睡眠薬との上手な付き合い方:日本の読者のための包括的ガイド
睡眠ケア

睡眠薬との上手な付き合い方:日本の読者のための包括的ガイド

現代の日本社会において、睡眠に関する悩みは多くの人々にとって喫緊の課題となっています。質の高い睡眠は心身の健康を維持し、日々の活動の質を高めるために不可欠ですが、様々な要因により十分な睡眠を得られていない人々が増加しています。本稿では、睡眠薬に関する正しい知識を深め、その適正な使用方法から、薬だけに頼らない不眠症対策までを包括的に解説し、読者の皆様が健やかな眠りを取り戻すための一助となることを目指します。

要点まとめ

  • 日本の成人の約5人に1人が不眠症状を抱え、特に中年層や女性、高齢者で睡眠不足が深刻な公衆衛生上の課題となっています1234
  • 睡眠薬には複数の種類があり、作用機序や副作用が異なります。近年では、依存性リスクの低いオレキシン受容体拮抗薬の処方が増加傾向にあります56
  • 睡眠薬の服用は、必ず医師の指示に従い、用法・用量を守ることが絶対条件です。特にアルコールとの併用は極めて危険なため、厳禁です7
  • 副作用には持ち越し効果、記憶障害、ふらつきなどがあります。長期間の使用は依存や離脱症状のリスクを高めるため、自己判断での減薬・中止は絶対に避けるべきです58
  • 不眠治療の基本は、薬物療法だけでなく、睡眠衛生指導や認知行動療法(CBT-I)といった非薬物療法を併用することです。これらは根本的な解決と薬からの離脱に不可欠です910

1. 日本の睡眠の現状:なぜ多くの人が眠りに悩んでいるのか

現代の日本社会において、睡眠に関する悩みは多くの人々にとって喫緊の課題となっています。質の高い睡眠は心身の健康を維持し、日々の活動の質を高めるために不可欠ですが、様々な要因により十分な睡眠を得られていない人々が増加しています。

A. 日本における不眠症の蔓延と睡眠への不満

日本における不眠症の有病率は深刻な状況を示しています。一般成人のおよそ5人に1人が何らかの不眠症状を抱えているとされ、この割合は特に加齢と共に増加する傾向にあります1。具体的には、慢性的な不眠症に悩む人々は約10%にのぼり、60歳以上では半数以上が不眠の症状を自覚しているという報告もあります。また、性別で見ると、女性の方が睡眠障害を抱える割合が高いことも指摘されています2。厚生労働省の調査からも、この問題の深刻さが浮き彫りになります。「令和元年国民健康・栄養調査」によれば、睡眠によって十分に休養が取れていないと感じる人の割合は増加傾向にあり、特に50歳代でその増加が顕著でした3。さらに、令和5年(2023年)の同調査では、十分に睡眠が取れていると回答した人の割合は74.9%に留まり、この数値は過去の調査と比較して有意に減少していることが示されています4。これは、睡眠の質の低下が国民的な健康課題として進行していることを示唆しています。睡眠時間に関しても、日本人の状況は懸念されます。令和5年の調査では、1日の平均睡眠時間が6時間未満の人の割合は男性で38.5%、女性で43.6%と非常に高く、特に働き盛りの世代である男性の30~50歳代、そして家事や育児、仕事と多忙な女性の40~60歳代では、実に4割以上の人々が6時間未満の睡眠しか取れていない状況です4。これは、多くの成人が推奨される睡眠時間を確保できていない実態を示しています。これらの統計データは、日本の睡眠問題が単なる個人の悩みではなく、公衆衛生上の重要な課題であることを示しています。特に、高齢者、女性、そして中年層といった特定の人口集団において、不眠や睡眠不足のリスクが高いことが明らかになっており、これらの層に対するきめ細やかな対策の必要性がうかがえます。社会全体として睡眠の重要性への認識を高め、それぞれのライフステージや性別に応じた適切な情報提供や支援策を講じることが、この問題の改善に向けた第一歩となるでしょう。

B. 睡眠不足の背景:日本特有の要因を探る

日本人の睡眠時間が国際的に見ても短い背景には、複合的な要因が存在します。長時間労働や長い通勤時間は、物理的に睡眠時間を圧迫する大きな要因です。また、女性においては依然として家事や育児の負担が大きく、自身の睡眠時間を犠牲にせざるを得ない状況も散見されます。さらに、睡眠の重要性に関する知識が十分に普及していないことや、「寝ずに頑張る」ことを美徳とするような文化的風潮も、睡眠不足を助長している可能性があります11。働き方の変化も睡眠時間に影響を与えています。例えば、1986年前後に週休二日制が普及し始めた時期から、平日の労働時間が増加し、それに伴い平日の睡眠時間が減少したという分析があります。一方で、近年の新型コロナウイルス感染症のパンデミック下におけるテレワークの普及は、通勤時間の削減などにより、一部の人々の睡眠時間を増加させるという現象も見られました。これは、働き方が睡眠時間に直接的な影響を及ぼすことを明確に示しています12。現代社会はしばしば「ストレス社会」と形容され、精神的なストレスが不眠の大きな原因となっています。実際、不眠の訴えは年々増加傾向にあり、その背景には仕事上のプレッシャー、経済的な問題、育児や教育に関する悩み、自身の健康への不安、更年期に伴う心身の変化、家族の介護、複雑な人間関係など、多岐にわたるストレス要因が存在します13。これらのストレスは、交感神経を優位にし、心身を覚醒状態に保つため、入眠困難や中途覚醒を引き起こしやすくなります。これらの要因を総合的に見ると、日本の睡眠不足問題は、個人の生活習慣だけでなく、社会構造や労働環境、文化的背景に深く根ざしていることが理解できます。いわゆる「睡眠負債」を抱えたまま日常生活を送る人々が少なくなく、週末にまとめて寝だめをしようとしても、平日の慢性的な睡眠不足を完全に解消することは困難です。月80時間のような長時間残業が常態化している場合、毎日6時間の睡眠を確保することすら難しいという指摘もあります14。このような状況は、単に個人の努力だけで解決できる問題ではなく、社会全体での働き方改革や、睡眠の重要性に対する意識改革、ストレスマネジメントの普及など、多角的なアプローチが求められることを示唆しています。

C. 睡眠不足が心身に与える深刻な影響

睡眠不足は、単に日中の眠気を引き起こすだけでなく、心身の健康に多岐にわたる深刻な影響を及ぼします。不眠の症状としては、夜間の入眠困難や中途覚醒のほか、日中の強い眠気、倦怠感、集中力や注意力の低下などが挙げられ、これらは日常生活の質を著しく低下させる可能性があります13。身体的な健康への影響も無視できません。例えば、睡眠時間が6時間以下の人は、7時間以上睡眠をとる人に比べて風邪などの感染症にかかるリスクが明らかに高まるという実験結果も報告されています14。これは、睡眠不足が免疫機能の低下を招くことを示唆しています。さらに、睡眠不足は精神的な健康とも深く関連しています。持続的なストレスが不眠を引き起こし、その不眠がさらにストレスを増大させるという悪循環に陥ることも少なくありません。そして、このような状態が長く続くと、うつ病などの精神疾患の発症リスクを高める可能性も指摘されています15。社会経済的な側面から見ても、睡眠不足の影響は甚大です。個人の仕事のパフォーマンス低下は、企業全体の生産性にも影響を及ぼしかねません。実際、従業員の睡眠時間と睡眠の質を十分に確保している企業ほど、統計的に利益率が高いという調査結果も存在します12。これは、良質な睡眠が個人の能力を最大限に引き出し、結果として組織全体の成果に繋がることを示しています。しかしながら、日本には依然として「寝ずに頑張る」ことを良しとする文化が根強く残っている側面もあり11、これが健康や生産性の観点からは逆効果になっている可能性があります。このように、睡眠は個人の健康問題に留まらず、精神的安定、さらには社会全体の機能や生産性にも深く関わっています。睡眠問題を軽視せず、その重要性を正しく認識し、適切な対策を講じることが、個人にとっても社会にとっても極めて重要であると言えるでしょう。

2. 睡眠薬とは?種類と特徴を正しく理解する

不眠の悩みが深刻な場合、医師の診断のもとで睡眠薬の使用が検討されることがあります。睡眠薬は、正しく理解し適切に使用すれば有効な治療選択肢の一つとなり得ますが、その種類や特徴、注意点を把握しておくことが重要です。

A. 睡眠薬が処方されるケースとは

睡眠薬は、一般的に、生活習慣の改善や後述する非薬物療法(睡眠衛生指導や認知行動療法など)を試みても不眠症状が改善しない場合や、不眠によって日常生活に著しい支障が出ている場合に、医師の判断によって処方が検討されます。重要なのは、自己判断で睡眠薬の使用を開始するのではなく、必ず医師の診察を受け、不眠の原因や状態に応じた適切な診断と治療方針の決定を受けることです。しかし、実際には睡眠障害との明確な診断がないまま睡眠薬が処方されているケースも存在し得る点が指摘されています。例えば、2型糖尿病患者を対象としたある調査では、全体の28.1%が睡眠薬の反復処方を受けていましたが、そのうち睡眠障害と正式に診断されていたのは22.0%に過ぎなかったという報告があります16。このデータは特定の患者群に関するものではありますが、睡眠薬を処方する際には、背景にある睡眠の問題を正確に評価することの重要性を示唆しています。

B. 主な睡眠薬の種類と作用機序

現在、日本で使用されている主な睡眠薬にはいくつかの種類があり、それぞれ作用機序や特徴が異なります。

ベンゾジアゼピン系 (Benzodiazepines – BZD)
かつて主流であった睡眠薬で、脳内のGABA(ガンマアミノ酪酸)受容体に作用し、神経の興奮を鎮めることで催眠作用をもたらします5。2013年から2015年にかけての調査では、処方された睡眠薬の78.3%を占めていました17。作用時間の長さによって短時間作用型、中間型、長時間作用型などに分類され、日本では特に短時間作用型が多く処方される傾向がありました(同調査で54.4%)17。しかし、長期間の使用により依存性や耐性(薬が効きにくくなること)を形成しやすく、また、ふらつきや認知機能の低下といった副作用のリスクも指摘されています6

非ベンゾジアゼピン系 (Non-Benzodiazepines – Non-BZD / Z-drugs)
「Z薬(ゼットドラッグ)」とも呼ばれ、ベンゾジアゼピン系薬剤と同様にGABA受容体に作用しますが、より睡眠に特化した受容体サブタイプに選択的に作用するとされています。ベンゾジアゼピン系に比べて筋弛緩作用や持ち越し効果が少ないと期待されましたが、やはり依存性や耐性のリスクは存在します。2013年から2015年の調査では処方量の20.2%を占めていました17

メラトニン受容体作動薬 (Melatonin Receptor Agonists)
睡眠と覚醒のリズムを調節するホルモンであるメラトニンの受容体に作用し、体内時計の働きを整えることで自然な眠りを促します5。主に概日リズム睡眠障害(睡眠相後退型など)の治療に用いられます。日本では、このタイプの薬剤(例:ラメルテオン)の処方率は、ベンゾジアゼピン系や次に述べるオレキシン受容体拮抗薬と比較して非常に少ないのが現状です6。その背景の一つとして、例えばメラトニン製剤の一つであるメラトベルは、日本では小児の神経発達症に伴う入眠困難にのみ保険適用が限定されていることなどが考えられます18

オレキシン受容体拮抗薬 (Orexin Receptor Antagonists)
比較的新しいタイプの睡眠薬で、覚醒を維持する脳内物質であるオレキシンの働きを阻害することで、覚醒状態から睡眠状態への移行を促します。2014年以降、日本での処方は一貫して増加傾向にあります6。従来の睡眠薬と作用機序が異なるため、理論上は依存性や耐性のリスクが低く、認知機能への影響も少ないと考えられています6。主な副作用としては、傾眠、めまい、疲労感、悪夢などが報告されています19。過量に服用した場合、筋力低下や睡眠麻痺(金縛り)などが現れる可能性も指摘されています20

睡眠薬の処方動向は変化しており、かつて主流だったベンゾジアゼピン系の新規処方は減少し、オレキシン受容体拮抗薬のような新しいタイプの薬剤が増加しています。これは、ベンゾジアゼピン系の持つ依存性や認知機能低下のリスクを考慮した、より安全な薬物療法への移行を反映していると考えられます6。しかしながら、メラトニン受容体作動薬の処方が依然として少ない現状は、概日リズム睡眠障害など、このタイプの薬剤が有効である可能性のある患者さんに対して、最適な治療が提供されていない可能性を示唆しています。睡眠障害のタイプを正確に診断し、それぞれの病態に適した薬剤を選択することの重要性が改めて認識されます。

表1: 主な睡眠薬の種類と特徴の比較
薬剤クラス 主な作用機序 主な用途 主な副作用の例 依存性リスク 日本での処方傾向
ベンゾジアゼピン系 GABA受容体に作用し神経活動を抑制 入眠困難、中途覚醒 持ち越し効果、ふらつき、筋弛緩、依存性、認知機能低下 減少傾向
非ベンゾジアゼピン系 GABA受容体に選択的に作用 主に入眠困難 持ち越し効果(BZDより少ないとされる)、依存性 横ばい/減少傾向
メラトニン受容体作動薬 メラトニン受容体に作用し体内時計を調整 概日リズム睡眠障害(入眠困難) 眠気、頭痛(一般に副作用は少ないとされる) 少ない
オレキシン受容体拮抗薬 覚醒維持物質オレキシンの受容体を阻害 入眠困難、中途覚醒 眠気、頭痛、疲労感、悪夢 低いとされる 増加傾向
出典: 5 に基づき作成。処方傾向やリスク評価は一般的なものであり、個々の薬剤や患者の状態により異なります。この表は、読者が医師と相談する際に、処方される可能性のある薬剤について基本的な知識を持つための一助となることを目的としています。

C. 日本における睡眠薬の処方トレンド

日本における睡眠薬の処方動向は、近年変化を見せています。前述の通り、ベンゾジアゼピン系薬剤の新規患者への処方は一貫して減少傾向にあり、代わりにオレキシン受容体拮抗薬の処方が増加しています6。これは、より安全性が高く、依存性のリスクが低いとされる薬剤への移行が進んでいることを示しており、望ましい変化と言えるでしょう。一方で、処方実態にはいくつかの課題も残されています。例えば、精神科においては、他の診療科と比較して3種類以上の睡眠薬が処方される頻度が6~9倍高いというデータがあります21。これは、精神科がより複雑な不眠症例や精神疾患に伴う不眠を扱うことが多いことを反映している可能性もありますが、多剤併用による副作用リスクの増大や、薬物相互作用への注意がより一層求められることを意味します。睡眠薬の処方期間については、比較的短期で終了するケースが多いという肯定的なデータもあります。2013年から2015年の調査では、睡眠薬の処方期間が1ヶ月以内であったケースが46.5%、3ヶ月以内では74.6%にのぼりました17。これは、多くの不眠症状が睡眠薬によって比較的短期間で改善し、漫然とした長期使用には至っていない可能性を示唆しています。しかしながら、同調査では、処方された患者の7.6%が1日の最大投与量を超える用量を処方されていたという懸念すべき実態も明らかになっています。背景には、複数の医療機関から同様の薬剤が重複して処方されているケース(いわゆる「重複受診・重複投薬」)が存在する可能性が指摘されています17。これは、患者の安全を脅かす重大な問題であり、医療機関間の連携やお薬手帳の活用、そして患者自身による服薬状況の正確な申告が不可欠です。このように、新しい作用機序を持つ睡眠薬が登場し、薬物療法の選択肢が広がっている一方で、実際の処方においては、依然として多剤併用や過量投与、不適切な診断に基づく処方といった課題が存在している可能性が示唆されます。より安全で効果的な薬物療法を実現するためには、薬剤の進歩だけでなく、処方する医師側の適正使用に関する意識向上、そして患者側も自身の治療内容に関心を持ち、積極的に医師とコミュニケーションを取ることが重要です。

3. 睡眠薬の適正使用:安全な服用のための重要ポイント

睡眠薬は、医師の指示のもとで正しく使用すれば、不眠の苦痛を和らげる有効な手段となります。しかし、その効果を最大限に引き出し、副作用のリスクを最小限に抑えるためには、いくつかの重要なポイントを守る必要があります。

A. 医師の指示の重要性:自己判断は危険

睡眠薬の服用において最も基本的な原則は、必ず医師の指示に従うことです。「医師の指示に従い正しい使い方をしていれば問題ありません」とされているように7、用法・用量、服用タイミング、服用期間など、医師からの指示を遵守することが安全な薬物療法の第一歩です。不眠の症状が改善しないからといって、自己判断で薬の量を増やしたり、服用回数を増やしたりすることは非常に危険です。薬の量を自己判断で増やすと、予期せぬ副作用が現れやすくなるだけでなく、依存性を高めてしまう可能性もあります8。また、友人や家族に処方された睡眠薬を「症状が似ているから」といって安易に使用することも絶対にしてはいけません。薬の種類や量は、個々の患者さんの状態に合わせて医師が判断するものです。睡眠薬を減らしたり、やめたりする場合も同様に、自己判断は禁物です。特に長期間服用していた場合、急に中断すると離脱症状が現れることがあるため、必ず医師と相談しながら、計画的に進める必要があります22

B. 服薬のタイミングと用法・用量

睡眠薬の効果を適切に得るためには、服薬のタイミングが非常に重要です。一般的には、「就寝直前に服用し、服用したら速やかに就床する」ことが推奨されています23。具体的には、「寝ようと思う30分くらい前」に服用するのが一つの目安とされています7。これは、薬が吸収されて効果が現れ始めるまでの時間を考慮したものです。服用後すぐに布団に入らずに、テレビを見たり、スマートフォンを操作したり、その他の活動を続けることは避けるべきです。なぜなら、睡眠薬が効き始めた状態で活動していると、ふらついて転倒する危険性があるだけでなく、その間の行動や会話を後で思い出せない「前向性健忘」という記憶障害が起こることがあるからです23。この「30分前」という目安は、布団に入ってから薬が効き始めるまでの時間と捉え、服用後は直ちに就寝準備を整え、布団に入るという行動を徹底することが重要です。また、翌朝への影響(持ち越し効果)を避けるためには、服用時刻も考慮する必要があります。特に、夜中や明け方に目が覚めてしまい、再度眠るために睡眠薬を頓服(症状があるときだけ服用すること)として使用する場合などは、起床予定時刻から逆算して、少なくとも6~7時間前までに服用を終えることが望ましいとされています23。これより遅い時間に服用すると、翌朝に眠気やだるさが残ってしまう可能性があります。

C. 食事の影響

食事の内容やタイミングも、睡眠薬の効果に影響を与えることがあります。一部の睡眠薬では、食事の直後に服用すると、薬の吸収が遅れたり、血中濃度が十分に上がらなかったりして、期待される効果が得られにくくなることがあります。そのため、一般的には、夕食からある程度の時間を空けて、胃の中が比較的空に近い状態で服用することが望ましいとされています23。具体的な食事との関連については、処方された薬剤の種類によって異なるため、医師や薬剤師に確認することが大切です。

D. アルコールとの併用禁止

睡眠薬とアルコールの併用は絶対に避けるべきです。アルコールと睡眠薬を一緒に摂取すると、それぞれの作用が強まり、中枢神経抑制作用が過度に増強されます。これにより、呼吸抑制や血圧低下といった重篤な状態を引き起こす危険性があるほか、記憶障害(健忘)、ふらつき、転倒、意識障害などの副作用が格段に現れやすくなります7。「寝酒」としてアルコールを飲む習慣がある人もいますが、アルコールは寝つきを良くするように感じられても、睡眠の質を低下させ、中途覚醒を増やし、結果として不眠を悪化させる可能性があります24。睡眠薬を服用している期間中は、アルコール摂取を控えることが鉄則です。

E. 服用期間の目安と長期使用のリスク

睡眠薬は、可能な限り短期間の使用に留めることが原則です。多くの不眠症状は、適切な睡眠薬の服用と生活習慣の改善により、比較的短期間で改善が見られることが期待されます。実際に、日本における睡眠薬の処方期間は1ヶ月以内が46.5%、3ヶ月以内では74.6%と、短期処方が多いというデータもあります17。しかし、漫然と長期間使用を続けると、薬に対する耐性が生じて効果が薄れたり、薬がないと眠れないという精神的・身体的な依存が形成されたりするリスクが高まります5。そのため、医師は定期的に患者の状態を評価し、不眠症状が改善していれば、適切な時期と方法で睡眠薬の減量や休薬(服用を中止すること)を試みることが推奨されています9。長期使用が避けられない場合でも、定期的な見直しと、可能な限り少ない用量での維持が重要となります。

表2: 睡眠薬の安全な使用のためのチェックリスト
チェック項目 はい いいえ 医師・薬剤師に相談
1. 医師に指示された用法・用量を守っていますか?
2. 服薬のタイミングは適切ですか?(例:就寝の直前、または医師の指示通り)
3. アルコールと一緒に飲んでいませんか?
4. 食事との関連で注意すべき点について、医師や薬剤師から説明を受け、理解していますか?
5. 副作用と思われる症状(翌朝の眠気、ふらつき、物忘れなど)が出た場合の対処法を医師に確認しましたか?
6. 他の薬(市販薬、サプリメント含む)を服用している場合、そのことを医師や薬剤師に伝えていますか?
7. 定期的に医師の診察を受け、睡眠の状態や薬の効果・副作用について報告していますか?
8. 薬を減らしたり止めたりしたい場合、自己判断せず必ず医師に相談することを理解していますか?
このチェックリストは、睡眠薬を安全に使用するための自己確認や、医師とのコミュニケーションを促すための一助としてご活用ください。不明な点や不安なことがある場合は、必ず医師または薬剤師にご相談ください。出典: 7 に基づく原則を統合して作成。

4. 知っておくべき副作用と対処法

睡眠薬は効果的な治療薬である一方、副作用が現れる可能性もあります。どのような副作用があり得るのかを事前に理解し、万が一症状が出た場合に適切に対処できるようにしておくことが大切です。

A. 一般的な副作用

睡眠薬の種類や個人差によって現れる副作用は異なりますが、一般的に注意すべきものとして以下のような症状が挙げられます。

  • 持ち越し効果 (Carry-over effects): 薬の作用が翌朝以降も残ってしまうことで、日中の眠気、注意力や集中力の低下、頭がぼーっとする、ふらつきなどが現れることがあります5。特に作用時間の長いタイプの睡眠薬や、高齢者、肝機能や腎機能が低下している方で起こりやすいとされています。運転や危険な機械の操作などに支障をきたす可能性があるため、十分な注意が必要です。
  • 記憶障害 (Memory impairment): 特に睡眠薬を服用した後の出来事を覚えていない「前向性健忘」と呼ばれる症状が現れることがあります8。服用後すぐに就寝しなかった場合や、アルコールと併用した場合などに起こりやすいとされています。
  • 筋弛緩作用によるふらつき・転倒: 一部の睡眠薬(特にベンゾジアゼピン系)には筋肉の緊張を和らげる作用(筋弛緩作用)があり、これがふらつきやめまいを引き起こし、転倒の原因となることがあります8。夜中にトイレに起きる際などに特に注意が必要で、高齢者の場合は転倒による骨折のリスクも高まります。
  • その他: 比較的新しいタイプのオレキシン受容体拮抗薬では、悪夢、頭痛、疲労感などが報告されています19。また、まれではありますが、過量に服用した場合に睡眠麻痺(金縛りのような状態)や異常行動(夢遊病様症状など)が現れることもあります20

B. 依存性と離脱症状

睡眠薬、特にベンゾジアゼピン系や非ベンゾジアゼピン系の薬剤を長期間にわたって服用していると、身体的・精神的な依存が形成されることがあります8。依存が形成されると、薬がないと眠れないと感じたり、同じ量では効果が得られにくくなる「耐性」が生じたりすることがあります6。このような状態で急に薬の服用を中断したり、大幅に減量したりすると、「離脱症状」が現れることがあります。離脱症状としては、不眠の悪化(反跳性不眠)、不安感、焦燥感、頭痛、吐き気、発汗、手の震え、筋肉のけいれん、知覚過敏などがあり、重い場合には幻覚やけいれん発作が起こることもあります7。これらの離脱症状を避けるためには、自己判断で薬を中止せず、必ず医師の指示に従って、時間をかけて徐々に減量していくことが重要です。

C. 副作用が出た場合の対処法と医師への相談

睡眠薬を服用中に何らかの好ましくない症状が現れた場合、それが副作用である可能性を考え、自己判断で服用を中止したり、量を変更したりせずに、速やかに処方医または薬剤師に相談することが最も重要です。「必ず医師にご相談ください」という原則を忘れないようにしましょう8。医師は、現れた症状の種類や程度、患者さんの状態などを総合的に評価し、それが薬の副作用なのか、あるいは他の原因によるものなのかを判断します。副作用であると判断された場合には、薬の種類の変更、用量の調節(減量)、あるいは服用の中止など、適切な対処法を検討します。副作用の感じ方や許容範囲は個人によって大きく異なります。例えば、ある人にとっては軽い眠気でも、別の人にとっては日常生活に支障をきたすほどの強い眠気と感じられることもあります。また、「悪夢を見る」19、「物忘れ」8といった症状も、その頻度や程度によって受け止め方は様々です。一般的に副作用としてリストアップされていない症状であっても、何か気になる変化があれば、遠慮なく医師に伝えることが大切です。患者さんからの正確な情報提供が、より安全で効果的な治療法の選択に繋がります。副作用を恐れすぎることなく、しかし軽視することもなく、医師との良好なコミュニケーションを通じて、適切に対処していくことが求められます。

5. 睡眠薬だけに頼らない不眠症対策:非薬物療法と生活習慣の改善

睡眠薬は不眠症状の緩和に役立ちますが、根本的な解決のためには、薬だけに頼るのではなく、非薬物療法や生活習慣の改善を併せて行うことが非常に重要です。これらは、睡眠薬の効果を高め、将来的には薬からの離脱を目指す上でも不可欠な取り組みです。

A. 睡眠衛生指導:質の高い睡眠のための生活習慣

睡眠衛生とは、質の高い睡眠を得るために推奨される生活習慣や環境づくりのことです。厚生労働省や日本睡眠学会のガイドラインなどでも、その重要性が強調されています3。主なポイントは以下の通りです。

  • 規則正しい睡眠覚醒リズム: 毎日同じ時刻に起床し、同じ時刻に就寝することを心がけます。特に起床時刻を一定に保つことが、体内時計を整える上で重要です24。休日に寝だめをすると、かえってリズムが乱れる原因になることがあります。
  • 寝床に入るタイミング: 眠気を感じてから寝床に入るようにします3。眠くないのに無理に寝ようとすると、かえって目が冴えてしまうことがあります。
  • 食事・嗜好品: 就寝前のカフェイン摂取(就寝4時間前からは避ける)、ニコチン摂取(就寝1時間前からは避ける)、アルコール摂取は睡眠の質を低下させるため控えます23。空腹すぎても眠りを妨げることがあるため、必要であれば消化の良い軽い夜食(炭水化物など)を少量摂ることも有効ですが、脂っこいものや胃にもたれるものは避けましょう23
  • 寝室環境: 寝室は、睡眠に適した静かで暗く、快適な温度・湿度に保ちます24。スマートフォンやパソコンなどの光は、就寝数時間前から避けるようにしましょう。
  • 昼寝: 昼寝をする場合は、午後3時より前に、20~30分程度の短い時間にとどめます24。長すぎる昼寝や夕方以降の昼寝は、夜の睡眠を妨げる可能性があります。
  • 適度な運動: 日中に適度な運動を習慣的に行うことは、寝つきを良くし、睡眠を深くする効果が期待できます。ただし、就寝直前の激しい運動は、かえって覚醒を高めてしまうため避けましょう23
  • リラックス: 就寝前には、軽い読書、音楽鑑賞、ぬるめのお風呂に入る、アロマテラピー、軽いストレッチなど、自分に合ったリラックス法を取り入れ、心身の緊張を和らげることが大切です24
  • 寝床での過ごし方: 寝床は睡眠と性生活以外の目的で使わないようにし、寝床で悩み事を考えたり、仕事や勉強をしたりすることは避けましょう23

これらの睡眠衛生指導は、不眠症治療の基本であり、薬物療法と並行して早期から取り組むことが推奨されています9

表3: 睡眠衛生のための具体的なヒント
カテゴリー 具体的なヒント
就寝・起床リズム ・毎日同じ時刻に起きる(休日も同様に)
・眠気を感じてから寝床に入る
食事・飲み物 ・就寝4時間前からはカフェインを避ける
・就寝1時間前からはニコチン(喫煙)を避ける
・就寝前のアルコール摂取は控える
・夕食は就寝の2~3時間前までに済ませるのが理想
・夜食は軽く、消化の良いものにする
日中の過ごし方 ・日中に適度な運動をする(ウォーキング、ジョギング、水泳など)
・昼寝をするなら午後3時より前に20~30分程度
・朝、目が覚めたら日光を取り入れ、体内時計をリセットする
寝室環境 ・寝室は静かで、暗く、適切な温度・湿度に保つ
・自分に合った寝具(枕、マットレスなど)を選ぶ
・就寝数時間前から、スマートフォンやパソコンなどの明るい光を浴びないようにする
就寝前の習慣 ・ぬるめのお風呂にゆっくり入る
・軽い読書や音楽鑑賞、瞑想、アロマなど、自分なりのリラックス法を見つける
・寝床で悩み事や翌日の計画などを考えない
出典: 3 に基づき作成。

B. 認知行動療法(CBT-I)の概要と効果

認知行動療法(Cognitive Behavioral Therapy for Insomnia: CBT-I)は、不眠症に対する効果的な非薬物療法として、国際的にも高く評価されています。薬物療法と並行して、あるいは薬物療法の代替として、早期から行うことが推奨されています9。高齢者を含む幅広い年齢層の不眠症患者に対して、その有効性が確立されており、治療のゴールドスタンダードとされています10。がんサバイバーの不眠症に対しても、第一選択の治療法として推奨されています24。CBT-Iは、不眠を引き起こしたり維持したりしている認知(考え方や思い込み)と行動のパターンに焦点を当て、それらを修正していくことで睡眠の改善を目指す治療法です。主な構成要素は以下の通りです24

  • 刺激制御法 (Stimulus Control Therapy): 寝床や寝室が「眠れない場所」として条件づけられてしまっている状態を解消し、寝床と睡眠の健全な結びつきを再構築することを目指します。「眠くなった時だけ寝床に就く」「寝床は睡眠と性生活以外に使わない」「眠れない時は一度寝床から出る」「毎朝同じ時刻に起きる」「昼寝をしない」といった行動ルールを実践します25
  • 睡眠制限法 (Sleep Restriction Therapy): 実際に眠れている時間(睡眠効率)に基づいて、寝床で過ごす時間を意図的に制限する方法です。不眠症の人は、眠ろうとして必要以上に長く寝床で過ごす傾向がありますが、これがかえって不眠を悪化させる一因となります。寝床にいる時間を短縮することで、睡眠の連続性を高め、睡眠効率を改善することを目指します24
  • 認知療法 (Cognitive Therapy): 「8時間眠らなければならない」「眠れないと大変なことになる」といった、睡眠に関する非現実的な期待や誤った思い込み(破局的思考)を特定し、より現実的で適応的な考え方に修正していくことを目指します26
  • リラクゼーション法 (Relaxation Techniques): 漸進的筋弛緩法、呼吸法、瞑想、自律訓練法などを用いて、心身の緊張を和らげ、入眠しやすい状態に導きます15

これらの要素を組み合わせ、専門家の指導のもとで数週間から数ヶ月かけて行われます。CBT-Iは、睡眠薬のような即効性はありませんが、効果が持続しやすく、薬物療法に伴う副作用の心配がないという大きな利点があります。しかしながら、その有効性にもかかわらず、日本においてはCBT-Iの普及が十分とは言えない状況がうかがえます。睡眠薬の処方率の高さや処方トレンドに関する議論の中で、CBT-Iの実施状況に関する言及が少ないことは、実際の臨床現場では薬物療法が中心となりがちであることを示唆しているかもしれません1。CBT-Iを提供できる専門家や医療機関が限られていること、患者さんや医師の認知度が低いこと、あるいは診療報酬上の課題などが背景にある可能性も考えられます。不眠症に悩む人々がCBT-Iという有効な治療選択肢にアクセスしやすくなるよう、情報提供の強化や実施体制の整備が望まれます。

C. リラクゼーション法、運動など

前述のCBT-Iの構成要素でもあるリラクゼーション法は、単独でも睡眠改善に役立つことがあります。音楽を聴く、ヨガや軽いストレッチを行う、瞑想する(スマートフォンのアプリなどを活用するのも良いでしょう)といった方法は、日中の緊張感を和らげ、心身をリラックスさせるのに有効です15。また、定期的な運動習慣は、ストレス解消に繋がり、睡眠の質を高める効果も期待できます15。ただし、就寝直前の激しい運動は避け、ウォーキングやジョギングなど、心地よい疲労感が得られる程度の運動を日中に行うのが良いでしょう。

6. 睡眠薬を減らしたい・やめたいと考えたら

睡眠薬による治療で不眠症状が改善してきた場合や、副作用が気になる場合など、薬を減らしたり、やめたりしたいと考えるのは自然なことです。しかし、その際には自己判断を避け、安全かつスムーズに進めるための適切な手順を踏むことが極めて重要です。

A. 医師との相談が第一歩

睡眠薬の減量や中止を考え始めたら、まず最初に行うべきことは、処方を受けている医師に相談することです。医師は、現在の不眠の状態、これまでの治療経過、患者さんの希望などを総合的に判断し、減薬や休薬が可能かどうか、また、どのような方法で進めるのが最も適切かを判断します22。特に、長期間にわたって睡眠薬を服用していた場合、急に中断すると離脱症状が現れるリスクがあるため、必ず医師の指導のもとで進める必要があります7

B. 安全な減薬・休薬の方法:漸減法など

安全に睡眠薬を減量・中止するためには、一般的に「漸減法(ぜんげんほう)」と呼ばれる、時間をかけて徐々に薬の量を減らしていく方法が取られます。日本睡眠学会のガイドラインなどでも、睡眠薬の減量方法として、漸減法のほか、認知行動療法(CBT-I)の併用、必要に応じた補助的な薬物療法、そして心理的なサポートなどが挙げられています23。具体的な漸減法の進め方の一例としては、2~4週間程度の期間をかけて、現在の服用量を4分の3、次に2分の1、そして4分の1というように段階的に減らしていき、最終的には週末だけ服用しない日を設けるなど、服用しない日を徐々に増やしていくといった方法があります7。ただし、これはあくまで一例であり、実際の減量スケジュールは、使用している薬剤の種類、用量、服用期間、患者さんの状態などによって大きく異なるため、必ず医師が個別に計画します。焦って急激に減らそうとすると、かえって不眠が悪化したり、離脱症状が出やすくなったりするため、慎重に進めることが大切です。

C. 離脱症状への心構えと対処

睡眠薬を減量・中止する過程では、たとえ徐々に進めたとしても、一時的に不眠が悪化したり、不安感やイライラ感といった離脱症状に近い状態が現れたりすることがあります。前述の通り、急に中断した場合には、神経過敏、強い不安、幻覚といったより重い症状が出る可能性も否定できません7。このような離脱症状の可能性をあらかじめ理解しておくことは、精神的な準備として重要です。また、多くの患者さんにとって、「薬をやめたらまた眠れなくなるのではないか」という不安感は、減薬・休薬を進める上での大きな心理的障壁となり得ます8。この不安感を和らげるためには、医師からの十分な説明と精神的なサポートが不可欠です。離脱症状や不眠の再燃がみられた場合には、自己判断で元の量に戻したりせず、速やかに医師に相談しましょう。医師は、状況に応じて減量のペースを調整したり、一時的に他の薬剤でサポートしたり、あるいは認知行動療法(特に睡眠衛生指導やリラクゼーション法など)を強化するなどの対策を講じます。特にCBT-Iは、睡眠薬の減量・中止期における不眠の再発予防にも有効であることが示されており、積極的に活用することが推奨されます23。焦らず、医師と二人三脚で取り組むことが、安全な薬からの離脱への鍵となります。

7. 特別な注意が必要なケース

睡眠薬の使用にあたっては、特に慎重な判断と管理が求められるケースがあります。以下に代表的な例を挙げますが、これら以外にも個々の健康状態や併用薬などによって注意が必要な場合がありますので、必ず医師に相談してください。

A. 高齢者の睡眠薬使用

高齢者は、一般的に薬の代謝・排泄機能が低下しているため、若い人と同じ量の薬を服用しても、薬の作用が強く出すぎたり、体内に長く留まったりする傾向があります。そのため、睡眠薬による副作用、特にふらつき、めまい、転倒のリスクが若い世代に比べて増加します5。転倒は骨折に繋がりやすく、高齢者の場合は寝たきりの原因にもなりかねないため、特に注意が必要です。国際的な視点からも、高齢者の不眠症に対する薬物療法では、薬の選択が重要視されています。例えば、低用量のドロキセピン(日本では未承認)、メラトニン、ラメルテオン(メラトニン受容体作動薬)、そしてオレキシン受容体拮抗薬などが、比較的リスクの低い選択肢として挙げられています。一部の睡眠薬(特にベンゾジアゼピン系など)は、加齢に伴いリスクが増大するため、使用は慎重に検討されるべきです10。高齢者への睡眠薬処方では、可能な限り少量から開始し、効果と副作用を注意深く観察しながら、慎重に用量を調節していくことが原則となります。

B. うつ病や不安障害など他の疾患に伴う不眠

不眠は、うつ病や不安障害といった精神疾患の一般的な症状の一つとして現れることが少なくありません。実際、うつ病患者さんの約8割が不眠を経験するというデータもあります25。このような場合、不眠は単独の問題ではなく、背景にある精神疾患の症状の一部と捉える必要があります。治療においては、まず原因となっている精神疾患(うつ病や不安障害など)に対する治療が優先されます。例えば、うつ病が原因であれば、抗うつ薬による治療が第一選択となります。ただし、SSRI(選択的セロトニン再取り込み阻害薬)やSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)といった一部の抗うつ薬は、直接的な睡眠改善作用に乏しいため、治療初期には不眠症状の緩和を目的として、睡眠薬が一時的に併用されることもあります。この場合でも、精神疾患の急性期を過ぎて状態が安定してきたら、ベンゾジアゼピン系の睡眠薬などは可能な限り早期に減量・中止することが推奨されています25。また、更年期の女性に見られる不眠も、うつ状態や不安感と強く関連していることが指摘されており、これらの精神症状と併せて治療を行うことが重要です17。不眠の背景に他の疾患が隠れていないかを見極め、根本的な原因にアプローチすることが、結果として不眠の改善にも繋がります。

C. 妊娠中・授乳中の女性

妊娠中や授乳中の女性が睡眠薬を使用する際には、胎児や乳児への影響を考慮し、最大限の注意が必要です。多くの薬剤は胎盤を通過したり、母乳中に移行したりする可能性があるため、自己判断での服用は絶対に避けなければなりません。この時期の不眠に対しては、まず薬物を用いない非薬物療法(睡眠衛生指導、リラクゼーション法など)を優先的に試みることが原則です。薬物療法が必要と判断される場合でも、産婦人科医や精神科医などの専門医が、個々の状況や薬剤のリスクとベネフィットを慎重に比較検討した上で、最も安全と考えられる薬剤を、必要最小限の期間・用量で使用することになります。必ず専門医に相談し、その指示に従ってください。

D. その他の睡眠障害(睡眠時無呼吸症候群、レストレスレッグス症候群など)

不眠の症状が、実は他の特定の睡眠障害によって引き起こされている場合もあります。このようなケースでは、原因となっている睡眠障害そのものに対する治療が不可欠であり、一般的な睡眠薬の使用が不適切であったり、場合によっては症状を悪化させたりすることもあります。例えば、睡眠時無呼吸症候群は、睡眠中に気道が閉塞し、呼吸が一時的に止まることを繰り返す疾患です。これにより睡眠の質が著しく低下し、不眠や日中の強い眠気を引き起こします。この疾患に対してベンゾジアゼピン系の睡眠薬を使用すると、筋弛緩作用によって気道の閉塞が悪化し、無呼吸をさらに重症化させる危険性があるため、原則として避けるべきです25。治療は、CPAP(持続陽圧呼吸療法)装置の使用などが中心となります。また、レストレスレッグス症候群(むずむず脚症候群)は、夕方から夜間にかけて脚に不快な感覚(むずむずする、虫が這うような感じなど)が現れ、脚を動かさずにいられなくなる疾患で、入眠困難の大きな原因となります。この疾患の治療には、主にドパミン作動薬などが用いられ、一般的な睡眠薬では効果が乏しいことがあります25。これらの例からもわかるように、不眠症状がある場合、安易に睡眠薬に頼るのではなく、まずその原因を正確に突き止めるための医学的な評価が極めて重要です。睡眠時無呼吸症候群やレストレスレッグス症候群、あるいは概日リズム睡眠障害などが疑われる場合には、睡眠専門医による詳しい検査と診断が必要です。適切な診断に基づかない睡眠薬の使用は、根本的な問題解決を遅らせるだけでなく、健康上のリスクを高める可能性すらあります。医師との十分なコミュニケーションを通じて、自身の不眠の原因を明らかにし、最適な治療法を選択することが肝要です。

健康に関する注意事項

  • 本記事の情報は、一般的な知識の提供を目的としたものであり、個別の医学的アドバイスに代わるものではありません。
  • 睡眠に関する問題や症状が続く場合は、自己判断せず、必ず医師や専門の医療機関にご相談ください。
  • 睡眠薬の服用を開始、変更、中止する際は、必ず処方医の指示に従ってください。

よくある質問

睡眠薬を飲むと認知症になりますか?

睡眠薬、特にベンゾジアゼピン系薬剤の長期使用と認知機能低下との関連については、多くの研究が行われていますが、まだ結論は出ていません。一部の研究では関連性が指摘されていますが、不眠症自体が認知機能低下のリスク因子である可能性もあり、因果関係は明確ではありません。しかし、リスクを最小限に抑えるため、特に高齢者においては、ベンゾジアゼピン系薬剤の長期使用は慎重に検討されるべきです610。近年処方が増えているオレキシン受容体拮抗薬など、認知機能への影響が少ないとされる新しいタイプの薬剤も選択肢となります。不安な場合は、必ず医師に相談し、リスクとベネフィットについて十分な説明を受けてください。

市販の睡眠改善薬と処方される睡眠薬はどう違いますか?

市販の睡眠改善薬の多くは、抗ヒスタミン薬の眠くなる副作用を利用したものです。これらは一時的な不眠症状の緩和を目的としており、医師が処方する睡眠薬とは作用機序が全く異なります。処方薬は、GABA受容体やメラトニン受容体、オレキシン受容体など、睡眠に直接関わる脳内の神経伝達物質に作用し、より強力な催眠効果を持ちます5。市販薬はあくまで一時的な対処であり、不眠が続く場合は、背景に治療が必要な睡眠障害が隠れている可能性があるため、医療機関を受診することが重要です。

薬をやめたいのですが、離脱症状が怖いです。どうすればよいですか?

睡眠薬の減量・中止は、自己判断で行わず、必ず医師の指導のもとで計画的に進めることが最も重要です。医師は、離脱症状のリスクを最小限に抑えるため、「漸減法」という時間をかけて徐々に薬を減らす方法を取ります723。また、減薬中は認知行動療法(CBT-I)を併用することで、不眠の再発を防ぎ、スムーズな離脱を助けることができます23。「薬がなくても眠れる」という自信を取り戻すための心理的なサポートも重要です。不安な気持ちも正直に医師に伝え、二人三脚で取り組んでいきましょう。

アルコール(寝酒)で眠るのはだめですか?

アルコールは寝つきを良くするように感じられるかもしれませんが、睡眠の質を著しく低下させます。アルコールは後半の睡眠を浅くし、中途覚醒を増やすため、結果的に不眠を悪化させる原因となります24。さらに、睡眠薬とアルコールを併用すると、それぞれの作用が強まりすぎて呼吸抑制など命に関わる危険な状態を招くことがあります7。寝酒は絶対にやめ、睡眠薬を服用中は禁酒を徹底してください。

自分に合った睡眠薬はどうやって選ばれるのですか?

医師は、患者さんの不眠のタイプ(入眠困難、中途覚醒、早朝覚醒など)、年齢、性別、基礎疾患の有無、他に服用している薬などを総合的に評価して、最も適切と考えられる睡眠薬を選択します。例えば、体内時計の乱れが原因の入眠困難にはメラトニン受容体作動薬、中途覚醒には作用時間が比較的長い薬剤、高齢者には転倒リスクの少ない薬剤、といったように個別化された処方が行われます1025。正確な診断が最適な薬剤選択の第一歩となるため、自身の症状や生活習慣について詳しく医師に伝えることが大切です。

結論

本稿では、日本の読者の皆様に向けて、睡眠薬の適正使用に関する包括的な情報を提供してまいりました。現代社会において不眠は多くの人々が直面する問題ですが、正しい知識を持ち、適切な対処を行うことで、健やかな眠りを取り戻すことは可能です。最後に、本稿で触れた重要なポイントを改めて確認しましょう。不眠は一般的な問題ですが、治療可能です。日本では多くの成人が不眠に悩んでいますが、様々な治療法や対処法が存在します。諦めずに専門家へ相談することが大切です。治療の基本は、睡眠衛生指導や認知行動療法(CBT-I)といった非薬物療法です。これらは睡眠薬の使用の有無に関わらず、積極的に取り組むべきです。睡眠薬は、医師の指導のもとで正しく使えば有効なツールですが、持ち越し効果や依存性などのリスクも伴います。医師から十分な説明を受け、理解した上で服用し、自己判断での服用・中止は絶対に避けてください。不眠の原因は様々であり、背景にうつ病や睡眠時無呼吸症候群などの他の疾患が隠れている場合もあるため、正確な診断が不可欠です。

免責事項この記事は医学的アドバイスに代わるものではなく、症状がある場合は専門家にご相談ください。

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