この記事の科学的根拠
この記事は、入力された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下に示すリストは、参照された実際の情報源のみを含み、提示された医学的指針とそれらの直接的な関連性を示したものです。
- 日本小児心身医学会 (JSPP): 本記事における、特に小児を対象とした摂食障害の診断基準、入院適応、そして成長への影響に関する指針は、同学会が公表した診療ガイドラインに基づいています456。
- 日本摂食障害学会 (JSED): 治療戦略、特に多職種連携アプローチや日本の臨床現場における心理社会的介入に関する記述は、同学会発行の「摂食障害治療ガイドライン」を主要な根拠としています3。
- 米国精神医学会 (APA): 神経性やせ症(AN)および回避・制限性食物摂取症(ARFID)の臨床的定義と診断基準は、世界的な標準である「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)」に基づいています4。
- 厚生労働省: 日本国内における摂食障害の疫学的データ、患者数、および国の治療支援体制に関する統計や報告は、厚生労働省の研究班報告および公表資料を引用しています823。
- JAMA Network Openに掲載された研究: 新型コロナウイルス感染症パンデミックが日本の小児・思春期の神経性やせ症の新規診断数に与えた影響に関する具体的なデータは、日本の多施設共同研究の結果として発表された論文に基づいています17。
要点まとめ
- 日本の小児における摂食障害は増加傾向にあり、特に新型コロナウイルス感染症の流行以降、低年齢化と男子症例の増加が顕著です。
- 診断では、「太ることへの恐怖」を伴う「神経性やせ症(AN)」と、そうした恐怖はないが食事を避ける「回避・制限性食物摂取症(ARFID)」の鑑別が極めて重要です。
- 子供の摂食障害は、体重減少だけでなく、低身長や骨粗鬆症、発達の遅れといった深刻かつ不可逆的な身体的影響を及ぼす危険性があります。
- 原因は単一ではなく、個人の心理的特性、社会文化的な「痩せ信仰」、学校や家庭の環境的緊張などが複雑に絡み合っています。
- 治療は身体的安定と栄養回復を最優先とし、家族と学校を含めた多職種による包括的な支援体制の構築が不可欠です。
第1部:背景と問題提起:日本における小児摂食障害の現状
近年、日本の子どもたちの間で摂食障害が深刻な健康問題として浮上しています。この問題の全体像を正確に理解するためには、まず医学的な用語の定義を明確にし、国内の疫学的な状況と、それがもたらす公衆衛生上の負荷を把握することが不可欠です。
1.1. 用語の定義と臨床的分類:「摂食障害」の正しい理解
日常会話で使われる「拒食症」という言葉は、医学的な文脈ではより厳密に定義される必要があります。医学界では、これらの状態を包括する用語として「摂食障害(せっしょくしょうがい)」が用いられます3。特に小児において重要な診断は以下の通りです。
- 神経性やせ症(しんけいせいやせしょう、Anorexia Nervosa, AN): 体重増加や肥満になることへの極度の恐怖感を特徴とし、自身の体重や体型に対する認識の歪みを伴います。患者は危険なほど低体重であるにもかかわらず、極端な食事制限や過剰な運動に固執します4。
- 回避・制限性食物摂取症(かいひ・せいげんせいしょくもつせっしゅしょう、Avoidant/Restrictive Food Intake Disorder, ARFID): こちらはANと異なり、体重増加への恐怖や体型へのこだわりが見られません。食事を避ける理由は、食べること自体への無関心、食品の感覚的特性(匂い、食感など)への過敏さ、または過去のトラウマ体験(窒息、嘔吐など)に起因する食事への恐怖心です4。
この二つの鑑別は臨床上、極めて重要です。小児科医が体重減少の子供を診察する際に、AN特有の「肥満恐怖」が見られないからといって安心してしまうと、ARFIDの診断を見逃す危険性があります。診断の遅れは不適切な介入につながり、子供の栄養状態をさらに悪化させることになりかねません。日本の診療指針では、その他にも「食物回避性情緒障害」や「機能的嚥下障害」といった多様な状態についても言及されており、小児の食の問題の複雑さが示唆されています7。
1.2. 疫学と公衆衛生上の負荷:深刻化する日本の現状
摂食障害は、日本において見過ごすことのできない公衆衛生上の課題となっています。公式な統計では、全国で約22万人の患者が治療を受けていると推定されています8。しかし、多くの患者が医療機関を受診していない実態を考慮すると、実際の患者数は数十万人に上る可能性が指摘されています10。この問題の深刻さは、神経性やせ症(AN)の死亡率が約5%から6%に達するという事実からも明らかです。これは精神疾患の中でも最も高い水準の一つです9。
歴史的に見ると、日本の摂食障害患者数は1980年代から1990年代にかけて急増しました12。そして近年、二つの懸念すべき傾向が明らかになっています。それは発症年齢の若年化と男性患者の増加です。研究によれば、ANは9歳から10歳の子供でも発症する可能性があり14、その発症年齢はますます早まる傾向にあります4。
特に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックは、この状況を悪化させる強力な触媒として機能しました。日本国内の多施設共同研究によると、パンデミック後、小児および思春期におけるANの新規診断数が著しく増加したことが示されています。具体的には、月平均の新規患者数はパンデミック前の1.08人から、パンデミック後には1.48人へと増加しました。この増加は特に低年齢層(7歳~14歳)で顕著であり、月平均0.74人から1.13人へと増えました。注目すべきは、男性患者も月平均0.03人から0.22人へと大幅に増加した点です17。
この急激な増加は、パンデミックが根本原因なのではなく、日本社会に潜在していた危険因子を増幅させたことを示唆しています。学校閉鎖や社会的な孤立、SNS利用時間の急増は、子供たちから直接的な社会的交流や安定した生活リズムといった「保護因子」を奪い、代わりに体型に関する否定的な情報への接触、家庭や学業の緊張といった「危険因子」を増大させました19。したがって、公衆衛生戦略は、事態が「正常」に戻るのを待つのではなく、これらの長期的な影響に積極的に対処していく必要があります。
第2部:臨床症状と診断プロセス
子供の摂食障害に早期に気づき、適切に対応するためには、その多彩な症状を理解し、体系的な診断プロセスを知ることが不可欠です。症状は身体、心理、行動の三つの側面に現れます。
2.1. 主要な臨床症状:警戒すべきサインを見抜く
身体的症状:
これらは主に栄養失調の直接的な結果として現れます。小児の場合、明確な体重減少がなくても、成長曲線に沿った体重増加が見られないこと自体が重要な警告サインです21。その他の症状は以下の通りです。
- 生命兆候の異常: 低体温、低血圧、徐脈(脈が遅くなる)5。
- 内分泌・発達の変化: 月経が始まっていた女児の無月経、または初経の遅れ、第二次性徴の発現の遅れ5。
- 外見上の変化: 脱毛、皮膚の乾燥、産毛の増生、むくみ(浮腫)5。
- 消化器系の問題: 慢性的な便秘4。
心理的症状:
これらは内面の混乱を反映する中心的な症状です。
- 認知の歪み: ボディイメージの障害(客観的には危険なほど痩せているのに、自分を「太っている」と感じる)5。
- 病識の欠如: 自身の低体重の深刻さを認識できない5。
- 否定的な感情: 体重増加に対する強い恐怖(肥満恐怖)、不安、抑うつ、いらだち、低い自尊心、見捨てられ感や孤独感4。
- 強迫的な思考: 食事、体重、体型に関する強迫観念やこだわり4。
行動的症状:
これらの行動は、病的に体重をコントロールしようとする努力の現れです。
- 異常な食行動: 食事量の極端な制限、カロリー計算への執着、特定の「安全な」食品しか食べない、食べ物を噛んで吐き出す、自分で調理して内容や量を管理する5。
- 代償行動(排出型ANでみられる): 自己誘発性嘔吐、下剤や利尿薬の乱用5。
- その他の行動: 過剰な身体活動(過活動)、隠れ食い、他人の食事への過剰な関心と時にそれを強要する行動5。
重要なのは、これらの症状が「飢餓症候群」を形成するという点です22。長期にわたる栄養失調自体が、抑うつ、不安、強迫思考といった心理症状を引き起こします。これにより、「空腹になればなるほど気分が悪化し、さらに食べられなくなる」という悪循環が生まれます。したがって、栄養回復は単なる身体的救命措置ではなく、この悪循環を断ち切り、より深い心理療法の効果を発揮させるための最優先の心理療法でもあるのです。
2.2. 日本における診断の枠組み:体系的プロセス
日本における小児摂食障害の診断は、国際的な基準と国内の臨床実践ガイドラインを組み合わせた、体系的かつ多段階のプロセスに基づいています。
- 診断の基盤: 主な診断は米国精神医学会の「精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)」に準拠します4。しかし、日本摂食障害学会や日本小児心身医学会といった専門組織が、日本の臨床状況に合わせた具体的な推奨事項を含む「診療ガイドライン」を公表しています3。
- ステップ1:身体疾患の除外: 最も重要な最初のステップです。心理的な原因と結論付ける前に、脳腫瘍、炎症性腸疾患(IBD)、甲状腺機能亢進症などの内分泌疾患、その他の悪性腫瘍といった、体重減少や食欲不振を引き起こす可能性のある全ての身体疾患を除外しなければなりません。これには血液検査、脳のMRIなどの画像検査、必要に応じて消化器内視鏡検査などが含まれます4。
- ステップ2:身体的重症度の評価: 身体疾患が除外された後、栄養失調の危険度を評価します。客観的な指標として、体格指数(BMI)、年齢と性別に応じた標準体重比、心拍数や血圧などの生命兆候が用いられます。これにより、緊急性を判断し、入院が必要かどうかを決定します6。
- ステップ3:心理・行動面の評価: 医師は患者本人と家族に詳細な問診を行い、前述した中心的な心理・行動症状に関する情報を収集し、具体的な診断(AN、ARFIDなど)を確定します。
以下の表は、主要な診断基準を比較したものです。
表1:主要診断基準の比較
基準 | DSM-5: 神経性やせ症 (AN) | DSM-5: 回避・制限性食物摂取症 (ARFID) | 日本のガイドラインからの注記 |
---|---|---|---|
エネルギー摂取の制限 | 期待されるべき水準と比較して著しく低い体重になるようなエネルギー摂取の制限。 | 適切な栄養および/またはエネルギーの必要量を満たせない、持続的な摂食または食事の障害。 | 厚生労働省の基準では「標準体重の20%以上のやせ」が考慮されることがある23。小児では成長軌道に沿った体重増加がないだけで警告信号となる。 |
体重増加への恐怖 | 体重が増えること、または太ることに対する強い恐怖、または体重増加を妨げる持続的な行動。 | なし。これが中核的な違いである。 | 特に低年齢の子供では、この恐怖が明確に言語化されず、「お腹が痛い」などの身体愁訴として表現されることがある7。 |
身体像の認知の歪み | 自分の体重または体型を体験する仕方の障害、自己評価に対する体重・体型の過剰な影響、または現在の低体重の深刻さの否認。 | なし。 | – |
結果 | 著しい低体重。 | 著しい体重減少(小児では期待される体重増加の欠如)、深刻な栄養欠乏、経管栄養や経口栄養補助への依存、明らかな心理社会的機能の障害。 | – |
2.3. 小児科特有の留意点:子どもは小さな大人ではない
子供の摂食障害の診断と治療は、成人と根本的に異なる点があるため、専門的なアプローチが求められます。
- 明確な「肥満恐怖」の欠如: 思春期前の子供の多くは、青年や成人のように体重増加への恐怖をはっきりと口にしません。代わりに、腹痛や吐き気といった身体症状を訴えたり、単に「お腹が空いていない」と言ったりします。これは特にARFIDにおいて、誤診や見逃しの危険性を高めます7。
- ARFIDの重要性: 回避・制限性食物摂取症(ARFID)は、小児科領域でますます重要な診断と見なされています。これは、体型へのこだわりがないにもかかわらず深刻な体重減少をきたす多くの症例を説明し、しばしば食事に関する否定的な経験と関連しています4。
- 成長と発達への影響: 子供の栄養失調は単なる体重減少に留まりません。身長の伸びの停止(低身長)、骨量のピーク達成不全による若年性骨粗鬆症、思春期発達の遅延や停止など、長期的で時には不可逆的なダメージをもたらします。これらの影響は、将来の身体的健康や生殖能力に深刻な影を落とします5。
- 専門的な評価ツール: 子供は発達途上にあるため、栄養状態の評価には年齢と性別で標準化されたツールを用いる必要があります。成長曲線や、標準偏差で補正されたBMI指数(BMI-SDS)は、子供の状態を正確に評価するために不可欠なツールです5。
第3部:原因論:日本の文脈における多因子モデル
摂食障害は単一の原因から生じるのではなく、生物学的、心理的、そして社会文化的な要因が複雑に相互作用した結果として発症します。
3.1. 個人の心理的要因と神経生物学
特定の心理的特性や生物学的素因は、子供が摂食障害を発症する危険性を高めます。性格的には、完璧主義、低い自尊心、不安を感じやすい、そして自分の感情を認識し表現することが苦手な子供は、より高い危険性を有します2。日本の臨床現場でよく見られる観察として、患者の多くが他者を喜ばせようと常に努力し、自己の欲求を抑圧する「手のかからない良い子」であったという点が挙げられます25。
神経生物学的な側面では、摂食障害と神経発達症、特に自閉スペクトラム症との関連を示す証拠が増え続けており、これは思春期前の子供において特に顕著です4。不安障害やうつ病といった併存する精神疾患も非常に一般的であり、これらは摂食障害の原因であると同時に結果でもあり得ます2。
3.2. 社会文化的圧力:「痩せ信仰」とその先にあるもの
日本の社会文化的背景は、特に重要な役割を果たしています。最も顕著な要因の一つが「痩せ信仰(やせしんこう)」です。これは、「痩せていること」を美と成功の基準と見なす、深く根付いた文化的価値観です26。その影響の大きさは驚くべきもので、ある調査では日本の女子小学生の70%が「痩せたい」という願望を表明していることが示されました25。この理想は、テレビや雑誌といったマスメディア、そして近年では特にSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を通じて強力に強化・拡散されています20。
しかし、この痩せ願望を単なる表面的な流行の追及と見なすのは誤りです。より深く分析すると、多くの若者にとって、体重や食事に集中することは一種の対処機制(コーピング・メカニズム)であることがわかります。それは、学業の圧力、家族の対立、あるいは失敗感といった現実の緊張や苦痛から注意をそらし、自分がコントロールできると感じられる領域、つまり自分の体と体重計の数字へと関心を向ける手段となるのです25。数キログラムの減量は、一時的な達成感と万能感をもたらし、より深刻な心理的問題に対する誤った「解決策」となります。したがって、効果的な介入は、これらの根本的な緊張の原因に対処し、子供たちがより健康的な対処技術を身につけられるよう支援しなければなりません。
3.3. 環境的緊張要因:学校と家庭
子供の日常生活の場には、摂食障害の引き金となったり、悪化させたりする可能性のある多くの緊張要因が存在します。
- 学校: 競争の激しい日本の学校環境は、大きな緊張源です。「受験ストレス」は一般的な現象であり、生徒の学業成績に重い負担をかけます2。それに加えて、友人との複雑な人間関係、いじめ、あるいは給食に関連する否定的な経験(例:完食の強要)も、トラウマ的なきっかけとなり得ます6。
- 家庭: 家庭環境もまた、少なからず影響を及ぼします。両親の不和、コミュニケーションや温かみの欠如、あるいは子供の肩に負わされた過剰な期待などは、緊張に満ちた環境を生み出し、病気の発症に寄与する可能性があります2。時には、体重や体型に関する家族からの何気ない一言が、最後の一押しとなることもあります31。
第4部:科学的根拠に基づく治療と管理戦略
小児の摂食障害治療には、多職種による包括的かつ段階的なアプローチが求められます。そこでは、より深い心理的問題に取り組む前に、身体的な安定を確保することが最優先されます。
4.1. 治療の基盤:医学的安定化と栄養回復
治療の初期段階は、完全に医学的状態の安定化と栄養状態の回復に焦点を当てます。これは最優先事項です。なぜなら、重度の栄養失調は生命を脅かし、心理療法の効果を妨げるからです7。この段階での主な目標は、疾患に関する教育を通じて誤った食行動を修正し、栄養指導を通じて栄養状態を改善することです5。
重症例では入院が必要です。日本小児心身医学会のガイドラインは、明確な入院基準を提唱しており、それには標準体重の65%未満(BMI-SDS約-4.0に相当)、短期間での急激な体重減少、重度の脱水、または外来での管理が不可能な重い精神症状などが含まれます6。入院治療中、患者が経口で十分に摂取できない場合には、経鼻胃管による栄養補給が適応となることがあります22。この時期に厳重に管理すべき危険性の一つが再栄養症候群(refeeding syndrome)で、これは重度の栄養失調患者に栄養補給を再開した際に起こりうる、危険な代謝性合併症です22。
表3:段階的治療アプローチ
段階 | 目標 | 主な介入 |
---|---|---|
初期(急性期) | 医学的状態の安定化、体重減少の反転、栄養回復、患者および家族との治療同盟の確立。 | 必要に応じた入院治療、厳重な医学的監視、栄養補給(経口または経管)、患者と家族への疾患・栄養教育5。 |
中期 | 健康的な体重の維持、食行動の正常化、根底にある心理的・認知的・家族的問題への取り組み開始。 | 個人および家族心理療法、栄養カウンセリング、学校との連携による復学支援、必要に応じた薬物療法の調整7。 |
後期(維持期) | 再発予防、社会的・心理的機能の改善、残存する発達課題(自尊心、対処技術など)への取り組み。 | 長期的な外来フォローアップ、継続的な心理的サポート、学習したスキルの強化、再発予防計画の立案5。 |
4.2. 心理社会的介入:日本の現状
心理療法の分野において、日本の現状は一つの課題を浮き彫りにしています。現時点では、小児の摂食障害に特化し、高い科学的根拠(レベルAエビデンス)を持つ心理療法は確立されていません。そのため、現在の治療ガイドラインは主に専門家の合意(エキスパート・コンセンサス)に基づいています4。
そうではあるものの、ガイドラインでは様々な心理療法の技法を適用することが言及されています3。成人で有効性が証明されている認知行動療法(CBT)も、包括的な治療計画の一部として触れられています7。初期段階で重要な要素は、患者の治療への動機づけです。多くの子供や青年は病識に乏しく、治療に抵抗するためです3。
4.3. 家族と学校の役割:支援ネットワークの構築
子供の治療は、患者個人だけに焦点を当てていては成功しません。家族と学校からの強固な支援ネットワークを構築することが不可欠です。
- 家族: 子供はしばしば治療への動機づけが低いか抵抗的であるため、家族との「治療同盟」を築くことが極めて重要です。家族は、治療プロセスの積極的なパートナーとなるために、病気に関する十分な知識を提供される必要があります。それによって、たとえその時点での子供の希望に反することであっても、治療計画の遵守を支援することができるようになります22。
- 学校: 身体活動のレベル、学校給食、そして特に治療のための休学後の復学支援といった問題を管理するためには、学校との緊密な連携が必要です。近年の研究では、生徒をより効果的に支援するために、教育システムと医療システムの連携を強化する必要性が強調されています20。
4.4. 薬物療法:補助的な役割
摂食障害の治療において、薬物は主要な治療法ではなく、補助的な役割を果たします。日本のガイドラインは、薬物療法が主に症状を管理するための「対症療法」であり、根本的な原因を治す「根治療法」ではないことを強調しています7。
薬は、不安、抑うつ、あるいは深刻な強迫思考といった併存する精神症状を管理するために使用されます。低用量の抗精神病薬が、食事や体重に関する不安や思考の硬直性を和らげるために処方されることがあります7。また、日本の伝統医療である漢方薬も選択肢として考慮されることがあります。例えば、「半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)」は飲み込みにくいといった症状に、「抑肝散(よくかんさん)」はいらだちや感情の不安定さに用いられることがあります32。
第5部:日本のための行動計画と将来展望
摂食障害という複雑な問題に取り組むためには、臨床医から保護者、教育者、そして社会システム全体に至るまで、多角的なアプローチが必要です。
5.1. 臨床医(小児科医、一般医)への推奨
第一線の医師は、早期発見と初期介入において極めて重要な役割を担っています。
- スクリーニングと早期発見の強化: 明らかな体重減少がなくても、子供が何らかの異常な食行動を示したり、標準的な成長曲線から逸脱したりした場合は、常に摂食障害の可能性を念頭に置くべきです7。定期的なスクリーニングツールとして成長曲線を用いることが非常に重要です。
- 初期管理: 小児科医は、身体的評価、家族への教育、基本的な栄養計画の立案といった初期治療を開始する能力を十分に持っています。この早期介入が、病気の重症化を防ぐ鍵となります7。
- 専門家への紹介時期の判断: 自身の限界を認識し、必要に応じて患者を精神科医、心療内科医、または専門治療センターへ紹介することが不可欠です。この紹介プロセスを円滑にするため、専門科間の「連携指針」が策定されています33。
5.2. 保護者と教育者への推奨
子供たちと日々接する保護者と教育者は、大きな変化をもたらすことができます。
- 保護者の方へ: 子供に食事を無理強いすることは絶対に避けてください。それは抵抗と不安を増大させるだけです34。その代わりに、緊張のない、肯定的な食事環境を作ることに集中してください。最も重要なのは、できるだけ早く専門家の助けを求めることです。子供の行動は、意地悪や反抗ではなく、病気の症状であることを忘れないでください。
- 教育者の方へ: 行動の微妙な変化、体重減少、あるいは子供が次第に疲れやすくなったり引きこもりがちになったりするなどの早期警告サインを認識するための研修が必要です。家族や医療専門家との緊密な連携が求められます。学校は、肯定的な身体像を促進し、有害な成績競争文化を緩和し、生徒がSNSの負の影響に対抗できるようデジタル・リテラシー教育を強化するよう努めるべきです20。
5.3. 制度的課題と今後の方向性
日本は、摂食障害問題への対応において、制度的な課題に直面しています。
- 資源の不足: 全国的に、専門的な治療施設や摂食障害に関する十分な訓練を受けた専門家が深刻に不足しています3。これは、患者と家族が治療を受ける上での大きな障壁となっています。
- 国家的行動の緊急性: この問題に対処するためには、包括的な国家戦略が必要です。専門治療センターの増設、一般的な治療環境の改善、そして次世代の専門家育成への投資といった行動が求められます3。
- 予防の重要性: 治療体制の改善と並行して、予防プログラムへの強力な投資が必要です。これらのプログラムは学校で実施されるべきであり、自尊心の構築、緊張への対処スキル開発、メディアやSNSからのメッセージに対する批判的思考力の向上に焦点を当てるべきです。
第6部:付録:日本国内の専門機関とリソース
信頼できる情報と支援を求める医師、家族、そして患者にとって、以下の組織は日本における重要なリソースとなります。
- 日本摂食障害学会 (JSED): この分野における主要な学術団体です。JSEDは臨床治療ガイドラインの発行、知識を更新するための年次学術集会の開催、そして研究の推進を担っています3。
- 日本小児心身医学会 (JSPP): 子供における心と体の健康問題が相互に関連する領域を専門とし、摂食障害はその中心的なテーマの一つです。JSPPは小児を対象とした専門的な治療ガイドラインも開発・公表しています4。
- 一般社団法人 日本摂食障害協会 (JAED): 患者と家族の利益のために活動する重要な組織です。情報提供、支援グループの開催、地域社会への啓発活動、そして政策提言を行っています。JAEDの理事会には、医師、心理士、栄養士といった多分野の専門家や当事者経験者も含まれており、多職種連携のアプローチを反映しています38。
- 国立精神・神経医療研究センター (NCNP): 政府の主要な研究・治療機関であり、摂食障害に関する包括的な情報ポータルサイトを運営しています。専門家と一般市民の双方に向けて、データ、ガイドライン、最新情報を提供しています24。
よくある質問
うちの子はただの偏食なのでしょうか、それとも摂食障害でしょうか?
単なる偏食と摂食障害の最も大きな違いは、その行動が子どもの身体的、心理的、社会的な機能に深刻な悪影響を及ぼしているかどうかです。例えば、成長曲線に沿った体重増加が見られない、特定の食品群を完全に避けることで栄養不足に陥っている、食事に関する不安やこだわりが日常生活を著しく妨げている、といった場合は医学的な介入が必要な摂食障害の可能性があります。特に回避・制限性食物摂取症(ARFID)は、体重や体型へのこだわりがないため偏食と間違われやすいですが、栄養失調につながる深刻な状態です4。心配な兆候があれば、まずは小児科医に相談することが重要です。
治療では、まず何から始めるべきですか?
摂食障害の治療において、最優先されるのは身体的な安定と栄養状態の回復です。重度の栄養失調は思考力や判断力を低下させ、心理療法の効果を妨げるだけでなく、生命の危険にも繋がります7。したがって、治療の第一歩は、安全な体重回復と食行動の正常化を目指すことです。これには、必要に応じて入院治療や経管栄養も含まれます。心理的な問題への本格的なアプローチは、身体状態が安定してから開始されるのが一般的です。
親として、どのように関われば良いですか?
結論
日本の小児における摂食障害は、単なる食の問題ではなく、個人の心理、家庭環境、そして社会全体の価値観が複雑に絡み合った深刻な医療問題です。特に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックを経て、その問題はより低年齢層へと広がり、その様相も多様化しています。神経性やせ症(AN)だけでなく、回避・制限性食物摂取症(ARFID)のような、体型へのこだわりを伴わないタイプの摂食障害への理解を深めることが、早期発見と適切な介入には不可欠です。
治療への道は決して平坦ではありませんが、科学的根拠に基づいたアプローチによって回復は可能です。その核となるのは、何よりもまず生命を守るための身体的安定と栄養回復であり、その上で、患者本人、家族、学校、そして医療専門家が強固な連携(治療同盟)を築き、包括的な支援体制を構築することです。保護者や教育者は、子どもたちの小さな変化に気づき、非難することなく専門家へと繋ぐ架け橋となることが期待されます。
今後、日本社会は、専門的な治療施設や人材の不足という制度的課題に立ち向かうと同時に、学校教育の現場から「痩せ信仰」といった画一的な美の価値観を見直し、子どもたちが自己肯定感を育み、多様なストレスに対処できる力を身につけられるような予防的アプローチに、より一層力を注いでいく必要があります。一人ひとりの子どもが、心身ともに健やかに成長できる社会を実現するために、私たち全員の理解と協力が今、求められています。
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