要点まとめ
- 「赤ちゃんが歯からカルシウムを奪う」という説は科学的根拠のない誤解です。胎児に必要なカルシウムは、主に母親の食事や骨から供給されます2。
- 産後の歯のしみる主な原因は、ホルモンバランスの急激な変化による歯ぐきの炎症(妊娠性歯肉炎・歯周炎)、つわりによる口腔内の酸性化、育児によるセルフケア不足などが複合的に関わっています345。
- 妊娠中の重度の歯周病は、早産や低体重児出産のリスクを約2倍高めるという研究結果があり、口腔ケアは母体だけでなく赤ちゃんの健康にも極めて重要です67。
- 日本では、多くの自治体が公費で「妊産婦歯科健康診査」を実施しています。母子健康手帳(母子手帳)を活用し、妊娠中・産後に必ず歯科検診を受け、専門的なケアと指導を受けることが強く推奨されます89。
なぜ誤解が広まった?妊娠・出産とカルシウムに関する医学的真実
「赤ちゃんにカルシウムを取られて歯がボロボロに…」という話は、なぜこれほど広く信じられているのでしょうか。その背景には、妊娠・出産という大きなライフイベントと、カルシウムという栄養素への一般的なイメージが関係しています。確かに、胎児の骨や歯が形成されるためには、多くのカルシウムが必要不可欠です。しかし、その供給メカニズムは、多くの方が想像するものとは少し異なります。
胎児の成長に必要なカルシウムは、まず第一に母親が食事から摂取するカルシウムによって賄われます。そして、もし食事からの摂取が不足した場合には、母親の骨に蓄えられているカルシウムが動員されて、赤ちゃんへと供給されます2。ここで重要なのは、一度形成された大人の歯のカルシウム成分は非常に安定しており、血中のカルシウム濃度に応じて容易に溶け出したり、供給源になったりするものではないという点です。歯の構造は、人体で最も硬い組織であるエナメル質で覆われており、その内部に象牙質、歯髄(神経)があります。これらの組織のカルシウムは、骨のように新陳代謝を繰り返す「貯蔵庫」ではないのです。したがって、「赤ちゃんが母親の歯から直接カルシウムを奪う」という現象は、医学的には起こり得ません。
では、「歯からカルシウムが溶け出す」という現象は全くの嘘なのでしょうか。いいえ、そうではありません。この現象は「脱灰(だっかい)」と呼ばれ、実際に起こります。しかし、その原因は胎児への栄養供給ではなく、全く別のメカニズム、すなわち「酸」によるものです。虫歯菌が作り出す酸や、食べ物・飲み物に含まれる酸によって口腔内が酸性に傾くと、エナメル質からカルシウムやリンが溶け出します。これが、虫歯や知覚過敏の始まりとなるのです。この事実が、「カルシウムが奪われる」というイメージと結びつき、広く誤解を生む一因となったと考えられます。
産後に歯がしみやすくなる本当の理由:歯科専門家が指摘する主な医学的要因
それでは、カルシウム不足が直接の原因でないとすれば、なぜ産後に歯がしみたり、トラブルが増えたりするのでしょうか。歯科専門家は、単一の原因ではなく、妊娠から出産、そして育児期にかけて起こる複数の要因が複雑に絡み合っていると指摘しています。ここでは、その主な医学的要因を一つずつ詳しく見ていきましょう。
1. ホルモンバランスの劇的変化と歯ぐきの炎症・出血(妊娠性歯肉炎・歯周炎)
妊娠中および産後は、女性ホルモンであるエストロゲンとプロゲステロンの分泌量が劇的に変動します。これらのホルモンは、歯周組織(歯ぐき)に様々な影響を及ぼします43。特に、プロゲステロンが増加すると、炎症を引き起こすプロスタグランジンなどの物質が体内で作られやすくなります。また、特定の歯周病菌がこのホルモンを栄養源として増殖しやすくなることも知られています。さらに、ホルモンの影響で歯ぐきの毛細血管が拡張し、透過性が高まるため、少しの刺激でも腫れたり、出血しやすくなったりするのです3。
この結果、多くの妊婦さんが「妊娠性歯肉炎」を経験します。これは、歯ぐきの腫れ、発赤、歯磨き時の出血などを特徴とする症状で、世界的には60~75%もの妊婦さんが経験するという報告もあります10。この妊娠性歯肉炎が産後も続いたり、適切なケアが行われずに悪化したりすると、より深刻な「歯周炎(歯槽膿漏)」へと進行するリスクが高まります。歯周炎は、歯を支える骨(歯槽骨)を溶かしてしまう病気であり、進行すると歯ぐきが下がる「歯肉退縮」を引き起こします。歯ぐきが下がると、本来は保護されているはずの歯の根(歯根)の部分が露出してしまいます。歯根の表面はエナメル質よりも柔らかい象牙質でできており、外部からの刺激が神経に伝わりやすいため、これが知覚過敏の直接的な原因となるのです5。
2. 「つわり」による口腔内環境の酸性化とエナメル質の侵食(酸蝕)
妊娠初期のつわりも、歯の健康に大きな影響を与える要因です。つわりによる頻繁な嘔吐は、強酸性である胃酸を口腔内に逆流させます。この胃酸が歯に直接触れることで、歯の表面を覆う硬いエナメル質が化学的に溶かされてしまうのです。これを「酸蝕(さんしょく)」と呼びます3。また、嘔吐までいかなくとも、常に胃から酸っぱいものがこみ上げてくるような感覚があると、口腔内は常に酸性に傾きがちになります。唾液には酸を中和する「緩衝能」という働きがありますが、頻繁に酸にさらされると、その働きが追いつかなくなります4。酸蝕によってエナメル質が薄くなると、その下にある象牙質が露出し、外部からの刺激が象牙質内の無数の小さな管(象牙細管)を通って歯の神経に伝わりやすくなり、結果として歯がしみる症状(知覚過敏)を引き起こします。
さらに、つわりが重い時期には、歯ブラシを口に入れること自体が吐き気を誘発するため、歯磨きが困難になるという現実的な問題もあります。セルフケアが不十分になることで、プラーク(歯垢)が溜まりやすくなり、虫歯や歯肉炎のリスクをさらに高めてしまうのです11。
3. 食生活の変化(嗜好の変化・間食増)と虫歯(う蝕)リスクの上昇
妊娠中は、「酸っぱいものが食べたくなる」「無性に甘いものが欲しくなる」といった嗜好の変化を経験する方が少なくありません。また、一度にたくさん食べられないために食事を小分けにしたり、間食の回数が増えたりする傾向もあります5。このような食生活の変化は、口腔内環境に大きな影響を与えます。糖分を含む食べ物や飲み物を口にする回数が増えると、口腔内に糖分が滞留する時間が長くなり、それを栄養源とする虫歯の原因菌(ミュータンスレンサ球菌など)が活発に増殖し、酸を作り出します。これがエナメル質を溶かし、虫歯(う蝕)を発生させるのです。
加えて、妊娠期には唾液の分泌量が減少する傾向があることも指摘されています5。唾液には、食べかすを洗い流す「自浄作用」や、酸によって溶け出した歯の成分を修復する「再石灰化作用」といった重要な役割があります。唾液量が減ることでこれらの作用が弱まり、虫歯のリスクがさらに高まる可能性があります。
重要な注意点: 虫歯(う蝕)と早産や低体重児出産との関連性については、歯周病ほど強い科学的根拠は確立されていません1213。しかし、虫歯が進行して強い痛みや炎症を引き起こせば、母体のストレスとなり、間接的に影響を及ぼす可能性は否定できません。何よりも、お母さん自身のQOL(生活の質)を著しく低下させるため、早期の治療が不可欠です。
4. 産後の育児による多忙化とオーラルケアの優先度低下
無事に出産を終えた後も、お口のトラブルのリスクは続きます。出産後の生活は、新生児のお世話を中心に劇的に変化します。昼夜を問わない授乳やオムツ交換、寝かしつけなどで、お母さんは慢性的な睡眠不足と心身の疲労に陥りがちです。このような状況では、ご自身の食事や休息、身だしなみ、そして口腔ケアはどうしても後回しになってしまいがちです5。歯磨きの時間が短くなったり、デンタルフロスなどの補助清掃用具の使用を怠ったりすることで、プラークコントロールが悪化し、妊娠中から続いていた歯肉炎が悪化したり、新たな虫歯が発生したりするリスクが高まります。日本の母親たちが直面する、外部からのサポートが限られる中での育児の過酷さは、こうしたセルフケアの優先順位低下に直結する重要な社会的背景と言えるでしょう14。
5. その他の潜在的な要因:噛み合わせの問題、歯ぎしり・食いしばり、口呼吸など
上記以外にも、いくつかの潜在的な要因が知覚過敏に関与している可能性があります。妊娠中や産後の精神的ストレス、睡眠パターンの乱れは、無意識のうちに行われる歯ぎしり(ブラキシズム)や、日中の食いしばり癖(TCH: Tooth Contacting Habit)を誘発または悪化させることがあります15。これらの癖は、歯に過剰な力を加え、エナメル質に微小なひび割れ(マイクロクラック)を生じさせたり、歯の根元を楔状に削ってしまったり(楔状欠損)することで、知覚過敏の原因となります。また、妊娠中の体重増加やホルモンの影響で一時的に噛み合わせが変化したり3、鼻づまりなどによる口呼吸が習慣化して口腔内が乾燥し、唾液による保護作用が低下したりすることも、お口のトラブルを助長する一因となり得ます。
産後の歯のトラブル:放置した場合の進行と様々なリスク
産後の歯のしみる症状やその他のトラブルを「一時的なものだろう」「育児が落ち着いたら歯医者に行こう」と放置してしまうと、様々なリスクにつながる可能性があります。知覚過敏の症状が悪化・慢性化すると、冷たいものや熱いものを食べるのが苦痛になり、食事の楽しみが失われるだけでなく、栄養の偏りを引き起こす可能性もあります。また、未治療の虫歯や歯周病が静かに進行し、気づいた時には神経を取る大掛かりな治療が必要になったり、最悪の場合、歯を失う(抜歯に至る)ことにもなりかねません。
母体および胎児・新生児への影響の可能性
特に見過ごせないのが、お口の健康が母体自身や赤ちゃんにまで影響を及ぼす可能性です。中でも、妊娠中の重度の歯周病と、早産や低体重児出産との間には、統計的に有意な関連があることが、国内外の多くの質の高い研究によって一貫して指摘されています。例えば、国際的な複数の研究結果を統合・分析した2019年のメタアナリシスでは、歯周病に罹患している妊婦さんは、口腔内が健康な妊婦さんと比較して、早産に至るリスクが約2.01倍にもなるという結果が示されました6。この背景には、歯周病の原因となる細菌が産生する炎症性の物質が母体の血流を介して胎盤や赤ちゃんに影響を及ぼし、子宮の収縮を誘発したり、胎児の発育に悪影響を与えたりする可能性が考えられています。このため、妊娠期間中における歯周病の予防と適切な管理は、お母さん自身の健康を守ることはもちろん、赤ちゃんの健やかな誕生と発育にとっても極めて重要であると言えるのです。
さらに、母親の口腔内に存在する虫歯菌(ミュータンスレンサ球菌など)は、産後のスキンシップ(キス、スプーンなどの食器の共有)を通じて、唾液を介して赤ちゃんに感染(母子伝播)することが知られています35。生まれたばかりの赤ちゃんの口の中には虫歯菌はいません。虫歯菌への感染時期が早いほど、将来的に虫歯になりやすいと言われています。お母さん自身が口腔ケアを徹底し、虫歯菌の量をコントロールしておくことは、赤ちゃんの将来のお口の健康を守ることにも繋がるのです。
妊娠中から始める!産後の歯と口腔の健康を守るための具体的な予防策とセルフケア
産後の歯のトラブルは、妊娠中からの正しい知識と継続的なケアによって、その多くが予防可能です。ここでは、今日から実践できる具体的な予防策とセルフケアについて解説します。
1. 歯科医院での定期的な専門的ケア:妊産婦歯科検診の活用
最も重要なことは、専門家である歯科医師や歯科衛生士による定期的なチェックとケアを受けることです。特に妊娠中は、ご自身の口腔ケアだけではコントロールが難しい変化が起こりやすいため、プロフェッショナルなサポートが不可欠です。
日本における推奨と制度
妊娠中の歯科検診は、体調が安定する妊娠中期(妊娠4~5ヶ月頃、または16週以降)に受診することが一般的に推奨されています811。日本では、妊産婦の口腔衛生の重要性が認識されており、多くの自治体で公費助成のある「妊産婦歯科健康診査」制度が設けられています9。これは、母子健康手帳(母子手帳)の交付時に受診券が配布されたり、案内があったりするもので、指定された協力歯科医療機関で無料または一部自己負担で検診を受けることができます8。残念ながら、厚生労働省の2019年の調査では、妊婦健診を受けた人のうち、歯科検診も受けた人の割合は5.8%と依然として低い状況にありますが、この制度を積極的に活用しない手はありません8。お住まいの市区町村の役所(保健センターなど)の窓口やウェブサイトで詳細を確認し、ぜひ受診してください。検診結果は母子手帳に記録してもらうことができ、産後のケアにも役立ちます9。検診では、虫歯や歯周病のチェック、専門家による歯のクリーニング(PMTC)、ブラッシング指導、必要に応じたフッ素塗布などが行われます。出産後も、育児が少し落ち着いたタイミング(産後1ヶ月、3ヶ月など)で歯科検診を受け、お口の状態をチェックしてもらうことが理想的です。
2. 毎日の丁寧なセルフケア:正しい歯磨きと補助的清掃用具の徹底活用
日々のセルフケアの質を高めることが、予防の基本です。歯ブラシは、ヘッドが小さく、毛の硬さが「ふつう」か「やわらかめ」のものを選び、鉛筆を持つように軽く握ります。歯と歯ぐきの境目に45度の角度で毛先を当て、軽い力で小刻みに動かす「バス法」などが効果的です。ゴシゴシと力を入れすぎると、歯ぐきを傷つけたり、歯を摩耗させたりする原因になるため注意しましょう。また、歯ブラシだけでは歯と歯の間のプラークを6割程度しか除去できないと言われています。デンタルフロスや歯間ブラシを毎日併用し、歯と歯の間の汚れを徹底的に取り除く習慣をつけましょう。さらに、フッ素配合の歯磨き剤を積極的に使用することで、歯の再石灰化を促進し、酸に強い歯質を作ることができます。
3. つわり(悪阻)時期の特別な口腔ケア戦略
つわりで歯磨きが辛い時期は、特別な工夫が必要です。嘔吐してしまった直後は、胃酸でエナメル質が柔らかくなっているため、すぐに歯を磨くと歯を傷つけてしまいます。まずは、水や、少量の重曹を溶かしたぬるま湯、あるいはフッ素配合の洗口液で十分に口をすすぎ、口腔内を中和させましょう。そして、30分から1時間ほど経ってから、優しく歯を磨くようにしてください16。歯ブラシはヘッドの小さいものやネックの細いものを選び、香りの少ない歯磨き剤を使うなど、吐き気を催しにくい工夫も有効です11。体調が比較的良い時間帯を選んで、短時間でも丁寧なケアを心がけましょう。
4. 栄養バランスの取れた食事と計画的な間食のコントロール
食事は、歯と歯ぐきの健康を支える基本です。糖分の多いお菓子やジュース、スポーツドリンク、また酸性度の高い柑橘類や炭酸飲料、酢の物などの摂取は、量と頻度を意識して減らしましょう。特に、「だらだら食べ」「だらだら飲み」は、口腔内が酸性に傾く時間を長くしてしまうため避けるべきです。食事や間食の時間を決めて、メリハリのある食生活を心がけましょう。カルシウムやリン、ビタミンC・D、食物繊維などを豊富に含む乳製品、小魚、緑黄色野菜、果物などをバランス良く摂取することが、丈夫な歯と歯ぐきを作ります。
5. 十分な唾液の分泌を促す生活習慣
唾液は、お口の健康を守る天然の防御システムです。食事の際によく噛むことは、唾液の分泌を効果的に刺激します。また、こまめに水分補給(水やお茶など糖分を含まないもの)をすることで、口腔内の潤いを保ちましょう5。キシリトールなどの糖アルコールを配合したシュガーレスガムを噛むことも、唾液の分泌を促すのに役立ちます。
産後に歯がしみてしまった場合の具体的な対処法と安全な歯科治療
すでに歯がしみる症状が出ている場合でも、適切な対処法と治療があります。自己判断で放置せず、まずは専門家である歯科医師に相談することが重要です。
1. 自宅でできる応急処置と日常生活での注意点
応急処置として、硝酸カリウムや乳酸アルミニウムなどが配合された、知覚過敏抑制効果のある歯磨き剤を試してみるのも一つの方法です。これらの成分は、象牙細管を封鎖して刺激が神経に伝わるのを防ぐ働きがあります17。また、冷たいものや熱いもの、極端に甘いものや酸っぱいものなど、症状を誘発する刺激をできるだけ避けるようにしましょう。しかし、これらはあくまで一時的な対症療法です。症状が続く場合や悪化する場合は、必ず速やかに歯科医師の診察を受けてください。
健康に関する注意事項
- この記事で提供される情報は、一般的な知識の提供を目的としたものであり、個別の医学的アドバイスに代わるものではありません。
- 歯の痛みや歯ぐきの腫れ、出血などの症状がある場合は、自己判断で放置せず、必ず速やかに歯科医師またはかかりつけの医療機関を受診してください。専門家による正確な診断と、ご自身の状況に合わせた適切な治療を受けることが最も重要です。
2. 歯科医院で行われる専門的な検査と治療法
歯科医院では、まず知覚過敏の原因を特定するための検査が行われます。視診や打診、温度刺激検査、レントゲン検査などを通じて、原因が歯肉退縮によるものなのか、虫歯や歯周病、あるいは歯の破折など、他の問題が隠れていないかを正確に診断します。原因に応じて、以下のような治療が行われます。
- 保存的治療: 歯の表面への高濃度フッ化物塗布、象牙細管を封鎖するコーティング剤の塗布、特定の波長のレーザーを照射して神経を鈍麻させる治療などがあります。
- 原因疾患の治療: 虫歯が原因であれば、コンポジットレジン(白い詰め物)による修復や、進行度によっては根管治療(神経の治療)が行われます。歯周病が原因であれば、スケーリング・ルートプレーニング(歯石除去と歯根面の滑沢化)といった歯周基本治療が中心となります。
- その他の治療: 噛み合わせに問題があれば咬合調整を行ったり、歯ぎしりや食いしばりが原因と考えられる場合は、歯を守るためのマウスピース(ナイトガード)を作製したりします15。
授乳中の歯科治療の安全性について
「授乳中に治療を受けても大丈夫?」という不安をお持ちの方も多いでしょう。結論から言うと、ほとんどの一般的な歯科治療は、授乳中でも安全に行うことが可能です。歯科治療で用いられる局所麻酔薬(リドカインなど)は、母乳への移行量が極めて微量であり、赤ちゃんへの影響は通常ないと考えられています18。また、防護エプロンを着用して行う歯科用レントゲン撮影も、赤ちゃんへの影響は無視できるレベルです18。治療後に処方される鎮痛剤(アセトアミノフェンなど)や抗菌薬(ペニシリン系、セフェム系など)にも、授乳中に比較的安全に使用できるものが多くあります。ただし、治療を受ける際には、必ず担当の歯科医師に授乳中であることを伝え、その指示に正確に従うことが重要です。
よくある質問 – 産後の歯と口腔の健康に関するQ&A
Q1: 産後、歯磨きをするとすぐに出血します。大丈夫でしょうか?
A1: 産後はホルモンバランスの変化により、歯ぐきが炎症を起こしやすく(妊娠性歯肉炎が持続している可能性)、軽い刺激でも出血しやすくなることがあります。しかし、出血を恐れて歯磨きを怠ると、プラークがさらに蓄積し、症状が悪化して歯周病に進行する恐れがあります。まずは歯科医院を受診し、正確な診断とご自身の状態に合った適切なブラッシング指導を受けてください。炎症が軽度であれば、丁寧なセルフケアと専門的なクリーニングで改善することがほとんどです。
Q2: 電動歯ブラシは産後のデリケートな歯ぐきに使っても良いですか?
A2: はい、正しく使えば電動歯ブラシも非常に有効なツールです。特に育児で忙しく、セルフケアに時間をかけにくい時期には、手用歯ブラシよりも効率的にプラークを除去できるという大きなメリットがあります。ただし、歯や歯ぐきに強く押し付けすぎないよう注意が必要です。製品によっては様々なモード(例:ジェントルモード)が搭載されているものもあります。振動が強すぎると感じる場合や、出血が気になる場合は、一度歯科医師や歯科衛生士に相談し、自分に合った機種や正しい使い方のアドバイスを受けると良いでしょう。
Q3: 赤ちゃんに虫歯菌をうつさないためには、具体的にどうすれば良いですか?
Q4: 妊産婦歯科検診はどこで受けられますか?費用はかかりますか?
Q5: 産後の歯のケアについて、夫や家族に協力してほしいことはありますか?
A5: はい、産後は心身ともに不安定で、育児も非常に大変な時期ですので、ご家族の理解と協力が何よりも助けになります。例えば、「お母さんが歯科医院を受診する1〜2時間だけ、赤ちゃんを見ていてもらう」「家事の分担を調整して、お母さんが毎日5〜10分でもゆっくり歯磨きをする時間を確保できるようにする」など、具体的なサポートをお願いできると良いでしょう。また、家族みんなで糖分の少ない健康的な食生活を心がけたり、定期的な歯科受診の重要性を共有したりすることも、お母さんの口腔環境だけでなく、家族全体の健康増進につながります。
結論
産後の歯がしみるといったお口のトラブルは、「赤ちゃんにカルシウムを奪われた」という単純な理由ではなく、妊娠・出産に伴うホルモンバランスの劇的な変化、つわりの影響、食生活の変化、そして育児によるセルフケアの状況など、複数の医学的要因が複雑に絡み合って起こることを改めて強調します。しかし、これらのトラブルは決して避けられないものではなく、正しい知識を持って対処すれば、その多くは予防可能であり、また早期発見・早期対処が非常に重要です。妊娠がわかったら、できるだけ早い段階で歯科医院を受診し、妊娠中から出産後まで、定期的な専門的ケアを生活習慣の一部として取り入れることを強く推奨します。信頼できる「かかりつけ歯科医」を持ち、どんな小さなことでも相談できる関係を築くことは、将来にわたるあなたのお口の健康にとって大きな財産となるでしょう。お母さんの心と身体、そしてお口の健康が、これから始まる赤ちゃんとご家族みんなの笑顔あふれる幸せな日々の礎となるのです。
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