はじめに
人生のなかで大きな変化や喪失を経験すると、「いったい自分は何のために生きているのか」「この先どんな道を歩むべきなのか」など、根本的な疑問が頭から離れなくなることがあります。そうした状態に陥ると、日常のささいな出来事や周囲の人間関係が、急に虚しく思えたりするものです。こうした状況は、しばしば「実存的危機(エグジステンシャル・クライシス/existential crisis)」と呼ばれ、そのまま放置すると、強い抑うつ感や不安感につながる恐れがあります。
免責事項
当サイトの情報は、Hello Bacsi ベトナム版を基に編集されたものであり、一般的な情報提供を目的としています。本情報は医療専門家のアドバイスに代わるものではなく、参考としてご利用ください。詳しい内容や個別の症状については、必ず医師にご相談ください。
本記事では、いわゆる「実存的危機」とは何か、その背景や具体的な症状、そしてこの危機を乗り越えるためのアプローチについて、詳しく解説していきます。私たちの人生は、想像以上に多様な変化を経験しうるものですが、それを自分なりに乗り越え、意味や目的を再構築することは決して不可能ではありません。本記事が、読者の皆さんにとって、少しでも安心や指針につながれば幸いです。
専門家への相談
本記事では、実存的危機の定義やその症状、対処法などを幅広く取り上げていますが、これはあくまで一般的な情報提供にすぎません。読者の方々の状況によっては、深刻な不安や抑うつ症状が続く可能性もあります。そのような場合は、ぜひ医師や公認心理師などの専門家に相談することをおすすめします。また、本記事では、以下の信頼できる文献や医療専門機関の情報を参照しています。なかでも、Mayo Clinic、世界保健機関(WHO)、Cleveland Clinicなどは国際的に権威のある医療機関・組織として知られており、抑うつや不安障害をはじめとしたさまざまな疾患の診療ガイドラインや情報を提供しています。
さらに、実存的危機に関する学術研究としては、以下に示す文献を含め、多くの議論や実証研究が行われています。たとえば、米国の学術雑誌「Journal of Experimental Social Psychology」や「Annual Review of Psychology」などに掲載された近年の研究では、「人間の実存的不安」がモラルジャッジにどのような影響を及ぼすのか、また「人生の意味」とウェルビーイングとの関連をどのように説明できるのかといった内容が議論されています。本記事でも後ほど、その具体的な研究内容の一部を要約しながら紹介していきます。
実存的危機(existential crisis)とは何か
1. 定義
実存的危機(existential crisis) とは、自分自身の存在や人生の意味・目的を深く問い、答えが得られないまま、強い不安や混乱を抱えてしまう状態を指します。日常のストレスや悩みとは異なり、「自分の生きる意味は何なのか」「なぜ自分はここにいるのか」「人生に目的はあるのか」といった問いを、理屈ではなく感情レベルで突きつけられ、その答えが見いだせないまま苦悶し続けるのが特徴です。
このような危機は、日常生活の中でときおり感じる「漠然とした不安」とは異なり、人によっては心身ともに追いつめられ、重い抑うつ状態に陥ったり、自殺念慮を抱いたりするほどのインパクトを持つこともあります。実際、人生の転換期や大切な人を失ったとき、または大きな病気を経験したりした際に、こういった実存的危機が生じる可能性が高いといわれています。
2. 実存的危機に陥るときにみられる主なサイン
2.1 頻繁な不安感や落ち込み
何に対しても不安を感じる、どこか落ち着かない気分が続くなど、日常的なストレスとは次元の異なる不安感にさいなまれます。「自分は何を目指して生きているのか?」といった大きな問いを、繰り返し頭の中でこねくりまわしてしまい、答えにたどり着けない焦燥感や無力感を抱きやすいのが特徴です。この不安感がコントロール不能になると、やがては強迫観念のような形で思考を支配する可能性があるため注意が必要です。
2.2 やる気の喪失
「なぜこの行動をしなければならないのか」「この努力にどんな価値があるのか」といった問いに対して納得感が得られない結果、仕事や日常生活全般へのモチベーションが著しく低下しやすくなります。これは実存的危機の大きな特徴のひとつであり、物事に手をつける意欲が湧かず、何をしても虚無的な思いが先にたつ状態といえます。
2.3 エネルギーの低下
「自分の人生には意味がない」「何をしても無駄だ」といった否定的な思考が進むと、自然と身体的な疲労感も増大し、いわゆる気力も失いやすくなります。その結果、体を動かすこと自体がおっくうに感じられ、活動範囲が狭まり、さらに抑うつ気分が深まるという悪循環に陥ることがあります。
2.4 憂うつ感や不安感の増大
実存的危機に関連して、抑うつや強い不安が続くことは少なくありません。なかには、一日中沈んだ気持ちが抜けず、これまで楽しめていた趣味に興味がわかなくなるといった症状を体験する人もいます。また、「自分は過去に何も成し遂げられなかった」「この先やりたいこともない」と感じて絶望し、死にたい気持ちを抱く深刻なケースも考えられます。
2.5 対人関係への興味喪失
気力やエネルギーが低下することで、他者と関わる意欲も下がりがちです。本来なら、周囲の人とのつながりが不安や孤独感を和らげる支えになりうるのですが、実存的危機が悪化すると、そうしたつながり自体がわずらわしく感じられることもあるでしょう。その結果、人づきあいを避け、より深い孤立感にさいなまれる可能性が高まります。
実存的危機を引き起こす要因
3. どのような経緯で「実存的危機」は生まれるのか
実存的危機は、突発的に訪れる場合もあれば、ある出来事をきっかけに徐々に高まる場合もあります。一般的に以下のような状況・要因が「引き金」となって発生することが多いと報告されています。
- 罪悪感を抱くような出来事や後悔
- 過去のトラウマや未解決の感情
- 社会的役割や環境に対する不満、疎外感
- 思い通りに進まないキャリアや人生計画
- 加齢や健康問題による将来への不安
- 大きな喪失や災害などの生活環境の激変
- 身近な人との死別、あるいは自身の死期を悟る病気の経験
- 引っ越し、転職、離婚など、大きなライフイベントによる環境変化
これらの要因はどれも「自分自身の存在や人生」を強烈に意識させるものです。例えば、親しい人の死をきっかけに「死後の世界はどうなっているのか」「自分もいつかは同じ運命をたどるのではないか」など、根源的な問いに直面しやすくなるのです。
実存的危機を乗り越えるためのアプローチ
4. 対処法と実践のヒント
実存的危機に陥ったとき、そこから一気に抜け出すのは容易ではありません。しかし、専門家の間では、段階的に以下のようなアプローチをとることで、不安や抑うつ感を軽減しながら、自分の人生に納得感を取り戻しやすくなるとされています。ここでは、その具体的なポイントを見ていきましょう。
4.1 視点を切り替える
つらい局面では、「これは絶望的な状況だ」という見方ばかりが頭に浮かぶものです。しかし、逆に「ここで自分の人生をじっくり見つめ直すことで、より充実した生き方にシフトできるかもしれない」という視点に立ってみると、状況が変わって見えることもあります。実存的危機は自己認識を深めるチャンスでもあるのです。
4.2 感謝の気持ちを言葉にする(感謝日記など)
小さなことでも「ありがたい」と感じたことをメモに残していくと、人生のなかに意外と多くのプラス要素があることに気づくきっかけになります。こうした習慣は、米国の複数の心理学研究(たとえば感謝の気持ちと幸福度の相関を扱う研究)でも、長期的な抑うつリスク軽減に役立つ可能性が示唆されています。人生に意味を見いだすうえで「いま手にしているもの」にあらためて目を向けることは、大切なステップです。
4.3 社会とのつながりを再構築する
実存的危機の背景には、他者との断絶感が少なからず影響している場合があります。友人や家族、あるいは共通の趣味を持ったコミュニティとの交流を深めることで、「自分は一人ではない」「互いに支え合っている」という安心感が得られます。また、仕事や地域活動など、多様な場で人と関わることで、自分なりの存在意義を感じやすくなります。もし数か月以上にわたり落ち込みや不安がひどい状態が続き、自分自身の力だけではどうにもならない場合は、精神科医や公認心理師への相談を検討してください。
4.4 瞑想やマインドフルネス
マインドフルネスや瞑想を通じて、目の前の瞬間に集中し、過去や未来への過度な不安を手放すことは、実存的危機の予防や緩和に寄与する可能性があります。心理学的観点からは、呼吸法に意識を向けたり、瞑想によるリラクゼーションを取り入れることで、脳内のストレス反応をコントロールしやすくなると考えられています。ただし、過度な不安や心配を抱えた状態では独力での実践が難しい場合もあるため、必要であれば専門家に指導を受けると安心です。
4.5 エネルギーの分散を意識する
「仕事こそ人生のすべてだ」と考えていた人が、突然の失職で実存的危機に陥ることがあります。つまり、あるひとつの領域にのみ自分の価値や意味を過度に依拠していると、その領域が揺らいだときのダメージが大きくなるのです。したがって、趣味や地域活動、人間関係などに少しずつエネルギーを配分し、多角的に生きることを心がけると、ひとつがダメになったときでも他の側面に支えられるという安心感が生まれやすくなります。
4.6 過去への執着を手放す
過去を振り返って「あのときこうしておけばよかった」と後悔しても、過去の出来事自体を変えることはできません。大切なのは、過去から学ぶ姿勢を持つ一方で、これから先の人生をどう創っていくかに目を向けることです。過去に対する後悔や自己否定を続けるよりも、「今ここから何ができるか」を考えるほうが、未来志向の生き方へとつながりやすくなります。
4.7 大きな問いを細分化する
人生の意味や目的といった「大きすぎる問い」をいきなり一本化して探そうとすると、その重圧に押しつぶされてしまいがちです。そこで、「先月の自分の行動でプラスになったことは何か」「最近、周囲に良い影響を与えられた場面はあったか」など、小さな質問に分けて少しずつ答えを見いだすのも一つの方法です。小さな成功や喜びを積み重ねることで、「自分にも周囲に働きかけられる力がある」と再認識し、前向きな実感を得やすくなります。
4.8 自殺念慮を含む深刻な状態に至ったら専門家へ
実存的危機が数週間から数か月以上続き、重度の抑うつ感や自殺念慮にまで発展する場合は、専門的なサポートが不可欠です。精神科医や公認心理師は、認知行動療法やカウンセリングなどを通して、本人が抱える価値観の混乱や思考の偏りを整理し、より柔軟な考え方を身につけるサポートをします。具体的には、話し相手になるだけでなく、「自分が今できる行動目標」を一緒に設定したり、落ち込んだときに実践できるコーピングスキルを教えてくれたりします。ひとりで抱えこまず、ぜひ勇気を出して専門家に相談してみてください。
実存的危機の5つのタイプ
5.1 人生の意味に関する危機
最も典型的な実存的危機の問いは「自分の人生にはどんな意味があるのか?」というものです。人生の意味や目的は、宗教的・哲学的・心理学的に多角的に議論されるテーマですが、答えが一意に決まるわけではありません。そのため、深く考えすぎるほどに「何も達成していない」「存在価値がないのでは」と思いつめてしまう方もいます。特に真面目で努力家の人ほど、周囲が見たら十分に成果をあげていても、本人が「まだ足りない」と感じて追いつめられる傾向が指摘されています。
5.2 感情や存在そのものへの不安
人は幸福を求めるあまり、否定的な感情からは逃げようとしがちです。しかし、悲しみや怒りを抑圧し続けると、本当の意味での「幸せ」や「充足感」を得るのが難しくなるともいわれています。実存的危機の一部には、「自分が感じている喜びは作り物なのではないか」「この虚しさは本当はどこから来ているのか」といった複雑な葛藤が含まれます。ネガティブ感情を適切に受け止める力を養うことで、自己理解や人生観の深まりにつながる可能性があります。
5.3 つながりと孤独の狭間での危機
人間は社会的な生き物である一方、誰しも一人でしか感じられない内面をもっています。友人や家族とのつながりが人生に意味をもたらす一方で、他人と深く関わることが重荷になってしまう場合もあります。逆に孤独を好む人もいれば、その孤独が苦しくなる人もいる。こうした「つながり」と「孤独」のバランスが崩れたとき、実存的危機が表面化することがあるのです。たとえば、大切な人を失って人間関係が断絶したり、職場や地域社会で孤立したりしたときに、「自分は世界から切り離されてしまった」と強烈に感じるケースも珍しくありません。
5.4 死への不安が引き起こす危機
死を意識することで「限りある人生を大切に生きよう」と前向きになる人もいれば、強い恐怖心や絶望感に襲われる人もいます。年齢を重ねて「若さが失われていく」ことに直面したり、大きな病気の診断を受けて「余命」を意識したりすると、「果たして自分は何か価値あることを成し遂げたのか」「死んだあとはどうなるのか」といった問いが重くのしかかるのです。死や老いは避けられないテーマだからこそ、実存的危機の原因となりやすいと言えます。
5.5 自由と責任に関する危機
一見、自由というのは望ましい状態のように思えますが、その一方で、自分の選択の結果には自分が責任を負わなければなりません。この「自由」と「責任」のバランスにおける不安定さが、実存的危機を引き起こすことがあります。たとえば、人生のあらゆる局面で選択を迫られ、そのたびに「本当にこの道で正しかったのか」と後悔したり、「もし別の選択をしていれば」という思いに囚われたりすることが挙げられます。こうした不安が強まると、自分で決めること自体を怖れ、結果として無気力状態に陥る場合もあるのです。
近年の研究が示す新たな視点
実存的危機は、古くから心理学や哲学で扱われてきたテーマですが、ここ数年でも新しい研究が多数報告されています。たとえば以下のような研究があります。
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Klein, N. (2022). “Evidence that existential anxiety fosters moral judgements.” Journal of Experimental Social Psychology, 98, 104235. doi:10.1016/j.jesp.2021.104235
この研究では、被験者が抱える実存的不安が強いほど、倫理や道徳に対して厳格な判断を下しやすい傾向があると報告されています。日本での大規模な追試はまだ少ないものの、こうした結果から、「人生の意味や自分の価値観を問い直す過程で、行動基準も変化する可能性」が示唆されています。 -
Steger, M. F., Oishi, S., & Kesebir, S. (2023). “The positive psychology of meaning in life and well-being.” Annual Review of Psychology, 74, 221–245. doi:10.1146/annurev-psych-032521-104824
ポジティブ心理学の視点から「人生の意味」を追究した包括的なレビュー論文です。過去数十年にわたる研究を整理し、人生の意味を持つことが幸福感やレジリエンス向上に寄与するメカニズムを論じています。また、この論文内では異なる文化背景の参加者を対象にした研究も多数取り上げられており、日本のように集団志向が比較的強い社会においては、他者とのつながりが人生の意味感に強く影響する可能性が高いとも言及されています。
これらの研究はいずれも、実存的危機を「単なる悩み」や「一過性のストレス」ととらえるのではなく、どのように人間の意思決定やモラル、幸福感に影響を与えるのかを深く考察する上で有用な示唆を与えています。とくに日本の社会文化的文脈を考慮すると、周囲との調和を重視する気質や、年齢を重ねても仕事や家族の責務が続く環境などが絡み合うため、実存的危機に対する理解やケアはさらに重要度を増していくと考えられます。
結論と提言
ここまで、実存的危機とは何か、その原因、そして具体的にどのように向き合っていけばよいのかを解説してきました。生きる目的や価値を見失う瞬間は誰にでも起こりうることであり、とくに大きな転換期や喪失体験の直後には、こうした危機感が顕在化しやすいといわれています。
- 実存的危機の主なサインとしては、不安感や抑うつ、やる気の喪失、他者とのつながりへの興味喪失などが挙げられます。
- 原因となるのは、ライフイベントや加齢、死に直面する体験など、人生の根幹を揺さぶるできごとが多いです。
- 乗り越える方法としては、自分の視点を変えてみる、感謝の気持ちを言語化する、瞑想やマインドフルネスを活用するなど、多方面からのアプローチが有効です。
- 絶望感が長く続き、日常生活にも大きな支障が出ている場合は、専門家(精神科医や公認心理師)に相談し、治療やカウンセリングを受けることを強くおすすめします。
人生の意味や目的は人によって異なります。だからこそ、その問いに正面から向き合い、自分なりの答えを少しずつでも見いだしていく作業は、とても価値のあるものです。実存的危機はつらい経験である一方で、人生を深く考え、自己理解を深める大きな転機にもなりえます。
もし本記事を読んでいるなかで「まさに自分が実存的危機に直面している」と感じた方は、ぜひ一人で抱えこまず、周囲のサポートや専門家の助言を受け取ってください。人生にはさまざまな道がありますが、どのような道を選択するにしても、人は新たに意味を見いだす力を持っています。本記事が、ほんの少しでもその一助になれば幸いです。
参考文献
- 6 Ways to Overcome an Existential Crisis
Cleveland Clinic
アクセス日: 2022年5月22日 - Existential crisis and the awareness of dying
PubMed
アクセス日: 2022年5月22日 - Depression
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アクセス日: 2022年5月22日 - Depression
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アクセス日: 2022年5月22日 - Obsessive-compulsive disorder (OCD)
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アクセス日: 2022年5月22日 - Facing an existential crisis: What to know
IBCCES
アクセス日: 2022年11月30日 - Klein, N. (2022). Evidence that existential anxiety fosters moral judgements.
Journal of Experimental Social Psychology, 98, 104235. doi:10.1016/j.jesp.2021.104235 - Steger, M. F., Oishi, S., & Kesebir, S. (2023). The positive psychology of meaning in life and well-being.
Annual Review of Psychology, 74, 221–245. doi:10.1146/annurev-psych-032521-104824
【重要】本記事の情報の使い方
本記事は、主に実存的危機に関する一般的な知識や研究を紹介するために作成されています。医療従事者による正式な診断・治療を代替するものではありません。もし、強い不安感や抑うつ感が続いたり、自殺念慮を抱えるなど深刻な症状がある場合は、必ず医師や公認心理師などの専門家へ相談しましょう。また、ここで取り上げた対策やアドバイスは一例であり、すべての人に当てはまるわけではありません。それぞれの体調や状況に合わせ、専門家の指示やサポートを受けながら取り入れるようにしてください。
本記事は、人生のさまざまな場面で生じうる心理的課題に対して、参考情報として提供されています。少しでも自分の内面を見つめ直すきっかけになり、適切なサポートを得るための橋渡しとなることを願っています。どうか一人で悩みすぎず、必要に応じて周囲に助けを求め、専門的なケアを受ける選択肢を大切にしてください。以上の点を念頭に置いて、本記事の内容をご活用いただければ幸いです。