精神・心理疾患

嘘が健康に及ぼす影響とは?心身に潜むリスクを探る

正直であることは、単なる道徳的な美徳ではありません。近年の研究は、正直さと私たちの心身の健康との間に、測定可能で肯定的な関係が存在することを示しています。この記事では、画期的な研究である「正直の科学」を中心に、嘘が私たちの体にどのような影響を与えるのか、その科学的根拠とメカニズムを深く掘り下げ、日本国内で実践できる具体的な対策までを解説します。アメリカ心理学会の報告によると、嘘を減らすことは健康改善に直接つながります2

この記事の科学的根拠

本記事は、日本の公的機関・学会ガイドラインおよび査読済み論文を含む高品質の情報源に基づき、出典は本文のクリック可能な上付き番号で示しています。

  • 日本の職場における指針:厚生労働省は、労働者の心身の健康を保持増進するための詳細なガイドラインを公表しており、本記事の組織的対策の基盤となっています17
  • 正直さと健康に関する基盤研究:ノートルダム大学の研究チームによる「正直の科学」は、嘘を減らすことが身体的・精神的な不調を具体的に軽減することを示した重要な研究です2

要点まとめ

  • 嘘を減らすことと健康改善の間には、科学的に証明された因果関係があり、些細な嘘を週に3つ減らすだけで、心身の不調が平均3〜4件減少する可能性が示されています2
  • 嘘は脳に「認知的負荷」をかけ、闘争・逃走反応を司る大脳辺縁系を活性化させます。これが習慣化すると、ストレスホルモン「コルチゾール」の慢性的な上昇を招き、全身の疾患リスクを高めます36
  • 嘘から生じるストレスは個人の問題だけでなく、日本の厚生労働省が定める労働安全衛生上の課題です。組織として心理的安全性を確保することが、従業員の健康を守る上で不可欠です17
  • 個人でできる対策として、信頼できる相手への自己開示や、日常の小さな嘘を意識的に減らすことが有効です。これにより、ストレスが軽減され、人間関係も改善する効果が期待できます9

正直さと健康:定量的な関係

「正直は最善の策」という言葉は古くからありますが、それが単なる道徳論ではなく、私たちの健康に直接的な影響を与える科学的な事実であるとしたら、どうでしょうか。多くの方が、嘘をついた後の罪悪感や、バレないかという不安を経験したことがあるかもしれません。その気持ち、とてもよく分かります。科学的には、その小さな心の負担が、測定可能な身体の変化として現れることが明らかになってきました。その背景には、ノートルダム大学の研究チームが行った画期的な研究があります2。この研究は、嘘と健康の関係を、まるで天秤で重さを測るかのように、具体的な数値で示したのです。

2012年にアメリカ心理学会で発表されたこの研究では、110人の参加者を10週間にわたって追跡しました2。半数のグループには意図的に嘘(社交辞令のような些細な嘘も含む)を減らすよう指示し、もう半数は対照群としました。その結果、週に3回些細な嘘を減らしただけで、頭痛や喉の痛みといった身体的な不調の訴えが平均で約3件、緊張や憂鬱などの精神的な不調が平均で約4件も減少したのです。この結果は、正直さが精神的な安らぎだけでなく、具体的な身体的利益をもたらすことを明確に示しています。

さらに興味深いのは、この健康改善の背景にあるメカニズムです。研究チームの分析によると、健康状態の改善は、人間関係の質の向上によって媒介されていました。つまり、「嘘を減らす」→「人間関係が円滑になる」→「健康になる」という流れが確認されたのです2。これは、嘘がもたらす最大の健康リスクが、不誠実さによって損なわれた人間関係が生み出す「慢性的なストレス」にあることを示唆しています。

このセクションの要点

  • 嘘を減らすことは、測定可能なレベルで心身の健康を改善させることが、科学的研究によって示されています。
  • 健康改善の重要な要因は、正直になることによる人間関係の質の向上であり、これがストレス軽減につながります。

嘘の生理学:身体に現れるサイン

嘘をつくと心臓がドキドキしたり、頭が疲れたりするのはなぜだろう、と不思議に思ったことはありませんか。それは単なる気のせいではなく、身体が正直に発している危険信号です。その場しのぎの嘘が、実は気づかないうちに体に大きな負担をかけているのかもしれません。科学的には、正直であることは脳にとって最も効率的な「デフォルトモード」なのです1。嘘をつくという行為は、このデフォルトから逸脱し、真実を無理に抑え込みながら新しい物語を構築する、という二重の作業を脳に強います。これは、コンピューターで重いソフトウェアを2つ同時に動かすようなもので、脳の実行機能、特に背外側前頭前野に大きな認知的負荷がかかります3

この精神的な努力は、瞬時に身体的なストレス反応を引き起こします。嘘は、私たちの脳にある「闘争・逃走反応」を司る大脳辺縁系を活性化させます5。これは、大昔に猛獣に遭遇した時と同じ原始的な警報システムです。その結果、心拍数と血圧は上昇し、呼吸は浅く速くなり、冷や汗をかくといった、ポリグラフ検査(嘘発見器)で測定されるような変化が体に現れます。しかし、問題は一度きりの反応ではありません。

習慣的に嘘をつくことでこの警報システムが頻繁に作動すると、体は慢性的なストレス状態に陥ります。UCバークレー校の報告によれば、これはストレスホルモンであるコルチゾールの過剰分泌につながります3。コルチゾールは短期的な危機管理には不可欠ですが、慢性的にレベルが高い状態が続くと、免疫機能の低下、全身性の炎症、心血管疾患のリスク増大、さらには脳の記憶領域である海馬の萎縮にまで関連することが、2018年の大規模研究(フラミンガム心臓研究)で示されています6。つまり、小さな嘘の積み重ねは、静かに体を蝕む強力な毒となり得るのです。

このセクションの要点

  • 嘘は脳に高い認知的負荷をかけ、デフォルトの正直な状態から逸脱するためのエネルギーを消耗させます。
  • 嘘をつく行為は、心拍数や血圧を上昇させる急性ストレス反応を引き起こし、習慣化すると慢性的なストレスホルモン(コルチゾール)の過剰分泌につながります。

嘘をつく人の内面世界:感情的負担とその影響

嘘や秘密を抱えていると、罪悪感や不安で心が休まらない、という経験は多くの人にあるでしょう。誰にも言えないことがあると、一人で抱え込んでしまい、精神的に追い詰められることがありますよね。その感情的な負担は、実は健康に深刻な影響を及ぼす可能性があります。嘘が引き起こす内面の葛藤は、主に「罪悪感」と「羞恥心」という二つの異なる感情によって特徴づけられます。

これらの感情は似ているようで、脳への影響は全く異なります。2023年に行われた神経画像研究のメタアナリシスによると、罪悪感は他者への共感や心の理論に関連する脳領域(側頭頭頂接合部)を活性化させ、「悪い『こと』をした」という行動への後悔を促します12。これは修復的な行動につながる可能性があります。一方で、羞恥心は社会的な痛みを処理する脳領域(前帯状皮質や視床)を活性化させ、「自分は悪い『人間』だ」という自己全体への否定感につながります。これは、隠れたり、逃げたり、あるいは他者を攻撃したりする防衛的な行動を引き起こしやすい、より苦痛の大きい感情です11

さらに、嘘を維持するためには、真実の感情や考えを抑圧し続ける必要があります。この「感情の抑圧」という行為自体が、独立した健康リスクです。感情を抑え込むことは、短期的には社会的な対立を避けられるかもしれませんが、長期的には交感神経系を過剰に興奮させ続けます。2013年に発表された12年間の追跡調査を含む研究では、習慣的な感情の抑圧が、全死因死亡率およびがんによる死亡率の有意な上昇と関連していることが示されました13。嘘をつくことは、秘密を抱えるという精神的負荷、罪悪感や羞恥心という感情的苦痛、そして感情を抑圧するという生理的ストレスの三重苦を、自らに課す行為なのです。

このセクションの要点

  • 嘘は「罪悪感(行動への後悔)」と「羞恥心(自己への否定感)」という異なる感情を引き起こし、それぞれ脳の異なる領域を活性化させます。
  • 嘘を維持するために必要な「感情の抑圧」は、それ自体が死亡率の上昇や精神疾患のリスクと関連する、重大な健康リスクです。

不正直さの文脈化:臨床的・社会的枠組み

職場の人間関係や過度な営業目標など、「本当のことを言えない」状況に置かれ、強いストレスを感じている方もいるかもしれません。個人の倫理観の問題だけでなく、環境が不正直を強いる場合、どうすればいいのか途方に暮れてしまいますよね。しかし、嘘から生じるストレスは、もはや個人の問題ではなく、社会全体で取り組むべき公衆衛生、特に労働安全衛生の問題として捉えることができます。

日本では、厚生労働省が「労働者の心の健康の保持増進のための指針」を定めています17。この指針は、従業員のメンタルヘルス不調を未然に防ぐため、事業者に対して「セルフケア」「ラインによるケア」「事業場内産業保健スタッフ等によるケア」「事業場外資源によるケア」という4つのケアを推進するよう求めています。不正直を暗黙的に推奨したり、嘘をつかざるを得ないようなプレッシャーを与えたりする職場環境は、この指針の精神に真っ向から反する「心理社会的ハザード(危険因子)」と言えます。この記事で見てきたように、嘘が引き起こす生理的・心理的ストレスは、まさにこの指針が予防しようとしている健康障害そのものです。

ここで重要なのは、問題を個人の「正直さ」から組織の「安全性」へと視点を移すことです。例えば、従業員が顧客や規制当局に対して嘘の報告を強いられる文化は、定義上、強力なストレス要因を生み出しています。したがって、組織が正直さを促進し、心理的安全性を確保することは、倫理的な要請であるだけでなく、厚生労働省の指針に基づく法的な安全配慮義務の一環として捉えることができるのです。これは、組織変革を促すための強力な根拠となります。

今日から始められること

  • 自身の職場環境が、正直に意見を言える心理的安全性のある場所か、一度立ち止まって考えてみましょう。
  • もしストレスを感じているなら、まずは厚生労働省のポータルサイト「こころの耳」などで、匿名で相談できる窓口があることを知っておきましょう18

よくある質問

少しくらいの「社交辞令」や「優しい嘘」も健康に悪いのですか?

はい、その可能性があります。ノートルダム大学の研究では、まさにそのような「些細な嘘(white lies)」を減らすことによって、健康状態が有意に改善することが示されました2。たとえ善意からであっても、嘘は真実を隠し、偽りを維持するという認知的な負荷を脳にかけます。積み重なれば、人間関係の信頼を少しずつ損ない、慢性的なストレス源となり得ます。

嘘をつくと、なぜ体にストレスがかかるのですか?

嘘をつく行為は、脳の「闘争・逃走」反応を司る原始的な部分(大脳辺縁系)を活性化させます5。これにより、心拍数や血圧が上昇し、ストレスホルモンであるコルチゾールが分泌されます。これは体が危機的状況に備えるための自然な反応ですが、嘘によってこの反応が頻繁に引き起こされると、体は常に緊張状態に置かれ、免疫力の低下や生活習慣病のリスクが高まります。

罪悪感と羞恥心はどう違うのですか?

罪悪感は「悪い『こと』をした」という特定の行動に対する後悔であり、他者への共感や関係修復の動機につながることがあります。一方、羞恥心は「自分は悪い『人間』だ」という自己全体への否定的な感情であり、孤立感や防衛的な態度につながりやすい、より苦痛の大きい感情です。神経科学的にも、これらは脳の異なる領域の活動と関連しています12

職場で嘘をつかざるを得ない場合はどうすれば良いですか?

これは非常に難しい問題ですが、まずはそのストレスが個人の責任ではなく、労働環境の問題であると認識することが重要です。厚生労働省は事業者に対し、労働者の心の健康を守るための環境整備を義務付けています17。信頼できる上司や同僚、産業保健スタッフに相談するか、外部の相談窓口を利用することを検討してください。問題を一人で抱え込まないことが第一歩です。

結論

この記事では、嘘が単なる道徳的な問題ではなく、私たちの心身の健康に深刻な影響を及ぼす科学的な事実であることを、複数の研究を基に解説してきました。嘘は脳に認知的負荷をかけ、ストレスホルモンの分泌を促すことで、短期的にも長期的にも私たちの体を蝕みます。さらに、罪悪感や羞恥心、感情の抑圧といった心理的な負担は、精神的な健康を損なうだけでなく、人間関係の質を低下させ、社会的な孤立を深めることにもつながります。

しかし、重要なのは、この悪循環は断ち切れるということです。ノートルダム大学の研究が示したように、日常の些細な嘘を少し減らすという小さな一歩が、測定可能な健康改善につながります2。また、問題を個人の責任として抱え込まず、特に職場においては、組織全体の安全衛生の問題として捉え、厚生労働省の指針などの公的な枠組みを活用することが可能です17。正直であることは、他者との信頼関係を築き、社会的なつながりを深め、そして何よりも自分自身の心と体を守るための、最も効果的な自己投資と言えるでしょう。

免責事項

本コンテンツは一般的な医療情報の提供を目的としており、個別の診断・治療方針を示すものではありません。症状や治療に関する意思決定の前に、必ず医療専門職にご相談ください。

参考文献

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  3. Carney D. The Physiology of (Dis)Honesty: Does it Impact Health?. UC Berkeley. [インターネット]. 引用日: 2025-09-16. リンク
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  6. Suri S, et al. Circulating cortisol and cognitive and structural brain measures: The Framingham Heart Study. Neurology. 2018;91(21):e2011-e2021. PMID: 30355700. リンク
  7. 「ウソをつくこと」は心と体に悪い?行動科学者が教える5つの真実. Women’s Health. [インターネット]. 2023. 引用日: 2025-09-16. リンク
  8. 中学生・高校生・大学生における 秘密の保持. 同志社大学心理学研究. [インターネット]. 引用日: 2025-09-16. リンク
  9. 自分自身の悩みに関する自己開示による心境の変化. 高知工科大学. [インターネット]. 2020. 引用日: 2025-09-16. リンク
  10. Shame, Guilt, and Anger: Their Cognitive, Physiological, and Behavioral Correlates. ResearchGate. [インターネット]. 2016. 引用日: 2025-09-16. リンク
  11. American Psychological Association. What’s the difference between guilt and shame?. [インターネット]. 引用日: 2025-09-16. リンク
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  13. Chapman BP, et al. Emotion Suppression and Mortality Risk Over a 12-Year Follow-up. Journal of psychosomatic research. 2013;75(4):381-5. DOI: 10.1016/j.jpsychores.2013.07.014. リンク
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  15. 虚言癖は治せる?セルフケア・治療法を解説【原因と向き合う】. あしたのクリニック五反田院. [インターネット]. 引用日: 2025-09-16. リンク
  16. サイコパスがためらいなく嘘をつく脳のメカニズムを明らかにしました. 京都大学. [インターネット]. 2018. 引用日: 2025-09-16. リンク
  17. 厚生労働省. 労働者の心の健康の保持増進のための指針. [インターネット]. 2015. 引用日: 2025-09-16. リンク
  18. 厚生労働省. メンタルヘルス対策(心の健康確保対策)に関する施策の概要. こころの耳. [インターネット]. 引用日: 2025-09-16. リンク
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