要点まとめ
- 妊娠糖尿病(GDM)は、あなたの食生活などが原因ではなく、主に妊娠中に胎盤から出るホルモンによる生理的な変化で起こります。決してご自身を責めないでください。
- 日本の診断基準は国際的にも厳格で、早期発見・早期介入を重視しています。これは、母子の健康を最大限に守るための予防的なアプローチです。
- 管理の基本は「食事療法」と「運動療法」です。「分割食」(1日5~6回に分けて食べる)や、食物繊維を先に食べる「ベジファースト」が血糖値の安定に極めて重要です。
- 食事や運動で目標を達成できない場合、日本では胎児への安全性が確立されている「インスリン注射」が第一選択の治療法となります。
- 出産後も油断は禁物です。GDMを経験した女性は将来2型糖尿病になるリスクが高いため、定期的な検診と健康的な生活習慣の継続が、あなたとあなたの子供の長期的な健康への投資となります。最新のガイドラインでは、産後6~12週での75g OGTT(経口ブドウ糖負荷試験)が強く推奨されています3。
妊娠糖尿病って何?3つのタイプを正しく理解しよう
妊娠中の糖代謝異常を理解する上で、まず3つの異なる状態を正確に区別することが非常に重要です。これにより、ご自身の状況とリスクを正しく把握し、不必要な不安を和らげることができます。日本の主要な医学会(日本糖尿病学会 – JDS、日本糖尿病・妊娠学会 – JSDP、日本産科婦人科学会 – JSOG)は、これらの状態を明確に定義しています415。
妊娠糖尿病(GDM – Gestational Diabetes Mellitus)
これが最も一般的に診断されるタイプです。JDS、JSDP、JSOGによると、「妊娠中に初めて発見または発症した、糖尿病には至っていない糖代謝異常」と定義されています6。重要なのは、「糖尿病には至っていない」という点です。これは、妊娠という特殊な状態によって一時的に血糖値が上がりやすくなっている状態を指します。GDMは通常、胎児の主要な器官が形成された後の妊娠中期以降に発症するため、直接的な原因となって胎児の奇形を引き起こすリスクは極めて低いとされています7。この事実を理解することは、多くの妊婦さんの心理的負担を大きく軽減します。
妊娠中の明らかな糖尿病(Overt diabetes in pregnancy)
これは、「妊娠中に診断された、明らかな糖尿病」の状態です8。具体的には、妊娠中の検査で、空腹時血糖値が126 mg/dL以上、またはHbA1cが6.5%以上など、通常の糖尿病診断基準を満たした場合に診断されます8。これは、妊娠前から存在していたものの未診断だった2型糖尿病が、妊娠をきっかけに発見されたケースがほとんどです。この場合、妊娠初期の重要な器官形成期に高血糖状態であった可能性があるため、管理はより慎重に行われます。
糖尿病合併妊娠(Pregestational diabetes mellitus)
これは、妊娠する前から1型または2型糖尿病の診断を受けている女性が妊娠した場合を指します8。計画的な妊娠と、妊娠前からの厳格な血糖コントロールが母子双方の健康にとって不可欠です。
以下の表は、これら3つのタイプの主な違いをまとめたものです。ご自身の診断がどれに当たるかを理解することは、適切な管理への第一歩です。
表1:妊娠中の糖代謝異常 3つのタイプの比較 項目 妊娠糖尿病 (GDM) 妊娠中の明らかな糖尿病 糖尿病合併妊娠 定義 妊娠中に初めて発見された、糖尿病には至らない糖代謝異常 妊娠中に初めて、通常の糖尿病診断基準を満たしたもの 妊娠前から糖尿病と診断されている 発症時期 主に妊娠中期(24週以降) 妊娠中のいつでも(多くは初期に発見) 妊娠前から存在 主なリスク 巨大児、新生児低血糖、将来の母体の2型糖尿病 GDMのリスクに加え、妊娠初期の高血糖による胎児奇形のリスクも考慮 厳格な管理がなければ、胎児奇形、母体の合併症悪化などリスクが高い 産後の状態 多くは出産後に改善するが、将来の糖尿病リスクは残る 出産後も糖尿病として管理が必要 出産後も継続して糖尿病の治療が必要
なぜ起こるの?原因はあなたではありません
妊娠糖尿病の診断を受けると、「私の食生活が悪かったのだろうか」「何か間違ったことをしてしまったのだろうか」とご自身を責めてしまう方が少なくありません。しかし、その必要は全くありません。妊娠糖尿病の主な原因は、個人の生活習慣ではなく、妊娠に伴う生理的な体の変化にあります9。
妊娠すると、胎盤(たいばん)は赤ちゃんを育てるために様々なホルモンを分泌します。その中には、hPL(human Placental Lactogen)などの、母親のインスリンの働きを弱めてしまう(インスリン抵抗性)作用を持つホルモンが含まれます10。インスリンは、血液中の糖(グルコース)を細胞に取り込ませてエネルギーとして利用させ、血糖値を下げる重要なホルモンです。胎盤のホルモンによってインスリンが効きにくくなると、血糖値が上がりやすくなります。これに対抗するため、健康な妊婦さんの体は、膵臓(すいぞう)から普段の1.5~2倍のインスリンを分泌して血糖値を正常に保とうとします11。しかし、もともとインスリンを分泌する能力に余力がない、あるいは遺伝的な素因がある場合、体はこの増大した需要に応えきれず、結果として血糖値が上昇し、妊娠糖尿病(GDM)を発症するのです12。これは、あなたの体が妊娠という大きな変化に適応しようとする過程で起こる現象であり、決してあなたの「せい」ではないのです。
あなたと赤ちゃんへの影響は?知っておきたい短期・長期リスク
妊娠糖尿病の管理がなぜ重要なのかを理解するために、コントロールされない高血糖がもたらす可能性のあるリスクについて、冷静に知っておくことが大切です。ただし、これらのリスクは、適切な管理によってその多くを防ぐことができるということを常に心に留めておいてください5。
お母さんへのリスク
- 妊娠中の合併症: 妊娠高血圧症候群や子癇前症(しかんぜんしょう)、羊水量の異常(多すぎる、または少なすぎる)、巨大児による難産や帝王切開率の上昇などが挙げられます5。
- 長期的な健康リスク: これが最も重要なメッセージの一つです。GDMを経験した女性は、将来的に本格的な2型糖尿病を発症するリスクが、経験しなかった女性に比べて7倍から10倍も高くなります5。研究によっては、GDMだった女性の約半数が、出産後5年から10年の間に2型糖尿病を発症すると報告されています2。
赤ちゃんへのリスク(短期)
お母さんの血糖値が高いと、過剰なブドウ糖が胎盤を通じて赤ちゃんに送られます。これにより、様々な影響が出る可能性があります。
- 巨大児(きょだいじ): 過剰なエネルギーを受け取った赤ちゃんは、必要以上に大きく育ち、出生体重が4000gを超えることがあります。これにより、出産時に赤ちゃんの肩が引っかかってしまう肩甲難産(けんこうなんさん)など、母子ともに分娩時の損傷リスクが高まります5。
- 新生児低血糖: お腹の中にいる間、赤ちゃんの膵臓はお母さんからの高い血糖に対応するために大量のインスリンを作り出すことに慣れています。しかし、生まれた瞬間にそのブドウ糖の供給が絶たれるため、インスリンが過剰な状態となり、血糖値が危険なレベルまで下がってしまうことがあります5。
- その他の代謝・呼吸器系の問題: 肺の成熟が遅れることによる新生児呼吸窮迫症候群、高ビリルビン血症(黄疸)、多血症、低カルシウム血症などのリスクも高まります5。
赤ちゃんへの影響(長期):DOHaDという考え方
これは、現代の予防医学における非常に重要な概念です。DOHaD(Developmental Origins of Health and Disease:健康と疾病の発生における発達的起源)とは、胎児期の環境が、その人の生涯にわたる健康状態を「プログラミング」するという考え方です13。子宮内でお母さんの高い血糖にさらされた赤ちゃんは、遺伝的な要因とは別に、成人後に肥満、インスリン抵抗性、そして2型糖尿病を発症するリスクが高まることがわかっています14。 この視点を持つことで、妊娠糖尿病の管理は、単に「妊娠中の厄介事を乗り切る」という短期的な課題ではなく、「我が子の生涯にわたる健康の礎を築く」という、非常に前向きで愛情深い行為へと変わります。これは、不安を乗り越えるための、何よりも強力な動機となるでしょう。
どのように診断されるの?日本の最新基準を徹底解説
日本の妊娠糖尿病(GDM)のスクリーニングと診断プロセスは、世界的に見ても非常に体系的かつ厳格であり、「見逃しをなくし、早期に介入する」という予防医学的な思想が強く反映されています。このプロセスを理解することは、ご自身が受けている医療の質の高さを知ることにも繋がります。
日本のシステムは、原則として全妊婦を対象とした2回のスクリーニング検査に基づいています6。
- 妊娠初期のスクリーニング: 主な目的は、これまで未診断だった「妊娠中の明らかな糖尿病」を早期に発見することです6。多くの場合、随時血糖値(食事時間に関係なく測定する血糖値)が測定されます15。ここで一定の基準値を超えた場合、精密検査である75g経口ブドウ糖負荷試験(75g OGTT)に進みます。
- 妊娠中期のスクリーニング (24~28週): 妊娠初期の検査で陰性だった方も、インスリン抵抗性が最も高まるこの時期に再度スクリーニングを受けます6。これにより、典型的なGDMを捉えます。この検査でも、陽性となれば75g OGTTによる確定診断が行われます。
75g OGTTによる確定診断
75g OGTTの結果、以下の3つの基準値のうち1つでも満たした場合に、GDMと診断されます。この基準は、HAPO(Hyperglycemia and Adverse Pregnancy Outcome)研究という大規模な国際研究の結果に基づき6、IADPSG(国際糖尿病・妊娠研究グループ)が提唱した国際基準を日本が2010年に採用したものです165。この研究では、これまで正常とされてきた範囲の血糖値であっても、その値が高いほど母子の合併症が直線的に増加することが示されました6。
表2:妊娠糖尿病の診断基準(75g OGTT) 測定タイミング 基準値 (mg/dL) 空腹時 ≥ 92 ブドウ糖負荷後 1時間値 ≥ 180 ブドウ糖負荷後 2時間値 ≥ 153 出典: 日本糖尿病学会、日本糖尿病・妊娠学会、日本産科婦人科学会などの情報に基づきJAPANESEHEALTH.ORGが作成5。いずれか1点以上を満たす場合に診断される。
日本と米国の基準の違い
日本の基準は、米国産科婦人科学会(ACOG)などが採用する基準よりも厳しく設定されています。例えば、ACOGが推奨する方法の一つでは、100g OGTTを行い、基準値4点のうち2点以上が異常だった場合に診断します17。一方、日本は75g OGTTで1点でも異常があれば診断します。これは、より多くの潜在的なリスクを持つ妊婦さんを拾い上げ、早期に管理を開始することで、母子の合併症を最大限に予防しようとする日本の医療の積極的な姿勢の表れと言えます18。
表3:GDM診断戦略の比較:日本 vs. ACOG(米国) 項目 日本 (JDS/JSDP/JSOG) 米国 (ACOG – 2段階法) 診断検査 75g OGTT (2時間) 100g OGTT (3時間) 診断基準 ≥ 1つの異常値 ≥ 2つの異常値 空腹時基準値 ≥ 92 mg/dL ≥ 95 mg/dL 1時間後基準値 ≥ 180 mg/dL ≥ 180 mg/dL 2時間後基準値 ≥ 153 mg/dL ≥ 155 mg/dL 3時間後基準値 なし ≥ 140 mg/dL
血糖コントロール完全ガイド:今日からできる実践プラン
GDMの管理目標は、妊娠中の血糖値を健康な妊婦さんのレベルに可能な限り近づけることで、合併症を防ぐことです。そのための計画は、明確な目標設定、食事、運動、そして必要に応じた薬物療法から成り立ちます。
まずは目標値を知ろう
自宅での自己血糖測定(SMBG)は、日々の管理に不可欠なツールです。日本のガイドラインでは、以下の厳格な目標値が設定されています8。この数値を意識することが、管理の第一歩です。
- 食前(空腹時): 95 mg/dL未満
- 食後1時間値: 140 mg/dL未満
- 食後2時間値: 120 mg/dL未満
これらの目標は、健康な妊婦さんの血糖変動に基づいており、達成することで巨大児などのリスクを大幅に減らすことができます。
食事療法:最も大切な柱
食事療法はGDM管理の根幹です。目的は「制限」ではなく「質の高い栄養を適切なタイミングで摂る」ことです。赤ちゃんの発育に必要なエネルギーと栄養を確保しつつ、血糖値の急上昇を防ぐための具体的な戦略を見ていきましょう。
A. エネルギー必要量の計算
1日に必要なエネルギー量は、個々の体格や妊娠週数に応じて計算されます。基本的な計算方法は以下の通りです8:
1日のエネルギー摂取量 = (標準体重 × 30 kcal) + 付加量
- 標準体重(kg) = 身長(m) × 身長(m) × 22
- 付加量: 妊娠中期(14~27週)は+250 kcal、妊娠後期(28週以降)は+450 kcal
ただし、これはあくまで目安であり、個々の状況に応じて医師や管理栄養士と相談して調整することが重要です。
B. 食事のゴールデンルール
- 「分割食」を徹底する: これが最も重要な戦略です。1日3食ではなく、3回の主食と2~3回の補食(間食)に分け、1日の総エネルギー量を5~6回に分散させます7。これにより、1食あたりの糖質量が減り、食後の急激な血糖上昇を防ぎ、また次の食事までの空腹感を和らげ、低血糖を防ぐことができます。
- バランスの取れた「主食・主菜・副菜」: 日本の伝統的な食事スタイルは、GDM管理に非常に適しています。主食(ご飯、パン、麺類)でエネルギー源の炭水化物を、主菜(魚、肉、卵、大豆製品)で体を作るタンパク質を、副菜(野菜、きのこ、海藻)でビタミン、ミネラル、そして血糖上昇を緩やかにする食物繊維をバランスよく摂取することを心がけましょう19。
- 「ベジファースト」を実践する: 食事の最初に野菜や海藻、きのこ類のおかず(食物繊維が豊富なもの)から食べ始める方法です。食物繊維が後から食べる炭水化物の消化・吸収を遅らせ、血糖値の上昇を緩やかにする効果が期待できます20。
- 低GI(グリセミック・インデックス)の炭水化物を選ぶ: 同じ炭水化物でも、血糖値を上げやすいものと上げにくいものがあります。白米や食パンよりも、玄米、雑穀米、ライ麦パン、全粒粉パンなど、精製度の低い「茶色い炭水化物」を選びましょう20。
- 良質なタンパク質と脂質を摂る: 脂肪の多い肉や揚げ物は避け、魚(特に青魚)、鶏のささみや胸肉、豆腐・納豆などの大豆製品を積極的に取り入れましょう。調理油にはオリーブオイルなどが推奨されます21。
- 水分を十分に摂る: 水やお茶(麦茶などカフェインを含まないもの)をこまめに飲むことは、脱水を防ぎ、血中の糖濃度が濃縮されるのを防ぐ助けになります20。
C. 実践的な食事メニュー例と補食のアイデア
理論を実践に移すために、具体的な食事プランは非常に役立ちます。以下に、日本の食文化に合わせた1週間の食事メニュー例と、賢い補食の選択肢を提案します。
表4:GDM管理のための1週間食事メニュー例(日本食スタイル) 曜日 朝食 昼食 夕食 補食(2~3回/日)の例 月 玄米ごはん、豆腐とわかめの味噌汁、だし巻き卵、きゅうりの浅漬け 野菜たっぷり冷やしそば、鶏むね肉の塩焼き、海藻サラダ さんまの塩焼き、麦ごはん、けんちん汁、ほうれん草の胡麻和え ヨーグルト(無糖)、ナッツ類(少量)、低GIの果物(りんご1/4個など)、小魚アーモンド、チーズ、おからクッキー、小さいおにぎり、ふかし芋(少量)などから選択 火 全粒粉パン、アボカドとトマトのサラダ、ゆで卵 玄米おにぎり(鮭)、味噌汁、冷奴 豚肉の生姜焼き、千切りキャベツ、玄米ごはん、わかめスープ 水 オートミール(牛乳または豆乳で)、りんごとシナモンを少し 野菜たっぷりチキンカレー(ルーは控えめ)、少量の麦ごはん 鱈ときのこのホイル蒸し、玄米ごはん、かき玉汁 木 納豆ごはん(玄米)、お漬物、味噌汁 キヌアとひよこ豆のサラダ、焼き鶏ささみ 魚と野菜の紙鍋(かみなべ) 金 ギリシャヨーグルト(無糖)、ミックスナッツ、バナナ半分 お弁当:鮭の塩焼き、だし巻き卵、ブロッコリー、ミニトマト、少量の玄米 高野豆腐の含め煮、かぼちゃの煮物、大根サラダ 土 ライ麦パン、カッテージチーズ、きゅうり 玄米チャーハン(卵、野菜多め) 鶏肉と根菜の煮物(筑前煮)、麦ごはん、お吸い物 日 玄米粥、梅干し、しらす 親子丼(ごはん少なめ、具材多め) さばの味噌煮、玄米ごはん、あさりの味噌汁 出典: 複数の栄養指導資料を基にJAPANESEHEALTH.ORGが作成22
表5:賢い補食(分割食)の選択肢と目安カロリー 種類 具体例 目安カロリー ポイント 炭水化物 小さいおにぎり(約80g) 約130-150 kcal 持続的なエネルギー源。 ふかし芋(小さいもの1/2本) 約100-150 kcal 食物繊維が豊富。 乳製品 無糖ヨーグルト(小カップ1個) 約60-100 kcal カルシウムとタンパク質源。ベリー類を加えても良い。 プロセスチーズ(1-2個) 約60-120 kcal タンパク質を手軽に。 ナッツ類 アーモンド、くるみ(片手に軽く一杯、約15g) 約90-100 kcal 良質な脂質と食物繊維。食べ過ぎに注意。 果物(低GI) りんご(1/4~1/2個)、キウイ(1個) 約50-80 kcal ビタミン補給に。糖質が多い果物は避ける。 タンパク質 ゆで卵(1個) 約80 kcal 満腹感が持続しやすい。 無調整豆乳(200ml) 約80-100 kcal 植物性タンパク質の良い選択肢。 出典: 複数の栄養指導資料を基にJAPANESEHEALTH.ORGが作成20
運動療法:体を動かすメリットと注意点
定期的な運動は、インスリンの効きを良くし(インスリン感受性の改善)、血糖コントロールを助ける重要な役割を果たします。ただし、安全性への配慮が第一です。
- 推奨される運動: ウォーキング、マタニティスイミング、マタニティヨガ、エアロバイクなど、体に負担の少ない有酸素運動が推奨されます7。日常生活の中での家事なども立派な運動です23。
- 頻度と時間: 医師の許可を得た上で、週に数回、1回30分程度を目安に始めましょう23。
- 最適なタイミング: 食後の血糖値のピークを抑えるため、食後1時間ごろに運動するのが最も効果的とされています20。
- 重要な注意点:
- 必ず運動を始める前に主治医に相談し、許可を得てください。
- お腹が張る時や体調が優れない時は無理をしないこと。
- 低血糖を防ぐため、空腹時の運動は避けましょう20。
Cochraneによるシステマティックレビューでは、食事や運動を含むライフスタイル介入が巨大児のリスクを減少させることが示されていますが、一方で分娩誘発の割合をわずかに増加させる可能性も指摘されており、医師との連携が重要です24。
薬物療法:必要な場合の選択肢と日本の考え方
食事療法と運動療法を2週間程度続けても血糖目標を達成できない場合、薬物療法が検討されます。この分野では、日本の治療方針と海外の方針に明確な違いがあり、その理由を理解することは重要です。
インスリン療法:日本の第一選択
現在の日本では、GDMに対する薬物療法として、インスリン注射が唯一の選択肢であり、第一選択薬です2526。その最大の理由は「安全性」です。インスリンは分子が大きく、胎盤を通過しないため、赤ちゃんに直接影響を及ぼすことがありません26。長い歴史の中で胎児への安全性が確立されている、最も信頼できる治療法です。GDMでインスリンを使用した場合、ほとんどの人は出産直後にインスリン注射を中止できます5。
経口血糖降下薬(メトホルミンなど)に関する日本の立場
米国やヨーロッパの一部の国では、経口血糖降下薬であるメトホルミンがGDM治療の選択肢として使われることがあります17。しかし、日本では妊娠中の経口血糖降下薬の使用は、原則として認められていません4。薬剤の添付文書でも、妊婦への投与は禁忌とされています。これは、メトホルミンが胎盤を通過し、赤ちゃんに移行するためです。多くの国際的な研究でその有効性が示されている一方で、胎児期にメトホルミンに曝露された子供の長期的な安全性(long-term safety)に関するデータがまだ十分ではない、というのが日本の専門家組織の慎重な立場です4。「安全性が完全に確認されるまでは使用しない」という、母子の健康を最優先する日本の医療の哲学がここに表れています。
出産後の未来:ママと赤ちゃんの健康を守るために
GDMの管理は、出産をもって終わりではありません。GDMは、あなたの体が将来2型糖尿病になりやすい体質であることを示す「ストレステスト」のようなものです27。したがって、産後のフォローアップは、あなた自身の、そしてひいては家族の未来の健康を守るために極めて重要です。この分野において、日本糖尿病・妊娠学会(JSDP)は2023年10月に非常に新しく、権威ある「妊娠糖尿病既往女性のフォローアップに関する診療ガイドライン」を発表しました328。この最新の知見は、あなたの産後の道筋を照らす光となるでしょう。
JSDP 2023年ガイドラインの主要な推奨事項
- 必須の産後スクリーニング検査:
- 定期的なフォローアップ:
- 産後の検査で異常がなくても、その後も定期的に(例えば1年に1回)健康診断を受けることが強く推奨されます3。
- 予防的介入:
- 生活習慣の改善: 産後の検査で耐糖能異常(IGT)が見つかり、特に肥満(BMI ≥ 25)がある場合、減量を目指した食事療法や運動療法といった生活習慣への介入が「強く推奨」されます3。
- 母乳育児: 母乳育児は、お母さんの2型糖尿病発症リスクを低減させる可能性があるとして、「弱く推奨」されています35。母乳を作ることは多くのエネルギーを消費し、母親の代謝を改善する助けとなります。
- メトホルミンの使用検討(産後): これは新しい重要な推奨事項です。産後に耐糖能異常(IGT)と肥満を合併するハイリスクな女性に対して、生活習慣の改善だけでは不十分な場合に、2型糖尿病の発症予防目的でメトホルミンの使用を検討することが「弱く推奨」されています3。これはあくまで産後の話であり、妊娠中の使用とは区別されます。
このガイドラインは、産後の管理を個別化し、リスクに応じて最適なアプローチを提供することを目指しています。主治医と相談しながら、ご自身の状況に合ったフォローアップ計画を立てることが大切です。
よくある質問
インスリン治療になった場合、費用はどのくらいかかりますか?
甘いものは絶対に食べてはいけないのでしょうか?
妊娠糖尿病と診断されたら、入院は必要ですか?
GDMになると、必ず帝王切開になりますか?
結論
妊娠糖尿病という診断は、多くの不安をもたらすかもしれません。しかし、本稿で詳述したように、その原因は生理的なものであり、決してあなたの責任ではありません。そして最も重要なのは、日本の優れた医療システムのもと、最新の科学的根拠に基づいた適切な管理を行えば、安全な出産と母子の健康は十分に達成可能であるということです。食事の工夫、適度な運動、そして必要に応じたインスリン療法は、単なる「治療」ではなく、あなたの赤ちゃんの生涯にわたる健康の礎を築くための、愛情深く、力強い「投資」です。出産後も定期的なフォローアップを続けることで、ご自身の未来の健康をも守ることができます。この困難な時期を、知識と自信を持って乗り越え、健やかなマタニティライフと素晴らしい未来をその手に掴んでください。JAPANESEHEALTH.ORGは、その道のりを歩むあなたを心から応援しています。
本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的助言に代わるものではありません。健康に関する懸念や、ご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
参考文献
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- 妊娠糖尿病既往女性のフォローアップに関する診療ガイドラインが公開されました [インターネット]. 岡山大学病院 糖尿病センター; [引用日: 2025年6月21日]. Available from: https://www.ouhp-dmcenter.jp/project/donats/%E5%A6%8A%E5%A8%A0%E7%B3%96%E5%B0%BF%E7%97%85%E6%97%A2%E5%BE%80%E5%A5%B3%E6%80%A7%E3%81%AE%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E8%A8%BA/