がん・腫瘍疾患

精巣がん(精巣腫瘍): 症状、検査、治療、生存率を最新ガイドラインに基づき解説

精巣がんは主に20代から30代の若い男性に発症するがんで、早期発見すれば治癒率が非常に高い病気です。最も一般的な初期症状は「痛みのないしこり」であり、自己検診が重要です。この記事では、日本泌尿器科学会の最新ガイドライン(2024年版)1に基づき、精巣がんの正確な症状の見分け方、診断プロセス、ステージ別の標準治療、そして治療費を支援する公的制度まで、専門的な情報を分かりやすく解説します。

この記事の科学的根拠

本記事は、日本の公的機関・学会ガイドラインおよび査読済み論文を含む高品質の情報源に基づき、出典は本文のクリック可能な上付き番号で示しています。

  • 日本の診療ガイドライン: 日本の診断・治療における最重要文献である日本泌尿器科学会「精巣癌診療ガイドライン 2024年版」を基にしています。1
  • 国際的なレビュー論文: 国際的な医学雑誌JAMAに掲載された包括的なレビュー論文を参考に、グローバルな視点も加えています。4

要点まとめ

  • 精巣がんの最も一般的な初期症状は「痛みのないしこり」です。自己検診で気づくことが多く、早期発見が非常に重要です。12
  • ステージIセミノーマの術後治療では、二次がんのリスクを避けるため「積極的経過観察」が第一選択となり、放射線治療はもはや推奨されません。15
  • 治療は将来の妊よう性(妊娠する力)に影響を与える可能性があるため、治療開始前に精子を凍結保存することが強く推奨されます。16
  • 日本には高額な医療費の自己負担を軽減する「高額療養費制度」があり、経済的な不安を和らげるために活用できます。9

精巣がんの初期症状:自分で気づけるサインとは?

ある日、お風呂で体に触れたとき「あれ、何か違うな?」と感じる——精巣(睾丸)のしこりや腫れは、そんな日常の中で不意に発見されることがほとんどです。痛みがないために「気のせいかな」と見過ごしがちですが、その気持ちとは裏腹に、不安が頭をよぎるのは自然な反応です。

科学的には、この「痛みのないしこり」こそが精巣がんの最も典型的な兆候です1。なぜ痛みがないのでしょうか。それは、がん細胞の増殖が、神経を圧迫するような炎症とは異なるプロセスで静かに進行するためです。これはまるで、庭の隅で雑草が音もなく根を張っていくのに似ています。雑草自体は痛みを発しませんが、放置すれば庭全体に影響を及ぼすように、このしこりも早期の対応が鍵となります。だからこそ、まずはそのサインに気づき、専門家に見てもらうという最初の一歩が何よりも大切なのです。

主な症状:痛みのないしこりや腫れ

精巣がんの患者さんの多くが最初に気づくのは、片方の精巣にできた硬いしこりや、精巣全体の腫れです。これは通常、痛みや不快感を伴いません。国立がん研究センターの情報によると、大きさの変化や硬さの違いが、自己検診で発見する重要なポイントとされています2

その他の感覚:重い感じや鈍い痛み

しこり以外にも、陰嚢(いんのう)全体が重く感じられたり、下腹部や足の付け根に鈍い痛みを感じたりすることがあります。また、精巣の周りに液体が溜まる「陰嚢水腫(いんのうすいしゅ)」を併発することもあります。これらの症状は常に現れるわけではありませんが、見逃してはならないサインです1

受診の目安と注意すべきサイン

  • 精巣に、これまでなかった痛みのない硬いしこりを見つけた場合
  • 左右の精巣の大きさや重さに明らかな違いが出てきた場合
  • 原因不明の下腹部や足の付け根の鈍痛が続く場合

これらのサインに気づいたら、決して自己判断せず、できるだけ早く泌尿器科を受診してください。

「もしかして?」と思ったら:検査と診断の流れ

「病院で何をされるんだろう」——しこりに気づいた後、クリニックのドアを叩くまでには大きな勇気が必要かもしれません。検査への不安や、もしがんと診断されたらという恐怖を感じるのは、誰にとっても当然のことです。しかし、その一歩を踏み出すことが、安心への最短ルートです。

診断のプロセスは、闇の中を手探りで進むようなものではありません。科学的には、医師は超音波(エコー)検査という非常に優れた「探知機」を使って、精巣の内部を正確に把握します3。これは潜水艦がソナーを使って海底の地形を調べるのに似ています。船体を傷つけることなく、外から音波を当てるだけで、そこにあるのが岩なのか、沈没船なのかを精密に描き出すことができます。同様に、超音波検査は体に全く負担をかけずに、しこりの正体を明らかにするための、信頼性の高い最初のステップなのです。

診察と超音波(エコー)検査

泌尿器科では、まず医師が精巣の状態を丁寧に触診します。その後、超音波検査を行います。この検査はゼリーを塗って機械を当てるだけで、全く痛みはありません。精巣内部のしこりが固形(充実性)なのか、液体が溜まった袋(嚢胞性)なのかを正確に見分けることができ、診断において極めて重要な情報となります1

血液検査:腫瘍マーカー

精巣がんの診断を助けるために、血液検査で「腫瘍マーカー」を測定します。これは、がん細胞が作り出す特定の物質の量を調べるもので、車のダッシュボードにある警告灯のような役割を果たします。具体的にはAFP、hCG、LDHといった項目があり、これらの数値が高い場合、精巣がんの存在や種類、進行度を推定する手がかりとなります3。治療効果の判定や、再発の監視にも使われる重要な指標です。

このセクションの要点

  • 精巣がんの診断の第一歩は、痛みなく内部の状態を可視化できる超音波(エコー)検査です。
  • 血液検査による腫瘍マーカー(AFP, hCG, LDH)の測定は、診断の補助や治療効果の判定に役立ちます。

精巣がんの原因とリスクを高める要因

「なぜ自分が?」——がんの診断を受けると、多くの人がその原因を探そうとします。しかし、精巣がんの明確な原因はまだ完全には解明されておらず、ほとんどの場合、個人の生活習慣とは直接関係がないことを知っておくことが大切です。

科学的には、精巣がんの発症リスクを明確に高める最大の要因として「停留精巣(ていりゅうせいそう)」の既往が知られています1。停留精巣とは、生まれつき精巣が陰嚢の中まで下降せず、お腹の中や足の付け根に留まってしまう状態のことです。これは、本来あるべきでない高温の環境に精巣が長期間さらされることが関係していると考えられています。植物の種を、その種に適さない土壌や気候で育てようとするとうまく育たない、あるいは予期せぬ変化が起きるのに似ています。適切な時期に手術で精巣を陰嚢内に固定しても、発症リスクは健常者より高い状態が続くため、継続的な自己検診が重要になります。

最も重要なリスク要因:停留精巣

過去に停留精巣(移動精巣を含む)と診断されたことがある人は、そうでない人と比べて精巣がんになるリスクが数倍高いと報告されています。幼少期に手術を受けていてもリスクは残るため、成人してからも意識的に自己検診を行うことが推奨されます。

その他のリスク要因

その他、以下のような要因もリスクを高める可能性が指摘されています。

  • 家族歴:父親や兄弟に精巣がんの既往がある場合、リスクがわずかに上昇します。
  • 個人歴:片方の精巣にがんを発症した人は、もう片方の精巣にもがんができるリスクが一般より高くなります。
  • 人種:白色人種で最も頻度が高いとされています。

このセクションの要点

  • 精巣がんの最大のリスク要因は、生まれつき精巣が陰嚢内にない「停留精巣」の既往があることです。
  • 家族歴や個人歴も関連しますが、多くは特定の原因なく偶発的に発症します。

がんの「種類」と「進行度」:セミノーマとステージ分類

「がんと診断されたけれど、どういう種類で、どのくらい進んでいるのだろう?」——これは、治療方針を理解する上で誰もが抱く疑問です。専門用語が多く、混乱してしまうかもしれません。しかし、基本となる「種類」と「進行度」の2つの軸を理解すれば、医師の説明がより明確になります。

精巣がんは、まず細胞の見た目によって大きく2種類に分類されます。これは、同じ森に生えている木でも、針葉樹(松や杉)と広葉樹(桜や楓)があるのに似ています。遠目には同じ「木」ですが、成長の速さや季節による変化、そして手入れの方法が全く異なります。同様に、精巣がんも「セミノーマ」と「非セミノーマ」という2つのタイプで、進行の速さや治療法(特に放射線や薬)への反応性が異なるため、この分類が治療計画の最初の分岐点となるのです4

組織による分類:セミノーマと非セミノーマ

顕微鏡で見た細胞の顔つきによって、精巣がんは「セミノーマ」と「非セミノーマ」に大別されます。

  • セミノーマ: 進行が比較的緩やかで、放射線治療が効きやすいという特徴があります。30代から40代に多く見られます。
  • 非セミノーマ: いくつかの異なる種類の細胞(胎児性がん、卵黄嚢腫瘍など)から成り、セミノーマより進行が速い傾向があります。腫瘍マーカー(特にAFP)が上昇することが多いです。

この分類は、摘出した精巣の組織を病理検査で調べることによって確定します1

進行度による分類:ステージ(病期)

がんがどのくらい広がっているかを示すのがステージ(病期)分類です。日本では主に、日本泌尿器科学会(JUA)の分類が用いられます。

  • ステージI: がんが精巣内にとどまっている状態。
  • ステージII: がんが腹部のリンパ節に転移している状態。
  • ステージIII: がんが肺や肝臓、骨、脳など、腹部リンパ節を越えて遠隔臓器に転移している状態。

ステージは、CTスキャンなどの画像検査と腫瘍マーカーの値を基に総合的に判断されます。

このセクションの要点

  • 精巣がんは、細胞の種類により「セミノーマ」と「非セミノーマ」に大別され、治療方針が異なります。
  • がんの広がりはステージI、II、IIIで評価され、治療法を決定する重要な指標となります。

ステージ別・種類別の標準治療:最新ガイドラインの解説

「どんな治療をするの?」「自分にとって一番良い選択肢は?」——治療法を選ぶ段階では、多くの選択肢と情報に圧倒され、不安になるかもしれません。特に、医師から「経過観察」という選択肢を提示されると、「何もしなくて大丈夫なの?」と戸惑う方も少なくありません。

科学の進歩により、精巣がんの治療は「根治」と「副作用の最小化」のバランスを重視する時代に入りました。特に早期のセミノーマでは、手術だけで約8割の人が治癒することが分かっています1。そのため、最新の考え方では、残りの2割の再発リスクのために全員が追加治療を受けるのではなく、定期的に検査をして再発した場合にのみ治療を開始する「積極的経過観察」が推奨されています。これは、火災報知器が鳴ったときに、小さな煙の段階で家中を水浸しにするのではなく、消防士がすぐに出動できる態勢で注意深く見守るのに似ています。万が一火の手が上がっても、初期消火で十分に対応できるという自信があるからこその戦略なのです。

選択肢 主な利益(根拠) 主なリスク(根拠) 日本での位置づけ
積極的経過観察 8割の患者で不要な治療を回避できる 1 15-20%の再発リスク(ただし救済治療の成績は良好)1 JUAガイドライン2024で第一選択
化学療法(カルボプラチン) 再発リスクを5%未満に低下させる 1 短期的な副作用と過剰治療のリスク 1 再発高リスク例などでの選択肢
放射線治療 再発リスクを5%未満に低下させる 1 長期的な二次がん・心血管疾患リスク 6 JUAガイドライン2024で非推奨

ステージIの治療

がんが精巣内にとどまるステージIでは、まず手術(高位精巣摘除術)を行います。その後の追加治療(補助療法)については、日本泌尿器科学会の2024年版ガイドライン1で大きな変更がありました。セミノーマの場合、長期的な副作用(二次がんなど)のリスクを避けるため、「積極的経過観察」が最も推奨される選択肢となりました。米国のNCCNガイドライン5では放射線治療も選択肢として残っていますが、日本ではそのリスクが重視され、もはや標準治療とは見なされていません。

進行した場合の治療(ステージII・III)

がんが転移している場合は、シスプラチンという薬をベースとした多剤併用化学療法が標準治療となります。最も一般的なのはBEP療法(ブレオマイシン、エトポシド、シスプラチン)です。化学療法によってがんが縮小した後、残った腫瘍を手術で切除することもあります。

自分に合った選択をするために

積極的経過観察: 手術後の追加治療を避け、副作用のリスクを最小限にしたい方に適しています。ただし、定期的な通院と検査を厳密に守る意志が必要です。

補助化学療法: 再発への不安が強い方や、再発リスクが比較的高めと判断された場合に適しています。短期的な副作用はありますが、再発率を大きく下げることができます。

担当医とそれぞれの選択肢の利益と不利益について十分に話し合い、ご自身の価値観やライフスタイルに合った方法を選ぶことが重要です。

治療の副作用と長期的影響:知っておくべきこと

「治療はがんに効くかもしれないけど、自分の体はどうなってしまうのだろう?」——特に化学療法の副作用に対する恐怖は、多くの患者さんが抱える大きな不安です。その心配はもっともなことであり、事前に正しい知識を持つことが、心の準備と適切な対処につながります。

精巣がんの治療は、がん細胞という「雑草」を根絶やしにするための強力な除草剤に例えることができます。除草剤は雑草を枯らすだけでなく、周囲の土壌にも影響を与えます。同様に、化学療法や放射線治療は、がん細胞だけでなく、正常な細胞にもダメージを与え、様々な副作用を引き起こします。しかし、重要なのは、土壌が時間と共に回復するように、多くの短期的な副作用は治療が終われば改善するということです。そして、長期的な影響についても、どのようなリスクがあるかを知ることで、治療後の人生をより健康に過ごすための「土壌改良」に取り組むことができるのです6

短期的な副作用

化学療法の最中や直後に起こる副作用には、吐き気、嘔吐、倦怠感、脱毛、口内炎、骨髄抑制(白血球や血小板の減少)などがあります。現在では、吐き気止めなどの支持療法が進歩しており、これらの症状はかなりコントロールできるようになっています。

長期的な影響(晩期合併症)

治療が終わって何年も経ってから現れる可能性のある影響を「晩期合併症」と呼びます。2024年に発表された包括的なレビュー論文6によると、シスプラチンベースの化学療法や放射線治療を受けたサバイバーは、心血管疾患(心筋梗塞、高血圧など)、二次がん(白血病、消化器がんなど)、腎機能障害、末梢神経障害(手足のしびれ)、聴力低下などのリスクが一般人口より高まることが指摘されています。そのため、治療後も定期的な健康診断を受け、生活習慣に気をつけることが非常に重要です。

このセクションの要点

  • 化学療法の短期的な副作用は支持療法の進歩により管理可能になってきています。
  • 治療後には心血管疾患や二次がんなどの晩期合併症のリスクがあるため、生涯にわたる健康管理が重要です。

精巣がんの生存率と予後

「自分は助かるのだろうか?」——これは、がんと診断された誰もが抱く、最も根源的な問いであり、恐怖です。その気持ちは痛いほど分かります。しかし、精巣がんについて話すとき、私たちは希望について語ることができます。

科学的なデータは、精巣がんが「治りやすいがん」であることを明確に示しています。これは、絶望の暗闇の中に灯る、非常に明るい光です。例えば、日本を代表するがん専門病院である、がん研究会有明病院のデータを見てみましょう。2024年に公開された情報によると、ステージIの患者さんの10年生存率は100%です7。これは、この段階で見つかれば、がんが直接の原因で10年以内に命を落とすことはない、ということを意味します。この事実は、早期発見の重要性を何よりも雄弁に物語っています。

日本のデータに見る高い生存率

日本の主要ながんセンターの治療成績は世界的に見ても非常に良好です。

  • がん研究会有明病院 (10年生存率): ステージI: 100%, ステージII: 88%, ステージIII: 76%7
  • 新潟県立がんセンター新潟病院 (5年生存率): セミノーマ全体: 96.5%, 非セミノーマ全体: 92.5%8

たとえ進行したステージIIIであっても、4人に3人以上が長期生存を期待できるというのは、驚異的な数字です。これは、化学療法が非常によく効くという、このがんの特性によるものです。

予後を左右する因子

予後(病気の見通し)は、発見時のステージ、組織型(セミノーマか非セミノーマか)、転移の場所、腫瘍マーカーの値などによって変わります。国際的な予後分類(IGCCC)も参考にしながら、個々の患者さんに合わせた最適な治療戦略が立てられます。

このセクションの要点

  • 精巣がんは、すべてのがんの中でも特に治癒率が高いがんです。
  • 日本のデータでは、早期のステージIであれば10年生存率は100%に達し、進行していても多くの患者さんが治癒を目指せます。

治療にかかる費用と公的医療保険制度

「高額な治療費を払えるだろうか?」——病気の不安に加えて、お金の心配は大きなストレスとなります。特に働き盛りの若い世代にとって、治療による収入の減少と重なれば、その負担は計り知れません。

しかし、日本では、誰もが安心して医療を受けられるように設計された、世界に誇る公的保険制度があります。その中でも特に重要なのが「高額療養費制度」です。これは、医療費の自己負担額に「上限」を設ける制度で、家計における医療費の負担が青天井になるのを防ぐ、強力なセーフティネットのようなものです。例えば、ある月の医療費総額が100万円(自己負担30万円)かかったとしても、所得に応じて定められた上限額(例えば約9万円)を超えた分は、後で払い戻されるのです。この仕組みを知っているだけで、経済的な不安は大きく和らぎます9

高額療養費制度の活用

この制度の最大のポイントは、事前に「限度額適用認定証」を入手しておくことです。これを病院の窓口に提示すれば、最初から支払いを自己負担限度額までに抑えることができ、一時的な立て替えの負担もなくなります。この認定証は、ご自身が加入している健康保険(会社の健康保険組合や、国民健康保険など)に申請することで交付されます。

費用の目安

治療費は手術、入院期間、化学療法の種類や回数によって大きく異なりますが、公的保険と高額療養費制度の適用により、実際の自己負担は数十万円の範囲に収まることが一般的です。個室代や食事代など保険適用外の費用も考慮に入れておくとよいでしょう。民間の医療保険やがん保険に加入している場合は、診断一時金や入院・通院給付金が受け取れることもあるため、ご自身の契約内容を確認してみましょう。

今日から始められること

  • ご自身の健康保険証を確認し、保険者(保険組合の名前など)を把握する。
  • 入院や高額な治療が決まったら、すぐに保険者に連絡し「限度額適用認定証」の申請手続きについて尋ねる。
  • 病院の相談窓口(医療ソーシャルワーカーなど)に、利用できる公的制度について相談してみる。

治療後の生活と妊よう性:精子凍結保存という選択肢

「治療が終わったら、将来子どもを持つことはできるのだろうか?」——これは、精巣がんと診断された若い男性にとって、命の予後と同じくらい、あるいはそれ以上に切実な問題です。その不安は、未来の家族像を揺るがす、非常に大きなものです。

幸いなことに、現代の医療には、この問題に対する明確な答えがあります。それが「精子凍結保存」です。これは、未来への希望を冷凍カプセルに託すようなものです。化学療法や放射線治療という「嵐」が来る前に、健康な「種子(精子)」を安全な場所に保管しておく。そうすれば、嵐が過ぎ去った後、再び家族という「庭」を育むための大切な資源を失わずに済みます。日本泌尿器科学会のガイドラインでも、妊よう性を温存するために、治療開始前の精子凍結保存を強く推奨しています1。これは、万が一のための保険ではなく、未来の選択肢を守るための、積極的な医療行為なのです。

なぜ精子凍結保存が必要か

精巣がんそのものが精子を作る能力(造精機能)を低下させることがあります。さらに、化学療法や腹部への放射線治療は、精子を作る細胞に大きなダメージを与え、永続的な無精子症を引き起こす可能性があります6。一度失われた造精機能は、回復しないことも少なくありません。

いつ、どのように行うか

精子凍結保存は、必ず初回の手術(高位精巣摘除術)の後、化学療法や放射線治療が始まる前に行う必要があります。担当医に相談すれば、提携している生殖医療専門のクリニックを紹介してもらえます。通常、数回の採精を行い、品質の良い精子を凍結保存します。費用は自費診療となりますが、自治体によっては助成金制度がある場合もあります。

今日から始められること

  • 精巣がんと診断されたら、最初の段階で担当医に「妊よう性について心配しています。精子凍結保存について教えてください」と明確に伝える。
  • パートナーや家族がいる場合は、将来の家族計画について話し合う。
  • 紹介された生殖医療クリニックに連絡し、手続きの流れや費用について確認する。

一人で抱え込まないで:日本の患者支援団体と相談窓口

がんと診断されると、まるで世界でたった一人きりのような、深い孤立感に襲われることがあります。友人や家族にさえ、本当の気持ちを打ち明けにくいと感じるかもしれません。その気持ち、痛いほど分かります。病気のこと、治療のこと、将来のこと——頭の中が不安でいっぱいになり、誰にも理解してもらえないと感じるのは、ごく自然なことです。

しかし、あなたと同じ道を先に歩いた「先輩」たちがいることを知ってください。彼らは、あなたが今感じている不安や疑問をすでに経験し、乗り越えてきました。日本では「精巣腫瘍患者友の会(J-TAG)」10という素晴らしい団体が、そうした患者さんや家族を繋ぐ架け橋となっています。これは、険しい山道を登るときに、経験豊富な登山ガイドが「この先は足元が滑りやすいよ」「この景色が見えたら頂上は近いよ」と教えてくれるのに似ています。一人で地図を頼りに進むよりも、遥かに心強く、安全に道を進むことができるのです。

精巣腫瘍患者友の会(J-TAG)

J-TAGは、日本で活動する精巣腫瘍の患者支援団体です。ウェブサイトでは、患者さんの体験談を読んだり、オンラインで交流したりすることができます。同じ病気を持つ仲間と繋がることは、正しい情報を得るだけでなく、何よりも「自分は一人じゃない」と感じられる貴重な機会となります。

病院の相談窓口

ほとんどのがん診療連携拠点病院には、「がん相談支援センター」が設置されています。ここでは、医療ソーシャルワーカーや看護師が、治療や療養生活に関する様々な相談に無料で乗ってくれます。医療費のこと、仕事のこと、家族のことなど、どんなことでも構いません。専門家があなたと一緒に考え、解決策を探してくれます。

今日から始められること

  • 「精巣腫瘍患者友の会 J-TAG」のウェブサイトを訪れて、他の患者さんの体験談を読んでみる。
  • 治療を受けている病院に「がん相談支援センター」があるか確認し、一度話を聞きに行ってみる。
  • 不安や疑問をノートに書き出してみる。それを医師や相談員に見せることで、話がしやすくなる。

よくある質問

精巣がんのしこりは痛いですか?

いいえ、ほとんどの場合、痛みはありません。精巣がんの最も典型的な初期症状は「痛みのない硬いしこり」です。痛みがないからといって放置せず、異常を感じたら必ず泌尿器科を受診してください。1

治療後に子どもは持てますか?

はい、その可能性は十分にあります。化学療法や放射線治療は精子を作る能力に影響を与える可能性があるため、治療開始前に精子を凍結保存しておくことが強く推奨されます。これにより、将来、体外受精などの生殖補助医療を通じて子どもを持つ道を残すことができます。16

治療費はどのくらいかかりますか?

治療費は高額になる可能性がありますが、日本には「高額療養費制度」があります。この制度を利用すると、1ヶ月の医療費の自己負担額が所得に応じた上限額までとなります。事前に「限度額適用認定証」を申請することで、窓口での支払いを抑えることができますので、ご自身の健康保険組合や市町村の窓口にご相談ください。9

結論

精巣がんは、若年男性に多いがんでありながら、すべてのがんの中でも特に治癒率が高いという、大きな希望のある病気です。その鍵を握るのは、何よりも「早期発見」です。「痛みのないしこり」というサインを見逃さず、勇気を出して泌尿器科を受診することが、あなたの未来を守る最も確実な一歩となります。1

治療法は近年大きく進歩し、特に早期がんでは、副作用の少ない「積極的経過観察」が標準となるなど、QOL(生活の質)を重視したアプローチが取られています。また、妊よう性の温存や、高額療養費制度、患者会といった、治療中や治療後の人生を支えるための様々な選択肢やサポート体制も整っています。一人で悩まず、正しい情報を得て、専門家や仲間と繋がりながら、この病気に立ち向かっていきましょう。

免責事項

本コンテンツは一般的な医療情報の提供を目的としており、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や治療に関する意思決定の前に、必ず医療専門職にご相談ください。

参考文献

  1. 日本泌尿器科学会. 精巣癌診療ガイドライン 2024年版. 東京: 金原出版; 2024. リンク [有料]
  2. 国立がん研究センター. 精巣がんについて. [インターネット]. 2024. [引用日: 2025-09-11]. リンク
  3. 国立がん研究センター. 精巣がん 治療. [インターネット]. 2024. [引用日: 2025-09-11]. リンク
  4. Baird DC, Meyers GJ, Hu JS. Testicular Cancer: Diagnosis and Treatment. JAMA. 2019;321(14):1407. doi:10.1001/jama.2019.2511. リンク [有料]
  5. National Comprehensive Cancer Network. NCCN Clinical Practice Guidelines in Oncology: Testicular Cancer. [インターネット]. 2024. [引用日: 2025-09-11]. リンク [要登録]
  6. Al-Mansour M, Al-Harthi H, Al-Ghamdi A, et al. Late side effects of treatment for testicular cancer. Ther Adv Med Oncol. 2024;16:17588359241252119. doi:10.1177/17588359241252119. リンク
  7. がん研究会有明病院. 精巣腫瘍. [インターネット]. 2024. [引用日: 2025-09-11]. リンク
  8. 新潟県立がんセンター新潟病院. 泌尿器がん: 精巣がん. [インターネット]. [引用日: 2025-09-11]. リンク
  9. 厚生労働省. 高額療養費制度を利用される皆さまへ. [インターネット]. 2018. [引用日: 2025-09-11]. リンク
  10. 精巣腫瘍患者友の会 (J-TAG). J-TAG. [インターネット]. [引用日: 2025-09-11]. リンク
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