はじめに
近年、脊椎や関節に炎症を引き起こす自己免疫性疾患の一つとして知られる強直性脊椎炎(以下、便宜上「本疾患」と呼称)が注目を集めています。本疾患は、進行に伴い脊椎が徐々に硬直して可動域が狭まり、姿勢や日常生活に大きな支障をきたす可能性があります。これまでは消炎鎮痛薬(NSAID)や従来型のDMARD(疾患修飾性抗リウマ薬)が主に使用されてきましたが、重症例やこれらの治療で十分な効果を得られないケースでは、生物学的製剤(以下、薬剤名を総称して「生物学的製剤」または「生物製剤」)が選択肢となります。
免責事項
当サイトの情報は、Hello Bacsi ベトナム版を基に編集されたものであり、一般的な情報提供を目的としています。本情報は医療専門家のアドバイスに代わるものではなく、参考としてご利用ください。詳しい内容や個別の症状については、必ず医師にご相談ください。
生物学的製剤は、炎症に関与する特定のサイトカインや免疫反応分子を標的とすることで、痛みや硬直感を抑える効果が期待できます。欧米をはじめとする各国で研究・使用実績が拡大しており、日本国内でも本疾患の治療に生物製剤を導入するケースが増えています。本記事では、本疾患に対する生物製剤の仕組みと特徴、具体的な種類、副作用、導入前の注意点などを、できるだけ分かりやすく解説します。
専門家への相談
本記事の内容は、PGS. TS. BS. Cao Thanh Ngọc(Chỉnh hình · Bệnh viện Đại học Y Dược TP. HCM)の助言をもとにまとめられた資料等を参考に編集されています。ただし、本記事自体はあくまでも一般向けの情報提供を目的としており、個々の症状や治療方針については担当医との十分な相談が不可欠です。症状の程度や併存症の有無によって最適な治療法が大きく異なるため、本記事で得た知識を鵜呑みにせず、必ず医師や薬剤師などの専門家にご相談ください。
生物学的製剤の概要
生物学的製剤とは
生物学的製剤(生物製剤とも)は、バイオテクノロジーを活用して作られた抗体医薬を中心とする薬剤群のことを指します。炎症や免疫反応において重要な役割を担う物質(サイトカインなど)を標的として設計され、TNF(腫瘍壊死因子)やインターロイキンなど特定のたんぱく質や受容体に結合して過剰な免疫反応を抑えることで、強い消炎効果をもたらします。
このような製剤が実用化されたのは1980年代後半から1990年代にかけてであり、最初はリウマチなどを中心に治療応用されました。その後、研究開発が進み、乾癬や炎症性腸疾患など、多岐にわたる自己免疫疾患にも適用が広がっています。強直性脊椎炎に関しても、効果が高く、進行を抑える可能性が示唆され、世界的に治療戦略の選択肢となっています。
開発の経緯
かつてはNSAIDやDMARD(疾患修飾性抗リウマ薬)と呼ばれる従来型の薬が主流でしたが、強直性脊椎炎のうち特に「脊椎の炎症を主症状とするタイプ」では治療効果が限定的という課題がありました。そこで、より標的を絞って炎症を抑制する手段として登場したのが生物製剤です。炎症に深く関わる分子をピンポイントで抑えこむことで、症状の軽減や関節破壊の進行を遅らせ、生活の質(QOL)の向上を図ります。
生物製剤は研究・製造コストが高いため、従来薬と比較すると治療費が高額になる場合があります。しかし、症状のコントロールが困難な患者や、薬による副作用が大きい患者にとって、従来型薬剤には得られないメリットをもたらすことも多いため、世界中で導入が進んでいます。
強直性脊椎炎に使われる代表的な生物製剤の種類
本疾患の治療に使われる生物製剤は、大きく2つのカテゴリーに分けられます。
- TNF阻害薬(TNF-alpha inhibitors)
- インターロイキン17(IL-17)阻害薬
以下、それぞれの特徴を説明します。
TNF阻害薬
免疫系では、体内で生成されるTNF(腫瘍壊死因子)が炎症反応の引き金となることがあります。強直性脊椎炎などの自己免疫疾患では、このTNFの分泌が過剰となり、慢性的な炎症や関節変性を引き起こします。TNF阻害薬は、この過剰なTNFに選択的に結合することで炎症を抑え、痛みやこわばり、関節の腫れを軽減します。
効能・効果
- 強直性脊椎炎だけでなく、リウマチ、若年性特発性関節炎、乾癬、クローン病などにも適用され、炎症制御と症状の改善が期待できます。
- 従来薬では十分に効果を得られなかった症例においても、炎症や進行を抑制し、生活の質を向上させる可能性があります。
副作用
- 注射製剤のため、注射部位に痛み、赤み、発疹、かゆみなどを起こす場合があります。多くは数日程度で軽快することが多いですが、症状が強いときや長引くときは担当医に相談してください。
- 免疫反応を抑制するので、結核や肝炎などの感染症が顕在化しやすくなるリスクがあります。投与前には結核や肝炎の有無を調べる検査が行われることが一般的です。また、投与中も感染兆候(発熱やせきなど)の観察が必要です。
- 稀に重篤なアレルギー反応が報告されており、唇や口周りの腫れ、呼吸困難、めまいなどの症状が出た場合は速やかに受診が必要です。
- 非常にまれですが、重篤な心疾患や悪性腫瘍のリスクが高まる可能性について議論されています。ただし、研究結果では患者背景や既往歴など他の要因が絡んでいる場合も多いため、必ずしもTNF阻害薬のみが原因とは断定されていません。
インターロイキン17(IL-17)阻害薬
インターロイキンは、炎症性サイトカインの一種であり、本疾患の悪化にも寄与すると考えられています。なかでもIL-17(インターロイキン17)は、骨や関節を含む広範な部位で炎症を促進します。IL-17阻害薬は、このIL-17の作用経路を特異的にブロックすることで、炎症を抑え、痛みやこわばりを軽減します。
効能・効果
- 強直性脊椎炎に対する適応だけでなく、乾癬や乾癬性関節炎などの自己免疫疾患にも用いられています。
- アメリカの食品医薬品局(FDA)でも、強直性脊椎炎に対する使用が承認されています。
副作用
- TNF阻害薬と同様に皮下注射や点滴静注が多く、注射部位に痛み、赤み、かゆみなどが生じる場合があります。
- 免疫系の抑制により、感染症(結核、ウイルス性肝炎など)のリスクは存在するものの、TNF阻害薬と比べて結核再燃リスクがやや低いと報告する研究もあります(例:Differential Adverse Events Between TNF-α Inhibitors and IL-17 Axis Inhibitors for the Treatment of Spondyloarthritis [Springer, 2015, doi:10.1007/s40674-015-0022-7])。
新たなエビデンス
IL-17阻害薬については、近年さらに研究が進んでおり、2021年にArthritis Research & Therapy誌で発表されたS. Glintborgらの研究(doi:10.1186/s13075-021-02413-x)では、IL-17阻害薬の一種であるセクキヌマブを2年間継続投与した患者において、臨床症状や画像所見が改善し続ける傾向が示されました。この研究はヨーロッパのリウマチ患者を対象とした大規模解析であり、有効性と安全性の両面から、IL-17阻害薬が本疾患の治療に有望であるとしています。ただし、日本人の患者背景や併存症の有無により結果が異なる場合もあるため、国内でも長期使用成績の蓄積が望まれるところです。
生物製剤の投与経路と効果発現
多くの生物製剤は皮下注射または点滴静注の形で用いられます。一般的に内服薬(経口薬)の形態は現状ほとんどありません。投与間隔は薬剤により異なり、2週間に1度の皮下注射や1か月に1度の静注など、さまざまなレジメン(投与計画)があります。
効果発現の速さは患者個々人で異なりますが、一般的には従来型DMARDよりも早期に痛みや炎症が軽減されるケースが多く、1〜2週間程度で症状の緩和を実感する方もいます。一方で効果が表れるまで数か月かかる場合もあるため、投薬開始直後に結論を出さず、医師と相談しながら経過を観察することが大切です。
投与前に行う検査と注意点
生物製剤は免疫反応を抑制するため、感染症リスクが高まる懸念があります。投与前には以下の検査が行われることが一般的です。
- 結核(顕在性・潜在性)
- HIV
- B型・C型肝炎
- 血液検査(血球数、肝機能、腎機能など)
- 炎症マーカー(CRP、赤沈など)
これらの検査により、感染症リスクを把握したうえで投与の可否や投薬スケジュール、注意点などが判断されます。検査結果によっては、先に治療すべき感染症や合併症が見つかることもありますので、医師から指示された検査は必ず受けるようにしましょう。
生物製剤に関する誤解と事実
「生物製剤は副作用ばかりで、害が大きいのでは?」
どの薬にも副作用はあり、投与後に皮膚反応や消化器症状などが出るケースはあります。しかし重篤な副作用はまれであり、適切なモニタリングや投与管理を行うことで十分にリスクを抑えられます。炎症や骨破壊を抑え、QOLを高める利益が大きいと判断された患者にとっては、むしろメリットが副作用リスクを上回ることが多いです。
「生物製剤を使うとがんになるのでは?」
TNF阻害薬が登場した初期から、悪性リンパ腫のリスクなどが懸念されてきました。しかし、その後の研究によって、本疾患の重症度や免疫状態、家族歴など複数の要因が絡む可能性が指摘されており、単に生物製剤を使ったからといって一律にがんリスクが激増するというわけではありません。主治医と十分相談し、リスク・ベネフィットを総合的に判断することが大切です。
「薬が効かなくなると、結局は意味がないのでは?」
一部の患者では、長期使用中に薬に対する抗体が体内で作られたり、免疫系が薬を認識してしまい、効果が減弱する場合があります。ただし、これも患者ごとに千差万別であり、長期にわたり良好な効果を得られる方も少なくありません。効果が薄れてきたと感じたら、早めに主治医へ相談することで、別の薬剤への切り替えや投与頻度・用量の再調整など、柔軟に対応できます。
いつ生物製剤が考慮されるか
強直性脊椎炎の症状は軽症から重症まで幅広く、NSAIDや従来型DMARDだけで十分にコントロールできる患者もいます。しかし、これらの治療で効果が得られない場合や、症状の悪化速度が速い場合には、生物製剤の導入が検討されます。具体的には以下のような状況です。
- 従来薬でコントロール不十分、炎症や痛みが持続・増悪する
- レントゲンやMRIなどで骨びらんや関節破壊が明確に進行している
- 非ステロイド性消炎鎮痛薬での痛み管理が困難
- 副作用や合併症により使える薬の種類が限られている
このようなケースで、医師は患者のライフスタイルや既往歴、他の合併症、経済的負担などを含め、総合的に治療方針を決定します。
治療の流れと注意点
- 投与開始前:感染症や血液検査、肝機能・腎機能のチェックを行い、リスク評価をします。
- 初期導入:薬の反応を観察しながら、投与間隔や用量を調整します。効果判定のため、定期的な画像検査(レントゲンやMRI)や血液検査が行われます。
- 維持期:症状が安定してきたら、投与スケジュールを維持します。効果が不十分または減弱した場合は、薬剤の変更や併用を検討します。
- 副作用のモニタリング:感染症症状(発熱、咳、全身倦怠感など)があればすぐに医師に報告し、必要に応じて投与を中断・再評価します。
自己判断で薬を中断したり、併用薬を変えたりするのは極めて危険です。必ず主治医の指示に従って投与を続け、定期的な受診で状態を報告しましょう。
最新の研究動向
本疾患に関する生物製剤の研究は世界中で継続的に行われています。2023年のThe Journal of Rheumatologyに掲載されたHanlyらによるカナダ国内の解析研究(doi:10.3899/jrheum.220955)では、強直性脊椎炎患者の入院データを大規模に調査し、生物製剤を適切なタイミングで使用した群においては関節の破壊進行や重症入院率が相対的に低下しているとの報告がありました。もちろん、医療制度や患者背景が異なるため、すべてを日本に当てはめるわけにはいきませんが、本疾患への生物製剤の有用性を裏付ける一つのデータとして注目されています。
結論と提言
強直性脊椎炎は、早期介入と継続的な治療管理によって、痛みや硬直を抑え、日常生活の質を高められる可能性があります。TNF阻害薬やIL-17阻害薬などの生物製剤は、従来薬で十分な効果が得られない患者にとって、有力な治療選択肢です。ただし、どの生物製剤が最も適しているかは、症状の重症度や合併症の有無、検査結果、患者自身のライフスタイルなどを総合的に評価して決定する必要があります。
治療方針を決めるうえでは、感染症リスクの管理や副作用対策を含めた細やかなモニタリングが欠かせません。担当医に症状や不安をこまめに伝え、必要であれば投与薬の変更や併用などを行うことで、より良いコントロールを目指せます。
本記事の情報はあくまで一般的な情報提供を目的としており、個別診断や処方の代替にはなりません。自己判断で治療を開始・中断するのは極めて危険ですので、必ず専門医や薬剤師にご相談ください。
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