小児科消化器専門医による子どもの肛門裂傷（切れ痔）徹底ガイド：原因、治療、そして安心への道

第1章 肛門裂傷とは？「切れ痔」の正体に迫る

1.1. 裂肛の解剖学：単純な「裂け目」

肛門裂傷とは、肛門の出口付近の非常にデリケートな皮膚（肛門上皮、anoderm）にできる、線状の小さな裂け目や傷のことです⁵。これは、乾燥した唇が伸びたときにパックリと割れてしまう状態に似ています。非常に敏感な部分が、物理的な刺激によって裂けてしまうのです。裂け目ができる場所は、肛門の後方正中（背中側、時計の6時の方向）や前方正中（お腹側、時計の12時の方向）が最も一般的です¹。特に女児の乳児では、前方（12時方向）にできることが非常に多いと報告されています⁸。

1.2. 症状を見分ける：出血だけではないサイン

肛門裂傷の症状は、単に出血だけではありません。お子さんの行動や様子から、いくつかの重要なサインを読み取ることができます。

• 痛み：最大の特徴は、排便中および排便後しばらく続く鋭い痛みです⁷。まだ言葉で痛みを伝えられない乳児の場合、排便時に突然泣き出す、体を反らせる、顔を真っ赤にして力むといった行動で痛みを表現します¹²。
• 出血：特徴的な出血は、便の表面に筋状に付着したり、トイレットペーパーに付いたりする、少量の鮮やかな赤い血です¹。重要なのは、血液が新鮮で、便の中に混じっているのではなく、表面に付着している点です。これは、出血源が肛門の出口に近いことを示す重要な手がかりとなります¹⁴。
• 行動の変化：二次的な行動のサインにも注意が必要です。
  • 排便の我慢：お子さんがお尻をきゅっと締めたり、足を交差させたり、便意を感じるとそわそわして隠れようとしたりするなど、意図的に排便を避けようとする行動です¹⁵。
  • トイレ拒否：これまでトイレトレーニングが順調だった子が、突然トイレに座るのを嫌がったり、おもらしが増えたりすることがあります¹²。

1.3. 急性と慢性：診断の手がかりとなる「見張りいぼ」

肛門裂傷は、その経過によって急性と慢性に分けられます。

• 急性裂肛：できたばかりの浅い裂け目で、紙で切った傷のようなものです。適切なケアを行えば、数日から1週間程度で治癒することが多いです¹³。
• 慢性裂肛：裂け目が治癒しない、あるいは同じ場所で繰り返し裂ける状態が続くと、慢性化します。体は傷を治そうとして瘢痕組織を作ります。これにより、以下のような特徴が現れます。
  • 裂け目の外側の端に、皮膚の突起やたるみができることがあります。これを「見張りいぼ（sentinel pile）」と呼びます³。
  • 裂け目の内側に、肛門乳頭と呼ばれる部分が腫れてポリープ状になることもあります（肛門ポリープ）⁵。
  • 裂け目の底は深くなり、時には内肛門括約筋という筋肉が露出することもあります⁷。

保護者の方がお子さんのお尻に「いぼ」のようなものを見つけて、「いぼ痔（痔核）ではないか」と心配されることがよくありますが、乳幼児期にいぼ痔ができることは極めて稀です¹²。この「いぼ」の正体は、ほとんどの場合が「見張りいぼ」です。これは危険な腫瘍などではなく、硬い便との戦いによって繰り返しできた傷が治る過程で生じた「傷跡」や「皮膚のたるみ」と理解するのが適切です。つまり、「見張りいぼ」の存在は、この問題が一時的なものではなく、慢性的な便秘が背景にあることを示す重要な身体的サインなのです²¹。この「いぼ」自体を心配するのではなく、これを作った根本原因である「便を硬くさせないこと」に焦点を当てることが、問題解決への第一歩となります。

第2章 悪循環のメカニズム：なぜ裂肛は起こり、長引くのか

2.1. 最大の原因：便秘と硬い便

子どもの肛門裂傷の根本的な原因は、ほぼ例外なく、大きくて硬い便が肛門を通過する際に、デリケートな肛門上皮を過度に引き伸ばし、引き裂いてしまうことです¹。
子どもの便秘を引き起こす一般的なきっかけには、以下のようなものがあります。

• 食事の変化：母乳やミルクから離乳食へ移行する時期は、食事中の水分量が減少し、食物繊維が不足しがちになるため、便が硬くなる典型的な時期です¹⁵。
• トイレトレーニング：トイレで排便しなければならないというプレッシャー、トイレ自体への恐怖、あるいは一度でも痛い経験をすると、子どもは排便を我慢するようになります¹⁵。
• 生活環境の変化：入園や入学、引っ越し、旅行など、生活リズムの変化は、確立された排便習慣を乱す原因となります⁸。
• 水分・食物繊維の不足：水分摂取量が少なかったり、食物繊維の少ない加工食品中心の食生活は、直接的に硬い便につながります⁵。

2.2. 「痛み→恐怖→我慢」のループ：心と体の罠

保護者の皆様が最も理解すべき重要な概念が、この「悪循環」です。

1. 痛みを伴う排便：硬い便が肛門を通過し、痛みを伴う裂け目を作ります¹。
2. 恐怖の学習：子どもの脳は、「排便＝痛み」という強力な結びつきを学習します¹⁵。
3. 便の我慢：予測される痛みを避けるため、子どもは無意識的あるいは意識的にお尻の筋肉を固くし、便意を我慢します¹⁶。
4. 便秘の悪化：我慢されて直腸内に留まった便からは、さらに水分が吸収され、便はますます大きく、硬く、乾燥していきます¹⁶。
5. 悪循環の強化：次の排便はさらに痛みを伴うものとなり、恐怖心を強め、我慢する行動を強化します。これが、多くの文献で指摘されている「悪循環」の正体です¹⁶。

ここで注意すべきは、子どもが毎日排便していても、機能的には便秘である可能性があるという点です。多くの保護者は「便秘＝排便回数が少ないこと」と考えがちですが、問題は回数だけではありません。排便の最初の部分だけが非常に硬い「出残り便」の存在が、裂肛の隠れた原因となっていることがよくあります¹²。前日の排便が完全でなかったために直腸に残った便が、一晩かけて水分を失い、翌日の排便時に硬い「栓」となって出口を傷つけるのです。その硬い便が出た後には、軟らかい便が続くこともあります¹²。したがって、排便回数だけでなく、排便時の様子（痛み、力み）、便の硬さ（特に最初の一塊）、そして便を我慢するような行動がないか、全体像を観察することが極めて重要です。

第3章 保護者のためのツールキット：効果的な家庭でのケアと予防策

3.1. 治癒の土台作り：食事戦略

治療と予防の最大の目標は、便を常に「歯磨き粉」や「ソフトクリーム」のような柔らかさに保ち、楽に通過できるようにすることです。

• 水分補給：一日のうちでこまめに水分を摂ることの重要性を強調します。脱水は硬い便の直接的な原因です¹⁷。
• 食物繊維の力：食物繊維が便中に水分を保持し、かさを増す役割を説明します。具体的な食品の例を挙げて、食事に取り入れやすくします⁵。
• 控えたい食品：チーズなどの乳製品、白パン、白米、加工スナックなど、便を硬くしやすい食品や食物繊維の少ない食品を摂りすぎないように注意を促します¹⁷。
• 役立つ果物：プルーン、梨、リンゴなど、天然の緩下作用を持つソルビトールを含む果物が便通改善に役立つことがあります³⁰。

3.2. 健康的な排便習慣の促進

• 胃結腸反射の活用：食事をすると、胃に食べ物が入った刺激で大腸の動きが活発になる「胃結腸反射」という生理現象があります²⁴。
  • 決まった時間のトイレタイム：この反射を利用し、食後（特に朝食後）20〜30分後に、5〜10分程度トイレに座る習慣をつけましょう。焦らず、リラックスした時間にすることが大切です¹⁷。
• 正しい姿勢：小さなお子さんには足台が不可欠です。足が床や台にしっかりと着くことで、腹筋に力が入りやすくなり、骨盤底筋がリラックスして排便しやすくなります²⁶。
• プレッシャーは禁物：トイレはリラックスできるポジティブな場所であるべきです。排便できなくても決して叱らないでください¹²。

3.3. 不快感の緩和：清潔と局所ケア

• 優しく洗う：乾いたトイレットペーパーで強くこするのは避けましょう。ぬるま湯で洗い流すか、柔らかい濡れティッシュで優しく押さえるように拭き取ります¹³。
• 温かいお風呂（坐浴）：1日に2〜3回、特に排便後に10〜15分ほどぬるま湯に浸かることで、肛門括約筋の緊張がほぐれ、血行が促進され、治癒を助けます⁷。
• 保護軟膏：ワセリンなどのシンプルな保護軟膏を塗ることで、便の刺激から裂け目を守り、次の排便時の潤滑剤にもなります²³。

第4章 小児科医との連携：医学的治療

4.1. 医療機関を受診するタイミング

保護者の方が自信を持って判断できるよう、症状の緊急度に応じた受診の目安を提示します。これにより、不必要な不安を軽減し、適切なタイミングで行動できるようになります。

4.2. 診察室で何が行われるか

• 問診：医師は、排便の回数、便の硬さ、痛みや出血の様子、食事内容、トイレの習慣などについて詳しく質問します。
• 診察：通常、診断は肛門を優しく視診することで確定します。医師がお尻をそっと開いて裂け目を確認します¹。お子さんが痛がっている場合、裂け目がはっきりと確認できれば、痛みを伴う直腸診（指を肛門に入れる診察）は避けることが多いです¹。

4.3. 一般的な医学的治療：二つのアプローチ

医学的治療の目的は、単に傷を治すことだけではありません。最大の目標は、子どもに「痛くない排便」という成功体験を長期間にわたって提供し、学習された恐怖心を取り除くことです。このため、治療は長期的な視点で行われます。

• 外用薬（塗り薬）：痛みの悪循環を断ち切るために使用します。
  • 局所麻酔薬を含む軟膏は、排便時の痛みを和らげます²³。
  • 弱いステロイドを含む軟膏は、炎症を抑え、治癒を助けるために処方されることがあります³⁷。
  • 日本では、ボラザG軟膏などがよく使用されます²³。医師の指示に従い、適量を患部に優しく塗布します。
• 内服薬（緩下剤）：根本原因である便秘を解消し、常に柔らかい便を保つために使用します。
  • 浸透圧性緩下剤：子どもの便秘治療で第一選択となる薬です。腸管内に水分を引き込み、便を柔らかくします。
    • 酸化マグネシウム：日本では子どもに非常によく処方される薬です¹⁷。安全性が高く、効果も確実で、いわゆる「クセにならない」薬と考えられています¹⁷。腎機能に問題のないお子さんが医師の監督下で通常量を服用する場合、高マグネシウム血症のリスクはほとんど心配ありません¹⁷。
    • ポリエチレングリコール（PEG）製剤：同様に効果的で安全な浸透圧性緩下剤です。

裂け目が治ったように見えても、医師が長期間（数ヶ月単位で）緩下剤の継続を指示するのは、この「自信の再構築」のためです。安定して痛みのない排便が続くことで、初めて「排便＝怖くない」という新しい学習が成立し、悪循環を完全に断ち切ることができるのです。

第5章 トイレトレーニングという挑戦：優しく、根気強いアプローチ

5.1. 達成よりも快適さを優先する

トイレトレーニングと肛門裂傷が重なった場合、守るべき黄金律があります。それは、プレッシャーをかけるトイレトレーニングを一時中断することです²⁶。最優先事項は、裂け目を治し、痛みを取り除くことです。そもそも、無理な、あるいは時期尚早なトイレトレーニングは、裂肛の管理を複雑にするだけでなく、便秘と裂肛の悪循環を引き起こす最初の引き金になることさえあります。排泄の失敗を叱られた子どもは、罰を避けるために便意を我慢することを学びます¹²。この我慢が硬い便を生み、最初の裂け目を作るのです。お子さんの準備状況は、年齢や周りの子との比較ではなく、身体的・心理的な発達段階で判断することが、極めて重要な予防策となります。

5.2. 「排便恐怖症」を乗り越える

• 恐怖を認める：「前は痛かったから怖いよね。でも、お薬でうんちが柔らかくなったから、もう痛くないよ」といった言葉で、子どもの気持ちを代弁し、共感を示します。
• ポジティブな強化：結果ではなく、努力を褒めましょう。トイレに落ち着いて座れただけで、たくさん褒めてあげます²⁵。シール帳やトイレでだけ読める特別な絵本なども効果的です。
• 決して罰しない：失敗したり、トイレを嫌がったりしても、決して叱ったり、がっかりした態度を見せたりしないでください。これは恐怖を増大させるだけです¹²。
• トイレを楽しい場所に：トイレに好きなキャラクターのシールを貼ったり、歌を歌ったりして、トイレタイムをストレスの少ない、楽しい時間に変えていきましょう²⁶。

第6章 裂肛の向こう側：鑑別すべき重要な疾患

ほとんどの子どもの肛門裂傷は、これまで述べてきたような便秘を原因とする良性のものですが、ごく稀に他の疾患が隠れていることがあります。典型的な裂肛と、より詳しい検査が必要な非典型的な症状の違いを知っておくことは、保護者の安心につながります。

6.1. 裂肛と他の疾患との見分け方

• 肛門周囲膿瘍・乳児痔瘻：これは肛門腺の感染症で、肛門の横に赤く腫れた痛みを伴う「おでき」として現れ、膿を出すことがあります⁴。特に乳児期では、男の子に圧倒的に多いのが特徴です²⁰。
• いぼ痔（痔核）：前述の通り、子どもに真のいぼ痔ができることは非常に稀です²。保護者の方が「いぼ」と認識するもののほとんどは、慢性裂肛に伴う「見張りいぼ」です¹²。
• 児童虐待に関する注記：これは非常にデリケートな問題ですが、触れておく必要があります。極めて稀なケースですが、肛門部の損傷が重度であったり、通常の経過では説明がつかない場合、小児科医は子どもの安全を確保するため、あらゆる可能性を考慮するよう専門学会の指針で定められています⁴⁹。これは非難ではなく、子どもの命と健康を守るための包括的な医療ケアの一環です。

6.2. 炎症性腸疾患（IBD）を疑うとき

• クローン病について：クローン病は、口から肛門までの消化管のあらゆる場所に慢性的な炎症を起こす疾患です⁵⁰。
• 非典型的な裂肛：通常の裂肛と異なり、非常に大きい、深い、痛みが少ない、側方など非典型的な場所にある、あるいは標準的な便秘治療に全く反応しないといった特徴を持つ裂肛は、クローン病の最初のサインであることがあります⁵。
• 関連する危険信号：非典型的な裂肛に加えて、持続する下痢、体重増加不良や体重減少、原因不明の発熱、腹痛などの症状がみられる場合は、専門医による評価が必要です⁵²。

よくある質問

結論

子どもの肛門裂傷への対応を要約すると、以下のようになります。

• 肛門裂傷は一般的で、治療可能な疾患です。
• 根本原因はほぼ常に便秘であり、それが「痛みと我慢」の悪循環を生み出します。
• 治療戦略は二本柱です：局所の痛みを和らげること（清潔、軟膏）と、根本原因である便秘を解消すること（食事、水分、緩下剤）。
• 最も重要なのは、一貫性と忍耐です。目標は単に傷を治すだけでなく、お子さんが痛みのない排便への自信を取り戻すことです。

この知識を武器に、保護者の皆様はもはやお子さんの苦痛をただ見守るだけの存在ではありません。治癒への道のりにおける、積極的で情報を持ったパートナーです。小児科医と協力し、ここに示された優しく一貫した戦略を実践することで、必ずやお子さんを快適な毎日へと導くことができるでしょう。