皮膚科疾患

褥瘡:圧迫による皮膚障害の科学的根拠に基づく予防と管理(日本国内の状況を中心に)

褥瘡(じょくそう)、すなわち圧迫による皮膚および皮下組織の損傷は、寝たきりの患者さんや長期療養者をケアする上で最も重要な課題の一つです。これは単なる「床ずれ」ではなく、局所的な組織壊死に至る複雑な病態であり、患者さんの生活の質(QOL)を著しく低下させ、時には生命を脅かす重篤な合併症を引き起こす可能性があります。本報告書では、褥瘡の発生メカニズムから、日本国内のガイドラインや医療制度に基づいた具体的な予防・管理策までを網羅的に解説します1

この記事の科学的根拠

本記事は、日本の公的機関・学会ガイドラインおよび査読済み論文を含む高品質の情報源に基づき、出典は本文のクリック可能な上付き番号で示しています。

  • 日本の褥瘡診療ガイドライン: 日本皮膚科学会が発行する国内の臨床実践におけるゴールドスタンダードであり、評価ツールDESIGN-R®の活用法などを定めています5
  • 国際的な予防・治療ガイドライン: 米国・欧州・環太平洋の専門家組織が共同で策定したエビデンスに基づく指針で、世界標準のケアの根拠となっています8

要点まとめ

  • 褥瘡は、近年では開放創になる前の深部組織損傷を重視する「圧迫損傷」という概念で捉えられ、予防医療の重要性が増しています23
  • 日本独自の評価ツール「DESIGN-R®」は、創の状態を客観的に評価するだけでなく、診療報酬の算定にも直結する多機能な役割を担っています56
  • 日本のガイドラインは、低体重や骨突出が顕著な高齢者の身体的特徴に合わせ、「多層式エアマットレス」の使用を推奨するなど、国内の臨床現実に即した高度な実践を特徴とします78
  • 日本の褥瘡対策は、学会のガイドライン、厚生労働省の政策(褥瘡対策チームの義務化)、診療報酬(経済的インセンティブ)が三位一体で機能する、質の高いケアを推進する強力なシステムです79

第1部:圧迫による皮膚損傷の課題を理解する

「床ずれ」という言葉は聞くけれど、なぜ起こるのか、どれほど深刻なのかがよく分からない、と感じていませんか。その気持ち、とてもよく分かります。目に見える傷だけでなく、皮膚の下で何が起きているのか、専門的なメカニズムは複雑で不安に感じますよね。科学的には、この問題の核心は血流の遮断にあります。これは水道のホースを誰かが踏みつけて、その先の植物に水が届かなくなる状態によく似ています。そのため、まずは褥瘡がなぜ発生するのか、その根本的な原因である3つの力(圧迫・ずれ・摩擦)を理解することから始めましょう。

褥瘡の定義は、身体の特定部位に長時間、圧力が加わることで血流が阻害され、組織が壊死に陥る局所的な損傷です1。近年、国際的な専門家組織は「褥瘡(pressure ulcer)」という用語から「圧迫損傷(pressure injury)」への名称変更を推奨しています。これは、皮膚に開放創(潰瘍)が形成される前の段階でも、皮下深部ではすでに重篤な組織損傷が進行している場合があるという臨床的理解を反映したものです。この視点の転換は、MSDマニュアル professional versionでも解説されているように2、予防医療への根本的なパラダイムシフトを促します。日本の評価スケールであるDESIGN-R®2020にも「深部損傷褥瘡(DTI)疑い」という項目が正式に導入されており3、この考え方が国内外で標準となりつつあります。

褥瘡発生のメカニズムは、主に3つの物理的な外力によって引き起こされます。第一に「圧迫」、つまり骨突出部とベッドなどの硬い支持面との間に組織が挟まれる力。第二に「ずれ」、これはベッドの背上げ時などに組織の層間に生じるねじれの力です。そして第三に「摩擦」、体を引きずる際に皮膚表面に生じる抵抗力です。これらの外力が持続すると、組織は虚血、低酸素、栄養不足に陥り、最終的には不可逆的な組織壊死へと至ります。これはベトナムのNghệ An省保健局のガイドラインでも同様に説明されています4

褥瘡は誰にでも発生するわけではなく、特定の危険因子を持つ人々に発生しやすいことが知られています。国際的なガイドラインでは、活動性・可動性の低下(自力で体位を変えられない状態)、知覚の低下、低栄養状態、皮膚の湿潤、循環不全、そして65歳以上の高齢であることが主要なリスクとして挙げられています2

このセクションの要点

  • 褥瘡は単なる表面の傷ではなく、圧迫による血流遮断が引き起こす深部の組織壊死です。
  • 国際的には「圧迫損傷」と呼ばれ、潰瘍化する前の予防的介入の重要性が強調されています。
  • 主な原因は「圧迫」「ずれ」「摩擦」の3つの力であり、特に自力で動けないことが最大のリスク因子となります。

第2部:臨床評価:効果的なケアの基盤

ご家族の皮膚に赤い部分を見つけたとき、それがただの赤みなのか、あるいは深刻な問題の始まりなのか、判断に迷うことはありませんか。それは自然な反応です。褥瘡の評価は専門家にとっても簡単ではなく、だからこそ客観的な指標が重要になります。科学的には、褥瘡の評価は「深さ」と「治癒過程」という二つの軸で捉えられます。これは建物の損傷を評価するのに似ています。まず「損傷は構造体(骨)にまで達しているか?」という深さを見て、次に「修復作業は順調に進んでいるか?」という進捗を追跡するのです。そのために、日本ではDESIGN-R®2020という非常に優れた評価ツールが使われています5

日本では、日本褥瘡学会が開発した褥瘡状態評価スケール「DESIGN-R®」が広く用いられています。これは単なる深達度の分類だけでなく、創の状態を多角的に評価し、その合計点数によって重症度を客観的に示し、治癒過程を定量的に追跡することを目的としています。DESIGN-R®は、臨床評価、予後予測、研究、そして医療財政を統合した日本独自の高度なツールです。特に深さ分類(D3, D4, D5)は「重度褥瘡処置」という診療報酬の算定根拠に直結しており6、臨床評価が医療経済と連動している好例です。さらに2020年の改訂で追加された「臨界的定着疑い(I3C)」は、より積極的な治療介入を正当化するための公式な評価カテゴリーを提供するものです。

受診の目安と注意すべきサイン

  • 皮膚の一部が赤くなり、指で押してもその赤みが消えない場合(ステージIのサイン)。
  • 皮膚に水ぶくれができたり、皮がむけて浅い傷になっている場合(ステージIIのサイン)。
  • 皮膚が紫色や暗い赤色に変色している場合(表面に傷がなくても、深部損傷褥瘡(DTI)の可能性があり危険です)。

第3部:予防の四本柱:科学的根拠に基づくフレームワーク

ご家族の介護で、「どうすれば褥瘡を予防できるのか」と具体的な方法を探している方は多いでしょう。毎日のお世話の中で、何が最も効果的な予防策なのか、情報が多くて迷うこともあるかと存じます。そのお気持ち、お察しします。科学的には、褥瘡予防は4つのシンプルな柱に集約されます。これは家を建てる際の基礎工事のようなものです。どれか一つが欠けても、家の安定性は損なわれます。だからこそ、日本褥瘡学会のガイドラインが示す「体位変換」「体圧分散寝具」「スキンケア」「栄養」という4つの柱をバランスよく実践することが、褥瘡という困難な問題から大切な人を守るための最も確実な道筋となるのです7

第一の柱は、体位変換による圧迫の再分配です。長時間同じ部位に圧力がかかり続けることを避けるため、原則として2時間を超えない範囲での定期的な体位変換が基本です。ただし、高性能な体圧分散寝具を使用している場合は、4時間を超えない範囲まで間隔を延長することが許容されています。推奨される体位の一つに「30度側臥位」があります。これは仙骨部や大転子部といった骨突出部への直接的な圧迫を避ける賢明な方法です。

第二の柱は、高機能体圧分散寝具の活用です。日本の褥瘡予防アプローチは、国際的な原則を日本の高齢者人口という特異的な臨床現実に合わせて、非常に実践的かつ精緻に適用している点が特徴的です。国際ガイドラインがリスクに応じた支持面の利用を広く推奨するのに対し8、日本褥瘡学会ガイドラインは、低体重、骨の突出、皮膚の脆弱性といった日本特有の患者プロファイルに直接対応するため、「多層式エアマットレス」など、より具体的な製品タイプを推奨しています7。これは、自国の患者層に関する深い臨床経験に基づいてエビデンスを解釈し、最適化していることを示しています。

今日から始められること

  • 2時間ごとの体位変換スケジュールを立て、ご家族や介護チームで共有しましょう。
  • 担当のケアマネジャーに相談し、介護保険を利用した体圧分散マットレスのレンタルを検討しましょう。
  • 入浴や清拭の際には、皮膚を強くこすらず、洗浄後は必ず保湿剤を塗布する習慣をつけましょう。

第4部:発生した褥瘡の管理と治療

万が一褥瘡ができてしまった場合、「どうすればいいのか」と途方に暮れてしまうかもしれません。そのご心痛は計り知れません。しかし、適切な治療法があることを知ってください。科学的には、創傷の治癒は、傷をきれいに「整地」することから始まります。これは庭の手入れに似ています。雑草(壊死組織)を抜き、土壌の水分(滲出液)を適切に管理し、病害虫(感染)を制御して初めて、新しい芽(肉芽組織)が育つ環境が整うのです。この「創傷床準備(Wound Bed Preparation)」という考え方に基づき、DESIGN-R®の評価を道しるべに適切なドレッシング材を選ぶことが、治癒への近道となります5

今日から始められること

  • 褥瘡の状態(色、大きさ、液体の量など)を毎日観察し、変化があれば訪問看護師や医師にすぐに報告しましょう。
  • 医師や看護師から指示されたドレッシング材の交換方法と頻度を正確に守りましょう。
  • 創の周囲の皮膚を清潔に保ち、保湿を心がけることで、傷の悪化や拡大を防ぎます。

第5部:日本の医療制度内でのナビゲーション

褥瘡のケアには専門的な知識や物品が必要で、「費用はどのくらいかかるのか」「公的な支援はあるのか」といった心配は尽きないことでしょう。その不安、もっともです。ご安心ください。日本には、質の高い褥瘡ケアを全国的に推進するための、非常によく設計された制度があります。その仕組みは、3つの歯車が噛み合って動く精密機械に例えることができます。1つ目の歯車は「学会のガイドライン」という設計図、2つ目は「政府の政策」という製造ライン、そして3つ目が「診療報酬」という潤滑油です。この3つが連動することで、患者さんがどこにいても標準的なケアを受けられる体制が整っているのです79

日本の褥瘡ケアシステムは、臨床ガイドライン(日本褥瘡学会)、政府の政策(厚生労働省)、そして経済的インセンティブ(診療報酬)が三位一体となって機能している点が際立っています。厚生労働省が「褥瘡対策チーム」と「診療計画書」という「構造」を法的に義務付け9、日本褥瘡学会がその構造を満たすべき「内容」、すなわちエビデンスに基づく予防・治療法やDESIGN-R®という評価ツールを提供します。そして診療報酬制度が、ハイリスク患者への計画的なケア実施に対して加算を与え、重度の褥瘡治療に対してはDESIGN-R®の評価結果に直接連動した高い点数を設定する6ことで、ガイドライン遵守を経済的に後押しします。東京大学の研究でも示唆されているように10、この強力なフィードバックループが、全国レベルでのケアの標準化と質向上を駆動しています。

このセクションの要点

  • 日本の褥瘡ケアは、学会ガイドライン(臨床内容)、政府の政策(体制義務化)、診療報酬(経済的支援)が連動する効果的なシステムです。
  • 医療機関には「褥瘡対策チーム」の設置が義務付けられており、多職種による計画的なケアが提供されます。
  • DESIGN-R®の評価結果は、重度の褥瘡治療に対する診療報酬の算定に直接使用されます。

第6部:ヒューマン・エレメント:患者と介護者の視点

在宅でご家族の介護をされている中で、褥瘡のケアに対する不安や、身体的・精神的な負担から、時に孤立感を感じることはありませんか。24時間続く介護の中で、終わりが見えない不安や、ご自身のケアが正しいのかというプレッシャーは計り知れないものがあるでしょう。褥瘡ケアは、医学的な側面だけでなく、患者さんと介護者の生活に深く関わる人間的な側面を持ち合わせています。痛みは患者さんのQOLを著しく損ない、治癒しない創傷は絶望感を与える可能性があります。そしてその影響は、介護を行うご家族にも及びます。

このセクションの要点

  • 褥瘡は強い痛みを伴い、患者のQOL(生活の質)を著しく低下させます。
  • 在宅介護を行う家族は、処置への不安や身体的負担、社会的孤立など多くの困難に直面します。
  • 訪問看護などの専門的サービスを活用し、一人で抱え込まないことが、患者と介護者双方のQOLを守る上で不可欠です。

第7部:褥瘡治療の未来展望

褥瘡との闘いは、日進月歩の科学技術と共に、新たな希望の光が見えています。現在使っているドレッシング材やマットレスが、どのようにして安全性が確認されているのか、不思議に思うかもしれませんね。それは、医薬品医療機器総合機構(PMDA)という公的機関が、市場に出る製品の安全性と有効性を厳しく監視しているからです。さらに、日本の研究者たちは、より効果的な治療法を目指して、たゆまぬ努力を続けています。例えば、傷の治りを早める新しい素材の開発など、未来の治療に向けた研究が進行中です。こうした地道な努力が、明日のより良いケアへと繋がっています。

このセクションの要点

  • PMDAが創傷被覆材や体圧分散寝具などの医療機器の市販後の安全性を監視しています。
  • 東北大学や京都大学など、日本の研究機関がナノ型乳酸菌やシルクエラスチンといった新素材を用いた革新的な治療法の開発をリードしています。
  • 日本の医療政策は、超高齢社会に対応するため、在宅や介護施設における褥瘡管理を手厚く支援する方向で継続的に調整されています。

よくある質問

褥瘡の最も重要な初期サインは何ですか?

最も注意すべき初期サインは「指で押しても消えない赤み」です。皮膚の同じ場所が常に赤くなっていて、指で軽く押してみて、離したあとも赤みがすぐに消えない場合は、ステージIの褥瘡が疑われます。速やかに体位を変え、その部分への圧迫をなくし、看護師や医師に相談してください5

特別なマットレスは本当に必要なのでしょうか?

はい、特に自力で寝返りをうつことが困難な方にとっては、体圧分散寝具(マットレス)は褥瘡予防の要です。身体がマットレスに広く深く沈み込むことで、骨の突出部にかかる圧力を効果的に減らすことができます。介護保険を利用してレンタルすることも可能ですので、担当のケアマネジャーに相談することをお勧めします7

家族が在宅で療養していますが、どのような支援が受けられますか?

在宅での褥瘡ケアには、様々な公的支援が利用できます。まず、かかりつけ医に相談し、「訪問看護指示書」を出してもらうことで、訪問看護師がご自宅に伺い、専門的な創傷ケアを行います。また、地域の「地域包括支援センター」では、介護に関する総合的な相談が可能です。一人で抱え込まず、専門家のサポートを積極的に活用してください。

結論

褥瘡は、単なる「床ずれ」ではなく、患者さんの尊厳とQOLを脅かす深刻な医療問題です。しかし、その多くは適切な知識とケアによって予防可能であり、発生した場合でも体系的な管理によって治癒を目指すことができます。本記事で解説したように、日本の褥瘡ケアは、DESIGN-R®という優れた評価ツールを軸に、臨床ガイドライン、政府の政策、診療報酬制度が緊密に連携する世界でも先進的なシステムを構築しています。この知識を武器に、患者さん、ご家族、そして医療・介護専門職がチームとして協力し、一人ひとりに最適な予防と治療を実践していくことが、すべての人のQOLを守る上で不可欠です。

免責事項

本コンテンツは一般的な医療情報の提供を目的としており、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や治療に関する意思決定の前に、必ず医療専門職にご相談ください。

参考文献

  1. Trung tâm y tế quận Phú Nhuận. Loét do tì đè – medinet. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  2. MSD Manual Professional Version. Chấn thương do áp lực – Rối loạn Da liễu – Cẩm nang MSD – Phiên bản dành cho chuyên gia. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  3. Kao Professional Services. 特集2 DESIGN-R®2020について|花王ハイジーンソルーション. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  4. Sở Y tế – Tỉnh Nghệ An. Hướng dẫn chống loét tì đè – Sở Y tế – Tỉnh Nghệ An. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  5. 日本皮膚科学会. 創傷・褥瘡・熱傷ガイドライン(2023)―2 褥瘡診療ガイドライン. 2023. [PDF]. リンク
  6. Clinical Support. J001-4 重度褥 瘡処置(1日につき) | 今日の臨床サポート. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  7. 日本褥瘡学会. 褥瘡の予防について|日本褥瘡学会. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  8. NPUAP/EPUAP/PPPIA. Prevention and Treatment of Pressure Ulcers/Injuries: Clinical Practice Guideline. 2019. [PDF]. リンク
  9. MHLW (Knowlety解説). 4 褥瘡対策の基準 – 令和6年度診療報酬改定 – ナレティ. 2024. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク
  10. 東京大学. 褥瘡に関する診療報酬制度改革が褥瘡有病率、医療費に及ぼす影響 – 老年看護学. [インターネット]. 引用日: 2025年9月16日. リンク

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