妊娠中の骨盤帯痛(こつばんたいつう):原因の科学的解明とエビデンスに基づく包括的ケアガイド
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妊娠中の骨盤帯痛(こつばんたいつう):原因の科学的解明とエビデンスに基づく包括的ケアガイド

妊娠という喜ばしい期間に、多くの女性が経験する身体的な不快感。その中でも特に、歩く、寝返りを打つ、階段を上るといった日常の何気ない動作さえ困難にする「骨盤の痛み」は、生活の質(QOL)を著しく低下させる深刻な問題です。この痛みは、かつては「恥骨結合機能不全(SPD)」とも呼ばれていましたが、現在ではより包括的な「骨盤帯痛(Pelvic Girdle Pain, PGP)」という用語で理解されています。この症状は決して珍しいものではなく、研究によれば、妊娠中の女性の5人に1人が経験すると報告されています1。しかし、その有病率の高さにもかかわらず、「妊娠中だから仕方がない」「出産すれば治る」といった言葉で片付けられ、多くの女性が十分な理解やケアを受けられずに一人で痛みに耐えているのが現状です。この痛みは、単なる不快感にとどまらず、日常生活や仕事、上の子の育児に支障をきたし、フラストレーションや罪悪感、孤立感といった深刻な精神的苦痛を引き起こすこともあります2。重要なことは、妊娠中の骨盤帯痛は「我慢すべきもの」ではなく、「治療可能な医学的状態」であるという事実です。英国王立産婦人科学会(RCOG)によると、妊娠のどの段階であっても、早期に診断を受け、適切な治療を開始することは安全であり、症状の悪化を防ぎ、痛みを効果的に和らげることが可能です3。しかしながら、特に日本では、この問題に関する統一された公的な診療ガイドラインが一般に広く浸透しているとは言えず、多くの妊婦さんが信頼できる情報源を見つけるのに苦労しています。その結果、雑誌やインターネット、あるいは「ママ友」間の口コミといった非医療的な情報に頼らざるを得ない状況が生まれています4。このような情報の中には有益なものもありますが、断片的であったり、個々の症状に合っていなかったりすることも少なくありません。本稿の目的は、この情報格差を埋めることにあります。妊娠中の骨盤帯痛がなぜ起こるのか、その科学的メカニズムを深く掘り下げ、最新の医学的エビデンスに基づいて、ご自身で今日から始められるセルフケアから、専門家による治療に至るまで、包括的かつ信頼性の高い情報を提供します。このガイドが、痛みに悩むすべての妊婦さんとそのご家族にとって、現状を理解し、主体的にケアを選択し、より快適なマタニティライフを取り戻すための一助となることを心から願っています。

要点まとめ

  • 妊娠中の骨盤帯痛(PGP)は女性の約20%が経験する一般的な症状ですが、「仕方ないこと」ではなく治療可能な医学的状態です1
  • 主な原因は、ホルモン「リラキシン」による骨盤関節の弛緩と、胎児の成長に伴う物理的負荷の増大です56
  • 骨盤の安定性には、腹横筋や骨盤底筋群といった深層筋(インナーユニット)の協調した働き(フォース・クロージャー)が不可欠です7
  • 日常生活では「対称性」を保つことが重要です。足を組む、片足重心で立つなどの非対称な動作を避けましょう8
  • 骨盤ベルトは外部から骨盤を安定させるのに有効ですが、正しい位置(大転子と仙骨を通る低い位置)に装着することが極めて重要です9
  • 根本的な改善には、硬くなった筋肉を伸ばすストレッチと、弱ったインナーユニットを鍛えるエクササイズの両方が必要です78
  • 痛みが強い、またはセルフケアで改善しない場合は、まず産婦人科医に相談し、必要に応じて整形外科医や理学療法士の診断・治療を受けるべきです10

なぜ痛むのか?妊娠中の骨盤痛のメカニズム

妊娠中の骨盤の痛みを効果的に管理するためには、まずその原因を正しく理解することが不可欠です。痛みは単一の原因で起こるのではなく、ホルモンの影響による身体の変化と、増大する物理的負荷という二つの大きな要因が複雑に絡み合って発生します。ここでは、そのメカニズムを科学的に解き明かしていきます。

骨盤の構造と妊娠による2つの大きな変化

骨盤は、左右に大きく張り出した「腸骨」、背中側の中央にある三角形の「仙骨」、そして前側でこれらを結ぶ「恥骨」、一番下にある「坐骨」といった骨が組み合わさってできた、強固なリング状の構造をしています6。その主な役割は、上半身を支え、内臓や生殖器を保護することです6。この安定した骨盤が、妊娠によって劇的な変化にさらされます。
変化1:ホルモン「リラキシン」の影響
妊娠すると、特に妊娠初期から、卵巣や胎盤から「リラキシン」というホルモンが分泌されます5。このホルモンは、赤ちゃんが産道を通りやすくするために、骨盤周辺の靭帯や筋肉を弛緩させる(ゆるめる)働きがあります11。これは出産に向けた正常で必要不可欠な生理的変化ですが、同時に骨盤の関節(特に背中側の仙腸関節と前側の恥骨結合)の結合を緩め、骨盤全体の安定性を低下させることになります12
変化2:物理的負荷の増大
妊娠中期から後期にかけて、胎児の成長と子宮の増大に伴い、母体の体重は増加し、重心は前方へ移動します6。この前方へ移動した重心を支えるため、身体は無意識のうちに腰を反らせるような姿勢(反り腰)をとるようになります6。この不自然な姿勢は、リラキシンの影響でただでさえ不安定になっている仙腸関節や恥骨結合に、異常な圧迫力やせん断力(ずれようとする力)をかけ、痛みを引き起こす大きな要因となります。

骨盤安定化の鍵:「フォース・クロージャー」理論の解明

骨盤の安定性は、骨の形状だけで決まる静的なものではありません。むしろ、筋肉の働きによって動的に保たれる側面が非常に重要です。この動的な安定化メカニズムを説明するのが「フォース・クロージャー(Force Closure)」という理論です7。フォース・クロージャーとは、骨盤を取り巻く深層の筋肉群(インナーユニット)が協調して働くことで、仙腸関節や恥骨結合を内外から圧縮し、安定させる仕組みを指します。このインナーユニットは、主に以下の4つの筋肉で構成されています。

  • 骨盤底筋群 (Pelvic Floor Muscles): 骨盤の底から内臓をハンモックのように支える筋肉。
  • 腹横筋 (Transversus Abdominis): お腹周りをコルセットのように包む最も深層にある腹筋。
  • 多裂筋 (Multifidus): 背骨に沿って走る、姿勢を維持するための深層筋。
  • 横隔膜 (Diaphragm): 呼吸を司るドーム状の筋肉。

これらの筋肉が適切に連携することで、ホルモンの影響で緩んだ骨盤関節はしっかりと固定され、歩行や起立などの動作時にかかる負荷を効率的に下肢へ伝えることができます7。しかし、妊娠中はこのフォース・クロージャー機構が損なわれやすくなります。腹横筋は引き伸ばされて弱化し、骨盤底筋群には子宮の重みによる持続的な負荷がかかります。その結果、骨盤の安定性が低下し(「非最適な安定性」)、痛みが生じやすくなるのです7。身体はこの不安定性を補うために、表層の大きな筋肉を過剰に緊張させるという代償戦略をとることがあります。例えば、お尻の筋肉を常に固く締める「バット・グリッピング(butt-gripping)」や、外腹斜筋を過剰に使う「チェスト・グリッピング(chest-gripping)」といった不適切なパターンです7。これらの代償動作は、仙腸関節にさらなるせん断力を生み、痛みを悪化させる悪循環につながります。この理論を理解することは、なぜ単に安静にするだけでなく、特定の筋肉を再教育する運動療法が重要なのかを説明する鍵となります。

痛みの種類と重症度:骨盤帯痛から恥骨結合離開まで

「骨盤の痛み」と一言で言っても、その症状や重症度は様々です。ご自身の状態を正しく理解し、医療専門家に的確に伝えるために、痛みの種類と定義を知っておくことは非常に重要です。痛みは一つの連続したスペクトラム(範囲)上にあり、軽度のものから重度のものまで含まれます。

  • 骨盤帯痛 (Pelvic Girdle Pain – PGP): 仙骨後方の腸骨稜から殿部のひだまでの間に生じる痛みを指す最も広範な用語です。仙腸関節周辺の痛みとして現れることが多く、大腿後面に痛みが放散することもあります。恥骨部の痛みと合併、あるいは単独で生じることもあります3。これが現在、国際的に最も一般的に使用される包括的な診断名です。
  • 恥骨結合機能不全 (Symphysis Pubis Dysfunction – SPD): 主に骨盤の前方にある恥骨結合部に痛みや不快感が生じる状態を指します11。動作時に恥骨部で「カクッ」「ゴリゴリ」といったクリック音や軋むような音を感じることもあります11
  • 恥骨結合炎 (Symphysitis Pubis): 恥骨結合部に炎症が起きている状態で、しばしば鋭い痛みを伴います10。過度な負荷やストレスが原因で発生します。
  • 恥骨結合離開 (Diastasis Symphysis Pubis): このスペクトラムの中で最も重症な状態です。出産や外傷などにより恥骨結合の靭帯が断裂し、左右の恥骨が異常に開いてしまった状態を指します。臨床的には、X線検査などで恥骨結合の隙間が10mm以上開いている場合に診断されます12。発生頻度は800人から3000人に1人程度と報告されており13、激しい痛み、歩行困難、寝返り困難など、日常生活に極めて大きな支障をきたします14

この痛みのスペクトラムを理解することは、患者さん自身にとって大きな力となります。軽度の力学的不安定性であれば、後述するセルフケアや運動療法で大きな改善が期待できます。一方で、恥骨結合離開が疑われるような激しい痛みがある場合は、自己判断で無理をせず、直ちに医療機関を受診し、安静や専門的な疼痛管理を含む適切な治療を受ける必要があります。ご自身の症状がこのスペクトラムのどこに位置するのかを把握することが、適切なケアへの第一歩となるのです。

今日からできるセルフケア:日常生活の工夫

骨盤帯痛の管理において、最も基本的かつ効果的なのは、痛みを引き起こしたり悪化させたりする日常の動作や姿勢を見直すことです。ここでは、専門家の知見に基づき、今日からすぐに実践できる具体的なセルフケア方法を詳しく解説します。これらの工夫の根底にあるのは、「対称性(Symmetry)」と「安定性(Stability)」という2つの原則です。不安定な骨盤に非対称な負荷をかけないことが、痛みの連鎖を断ち切る鍵となります。

姿勢を見直す:立つ・座る・歩く

何気ない日常の姿勢が、骨盤に大きな影響を与えています。正しい姿勢を意識するだけで、痛みは大きく軽減されます。

  • 立ち方: 料理やアイロンがけなど、立っている時は、片足に体重をかける「片足立ち」を避け、両足に均等に体重を乗せることを徹底しましょう5。お尻を少し内側に引き締め、膝を軽く緩めて立つと、反り腰が補正されます15。頭のてっぺんから糸で真上に引っ張られているようなイメージを持つと、背筋が自然に伸び、骨盤への負担が軽減されます5
  • 座り方: 椅子に座る際は、深く腰掛け、背もたれにしっかりと背中を預けます16。背中と椅子の間に丸めたタオルやクッションを挟むと、骨盤が立った正しい姿勢(坐骨で座る感覚)を保ちやすくなります5。足を組む、横座り(お姉さん座り)といった骨盤を歪ませる座り方は厳禁です8。床に座る場合は、骨盤が左右対称に開く「あぐら」が推奨されます17。また、同じ姿勢で30分以上座り続けないようにし、こまめに体勢を変えましょう3
  • 歩き方: 靴選びは非常に重要です。ヒールのある靴やかかとのないスリッパ、サポート力のないサンダルは避け、クッション性のあるフラットで安定した靴を選びましょう11。外出時のバッグは、片方の肩にかけると体が傾き骨盤に非対称な負荷がかかるため、両肩に均等に重さがかかるリュックサックが最適です5

痛みを悪化させない動き方

痛みの引き金となる特定の動作を避ける、あるいは工夫することが、症状管理の要です。以下の「対称性の原則」を意識してください。

  • ベッドでの寝返り: 両膝をそろえたまま、可能であれば膝の間に枕を挟み、体全体を一本の丸太のように「ゴロン」と回転させます(ログロール)15
  • 起き上がり方: 仰向けのまま腹筋で起き上がるのは絶対に避けてください。まず横向きになり、両手で体を支えながらゆっくりと上体を起こします17
  • 車の乗り降り: 乗り降りの際は、両膝をぴったりと閉じたまま、お尻から先に座席に入り、そこから体を回転させます。座席にビニール袋や滑りやすいスカーフを敷いておくと、回転しやすくなります11
  • 階段の上り下り: 手すりを必ず使い、一段ずつゆっくりと上り下りします。一般的には、上る時は痛くない方の足から、下りる時は痛い方の足から出すと負担が少ないとされています15
  • 物の持ち上げ方: 重いものは極力持たないようにしましょう。どうしても上の子を抱っこするなど、物を持ち上げる必要がある場合は、立ったまま腰を曲げるのではなく、まず膝を曲げてしゃがみ、対象を体に引き寄せてから、膝の力で立ち上がります8

安静と睡眠の質を高める

痛みは夜間の睡眠を妨げ、心身の疲労を増大させます。質の良い休息は、回復に不可欠です。

  • 睡眠時の姿勢: 最も推奨されるのは、横向き(できれば痛みの少ない側を下)で寝る姿勢です。この時、両膝と足首の間に抱き枕やクッション、丸めたバスタオルなどを挟み、上の足が前に落ち込まないようにします。これにより、骨盤がねじれるのを防ぎ、左右対称な状態を保つことができます11
  • 温熱療法と冷却療法: 痛みの性質によって、温めるべきか冷やすべきかが異なります。
    • 温熱療法: 股関節周りや内もも、お尻の筋肉が張って重だるいような慢性的な痛みには、温めるのが効果的です。ぬるめのお湯でゆっくり湯船に浸かる、蒸しタオルや湯たんぽを痛む部分に当てるなどで血行を促進し、筋肉の緊張を和らげましょう15
    • 冷却療法: 恥骨結合炎や恥骨結合離開などで、ズキズキと脈打つような鋭い痛みや熱感がある場合(急性炎症)は、冷やすのが基本です。保冷剤などをタオルで包み、1回10分から20分程度、痛む部分に当てて炎症を鎮めます15。市販の湿布薬には妊娠中に使用できない成分が含まれていることがあるため、自己判断で使用せず、必ず医師や薬剤師に相談してください14

これらのセルフケアは、すべて「骨盤の不安定性」という根本原因に対する論理的な対策です。なぜこの動作が良いのか、なぜこの姿勢が悪いのか、その背景にある「対称性の維持」という原則を理解することで、ここに書かれていない様々な状況においても、ご自身で痛みを避けるための応用が可能になります。これは、痛みに振り回されるのではなく、痛みを主体的にコントロールするための第一歩です。

積極的なアプローチ:サポート用品と運動療法

日常生活の工夫に加え、より積極的に骨盤を安定させ、痛みを根本から改善するためのアプローチが、骨盤ベルトの活用と運動療法です。これらは、弱ってしまった身体の機能を外部から補い、内部から再建するという、車の両輪のような関係にあります。ここでは、その科学的根拠と具体的な実践方法を詳しく解説します。

骨盤ベルトの科学:選び方・使い方・注意点

骨盤ベルトは、妊娠中の骨盤帯痛に対する最もポピュラーで効果的な対策の一つです。正しく使えば、痛みの軽減と悪化の予防に大きな力を発揮します。

  • 作用のメカニズム: 骨盤ベルトは、緩んだ仙腸関節や恥骨結合の周囲を物理的に圧迫・固定することで、外部から安定性をもたらします。これは、第1部で解説した「フォース・クロージャー」機構を人工的に補うものであり、骨盤のぐらつきを抑え、動作時の痛みを軽減する効果が期待できます5
  • 使用開始のタイミング: リラキシンによる骨盤の弛緩は妊娠初期から始まっているため、痛みを感じ始めたらいつでも使用を開始して構いません9。痛みの予防目的で早期から使用することも有効です9
  • 正しい装着位置(最重要ポイント): ベルトの効果は、正しい位置に装着できるかどうかにかかっています。多くの人が間違いやすい点ですが、ベルトはウエストや柔らかいお腹周りに巻くのではありません。骨盤の骨格そのものを締めるのが目的です。太ももの付け根の外側で触れる出っ張った骨「大転子(だいてんし)」と、お尻の真ん中にある平らな骨「仙骨」をベルトが通るように、腰骨よりもかなり低い位置に巻くのが正解です9。間違った位置では効果がないばかりか、痛みを助長することさえあります10
  • 適切な締め付け具合: 血行を妨げないよう、強く締めすぎるのは禁物です。お尻側はしっかりと支える強さで、お腹側は手のひらが一枚すっと入るくらいの余裕を持たせるのが目安です9。座った時にお腹が苦しくなったり、ベルトがずり上がったりする場合は、位置や締め付けが間違っている可能性があります9
  • 使用時間: 主に日中の活動時間帯に着用し、就寝時は外すのが一般的です18。ただし、寝返りの痛みがひどい場合など、着用することで楽になるなら睡眠中の使用も問題ないとされていますが、個人の快適さに合わせて調整してください9

市場には様々な種類のサポート製品があり、混乱しがちです。ご自身の目的や症状に合ったものを選びましょう。

安全に行うためのマタニティ・ストレッチ

運動療法の第一歩は、過剰に緊張して骨盤を歪ませている筋肉を、ストレッチで優しく解放することです。特に、太ももの内側(内転筋群)やお尻の筋肉(梨状筋など)の緊張は、骨盤痛の大きな原因となります5。安全のため、妊娠中はリラキシンの影響で関節が緩んでいるため、無理なストレッチは禁物です。「痛気持ちいい」範囲を決して超えず、呼吸を止めずにリラックスして行いましょう8。運動を始める前には、かかりつけの医師に相談することが賢明です18

  • 内もものストレッチ(座位): 床にあぐらで座り、両方の足の裏を合わせます。かかとを体に引き寄せ、両膝をゆっくりと床に近づけていきます。背筋を伸ばしたまま、体を前に倒すとより効果的です5
  • キャット&カウ: 四つん這いになり、息を吐きながら背中を丸めておへそを覗き込みます(猫のポーズ)。次に、息を吸いながらゆっくりと背中を反らせ、顔を上げます(牛のポーズ)。骨盤と背骨を滑らかに動かすことを意識します8
  • 膝倒しストレッチ: 仰向けに寝て両膝を立てます。両腕は楽に横に広げます。息を吐きながら、両膝をそろえたままゆっくりと左右に倒します。腰やお尻の筋肉が伸びるのを感じましょう17
  • お尻のストレッチ: 椅子に浅く腰掛け、片方の足首を反対側の膝の上に乗せます。背筋を伸ばしたまま、ゆっくりと上体を前に倒していくと、乗せた足側のお尻の筋肉が伸びます16

骨盤を支える力を鍛える:体幹・骨盤底筋エクササイズ

ストレッチで筋肉の緊張を解いたら、次はいよいよ骨盤安定性の核となる「フォース・クロージャー」機構を再建するための筋力トレーニングです。これは、見た目の筋肉を鍛えるのではなく、身体の深層にある「支える筋肉」を目覚めさせる作業です。

  • 骨盤底筋エクササイズ(ケーゲル体操): 骨盤の安定と尿漏れ予防の基本となる最も重要なエクササイズです8。「尿やガスを我慢するような感覚」で、膣と肛門を体の内側に向かってゆっくりと引き締めます。この時、お尻や太もも、お腹の表面の筋肉はリラックスさせ、呼吸を止めないことが非常に重要です8。3~5秒間引き締めて同時間リラックスするサイクルを10回程度、1日に数セット行いましょう。
  • 腹横筋のアクティベーション: 椅子に正しい姿勢で座り、息を大きく吸ってお腹を膨らませます。次に、口からゆっくりと息を吐きながら、おへそを背骨に近づけるように下腹部を優しく引き締めます。この時、背中が丸まったり反ったりしないように注意します18
  • 統合エクササイズ(機能的な動きの中で鍛える):
    • タオル挟み: 椅子に座り、両膝の間に丸めたタオルを挟み、内側に押しつぶすように力を入れると、内転筋と骨盤底筋が同時に活性化されます10
    • 骨盤底筋を意識した立ち上がり: 椅子に座った状態から、息を吐きながら骨盤底筋を引き締め、テーブルなどで体を支えながらゆっくりと立ち上がります10
    • ヒップリフト(お尻上げ): 仰向けで膝を立て、お尻をゆっくりと持ち上げます。肩から膝までが一直線になる位置で数秒キープします。骨盤の主要な安定筋であるお尻の筋肉(大殿筋)を強化します19

緊張した筋肉をストレッチで緩めることは痛みを一時的に和らげますが、根本的な解決にはなりません。安定性を司るインナーユニットを筋力トレーニングで強化しなければ、痛みは再発してしまいます7。したがって、「硬いところは伸ばし、弱いところは鍛える」という両輪のアプローチこそが、骨盤帯痛から真に解放されるための最も効果的な戦略なのです。

専門家によるケアと医療機関の受診

セルフケアを試みても痛みが改善しない場合や、痛みが非常に強く日常生活に支障をきたしている場合は、ためらわずに専門家の助けを求めるべきです。しかし、日本では「どの専門家に相談すればよいのか」が分かりにくいという問題があります。ここでは、適切な医療機関の選び方から、専門家による診断・治療、そして産後のケアまでを具体的に解説します。

いつ、どこへ相談すべきか?

以下のような場合は、専門家への相談を強く推奨します10

  • 痛みが強く、歩行や家事などの日常生活に大きな支障が出ている。
  • セルフケアを1~2週間続けても、症状が改善しない、あるいは悪化する。
  • 痛みによって精神的に落ち込んだり、不安が強かったりする。
  • 恥骨結合離開が疑われるような、激しい痛みや歩行困難がある。

日本のケア提供体制において、まず第一の窓口となるのは、妊婦健診を受けている産婦人科医(あるいは助産師)です5。切迫早産など、痛みの原因が産科的な問題でないことを確認してもらう必要があります。産婦人科医が骨や関節に原因がある重度の骨盤帯痛(恥骨結合炎や恥骨結合離開など)を疑った場合、整形外科医への紹介が行われます10。整形外科では、問診や身体診察に加え、必要に応じてX線や超音波などの画像検査を用いて、骨盤の状態を正確に診断します11。診断がつき、運動療法が治療の中心となる場合、理学療法士がその専門性を発揮します。多くの女性がより身近な選択肢として利用する整体・整骨院は、筋肉の緊張緩和には有効な場合がありますが20、医療機関ではないため、重度の痛みや医学的な診断が必要な場合はまず医療機関を受診することが重要です。整骨院での施術は、急性の外傷と判断されれば健康保険が適用されることもありますが、「産後の骨盤矯正」といった目的の場合は自費診療となるのが一般的です21

医療機関で行われる診断と治療

医療機関では、科学的根拠に基づいた診断と治療が行われます。診断では、問診や触診に加え、特定の動きで痛みが再現されるかを見る誘発テスト(例:片足立ち、パトリックテスト、アクティブ・ストレート・レッグ・レイズ(ASLR)テストなど)が含まれます12。治療法には以下のようなものがあります。

  • 薬物療法: 痛みが強い場合、妊娠中でも比較的安全に使用できるとされるアセトアミノフェンが検討されます22。ロキソプロフェンなどの非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)は、妊娠後期には使用禁忌であり、医師の厳格な管理下でのみ使用されます15
  • 理学療法: 欧米の診療ガイドラインでは、理学療法が治療の柱とされています1。専門の理学療法士は、個々の状態に合わせて徒手療法(Manual Therapy)や個別運動療法を提供します3
  • その他の治療: 研究では、鍼治療が痛みの軽減に有効であったとする報告もあります1。また、水の浮力を利用して運動できる水中運動(ハイドロセラピー)も有効な選択肢です15
  • 重症例への対応: 痛みが極めて強く、自力での移動が困難な場合は、松葉杖や車椅子が処方されることがあります3。場合によっては、集中的な治療のために入院を勧められることもあります3

産後のケアと次回の妊娠に向けて

出産はゴールではありません。骨盤の機能回復のためには、産後のケアが極めて重要です。多くの女性では、産後3ヶ月以内に痛みは自然に軽快しますが、約10%の女性では1年以上痛みが持続するという報告もあります14。痛みが長引くリスク因子として、妊娠中の痛みの強さや、「動くと痛くなる」という恐怖心・回避行動が強いことなどが挙げられています23。出産後も、骨盤の安定性を取り戻し、尿失禁などの将来的なトラブルを防ぐために、理学療法や体幹トレーニングを継続することが推奨されます8。一度骨盤帯痛を経験した女性が、次の妊娠で再発する確率は高いとされていますが、次の妊娠前に運動によって体幹と骨盤底筋群の機能を十分に高めておくことで、再発のリスクを減らしたり、症状を軽くしたりすることが可能です15。効果的な治療には、身体的なアプローチだけでなく、医療者による共感的な態度、正確な情報提供による不安の軽減、そして必要であれば心理的なサポートを含むアプローチが不可欠です。ご自身の感情的なつらさも、重要な情報として医療者に伝えることをためらわないでください。

よくある質問

骨盤ベルトはいつから使えばいいですか?
骨盤の緩みは妊娠初期から始まっているため、痛みを感じ始めたらいつでも使用を開始して問題ありません。痛みの予防目的で、お腹が大きくなる前から使用することも有効です9
痛みがあるとき、温めるべきですか、冷やすべきですか?
痛みの性質によります。筋肉が張るような慢性的な重だるい痛みには、入浴などで温めるのが効果的です。一方、ズキズキするような鋭い痛みや熱感がある急性炎症の場合は、タオルで包んだ保冷剤などで冷やすのが基本です15。自己判断が難しい場合は専門家にご相談ください。
どんな運動が効果的ですか?
「硬いところは伸ばし、弱いところは鍛える」ことが重要です。お尻や内もものストレッチで過剰な緊張を和らげ、骨盤底筋体操(ケーゲル体操)や腹横筋を意識したエクササイズで、骨盤を内側から支えるインナーユニットを強化することが根本的な改善につながります78
産後も痛みが続くことはありますか?
はい、約10%の方で1年以上痛みが続くとの報告があります14。痛みが長引く場合は、一人で悩まずに産婦人科や理学療法士などの専門家に相談し、産後のリハビリテーションを継続することが非常に重要です。

結論

妊娠中の骨盤帯痛は、多くの女性が経験するにもかかわらず、しばしば軽視されがちな問題です。しかし、本稿で詳述してきたように、これは「妊娠のつきもの」としてただ耐え忍ぶべきものではなく、その原因が科学的に解明されつつあり、対処可能な医学的状態です。痛みを乗り越え、より快適な妊娠・産後期間を過ごすための鍵は、ご自身の状態を正しく理解し、多角的なアプローチを主体的に実践することにあります。日常生活の「対称性」を意識し、骨盤ベルトで「支え」、ストレッチとエクササイズで「伸ばし鍛える」こと。そして、つらい時には専門家に「相談する」勇気を持つこと。これらが、皆様一人ひとりが最適なケアを見つけ出し、このかけがえのない時期を少しでも快適に、そして前向きに過ごすための一助となることを切に願っています。

免責事項
本稿は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

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