この記事の科学的根拠
この記事は、引用元として明示された最高品質の医学的エビデンスにのみ基づいています。以下に示すリストは、実際に参照された情報源と、提示された医学的ガイダンスとの直接的な関連性を示したものです。
- 厚生労働省「歯科疾患実態調査」: 本記事における8020運動の達成率、歯周病およびう蝕の有病率、歯科検診受診率など、日本国民の口腔保健に関する基本的な統計データの根拠としています。
- 日本歯科医師会、日本歯周病学会、日本歯科保存学会等の学術団体によるガイドライン: 歯周病やう蝕の治療法、ミニマルインターベンション(MI)の理念、オーラルフレイルの定義など、専門的な治療や概念に関する記述の科学的妥当性を担保しています。
- コクラン・レビュー: フッ化物配合歯磨剤の有効性や、デンタルフロスと歯間ブラシの効果比較など、特定の予防法に関するエビデンスの信頼性評価の根拠としています。これは、世界的に最も信頼性の高い科学的根拠の一つです。
- 世界保健機関(WHO)の報告書: 日本の口腔保健の課題を世界的な文脈の中に位置づけ、その普遍性と特殊性を論じるための国際的な視点を提供しています。
要点まとめ
- 8020運動の成功(80歳での歯の保有率51.6%)にもかかわらず、国民の約半数(47.9%)が歯周病に罹患しており、歯の「数」と「質」の間に大きな乖離が存在する1。
- 歯周病は、糖尿病、心血管疾患、認知症などの全身疾患と密接に関連する慢性炎症性疾患である22。口腔ケアは全身の健康管理の重要な一環である。
- う蝕予防には、1000-1500ppmの高濃度フッ化物配合歯磨剤の適切な使用が科学的に最も効果的である3335。
- 歯間清掃では、歯間ブラシがデンタルフロスよりも効果的である可能性が示唆されており、個々の状態に合わせた器具の選択(適材適所)が重要である43。
- 現代のう蝕治療は、歯を極力削らない「ミニマルインターベンション(MI)」が主流であり、歯の寿命を延ばすことを目指している61。
第1章 国民の歯の現状:統計データによる詳細な分析
本章では、最新の国の調査データを基に、日本国民の口腔保健の現状を定量的かつ明確に描き出す。これらのデータは、根本的な傾向、世代間の格差、そして制度的な課題を明らかにするための基盤となる。
1.1. 8020運動:公衆衛生活動の金字塔
1989年に厚生労働省(当時)と日本歯科医師会によって開始された「8020運動」は、国民の口腔保健意識を劇的に変革した公衆衛生活動の成功例として特筆される2。その目標は「80歳で自らの歯を20本以上保持すること」であり、20本以上の歯があれば、ほとんどの食物を問題なく咀嚼でき、満足のいく食生活を送ることが可能であるという科学的知見に基づいている2。
令和4年(2022年)に実施された「歯科疾患実態調査」によると、80歳における8020達成者の割合は51.6%に達した1。これは、運動開始当初の達成率が1割に満たなかったことを鑑みれば、驚異的な改善である1。この成功の背景には、国民の間で歯を大切にする意識が醸成され、具体的な行動変容が起きたことが挙げられる。例えば、毎日の歯磨きの回数を見ると、「1日1回」の人の割合が減少し、「1日2回または3回以上」磨く人の割合が増加している1。これは、単に歯を失わないことへの関心だけでなく、より良い口腔衛生を維持しようとする積極的な姿勢が国民の間に根付いてきたことを示している。
1.2. 見過ごされた流行病:歯周病の蔓延
8020運動の成功という明るい側面の裏で、日本の口腔保健は深刻な課題に直面している。それが歯周病の蔓延である。2022年の同調査では、15歳以上の国民の47.9%が、中等度以上の歯周病の指標とされる4mm以上の歯周ポケットを持つ歯を有していることが判明した1。これは、国民のほぼ2人に1人が、自覚症状の有無にかかわらず、歯を支える組織に破壊が始まっている状態にあることを意味する。
特に、この罹患率は年齢とともに著しく上昇する。65歳から74歳の年齢層では56.2%、75歳以上では56.0%と、高齢者の半数以上が歯周病の問題を抱えている5。さらに懸念すべきは、若年層においても決して稀な疾患ではない点である。15歳から24歳の層でも約2割に歯周病が見られ、早期からの対策が不可欠であることを物語っている5。
ここに、8020運動の成功がもたらした意図せざる「成功のパラドックス」が存在する。すなわち、歯の喪失原因としてかつて主役であったう蝕が予防されるようになり、多くの人々がより多くの歯を保持したまま高齢期を迎えるようになった。その結果、生涯を通じて歯周病に罹患する危険性に晒される歯の数が、以前よりも格段に増えたのである。高齢者における歯周病の有病率の増加は、単なる加齢現象ではなく、歯の残存率向上という成功の裏返しでもあるという視点が重要である1。歯の「本数」を維持することに主眼が置かれた結果、その歯を支える「土台」である歯周組織の健康維持という、もう一つの重要な側面への対策が追いついていない現状が示唆される。
1.3. 変わりゆく主戦場:う蝕の二つの顔
口腔疾患のもう一方の雄であるう蝕(虫歯)の状況は、明確な世代間格差を示している。若年層におけるう蝕の有病率は劇的に改善した。2022年の調査では、9歳以下の子供でう蝕を持つ者の割合はわずか2.5%に留まり、経年的に顕著な減少傾向が見られる1。これは、フッ化物配合歯磨剤の普及や学校歯科保健活動など、長年にわたる予防努力の成果が明確に表れた結果と言える。
その一方で、25歳から64歳の成人層に目を向けると、う蝕の有病率は複数の調査年にわたり、ほぼ100%に近い水準で高止まりしている1。「う蝕のない成人」は、依然として極めて稀な存在である。
このデータは、日本の歯科医療が直面する未来の課題を暗示している。すなわち、「レガシー・カリエス(遺産としてのう蝕)世代」の問題である。現在の中高年層は、近代的な予防法が普及する以前の、う蝕が多発した時代に幼少期を過ごした。そのため、彼らの口腔内は多数の詰め物や被せ物で修復されていることが多い。これらの修復物は、歯の機能と形態を回復させる一方で、修復物と歯の境界(マージン)は二次う蝕の好発部位となり、また、不適合な修復物はプラークの蓄積を招き、歯周病の危険性を高める要因ともなる11。この膨大な人口を抱える世代が今後さらに高齢化するにつれて、複雑な修復物の維持管理、二次う蝕の治療、そして進行する歯周病という、複合的で難易度の高い臨床的課題が急増することが予測される。これは、将来の歯科医療費や専門的な人材育成の観点からも、極めて重要な示唆である。
1.4. 国民の習慣と制度的課題
国民の口腔衛生習慣は改善傾向にあるものの、専門的なケアの受診行動には課題が残る。過去1年間に歯科検診を受診した人の割合は全体で58.0%であった6。この数字は決して低いとは言えないが、問題はその内実にある。
特に深刻なのは、歯科健診が義務化されていない30代から50代の働き盛り世代において、受診率が5割に満たないという事実である5。この世代は、学校での定期健診の対象から外れ、リタイア後の世代に比べて時間的余裕も少ない。まさにこの時期は、自覚症状なく進行する歯周病が、不可逆的な段階へと移行する極めて重要な期間である。この「働き世代の予防ギャップ」は、日本の歯科保健システムにおける大きな脆弱性と言える。日本歯科医師会がこの世代への歯科健診制度の必要性を強く訴えているのは、この構造的な問題点を的確に捉えたものである5。
この予防ギャップがもたらす社会的費用は甚大である。日本の歯科診療にかかる年間医療費は3兆1,479億円(令和4年)に達し1、これは高血圧や脳血管疾患といった他の主要な生活習慣病の医療費に匹敵する、あるいはそれを上回る規模である12。早期発見・早期治療、そして予防への転換が、個人の健康だけでなく、国家全体の医療経済においても急務であることがわかる。
第2章 口腔の健康を脅かす二大疾患:う蝕と歯周病
統計データが示す現状の背景には、う蝕と歯周病という二つの主要な疾患の存在がある。本章では、これらの疾患の病態を科学的に解明し、それらが単なる口の中の問題に留まらず、全身の健康や加齢に伴う心身の活力低下と深く結びついていることを明らかにする。
2.1. う蝕(虫歯):脱灰と再石灰化のダイナミズム
う蝕は、単に「歯に穴が開く」現象ではない。それは、歯の表面で繰り広げられる「脱灰」と「再石灰化」という二つの化学プロセスの均衡が崩れることによって生じる、動的な疾患である13。
このプロセスの中心には、4つの要因が複雑に絡み合っている。これは「キイスの輪」として知られ、①歯(宿主)、②う蝕原因菌(微生物)、③糖分(基質)、そして④時間、という4つの輪が重なり合った時にう蝕が発生することを示している15。食事から摂取された糖分を、ミュータンス菌などのう蝕原因菌が代謝する際に酸が産生される。この酸が歯の表面のエナメル質からミネラル(カルシウムやリン)を溶かし出す現象が「脱灰」である15。一方、唾液には酸を中和し、溶け出したミネラルを歯の表面に再び沈着させる働きがあり、これを「再石灰化」と呼ぶ13。
健康な口腔内では、この脱灰と再石灰化が絶えず繰り返され、均衡が保たれている。しかし、糖分の摂取頻度が高かったり、プラーク(歯垢)の除去が不十分であったりすると、口腔内が酸性に傾く時間が長くなり、脱灰が再石灰化を上回る。その結果、エナメル質の内部からミネラルが失われ、初期う蝕(白斑)が発生する。この段階はまだ可逆的であり、適切なフッ化物の応用やプラークコントロールによって再石灰化を促すことが可能である2。しかし、この状態が続くとエナメル質表層が崩壊して「う窩」と呼ばれる穴が形成され、象牙質、さらには歯髄(神経)へと病変が進行していく18。この進行段階を理解することは、第5章で詳述するミニマルインターベンション(MI)という治療哲学の根幹をなす。
2.2. 歯周病:静かに進行する炎症性疾患
歯周病は、プラーク(バイオフィルム)内に存在する特定の細菌群によって引き起こされる感染症であり、それに対する宿主の過剰な免疫炎症反応が組織破壊を招く疾患である15。多くの場合、自覚症状に乏しいまま進行するため、「サイレント・ディジーズ(静かなる病気)」とも呼ばれる。
歯周病は、その進行度によって大きく二つの段階に分けられる。
歯肉炎(Gingivitis): 歯周病の初期段階であり、炎症が歯肉(歯ぐき)に限定されている状態を指す。歯と歯肉の境目に付着したプラークが原因で歯肉に炎症が起こり、赤みや腫れ、ブラッシング時の出血などが見られる19。この段階では、歯を支える歯槽骨などの破壊は起きておらず、適切なプラークコントロールによって健康な状態に回復することが可能な「可逆性」の疾患である21。
歯周炎(Periodontitis): 歯肉炎が進行し、炎症が歯周靭帯や歯槽骨といった歯の支持組織にまで波及した状態である。歯周ポケット(歯と歯肉の間の溝)が深くなり、歯槽骨が破壊・吸収されることで、最終的には歯が動揺し、抜け落ちてしまう15。一度破壊された歯周組織は、基本的には元の状態には戻らない「不可逆性」の疾患であり、治療の目的は進行を食い止め、安定した状態を維持することにある。
歯周病の発症と進行には、プラークという直接的な原因に加え、様々な危険因子が関与する。これらは、微生物因子(歯周病菌の存在)、環境因子(喫煙、ストレス、不十分な口腔清掃)、そして宿主因子(遺伝的要因、糖尿病などの全身疾患、免疫応答の個人差)に大別される20。これらの危険性を総合的に評価し、管理することが歯周病の予防と治療において極めて重要となる。
2.3. 口と身体のつながり:口腔は全身の健康を映す鏡
口腔は、消化器の入り口であると同時に、全身の健康状態を反映する鏡でもある。特に歯周病は、単なる口の中の局所的な感染症に留まらず、全身の様々な疾患と深く関連する慢性炎症性疾患として認識されるようになってきている。その関連は主に二つの経路で説明される。一つは、歯周ポケット内の細菌が血流に乗って全身に拡散する「菌血症」という直接的な経路。もう一つは、歯周組織の慢性的な炎症によって産生される炎症性サイトカイン(情報伝達物質)などが血流を介して全身に影響を及ぼす間接的な経路である22。
この「口と身体のつながり」を理解することは、現代の健康管理において不可欠であり、特に以下の疾患との関連が注目されている。
糖尿病: 歯周病は、長らく糖尿病の「第6の合併症」として位置づけられている22。両者には明確な双方向性の関係が存在し、血糖コントロールが悪い糖尿病患者は歯周病が重症化しやすく、逆に重度の歯周病はインスリンの働きを阻害し、血糖コントロールを悪化させることが知られている22。歯周病を治療することで、血糖値が改善するとの報告も多数あり、糖尿病の管理において医科と歯科の連携(医科歯科連携)は必須である24。
心血管疾患: 歯周病菌やその炎症性産物が血流に入り込むと、血管壁に付着してアテローム性動脈硬化(プラーク形成)を促進することが示唆されている26。これにより、狭心症や心筋梗塞、脳梗塞といった命に関わる疾患の危険性が高まる可能性がある。
認知症: 近年の研究では、歯周病の原因菌であるジンジバリス菌などが産生する毒素が、アルツハイマー病患者の脳内から検出されるなど、歯周病と認知機能低下との関連を示すエビデンスが集積しつつある22。慢性的な炎症が脳の神経細胞に損傷を与える可能性が指摘されており、口腔ケアが認知症予防の一助となる可能性に期待が寄せられている。
ここで重要なのは、歯周病を「全身の炎症負荷」という観点から捉え直すことである。歯周ポケットは、体内に存在する「細菌まみれの潰瘍」に他ならない22。中等度の歯周病患者の口腔内にある歯周ポケットの総面積は、手のひらの大きさに匹敵するとも言われる。もし身体の表面にこれほど広範囲の感染創があれば、誰もが緊急の治療が必要だと考えるだろう。しかし、それが口の中にあるというだけで、しばしば軽視されがちである。この視点の転換は、患者自身が歯周病治療の重要性を理解するため、また、医療政策として医科歯科連携を推進する上でも極めて強力な論拠となる。歯周病治療は、もはや単なる「歯の問題」ではなく、全身の慢性炎症をコントロールし、生活習慣病を管理するための重要な一環なのである。
2.4. 加齢と口腔機能:オーラルフレイルという衰えの入り口
高齢化が進む日本において、新たに注目されているのが「オーラルフレイル」という概念である。これは、身体全体の虚弱(フレイル)に至る前段階として現れる、口腔機能の軽微な衰えを指す22。日本歯科医師会は、「老化に伴う様々な口腔の状態(歯数・口腔衛生・口腔機能など)の変化に、口腔健康への関心の低下や心身の予備能力低下も重なり、口腔の脆弱性が増加し、食べる機能障害へ陥り、さらにはフレイルに影響を与え、心身の機能低下にまで繋がる一連の現象及び過程」と定義している27。
オーラルフレイルは、以下のような負の連鎖(ドミノ)を引き起こすことが知られている22。
1. 滑舌の低下、食べこぼし、わずかなむせ、噛めない食品の増加といった「口のささいなトラブル」が始まる22。
2. これらの機能低下により、硬いものや繊維質の多い食品(野菜や肉など)を避けるようになる。
3. 食事内容が、柔らかく食べやすい炭水化物中心の単調なものに偏っていく。
4. 食事の多様性が失われ、タンパク質やビタミン、ミネラルなどの摂取量が不足し、低栄養状態に陥る。
5. 低栄養は、筋肉量の減少(サルコペニア)を招き、身体機能の低下、転倒の危険性の増大、そして要介護状態へとつながっていく22。
全身のフレイルは、その始まりを特定することが難しい場合が多い。しかし、オーラルフレイルは「最近、リンゴを丸かじりしなくなった」「お茶でむせることが増えた」といった、比較的具体的で自覚しやすい症状として現れる5。これらのサインは、日常的に患者と接する歯科医院で捉えやすい。
このことは、歯科医院が全身のフレイルを予防するための重要な最前線となり得ることを意味する。歯科医師や歯科衛生士がオーラルフレイルの兆候を早期に発見し、適切な指導や治療、口腔機能訓練を行うことで、高齢者の栄養状態の改善、身体機能の維持、ひいては健康寿命の延伸に直接的に貢献できる。オーラルフレイルという概念は、歯科医療を単なる疾患治療から、高齢者の生活全体を支える老年医学の重要な一分野へと昇華させる可能性を秘めている。
第3章 防御の基盤:エビデンスに基づくセルフケアガイド
口腔の健康を守るための第一歩は、日々のセルフケアにある。しかし、その方法は「ただ磨けばよい」という単純なものではない。本章では、科学的根拠(エビデンス)に基づき、本当に効果のあるセルフケアとは何かを批判的に検証し、読者が自身の口腔衛生習慣を最適化するための実践的な指針を提示する。
3.1. 歯磨きの再考:執拗さより的確さを
歯磨きの根本的な目的は、う蝕や歯周病の主たる原因であるプラーク(バイオフィルム)を物理的に破壊し、除去することにある15。日本人の歯磨き頻度は増加傾向にあるが1、重要なのは回数よりもその質である。漫然と磨くのではなく、プラークが最も蓄積しやすく、かつ病原性を発揮しやすい部位を的確に清掃することが求められる。
その最重要ターゲットは、歯と歯肉の境目である「歯肉縁」および「歯周ポケット」である30。歯周病はここから始まるため、歯ブラシの毛先を歯肉縁に45度の角度で当て、優しく小刻みに振動させる「バス法」などのテクニックが推奨される31。また、就寝中は唾液の分泌量が減少し、細菌が繁殖しやすい環境となるため、1日の中でも就寝前の歯磨きを最も丁寧に行うことが、う蝕・歯周病予防の観点から極めて効果的である30。
3.2. フッ化物の力:科学が証明した必須要素
フッ化物は、現代のう蝕予防において最も信頼性の高い化学的手段である。その作用機序は二つある。第一に、歯のエナメル質の主成分であるハイドロキシアパタイトに取り込まれ、より酸に強いフルオロアパタイトを形成することで、歯質そのものを強化する。第二に、脱灰によって失われたミネラルが再び歯に沈着する「再石灰化」を強力に促進する2。
この効果は、最も信頼性の高い科学的根拠とされるコクラン・レビューによっても裏付けられている。複数の研究を統合・分析した結果、フッ化物配合歯磨剤は、非配合の歯磨剤と比較して、う蝕予防に有意な効果があることが高い確実性をもって示されている33。
さらに重要なのは、その効果に「用量反応関係」が認められる点である。すなわち、フッ化物濃度が高いほど、う蝕予防効果も高まる傾向がある35。世界保健機関(WHO)も、1000 ppm以上のフッ素濃度では、500 ppm高くなるごとに6%の予防効果向上が見られるとしている38。この科学的背景を受け、日本では2017年に薬事法が改正され、従来の上限であった1000 ppmを超える、最大1500 ppmのフッ化物を含む歯磨剤の市販が承認された38。
現在、日本口腔衛生学会など主要4学会は、年齢に応じたフッ化物の適切な使用法を共同で提言している41。
- 歯の萌出〜2歳: 1000 ppmの歯磨剤を米粒程度(1-2 mm)
- 3〜5歳: 1000 ppmの歯磨剤をグリーンピース大(5 mm)
- 6歳〜成人: 1500 ppmの歯磨剤を歯ブラシ全体(1.5-2 cm)
また、フッ化物の効果を最大限に引き出すためには、使用後のうがいの方法も重要である。多量の水で激しくうがいをすると、口腔内に残留すべきフッ化物が洗い流されてしまう。歯磨き後は、少量の水(約15 ml)で1回だけ、軽くゆすぐ程度に留めることが推奨される30。
3.3. 歯間清掃を巡る議論:フロス、歯間ブラシ、そしてウォータージェット
歯ブラシだけでは、歯と歯の隣接面(歯間部)のプラークを十分に除去することはできず、清掃できるのは全歯面の約6割に過ぎないと言われている23。このため、歯間清掃用具の併用が不可欠となる。しかし、どの器具が最も効果的かについては、科学的根拠に基づいた冷静な評価が必要である。
コクラン・レビューによる最新の評価は、従来の「とにかくフロスを」という画一的な推奨に一石を投じるものである43。
- デンタルフロス: 歯肉炎の減少に対する効果の確実性は「低い」から「非常に低い」と評価されており、プラーク除去効果についても「不明確」あるいは「弱く信頼性が低い」と結論づけられている43。これは、フロス自体に効果がないというよりは、多くの人が正しく使用できていないことや、これまでの研究の質が低いことに起因する可能性がある。
- 歯間ブラシ: 一方、歯間ブラシは、デンタルフロスよりも歯肉炎およびプラークの減少において、より効果的である可能性が示唆されている43。
- 口腔洗浄器(ウォータージェット): 歯肉炎を減少させる可能性はあるが、プラーク除去効果に関するエビデンスは限定的かつ一貫性がない43。
これらのエビデンスは、画一的な推奨から「適材適所」のアプローチへと移行する必要性を示唆している。フロスは、歯と歯の接触点が非常にきつく、歯間ブラシが通らない部位に限定して使用するのが合理的である。一方、歯と歯の間に隙間がある部位(多くの成人に見られる)では、その隙間の大きさに合った歯間ブラシを使用する方が、プラーク除去効率は格段に高い。専門家による指導のもと、自身の歯間の状態に最適な器具を選択し、それを正しく使用することが、効果的な歯間清掃の鍵となる。
3.4. 食生活とライフスタイルの介入
口腔の健康は、口の中だけの問題ではない。食生活や生活習慣全体が、う蝕や歯周病の危険性を大きく左右する。
- 糖分の管理: う蝕予防の観点からは、糖分の総摂取量もさることながら、摂取「頻度」がより重要である。間食や糖分を含む飲料をだらだらと摂取し続けると、口腔内が酸性になる時間が長引き、脱灰の危険性が著しく高まる15。食事や間食の時間を決め、摂取後は速やかに歯を磨くか、少なくとも水で口をゆすぐ習慣が望ましい16。
- 禁煙: 喫煙は、歯周病の最も強力な危険因子の一つである。ニコチンは歯肉の血流を悪化させ、組織の修復能力を低下させるとともに、免疫機能を抑制することで歯周病を悪化させる20。加熱式たばこも同様の危険性が指摘されており、歯周病の予防・治療において禁煙は極めて重要である48。
- ストレス管理: ストレスは免疫機能の低下を招き、歯周病の悪化につながる可能性がある。また、ストレスは歯ぎしりや食いしばりの原因ともなり、歯や歯周組織に過剰な負担をかけることがある20。
第4章 専門家とのパートナーシップ:歯科医院の役割を最大化する
セルフケアが口腔健康の防御の第一線であるならば、歯科専門家によるプロフェッショナルケアは、その防御を盤石にするための不可欠な後方支援である。歯科医院との関係を、問題が発生した時だけの「修理工場」としてではなく、健康を維持・増進するための長期的な「パートナーシップ」として捉えることが、生涯にわたる口腔の健康を達成する鍵となる。
4.1. 治療を超えて:定期検診(歯科検診)の価値
定期的な歯科検診の最大の価値は、痛みや不快感といった自覚症状が現れる前の、ごく初期の段階で疾患を発見し、危険性を管理することにある15。歯周病のように静かに進行する疾患に対しては、この早期発見が極めて重要である。
日本の現状を見ると、過去1年間の歯科検診受診率は58.0%に留まり、特に危険性が高まる働き盛り世代では5割を下回っている5。この「予防ギャップ」が、多くの人々が気づかぬうちに歯周病を重症化させてしまう大きな要因となっている。
質の高い定期検診には、単なるう蝕のチェックだけでなく、以下のような包括的な評価が含まれる。
- 歯周組織検査: プローブと呼ばれる器具を用いて歯周ポケットの深さを測定し、出血の有無を確認する。これは歯周病の進行度を客観的に評価するための基本となる。
- う蝕診査: 視診、触診に加え、必要に応じてレントゲン撮影を行い、歯と歯の間や修復物の下に隠れたう蝕を発見する。
- 口腔がん検診: 舌や頬の粘膜など、口腔内の軟組織に異常がないかを確認する。
- 口腔機能評価: 噛む力、舌の動き、飲み込み(嚥下)の機能などを評価し、オーラルフレイルの兆候を早期に捉える。
4.2. プロフェッショナル・メカニカル・トゥース・クリーニング(PMTC):必須の「大掃除」
どれほど丁寧にセルフケアを行っていても、プラークは時間とともに成熟し、唾液中のミネラルと結合して硬い歯石(カルキュラス)へと変化する。一度形成された歯石は、歯ブラシでは除去することができない21。また、深い歯周ポケットの内部や、複雑な形態の歯並びの部分には、セルフケアではどうしても除去しきれないバイオフィルムが残存する。
これらを専門的に除去するのが、PMTCである。PMTCでは、歯科医師または歯科衛生士が、超音波スケーラーや手用スケーラーといった専門的な器具を用いて、歯の表面および歯肉縁下のプラークと歯石を徹底的に除去する15。これにより、細菌の温床を取り除き、歯の表面を滑沢にすることで、プラークが再付着しにくい環境を作り出す。
セルフケアとプロフェッショナルケアは、車の両輪のような関係にある。日々の効果的なセルフケアは、PMTCをより効率的かつ快適なものにし、定期的なPMTCは、セルフケアだけでは限界のある危険因子を取り除くことで、その効果を最大限に高める15。この両者の相乗効果こそが、口腔の健康を長期的に維持するための要となる。
4.3. 患者中心の医療と共同意思決定
現代の医療は、「医師が一方的に治療方針を決定する」という父権主義的なモデルから、患者が自らの治療に主体的に関与する「患者中心の医療(Patient-Centered Care)」へと大きく転換している53。歯科医療も例外ではない。
患者中心の医療の実践とは、歯科専門家が診断結果や複数の治療選択肢について、それぞれの利点、欠点、費用、予後などを分かりやすく説明し、患者の価値観、希望、ライフスタイルを尊重しながら、治療方針を「共に」決定していくプロセスを指す56。例えば、う蝕治療において、審美性を重視してセラミック修復を選択するのか、機能性と耐久性を重視してゴールド修復を選択するのか、あるいは保険適用の範囲で治療を行うのか、といった判断は、患者の価値観が大きく影響する。
このプロセスにおいて重要な役割を果たすのが「セカンドオピニオン」である。特に、抜歯やインプラント、広範囲にわたる補綴治療など、侵襲が大きく高額な治療を提案された場合、別の専門家の意見を聞くことは、患者が十分な情報を得て納得のいく決定を下すための正当な権利である。ただし、日本の医療制度において、治療を目的としない「相談」としてのセカンドオピニオンは、原則として健康保険の適用外(自由診療)となる点には留意が必要である57。費用は医療機関によって異なるため、事前に確認することが賢明である。
第5章 予防が及ばなかった場合:現代の歯科治療ガイド
最善の予防努力にもかかわらず、う蝕や歯周病が進行してしまった場合でも、現代の歯科医療には多様な治療選択肢が存在する。本章では、日本の主要な歯科学会が策定した診療ガイドラインに基づき、現代の治療法とその根底にある哲学を概説する。
5.1. う蝕治療:ミニマルインターベンション(MI)の哲学
かつてのう蝕治療は、G.V.ブラックが提唱した「予防拡大」の概念に基づき、う蝕病変部だけでなく、将来う蝕になりやすいと考えられる部位まで含めて、便宜的に大きく歯を削ることが主流であった。しかし、歯は一度削ると二度と元には戻らない。そして、修復物には寿命があり、再治療を繰り返すたびに歯はさらに削られ、最終的には抜歯に至るという「修復の連鎖」が問題視されるようになった61。
このような反省から、現代のう蝕治療の主流となっているのが、「ミニマルインターベンション(Minimal Intervention: MI)」、すなわち「最小限の侵襲」という哲学である61。これは、日本歯科保存学会のう蝕治療ガイドラインでも中心理念として掲げられており、「可能な限り歯を削らず、可能な限り神経を守り、歯の寿命を最大限に延ばす」ことを目的とする62。
MIの哲学に基づく治療は、う蝕の進行度に応じて段階的に行われる。
- 非切削管理: エナメル質に限局した初期う蝕(白斑)に対しては、切削介入を行わず、フッ化物の局所応用や徹底したプラークコントロール、食事指導によって再石灰化を促し、病変の進行を管理・観察する62。
- 最小限の切削と接着修復: う窩が形成されてしまった場合でも、切削は細菌に感染した「感染象牙質」に限定し、再石灰化の可能性がある「う蝕影響象牙質」は極力保存する62。そして、削った部分には、歯質と強固に接着するコンポジットレジンなどの材料を用いて修復する。これにより、健全な歯質の犠牲を最小限に抑えることができる14。
しかし、この臨床的に優れたMIの理念と、日本の保険診療制度との間には、構造的な矛盾が存在する可能性が指摘される。日本の歯科診療報酬は、主に行為ごとに点数が定められた「出来高払い制」である。この制度下では、時間を要するカウンセリングや経過観察よりも、切削や充填といった具体的な「処置」の方が高く評価される傾向がある64。近年、初期う蝕の管理に対する評価も導入されつつあるが64、臨床的に最善の選択である「削らずに管理する」というMIの実践が、経営的には「削って詰める」という従来型の治療よりも報われにくいという構造的な課題は依然として残る。この制度的な背景を理解することは、患者が歯科医師から提示される治療方針を多角的に検討し、主体的な意思決定を行う上で助けとなるだろう。
5.2. 歯周治療:慢性感染を制御するための段階的アプローチ
歯周病は慢性疾患であり、その治療は一度の手術で完治するものではない。日本歯周病学会のガイドラインなどに示される標準的な治療は、感染をコントロールし、炎症を鎮め、安定した口腔環境を再構築し、それを長期的に維持することを目的とした、系統的かつ段階的なプロセスである11。
- 歯周基本治療(Initial Phase): 全ての歯周治療の根幹をなす最も重要な段階である。精密な歯周組織検査(歯周ポケット測定、レントゲン検査など)に基づき、患者一人ひとりに合わせたブラッシング指導(プラークコントロール)を行う11。並行して、歯科医師や歯科衛生士がスケーリング(歯石除去)およびルートプレーニング(SRP:歯根面の滑沢化)を行い、歯肉縁上および縁下のプラークと歯石を徹底的に除去する11。不適合な修復物の修正や、禁煙指導などもこの段階に含まれる11。
- 再評価(Re-evaluation): 基本治療終了後、一定期間を経て再度歯周組織検査を行い、治療効果を評価する11。歯肉の炎症が改善し、歯周ポケットが浅化すれば、治療は次のメンテナンス段階へ移行する。
- 歯周外科治療(Surgical Phase): 基本治療を行っても、深い歯周ポケットが残存し、炎症のコントロールが不十分な場合には、外科的治療が検討される11。歯肉を切開・剥離することで、歯根面を直視下に清掃することが可能となり、深部にこびりついた歯石や感染組織を確実に取り除くことができる。
- 歯周組織再生療法(Regenerative Therapy): 歯周炎によって失われた歯槽骨や歯周靭帯を再生させることを目的とした治療法。特定の形状の骨欠損に対して、GTR法(組織誘導再生法)や、エムドゲイン®(エナメルマトリックスタンパク)、リグロス®(bFGF:塩基性線維芽細胞増殖因子)といった再生誘導材料を用いることで、失われた支持組織の再生が期待できる11。
- 支持療法/メインテナンス(Supportive Periodontal Therapy: SPT): 歯周治療によって得られた安定した状態を長期的に維持するための、最も重要な段階である。治療が終了しても、歯周病は再発の危険性が高い慢性疾患であるため、定期的な(通常1〜3ヶ月ごと)プロフェッショナルケア(検査、PMTC)が不可欠となる11。
5.3. 治療費と保険適用の理解
日本の国民皆保険制度は、歯科治療の多くをカバーしている。
- 保険診療(自己負担3割の場合): 初診・再診料、検査、う蝕治療(コンポジットレジン充填、金属製の詰め物・被せ物など)、歯周基本治療、そして一部の歯周外科治療は保険適用の範囲内である69。歯周病の進行度別の治療費の目安(3割負担)は、軽度で5,000円〜10,000円程度、中等度で10,000円〜50,000円程度、重度では30,000円〜100,000円程度となる場合がある69。
- 自由診療(全額自己負担): より高い審美性や機能性を追求する治療、例えばセラミックやゴールドを用いた修復物、矯正治療、インプラント治療、そして一部の先進的な歯周組織再生療法などは、保険適用外となる69。治療を受ける際には、どの部分が保険適用で、どこからが自由診療になるのか、その理由と費用について、事前に十分な説明を受けることが重要である。
第6章 口腔保健の未来:全身との統合と技術革新
歯科医療は今、大きな変革の時代を迎えている。口腔を単独の器官としてではなく、全身と不可分なシステムの一部として捉える視点が主流となり、同時に、デジタル技術や生命科学の進歩が、診断と治療のあり方を根本から変えようとしている。本章では、歯科医療の未来を形作る主要なトレンドを探る。
6.1. 「臓器としての口腔」:医科歯科連携の本格化
口腔の健康が全身の健康と密接に関連しているという科学的エビデンスの集積は、「医科歯科連携」を単なるスローガンから、具体的な医療政策の柱へと押し上げている22。この連携は、患者のQOL向上と医療システム全体の効率化に貢献する。
- 慢性疾患管理: 糖尿病患者に対する歯周病の共同管理は、血糖コントロールと口腔内の炎症制御の両面で効果を上げることが期待される24。歯科は、糖尿病の早期発見の場としても機能しうる。
- 周術期口腔機能管理: がん治療や心臓手術などの大手術の前後に口腔ケアを徹底することで、術後の誤嚥性肺炎や創部感染といった合併症の危険性を大幅に低減できることがわかっている78。これにより、入院期間の短縮や医療費の削減にもつながる81。
- 老年期医療: 高齢者におけるオーラルフレイルへの早期介入は、低栄養やサルコペニアを防ぎ、要介護状態への移行を遅らせる効果が期待される27。
医科歯科連携は、単に患者の利益に留まらない。全身疾患の重症化を予防し、入院期間を短縮することは、増大し続ける国民医療費を抑制するための極めて有効な戦略である。口腔ケアへの投資は、「歯」への投資ではなく、医療システム全体の持続可能性への投資と捉えるべきである。
6.2. 技術の最前線:予測から再生へ
デジタル技術と生命科学の進歩は、歯科医療にパラダイムシフトをもたらしつつある。
- AI(人工知能)による診断支援: 近年、歯科用レントゲン画像をAIが解析し、う蝕や歯周病による骨吸収、根尖病変などを自動で検出するシステムの開発が急速に進んでいる83。AIは、人間の目では見逃しがちな微細な変化を捉え、診断の精度と一貫性を向上させる補助ツールとして期待されている86。ただし、その導入には、診断の最終責任は誰が負うのか、AIの誤診の危険性をどう管理するかといった倫理的・法的課題の議論が不可欠である88。
- 再生歯科医療: 従来の「修復・置換」から、「再生・回復」へと治療の概念を転換させるのが再生医療である。歯周病で失われた骨や歯周靭帯を再生させる治療(リグロス®など)は既に臨床応用されている90。将来的には、自己の幹細胞を用いて歯髄や歯そのものを再生させる技術の実用化も視野に入っている92。これらの技術は、歯の寿命を飛躍的に延ばし、QOLを根本から改善する可能性を秘めている。
6.3. グローバルな視点:世界の中の日本
日本の口腔保健が直面する課題は、世界的な文脈の中に位置づけられる。世界保健機関(WHO)の「世界口腔保健状況報告書2022」によれば、口腔疾患は世界で約35億人が罹患する最も一般的な非感染性疾患(NCDs)である95。
医療へのアクセスの不平等や、口腔保健をプライマリ・ヘルスケアに統合する必要性といった課題は、日本だけでなく世界共通のものである95。その中で、日本の経験は、他国にとって貴重な示唆を与える。8020運動の成功は、長期的な公衆衛生活動の有効性を示す好例である。一方で、超高齢社会において歯周病の管理という新たな課題に直面している現状は、同様の人口動態の変化を経験しつつある多くの先進国が、やがて直面する未来を先取りしているとも言える。日本の挑戦と成功は、世界の口腔保健政策を考える上で重要なケーススタディとなるだろう。
よくある質問
8020運動を達成できそうなのに、なぜ歯周病がこれほど大きな問題になっているのですか?
これは「成功のパラドックス」と呼ばれます。う蝕(虫歯)予防が進み、多くの人が歯を失わずに高齢期を迎えるようになった結果、生涯を通じて歯周病菌に晒される歯の数と期間が増えました1。歯の「本数」を維持することに成功した一方で、その歯を支える歯周組織(歯ぐきや骨)の健康管理が追いついていないのが現状です。そのため、歯は残っていても、その土台が揺らいでいる人が増えているのです。
高濃度のフッ素(1500ppm)配合歯磨き粉は、毎日使っても安全なのでしょうか?
歯間ブラシとデンタルフロス、どちらを使えば良いですか?
科学的には、歯間ブラシの方が歯肉炎の改善やプラーク除去において、フロスよりも効果的である可能性が示されています43。基本的には、歯と歯の間に隙間がある場合は、その隙間の大きさに合った歯間ブラシを第一選択と考えるのが合理的です。フロスは、歯間ブラシが入らないほど歯と歯が緊密に接している部分に限定して使用するのが良いでしょう。ご自身の状態に合った器具を歯科医院で相談することをお勧めします。
歯周病は治りますか?
セカンドオピニオンを受けたいのですが、保険は適用されますか?
治療を目的としない「相談」としてのセカンドオピニオンは、原則として健康保険の適用外となり、自由診療(全額自己負担)となります57。費用は医療機関によって大きく異なるため、受診を希望する歯科医院に事前に問い合わせて確認することが重要です。紹介元の歯科医師に、これまでの検査データなどを提供してもらうと、よりスムーズで質の高いセカンドオピニオンが受けられます。
結論
本稿は、日本の口腔保健が「歯の数を保つ」時代から、「口腔全体の機能と健康を生涯にわたり維持する」時代へと移行する、重大な転換点にあることを明らかにした。8020運動の成功という輝かしい成果の陰で、国民の半数近くが歯周病に罹患しているというパラドックスは、我々に新たな視点を要求している。
その核心は、口腔の健康を全身の健康と生活の質(QOL)の基盤として捉え、科学的根拠に基づいた予防とケアを実践することにある。そのための要点は以下の通りである。
- エビデンスに基づくセルフケアの徹底: 毎日のプラークコントロールの質を高めること、特に高濃度(1000-1500 ppm)フッ化物配合歯磨剤の適切な使用は、う蝕予防の最も確実な手段である。また、歯間清掃においては、画一的なフロスの推奨から脱却し、個々の歯間の状態に応じて歯間ブラシを第一選択とする、より効果的なアプローチが求められる。
- 専門家との継続的なパートナーシップ: 歯科医院は、もはや問題が起きてから駆け込む場所ではない。自覚症状のない段階から定期的に受診し、専門的な検査とクリーニング(PMTC)を受けることが、歯周病のような静かなる疾患の進行を食い止める唯一の道である。
- 全身の健康との統合的視点: 歯周病は、糖尿病や心血管疾患の危険性を高める慢性炎症性疾患である。口腔ケアは、これらの生活習慣病を管理し、健康寿命を延伸するための重要な戦略の一部であるという認識が不可欠である。
口腔の健康を守ることは、一過性の努力で完結するものではない。それは、情報を正しく理解し、主体的に行動する個人と、専門的な知識と技術でそれを支える歯科医療チームとの、生涯にわたる協働作業(パートナーシップ)である。本稿で示された知見が、読者一人ひとりが自らの口腔、ひいては全身の健康を守り、より豊かで健やかな人生を歩むための一助となることを切に願う。
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