この記事の科学的根拠
この記事は、入力された研究報告書で明示的に引用されている最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源と、提示された医学的ガイダンスとの直接的な関連性を示したリストです。
- 日本産科婦人科学会(JAOG): この記事における子宮内膜症の治療方針、手術の適応、薬物療法の役割に関する指針は、JAOGが公表したガイドラインに基づいています4。
- 厚生労働省(MHLW)およびこども家庭庁: 2022年4月から開始された不妊治療の保険適用に関する条件、費用、先進医療との組み合わせについての記述は、MHLWおよびこども家庭庁が公開している公式情報に基づいています192021。
- 欧州ヒト生殖医学会(ESHRE): 子宮内膜症の診断や治療に関する国際的な視点、特に体外受精(IVF)前の薬物療法の有効性に関する最新の見解は、ESHREの2022年改訂ガイドラインを参考にしています5。
- コクラン・レビュー(Cochrane Review): 腹腔鏡下手術が子宮内膜症関連の不妊症に対して有効であるというエビデンスは、信頼性の高いコクラン・レビューのシステマティック・レビューに基づいています11。
- 国際的な医学論文(PubMed等): 子宮内膜症が妊娠に与える影響、特に妊娠高血圧症候群や前置胎盤などのリスク増加に関する知見は、査読済みの国際的な医学論文データベースで公開された複数のシステマティック・レビューやメタアナリシスに基づいています122425。
要点まとめ
- 子宮内膜症は生殖年齢の女性の約30~50%で不妊の原因となり、自然妊娠の確率は健康な女性に比べて低下します36。
- 治療の主な目的は「痛みの軽減」「不妊症例における妊孕性の改善」「合併症の予防」であり、日本産科婦人科学会(JAOG)のガイドラインが治療選択の基準となります4。
- 2022年4月から、体外受精(IVF)などの高度生殖補助医療(ART)を含む不妊治療が公的医療保険の適用対象となり、経済的負担が大幅に軽減されました17。
- 治療法には、自然妊娠を目指す「手術療法」と、高度な技術で妊娠を補助する「生殖補助医療(ART)」があり、年齢や卵巣の状態、痛みの程度によって最適な方法が選択されます4。
- 子宮内膜症を持つ女性が妊娠した場合、前置胎盤や早産などのリスクが統計的にわずかに上昇する可能性があり、慎重な周産期管理が推奨されます2425。
子宮内膜症とは?まず知っておきたい基本
子宮内膜症は、本来であれば子宮の内側を覆っている「子宮内膜」に似た組織が、子宮以外の場所(例えば、卵巣、腹膜、腸など)で発生し、増殖してしまうエストロゲン依存性の慢性炎症性疾患です1。この病気は、生殖年齢の女性が経験する骨盤内の痛みや不妊の主要な原因の一つとされています。
主な症状としては、日常生活に支障をきたすほどの激しい月経痛(月経困難症)、月経期以外にも続く骨盤痛、性交時痛、排便・排尿時痛などが挙げられます3。日本産科婦人科学会(JAOG)は、この疾患の治療目標を「痛みの軽減」「不妊症例における妊孕性の改善」、そして卵巣にできた子宮内膜症性の嚢胞(のうほう)、通称「チョコレート嚢胞」の破裂や感染、がん化といった合併症の予防という3つの柱で定義しています4。
この病気の最も大きな課題の一つは、診断までに長い年月を要する場合があることです。症状が一般的な婦人科系の不調や「普通の月経痛」として軽視されがちなため、欧州ヒト生殖医学会(ESHRE)のガイドラインでも、特に若年層における診断の遅れが指摘されています5。この遅れは、病状を無治療のまま進行させ、炎症や癒着(組織がくっついてしまうこと)を悪化させ、将来の妊孕性に対してより深刻な影響を及ぼす可能性があります。したがって、「ひどい月経痛は我慢するものではなく、将来の妊娠する力を守るために早期に専門医へ相談すべき医学的なサインである」という認識を広めることが極めて重要です。
なぜ妊娠しにくくなるの?子宮内膜症が不妊につながる3つの理由
子宮内膜症が妊孕性を低下させる仕組みは非常に複雑で、機械的な問題と生化学的な問題の両方が関与しています。これを分かりやすく例えるならば、「配管の問題」と「水質の問題」が同時に起きているような状態です。
1. 機械的要因(配管の問題):卵管の通過障害と癒着
最も広く知られているメカニズムは、骨盤内での癒着、つまり瘢痕(はんこん)組織の形成です。子宮内膜症による慢性的な炎症は、臓器同士をくっつけてしまう癒着を引き起こします。この癒着が卵巣や卵管の周囲で起こると、正常な解剖学的位置関係が歪められてしまいます。その結果、排卵された卵子を卵管がうまくキャッチできない「ピックアップ障害」が起きたり、卵管そのものが閉塞して卵子と精子が出会えなくなったりします6。これは、物理的な障害物によって妊娠が妨げられる「配管の詰まり」に例えることができます。
2. 卵巣予備能の低下:卵子の数と質の悪化
子宮内膜症、特に卵巣に発生するチョコレート嚢胞は、卵子の数や質(卵巣予備能)を直接低下させる可能性があります4。さらに、この嚢胞を摘出する手術は、多くの場合必要不可欠ですが、その際に周囲の正常な卵巣組織にも少なからず損傷を与えてしまい、結果として卵巣予備能をさらに低下させてしまうというジレンマが存在します4。
3. 生化学的要因(水質の問題):骨盤内の炎症環境
より深刻で、しばしば見過ごされがちなのが生化学的な影響です。子宮内膜症は骨盤内に慢性的な炎症環境を作り出します。この環境下では、炎症を引き起こす様々な化学物質(炎症性サイトカイン)や活性酸素が放出され、これらが卵子、精子、そして受精卵(胚)に対して毒性を持つことがあります1。この状態は「プロゲステロン抵抗性」や「酸化ストレス」とも表現され、受精の過程を妨げたり、受精卵が着床する子宮内膜の環境を悪化させたりする可能性があります1。これは、物理的な通過障害だけでなく、受精や着床が行われる場の「水質」そのものが悪化している状態と言えます。この点を理解することは、なぜ手術で癒着を解消しても妊娠に至らないケースがあるのか、そしてなぜ体外受精(IVF)のような治療が必要になるのかを把握する上で非常に重要です。
統計で見る影響:妊娠率の現実
具体的な数値を知ることは、現状を客観的に理解する助けとなります。
- 子宮内膜症を持つ女性の約30%から50%が不妊症であると報告されています3。
- 健康な女性の1ヶ月あたりの自然妊娠率は約15~20%ですが、子宮内膜症の女性ではこの数値が2~10%にまで低下すると言われています6。
これらの数字は厳しい現実に思えるかもしれません。しかし、これを「最終宣告」と捉えるのではなく、「適切な治療介入によって改善可能な初期値」と理解することが重要です。これらの統計は、積極的に治療を検討する強い動機となり、次にご紹介する手術療法や生殖補助医療が、いかにしてこの低い確率を乗り越えるための有効な手段となり得るかを示しています。
【JAOGガイドライン準拠】妊娠を目指すための治療選択フローチャート
子宮内膜症に伴う不妊症の治療は、非常に個別性が高く、複雑な意思決定を伴います。ここでは、日本の臨床現場における標準的な考え方の指針となる、日本産科婦人科学会(JAOG)の公式ガイドラインに基づいた治療選択のプロセスを解説します4。このフローチャートを理解することは、ご自身の状況を客観的に把握し、医師との対話を深める上で大きな助けとなります。
JAOGのガイドラインによれば、治療方針を決定する上で考慮される主な要因は以下の通りです4。
- 患者の年齢: 年齢は卵巣予備能と妊娠成績に直接影響する最も重要な因子です。
- 妊娠希望の有無: すぐに妊娠を望むか、将来的に望むかによってアプローチが異なります。
- チョコレート嚢胞の有無と大きさ: 嚢胞のサイズは手術を検討する際の重要な指標となります。
- 痛みの重症度: 嚢胞が小さくても、強い痛みが不妊治療の妨げになる場合は手術が考慮されます。
これらの要素を基に、JAOGのフローチャートは、どのタイミングで手術を優先し、どのタイミングで生殖補助医療(ART)を検討すべきかという明確な論理を示しています。これにより、患者さんは自身の治療の道のりを具体的にイメージすることができます。
手術療法:自然妊娠を目指す道
腹腔鏡下手術は、子宮内膜症による不妊治療の根幹をなす治療法の一つです。その目的は、病巣を取り除き、癒着を剥がし、骨盤内の解剖学的な構造を正常な状態に回復させることにあります。
高い有効性
手術療法の最も希望に満ちた側面の一つは、その高い有効性です。ある報告では、腹腔鏡下にチョコレート嚢胞を摘出した患者の約70%が術後に自然妊娠に至ったとされています7。これは非常に心強い数字であり、手術を検討する大きな理由となります。国際的にも、信頼性の高いコクラン・レビューにおいて、腹腔鏡下手術が診断的腹腔鏡検査のみの場合と比較して妊娠率を改善させることが確認されています11。
JAOGが推奨する手術の適応
JAOGのガイドラインでは、具体的に以下のような場合に手術が推奨されます4。
- 妊娠を希望する女性で、チョコレート嚢胞が大きい場合(直径4~5cm以上)。これは、機械的な障害を取り除き、妊娠中の合併症リスクを低減するためです。
- 画像診断で卵管周囲の癒着が疑われ、自然妊娠を希望する場合。
- 強い疼痛症状が不妊治療の妨げになっている場合。
- 直近での妊娠を希望していないものの、将来の妊孕性を温存したい場合、手術を検討する嚢胞のサイズはより大きく、6cm以上が目安とされることもあります。
重要なトレードオフ:卵巣予備能への影響
70%という魅力的な数字の一方で、避けては通れない重要な事実があります。それは、手術、特に卵巣のチョコレート嚢胞を摘出する手術は、周囲の正常な卵巣組織にもある程度のダメージを与え、卵巣予備能(残存する卵子の数)を低下させる可能性があるという点です4。これは子宮内膜症手術における中心的なジレンマです。手術を受けるか否かの決定は、単なる「はい」か「いいえ」ではなく、「自然妊娠のチャンスを得るために解剖学的構造を回復させる利益」と「残された卵子が減ってしまう危険性」を天秤にかける、慎重な判断が求められます。このバランスの考慮は、特に年齢が高い患者さんや、もともと卵巣予備能が低い患者さんにとって極めて重要になります。
体外受精(ART):高度生殖医療という選択肢
手術が適応とならない、あるいは手術後も妊娠に至らない場合、または特定の条件を持つ患者さんに対しては、生殖補助医療(ART)、主に体外受精(IVF)や顕微授精(ICSI)が妊娠への主要なルートとなります。
ARTの適応
一般的に、以下のような場合にARTが推奨されます3。
- 年齢が35歳または36歳以上の女性。
- 他の不妊因子(例:男性因子)を合併している場合。
- タイミング法や人工授精(AIH)といった、より侵襲度の低い治療で結果が出なかった場合。
- JAOGのガイドラインにおいて、手術の積極的な適応がないと判断された場合。
子宮内膜症がIVFに与える影響
「IVFさえ行えば、子宮内膜症による不妊の問題はすべて解決する」という考えは、一般的な誤解です。現実はより複雑です。IVFは卵管の閉塞やピックアップ障害といった機械的な問題を効果的に乗り越えることができます。しかし、病気によって引き起こされる卵子の質の低下や骨盤内の炎症環境といった根本的な問題を完全に解決するわけではありません1。これが、子宮内膜症を持つ女性の一部で、他の不妊原因の女性に比べてIVFの成功率が低くなる可能性がある理由であり、病気自体の管理が依然として重要であることの根拠です。ただし、子宮内膜症がIVFの成績に与える影響については、学術的にも議論が分かれており、成功率の低下を示唆する研究もあれば、手術による卵巣予備能への影響を考慮すると、病気自体の影響は軽微であるとする研究もあります8。
重要な論点:手術が先か?IVFが先か?
これは臨床現場における最も複雑な問いの一つであり、国際的なエビデンスも一貫していません。専門性の高い記事として、単純化された答えを提示するのではなく、問題の複雑性を透明性をもって解説することが重要です。
- 手術先行を支持するエビデンス: 深部浸潤型子宮内膜症(DIE)という重症なタイプに焦点を当てたあるメタアナリシスでは、IVFの前に手術を行うことで、妊娠率と生児獲得率が有意に向上したと報告されています13。これは、特定の重症例においては、解剖学的な構造を回復させることが明確な利益をもたらす可能性を示唆しています。
- 手術先行を支持しない、あるいは否定的なエビデンス: 一方で、別のメタアナリシスでは、手術先行群と非手術群との間で生児獲得率に統計的な有意差は見られず、バイアスの大きい研究を除外すると、むしろ手術後に率が低下する可能性さえ示唆されました14。また、手術による卵巣予備能へのダメージを統計的に調整すると、子宮内膜症自体がIVFの成績に与える影響はごくわずかであると結論付けた研究もあります8。
- ESHREガイドラインの変更: 注目すべき点として、2022年のESHREガイドラインでは、ARTの数ヶ月前からGnRHアゴニストという薬剤を使用する「ウルトラロング法」が、生児獲得率の改善効果が不明確であるとして、もはや推奨されなくなりました5。
最善のアプローチは、この相反する状況を認識することです。万人に当てはまる唯一の正解はありません。最適な決定は、子宮内膜症のタイプ(深部浸潤型か卵巣嚢胞か)、執刀医の技術、患者の年齢と卵巣予備能、そして疼痛症状の有無といった多くの個人的な要因に依存します。この記事が目指すのは、患者さんが「これらの相反するデータを踏まえた上で、私の特定の状況に対して、先生がこの治療方針を推奨する理由は何ですか?」と主治医に問いかけるための知識を身につけていただくことです。
薬物療法の戦略的な役割
妊娠を目指す過程におけるホルモン剤などの薬物療法の役割は、しばしば混乱を招きます。その目的を明確に理解することが重要です。
GnRHアゴニスト(例:スプレキュア)、ディナゲストといったホルモン療法は、排卵や月経周期を抑制することによって作用します4。この作用機序のため、これらは妊孕性を高めるための治療ではありません。むしろ、一時的に妊娠を不可能にすることで効果を発揮します。
では、その役割とは何でしょうか?これらの薬の戦略的な価値は、病気の進行を「一時停止」させることにあります。主な使用目的は以下の通りです。
これらの薬は、直ちに妊娠を促すものではなく、将来的に(自然妊娠またはARTによって)妊娠するためのより良い体内環境を整えるために病状を管理するものである、という点を明確にすることが、患者さんの誤解を避ける上で極めて重要です。
【2022年4月〜】不妊治療の保険適用、あなたの場合はどうなる?
2022年4月、日本の医療制度において画期的な改革が行われました。人工授精(AIH)のような一般的な不妊治療から、体外受精(IVF)や顕微授精(ICSI)といった高度生殖補助医療(ART)までが、公的医療保険の適用対象となったのです17。それ以前は、ARTの大部分は自費診療であり、助成金制度によって一部が支援される形でしたが18、この改革により、原則として医療機関の窓口での自己負担額が総医療費の3割に軽減されました18。
この変更は単なる費用の問題ではありません。不妊治療が国の医療制度の中に正式に位置づけられたことで、治療へのアクセスが向上した一方で、保険適用を受けるための新たなルールや手続き(対象基準、治療計画など)が定められました。これは、日本の不妊治療が、比較的自由診療が中心だった市場から、標準化され管理された制度へと移行したことを意味します。
保険適用の条件:年齢と回数の上限
厚生労働省(MHLW)が定めるARTへの保険適用には、明確な条件があります。これらのルールを正しく理解することが、治療計画を立てる上での第一歩となります19。
- 年齢制限: 治療開始時点の女性の年齢が43歳未満であること。
- 回数制限(1子ごと):
- 治療開始時の年齢が40歳未満の場合:通算6回まで(胚移植の回数でカウント)。
- 治療開始時の年齢が40歳以上43歳未満の場合:通算3回まで(胚移植の回数でカウント)。
患者さんの不安を和らげるために重要な点を補足します。「1回の治療」は、採卵からの一連の流れではなく、「胚移植」の段階で1回と数えられます。したがって、採卵はしたものの、移植可能な胚が得られずにその周期が終わった場合、回数にはカウントされません3。また、無事に出産した場合、次の子どもを望む際には、この回数制限はリセットされ、再びゼロからカウントが始まります19。これらの細かなルールは、貴重な治療機会を「無駄にしてしまう」のではないかと心配する患者さんにとって、大きな安心材料となります。
保険診療の費用は?MHLW点数表で見る自己負担額
保険診療の費用を具体的に把握することは、現実的な資金計画に不可欠です。MHLWの制度では、各医療行為が「点数」(1点=10円)で定められており、患者さんはその合計点数の3割を負担します。さらに、月々の自己負担額が高額になった場合には、「高額療養費制度」を利用することで、所得に応じた上限額を超えた分が払い戻されるセーフティネットも存在します3。
以下は、主な不妊治療に関連する保険点数と、自己負担額(3割)の目安をまとめた表です。これにより、抽象的な制度が具体的な金額として見えてきます。
処置 | MHLW点数 | 患者自己負担額の目安 (3割) | 備考 |
---|---|---|---|
一般不妊治療管理料 | 250点 | 750円 | 3ヶ月に1回 |
人工授精(AIH) | 1,820点 | 5,460円 | |
採卵術(基本料) | 3,200点 | 9,600円 | 下記が個数に応じて加算 |
採卵術 加算(1個) | 2,400点 | 7,200円 | |
採卵術 加算(2~5個) | 3,600点 | 10,800円 | |
体外受精(IVF) | 4,200点 | 12,600円 | |
顕微授精(ICSI)(1個) | 4,800点 | 14,400円 | |
顕微授精(ICSI)(2~5個) | 6,800点 | 20,400円 | |
受精卵・胚培養(1個) | 4,500点 | 13,500円 | |
受精卵・胚培養(2~5個) | 6,000点 | 18,000円 | |
胚移植術(凍結融解胚) | 12,000点 | 36,000円 | |
胚凍結保存管理料(1個) | 5,000点 | 15,000円 |
先進医療と「混合診療」:保険適用外の選択肢
保険適用の治療と並行して、保険適用外の先進的な技術を自費で組み合わせる「先進医療」という仕組みがあります。この場合、患者さんは先進医療にかかる費用は全額自己負担し、それ以外の標準的な治療(採卵や胚移植など)については3割負担となります19。
「先進医療」として認められている技術には、タイムラプス撮像法による受精卵・胚培養、SEET法、ERA/EMMA/ALICE検査などがあります3。東京都など一部の地方自治体では、この先進医療にかかる費用に対しても独自の助成金制度を設けている場合があります3。すべての医療機関がこの先進医療を保険診療と組み合わせて提供できるわけではないため、これらの先進的な選択肢を希望する場合は、施設選びの際の重要な判断材料となります。
支援のネットワーク:自治体や企業からの援助
国の医療保険以外にも、経済的負担を軽減するための支援が存在します。
- 地方自治体: 多くの市区町村が、不妊治療や先進医療、さらには「プレコンゼミ」のような妊娠前の健康チェックや卵子凍結に対して、独自の助成金制度を設けています。お住まいの自治体のウェブサイトなどを確認することが重要です。
- 企業による支援: 企業の間でも、従業員の不妊治療を支援する動きが広がっています。柔軟な勤務体系の整備、特別休暇制度、経済的支援などがその例です。政府も「両立支援等助成金」を通じて、企業のこうした取り組みを後押ししています22。
これらの支援は自動的に受けられるものではありません。ご自身の自治体や勤務先(またはパートナーの勤務先)がどのような制度を提供しているか、積極的に情報収集を行うことが、賢明な資金計画の鍵となります。
妊娠後の注意点:知っておくべきリスク
「もし妊娠できたら、何か特別なリスクはあるのだろうか?」これは、妊娠を目指す方々が当然抱く疑問です。子宮内膜症を持つ女性の大多数は健康な妊娠・出産を経験しますが、いくつかの合併症のリスクが統計的にわずかに上昇することが、複数の国際的な研究で示されています。これを正しく知っておくことは、過度に恐れるためではなく、より慎重な周産期管理につなげ、母子の健康を守るために重要です。
大規模なシステマティック・レビューやメタアナリシスによると、子宮内膜症を持つ女性は、持たない女性に比べて以下のリスクが上昇する可能性が報告されています。
- 前置胎盤: 多くの研究で一貫して強い関連が示されている合併症です24。
- 早産: 予定日より早く生まれてしまうリスクが高まります25。
- 妊娠高血圧症候群/高血圧合併症: 妊娠中に血圧が高くなる疾患のリスクが上昇します2。
- 帝王切開: 帝王切開での分娩となる割合が高くなります1。
- その他、在胎不当過小児(お腹の中で赤ちゃんが十分に育たないこと)や、頻度は非常に低いものの死産や新生児死亡のリスクも指摘されています25。
これらのリスクのリストを見ると不安に感じるかもしれませんが、最も重要なことは、ほとんどの合併症においてリスクの絶対的な上昇幅は小さいということです24。ここでのメッセージは「恐怖を感じてください」ということでは決してなく、「リスクの可能性を認識し、ご自身の担当医もそれを認識している状態を確保してください」ということです。知識を持つことで、より注意深い妊娠管理を受けることが可能になり、それが結果的に安全な出産へとつながるのです。
よくある質問
チョコレート嚢胞があると診断されましたが、すぐに手術すべきですか?
必ずしもすぐに手術が必要なわけではありません。日本産科婦人科学会(JAOG)のガイドラインでは、妊娠を希望している場合、嚢胞の大きさが4~5cm以上であることが手術を検討する一つの目安とされています4。しかし、年齢、痛みの程度、卵巣の予備能など、個々の状況を総合的に判断する必要があります。嚢胞が小さくても痛みが強い場合や、自然妊娠を目指す上で癒着が疑われる場合も手術が考慮されます。逆に、すぐに妊娠を希望していない場合は、6cm程度まで経過を観察することもあります。最終的な方針は、専門医と十分に相談して決定することが重要です。
手術を受けると、卵子の数が減ってしまうというのは本当ですか?
はい、その可能性はあります。特に卵巣にあるチョコレート嚢胞を摘出する際には、嚢胞と正常な卵巣組織との境界が不明瞭なことがあり、手術操作によって正常な卵巣組織の一部が失われ、卵巣予備能(残っている卵子の数の目安)が低下する可能性があります4。そのため、手術の決定は、癒着を解消し自然妊娠の可能性を高めるという利益と、卵巣予備能が低下するかもしれないという不利益を慎重に比較検討した上で行われます。特に年齢が高い方や、もともと卵巣予備能が低い方では、手術をせずに体外受精(IVF)を優先することも選択肢となります。
不妊治療の保険適用は何回まで受けられますか?途中で40歳や43歳になったらどうなりますか?
保険適用の回数は、治療を開始した時点の年齢によって決まります。治療開始時に40歳未満であれば通算6回まで、40歳以上43歳未満であれば通算3回までです19。この「治療開始時」とは、一連の治療計画(採卵から胚移植まで)を立てた時点を指すのが一般的です。例えば、39歳で治療を開始した場合、途中で40歳の誕生日を迎えても、その一連の治療においては6回の制限が適用されます。ただし、制度の運用は医療機関によって解釈が異なる場合もあるため、詳細は通院中のクリニックにご確認ください。
薬物療法(ホルモン療法)で子宮内膜症を治療しながら、妊娠を目指すことはできますか?
いいえ、それはできません。ディナゲストやGnRHアゴニストといった子宮内膜症の治療に用いられるホルモン療法は、排卵を止めることで効果を発揮するため、治療中は妊娠することができません4。これらの薬物療法の目的は、痛みを和らげたり、手術後の再発を防いだりすることで、将来の妊娠に向けたより良い体内環境を整えることにあります。妊娠を希望する場合は、薬物療法を中止し、タイミング法、人工授精、または体外受精といった不妊治療に切り替える必要があります。
結論
子宮内膜症と不妊を巡る道のりは、多くの医学的、経済的、そして感情的な課題を伴う複雑なものです。しかし、本記事で解説したように、科学的根拠に基づいた診断と、個々の状況に合わせた戦略的な治療計画によって、妊娠・出産という目標を達成する道は決して閉ざされてはいません。
腹腔鏡下手術による解剖学的構造の回復、体外受精(IVF)をはじめとする生殖補助医療(ART)の進歩、そして2022年から始まった不妊治療への公的医療保険の適用は、希望の光を大きく広げました。重要なのは、ご自身の年齢、卵巣の予備能、症状の程度、そしてライフプランを総合的に考慮し、専門医と緊密に連携しながら、最適な治療法を選択していくことです。
情報が溢れる中で、不安や焦りを感じることもあるかもしれません。しかし、信頼できる情報源に基づいた正しい知識は、あなたを力づけ、最善の意思決定へと導く羅針盤となります。この記事が、あなたがご自身の身体と向き合い、希望を持って次の一歩を踏み出すための確かな助けとなることを、JAPANESEHEALTH.ORG編集部一同、心より願っています。
参考文献
- Zondervan KT, Becker CM, Missmer SA. Endometriosis. N Engl J Med. 2020 Mar 26;382(13):1244-1256. doi: 10.1056/NEJMra1810764. (Report source titled “The Impact of Endometriosis on Pregnancy – PMC”)
- Leone T, Tistoj M, Caserta D. The relationship between hypertensive disorders in pregnancy and endometriosis: a systematic review and meta-analysis. J Matern Fetal Neonatal Med. 2024 Jun 21:2374668. doi: 10.1080/14767058.2024.2374668.
- Nishitan Clinic. 【医師監修】子宮内膜症は不妊の原因になる?妊娠を望む場合の選択肢 [インターネット]. [2024年11月8日参照]. Available from: https://nishitan-art.jp/cmc/column/202411081400-2/
- 日本産科婦人科学会. (4)子宮内膜症への対応 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.jaog.or.jp/note/%EF%BC%884%EF%BC%89%E5%AD%90%E5%AE%AE%E5%86%85%E8%86%9C%E7%97%87%E3%81%B8%E3%81%AE%E5%AF%BE%E5%BF%9C/
- Horne AW, Missmer SA. Commentary on the new 2022 European Society of Human Reproduction and Embryology (ESHRE) endometriosis guideline. Fertil Steril. 2022 Dec;118(6):1063-1067. doi: 10.1016/j.fertnstert.2022.09.020.
- 産婦人科クリニックさくら. 子宮内膜症合併不妊の治療法〜 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.cl-sacra.com/archives/2721
- 東京国際大堀病院. チョコレート嚢胞 | 主な婦人科疾患 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://ohori-hosp.jp/division/gynecology/chocolate-cyst/
- O’Flynn L, Hynes AM, S-A S, et al. Endometriosis and IVF treatment outcomes: unpacking the process using a competing risk approach. Hum Reprod. 2023 Nov 2;38(11):2215-2223. doi: 10.1093/humrep/dead192.
- 岡山大学情報統括センター. 子宮内膜症と不妊 | 不妊不育とこころの相談室 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~funin/custom22.html
- 羽島市民病院. 婦人科【子宮内膜症・チョコレート嚢胞】 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.hashima-hp.jp/department/gynecology/popup_01.html
- Jacobson TZ, Duffy JM, Barlow D, Farquhar C, Koninckx PR, Olive D. Laparoscopic surgery for subfertility associated with endometriosis. Cochrane Database Syst Rev. 2010 Jan 20;(1):CD001398. doi: 10.1002/14651858.CD001398.pub2.
- Bafort C, Beebeejaun Y, Tomassetti C, Bosteels J, Duffy JMN. Laparoscopic surgery for endometriosis. Cochrane Database Syst Rev. 2020 Oct 26;10(10):CD011031. doi: 10.1002/14651858.CD011031.pub3.
- Bianchi PH, Pereira RM, Zanatta A, et al. Impact of Surgery for Deep Infiltrative Endometriosis before In Vitro Fertilization: A Systematic Review and Meta-Analysis. J Minim Invasive Gynecol. 2021 May;28(5):955-965.e2. doi: 10.1016/j.jmig.2021.02.008.
- Guan K, Zhao Z, Zou Y, Zhao X, Yan D. Impact of Endometriosis Surgery on In Vitro Fertilization/Intracytoplasmic Sperm Injection Outcomes: a Systematic Review and Meta-analysis. Reprod Sci. 2024 May;31(5):1373-1384. doi: 10.1007/s43032-023-01446-5.
- Consultant 360. ESHRE Issues 2022 Revision of Endometriosis Guideline [Internet]. 2022 [cited 2025 Jul 26]. Available from: https://www.consultant360.com/eshre-issues-2022-revision-endometriosis-guideline
- 日本生殖医学会. お知らせ – 不妊治療における保険適用 2022.4~ 関連&最新情報 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: http://www.jsrm.or.jp/announce/insurance.html
- トーチクリニック. 子宮内膜症の治療方法(薬物・手術療法)|症状や妊娠への影響なども解説 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.torch.clinic/contents/1901
- はらメディカルクリニック. 【不妊治療】2022年4月から保険適用に|適用条件やメリットについて解説 [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.haramedical.or.jp/column/staff/insurance_coverage.html
- こども家庭庁. 不妊治療が保険適用されています。 [インターネット]. [2023年4月1日参照]. Available from: https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/ff38becb-bbd1-41f3-a95e-3a22ddac09d8/d055f060/20230401_policies_boshihoken_01.pdf
- 厚生労働省. 不妊治療の保険適用について [インターネット]. [引用日: 2025年7月26日]. Available from: https://www.mhlw.go.jp/content/10808000/000929827.pdf
- こども家庭庁. 不妊治療に関する支援について [インターネット]. [2023年4月1日参照]. Available from: https://www.cfa.go.jp/assets/contents/node/basic_page/field_ref_resources/bef0ee9a-c14d-4203-b02b-051adf80f495/eb41dadb/20230401_policies_boshihoken_funin_03.pdf
- HQ. 不妊治療の福利厚生導入企業が急増中!メリットや取り組み事例・助成金・支援制度も紹介 [インターネット]. [2024年7月19日参照]. Available from: https://hq-hq.co.jp/articles/240719_057
- ヴァン. 企業の不妊治療への支援制度と助成金制度 [インターネット]. [2024年4月30日参照]. Available from: https://van.gr.jp/news/2024_0430/
- Exacoustos C, Lauriola I, Lazzeri L, De Felice G, Zupi E. A systematic review on endometriosis during pregnancy: diagnosis, misdiagnosis, complications and outcomes. Reprod Biomed Online. 2015 Dec;31(6):721-34. doi: 10.1016/j.rbmo.2015.08.017.
- Lalani S, Choudhry AJ, Firth B, et al. Endometriosis and adverse maternal, fetal and neonatal outcomes, a systematic review and meta-analysis. Hum Reprod. 2018 Oct 1;33(10):1854-1865. doi: 10.1093/humrep/dey281.
- Zullo F, Spagnolo E, Saccone G, et al. Endometriosis and Risk of Adverse Pregnancy Outcome: A Systematic Review and Meta-Analysis. Am J Obstet Gynecol. 2017 Aug;217(2):127-136.e6. doi: 10.1016/j.ajog.2017.02.015.