妊娠中の消化不良、どうすれば楽になる？【医師監修】安全で簡単なセルフケア大全

第1章：これって「つわり」？それとも「消化不良」？症状の正しい見分け方

多くの妊婦さんが、妊娠中に経験する胃腸の不快感をひとくくりに「つわり」と呼ぶことがあります。特に、妊娠後期にぶり返す不快な症状を「後期つわり」と表現することも一般的です。²⁴しかし、医学的には、妊娠初期に多い吐き気や嘔吐を中心とした症状と、中期から後期にかけて顕著になる胃もたれや胸やけは、その原因や最適な対処法が異なります。この違いを理解することは、ご自身の状態を正しく把握し、より効果的なセルフケアを行うための第一歩です。
一般的に、日本で「つわり」と呼ばれる症状は、妊娠初期（おおよそ妊娠5週から16週頃）にピークを迎える吐き気や嘔吐、食欲不振などを指します。¹⁵これは主に、hCG（ヒト絨毛性ゴナドトロピン）というホルモンの急激な増加が関係していると考えられています。¹¹
一方で、「消化不良（shōkafuryō）」はより広い意味を持ち、以下のような多様な症状を含みます。これらは妊娠中期から後期にかけて、別のメカニズムによって引き起こされることが多いのです。

• 胸やけ（muneyake）: 食後に胸のあたりが焼けるように熱く感じる症状。酸っぱいものがこみ上げてくる感じ（呑酸・donsan）を伴うこともあります。⁶
• 胃もたれ（imotare）: 食べたものがずっと胃の中に残っているような重苦しい感覚。⁵
• 膨満感・げっぷ（bōmankan, geppu）: お腹が張って苦しい感じや、頻繁に出るげっぷ。⁸
• 胃痛（itsū）: 胃のあたりがキリキリと痛むこと。⁴

「つわりが終わったはずなのに、最近食後に胸が焼けるように痛いんです」。妊娠7ヶ月のAさんのように、妊娠後期に新たな消化器の悩みに直面する方は少なくありません。これは「後期つわり」というよりも、むしろ「妊娠関連の消化不良」や「逆流性食道炎」と捉える方が、原因を理解しやすく、的確な対策につながります。まずはご自身の症状がどちらに近いか、下のチェックリストで確認してみましょう。

第2章：なぜ起こるの？妊娠中の消化不良、2つの大きな原因

妊娠中のつらい消化器症状は、赤ちゃんを育むためにあなたの体が懸命に働いている証拠でもあります。その原因は、主に「ホルモンの影響」と「物理的な圧迫」という2つの要因が複雑に絡み合って生じます。¹³ このメカニズムを理解することで、なぜ特定の対策が有効なのかが分かり、安心してセルフケアに取り組むことができます。

2-1. ホルモンの影響：消化のスピードがゆっくりに

妊娠を維持するために不可欠な「プロゲステロン」という女性ホルモンが、消化不良の主な引き金となります。¹ プロゲステロンには、子宮の筋肉が収縮するのを防ぎ、妊娠を安定させる働きがありますが、この作用が消化器系の筋肉（平滑筋）にも影響を及ぼします。

• 消化管の動きが鈍くなる（蠕動運動の低下）: プロゲステロンの影響で、食べ物を胃から腸へと送り出す筋肉の収縮（蠕動運動）が緩やかになります。¹ 消化のスピードが遅くなるため、食べたものが胃に長く留まり、胃もたれや膨満感、便秘といった症状を引き起こしやすくなります。³
• 胃の入り口が緩む（下部食道括約筋の弛緩）: 食道と胃の間には、胃酸の逆流を防ぐ「下部食道括約筋（LES）」という筋肉の弁があります。プロゲステロンはこの弁も緩めてしまうため、胃酸が食道に逆流しやすくなります。⁶ これが、胸やけや呑酸の直接的な原因です。

この状態を例えるなら、「あなたの消化管という川の流れが（プロゲステロンによって）緩やかになり、胃への門が少し緩んでいる」ようなものです。この2つの変化が、食べ物の「渋滞」と胃酸の「逆流」を引き起こすのです。

2-2. 大きくなる子宮の影響：胃への物理的な圧迫

妊娠中期から後期にかけては、ホルモンの影響に加えて、物理的な要因が症状をさらに悪化させます。¹² 赤ちゃんの成長とともに子宮が大きくなると、胃や腸が物理的に圧迫されます。³

• 胃が押し上げられる: 大きくなった子宮が胃を押し上げることで、胃の内容物が食道に逆流しやすくなり、胸やけが悪化します。⁸ 一度にたくさんの量を食べられなくなるのもこのためです。
• 腸が圧迫される: 腸が圧迫されることで、便の通りが悪くなり、ホルモンの影響で既に起こりやすくなっている便秘がさらに深刻になることがあります。³

研究によると、逆流性食道炎（GERD）の症状を経験する妊婦の割合は、妊娠初期の26%から、中期には36%、後期には51%にまで増加すると報告されています。¹¹ このように症状が妊娠週数とともに悪化する傾向は、ホルモンの影響と物理的な圧迫の両方が増大することと直接的に関連しています。

第3章：今日からできる！食事と生活習慣の改善法

つらい消化不良の症状は、日々の少しの工夫で大きく改善することがあります。ここでは、米国産科婦人科学会（ACOG）などの国際的なガイドラインでも第一選択として推奨されている、食事と生活習慣の改善法を具体的にお伝えします。⁶¹⁷

3-1. 食事のとり方を変える5つの基本ルール

一度に食べる量や食べ方を変えるだけで、胃への負担を劇的に減らすことができます。

1. ルール1：食事を小分けにする（少量・頻回食）: 胃を一度に満杯にしないことが最も重要です。1日3食の代わりに、5〜6回の少量の食事に分けてみましょう。⁵ これにより、胃酸の逆流を防ぎ、消化を助けます。
2. ルール2：よく噛む: 唾液には消化酵素が含まれており、よく噛むことで消化の第一段階が促進されます。¹² また、早食いは空気を一緒に飲み込みやすく、げっぷやお腹の張りの原因になるため、ゆっくり時間をかけて食べることを意識しましょう。
3. ルール3：食後すぐに横にならない: 食後少なくとも1〜2時間は、座ったり立ったりして、上半身を起こした姿勢を保ちましょう。⁷ 重力を味方につけて、胃酸が食道に逆流するのを防ぎます。
4. ルール4：水分は食事の合間に摂る: 食事中に大量の水分を摂ると、胃酸が薄まり、胃が膨れて逆流しやすくなります。¹² 水分補給は大切ですが、なるべく食事と食事の間に摂るようにしましょう。
5. ルール5：ゆったりした服を着る: お腹周りを締め付ける服装は、腹圧を高め、胃を圧迫して逆流を引き起こす原因になります。¹² マタニティウェアなど、ゆったりとした服装を選びましょう。

3-2. 妊娠中の消化を助ける「和の食材」

「消化に良いものを」と言われても、具体的に何を食べればよいか迷うかもしれません。ここでは、厚生労働省が推奨するバランスの取れた食事の考え方を基本に³²、日本の食生活で馴染み深い食材を中心に、消化不良の際におすすめの食べ物と控えたい食べ物をまとめました。

3-3. 姿勢と睡眠の工夫

日中の姿勢や寝るときの体勢も、逆流を防ぐ上で非常に重要です。

• 良い姿勢を保つ: 猫背になると腹部が圧迫されます。日中は背筋を伸ばすことを意識しましょう。²
• 左側を下にして寝る: 胃の形状から、左側臥位（左側を下にして寝る）は、胃酸が食道に逆流しにくい体勢であるとされています。⁷
• 上半身を高くして寝る: 枕を重ねたり、ベッドの頭側の下に本などを挟んだりして、上半身を15〜20cm程度高くすると、重力によって胃酸の逆流が効果的に防げます。⁷

第4章：症状別！ピンポイント対策ガイド

つらい症状が出たときに、すぐに試せる具体的なアクションを知っておくと安心です。ここでは、よくある症状別に、最初に行うべきシンプルな対策をまとめました。これは、ユーザーフォーラムなどで見られる不安を和らげるための「まず何をすべきか」という問いに答えるものです。²²

第5章：薬は使ってもいい？安全な市販薬と漢方の知識

【最重要】自己判断で薬を服用する前に、必ずかかりつけの産婦人科医に相談してください。
妊娠中の薬の使用は、赤ちゃんの安全を最優先に考える必要があります。「自然由来だから」「市販薬だから」といって安全とは限りません。以下の情報は、医師と相談する際の参考知識としてご活用ください。

生活習慣の改善だけでは症状が改善しない場合、医師は薬の使用を検討することがあります。日本で入手可能な薬にはいくつかの種類があります。

その他、症状が重い場合には、医師の判断でH2ブロッカーやプロトンポンプ阻害薬（PPI）といった、より強力な胃酸分泌抑制薬が処方されることもあります。これらは安全に関するデータが存在しますが、必ず専門家の指導のもとで使用されるべきです。⁶

第6章：こんな時は病院へ。受診の目安

ほとんどの妊娠中の消化不良は生理的なもので、赤ちゃんに直接害を及ぼすことはありません。しかし、中には注意が必要なサインもあります。以下の症状が見られる場合は、自己判断せず、かかりつけの産婦人科に連絡し、指示を仰いでください。

• 水分も全く受け付けないほどの激しい嘔吐¹¹
• 体重が妊娠前より5%以上減少した（日本産科婦人科学会のガイドラインにおける妊娠悪阻の一つの基準）³¹
• つわりとは違う、我慢できないほどの強い腹痛がある
• 尿の色が濃くなる、量が極端に減るなど、脱水症状のサインがある¹¹
• 嘔吐物に血が混じっている
• 高熱を伴う腹痛や下痢がある

特に注意すべき点として、まれに強い吐き気や腹痛が、妊娠糖尿病（GDM）に関連する合併症の兆候である可能性も指摘されています。³⁹ JSOGのガイドラインでも、診断されていない、またはコントロールが不十分な糖尿病では、このような症状が現れることがあると注意喚起されています。³¹ いつもと違う強い症状を感じた場合は、「ただの消化不良」と軽視せず、母子双方の安全のために専門家による診察を受けることが極めて重要です。

結論

妊娠中の消化不良は、多くの妊婦さんが経験する非常によくある悩みです。その原因は、妊娠を維持するために不可欠なホルモンの変化と、赤ちゃんの成長に伴う物理的な圧迫にあり、決してあなたのせいではありません。この記事で解説したように、食事を小分けにしたり、消化に良い食材を選んだり、姿勢を工夫したりといった日々の小さなセルフケアを積み重ねることで、症状を大きく和らげることが可能です。何よりも大切なのは、ご自身の体の声に耳を傾け、無理をしないことです。そして、つらい症状を一人で抱え込まず、激しい症状や不安なことがある場合は、ためらわずに専門家であるかかりつけの産婦人科医に相談してください。あなたのマタニティライフが、健やかで喜びに満ちたものになるよう、心から応援しています。