妊娠中の痔、一人で悩まないで。専門家が原因・セルフケア・安全な治療法を徹底解説

なぜ妊娠すると痔になりやすいのか？ 主な原因を徹底解剖

妊娠中の痔は、単一の原因ではなく、生理的、機械的、そして心理的な要因が母親の体に同時に作用する「パーフェクトストーム」の結果として発生します。これらの原因を深く理解することが、効果的な予防と管理の第一歩となります。

妊娠に伴う身体の三大生理的変化

女性の体は、新しい命を育むために驚くべき変化を遂げます。そして、まさにその変化こそが、痔の主な引き金となるのです。

• ホルモンの影響：妊娠を維持するために不可欠なホルモンであるプロゲステロン（黄体ホルモン）の分泌量が、妊娠中に急増します⁴。プロゲステロンには全身の静脈の壁を弛緩させる作用があり、血管が腫れやすくなります⁴。同時に、腸の蠕動（ぜんどう）運動を鈍らせるため、痔の最大の「犯人」の一つである便秘を直接引き起こします⁵。
• 血液量の増加と子宮による圧迫：胎児に十分な栄養を届けるため、母体の総血液量は約40〜50%も増加します⁵。それと同時に、日に日に大きくなる子宮（増大した子宮）が、骨盤内の大きな静脈（下大静脈など）や腸を圧迫します²。この圧迫が下半身から心臓への血流を妨げ、肛門周辺の静脈に血液が滞留する「うっ血」を引き起こし、痔核を形成するのです。
• 血液凝固因子の増加：あまり知られていませんが、母体は出産時の失血を最小限に抑えるため、準備として血液を固まりやすくする物質の産生を自動的に増やします。この自己防衛メカニズムの副作用として、血栓（血の塊）が形成されるリスクが高まり、血栓性外痔核（けっせんせいがいじかく）と呼ばれる非常に痛みを伴うタイプの外痔核を引き起こすことがあります⁶。

便秘という悪循環

便秘は単なる不快な症状ではなく、痔を著しく悪化させ、助長する要因です。妊娠中の便秘は、ホルモンによる腸の動きの低下、子宮による物理的な圧迫、運動不足、そして妊婦用のビタミンサプリに含まれる鉄剤の副作用などによって引き起こされます⁷。
この悪循環には心理的な側面も大きく関わっています。多くの妊婦さんは、「いきむと赤ちゃんに影響してしまうのでは」という不安を抱えています²。この恐怖心から排便を我慢する傾向が生まれ、便が腸内に長く留まることで、さらに水分が失われ硬くなります。その結果、次回の排便はさらに困難になり、より強く力む必要が生じ、便秘と痔を悪化させる負のスパイラルに陥ってしまうのです。

とどめの一撃：出産時のいきみ

分娩時の「いきみ」は、肛門周辺部にとって最後の試練となります。出産時のいきむ力は、通常の排便時とは比べものにならないほど強力です。この極度の圧力が、新たに痔核を形成させたり、既存の痔核を急激に悪化させたりすることがあります²。これが、産後に初めて痔を発症する女性が多い理由です。

自分でできる症状チェック：妊娠中に多い痔の種類

痔は、その発生場所と症状によって分類されます。一般的な痔の種類を理解することで、ご自身の状態を把握し、医師とより効果的にコミュニケーションをとることができます。

主な3つの痔のタイプ

• いぼ痔（内痔核）：直腸の内部、歯状線よりも上に形成されます。この領域には痛覚神経が少ないため、通常は痛みを伴いません⁸。主な症状は出血（排便時に鮮血が紙につく、または便器に滴る）と、脱肛（だっこう）です。脱肛とは、排便時に痔核が肛門の外に飛び出す状態を指します。内痔核は、肛門内部の「静脈叢（じょうみゃくそう）」から発生します¹。
• いぼ痔（外痔核）：肛門周辺の皮膚の下に形成されます。この領域には多くの知覚神経が通っているため、痛み、かゆみ、不快感を伴うことが一般的です⁸。時には痔核内に血栓が形成され、硬く腫れあがった非常に痛い「血栓性外痔核」になることもあります¹。
• 切れ痔（裂肛）：主に硬い便によって肛門の粘膜が切れたり裂けたりする状態です。特徴的な症状は、排便時の「ナイフで切られるような」鋭い痛みと、その後の持続痛、そしてトイレットペーパーに付着する少量の鮮血です。女性は男性よりも切れ痔になりやすい傾向があります¹。

頻度は低いが重要な状態：あな痔（痔瘻）

あな痔（痔瘻）は、感染した肛門腺から皮膚までトンネルが形成される状態です。女性には比較的稀ですが、感染や膿瘍（のうよう）のリスクがあり、激しい痛みを引き起こすため、常に迅速な医療介入が必要です。自己判断での治療は絶対に避けるべきです¹。

重症度の評価：脱肛の進行度

内痔核の重症度は、一般的に脱肛の程度によって評価されます。この進行ステージを理解することで、ご自身の状態がどのレベルにあるかを把握できます⁶：

• ステージ I：出血はあるが、痔核は脱出しない。
• ステージ II：排便時に脱出するが、自然に元に戻る。
• ステージ III：脱出し、指で押し込まないと戻らない。
• ステージ IV：常に脱出したままで、押し込んでも戻らない。

ご自身の症状を簡単に確認できるよう、以下のセルフチェック表を作成しました。

積極的アプローチ：予防と自宅ケアの完全ガイド

痔に対する最も効果的なアプローチは、積極的な予防です。食生活や生活習慣を見直すことで、発症リスクを大幅に減らしたり、既存の症状を軽減したりすることが可能です。

食事戦略：予防の礎

食生活は、健康な消化器系を維持し、痔の最大の原因である便秘を防ぐ上で中心的な役割を果たします。

黄金律：食物繊維と水分

メカニズムは非常にシンプルです。食物繊維は便のかさを増やし、柔らかくするのを助け、水分は便が硬くなるのを防ぎ、腸内をスムーズに移動させます⁹。明確な目標として、1日に約25〜30gの食物繊維と、1.5〜2リットルの水分を摂取するよう心がけましょう⁷。

水溶性食物繊維と不溶性食物繊維

• 水溶性食物繊維：オートミール、りんご、海藻、豆類などに含まれます。水に溶けてゲル状になり、便を柔らかくし、消化を緩やかにするため、便秘予防に非常に重要です⁷。
• 不溶性食物繊維：全粒穀物、ごぼうなどの野菜に含まれます。水に溶けず、便のかさを増やして腸の動きを刺激します⁷。

単に「食物繊維を多く摂る」と言われても、具体的に何をどう食べれば良いか分かりにくいかもしれません。日々の食事に簡単にとりいれられるよう、食物繊維が豊富な日本の食材をまとめた表をご紹介します。

肛門を守るための生活習慣の調整

日々の小さな習慣が、大きな違いを生み出します。

• トイレの習慣：便意を感じたら我慢せず、すぐにトイレに行きましょう¹⁶。便座に座る時間は3分以内に制限し⁶、本を読んだりスマートフォンを使ったりして長居しないこと、そして決して強く力まないことが大切です⁶。専門家の山名医師が推奨する「考える人のポーズ」を試してみましょう。少し前かがみになり、足元に小さな台を置いてかかとを上げることで、骨盤底筋がリラックスし、排便が容易になります¹⁷。
• 適度な運動：長時間座り続けたり、立ち続けたりするのを避けましょう⁹。ウォーキング、水泳、マタニティヨガなど、妊婦さんに安全な軽い運動を日常的に行うことで、血行を促進し、腸の動きを活発にすることができます¹⁸。
• 刺激物は控えめに：香辛料などの刺激が強い食べ物やアルコールは、肛門を刺激し症状を悪化させる可能性があります。これらは可能な限り控えましょう⁹。

不快な症状を和らげるための対策

症状が現れた際には、以下の方法で不快感を和らげることができます。

• 温めて、清潔に：毎日の入浴や、洗面器にお湯を張って肛門を温める座浴（sitz bath）は、血行を改善し、痛みを和らげ、患部を落ち着かせるのに役立ちます⁹。排便後は、刺激を避けるために乾いたトイレットペーパーの代わりに、温水洗浄便座や、香りのない柔らかいウェットティッシュで優しく拭き取りましょう⁶。
• 冷やして、圧迫を避ける：冷たいパックやウィッチヘーゼル（マンサク科の植物）の溶液を浸したガーゼを当てることで、腫れやかゆみを軽減できます¹⁹。長時間座る必要がある場合は、ドーナツ型のクッションを使用し、肛門部への直接的な圧力を減らしましょう¹⁸。
• 寝るときの姿勢：左側を下にして横になることで、下大静脈への圧力が軽減され、下半身からの血流が改善し、肛門部のうっ血が緩和されます¹⁶。

医療的治療：いつ受診すべきか、何を期待すべきか

セルフケアは非常に重要ですが、特に妊娠中においては、医療専門家の意見を求めることが最も安全で不可欠なステップです。

医師への相談：最初で最も重要な一歩

• いつ受診すべきか：痔の症状が少しでも見られたら、次回の定期健診で医師に相談しましょう。ただし、激しい痛み、多量または持続的な出血、発熱がある場合は、直ちに受診してください¹⁶。
• 誰に相談すべきか：まず相談すべきは、あなたの妊娠を管理しているかかりつけの産婦人科医です。医師は初期診断を行い、安全な薬を処方したり、必要に応じて肛門科の専門医を紹介したりしてくれます²⁰。
• 診断の重要性：直腸からの出血は、痔以外の原因も考えられます。母子ともに安全を確保するため、専門家による診断が極めて重要であることを強調しておきます¹⁸。

妊娠中の投薬：安全な選択肢のガイド

妊娠中の服薬に対する不安は、まったくもって当然のものです。しかし、不快感を和らげるのに役立つ、安全な局所用薬が数多く存在します。

• 一般的な安全原則：塗り薬や坐薬は、局所的に作用し、血中に吸収される量がごくわずかであるため、胎児への影響リスクは非常に低いと考えられており、一般的に妊娠中でも安全とされています²¹。
• ステロイドと非ステロイド：
  • ステロイド含有薬（例：強力ポステリザン、ボラギノールA）：より強力な抗炎症作用と腫れを抑える効果があり、炎症が強い場合に処方されます。医師の指示に従い、短期間使用する分には通常安全です²。
  • 非ステロイド薬（例：ヂナンコーマイルド、ボラギノールM）：作用がより穏やかで、副作用も少ないです。軽度の症状や授乳中の第一選択薬となることが多いです²。

ここで注意すべき重要な点は、医薬品の添付文書に記載されている慎重な表現（医薬品規制当局の規定による）と、医師による実際の助言との間に違いがある場合があることです。添付文書にはしばしば「治療上の有益性が危険性を上回ると判断される場合にのみ使用すること」²²と記載されていますが、医師は「使って大丈夫ですよ」と自信を持って言うかもしれません²¹。これは、医師が臨床経験と知識に基づき、局所用薬からのリスクは極めて低いと判断しているためです。黄金律は、常にかかりつけの医師の指示に従うことです。
より明確な理解のために、日本で一般的に使用される痔の治療薬をまとめた表を以下に示します。

なぜ専門的な処置は避けられるのか

確かなことは、硬化療法（ALTA/ジオン注射）や手術といった侵襲的な治療法は、妊娠中においては原則として禁忌（手術は禁止）であるということです²⁴。その理由は、麻酔に伴うリスク、妊娠後期に再発する可能性、そして最も重要なことに、ほとんどの痔は出産後に自然に軽快するためです⁵。これらの処置は、嵌頓痔核（かんとんじかく）のような、耐え難いほどの重篤なケースでのみ検討されます²⁵。

出産と産後回復を乗り越える

あなたの旅は、分娩室で終わるわけではありません。出産プロセスへの準備と産後のケアも、痔を管理する上で非常に重要です。

分娩中の恐怖管理

痔を抱えながら強く力むことへの恐怖は、現実的なものです。しかし、医療チームはこの問題を完全に理解しているので安心してください。非常に役立つヒントは、事前に助産師にあなたの状態を伝えておくことです。あなたが力む際に、助産師が手で会陰部を支える（会陰保護）ことで、肛門部への圧力を軽減し、痔の悪化を防ぐ手助けをしてくれる場合があります²⁰。

産後のケア：緩和と治癒

朗報は、ほとんどの女性にとって、出産後に子宮からの圧迫がなくなることで症状が大幅に改善することです²¹。しかし、ケアは継続する必要があります：

• 便秘予防の継続：産後の鎮痛剤を服用している場合や、授乳中（授乳は脱水を引き起こす可能性があるため）は、特に重要です⁶。
• 授乳中の薬の安全性：非ステロイド系の塗り薬は、一般的に授乳中でも安全とされ、優先的に使用されます²。
• 産後のフォローアップ：産後1ヶ月の健康診断で、あなたの状態について話し合いましょう。症状が依然として続く場合は、医師が肛門科専門医への受診を勧めることがあります²⁶。

よくある質問 (FAQ)

結論：あなたは一人ではない、そして快適さは取り戻せる

妊娠中の痔は試練ですが、それは一般的で、管理可能な試練です。恥ずかしいことではなく、妊娠という大きな変化に対する体の自然な反応なのです。
覚えておくべき重要なポイントは以下の通りです：

• 妊娠中の痔は非常に一般的で、予測可能な生理的変化によって引き起こされます。
• 便秘の管理に焦点を当てた予防が、最も効果的な戦略です。
• 安全で効果的なセルフケア法や局所用薬がたくさんあります。
• 侵襲的な処置は通常避けられ、焦点は出産後までの症状管理に置かれます。

ご自身の健康を積極的に管理し、医師や助産師とオープンに話すことをためらわないでください。適切な予防策と治療法を実践することで、この不快感を乗り越え、より健康的で快適な妊娠期間を楽しむことは十分に可能です。