり、聴覚的な刺激に加えて、直接的な触覚刺激を胎児に与えます。これは、単に音楽を聴くだけでは決して得られない、より豊かで多感覚的な体験です。

5.2. 能動的参加の心理学

音楽の消費者であるだけでなく、創造者になることには、感情的・認知的な利点があります。

  • 主体性とエンパワーメント: ヴルフらの研究で示されたように、能動的な歌唱は自己効力感を高めます3。これは、受動的に何かを受け取るよりも、自ら創造し与えるという行為がもたらす力です。母親としての自信を育む上で重要な要素となります。
  • 豊かな感情表現: 歌うことは、プレイリストを選ぶだけの場合よりも、はるかに直接的でニュアンスに富んだ感情表現を可能にします。母親は、愛や希望、優しさといった感情を、歌声に直接込めて赤ちゃんに届けることができるのです。

結論として、歌うことは単なる「メンタルヘルス」活動ではなく、統合的な「心身医療」の実践と言えます。それは心理的(不安軽減)、生理学的(呼吸制御)、内分泌学的(ホルモン調整)、そして神経学的(脳活動への影響)な要素を同時に内包しています7。一つのシンプルな行為が、複数のシステムにまたがる恩恵をもたらす、きわめて効率的でパワフルな周産期のウェルネスツールなのです。

第6章 あなただけの妊娠セレナーデ:実践ガイド

科学的な根拠を理解した上で、次はそれを日々の生活に楽しく、そして安全に取り入れるための実践的なヒントをご紹介します。

6.1. いつから始める?

早すぎたり遅すぎたりすることはありませんが、意図的な歌唱や胎教を始めるのに理想的な時期は、赤ちゃんの聴覚が十分に発達し、反応を示し始める妊娠20週から24週頃です1。もちろん、それ以前から始めても、お母さん自身のリラックス効果は十分に期待できます。

6.2. 何を歌う? 「最高の音楽」は「あなたの音楽」

「モーツァルトを聴かせると賢くなる」という、いわゆる「モーツァルト効果」を耳にしたことがあるかもしれません。しかし、多くの専門家は、これを支持する科学的根拠は乏しいか、存在しないと指摘しています5。胎教における黄金律は、「お母さん自身がリラックスできること」です。お母さんが音楽を心から楽しみ、幸せな気持ちになれば、そのポジティブな感情状態こそが赤ちゃんにとって最大の恩恵となります6。ポップス、ロック、ジャズ、演歌、アニメソング、わらべ歌など、ジャンルは一切問いません。あなたが好きで、心地よいと感じる曲が、あなたと赤ちゃんにとっての「最高の音楽」です。

6.3. どうやって歌う? シンプルに、楽しく、安全に

  • 「歌が苦手」という不安について: これは非常によくある心配ですが、どうかご安心ください。赤ちゃんは音楽評論家ではありません。赤ちゃんが反応しているのは、ピッチの正確さや歌唱技術ではなく、慣れ親しんだ愛情のこもった母親の声そのものです。大切なのは完璧なパフォーマンスではなく、心を込めることです。
  • 日常生活への統合: 特別な時間を設ける必要はありません。家事をしながら、お風呂の中でリラックスしながら、あるいは寝る前のひとときに、ハミングするだけでも十分です。
  • カラオケやコンサートの注意点: これらは素晴らしいストレス解消法になり得ますが、いくつかの注意点があります。産婦人科医の監修記事によると、特に、長時間にわたる非常に大きな音(115デシベル以上、例えばスピーカーのすぐ近くなど)は避けることが推奨されます9。また、楽な姿勢を保ち、過度な興奮(子宮収縮を引き起こす可能性)を避け、こまめな水分補給を心がけ、そして必ず禁煙環境を選ぶことが重要です9

6.4. パートナーとのデュエット:家族みんなで楽しむ

赤ちゃんはお父さんなどパートナーの声も認識できます。パートナーにも積極的に話しかけたり、一緒に歌ったりしてもらいましょう。これは赤ちゃんがその声に慣れるのを助けるだけでなく、お母さんへの重要な精神的サポートとなり、赤ちゃんが生まれる前から家族としての絆を強める素晴らしい機会となります。

結論:母子の絆が奏でる永遠のハーモニー

本稿で検証してきたように、妊娠中に歌うことは、単なる気休めや伝統的な習慣ではなく、科学的に裏付けられた強力なウェルネスツールです。それは、お母さんのストレスを化学的に軽減し、胎児の穏やかな神経発達を促し、そして出生後の強い愛着関係の礎を築くという、三つの効果を同時に達成します。
お母さんが歌うときに感じる喜びは、単なる感情ではありません。それは、コルチゾールの低下とオキシトシンの増加という、ポジティブな生理学的・心理的変化の連鎖であり、その恩恵は直接赤ちゃんへと届けられます。歌うことは、愛であり、コミュニケーションであり、そして母子間の最初の共同調整(コ・レギュレーション)なのです。
最も大切なのは、完璧なパフォーマンスではなく、愛に満ちたあなたの声です。どうかご自身の直感を信じ、その声が持つシンプルで偉大な力を受け入れ、この素晴らしい妊娠という旅路において、赤ちゃんとつながるユニークな方法を心から楽しんでください。あなたの歌声は、あなたと赤ちゃんだけの、かけがえのないハーモニーを奏でるのですから。

免責事項
本記事は情報提供を目的としたものであり、専門的な医学的アドバイスに代わるものではありません。健康上の懸念がある場合、または治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

参考文献

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  6. 胎教におすすめの音楽は?始めるタイミングやメリットなどを解説! [インターネット]. ベビレンタ. 2023 [引用日: 2025年6月21日]. Available from: https://babyrenta.com/blog/article/4730/
  7. 聴かせるだけが胎教じゃない! ママにも赤ちゃんにも有効な「歌う」胎教のすごいパワー [インターネット]. DAM. [引用日: 2025年6月21日]. Available from: https://www.dkkaraoke.co.jp/singing/songpower/topics21.html
  8. Arslan G, Ozturk M, Dinc E, et al. Effect of Music Therapy on Anxiety in Pregnancy: A Systematic Review and Meta-Analysis of Randomized Controlled Trials. J Midwifery Womens Health. 2024. doi:10.1111/jmwh.13658. PMID: 38658428.
  9. 【医師監修】妊婦のカラオケ、赤ちゃんへの影響は? 注意したい4つのこと [インターネット]. マイナビ子育て. 2022 [引用日: 2025年6月21日]. Available from: https://kosodate.mynavi.jp/articles/7770
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