妊娠期間中、ご自身の体と赤ちゃんの健康を第一に考える中で、運動に関する疑問や不安を抱くのは当然のことです。特に、安産に効果があると言われる「スクワット」については、多くの関心が寄せられています。
この記事では、そうした妊婦さんの疑問や不安にお応えするため、世界保健機関(WHO)や米国産科婦人科学会(ACOG)、そして日本の産科婦人科学会や臨床スポーツ医学会の最新ガイドラインに基づき、妊娠中のスクワットについて徹底的に解説します。
結論からお伝えすると、合併症のない健康な妊娠経過を送っている方であれば、産科主治医の許可のもと、正しい方法で行うスクワットは非常に安全で有益な運動です。
この記事を読めば、スクワットがもたらす本当の効果から、安全なやり方、妊娠時期ごとの注意点まで、すべてを理解することができます。安心してマタニティライフを送るための一助となれば幸いです。
この記事のポイント
- スクワットを始める前には、必ず産科主治医の許可を得ましょう。
- 最も重要なのは正しい呼吸法。息を止めず、「努力する時に息を吐く」ことで過度な腹圧を防ぎます。
- お腹の張りや痛みなど、少しでも異常を感じたらすぐに運動を中止し、必要であれば主治医に相談してください。
- 「スクワットが陣痛を誘発する」というジンクスに医学的根拠はありません。
妊娠中のスクワット、本当にやってもいいの?
かつては「妊娠中は安静に」と言われる時代もありましたが、現代の産科医療では、適度な運動が母体と胎児の双方に多くのメリットをもたらすことが常識となっています1。米国産科婦人科学会(ACOG)などの国際的な機関は、合併症のないほとんどの女性にとって、妊娠中の身体活動は安全かつ望ましいものであると明言しています1。その中でもスクワットは、特に「出産」という大仕事に向けて、身体を整える上で非常に効果的な運動です。
スクワットの主なメリット
- 分娩に必要な筋力を強化する: お尻(臀筋群)や太もも(大腿四頭筋、ハムストリングス)、体幹といった、出産時にいきむ力や体勢を維持するために不可欠な筋肉を効率よく鍛えることができます2。強化された下半身は、分娩時の持久力向上に直結します3。
- 股関節の柔軟性を高める: スクワットの動作は股関節まわりの柔軟性を高め、分娩時に赤ちゃんが通りやすくなるよう骨盤の出口(産道)を開く助けとなります4。
- 体力・持久力の向上と体重管理: 全身運動であるため、出産を乗り切るための体力を養い、妊娠中の適切な体重増加をサポートします5。
- 骨盤底筋群のトレーニング: 正しいフォームで行うことで、産後の尿もれ予防にもつながる骨盤底筋群(こつばんていきんぐん)を機能的に鍛える効果も期待できます6。
ただし、これらのメリットを安全に享受するための大前提があります。それは、日本のガイドラインが特に重視している点でもありますが、必ず運動を始める前にかかりつけの産科主治医に相談し、運動の許可を得ることです7。ご自身の妊娠経過が運動に適した状態であるか、専門家による判断が不可欠です。
始める前に必ず確認!スクワットの安全チェックリスト
すべての妊婦さんがスクワットを行えるわけではありません。安全を最優先するために、以下のチェックリストでご自身の状態を確認してください。一つでも当てはまる場合は、自己判断で運動を始めず、必ず主治医に相談してください。このリストは、日本産科婦人科学会(JSOG)、日本臨床スポーツ医学会(JCSM)、そして米国産科婦人科学会(ACOG)のガイドラインに基づいています859。
運動を始める前に:絶対的禁忌事項 (主治医の許可が必須) | 運動中・運動後:直ちに中止し、主治医に相談すべき警告サイン |
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出典: 日本産科婦人科学会9, ACOG5, 日本臨床スポーツ医学会8 のガイドラインに基づき作成。
時期別ガイド:いつからいつまで?妊娠初期・中期・後期の注意点
妊娠のステージによって、身体の状態は大きく変化します。スクワットを行う際は、時期に応じた注意点を守ることが大切です。
妊娠初期(~15週頃)
この時期は、つわりで体調が不安定な方が多いことに加え、赤ちゃんの重要な器官が形成される大切な時期です。流産のリスクも相対的に高いため、日本の多くのガイドラインでは、新たに運動を始めるのは安定期とされる12~16週以降を推奨しています8。妊娠前から運動習慣があった方も、負荷を落とし、体調を最優先してください。
妊娠中期(16~31週頃)
安定期に入り、つわりも落ち着くこの時期は、スクワットを始めるのに最も適したタイミングです10。体調も安定し、お腹の大きさもまだ動きを妨げるほどではありません。この時期に正しいフォームを身につけ、無理のない範囲で継続しましょう。ただし、ACOGやJCSMの指針に従い、16週以降は仰向け(仰臥位)での運動は避ける必要があります811。これは増大した子宮が下大静脈を圧迫し、血圧低下を引き起こすリスクがあるためです。
妊娠後期(32週以降)
お腹が急激に大きくなり、体の重心が前に移動するため、バランスを崩しやすくなります12。転倒のリスクが高まるため、必ず椅子や壁などで体を支えながら行いましょう。また、しゃがむ深さを浅くしたり、回数を減らしたりと、負荷を調整することが重要です。特に32~36週頃は、お腹の張りを感じやすくなるため、より慎重に行いましょう13。
臨月(37週以降)
正期産に入り、いつお産が始まってもおかしくない時期です。主治医から許可が出ており、合併症がない場合に限り、出産に向けた最終的な体力維持と、股関節の柔軟性を保つためのごく軽い準備運動として、支えを使いながらスクワットを続けることは可能です10。ただし、少しでもお腹の張りや違和感があれば、すぐに中止してください。
【写真・イラストで解説】安全なマタニティスクワットの正しいやり方
安全にスクワットを行うためのステップと、最も重要なポイントを解説します。
Step 1: 準備
- 場所: 滑りにくい平らな床を選びましょう12。
- 支え: すぐに掴まれる、安定した椅子やテーブル、壁の近くで行います2。
- 服装: 動きやすく、体を締め付けない服装と、クッション性のある運動靴を着用しましょう14。
- 時間帯: 日本臨床スポーツ医学会のガイドラインでは、子宮収縮が比較的少ない午前10時~午後2時の間が推奨されています8。
Step 2: 基本のフォーム
- 足を肩幅か、それより少し広めに開きます。つま先は自然に少し外側に向けます2。
- 背筋をまっすぐ伸ばし、目線は正面に向けます15。
- 椅子や壁に手を添えて、体を安定させます。
- お尻を後ろに突き出すように、まるで椅子に座るようなイメージで、ゆっくりと腰を落としていきます2。
- 重要ポイント: 膝が常につま先と同じ方向を向くように意識し、膝がつま先より前に出すぎないように注意します2。
Step 3: 最も重要な「呼吸法」と「腹圧管理」
妊娠中のスクワットで最も注意すべきは、日本臨床スポーツ医学会が警告する「過度な腹圧」をかけないことです8。息を止めて力む(バルサルバ法)と、お腹や骨盤底に強い圧力がかかり、尿もれなどのリスクを高める可能性があります。これを防ぐための正しい呼吸法は以下の通りです。
- 息を吐きながら、ゆっくりと腰を落とす。
- 息を吸いながら、ゆっくりと元の姿勢に戻る。
この「努力する時に息を吐く」という原則を必ず守ってください。これにより息こらえを防ぎ、腹腔内圧の急激な上昇をコントロールできます。
Step 4: 回数と頻度
- 回数: まずは1セット5~10回から始めましょう。無理は禁物です10。
- 頻度: 体調の良い日に、週2~3回程度を目安に行いましょう8。ACOGの一般的な推奨は週に合計150分以上の中強度運動ですが1、日本のガイドラインでは1回60分以内が目安とされています8。
体力レベルに合わせたスクワットバリエーション
ご自身の体力や妊娠週数に合わせて、安全なバリエーションを選びましょう。
バリエーション名 | こんな方におすすめ | やり方のポイント |
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椅子スクワット | 初心者、バランスに不安がある方、妊娠後期の方 |
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ウォールスクワット | 体幹と太ももを安全に鍛えたい方 |
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ワイド(スモウ)スクワット | 股関節の柔軟性を高めたい方、内ももを鍛えたい方 |
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出典: 各種エクササイズガイド2に基づき作成。
ウソ?ホント?スクワットの陣痛促進ジンクスと医学的真実
「臨月にスクワットをすると陣痛が来る」という話を耳にしたことがあるかもしれません。多くの専門家が監修する情報源によると、これは医学的な根拠のないジンクスです4。スクワットそのものに、陣痛を誘発する直接的な作用はありません。
では、なぜこのようなジンクスが生まれたのでしょうか。それは、スクワットの姿勢が「分娩中」に有効だからと考えられます。分娩が進行している際にスクワットの体勢をとると、重力によって赤ちゃんの頭が下がりやすくなり、骨盤の出口も物理的に広がるため、お産の進行を助ける効果が期待できるのです4。一部では、上下運動が赤ちゃんの頭部で子宮口を刺激する可能性も指摘されますが16、これが分娩を開始させる主たる要因ではありません。
つまり、スクワットは「お産を始める」ためのものではなく、「始まったお産をスムーズに進める」ための準備運動と捉えるのが正しい理解です。
専門家が答える!妊娠中スクワットのQ&A
Q1: 運動中にお腹が張ったらどうすればいいですか?
Q2: ダンベルなどの重りを使ってもいいですか?
Q3: 運動後にはどんなことに気をつければいいですか?
結論
合併症のない健康な妊娠において、産科主治医の許可のもと、正しいフォームと呼吸法で行うスクワットは、安産に向けた体づくりに貢献する安全で効果的な運動です。特に、分娩に必要な筋力や持久力の向上、股関節の柔軟性アップなど、多くのメリットが期待できます。
最も重要なのは、ご自身の体調と向き合い、決して無理をしないことです。妊娠初期・中期・後期・臨月といった時期ごとの注意点を守り、「過度な腹圧をかけない」「痛みや張りを感じたらすぐに休む」という安全の原則を徹底してください。
この記事で提供した情報が、皆様の健康的で安心なマタニティライフの一助となり、自信を持って出産の日を迎えられることを、JHO編集部一同、心より願っております。
本記事は情報提供を目的としたものであり、専門的な医学的アドバイスに代わるものではありません。健康上の懸念がある場合や、ご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
参考文献
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- ラッキーインダストリーズ株式会社. 【イラストで解説!】妊娠中におすすめの運動とフィットネスについて 助産師監修 [インターネット]. 2023 [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://lucky-industries.jp/column/11706/
- 株式会社ベネッセコーポレーション. 【助産師監修】出産に必要な「3つの力」と「3つのセルフケア」 [インターネット]. ゼクシィBaby; [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://zexybaby.zexy.net/article/contents/0055/
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- 中井章人. 産婦人科部会 – 妊婦スポーツの安全管理基準 [インターネット]. 日本臨床スポーツ医学会; 2011 [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://www.rinspo.jp/files/proposal_11-1.pdf
- 日本臨床スポーツ医学会産婦人科部会. 妊婦スポーツの安全管理基準(2019). 2019.
- 日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会. 産婦人科診療ガイドライン―産科編2023. 2023. Available from: https://www.jsog.or.jp/activity/pdf/gl_sanka_2023.pdf
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- SOELU株式会社. 臨月マタニティスクワットの正しいやり方!陣痛待ちに効果はある? [インターネット]. SOELU MAGAZINE; 2023 [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://soelu.com/articles/?p=4432
- The Royal Australian and New Zealand College of Obstetricians and Gynaecologists. Exercise during pregnancy. 2020. Available from: https://www.health.gov.au/topics/physical-activity-and-exercise/pregnancy
- 株式会社Dr.トレーニング. 妊娠中に、スクワットを楽に行うコツ [インターネット]. 2024 [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://drtraining.jp/media/28003/
- 株式会社カラダのみらい. 動画【安産への】妊娠後期・臨月スクワット!助産師による正しい… [インターネット]. まなべび; [引用日: 2025年6月22日]. Available from: https://manababy.jp/lecture/view/120/