要点まとめ
- 小麦アレルギーは、免疫系が小麦タンパク質を誤認して起こるIgE抗体介在性の反応であり、乳児期のアレルゲン第3位ですが、多くは成長とともに改善します。
- 診断は、詳細な問診、血液検査、皮膚テストを参考に、食物経口負荷試験(OFC)によって確定され、「どのくらい食べられるか」を特定することが重要です。
- 現代の治療法は「必要最小限の除去」が原則です。医師の指導のもと、安全な範囲で食べることで、栄養改善、QOL向上、耐性獲得促進を目指します。
- 予防の鍵は「スキンケア」です。生後早期からの保湿ケアで皮膚のバリア機能を保つことが、アレルギー発症リスクを低減させます。
- アナフィラキシーの兆候を学び、エピペン®の正しい使用法を習熟し、保育園や学校と密に連携することが、子どもの安全を守る上で不可欠です。
第1部:小児小麦アレルギーの基礎的理解
このセクションでは、小麦アレルギーの科学的および統計的な背景を深く掘り下げ、それがどのような疾患であり、日本でどの程度発生しているのかについての正確な理解を構築します。
1.1. 免疫学的機序:子どもの体内で何が起きているのか?
小麦アレルギーは、免疫システムが小麦に含まれる特定のタンパク質を「有害な侵入者」と誤認することによって引き起こされる、IgE抗体が介在する即時型アレルギー反応です2。具体的には、以下のプロセスで進行します。
- 感作(かんさ):初めて小麦タンパク質が体内(特に皮膚のバリア機能が低下した部位から)に侵入した際、免疫系がこれを異物と認識し、対抗するための武器として「小麦特異的IgE抗体」を産生します。
- 反応:再び小麦を摂取すると、体内に存在する小麦特異的IgE抗体が、マスト細胞や好塩基球といった免疫細胞の表面で小麦タンパク質と結合します。
- 症状発現:この結合が引き金となり、免疫細胞からヒスタミンなどの化学伝達物質が大量に放出されます。これらの物質が、じんましん、咳、腹痛といった様々なアレルギー症状を引き起こすのです。
アレルギー反応の主犯となる小麦タンパク質は、主に水に溶けにくい「グルテン」を構成するグリアジン(特にω-5グリアジン)とグルテニン、そして水に溶けやすいアルブミンやグロブリンです3。特にω-5グリアジンは、運動誘発性のアナフィラキシーなど、重篤なアレルギー反応に関与することが知られています。このことは、すべての子どもの小麦アレルギーが同じではないことを示唆しており、どのタンパク質に反応するかによって、リスクの評価や診断のアプローチが異なる場合があることを意味します。
1.2. 統計的概観:数字で見る日本の小児小麦アレルギー
日本における小児の小麦アレルギーの現状を正確に把握することは、保護者が客観的な視点を持つ上で不可欠です。消費者庁が実施した最新の全国実態調査(令和3年度)によると、年齢によって原因食物の順位は大きく変動します5。
- 0歳児:即時型食物アレルギーの三大原因食物は、第1位 鶏卵 (60.6%)、第2位 牛乳 (24.8%)、そして第3位 小麦 (10.8%) です。この時期、小麦は非常に重要なアレルゲンです。
- 1~2歳児:鶏卵、牛乳の順位は変わりませんが、木の実類が台頭し、小麦の順位は相対的に低下します。
- 自然経過:多くの食物アレルギーと同様に、小児期の小麦アレルギーは耐性を獲得しやすい(治りやすい)ことが知られています。研究によれば、3歳までに約5割、小学校入学までに8~9割が治ると報告されており6、別の調査では12歳までに3分の2が耐性を獲得するとされています2。
この年齢による原因食物の劇的な変化は、保護者にとって二つの重要な示唆を与えます。第一に、乳児期に小麦アレルギーと診断されても、成長とともに改善する可能性が統計的に高いという希望が持てることです。第二に、子どもの成長に伴い、アレルギー管理の焦点を変える必要があるということです。小麦への警戒が和らぐ一方で、木の実類など新たなアレルゲンへの注意が必要になるかもしれません。
表1:日本の小児における年齢階級別・主要食物アレルゲン順位
年齢階級 | 順位1 | 順位2 | 順位3 |
---|---|---|---|
0歳 | 鶏卵 (60.6%) | 牛乳 (24.8%) | 小麦 (10.8%) |
1~2歳 | 鶏卵 (36.3%) | 牛乳 (17.6%) | 木の実類 (15.4%) |
3~6歳 | 木の実類 (27.8%) | 牛乳 (16.0%) | 鶏卵 (14.7%) |
出典:消費者庁「令和3年度 食物アレルギーに関連する食品表示に関する調査研究事業報告書」のデータを基に作成5
1.3. 決定的な違い:小麦アレルギー、セリアック病、非セリアック・グルテン過敏症
「グルテン」という言葉が広く知られるようになり、これら3つの異なる疾患が混同されることが増えました。しかし、その原因、メカニズム、対処法は全く異なります。正確な診断と管理のため、これらの違いを明確に理解することが極めて重要です。
- 小麦アレルギー (Wheat Allergy):前述の通り、小麦タンパク質に対するIgE抗体を介した免疫反応です。摂取後数分から2時間以内に症状が現れる即時型が典型的です2。
- セリアック病 (Celiac Disease):小麦、大麦、ライ麦に含まれるグルテンが引き金となり、自己の免疫系(T細胞が介在)が小腸の粘膜を攻撃してしまう自己免疫疾患です7。これにより栄養吸収が阻害され、下痢や体重減少、成長障害などを引き起こします。
- 非セリアック・グルテン過敏症 (Non-Celiac Gluten Sensitivity, NCGS):セリアック病や小麦アレルギーの検査では陰性であるにもかかわらず、グルテンを摂取すると腹痛、倦怠感、頭痛などの不調が現れる状態です。そのメカニズムはまだ完全には解明されていません9。
特に重要な点として、セリアック病は日本人には極めて稀な疾患です。これは、セリアック病の発症に強く関わる遺伝子(HLA-DQ2/DQ8)を持つ人の割合が、欧米では約25~30%であるのに対し、日本では約0.3%と非常に少ないためです11。したがって、日本の子どもがグルテン関連の不調を訴える場合、その原因がセリアック病である可能性は非常に低いと言えます。
表2:グルテン関連疾患の比較
特徴 | 小麦アレルギー | セリアック病 | 非セリアック・グルテン過敏症 (NCGS) |
---|---|---|---|
免疫学的機序 | IgE抗体介在性アレルギー反応 | T細胞介在性自己免疫疾患 | 不明(免疫系の関与が示唆) |
原因物質 | 小麦タンパク質(グルテン以外も含む) | グルテン(小麦、大麦、ライ麦) | グルテン(および他の小麦成分の可能性) |
症状発現 | 即時型(数分~2時間) | 遅延型(数時間~数日、慢性的) | 遅延型(数時間~数日) |
主要な症状 | じんましん、呼吸困難、嘔吐、アナフィラキシー | 下痢、腹痛、体重減少、貧血、成長障害 | 腹部膨満、頭痛、倦怠感、関節痛 |
診断検査 | 血液検査(特異的IgE)、皮膚テスト、食物経口負荷試験 | 血液検査(自己抗体)、小腸生検 | 除外診断(他の疾患を否定した上で判断) |
日本での有病率 | 乳児期に比較的多い | 極めて稀8 | 不明 |
第2部:症状と診断:疑いから確信へ
このセクションでは、保護者がアレルギーを疑うべき症状を認識し、正確な診断を得るために医療機関をどのように受診すべきかを段階的に解説します。
2.1. 兆候を見抜く:症状のスペクトラム
小麦アレルギーの症状は多岐にわたり、複数の臓器に同時に現れることもあります。日本の調査では、皮膚症状が最も高い頻度(88.6%)で報告されています14。
- 皮膚症状:じんましん(膨疹)、血管性浮腫(まぶたや唇の腫れ)、皮膚の赤み(紅斑)、かゆみ、アトピー性皮膚炎の悪化。
- 呼吸器症状:くしゃみ、鼻水、鼻づまり、咳、ゼーゼー・ヒューヒューという喘鳴(ぜんめい)、息苦しさ。
- 消化器症状:吐き気、嘔吐、持続する腹痛、下痢。
- 口腔症状:唇、舌、口の中のかゆみや腫れ。これは花粉症に関連する口腔アレルギー症候群(OAS)の一部として現れることもあります15。
- 全身症状:ぐったりする、元気がない、意識がもうろうとする。
これらの症状は、通常、小麦を摂取してから数分から2時間以内に現れます。
2.2. アナフィラキシー:最も重篤な反応
アナフィラキシーは、複数の臓器に急激に現れる、生命を脅かす可能性のある重篤なアレルギー反応です14。「日本アナフィラキシーガイドライン2022」に基づき、保護者は以下の危険な兆候を絶対に見逃してはいけません16。
- ぐったりしている、意識がはっきりしない
- 持続する強い咳、声がかすれる
- ゼーゼー、ヒューヒューという呼吸が続く、息がしづらい
- 繰り返し吐き続ける、我慢できないほどの強い腹痛
- 顔色が悪い、唇が青白い、脈が弱い
これらの症状が一つでも見られた場合は、アナフィラキシーを疑い、ためらわずに救急車を要請し、アドレナリン自己注射薬(エピペン®)を注射する必要があります。日本の調査では、食物アレルギーによる受診者のうち10.9%がショック症状を呈したと報告されています14。
2.3. 特殊な病態:食物依存性運動誘発アナフィラキシー (WDEIA)
これは、診断が難しい特殊なタイプのアレルギーです。小麦を摂取しただけでは症状は出ず、その後数時間以内に運動を行うことで初めてアナフィラキシーが誘発されます17。この病態は学童期以降に多く見られ、原因アレルゲンとしてω-5グリアジンが強く関与していることが分かっています3。また、運動だけでなく、非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs、アスピリンなど)の服用やアルコール摂取、疲労、ストレスなども症状を誘発または増強する「増強因子(コファクター)」となり得ます18。この病態の存在は、食物アレルギーの診断において「何をいつ食べたか」だけでなく、「その前後で何をしていたか」という文脈がいかに重要であるかを示しています。例えば、給食でパンを食べた日は大丈夫でも、同じパンを食べた後に体育の授業があった日に発症する、といったケースです。アレルギーを疑う際に記録する「食物日誌」には、食事内容だけでなく、運動や服薬の状況も併せて記録することが、正確な診断への近道となります。
2.4. 診断への道のり:ステップ・バイ・ステップ・ガイド
小麦アレルギーの診断は、単一の検査だけで決まるものではなく、複数の情報を統合して専門医が慎重に判断します。
- 詳細な病歴聴取と食物日誌:最も重要な第一歩です。「いつ、何を、どれくらい食べたら、何分後に、どのような症状が、どれくらい続いたか」を詳細に記録した食物日誌は、診断の最大のてがかりとなります15。
- アレルギー検査(血液検査・皮膚プリックテスト):血中の小麦特異的IgE抗体の量を測定する「血液検査」や、アレルゲンエキスを皮膚に垂らして反応を見る「皮膚プリックテスト」があります。これらの検査は、アレルギーの原因物質に対する「感作」の有無を調べるものであり、陽性であっても必ずしもアレルギー症状が出るとは限りません19。検査値はあくまで目安であり、自己判断で食物除去を始めるのは危険です。最新の国際的なガイドラインによれば、小麦特異的IgE検査の診断精度は感度72%、特異度79%程度とされ、これだけでは確定診断には至りません4。
- 食物経口負荷試験(OFC):確定診断のゴールドスタンダード:アレルギーが疑われる食物を、専門医の管理下で、ごく少量から段階的に摂取し、症状の有無を確認する検査です19。これは、アレルギーの有無を確定する最も確実な方法です。現代の食物経口負荷試験の目的は、単に「アレルギーがあるか、ないか」を判定するだけではありません。より重要な目的は、「どのくらいの量を食べたら症状が出るのか(閾値:いきち)」を正確に特定することです。例えば、うどん一口で症状が出る子と、食パン一枚を食べなければ症状が出ない子とでは、その後の食事指導や生活管理が全く異なります。この試験によって得られる定量的情報は、後述する「必要最小限の除去」という現代の治療方針の根幹をなすものであり、子どもと家族のQOL(生活の質)を大きく向上させるための、非常に価値のある検査なのです。
第3部:管理と治療:現代的アプローチ
かつての「完全除去」一辺倒の考え方から、食物アレルギーの管理は、科学的根拠に基づいた、より柔軟で積極的なアプローチへと大きく転換しています。
3.1. 中核となる原則:「必要最小限の除去」
現代の食物アレルギー治療における最大の目標は、「食べられる範囲で、可能な限り食べること」です。これは、医師の指導のもと、食物経口負荷試験などで確認された安全な量(症状を誘発しない量)までは、積極的に原因食物を摂取するという考え方です6。このアプローチには、以下の重要な利点があります。
- 栄養状態の改善とQOLの向上:不必要な除去による栄養の偏りを防ぎ、食事の選択肢を広げます。
- 耐性獲得の促進:少量を食べ続けることで、体がその食物に慣れ、アレルギーが治る(耐性を獲得する)可能性を高めることが期待されます。
- 誤食時のリスク低減:日常的に少量摂取していると、万が一誤って多めに食べてしまった場合でも、重篤な症状に至るリスクが低くなる可能性があります。
この「必要最小限の除去」は、日本のアレルギー専門医の間で広く共有されている標準的な治療方針です。
3.2. 実践的な食事管理:日本の食卓のためのガイド
小麦は日本の食生活に深く根付いているため、除去には工夫が必要です。
- 明確に避けるべき食品:パン、うどん、そうめん、ラーメン、パスタ、マカロニ、麩(ふ)、餃子や春巻きの皮、天ぷらやとんかつの衣、パン粉、シチューやカレーのルウ、ケーキやクッキーなどの洋菓子、饅頭など22。
- 隠れた小麦に注意が必要な食品:加工肉(ハンバーグ、ソーセージのつなぎ)、各種ソース類、スナック菓子など22。
- 安全な代替食品:主食は米飯が基本です。その他、米粉、とうもろこし(コーンスターチ)、じゃがいも(片栗粉)、タピオカ、雑穀(きび、あわ、ひえ)などが利用できます25。
- 醤油と穀物酢の特例:日本の食卓に欠かせない醤油や酢は、原材料に小麦が使われていることが多く、保護者を悩ませる要因の一つです。しかし、伝統的な製法で長期間発酵・醸造される過程で、アレルギーの原因となる小麦タンパク質が分解され、アレルゲン性がほとんど消失することが分かっています23。そのため、ほとんどの小麦アレルギーの子どもは、市販の醤油や穀物酢を安全に摂取できます。これは食生活の質を大きく向上させる重要な知識ですが、最終的な判断は必ず主治医に相談の上で行ってください。
表3:日本の家庭向け・小麦の回避と代替ガイド
食品カテゴリー | 小麦を含む食品の例 | 安全な代替品の例 | 注意点 |
---|---|---|---|
主食・穀類 | パン、うどん、パスタ、シリアル | 米飯、米粉パン、十割そば、フォー、ビーフン、雑穀(きび、あわ、ひえ) | 米粉パンの中には、食感を良くするために小麦グルテンが添加されている製品があるので、原材料表示を必ず確認25。 |
粉類・つなぎ | 小麦粉、パン粉、天ぷら粉 | 米粉、片栗粉、コーンスターチ、タピオカ粉、米粉のパン粉 | 調理中に粉が飛散し、他の料理に混入しないよう注意が必要25。 |
調味料 | カレールウ、シチュールウ、一部のソース | 米粉やスパイスから作る自家製ルウ、小麦不使用のソース類 | 醤油、穀物酢は醸造過程でアレルゲンが分解されるため、多くの場合摂取可能。ただし、必ず主治医に確認23。 |
菓子・スナック | クッキー、ケーキ、饅頭、スナック菓子 | 米菓(せんべい、あられ)、果物、芋類、米粉やタピオカ粉を使った菓子 |
3.3. 日本の食品表示を理解する
加工食品の原材料表示を正しく読み解くことは、安全管理の基本です。日本の食品表示法では、小麦は特に発症数が多く重篤な症状を引き起こす可能性がある「特定原材料」8品目の一つに指定されており、微量でも含まれる場合は表示が義務付けられています28。
- 表示の確認:原材料名に「小麦」という表示があれば、その製品は避ける必要があります。「こむぎ」「コムギ」といった代替表記も同様です28。
- 添加物の表示:小麦由来の添加物も表示義務があります。例:「増粘剤(加工でんぷん:小麦由来)」28。
- 醤油の表示に関するパラドックス:ここで、保護者が直面する一つのジレンマがあります。法律では、原材料として小麦を使用した場合、最終製品に表示する義務があります29。一方で、前述の通り、醸造された醤油の多くは臨床的に安全です。つまり、ラベルには「小麦を含む」と書かれていても、実際にはアレルギー反応を起こさないケースがほとんどなのです27。この矛盾を理解し、ラベルの文字面だけにとらわれず、主治医の指導に基づいて判断することが極めて重要です。
3.4. 先進的治療:経口免疫療法 (OIT)
経口免疫療法は、原因食物を医療機関の厳密な管理下で、ごく微量から徐々に増量して摂取し続けることで、体を慣らして耐性を獲得させることを目指す積極的な治療法です。この治療法は、耐性獲得を促す可能性がある一方で、治療過程でアレルギー症状を誘発するリスクも伴います。欧州アレルギー臨床免疫学会(EAACI)のガイドラインでも、OITは食物アレルギー治療に豊富な経験を持つ専門施設でのみ、研究的に行われるべき治療法と位置づけられています30。日本の「食物アレルギー診療ガイドライン2021」においても、その位置づけや適応は慎重に検討されています21。OITを検討する場合は、治療の利益とリスクについて専門医と十分に話し合うことが不可欠です。
3.5. 緊急時の備え:アドレナリン自己注射薬(エピペン®)の役割
アナフィラキシーは、時に急速に進行し、命に関わります。アドレナリン自己注射薬(エピペン®)は、アナフィラキシーの進行を食い止め、救急隊の到着や医療機関への搬送までの時間を稼ぐための、唯一かつ最も重要な治療薬です。厚生労働省のガイドラインなどに基づき、以下の点を徹底する必要があります16。
- 処方と携帯:アナフィラキシーのリスクがあると医師に判断された子どもは、常にエピペン®を2本携帯します(1本目がうまく作動しなかったり、症状が改善しない場合のため)。
- 使用の判断:第2部2.2で挙げたアナフィラキシーの兆候が一つでも見られたら、ためらわずに使用します。「使うべきか迷ったら、使う」が原則です。
- 使用後の対応:エピペン®を注射した後も症状がぶり返すことがあるため、必ず救急車を要請し、医療機関を受診しなければなりません。
保護者、学校関係者など、子どもの周囲にいるすべての人が、エピペン®の保管場所と正しい使い方を習熟しておくことが、子どもの命を守る上で決定的に重要です。
第4部:予防と日常生活:積極的なケア
この最終セクションでは、アレルギーの発症を予防するための最新の知見と、日常生活における具体的な課題を乗り越えるための実践的な戦略に焦点を当てます。
4.1. 予防の最前線:スキンケアと「経皮感作」
近年のアレルギー研究における最も重要な発見の一つが、「食物アレルギーは皮膚から始まる」という概念です。これは「二重抗原曝露仮説」と呼ばれ、アレルギー予防の考え方を根底から変えました33。そのメカニズムは以下の通りです。
- 乳児期のアトピー性皮膚炎や湿疹によって、皮膚のバリア機能が破壊されます34。
- バリアが壊れた皮膚から、生活環境中に存在する微量な食物抗原(例:調理中の小麦粉の粉塵など)が体内に侵入します36。
- 皮膚から侵入した抗原に対し、免疫系はこれを「敵」とみなし、IgE抗体を産生します(経皮感作)。
- その後、その食物を口から摂取した際に、すでに準備されていた免疫システムが過剰に反応し、アレルギー症状が発症します。
この発見は、保護者にとって極めて強力で実践的な予防策を示唆しています。それは、「赤ちゃんの肌を常に健康でつるつるの状態に保つこと」が、食物アレルギーの一次予防において非常に重要であるということです15。具体的には、生後早期から、石鹸をよく泡立てて優しく洗浄し、洗浄後はすぐに保湿剤(ワセリンなど)をたっぷりと塗布して、皮膚のバリア機能を維持・強化することが強く推奨されます15。湿疹を単なる皮膚トラブルとしてではなく、アレルギーマーチの入り口と捉え、積極的に治療・ケアすることが、将来の食物アレルギー発症リスクを低減させる鍵となります。
4.2. 離乳食での小麦の開始:安全な進め方の手引き
かつてはアレルギーが心配な食品は離乳食の開始を遅らせるのが常識とされていましたが、近年の研究では、むしろ生後早期(5~6ヶ月頃)から少量ずつ開始する方が、アレルギー発症を予防できる可能性が示されています19。日本の小児科医が推奨する、安全な小麦の進め方は以下の通りです38。
- タイミング:離乳食を開始して1ヶ月ほど経ち、米がゆや野菜、豆腐などに慣れた頃(生後6ヶ月頃が目安)。
- 最初の食品:タンパク質濃度がパンよりも低い、よく加熱したうどんから始めます。
- 開始量:赤ちゃん用スプーンの先に少量(1/2杯程度)から開始します。
- ペース:毎日増やすのではなく、同じ量を4~5回試して症状が出ないことを確認してから、アレルギー症状がないことを確認しながら、スプーン1杯、2杯と、焦らずゆっくりと量を増やしていきます。
- 観察:新しい量を試した後は、数時間、子どもの様子(皮膚、機嫌、呼吸など)を注意深く観察します。
アトピー性皮膚炎があるなど、ハイリスクと考えられる場合は、必ず事前に医師に相談の上で進めてください。
4.3. 保育園・学校生活を乗り切る
集団生活の場である保育園や学校との連携は、子どもの安全を確保する上で不可欠です。厚生労働省の「保育所におけるアレルギー対応ガイドライン」には、そのための具体的な指針が示されています32。保護者が取るべき行動は以下の通りです。
- 「アレルギー疾患生活管理指導表」の提出:医師に子どもの診断内容、除去が必要な食品、緊急時の対応などを具体的に記入してもらい、園や学校に提出します。これは、医療機関と園・学校、そして家庭が正確な情報を共有するための最も重要な公的書類です。
- 関係者との密なコミュニケーション:担任の先生、栄養士、調理員など、関係者全員と面談し、給食の対応(完全除去か、代替食か)、おやつの内容、調理器具の管理、緊急時の役割分担などを具体的に確認します。
- 緊急時対応の確認:園や学校の緊急時マニュアルを確認し、エピペン®の保管場所や使用手順、救急連絡体制について共通の理解を形成しておきます。
- 家庭からの情報提供:子どもの体調が悪い日や、アレルギー症状が出やすい状況(季節の変わり目など)について、連絡帳などを通じてこまめに情報共有します。
よくある質問 (FAQ)
小麦アレルギーは治りますか?
血液検査でIgE抗体が高いと言われました。もう小麦は一切食べさせられませんか?
醤油や酢も、原材料に「小麦」と書いてあるので避けるべきですか?
アレルギー予防のために、離乳食で小麦を始めるのは遅らせた方が良いですか?
アナフィラキシーが起きたらどうすればいいですか?
結論
小児の小麦アレルギーは、多くの保護者にとって深刻な悩みですが、本稿で詳述したように、その理解と管理はここ数年で大きく進歩しました。重要なメッセージを要約します。小麦アレルギーは、乳児期に多いものの、成長とともに多くが改善する疾患です。正確な診断がすべての基本であり、血液検査の結果だけで一喜一憂せず、必ず専門医のもとで食物経口負荷試験を含めた総合的な評価を受けることが重要です。治療の主流は、恐怖に基づく「完全除去」から、科学的根拠に基づく「必要最小限の除去」へと移行しており、食べられる範囲を見極め、安全に食の楽しみを広げることが目標です。予防の鍵は「皮膚」にあり、生後早期からの徹底したスキンケアは、アレルギー発症のリスクを低減させる最も効果的な戦略の一つです。そして、緊急時の備えは、子どもの命綱です。アナフィラキシーの兆候を学び、エピペン®の使用法を習熟し、周囲と連携体制を築くことが不可欠です。不安は、未知であることから生まれます。正しい知識を身につけ、信頼できるアレルギー専門医とパートナーシップを築くことで、保護者の皆様は不安を自信に変え、情報に振り回されることなく、お子様のアレルギーと冷静かつ効果的に向き合っていくことができるはずです。
この記事で提供される情報は、一般的な知識の提供を目的としており、個別の医学的診断や治療に代わるものではありません。お子様の健康状態やアレルギーに関する具体的な問題については、必ず資格を持つアレルギー専門医または小児科医にご相談ください。自己判断での食事制限や治療の開始・中断は、お子様の健康に深刻な影響を及ぼす可能性があります。
専門医を探すために:
この記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスに代わるものではありません。健康上の問題や症状がある場合は、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
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- たまひよ. 【医師監修】赤ちゃんの100人に6~7人が発症する “食物アレルギー”って遺伝が原因なの?. 2023. 以下より入手可能: https://st.benesse.ne.jp/ikuji/content/?id=64510
- なかの皮フ科クリニック. 肌のバリア機能に関する乳児の食物アレルギーについて. 以下より入手可能: https://nakano-hifuka.com/allergy/
- 愛媛生協病院. 食物アレルギー児を持つお母さんの妊娠中・授乳中の食事について (改定第3版). 以下より入手可能: https://www.e-seikyo-hp.jp/medical/pediatrics/arerugi05.pdf
- 日本小児アレルギー学会. アレルギーガイドライン2021 ダイジェスト版 第6章 リスク因子と予防. 以下より入手可能: https://www.jspaci.jp/guide2021/jgfa2021_6.html
- 小児科オンラインジャーナル. アレルギーが心配な場合の小麦の食べ進め方. 2022. 以下より入手可能: https://journal.syounika.jp/2022/03/28/allergy_wheat/
- 一般社団法人日本アレルギー学会. 役員・代議員・委員会名簿. 以下より入手可能: https://www.jsaweb.jp/modules/about/index.php?content_id=135
- 一般社団法人日本小児アレルギー学会. 第3期 役員(理事・監事). 以下より入手可能: https://www.jspaci.jp/about/16th-director/