肝硬変による腹水:症状から最新治療、生活上の注意点まで網羅した完全ガイド
消化器疾患

肝硬変による腹水:症状から最新治療、生活上の注意点まで網羅した完全ガイド

お腹が張って苦しい、原因不明で体重が増えた、もしかして…と不安に感じていませんか。その症状は、肝硬変が進行したサインである「腹水」かもしれません。肝硬変による腹水は、患者様の生活の質を著しく低下させるだけでなく、時に命に関わる合併症を引き起こす可能性のある深刻な状態です。しかし、正しい知識を持ち、適切な治療と生活管理を行うことで、症状をコントロールし、より良い毎日を送ることは可能です。本稿は、JAPANESEHEALTH.ORG編集委員会が、最新の科学的根拠に基づき、肝硬変による腹水の原因、症状、診断、そして食事療法から日本で利用可能な最新治療法、さらには日常生活での注意点まで、皆様が知りたい情報を網羅的に解説する完全ガイドです。この情報が、ご自身や大切なご家族が抱える不安を解消し、前向きに治療に取り組むための一助となることを心から願っています。


この記事の科学的根拠

この記事は、提供された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下に示すリストは、言及されている実際の情報源のみを含み、提示されている医学的指導との直接的な関連性を示しています。

  • 米国肝臓病学会(AASLD): この記事における腹水、特発性細菌性腹膜炎(SBP)、肝腎症候群の診断、評価、管理に関する指針は、AASLDが発表した2021年の診療ガイドラインに基づいています1
  • 日本肝臓学会(JSH): 日本国内における肝硬変の診療、特に利尿薬の使用法(トルバプタンを含む)、CART療法、栄養管理に関する推奨事項は、JSHが発行した「肝硬変診療ガイドライン2020」を重要な根拠としています2
  • 日本消化器病学会(JSGE): 患者様とそのご家族に向けた食事療法(特に夜間補充療法 – LES)、運動、日常生活における具体的なアドバイスは、JSGEが発行した「患者さんとご家族のための肝硬変ガイド」に基づいています3
  • 欧州肝臓学会(EASL): 国際的な視点を補完するため、特に食塩制限や予防的抗菌薬の使用に関する推奨事項については、EASLの診療ガイドラインも参照しています4

要点まとめ

  • 腹水は肝硬変が「代償期」から「非代償期」へ進行したことを示す重要なサインであり、門脈圧亢進と低アルブミン血症が主な原因です。
  • 症状は腹部膨満や体重増加だけでなく、息切れ、食欲不振、足のむくみなど多岐にわたり、発熱や激しい腹痛は危険な合併症(特発性細菌性腹膜炎)の可能性があります。
  • 治療の基本は1日5~7gの厳格な塩分制限と、適切な利尿薬の段階的投与です。日本では難治性の場合、新しい機序の利尿薬トルバプタンも選択肢となります。
  • 薬物療法で効果不十分な「難治性腹水」に対しては、大量腹水穿刺排液(LVP)、腹水濾過濃縮再静注法(CART)、TIPS、最終的には肝移植といった高度な治療法があります。
  • 日常生活では、塩分制限に加え、夜間の栄養状態を改善するための夜食(LES)や、医師と相談の上での適度な運動が生活の質の維持に重要です。

はじめに:そのお腹の張り、もしかして「腹水」ではありませんか?

最近、お腹が異常に張る、急に体重が増えた、あるいは横になると息苦しさを感じることはありませんか。これらの症状は、多くの人が単なる体調不良や加齢のせいだと考えがちですが、実は肝臓からの危険信号である可能性があります。特に、慢性的な肝臓の病気をお持ちの方にとって、これらの変化は「肝硬変による腹水」という深刻な状態の始まりかもしれません5。患者様やそのご家族にとって、「腹水」という言葉は大きな不安や恐怖を伴うものです6。今後の生活はどうなるのか、治療法はあるのか、そして最も気になるのは「予後」についてかもしれません7。本記事は、そうした皆様の尽きない疑問と不安に寄り添い、最新かつ信頼できる医学情報を提供するために作成されました。肝硬変による腹水がなぜ起こるのかという根本的なメカニズムから、見逃してはならない具体的な症状、病院で行われる診断方法、そして基本的な食事療法から日本国内で利用可能な最新の治療選択肢まで、包括的に解説します。この記事が、皆様の不安を和らげ、病気と向き合うための確かな知識と希望を見出す一助となることを目指します。


肝硬変と腹水の関係:なぜお腹に水がたまるのか?

腹水の正体は、腹腔内(お腹の中の、臓器が収まっている空間)に異常に溜まった液体です。健康な人でもごく少量の液体が存在しますが、肝硬変が進行すると、この液体が大量に貯留し、様々な苦痛な症状を引き起こします8。この現象を理解するためには、まず肝硬変という病態と、それが引き起こす2つの主要な変化を知る必要があります。

肝硬変とは?肝臓が硬くなるということ

肝硬変は、長期間にわたる肝臓の炎症(例えば、ウイルス性肝炎、アルコール性肝障害など)の結果、肝細胞が破壊と再生を繰り返し、その過程で線維組織が増加して肝臓全体が硬く、ゴツゴツになってしまう状態です9。この状態は大きく2つの段階に分けられます。

  • 代償期肝硬変 (Compensated Cirrhosis): 肝臓が硬くなり始めてはいるものの、まだ残された正常な肝細胞が懸命に働き、肝臓全体の機能をなんとか維持できている状態です。この段階では自覚症状はほとんどありません。
  • 非代償期肝硬変 (Decompensated Cirrhosis): 病状がさらに進行し、肝臓の機能が著しく低下して、黄疸、腹水、肝性脳症といった合併症が出現した状態です10。腹水の出現は、肝硬変がこの「非代償期」に入ったことを示す極めて重要なサインなのです。

腹水がたまる2つの主なメカニズム

肝硬変が非代償期に至ると、体内で以下の2つの大きな変化が起こり、これらが複合的に作用して腹水が貯留します11

  1. 門脈圧亢進症 (Portal Hypertension): 肝臓が硬くなると、腸から吸収された栄養を肝臓へ運ぶ重要な血管である「門脈」の血液がスムーズに流れなくなります。これにより、門脈内の圧力が異常に高くなります。この高い圧力が、血液中の水分(血漿成分)を血管の外、すなわち腹腔内へと押し出してしまうのです12
  2. 低アルブミン血症 (Hypoalbuminemia): アルブミンは肝臓で合成される主要なタンパク質で、血液中で水分を保持する「スポンジ」のような役割(膠質浸透圧の維持)を担っています。肝硬変で肝機能が低下すると、このアルブミンの産生が減少し、血液中のアルブミン濃度が低下します。その結果、血液が水分を血管内に引き留めておく力が弱まり、水分が血管から漏れ出しやすくなり、腹水や足のむくみ(浮腫)の原因となります13

これら2つの要因が組み合わさることで、腹水は徐々に、しかし確実に腹腔内に溜まっていくのです。


これって腹水?見逃したくない重要なサインと症状

腹水の症状は、単にお腹が張るだけではありません。溜まった水の量や合併症の有無によって、様々な形で体に現れます。多くの患者様が経験するこれらのサインを正しく認識することは、早期対応と重篤な事態の回避に繋がります5

体に現れる見た目の変化

  • 腹部膨満感: 最も一般的で分かりやすい症状です。お腹がカエルのように張り、洋服のウエストがきつくなります。仰向けになるとお腹が平らにならず、張ったままの状態が続きます8
  • 急激な体重増加: 食事量は変わらない、あるいはむしろ減っているのに、数日から数週間で体重が数キログラム増加します。これは脂肪ではなく、体内に溜まった水分の重さです10
  • 足のむくみ(浮腫): 特にすねや足の甲を指で押すと、跡がしばらく残るようなむくみが見られます。これは低アルブミン血症が原因で、腹水と同時に起こることが多いです8
  • 黄疸: 肝機能の低下によりビリルビンという物質が処理できなくなり、皮膚や白目が黄色くなることがあります13
  • おへその突出: 腹水が大量に溜まると、腹圧によっておへそが外に飛び出す「臍ヘルニア」を起こすことがあります。

日常生活で感じる不快な症状

  • 息切れ: 大量の腹水が肺を収めている胸腔を押し上げ、横隔膜の動きを妨げるため、特に横になった時に息苦しさや呼吸のしづらさを感じます14
  • 倦怠感・疲労感: 全身に力が入らず、常にだるさを感じます。これは肝機能低下によるエネルギー代謝の異常や栄養不良などが原因です15
  • 食欲不振・吐き気: 腹水が胃や腸を圧迫するため、少し食べただけですぐにお腹がいっぱいになったり(早期満腹感)、吐き気をもよおしたりします14
  • 腹痛・腹部圧迫感: お腹が常に張っていることによる鈍い痛みや、重苦しい圧迫感を感じることがあります8

脳への影響:肝性脳症のサイン

肝硬変が進行すると、肝臓で処理されるべきアンモニアなどの有害物質が脳に達し、精神神経症状を引き起こす「肝性脳症」を合併することがあります。腹水のある患者様は特に注意が必要です13

  • 判断力・記憶力の低下、集中力の散漫
  • 時間や場所が分からなくなる見当識障害
  • 性格の変化(怒りっぽくなる、無気力になるなど)
  • 睡眠リズムの乱れ(昼夜逆転)
  • 羽ばたくような手の震え(羽ばたき振戦)
  • 特有の甘酸っぱい口臭(Fetor Hepaticus)16

危険な合併症を示す「赤信号」の症状

以下の症状が現れた場合は、生命に関わる危険な合併症のサインである可能性があり、直ちに医療機関を受診する必要があります。

  • 発熱と激しい腹痛: これは、腹水に細菌が感染して起こる「特発性細菌性腹膜炎(SBP)」の典型的な症状です。治療が遅れると命に関わるため、緊急の対応が必要です8
  • 吐血・下血(黒色便): 門脈圧亢進症により食道や胃にできた静脈瘤が破裂したサインかもしれません。大量出血につながる非常に危険な状態です13

診断プロセス:病院では何を調べるのか?

腹水が疑われる場合、医療機関では原因を特定し、重症度を評価するために、いくつかの検査を体系的に行います。これにより、最適な治療方針を決定します。患者様がこれからどのような検査を受けるのかを理解しておくことは、不安の軽減に繋がります。

問診と身体診察

まず、医師は患者様の症状(いつからお腹が張り始めたか、体重の変化、息苦しさの有無など)、既往歴(肝炎ウイルスの感染、アルコール摂取歴など)、生活習慣について詳しく質問します。その後、聴診や打診、触診といった身体診察を行い、腹水の存在や肝臓の大きさ、黄疸の有無などを評価します3

血液検査

血液検査は、肝臓の機能や栄養状態、合併症の有無を評価するために不可欠です。主に以下の項目がチェックされます13

  • 肝機能検査: AST (GOT), ALT (GPT), γ-GTP, ビリルビン値などから肝細胞の障害度を評価します。
  • タンパク質・栄養状態: 特にアルブミン値は腹水の原因と重症度を判断する上で非常に重要です。
  • 血液凝固能: PT(プロトロンビン時間)などから、肝臓のタンパク質合成能力の低下度を評価します。
  • 腎機能・電解質: BUN, クレアチニン, ナトリウム, カリウム値などを測定し、利尿薬治療の安全性を評価します。

画像検査

腹水の存在を客観的に確認し、肝臓や他の腹部臓器の状態を評価するために画像検査が行われます。

  • 腹部超音波(エコー)検査: これは腹水の診断における第一選択の検査です3。体に負担がなく、簡便に腹水の有無や量、肝臓の形状、門脈の血流などをリアルタイムで評価できます。
  • CT検査: 超音波検査よりもさらに詳細な情報が得られます。腹水以外の病変(例えば肝臓がん)の有無を調べるためにも有用です。

腹水穿刺と検査

腹水の原因を確定診断するために、最も重要な検査が「腹水穿刺(ふくすいせんし)」です。これは、局所麻酔の後、細い針をお腹に刺して腹水を少量採取する手技です。採取した腹水は、主に以下の点を調べるために検査に提出されます1

  • 細胞数の算定: 腹水中の白血球、特に好中球の数を測定します。この数が一定以上(通常250/㎣以上)の場合、特発性細菌性腹膜炎(SBP)と診断され、直ちに抗菌薬治療が開始されます。
  • SAAG (血清-腹水アルブミン濃度差) の計算: 血液中のアルブミン値と腹水中のアルブミン値の差を計算します。この値が1.1 g/dL以上であれば、腹水の原因が門脈圧亢進症である可能性が非常に高いと判断されます。
  • その他: 必要に応じて、細菌培養検査、細胞診(がん細胞の有無)、総タンパク、糖などの測定が行われます。

これらの検査結果を総合的に判断し、医師は腹水の診断を確定させ、個々の患者様に合った治療計画を立てていきます。


腹水の治療法:基本から最新治療まで徹底ガイド

肝硬変による腹水の治療目標は、単に水を抜くことだけではありません。患者様の苦痛な症状を和らげ、生活の質を改善し、危険な合併症を予防することにあります17。治療は段階的に行われ、基本的な生活習慣の改善から、薬物療法、さらには高度な医療技術を用いた治療まで多岐にわたります。ここでは、国際的なガイドライン14と日本の診療ガイドライン2に基づき、その全貌を詳しく解説します。

治療の土台:食事療法と生活習慣の改善

薬物治療を開始する前に、あるいは並行して必ず行われるべき最も重要なステップが食事療法です。

  • 厳格な塩分制限: 体内に塩分(ナトリウム)が過剰にあると、体は水分を溜め込もうとします。そのため、腹水治療の根幹は塩分制限にあります。日本のガイドラインでは、1日あたり5〜7gの塩分摂取が推奨されています3。これは一般的な日本人の平均摂取量(約10g)の半分程度であり、加工食品や外食を避け、薄味に慣れる工夫が必要です。
  • 適切な栄養管理とLES(夜間少量食療法): 肝硬変の患者様は、食欲不振や代謝異常により栄養不足に陥りやすい傾向があります。特に、就寝中の空腹時間が長いと、体は筋肉を分解してエネルギーを作り出そうとします(異化亢進)。これを防ぐため、日本のガイドラインでは就寝前に約200kcal程度の軽食(おにぎり、栄養補助食品など)を摂る「Late Evening Snack (LES)」が推奨されています3。これにより、栄養状態が改善し、生命予後が向上する可能性が示されています。
  • 安静の必要性: 腹水が高度に溜まっている場合は、安静が必要です。横になることで腎臓への血流が増加し、尿が出やすくなる効果があります。

薬物療法:利尿薬の正しい使い方

食事療法だけでは腹水のコントロールが不十分な場合、利尿薬(尿の量を増やす薬)による治療が開始されます。利尿薬は、腎臓に作用して余分な塩分と水分を体外に排泄させます。日本のガイドラインでは、以下の段階的な使用が推奨されています2

  1. ステップ1:抗アルドステロン薬
    最初に用いられるのは、スピロノラクトンなどの抗アルドステロン薬です。これは、水分貯留に関わるホルモン(アルドステロン)の働きを抑えることで、緩やかに利尿作用を示します。通常、1日25~50mgの少量から開始し、効果を見ながら増量します。
  2. ステップ2:ループ利尿薬の追加
    抗アルドステロン薬だけでは効果が不十分な場合、フロセミドなどのより強力なループ利尿薬を追加します。これは腎臓の尿細管に直接作用し、強力な利尿効果を発揮します。少量(20~40mg/日)から開始し、2種類の薬のバランスを調整しながら使用します。
  3. 新しい選択肢:トルバプタン
    従来の利尿薬で効果が得られない、または副作用で増量できない「利尿薬抵抗性」の腹水に対して、日本ではトルバプタンという新しい機序の薬が重要な選択肢となっています2。これは、水分を再吸収するホルモン(バソプレシン)の働きをブロックすることで、血中のナトリウム濃度に影響を与えにくく、水分のみを選択的に排泄させる「水利尿薬」です。

利尿薬治療の注意点: 利尿薬は効果的な反面、脱水、腎機能障害、電解質異常(特に低ナトリウム血症や高カリウム血症)、筋痙攣(こむら返り)などの副作用を引き起こす可能性があります。そのため、定期的な血液検査と体重測定を行いながら、医師の厳格な管理下で使用することが極めて重要です。

難治性腹水への挑戦:高度な治療選択肢

最大限の食事療法と利尿薬治療を行ってもコントロールできない腹水は「難治性腹水」と呼ばれ、さらなる高度な治療が必要となります18

  • 大量腹水穿刺排液 (LVP – Large-Volume Paracentesis): 症状緩和のために、穿刺によって一度に大量(数リットル)の腹水を体外へ排出する治療法です。これにより、腹部の圧迫感や息苦しさは劇的に改善します。ただし、LVP後は有効循環血漿量の減少による腎障害やショックを防ぐため、アルブミン製剤の点滴投与が併用されるのが一般的です1
  • 腹水濾過濃縮再静注法 (CART – Cell-free and Concentrated Ascites Reinfusion Therapy): これは日本で開発され、保険適用もされている特徴的な治療法です2。患者様自身の腹水を体外に取り出し、特殊なフィルターで細菌やがん細胞などを除去した後、栄養分であるアルブミンなどを濃縮して再び体内に点滴で戻す方法です。自己のタンパク質を有効活用できるため、栄養状態の改善が期待できます。一部の医療機関の報告によれば、1泊2日の入院治療で、3割負担の場合の自己負担額は約5万円程度が目安とされています19
  • TIPS (経頸静脈肝内門脈大循環シャント術): 首の静脈からカテーテルを挿入し、肝臓内の門脈と肝静脈の間にステントを留置してバイパス(シャント)を作成する治療法です。これにより、腹水の根本原因である門脈圧を直接低下させることができます。非常に効果的ですが、アンモニアなどの有害物質が脳に流れ込みやすくなり、肝性脳症を誘発・悪化させるリスクがあるため、適応は慎重に判断されます18

根本的な解決を目指して:肝移植

上記のすべての治療法は対症療法であり、肝硬変そのものを治すものではありません。非代償期肝硬変に対する唯一の根治的治療法は「肝移植」です1。腹水が出現した時点で、多くの患者様は将来的な肝移植の可能性について、専門医と相談を開始することが推奨されます。


予後と向き合い、生活の質(QOL)を高めるために

「腹水がたまったら、余命はどのくらいなのか?」これは、患者様やご家族が最も知りたい、しかし同時に最も口にしづらい質問の一つです7。この問いに真摯に向き合うことは、今後の治療計画と人生の過ごし方を考える上で非常に重要です。

腹水出現後の予後について

腹水の出現が肝硬変の非代償期への移行を示すサインであることは事実であり、統計的には予後を左右する重要な因子とされています。例えば、米国のガイドラインによると、腹水が出現した肝硬変患者の2年生存率は約50%と報告されています1。これは厳しい数字に聞こえるかもしれません。しかし、この数字はあくまで平均的なデータであり、個々の患者様の未来を決定づけるものではありません。予後は、肝硬変の原因、肝機能の残存度、合併症の有無、そして何よりも治療への反応性や遵守度によって大きく異なります。塩分制限や薬物療法を厳格に守り、腹水を良好にコントロールできれば、より長く安定した生活を送ることは十分に可能です20。大切なのは、統計データに一喜一憂するのではなく、主治医と密に連携し、今できる最善の治療を一つひとつ着実に行っていくことです。

心のケアとサポート体制

肝硬変と腹水との闘いは、身体的な苦痛だけでなく、精神的にも大きな負担を伴います。将来への不安、社会生活からの孤立感、治療のストレスなど、多くの患者様が心の悩みを抱えています621。このような時、一人で抱え込まないことが何よりも重要です。

  • 医療チームとの対話: 医師、看護師、栄養士などの医療専門家は、病気の治療だけでなく、患者様の不安を和らげるためのパートナーです。どんな些細なことでも、疑問や不安に思うことは率直に相談しましょう。
  • 家族や友人への共有: 病気のことを信頼できる家族や友人に話すことで、精神的なサポートを得られるだけでなく、食事の準備など実生活での協力も得やすくなります。
  • 患者支援団体への参加: 同じ病気を抱える仲間と繋がることは、非常に大きな力になります。経験を共有し、共感し合うことで、「自分だけではない」という安心感を得ることができます。米国のAmerican Liver Foundation22や英国のBritish Liver Trust16のような組織は、患者様のための貴重な情報源やコミュニティを提供しています。日本国内でも、関連する支援団体を探してみることをお勧めします。

生活の質を高めるためには、病気そのものを治療するだけでなく、心の平穏を保ち、社会的な繋がりを維持することが不可欠です。


よくある質問

腹水がたまったら、もうお酒は絶対に飲めませんか?

はい、絶対に飲んではいけません。肝硬変と診断され、特に腹水が出現している段階では、いかなる種類のアルコール飲料も禁忌です。アルコールは肝臓に直接的なダメージを与え、病状を悪化させる最大の要因の一つです。たとえ少量であっても、肝機能のさらなる低下を招き、腹水のコントロールを困難にし、生命に関わる合併症のリスクを高めます。治療の第一歩として、完全な断酒が不可欠です2

運動はしてもいいですか?どんな運動がおすすめですか?

適度な運動は、筋力の維持や全身の血行改善、気分転換に繋がるため推奨されます。ただし、運動の種類と強度は病状によって大きく異なりますので、必ず主治医に相談してから行ってください。一般的に、腹水が高度に溜まっている時期は安静が必要ですが、状態が安定している場合は、ウォーキングや軽いストレッチなどの有酸素運動が勧められます3。息が切れるような激しい運動や、腹圧を高めるような筋力トレーニングは避けるべきです。自身の体調をよく観察し、決して無理をしないことが大切です。

漢方薬やサプリメントは効果がありますか?

現時点で、肝硬変による腹水に対して有効性を示す質の高い科学的根拠がある漢方薬やサプリメントは、残念ながらありません。むしろ、肝臓で代謝される成分を含む製品は、かえって肝臓に負担をかける危険性があります。自己判断で漢方薬やサプリメント、健康食品などを摂取することは絶対に避けてください。使用したい製品がある場合は、その成分を必ず主治医に見せ、安全性を確認してもらう必要があります。治療は、科学的に有効性と安全性が証明された標準治療に専念することが最も重要です1


結論

肝硬変による腹水は、患者様の身体と心に大きな負担をかける深刻な状態ですが、決して打つ手がないわけではありません。本記事で解説したように、腹水がたまるメカニズムの理解から、症状の早期発見、そして最新の科学的根拠に基づいた多岐にわたる治療法まで、病気を管理し、共存していくための道筋は確かに存在します。治療の成功は、1日5gという厳格な塩分制限を基本とした食事療法、医師の指示に正確に従った利尿薬の服用、そして何よりも患者様自身が病気を正しく理解し、治療に主体的に参加する姿勢にかかっています。難治性腹水という困難な状況に直面しても、日本ではCART療法のような先進的な選択肢も存在します。最も重要なことは、一人で悩まず、主治医、看護師、栄養士といった医療チームと緊密なパートナーシップを築くことです。この「完全ガイド」が、皆様の不安を少しでも和らげ、ご自身の状態を理解し、今後の治療について医師と深く話し合うための確かな土台となることを、JHO編集委員会一同、心より願っております。

免責事項本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康上の懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。

参考文献

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