この記事の科学的根拠
この記事は、提供された研究報告書で明示的に引用されている最高品質の医学的証拠にのみ基づいています。以下は、参照された実際の情報源と、提示された医学的指導との直接的な関連性を示したリストです。
- 世界保健機関(WHO): この記事におけるデング熱の定義、症状、予防に関する基本的な指針は、WHOが発行したファクトシートとガイドラインに基づいています13。
- 日本の厚生労働省(MHLW): 重症型デング熱の警告サインや国内の診療指針に関する記述は、厚生労働省が公表した「デング熱診療マニュアル」に準拠しています4。
- 忽那賢志医師(大阪大学)らの研究: 2014年の東京での国内流行事例、特に再感染による重症化(ADE)の実例に関する分析は、医学誌「Emerging Infectious Diseases」に掲載された忽那医師らの論文に基づいています256。
- Halstead SB氏およびKatzelnick LC氏らの科学的総説: 抗体依存性増強(ADE)の免疫学的メカニズムに関する詳細な説明は、「Microbiology Spectrum」7や「Science」8といった権威ある学術誌の論文を根拠としています。
- 武田薬品工業株式会社: 最新の予防選択肢であるワクチン「QDENGA®」に関する有効性や海外での承認状況についての情報は、同社の公式発表に基づいています9。
要点まとめ
- デング熱は4つのウイルス型があり、生涯で最大4回感染する可能性があります。一度目の感染で得られる免疫は、異なる型のウイルスに対しては限定的です。
- 異なる型のウイルスに再感染すると、「抗体依存性増強(ADE)」という現象により、ウイルスが体内で増殖しやすくなり、重症化する危険性が高まります。
- 2014年には東京で70年ぶりとなる国内流行が発生し、日本もデング熱のリスクと無縁ではないことが証明されました。この流行では、再感染による重症例も報告されています。
- 予防の基本は蚊に刺されないことであり、最新の選択肢として武田薬品工業が開発したワクチン「QDENGA®」が存在しますが、日本国内での承認状況には注意が必要です。
- 高熱、激しい頭痛、発疹などの症状に加え、腹痛や持続的な嘔吐などの「警告サイン」が現れた場合は、直ちに医療機関を受診することが極めて重要です。
第1章:デング熱の基本知識 – 4つの血清型と一度きりの免疫
デング熱は、単一のウイルスによって引き起こされる病気ではありません。原因となるデングウイルスには、遺伝的に異なる4つの主要な血清型が存在します。これらはそれぞれ「DENV-1、DENV-2、DENV-3、DENV-4」と呼ばれています1011。人がいずれか一つの型のウイルスに感染すると、その型に対しては生涯持続する強力な免疫(同種免疫)を獲得します。しかし、他の3つの型のウイルスに対する免疫(交差免疫)は、数ヶ月から数年といった非常に短い期間しか持続しません12。
この免疫学的な特性が、デング熱の複雑さと危険性の根源です。理論上、人は生涯で最大4回、異なる血清型のデングウイルスに感染する可能性があるのです。そして、問題は一度目の感染が、二度目以降の感染に対して防御的に働くとは限らない点にあります。
第2章:再感染の科学 – なぜ2回目は重症化しやすいのか?
デング熱に再感染した場合、特に一度目と異なる血清型に感染した際に、症状が重症化しやすいことは多くの研究で示されています。その中心的なメカニズムが「抗体依存性増強(ADE)」です。
2.1. 核心メカニズム「抗体依存性増強(ADE)」とは
ADEは、一見すると逆説的に聞こえる免疫反応です。この現象を理解するために、「トロイの木馬」の物語を思い浮かべると良いでしょう。
- 最初の防衛線の形成: まず、人が初めてデングウイルス(例えばDENV-1)に感染すると、体はそれに対抗するための「抗体」を作り出します。この抗体はDENV-1に対しては非常に効果的で、再度のDENV-1感染を防ぎます。
- 不完全な認識: その後、その人が異なる型のウイルス(例えばDENV-2)に感染したとします。DENV-1に対して作られた古い抗体は、新しく侵入してきたDENV-2を認識し、それに結合します。しかし、この抗体はDENV-2を完全に無力化(中和)するには力が足りません。
- 「トロイの木馬」の侵入: ここで問題が発生します。通常、ウイルスを排除する役割を持つマクロファージなどの免疫細胞は、「抗体が付着したもの」を味方や処理すべき対象と認識し、積極的に取り込みます。この免疫細胞には「Fcγ受容体」という、抗体の特定の部分と結合する”手”のようなものがあります7。不完全に結合した「抗体-ウイルス複合体」は、このFcγ受容体を通じて、本来ウイルスが侵入しにくい免疫細胞の内部へ、まるで歓迎される客のように効率的に侵入してしまうのです。
- 体内での爆発的増殖: 免疫細胞の内部に侵入したウイルスは、そこで爆発的に増殖します。これにより、体内のウイルス量が著しく増加し、過剰な免疫反応(サイトカインストームなど)が引き起こされ、血管の透過性が亢進して血漿が漏れ出したり、出血傾向が生じたりします。これが重症型デング熱(デング出血熱やデングショック症候群)の病態です8。
つまり、一度目の感染で得られた抗体が、二度目の感染時にはウイルスの侵入を助ける「手引き役」となってしまい、結果的に病状を悪化させる。これがADEの恐ろしい本質です。
2.2. 重症型デング熱の警告サイン – いつ医療機関を受診すべきか
ADEによって重症化するリスクがあるため、特にデング熱の流行地域への渡航歴がある方や、過去に感染した可能性がある方は、症状の経過に細心の注意を払う必要があります。WHOや日本の厚生労働省は、重症化への移行期に現れる「警告サイン(Warning Signs)」を定めており、これらの兆候が見られた場合は直ちに医療機関を受診するよう強く推奨しています14。これらのサインは、多くの場合、高熱が下がり始める時期(解熱期)に現れるため、熱が下がったからと安心するのは危険です。
【警告】直ちに医療機関へ
以下の警告サインが一つでも見られた場合は、自己判断せず、速やかに医療機関を受診してください。
- 激しい腹痛または圧痛
- 持続的な嘔吐
- 体液の貯留(胸水、腹水など)
- 歯茎や鼻からの出血などの粘膜出血
- 嗜眠(しみん:眠気が強く、ぼんやりしている状態)や不穏(そわそわして落ち着かない)
- 肝臓の腫大(腹部の右上あたりに痛みや張りを感じる)
- 血液検査での急激な血小板数の減少とヘマトクリット値の上昇
第3章:日本におけるデング熱のリスク – 2014年代々木公園の事例から学ぶ
「デング熱は海外の病気」というイメージが強いかもしれませんが、日本国内にもリスクは存在します。そのことを痛感させたのが、2014年に発生した70年ぶりの国内流行でした。
3.1. 70年ぶりの国内流行:何が起こったのか?
2014年8月、東京の代々木公園を中心に、海外渡航歴のない人々がデング熱に感染する事例が相次いで報告されました。最終的に、この国内流行による感染者数は160人に上りました13。国立感染症研究所などの調査により、海外でデングウイルスに感染した人が帰国し、代々木公園を訪れた際に、公園に生息していたヒトスジシマカ(Aedes albopictus)に刺されたことが感染源と特定されました。そして、ウイルスを保有した蚊が公園を訪れた他の人々を次々と刺し、感染が拡大したのです2。この事例は、日本国内にデング熱を媒介する蚊(ベクター)が存在し、感染者が一人でも入国すれば国内流行が起こりうるという事実を明確に示しました。
3.2. 国内発生例に見るADE:再感染で重症化した患者の記録
この2014年の国内流行において、ADEが実際に日本で起こりうることを示す象徴的な症例が報告されました。大阪大学の忽那賢志教授らの論文によると、感染者の一人は、2006年にフィリピンでデング熱に罹患した既往がありました。その後、2014年に東京でDENV-1に感染した際、この患者は胸水(肺の周りに水がたまる状態)や著しい血小板減少を伴うデング出血熱(DHF)を発症し、重症化しました256。
この症例は、過去に海外で感染した人が日本国内で異なる型のウイルスに再感染した場合、ADEによって重症化しうるという具体的な証拠であり、海外渡航が盛んな現代日本の人々にとって、決して他人事ではないリスクであることを物語っています。
第4章:命を守るための予防戦略 – 個人と社会でできること
デング熱の再感染リスクを理解した上で、最も重要なのは確実な予防策を講じることです。予防は、蚊との接触を断つ基本的な対策と、新しい医学的選択肢の理解から成り立ちます。
4.1. 基本の徹底:蚊に刺されないための環境作りと個人防衛
最も効果的で基本的な予防策は、ウイルスを媒介する蚊、特にヒトスジシマカに刺されないようにすることです。WHOも以下の対策を推奨しています1。
- 服装の工夫: 流行地へ渡航する際や、日本国内でも蚊が多い場所(公園、墓地など)では、長袖・長ズボンを着用し、肌の露出をできるだけ少なくします。
- 忌避剤(虫除け剤)の使用: DEET(ディート)やイカリジンといった有効成分を含む忌避剤を、露出している皮膚や衣服に適切に使用します。
- 発生源の除去: ヒトスジシマカは、植木鉢の受け皿や古タイヤ、空き缶などにたまったわずかな水でも産卵し、増殖します。自宅や職場の周りにある水たまりを定期的に除去し、蚊の発生を防ぐことが地域社会全体の防御につながります14。
4.2. 最新の選択肢:武田薬品工業のデング熱ワクチン「QDENGA®」
近年、デング熱予防に新たな希望がもたらされました。それは、日本の大手製薬会社である武田薬品工業が開発した4価弱毒生ワクチン「QDENGA®(TAK-003)」です9。このワクチンは、デングウイルスの4つの血清型すべてに対応するよう設計されています。
大規模な臨床試験(TIDES試験)の結果、ワクチン接種後12ヶ月の時点で、デング熱の発症を80.2%、入院を要するような重症化を90.4%抑制する高い有効性が示されました15。この結果に基づき、QDENGA®は欧州連合(EU)やインドネシア、ブラジル、タイなどで承認されています。
4.3. 【重要】日本におけるQDENGA®の承認状況と接種に関する注意点
JAPANESEHEALTH.ORGとして、正確かつ透明性の高い情報提供を最優先します。2025年5月現在、ワクチン「QDENGA®」は、日本の医薬品医療機器総合機構(PMDA)によって国内での広範な使用が承認されているわけではありません16。
しかし、承認されている国、特に日本人が多く在住・渡航するタイなどでは、現地の医療機関で接種を受けることが可能です17。海外赴任者や長期滞在者、流行地への頻繁な渡航者にとっては、予防の一つの選択肢となり得ます。ワクチン接種を検討する場合は、必ず渡航先の医療事情に詳しい医師やトラベルクリニックに相談し、最新の情報を得た上で、その利益とリスクを十分に理解してから判断することが不可欠です。個人の感染歴や健康状態によっても推奨は異なるため、専門家との相談が極めて重要です。
よくある質問
デング熱には生涯で本当に4回かかる可能性があるのですか?
はい、理論上は可能です。デングウイルスには4つの異なる血清型(DENV-1, 2, 3, 4)があり、一つの型に感染して得られる終生免疫は、その型に対してのみ有効です。そのため、異なる型に順に感染することで、最大4回罹患する可能性があります12。
再感染の場合、症状はどのように異なりますか?
必ずしも全ての再感染が重症化するわけではありませんが、リスクは高まります。特に、ADE(抗体依存性増強)が起こると、高熱や頭痛といった典型的な症状に加え、激しい腹痛、持続する嘔吐、歯茎などからの出血、血漿漏出による胸水や腹水といった、より重篤なデング出血熱の症状が現れやすくなります4。熱が下がり始めた頃にこれらの「警告サイン」が現れることが多いため、特に注意が必要です。
日本でデング熱ワクチン「QDENGA®」を接種できますか?
2025年5月現在、QDENGA®は日本国内では一般的に使用するための承認は受けていません16。したがって、国内の一般的なクリニックや病院で接種することはできません。しかし、承認されているタイなどの国では、現地の医療機関を通じて接種が可能です。海外渡航を予定している方で接種を検討する場合は、渡航医学の専門家(トラベルクリニックの医師など)に相談することをお勧めします。
子供がデング熱に再感染した場合、特に危険ですか?
はい、子供、特に乳幼児はデング熱が重症化しやすい集団の一つと考えられています。ADEのメカニズムは成人と同じですが、子供は症状を正確に訴えることが難しいため、保護者が警告サイン(不機嫌、ぐったりしている、哺乳不良、嘔吐など)を注意深く観察し、早期に医療機関を受診させることが非常に重要です1。
結論
デング熱は、もはや遠い国の病気ではありません。2014年の国内流行が示すように、日本は常にそのリスクに晒されています。特に、一度デング熱に感染した経験がある方は、「抗体依存性増強(ADE)」というメカニズムにより、二度目の感染で重症化する危険性が高いという事実を深刻に受け止める必要があります。この科学的根拠を理解することは、自らの命を守るための第一歩です。
最も重要な対策は、日頃から蚊に刺されないための地道な努力を続けることです。そして、万が一、流行地への渡航後に高熱などの症状が出た場合、あるいは国内で生活していても警告サインが見られた場合には、決して自己判断せず、速やかに医療機関を受診し、渡航歴や既往歴を正確に医師に伝えることが、重症化を防ぐための鍵となります。最新の医学情報を正しく理解し、賢明な対策を講じることで、デング熱の脅威から身を守りましょう。
参考文献
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