更年期は自然な生物学的移行ですが、多くの女性にとって生活の質を著しく低下させる可能性のある様々な症状を伴います。中でも疲労感は単なる倦怠感ではなく、心身に影響を及ぼす深刻な消耗状態です。この疲労感を効果的に理解し対処するためには、特に日本の状況における複雑な生理的、心理的、社会的要因を分析することが不可欠です。
この記事の科学的根拠
本記事は、日本の公的機関・学会ガイドラインおよび査読済み論文を含む高品質の情報源に基づき、出典は本文のクリック可能な上付き番号で示しています。
要点まとめ
更年期疲労の背景
これまで経験したことのないような深刻な疲労感、不眠、気分の落ち込みに悩まされ、自分の体がどうなってしまったのか分からず混乱する——。そのように心身が自分のコントロールを離れていくような感覚は、非常につらく、不安なものですよね。多くの女性が同じような経験をしています。科学的には、その背景にホルモンバランスの大きな変化があります。更年期の体内で起きているのは、長年続いた月経というオーケストラを指揮してきたエストロゲンという指揮者が、ゆっくりと指揮台を降りていくようなものです。その過程で各楽器(ホルモン)の演奏が乱れ、体全体に不協和音が生じるのです。この疲労感の仕組みを理解することが、あなたに合った対処法を見つける第一歩となります。1
日本産科婦人科学会(JSOG)の定義によると、更年期(こうねんき)とは、閉経を挟んだ前後5年、合計10年間を指します。日本女性の平均閉経年齢は約50歳ですが、個人差は大きいのが実情です。1 この時期に現れる症状が日常生活に支障をきたすほど重くなった状態が、更年期障害(こうねんきしょうがい)と呼ばれます。疲労の根本的な原因は、卵巣から分泌される女性ホルモン、特にエストロゲンの急激な減少です。この変化は、エネルギー代謝を調整する副腎や甲状腺のホルモン、さらには睡眠の質に関わるコルチゾールやメラトニンの分泌リズムにも影響を及ぼし、心身のエネルギー切れを引き起こします。23 Medical News Today誌が指摘するように、更年期女性の実に73~75%が疲労を経験しており、これは決して稀なことではありません。2 特に、ホットフラッシュや寝汗といった血管運動神経症状(けっかんうんどうしんけいしょうじょう、VMS)は夜間の深い眠りを妨げ、日中の深刻な疲労の直接的な引き金となります。3
このセクションの要点
- 更年期の疲労は、エストロゲンの減少という生理的な変化が基盤にあり、それが睡眠障害などを引き起こすことでさらに増幅されます。
- これは意志の弱さではなく、多くの女性が経験する医学的な状態です。
日本におけるケアの基盤
「自分の体のことなのに、何が起きているのか分からない」という戸惑いは、更年期を迎える多くの方が抱く自然な感情です。日本では幸い、こうした漠然とした不調に対して、科学的根拠に基づいた体系的なアプローチが確立されています。その羅針盤となるのが、日本産科婦人科学会(JSOG)が発行する「産婦人科診療ガイドライン」です。4 このガイドラインの根底にあるのは、更年期を単なる「病気」ではなく、人生の自然な「移行期(ライフステージ)」と捉える考え方です。そのため、いきなり薬で症状を抑えるのではなく、まずはカウンセリングを通じてご自身の状況を理解し、食事や運動といった生活習慣の改善から始めることを重視します。5 これは、体が新しいホルモンバランスに適応していくのを、じっくりとサポートするという思想の表れです。
このアプローチは、患者さん自身の自己治癒力を尊重し、不要な医療介入を避けるという点で非常に重要です。薬物療法、例えばホルモン補充療法(HRT)や漢方薬は、生活習慣の改善だけでは症状が十分に軽くならない場合に検討される、次のステップと位置づけられています。1 さらに、日本女性医学学会(JMWH)は8年ぶりに「ホルモン補充療法ガイドライン2025年度版」を改訂予定であり、これはHRTに関する最新の知見を反映した重要な指針となります。5 このように、日本のケアは、確かなガイドラインに基づきつつ、一人ひとりの状態に合わせて段階的に治療を進める、思慮深い体制が整っています。
このセクションの要点
- 日本の更年期ケアは、JSOGのガイドラインに基づき、まず生活習慣の改善から始める段階的なアプローチを基本とします。
- 薬物療法は、生活習慣の改善で効果が不十分な場合に検討される選択肢です。
薬理学的介入:エビデンスに基づく評価
生活習慣を改善しようと頑張っても、ホットフラッシュや寝汗で眠れず、日中の疲労が限界に達している…。セルフケアだけではどうにもならないほどの強い症状があるのですね。それはあなたの努力が足りないからではありません。幸い、現代の医学には、こうした症状の根本原因に働きかける有効な選択肢があります。その代表格がホルモン補充療法(HRT)で、これは減少したエストロゲンを補うことで、特にVMSに高い効果を発揮します。6 ただ、「ホルモン」と聞くと少し不安に感じるかもしれません。その気持ちは、とてもよく分かります。かつてのリスクに関する報告が、多くの方に心配を与えました。しかし、科学的には、その理解は大きく進んでいます。現在のHRTは、リスクと利益を天秤にかける精密な医療機器のようなものです。専門医が患者さん一人ひとりの年齢や健康状態に合わせて「校正」することで、安全かつ効果的に使用できます。だからこそ、まずは医師と相談し、あなたに合った選択肢を一緒に見つけることが大切です。
HRTは、特にホットフラッシュや寝汗といった血管運動神経症状(VMS)に対して、現在利用できる最も効果的な治療法とされています。7 2017年のCochraneの系統的レビューでもその有効性が確認されています。9 HRTの安全性に関する理解は、「タイミング仮説」の登場で大きく変わりました。これは、閉経後10年以内かつ60歳未満の比較的若い時期にHRTを開始する場合、心血管疾患のリスクを増加させないばかりか、むしろ保護的に働く可能性があるという考え方です。8 また、経口薬ではなく皮膚から吸収させる経皮エストロゲン製剤(貼り薬やジェル)は、静脈血栓塞栓症(VTE)のリスクがより低い可能性が示唆されています。10
一方で、HRTが体質的に合わない方や、乳がんの既往があるなどの理由で使用できない方もいます。そのような方々のために、非ホルモン性の治療薬も進化しています。その最前線にあるのが、フェゾリネタントという新しい経口薬です。これは脳の体温調節中枢に直接作用してVMSを抑える画期的な薬で、2023年のJournal of Clinical Endocrinology & Metabolism誌に掲載されたネットワークメタアナリシスによれば、その効果は多くのHRTレジメンと遜色ないと報告されています。11 日本でも現在、臨床試験が進行中です。12
さらに、日本独自の選択肢として漢方薬があります。漢方では、疲労や不安といった症状と、その人の体質(「証」)を総合的に判断して処方を決定します。1 JSOGのガイドラインでは、主に当帰芍薬散(とうきしゃくやくさん、虚弱で冷えやすい方向け)13、加味逍遙散(かみしょうようさん、精神的な症状が強い方向け)14、桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん、比較的体力がありのぼせやすい方向け)15の3つが推奨されており、これらはすべて保険適用の対象です。
自分に合った選択をするために
ホルモン補充療法(HRT): ホットフラッシュや寝汗が特にひどく、睡眠が妨げられている場合に最も効果が期待できる選択肢です。閉経後10年以内の方に特に推奨されます。
非ホルモン療法・漢方薬: HRTに抵抗がある、または使用できない場合に有力な選択肢です。特に漢方薬は、疲労感や気分の落ち込みなど、多彩な症状に包括的にアプローチしたい場合に適しています。
処方箋を超えて:補完的戦略と自己管理
薬に頼るだけでなく、自分の力で何かできることはないだろうか、と考えるのはとても大切なことです。その思いに応えるように、近年の研究は、心と体のつながりに働きかけるアプローチが、更年期の疲労に対して驚くほど効果的であることを示しています。科学的には、ヨガや太極拳のようなゆったりとした動きは、ストレス反応を司る自律神経系のバランスを整える作用があると考えられています。これは、車のアクセル(交感神経)とブレーキ(副交感神経)のバランスを取り戻すようなものです。更年期にはアクセルが踏まれっぱなしになりがちですが、心身療法によって適切にブレーキをかける術を学ぶことができるのです。2024年に発表されたあるメタアナリシスでは、こうした心身療法が更年期女性の疲労を有意に改善したことが報告されています(標準化平均差 -0.67)。16 これは統計的にも臨床的にも意味のある、力強い効果です。まずは5分、深い呼吸を意識することから始めてみませんか?
さらに、サプリメントの分野では、エクオールという成分が注目されています。エクオールは大豆イソフラボンが特定の腸内細菌によって変換されて作られる物質で、エストロゲンと似た構造を持ち、その働きを穏やかに補うとされています。大塚製薬の研究によれば、日本人女性の約半数はこのエクオールを体内で十分に作ることができません。1718 エクオールを1日に10mg直接サプリメントで摂取することで、ホットフラッシュの軽減や骨密度の維持、肌のしわ抑制などの効果が臨床研究で示されています。18 ただし、日本では規制上、エクオール製品は医薬品ではなく「機能性表示食品」として販売されており、「更年期症状を緩和する」といった直接的な効能を謳うことはできません。19 この点は、製品を選ぶ際の知識として知っておくとよいでしょう。
今日から始められること
- 週に1〜2回、ヨガや太極拳のクラスに参加するか、オンライン動画を参考に自宅で試してみる。
- ご自身がエクオールを産生できる体質かどうか、市販の検査キットで確認してみる。
実践的応用と将来展望
さまざまな選択肢があることは分かったけれど、実際に自分はどこから手をつければいいの?と感じるかもしれません。その疑問はもっともです。日本の医療制度では、これらの治療法へのアクセス方法は明確に分かれています。HRTや漢方薬、SSRI/SNRIといった医薬品は、医師の診断のもとで処方され、健康保険が適用されます。1 一方、エクオールのようなサプリメントや、一部のクリニックで提供されるプラセンタ注射などは保険適用外となり、全額自己負担です。17 この違いを理解しておくことは、治療計画を立てる上で現実的な第一歩となります。
未来に目を向けると、治療の選択肢はさらに広がろうとしています。特に期待されているのが、先にも触れた非ホルモン薬フェゾリネタントです。日本の製薬企業であるアステラス製薬は、現在、日本人女性を対象とした大規模な第3相臨床試験(STARLIGHT 2試験)を進めており、ClinicalTrials.govによると、その主要な結果は2026年2月に判明する予定です。2021 この薬が承認されれば、HRTが使えない、あるいは使いたくないと考える多くの女性にとって、強力な新しい希望となるでしょう。更年期ケアの未来は、このように、より安全で、より一人ひとりのニーズに合った「個別化医療」へと着実に進んでいます。
このセクションの要点
- 治療法によって保険適用の有無が異なり、経済的負担が変わることを理解しておく必要があります。
- フェゾリネタントなど、より安全で効果的な非ホルモン療法の開発が国内外で進んでおり、将来の選択肢はさらに広がる見込みです。
統合と実践的な推奨事項
これまでの情報を踏まえると、更年期の疲労対策には「これが唯一の正解」というものはなく、まるでオーダーメイドの服を仕立てるように、ご自身の症状、体質、そしてライフスタイルに合わせて治療法を組み合わせることが最も重要だと分かります。そのプロセスは、ご自身の体の声に耳を傾け、信頼できる専門家と対話することから始まります。例えば、症状は軽いものの気分の落ち込みが気になる方は、まずヨガや太極拳といった心身療法から始めてみることが素晴らしい第一歩になるかもしれません。16 一方で、ホットフラッシュがひどく夜も眠れないという方は、生活習慣の改善を基本としながら、HRTを積極的に検討することが生活の質を劇的に改善する可能性があります。6 このように、ご自身の現在地を正確に把握し、そこから最適なルートを選択していくことが、長い更年期を乗り越える鍵となります。
今日から始められること
- ご自身の症状(疲労、VMS、気分の落ち込みなど)のパターンを1〜2週間記録し、婦人科を受診する際に持参する。
- HRTや漢方薬などの治療選択肢について、リスクと利益を含めて医師から詳しい説明を受けるための質問リストを作成する。
- まずは一つのことから。例えば、今晩から寝る前の10分間、スマートフォンを置いて深呼吸する時間を作ってみる。
よくある質問
ホルモン補充療法(HRT)は安全なのでしょうか?
漢方薬は誰にでも効果がありますか?
漢方薬は、その人の体質や症状のパターンである「証」に合わせて処方された場合に最も効果を発揮します。1 そのため、同じ「疲労」という症状でも、ある人には当帰芍薬散が、別の人には加味逍遙散が適している、ということがあります。自己判断で市販薬を選ぶのではなく、漢方に詳しい医師や薬剤師に相談し、ご自身の「証」に合った処方を受けることが重要です。
サプリメント(エクオールなど)だけで十分ですか?
エクオールなどのサプリメントは、一部の女性の軽い症状を和らげる助けになる可能性があります。18 しかし、症状が中等度から重度の場合や、睡眠に深刻な影響が出ている場合は、サプリメントだけで管理するのは難しいことが多いです。サプリメントはあくまで補助的な選択肢と考え、症状が辛い場合は必ず医療機関を受診し、医薬品を含むより効果的な治療法について相談してください。
結論
更年期の疲労は、単なる「年のせい」や「気分の問題」ではなく、エストロゲンの減少という明確な生理的変化を基盤とした、複雑で多面的な症状です。しかし、本記事で見てきたように、ホルモン補充療法(HRT)から最新の非ホルモン療法、漢方薬、そして科学的根拠のある心身療法に至るまで、その苦痛を和らげるための有効な選択肢は数多く存在します。最も重要なメッセージは、一人で悩み、耐える必要はないということです。信頼できる医療専門家と手を取り合い、ご自身の体質、症状、そして価値観に最も合った治療計画を主体的に構築していくこと。それが、この変化の時期を健やかに、そして前向きに乗り越えるための最も確かな道筋となるでしょう。
本コンテンツは一般的な医療情報の提供を目的としており、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や治療に関する意思決定の前に、必ず医療専門職にご相談ください。
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