肺疾患との向き合い方を理解する上で、まず「治癒」「寛解」「管理」という三つの重要な概念を明確に区別することが不可欠です。この枠組みを理解することが、ご自身の病状を正しく把握し、現実的な治療目標を設定し、そして未来を見通すための第一歩となります。
- 治癒 (Cure): 病気の原因が完全に取り除かれ、身体が元の健康な状態に回復することです。治療の終了が見込まれる状態で、例えば、原因菌が特定された多くの細菌性肺炎がこれに該当します1。
- 寛解 (Remission): 病気の活動性が治療によって効果的に抑えられ、症状が消失または大幅に軽減した状態を指します。病気そのものが消えたわけではないため、治療の継続が必要な場合が多いものの、良好な生活の質(QOL)を維持できます。気管支喘息における「臨床的寛解」がその代表例です2。
- 管理 (Management): 病気を完全に取り除くことはできないものの、症状をコントロールし、病気の進行を遅らせ、合併症を予防することで、病気と共存しながらQOLを維持・向上させることを目指します。これには、生涯にわたる治療と患者様自身のセルフケアが不可欠です。慢性閉塞性肺疾患(COPD)や肺線維症などがこの領域に含まれます3。
本稿では、これらの概念に基づき、様々な肺疾患の治療可能性と期間について、多角的に掘り下げていきます。まず、治癒が期待できる急性疾患から、生涯にわたる管理を要する慢性疾患までを詳述し、最後に、長期の療養生活を支える日本の公的支援制度についても解説します。この記事が、肺疾患と向き合うすべての方々にとって、確かな知識と希望の灯となることを願っています。
この記事の科学的根拠
本稿は、引用元として明示された質の高い医学的エビデンスにのみ基づいて作成されています。以下は、参照された情報源の一部とその医学的指導における関連性です。
- 日本呼吸器学会: 本稿における肺炎、COPD、肺がんの診断・治療に関する記述は、同学会が発行する「成人肺炎診療ガイドライン2024」4、「COPD(慢性閉塞性肺疾患)診断と治療のためのガイドライン2022」5、および「肺癌診療ガイドライン」6に基づいています。
- 日本アレルギー学会: 気管支喘息の治療目標、特に「臨床的寛解」に関する解説は、同学会が発行する「喘息予防・管理ガイドライン2024」7を根拠としています。
- 厚生労働省および関連機関: 日本におけるCOPDの患者数や死亡者数に関する統計データ8、および指定難病医療費助成制度9や身体障害者手帳10といった公的支援に関する情報は、厚生労働省、国立がん研究センターがん情報サービス、環境再生保全機構などの公的機関が発表したデータに基づいています。
- 国際的な医学論文・機関: 間質性肺炎の最新治療薬(nerandomilast)に関する知見は、権威ある医学雑誌「The New England Journal of Medicine」に掲載された臨床試験の結果11に基づいています。また、世界保健機関(WHO)などの国際機関からの情報も参考にしています12。
要点まとめ
- 肺疾患の治療目標は「治癒」「寛解」「管理」の3つに大別され、疾患の種類によって目指すゴールが異なります。
- 細菌性肺炎や急性気管支炎など、原因が明確な急性感染症は、適切な治療により「治癒」が期待できます。
- COPD、気管支喘息、間質性肺炎といった慢性疾患は、完治は難しいものの、生涯にわたる「管理」により症状をコントロールし、良好なQOLを維持することが可能です。
- 肺がんはステージによって治療方針が大きく異なり、早期発見であれば「治癒」を目指せますが、進行期では「管理」が中心となります。早期発見が極めて重要です。
- 長期的な治療を支えるため、日本では高額療養費制度や指定難病医療費助成制度、身体障害者手帳、患者会など、多様な公的支援や社会資源が利用可能です。
主要な肺疾患の治療目標と期間の概観
各疾患の治療可能性を理解しやすくするため、以下の表に主要な肺疾患の治療目標、典型的な期間、そして肺機能の回復見込みをまとめました。
疾患名 | 主な治療目標 | 治療は可能か? | 典型的な治療期間 | 肺機能の回復 |
---|---|---|---|---|
肺炎(細菌性) | 治癒 | はい | 数週間 | 回復可能 |
急性気管支炎 | 治癒 | はい | 数週間 | 回復可能 |
COPD | 管理 | 管理可能 | 生涯 | 不可逆的損傷あり |
気管支喘息 | 臨床的寛解 | 管理可能 | 生涯 | 正常化を目指す |
間質性肺炎・肺線維症 | 管理 | 管理可能 | 生涯 | 損傷は不可逆 |
肺がん(早期) | 治癒 | ステージによる | 数ヶ月~数年 | 影響あり |
肺がん(進行期) | 管理 | ステージによる | 生涯 | 損傷は不可逆 |
第1部:治癒が期待できる肺疾患
肺疾患の中には、原因が明確で、その原因を効果的に取り除く治療法が確立されているものがあります。これらの疾患は、適切な診断と治療により「治癒」、すなわち病気が完全に治り、治療を終了することが期待できます。このカテゴリーに属する代表的な疾患は、主に細菌やウイルスといった外部からの病原体によって引き起こされる「急性」の感染症です。治療の鍵は、原因となる病原体を正確に特定し、それに有効な薬剤を適切な期間使用することにあります。
1.1. 肺炎 (Pneumonia)
肺炎は、細菌、ウイルス、カビなどの微生物が肺に感染して急性の炎症を引き起こす病気です1。これは、原因微生物に有効な薬剤、特に抗菌薬(抗生物質)を用いることで「治癒」が期待できる代表的な肺疾患です。
治療法とガイドライン
肺炎の治療は、原因となっている微生物を標的とした薬物療法が中心となります。日本呼吸器学会が発行する「成人肺炎診療ガイドライン」は、日本の臨床現場における標準的な治療方針を示しており13、2024年に最新版が発行され、常に最新のエビデンスに基づいた治療が推奨されています4。
治療の初期段階では、原因菌が特定される前の「エンピリック治療」が行われます。この段階では、患者様の背景や症状から最も可能性の高い原因菌を推定し、治療を開始します。
- 細菌性肺炎が疑われる場合: 日本感染症学会と日本化学療法学会の合同ガイドラインによると、肺炎球菌やインフルエンザ菌などをカバーするため、高用量のペニシリン系薬が中心となります14。
- 非定型肺炎が疑われる場合: マイコプラズマやクラミジアなどを標的とするマクロライド系薬やテトラサイクリン系薬が第一選択とされます14。
- 重症度に応じた治療: 患者様の重症度によって治療法は異なります。2024年のガイドラインでは、重症例において、より広範な細菌をカバーするためにβ-ラクタム系薬とマクロライド系薬を併用したり、過剰な炎症を抑えるためにステロイドを併用したりすることが弱く推奨されています4。
一方で、インフルエンザウイルスなど多くのウイルス性肺炎には特効薬が存在せず、治療は解熱鎮痛薬、適切な水分補給(輸液)、酸素吸入といった、症状を和らげるための対症療法が中心となります15。
治療期間
肺炎の治療期間は、その重症度や原因菌、患者様の基礎疾患の有無によって変動します。
- 一般的な市中肺炎: 抗菌薬が有効な場合、通常は投与開始から3日程度で解熱が見られ始めます1。日本呼吸器学会のガイドラインでは、非重症の市中肺炎で初期治療が順調に進んだ場合、治療期間は1週間以内(5~7日間)で終了することが推奨されています4。
- 治療が長引くケース: 高齢者、慢性的な心臓病や肺の病気を持っている方、免疫機能が低下している方、あるいは薬剤耐性菌による肺炎の場合は、治療が長引くことがあります1。例えば、レジオネラ肺炎やMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)による肺炎では、2週間以上の治療が必要となる場合があります4。
最も重要なのは、症状が改善したからといって自己判断で抗菌薬の服用を中止しないことです。処方された期間、薬を飲み切ることが、確実な治癒と耐性菌の出現を防ぐために不可欠です1。
1.2. 急性気管支炎 (Acute Bronchitis)
急性気管支炎は、主にウイルス感染によって気管支に一過性の炎症が起こる疾患です。多くの場合、特別な治療をせずとも自身の免疫力で回復に向かうため、「治癒」する病気とされています16。
治療期間と治療法
症状は通常、数日から数週間で軽快します。ただし、気管支の炎症が治まった後も咳だけが残り、完治までには2週間から4週間程度かかることもあります16。治療は、咳止めや去痰薬、解熱剤など、つらい症状を和らげる対症療法が中心です。急性気管支炎の多くはウイルス性が原因であるため、抗菌薬は通常効果がありません。しかし、高熱が数日間続く、あるいは黄色や緑色の濃い痰が出るなどの症状が見られる場合は、二次的な細菌感染を併発している可能性が考えられます。その場合は抗菌薬による治療が必要となるため、医療機関を受診し、医師の診断を仰ぐことが重要です16。
第2部:生涯にわたる管理を要する慢性肺疾患
全ての肺疾患が「治癒」を目指せるわけではありません。特に、長年の生活習慣や体質、環境要因などが複雑に絡み合って発症する慢性疾患の多くは、肺の組織に「不可逆的」、すなわち元には戻らない構造的な変化を引き起こします。COPDにおける肺胞の破壊、肺線維症における肺の瘢痕化(線維化)、進行した肺がんにおける組織の浸潤などがその典型です。このような不可逆的な変化を伴う疾患では、治療のパラダイムが根本的に異なります。目標は病気を消し去る「治癒」から、症状を和らげ、病気の進行を可能な限り食い止め、QOL(生活の質)を維持しながら病気と長く付き合っていく「管理」へと移行します。この「管理」は、薬物療法、呼吸リハビリテーション、栄養管理、ワクチン接種、精神的ケア、そして社会制度の活用といった多角的なアプローチを生涯にわたって継続することが求められます。これは、現代の医療が単に薬を処方するだけでなく、患者様の生活全体を支援する「患者中心医療」でなければならないことを強く示唆しています。
2.1. 慢性閉塞性肺疾患 (COPD)
COPD(慢性閉塞性肺疾患)は、主に長年の喫煙習慣によって肺に慢性的な炎症が生じ、気道が狭くなったり、酸素交換の場である肺胞が破壊されたりする病気です。一度破壊されてしまった肺の組織は、現在の医療では元に戻すことができないため、COPDは完治しない病気と定義されています3。したがって、その治療目標は、病気の進行を抑制し、息切れなどの症状を和らげ、生活の質(QOL)を改善・維持し、病状の急激な悪化(増悪)を防ぐといった、生涯にわたる「管理」となります3。
日本の現状と課題:見過ごされる「肺の生活習慣病」
COPDは日本において非常に大きな健康問題です。2001年に行われた大規模な疫学調査(NICEスタディ)では、日本の40歳以上のCOPD有病率は8.6%と推定され、これに基づくと患者数は530万人以上にのぼると考えられています8。しかし、厚生労働省の調査によると、実際に医療機関でCOPDの治療を受けている患者数は約22万〜36万人程度に過ぎません8。これは、実に500万人以上もの人々が、COPDであることに気づかないまま、あるいは適切な診断・治療を受けずに生活している「隠れCOPD」の状態にあることを示唆しています8。年間死亡者数も約16,000人から18,000人に達し、日本の死因の上位を占めています17。
治療パラダイム:日本呼吸器学会ガイドラインに基づく包括的アプローチ
COPDの管理は、薬物療法と非薬物療法を組み合わせた包括的なアプローチで行われます。日本呼吸器学会の「COPD(慢性閉塞性肺疾患)診断と治療のためのガイドライン2022」では、以下の治療法が推奨されています5。
- 非薬物療法:
- 薬物療法:
- 在宅酸素療法 (HOT): 病気が進行し、血液中の酸素濃度が低下した(低酸素血症)場合には、自宅で酸素を吸入する在宅酸素療法が導入されます。これにより、息苦しさが軽減され、生命予後の改善も期待できます18。
患者の生活実態:データが示す身体的・精神的負担
COPDは、単に息が苦しくなるだけの病気ではありません。サノフィ株式会社が実施したある調査では、患者様の日常生活に深刻な影響を及ぼす身体的・精神的負担の実態が浮き彫りになりました20。
負担の種類 | 具体的な内容 | 該当者の割合 (%) |
---|---|---|
身体的負担 (93.1%が経験) |
階段の上り下りでの苦しさ | 78.4% |
歩行での苦しさ | 62.1% | |
精神的負担 (87.9%が経験) |
過去の喫煙への自責の念 | 43.1% |
いつ呼吸困難になるかという不安 | 41.4% | |
相談相手の課題 | 精神的負担を主治医に相談できる | 31.4% |
精神的負担を家族に相談できる | 37.3% |
出典: サノフィ株式会社「COPD患者を対象とした『日常生活における身体的・精神的負担に関する意識実態調査』」の結果に基づく20
このデータは、中等症以上の患者様の9割以上が身体的・精神的な負担を感じていることを示しています。特に注目すべきは、精神的な苦しみについて、主治医に相談できる患者様が約3割にとどまり、多くが家族に相談するか、誰にも相談できずに一人で抱え込んでいる状況です。これは、COPDの管理において、呼吸機能の改善だけでなく、患者様の心理的なケアやコミュニケーションがいかに重要であるかを明確に示しています。
2.2. 気管支喘息 (Bronchial Asthma)
気管支喘息は、アレルギーなどによって気道に慢性的な炎症が続き、様々な刺激に対して気道が過敏に反応して狭くなることを繰り返す病気です。この気道の慢性炎症は、現在の医療では完全に取り除くことができないため、喘息は完治(治癒)する病気ではありません21。しかし、適切な治療を継続することで、炎症をコントロールし、症状や発作がなく、健康な人と変わらない生活を送ることが可能です。この良好な状態を**「臨床的寛解 (Clinical remission)」**と呼び、これが喘息治療における重要な目標となります2。
「臨床的寛解」の定義:2024年ガイドラインの新概念
日本アレルギー学会が発行する「喘息予防・管理ガイドライン2024」では、「臨床的寛解」が新たに定義されました。これは、「治癒」が疾患そのものが消失した状態であるのに対し、「寛解」は治療下において症状や増悪(発作)がなく、呼吸機能が正常化または最適化され、高いレベルで疾患がコントロールされている状態を指します2。この状態を達成し、維持することが現代の喘息治療のゴールです。
治療パラダイム:炎症を抑え、発作を予防する
喘息治療の根幹は、気道の慢性的な炎症を抑えることです。
- 基本治療: そのために最も重要な薬剤が**吸入ステロイド薬(ICS)**です。ICSは気道の炎症を直接抑えることで、発作を予防し、気道の過敏性を改善します22。
- ステップワイズアプローチ: 治療は、患者様の重症度やコントロール状態に応じて、使用する薬剤の種類や量を段階的に調整する「ステップワイズアプローチ」が基本です。コントロールが良好であれば治療のステップダウン(減量)を検討し、不十分であればステップアップ(増量・追加)を行います23。
- 最新の治療: 近年では、患者様一人ひとりの炎症のタイプや特性(Treatable traits)に応じて治療法を個別化するアプローチや、従来の治療ではコントロールが難しい重症喘息に対して、特定の分子を標的とする生物学的製剤が開発され、治療成績を大きく向上させています7。
喘息は、症状がない時でも気道の炎症は水面下で続いています。そのため、自己判断で治療を中断してしまうと、再び症状が悪化し、大きな発作を引き起こす危険性があります。臨床的寛解を達成し、それを維持するためには、長期的な管理と定期的な医療機関の受診が不可欠です。
2.3. 間質性肺炎および肺線維症 (Interstitial Pneumonia / Pulmonary Fibrosis)
間質性肺炎は、肺を支える壁である「間質」に炎症や線維化(組織が硬くなること)が起こる病気の総称です。特に、肺が硬く縮んでいく肺線維症を伴うタイプでは、その変化は修復不可能(不可逆的)であり、現在の医療で肺を元の柔らかい状態に戻す、すなわち完治させることは極めて困難です24。
多様な病態と治療目標
間質性肺炎は、原因不明の「特発性」のものから、膠原病や薬剤、粉塵の吸入など原因が特定できるものまで、非常に多くの種類が含まれます25。病気の種類によって進行の速さや治療への反応は大きく異なり、予後を一概に予測することは難しいのが特徴です。治療の主目的は、肺の炎症や線維化の進行を可能な限り遅らせ、咳や息切れといった症状を緩和し、QOLを維持することであり、治療は多くの場合、生涯にわたって継続されます24。
治療法:抗線維化薬と最新の研究動向
- 薬物療法: 伝統的に炎症を抑える目的でステロイドや免疫抑制剤が用いられてきました25。近年では、特発性肺線維症(IPF)をはじめとする進行性の線維化を伴う間質性肺炎に対して、線維化の進行そのものを遅らせる効果を持つ抗線維化薬(ニンテダニブ、ピルフェニドン)が標準治療として用いられるようになり、予後を改善することが示されています26。
- 最新の研究動向: 医学研究の進歩により、新たな作用機序を持つ治療薬の開発が活発に進められています。例えば、ホスホジエステラーゼ4B(PDE4B)という酵素を標的とする新しい経口薬**nerandomilast**は、進行性肺線維症患者を対象とした大規模な第3相臨床試験(FIBRONEER-ILD)において、プラセボ(偽薬)と比較して肺機能の指標である努力性肺活量(FVC)の低下を有意に抑制する効果が示されました11。このような新薬の登場は、これまで治療選択肢が限られていた患者様にとって大きな希望となっています。
- 非薬物療法: 病気の進行に伴い血液中の酸素が不足する(低酸素血症)場合には、**在宅酸素療法(HOT)**が導入されます。また、呼吸リハビリテーションは、息切れを軽減し、運動能力を維持・向上させる上で非常に重要です25。
2.4. 肺がん (Lung Cancer)
肺がんが治癒可能かどうかは、他の多くの固形がんと同様に、発見された時点での病期(ステージ)に大きく依存します。早期の段階で発見されれば根治(治癒)を目指した治療が可能ですが、進行した状態で見つかった場合は、治癒は困難となり、がんの進行を抑え、生命を維持し、症状を和らげることが治療の主たる目標となります27。
治療法:ステージに応じた集学的アプローチ
肺がんの治療は、がんの種類(非小細胞肺がん、小細胞肺がん)、ステージ、遺伝子変異の有無、そして患者様の全身状態などを総合的に考慮して決定されます。日本肺癌学会が発行する「肺癌診療ガイドライン」には、その標準的な治療方針が示されています6。
- 臨床病期I-II期(早期肺がん): がんが肺の中にとどまっている段階では、がんを完全に取り除くことを目指す根治的治療が基本です。外科切除(手術)が最も標準的な治療法であり27、手術が困難な場合には体幹部定位放射線治療(SBRT)などの根治的放射線治療が選択されます6。手術後に再発リスクを減らす目的で、抗がん剤や分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬による術後補助療法が行われることもあります6。
- 臨床病期III期(局所進行肺がん): がんが胸の中の広範囲に広がっているものの、遠隔転移はない段階です。手術、放射線治療、薬物療法を組み合わせた集学的治療が行われ、治癒の可能性は残されていますが、難しくなります6。
- 臨床病期IV期(遠隔転移肺がん): がんが他の臓器に転移している段階では、全身に広がったがん細胞を根絶することは極めて困難です。治療の目標は治癒から、がんの進行をコントロールし、延命とQOLの維持・向上を図る「管理」へと移行します。治療の中心は、分子標的薬、免疫チェックポイント阻害薬、従来の抗がん剤といった薬物療法となります28。
生存率データ:早期発見の重要性を示す客観的指標
ステージと治癒可能性の関係を客観的に示すのが「5年相対生存率」です。これは、がんと診断された人が5年後に生存している割合を、日本人全体の同時期の5年後の生存率と比較した数値です。国立がん研究センターがん情報サービスのデータは、ステージによって予後が劇的に異なることを明確に示しています29。
病期 (Stage) | 5年相対生存率 (%) |
---|---|
I期 | 82.2% – 84.1% |
II期 | 52.6% – 54.4% |
III期 | 29.9% – 30.4% |
IV期 | 8.1% – 9.0% |
出典: 国立がん研究センターがん情報サービス、日本肺癌学会などのデータを基に作成29
この圧倒的な差は、肺がんにおいていかに早期発見が重要であるかを物語っています。症状が出てからでは進行していることが多いため、喫煙者などリスクの高い人は定期的な検診を受けることが強く推奨されます。
第3部:治療と生活を支える日本の制度とリソース
慢性肺疾患の治療は、多くの場合、生涯にわたって続きます。これは、医学的な課題だけでなく、経済的、社会的、そして心理的な負担を伴うことを意味します。このような長期にわたる「管理」を成功させるためには、医療機関での治療と並行して、利用可能な公的支援や社会資源を最大限に活用することが不可欠です。幸い、日本には患者様とそのご家族の負担を軽減し、療養生活を支えるための様々な制度が整備されていますが、これらの制度は申請しなければ利用できないものがほとんどです。したがって、患者様自身がこれらの制度の存在を知り、能動的に情報を収集し、活用することが、治療の継続性とQOLの向上に直結します。
3.1. 医療費助成制度
長期的な治療に伴う経済的負担は、患者様にとって大きな不安要素です。日本の公的医療保険制度には、この負担を軽減するためのセーフティネットが設けられています。
- 高額療養費制度: 医療機関や薬局の窓口で支払った医療費の自己負担額が、1か月で上限額を超えた場合に、その超えた金額が払い戻される制度です。上限額は年齢や所得水準によって定められており、すべての公的医療保険の加入者が利用できます30。
- 指定難病医療費助成制度: 間質性肺炎の一部(特発性間質性肺炎など)のように、国が「指定難病」として定めている疾患の患者様は、この制度の対象となる場合があります9。認定されると、医療費の自己負担割合が原則として2割に軽減され、所得に応じた月額の自己負担上限額が設定されます31。申請には、都道府県が指定した「難病指定医」が作成した診断書(臨床調査個人票)が必要で、お住まいの地域の保健所などの窓口で手続きを行います32。
3.2. 在宅酸素療法 (HOT) と公的支援
COPDや間質性肺炎などが進行し、慢性的な呼吸不全の状態になると、在宅酸素療法(HOT)が導入されます。HOTを必要とする患者様は、様々な公的支援の対象となり得ます。
- 身体障害者手帳の取得: 呼吸機能の障害の程度が一定の基準を満たすと判断された場合、身体障害者手帳の交付を申請できます10。手帳を取得すると、医療費の助成、税金の控除、公共交通機関の運賃割引など、多岐にわたる支援を受けることが可能になります33。申請には、「身体障害者福祉法指定医」による診断書・意見書が必要です33。
- その他の支援制度: 病気によって生活や仕事が制限される場合に受け取れる**障害年金**や、40歳以上で介護が必要な方が利用できる**介護保険**など、在宅での療養生活を支える制度があります34。
3.3. 患者会の役割と情報
長期にわたる療養生活では、同じ病気を抱える仲間と繋がり、情報を交換し、悩みを分かち合う「ピアサポート」の場が大きな力となります。日本では、様々な呼吸器疾患の患者会が活発に活動しています。
これらの患者会は、医療者からは得にくい生活者としての視点からの情報や、共感に基づく精神的なサポートを提供しており、治療を続ける上での大きな力となります。
よくある質問
Q1: 肺の病気と診断されましたが、もう元の生活には戻れないのでしょうか?
Q2: 吸入薬を使うように言われましたが、症状がない時も続けないといけませんか?
Q3: 治療費が高額になりそうで心配です。何か利用できる制度はありますか?
結論
本稿を通じて明らかになったように、「肺の病気は治るか」という問いへの答えは、疾患ごとに大きく異なります。細菌性肺炎のように「治癒」が見込める急性疾患がある一方で、COPDや間質性肺炎、気管支喘息といった多くの慢性疾患では、治療の目標は「管理」や「寛解」となります。最も重要なことは、肺に不可逆的なダメージを伴う多くの慢性肺疾患において、治療のゴールは「病気を消し去ること」ではなく、「病気と上手く共存し、質の高い生活を維持すること」であるという、現代医療のパラダイムを理解することです。
この理解に基づき、肺疾患と向き合う患者様とそのご家族に対し、以下の点を専門家として強く提言します。
- 早期発見・早期介入の徹底: 長引く咳や息切れといった初期症状を軽視せず、速やかに呼吸器専門医を受診することが、ご自身の未来を守るための最も重要な行動です19。
- 治療への主体的参加と継続: 患者様自身が病気を正しく理解し、処方された薬の正しい使用と、禁煙や運動習慣といった生活改善に継続して取り組むことが、病状の安定に直結します3。
- 利用可能な社会資源の最大活用: 経済的負担や精神的な孤立は、決して一人で抱え込む必要はありません。高額療養費制度、難病医療費助成制度、身体障害者手帳、そして患者会といった豊富なサポートシステムを積極的に活用してください。
医学は日進月歩です。nerandomilastのような肺線維症に対する新薬の開発や、がん治療における個別化医療の目覚ましい進展など、これまで治療が困難であった疾患にも、次々と新たな光が見え始めています11。医療の進歩を信じ、希望を持って日々の治療に取り組むことが重要です。本稿が、肺疾患と向き合うすべての患者様とそのご家族にとって、病気を正しく理解し、前向きに治療に臨むための一助となることを心から願います。
参考文献
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