妊婦さんとフェンネルウォーター:科学的根拠に基づく包括的安全性ガイド
妊娠

妊婦さんとフェンネルウォーター:科学的根拠に基づく包括的安全性ガイド

妊娠中のつわりや消化不良の緩和、あるいはリラックス効果のあるノンカフェイン飲料として、「フェンネルウォーター」や「フェンネルティー」に関心を持つ妊婦さんは少なくありません。インターネット上やライフスタイル雑誌では、これらが「自然由来で安心」「体に優しいハーブ」として紹介されることもあります1。 しかし、妊娠という極めて繊細な時期において、「自然由来」という言葉は決して「安全」を意味しません。植物が持つ成分には、医薬品に匹敵するほどの強力な作用を持つものが数多く存在し、その中には胎児の発育に深刻な影響を及ぼす可能性のあるものも含まれています2。 現在、日本のウェブサイトを検索すると、フェンネルの妊娠中・授乳中の摂取について、「授乳期の母乳の出を良くする」といった肯定的な情報3から、「子宮を刺激するため避けるべき」といった否定的な情報4まで、矛盾した見解が乱立しています。この情報の混乱は、妊婦さん自身がリスクを判断することを困難にし、意図せずして危険な選択をしてしまう可能性を生んでいます。このような状況は、単なる情報の不一致ではなく、胎児の健康を脅かす可能性のある「情報格差」という公衆衛生上の課題であると捉えるべきです。 本稿の目的は、こうした曖昧で矛盾した情報を一掃し、妊婦さんとそのご家族が安心して適切な判断を下せるよう、信頼できる国際的な科学的根拠と公的機関の見解のみに基づいて、フェンネルの安全性に関する決定的かつ包括的な答えを提示することです。本稿を通じて、読者の皆様が「なぜフェンネルを避けるべきなのか」を深く理解し、自信を持って安全なマタニティライフを送るための、明確で疑いのない指針を提供します。

本記事の科学的根拠

この記事は、ご提供いただいた調査報告書に明示的に引用されている、最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下のリストには、実際に参照された情報源と、提示された医学的指導との直接的な関連性のみが含まれています。

  • 欧州医薬品庁(EMA): 本記事における「妊娠中・授乳中のフェンネル使用は避けるべき」という中核的な勧告は、EMAが公表した医薬品としてのハーブ製品評価に基づいています17
  • カリフォルニア州環境保健有害性評価局(OEHHA): フェンネル成分「エストラゴール」が持つ発がん性の指摘は、OEHHAが公式にリスト掲載した科学的証拠を根拠としています15
  • Molecular and Cellular Endocrinology掲載研究 (PMID: 31536780): フェンネル成分「アネトール」と「エストラゴール」が胎児・胎盤のホルモン産生を阻害するという具体的な機序は、この学術研究によって明らかにされています13

要点まとめ

  • 摂取は厳禁:妊娠中および授乳中のフェンネル(フェンネルウォーター、ティー、食品、サプリ含む)の摂取は、量に関わらず厳に避けるべきです。
  • 二重のリスク:フェンネルには、胎児のホルモン環境を乱す「内分泌かく乱リスク」(アネトール)13と、DNAを損傷させる「遺伝毒性・発がんリスク」(エストラゴール)15という二つの深刻なリスクが存在します。
  • 「少量でも安全」ではない:特に遺伝毒性を持つエストラゴールには安全な閾値(いきち)が存在しないため、「少量なら大丈夫」という考えは科学的に通用しません。
  • 安全な代替品:つわりや水分補給には、麦茶、ルイボスティー、たんぽぽコーヒーなど、安全性が確認されているノンカフェイン飲料を選びましょう67
  • 通説の危険性:「母乳の出を良くする」という通説には科学的根拠が乏しく、むしろ母乳を介して乳児に有害成分が移行する危険性が指摘されています18

フェンネル(和名:ウイキョウ)とは?伝統的利用と科学が暴く成分の正体

フェンネル(学名:Foeniculum vulgare)は、セリ科に属する多年草で、和名を「茴香(ウイキョウ)」と言います5。地中海沿岸が原産とされ、古代ギリシャ・ローマ時代から薬用・食用として広く利用されてきました。そのスパイシーで甘い独特の香りは、料理の風味付けだけでなく、消化促進や健胃作用を期待して伝統的に用いられてきた歴史があります5。日本でも平安時代にはすでに伝来していたとされ、漢方では芳香性健胃薬として利用されています5
これらの伝統的な利用法は、先人たちの経験則に基づいたものでした。しかし、現代の科学は、フェンネルがなぜそのような作用を持つのかを、化学成分のレベルで解明することを可能にしました。そしてその分析結果は、伝統的な利用法だけでは見えてこなかった、重大なリスクの存在を明らかにしています2
特に、フェンネルの作用とリスクを理解する上で極めて重要なのが、以下の二つの主要な化学成分です。

  • アネトール(Anethole): フェンネル特有の甘い香りの主成分。
  • エストラゴール(Estragole): フェンネルのほか、バジルやタラゴンなどにも含まれる香気成分。

これらの成分こそが、フェンネルが持つ薬理作用の源泉であると同時に、妊娠中の摂取において深刻な懸念を引き起こす原因となります。
特に注意すべきは、フェンネルが伝統的に「母乳の出を良くする(催乳作用)」ハーブとして信じられてきた点です1。この「古くからの知恵」という認識は、現代の安全性に関する科学的知見と真っ向から対立します。催乳作用を期待させる成分こそが、胎児や乳児にとって無視できないリスクをもたらす可能性があるのです。したがって、伝統的なイメージに惑わされることなく、科学的な視点からその成分の正体とリスクを冷静に評価することが不可欠です。次章以降で、これらの成分が母体と胎児に及ぼす具体的な影響について、科学的証拠を基に詳述します。

妊娠中のハーブ利用:日本の産婦人科・公的機関の一般的な注意喚起

フェンネルの具体的なリスクを検証する前に、まず日本国内における妊娠中のハーブ利用に関する一般的な医学的見解を概観します。日本の多くの産婦人科クリニックや公的機関、健康情報サイトでは、妊娠中のハーブティーの利用に対して、一貫して慎重な姿勢が示されています6
これらの情報源では、ハーブが「ノンカフェインだから安心」という単純な認識に警鐘を鳴らし、一部のハーブには医薬品様の作用があり、妊娠の継続に影響を与える可能性があると指摘しています。具体的に摂取を避けるべき、あるいは注意が必要なハーブとして、以下のようなものが頻繁に挙げられます。

  • 子宮収縮作用が懸念されるハーブ: シナモン、サフラン、タイム、ナツメグ、レモングラス、ローズマリー、ジャスミンなど6
  • ホルモン様作用が懸念されるハーブ: セージ、リコリス(甘草)など7
  • その他: アロエ、ハトムギ、センナなど6

これらの注意喚起の根底にあるのは、「多くのハーブは、その安全性が科学的に十分に確立されていない」という事実です。特に、子宮の筋肉を刺激して収縮を誘発する作用8や、ホルモンバランスに影響を与える作用を持つハーブは、流産や早産のリスクを高める可能性があるため、特に注意が必要とされています。
しかし、これらの一般的な注意喚起には限界も存在します。多くの場合、リスクの度合いや性質について詳細な説明はなく、様々なハーブが同列に「注意が必要」としてリストアップされています。これにより、例えばシナモンのリスクとフェンネルのリスクが同程度のものであるかのような誤解を生む可能性があります。読者は「少量なら問題ないだろう」「たまに飲むくらいなら大丈夫」という自己判断に陥りがちです9
この「一般的な注意」という枠組みは、フェンネルが持つ特異的かつ深刻なリスクを十分に伝えることができません。フェンネルのリスクは、単なる「子宮収縮作用の可能性」といった一般的な懸念とは質的に異なり、より深刻な科学的根拠に基づいています。したがって、フェンネルについては、この一般的な注意喚起のレベルを超え、特定の「禁止」カテゴリーとして扱うべき科学的理由が存在するのです。

科学的検証:フェンネルの二大有効成分が母体と胎児に及ぼす深刻なリスク

この章では、フェンネルに含まれる二つの主要な生理活性物質、アネトールとエストラゴールが、母体、特に胎児の発育に及ぼす具体的なリスクについて、最新の科学的研究に基づいて詳細に解説します。これらの知見は、なぜフェンネルの摂取を「注意」ではなく「厳禁」とすべきかを明確に示しています。

アネトール(Anethole):エストロゲン様作用と「胎児・胎盤ユニット」への内分泌かく乱

アネトールは、フェンネルの甘い香りの主成分であり、その化学構造が女性ホルモンであるエストロゲンと類似していることから、エストロゲン様の作用を持つことが古くから知られています10。これは、体内のエストロゲン受容体に結合し、本来のホルモンと同様の作用を引き起こす可能性があることを意味します11。このような物質は「内分泌かく乱物質(EDCs)」と呼ばれ、妊娠中の曝露は極めて危険視されています。
その歴史的な教訓として、合成エストロゲン剤である「ジエチルスチルベストロール(DES)」の事例があります。DESは1940年代から70年代にかけて、流産防止薬として妊婦に投与されましたが、後に胎児期にDESに曝露した女性に膣がんや子宮奇形、不妊症などの深刻な健康被害が多発することが判明しました12。この悲劇は、妊娠中のホルモン環境が胎児の正常な発育にとっていかに重要であり、外部からの不適切なホルモン様物質の介入がいかに破壊的な結果をもたらすかを物語っています。
アネトールがもたらすリスクは、単なる理論上の懸念ではありません。2019年に権威ある学術誌『Molecular and Cellular Endocrinology』に掲載された画期的な研究は、アネトールとエストラゴールがヒトの「胎児・胎盤ユニット」のホルモン産生(ステロイド産生)を著しく妨害することを、実験モデルで直接的に示しました13
「胎児・胎盤ユニット」とは、胎児と胎盤が一体となって、妊娠の維持と胎児の成長に不可欠なホルモン(エストロゲン、プロゲステロンなど)を精緻なバランスで産生・調節するシステムです。この研究では、アネトールとエストラゴールが、このシステムの根幹をなす複数の重要な酵素の働きを変化させ、ホルモン産生をかく乱することが確認されました13。これは、妊娠という建物の基礎を揺るがすに等しい行為です。
さらに、動物実験では、アネトールを含むハーブの抽出物が、発情周期を延長させたり、プロゲステロン濃度を変化させたりするなど、生殖システムに強力に作用することが報告されています14。これらの知見は、アネトールが単に「女性ホルモンに似た作用を持つ」というレベルではなく、妊娠を支える根源的な生化学的メカニズムそのものを妨害する危険な物質であることを明確に示しています。

エストラゴール(Estragole):遺伝毒性(DNA損傷)と発がん性の科学的証拠

フェンネルがもたらすもう一つの、そしてより深刻なリスクは、成分エストラゴールに由来します。エストラゴールは、それ自体が直接的な毒性を持つわけではありませんが、体内で代謝される過程で、DNAを損傷する(遺伝毒性を持つ)物質に変化することが科学的に証明されています。DNAの損傷は、細胞のがん化の引き金となる可能性があります。
このリスクは、国際的な専門機関によって明確に認定されています。

  • カリフォルニア州環境保健有害性評価局(OEHHA): 米国カリフォルニア州の法律(プロポジション65)に基づき、OEHHAはエストラゴールを「科学的に妥当な試験を通じて、がんを引き起こすことが明確に示されている化学物質」として公式リストに掲載しています15。これは、エストラゴールのがんリスクが、法的に認められた科学的証拠に基づいていることを意味します。
  • 欧州食品安全機関(EFSA): EFSAは、エストラゴールのように「遺伝毒性」と「発がん性」の両方を持つ物質のリスクを評価するために、「曝露マージン(MOE: Margin of Exposure)」という厳格な手法を用いています16。MOEは、動物実験で腫瘍が発生した最小の投与量と、人間が摂取すると推定される量を比較して算出される指標です。この値が小さいほど、リスクへの懸念が高いと判断されます。

EFSAの評価によると、フェンネルティーに含まれるエストラゴールのMOEは、成人(生涯毎日1杯飲用)においてはリスク管理の優先度は低いかもしれないものの、子どもにおいては懸念されるほど低い値となり、「リスク管理のための優先事項」であると結論付けられています16
この結論が、妊娠中の摂取に対して持つ意味は決定的です。急速な細胞分裂を繰り返し、臓器が形成される最も重要な時期にある胎児は、子どもよりもはるかに化学物質に対する感受性が高く、脆弱な存在です。解毒能力も未熟です。その胎児にとって、遺伝子(DNA)を傷つけることが分かっている物質に安全な摂取量(閾値)は存在しない、というのが科学的な原則です。子どもにとってすら「リスク管理の優先事項」と評価される物質を、最も無防備な胎児に曝露させることは、決して容認できるリスクではありません。
「少量なら大丈夫」という安易な考えは、遺伝毒性発がん物質であるエストラゴールのリスクの前では、科学的に完全に否定されます。

表1:フェンネルの主要成分と科学的に指摘されるリスク
成分名 科学的に確認されている作用 主要な科学的根拠 妊娠への具体的な影響
アネトール (Anethole) エストロゲン様作用、内分泌かく乱作用 PMID: 3153678013 胎児の正常なホルモン環境を阻害し、発育に影響を与えるリスク。
エストラゴール (Estragole) 遺伝毒性、発がん性 OEHHA Prop 65 Listing15, PMID: 3153678013, EFSA (MOE)16 胎児の細胞のDNAを損傷させ、将来の健康問題(がんを含む)につながるリスク。

世界の規制・専門機関はこう見る:国際的な公式見解と「安全基準」の罠

個々の科学的研究に加え、国際的な規制機関や専門機関がどのような公式見解を示しているかを確認することは、リスクを客観的に判断する上で不可欠です。フェンネルの安全性に関して、欧州の医薬品規制当局は極めて明確な勧告を出しています。
欧州医薬品庁(EMA)は、医薬品としてのハーブ製品の評価を行っており、スイートフェンネル(Foeniculum vulgare var. dulce)の果実(一般にフェンネルティーに用いられる部位)について、以下のように結論付けています。

「妊娠中または授乳中の女性における安全な使用に関する十分な情報がないため、一般的な予防措置として、これらの女性はスイートフェンネルの果実を含む医薬品を使用すべきではない。」17

この勧告は、科学的データが不足していることを理由に、予防原則(安全性が確認できない限りは使用を避けるべきという原則)に則ったものです。胎児と乳児という最も脆弱な集団を保護するための、責任ある公的機関としての見解です。
一方で、一部で混乱を招く可能性があるのが、米国食品医薬品局(FDA)の「GRAS(Generally Recognized as Safe:一般に安全と認められる)」という制度です。フェンネルやエストラゴールは、食品添加物(香料)としてGRASリストに含まれています15。しかし、これは「安全基準の罠」とも言えるものであり、妊娠中の摂取の安全性を保証するものでは決してありません。
この罠を理解するためには、GRAS制度の目的と適用範囲を正確に知る必要があります。

  • 適用量の違い: GRASは、一般的な食品にごく微量添加される「香料」としての使用を前提としています。一方で、妊婦さんが飲むフェンネルティーは、ハーブの成分を煮出して「薬理作用を期待して」摂取する行為であり、その摂取量は香料としての使用とは比較にならないほど多くなります。
  • 対象集団の違い: GRASは、健康な「一般成人」を対象とした評価です。胎児の特異的な脆弱性は全く考慮されていません。
  • 規制の性質の違い: FDAのGRASが一般的な食品供給に関する規制であるのに対し、EMAの勧告は特定の集団(妊婦・授乳婦)に対する具体的な臨床的アドバイスです。また、同じ米国内でも、カリフォルニア州のOEHHAはエストラゴールの発がんリスクを明確に警告しており15、規制当局の見解が一枚岩ではないことを示しています。

したがって、妊娠中の女性が参考にするべきは、自らの状況に特化して出された臨床的な勧告、すなわちEMAの「使用すべきではない」という明確なガイダンスです。FDAのGRASリストを根拠に「安全だ」と判断することは、制度の意図を誤解した危険な解釈と言えます。

統合的リスク評価:「少量なら大丈夫」が通用しない決定的理由

これまでの科学的知見を統合すると、フェンネルが妊娠中の摂取においてなぜ「厳に避けるべき」なのか、その決定的な理由が浮かび上がってきます。それは、リスクが単一ではなく、性質の異なる二つの深刻なリスクが同時に存在するという点にあります。

  1. アネトールによる「内分泌かく乱リスク」: 胎児の正常な発育に不可欠なホルモン環境を、外部からかく乱する危険性13
  2. エストラゴールによる「遺伝毒性・発がんリスク」: 胎児の細胞の設計図であるDNAそのものを傷つけ、将来にわたる健康被害(がんを含む)の種をまく危険性15

この二重のリスクは、「少量なら大丈夫」「たまになら平気」といった自己判断を完全に無効化します。特に、エストラゴールが持つ遺伝毒性という性質は決定的です。遺伝毒性を持つ物質については、理論上、たった一つの分子がDNAを損傷し、発がんの引き金となる可能性を否定できません。そのため、科学的には「これ以下なら絶対に安全」と言える閾値(いきち)は存在しないと考えられています。
この状況を理解するために、放射線被曝に例えてみましょう。「お腹の赤ちゃんにとって、安全な放射線の量はどれくらいですか?」と問う人はいません。答えは「可能な限り完全に避ける」です。遺伝子を傷つけるリスクに対しては、曝露をゼロにすることが唯一の安全策だからです。遺伝毒性を持つ化学物質であるエストラゴールについても、これと全く同じ原則が適用されるべきです。
さらに、胎児の臓器が形成される最も重要な時期(器官形成期)は、妊娠初期、多くの場合は母親が妊娠に気づくか気づかないかのうちに訪れます。この最も脆弱な時期に、ホルモン環境を乱し、DNAを損傷する可能性のある物質に曝露することのリスクは計り知れません。
結論として、アネトールとエストラゴールがもたらす複合的かつ深刻なリスクを考慮すると、妊娠中のフェンネルの摂取は、いかなる量であっても、そのリスクが潜在的な利益(リラックス効果や消化促進など)をはるかに上回ります。科学的根拠に基づいた唯一の責任ある選択は、完全な回避です。

授乳中の摂取は安全か?「母乳に良い」という通説の危険性

妊娠中だけでなく、授乳中のフェンネル摂取についても、重大な懸念が存在します。特に日本では、「フェンネルは母乳の出を良くする」という通説が広く信じられており1、産後の女性が積極的に摂取するケースが見られます。しかし、この通説は科学的根拠に乏しいばかりか、乳児を危険に晒す可能性があります。
このリスクを裏付ける重要な報告として、母親がフェンネルやアニスを含むハーブティーを過剰に摂取した後、母乳を飲んだ新生児2名が、嗜眠(しみん:眠り込んで反応が鈍くなる状態)や嘔吐といった中毒症状を示したという症例報告があります18。これは、ハーブの成分が母乳を介して乳児に移行し、毒性を示した可能性を示唆しています。
実際に、複数の研究で、フェンネルの主要成分であるアネトールやエストラゴールが母乳中に移行することが確認されています18。その移行量は母親によって個人差が大きいものの、乳児がこれらの生理活性物質に曝露されることは間違いありません。
乳児の体は、肝臓の解毒機能や排泄機能が未熟であり、大人であれば問題にならないような微量の化学物質でも、処理しきれずに体内に蓄積し、予期せぬ悪影響を引き起こす可能性があります。
これらの科学的証拠と症例報告を踏まえ、欧州医薬品庁(EMA)は、妊娠中だけでなく授乳中のフェンネルの使用についても、「使用すべきではない」と明確に勧告しています17
結論として、催乳効果という科学的に証明されていない曖昧な利益のために、乳児を中毒のリスクに晒すことは決して正当化できません。「母乳に良い」という通説を鵜呑みにせず、乳児の安全を最優先に考え、授乳中のフェンネルおよびフェンネルを含む製品の摂取は厳に避けるべきです。

健康に関する注意事項

本記事で提供される情報は、一般的な知識の提供を目的としており、個別の医学的アドバイスに代わるものではありません。妊娠中または授乳中にフェンネルを含む製品を既に摂取してしまい、ご自身の健康や胎児・乳児の健康について不安を感じる場合は、自己判断で対処せず、速やかにかかりつけの産婦人科医、小児科医、または助産師にご相談ください。専門家はあなたの状況を正確に評価し、最適なアドバイスを提供します。

よくある質問

料理のスパイスとして少量使うのも危険ですか?
はい、危険である可能性が否定できません。本記事で解説した通り、フェンネルに含まれるエストラゴールは遺伝毒性を持つため、科学的には安全な摂取量(閾値)が存在しないとされています16。料理に使うスパイスは、お茶として飲むよりも摂取量は少ないかもしれませんが、最も脆弱な胎児へのリスクを考慮すると、意図的な摂取は「可能な限り完全に避ける」ことが最も賢明な選択です。リスクをゼロにすることが、唯一の安全策です。
知らずにフェンネルティーを飲んでしまいました。どうすればよいですか?
まず、パニックにならずに落ち着いてください。一度や二度の摂取が、直ちに深刻な問題を引き起こすとは限りません。最も重要なことは、今後の摂取を直ちに中止することです。そして、次の妊婦健診の際に、いつ、どのくらいの量を摂取したかを正直に医師や助産師に伝え、相談してください。自己判断で不安を抱え込まず、専門家の見解を求めることが大切です。
フェンネル以外のハーブティーなら、何でも飲んで大丈夫ですか?
いいえ、そうではありません。フェンネル以外にも、子宮収縮作用やホルモン様作用が懸念されるハーブ(例:シナモン、セージ、レモングラスなど)が存在します67。一方で、麦茶、ルイボスティー、ローズヒップティー、たんぽぽコーヒーなどは、妊娠中でも安全に飲めると広く推奨されています719。新しいハーブティーを試す前には、その安全性を信頼できる情報源で確認するか、かかりつけの医師に相談することをお勧めします。
「母乳の出が良くなる」と聞いたのですが、授乳中もダメなのでしょうか?
はい、授乳中も厳に避けるべきです。「母乳の出を良くする」という効果は科学的に証明されておらず、むしろ有害成分(アネトール、エストラゴール)が母乳に移行し、乳児に神経毒性などの悪影響を及ぼしたという症例報告があります18。欧州医薬品庁(EMA)も授乳中の使用を明確に禁じています17。曖昧な利益のために、赤ちゃんを危険に晒すことは避けるべきです。

結論

本稿で詳述してきた数々の科学的根拠を統合し、以下の結論を提示します。

【最終結論】
妊娠中および授乳中のフェンネルウォーター、フェンネルティー、そしてフェンネルを含むあらゆる食品・サプリメントの摂取は、その量にかかわらず、厳に避けるべきです。

この結論は、以下の二つの深刻なリスクに基づいています。

  • 内分泌かく乱: アネトールが胎児の正常なホルモン環境を阻害するリスク13
  • 遺伝毒性・発がん性: エストラゴールが胎児のDNAを損傷するリスク15

これらのリスクは、特に胎児や乳児という最も脆弱な存在に対して、許容できるレベルのものではありません。
この明確な結論を踏まえ、妊婦さんが安心してマタニティライフを送れるよう、本当に安全で推奨される水分補給の選択肢を以下に示します。このガイドが、不安を解消し、ポジティブな選択をするための一助となることを願います。

妊婦さんのための本当に安全な水分補給ガイド

  • 麦茶 (Mugicha / Barley Tea): 日本の妊婦さんにとって最も定番で安全な選択肢の一つです。ノンカフェインであることはもちろん、カルシウムや鉄分、カリウムなどのミネラルも含まれており、安心して日常的に飲むことができます6
  • ルイボスティー (Rooibos Tea): 南アフリカ原産のハーブティーで、ノンカフェインです。抗酸化物質が豊富で、多くの専門家や機関から妊娠中に推奨される飲み物として挙げられています7
  • たんぽぽコーヒー (Dandelion Coffee): たんぽぽの根を焙煎したもので、コーヒー風味のノンカフェイン飲料として人気があります。コーヒーが好きなけれどカフェインを避けたい妊婦さんにおすすめです19
  • ローズヒップティー (Rosehip Tea): バラ科の植物の実から作られるハーブティーで、ビタミンCが豊富です。妊娠中でも安全に飲めるハーブティーとしてしばしば紹介されます7

これらの安全な選択肢を、日々の水分補給に上手に取り入れてください。以下の比較表は、飲み物を選ぶ際の参考にしてください。

表2:妊娠中の飲み物 安全性比較一覧
飲み物 安全性レベル 理由と根拠
フェンネルウォーター/ティー 避けるべき 内分泌かく乱および遺伝毒性のリスク1315
麦茶 安全 ノンカフェイン、ミネラル豊富6
ルイボスティー 安全 ノンカフェイン、抗酸化物質7
たんぽぽコーヒー 安全 ノンカフェイン19
緑茶・紅茶 量に注意 カフェイン含有(1日200mgまでが目安)8
コーヒー 量に注意 カフェイン含有(1日200mgまでが目安)8
アルコール飲料 禁止 胎児性アルコール症候群のリスク7

妊娠中は、体に取り入れるものすべてに気を配る必要があります。特に「自然」「ハーブ」といった言葉の持つ心地よい響きに惑わされず、科学的根拠に基づいた冷静な判断をすることが、あなたと、そしてお腹の赤ちゃんの健康を守る上で最も重要です。不明な点や不安なことがあれば、必ずかかりつけの産婦人科医や助産師に相談してください。

免責事項
本記事は情報提供を目的としたものであり、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

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