この記事の科学的根拠
この記事は、引用元として明記された最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下の一覧には、実際に参照された情報源と、それらが提示する医学的ガイダンスとの直接的な関連性が含まれています。
- 国立精神・神経医療研究センター (NCNP): この記事における摂食障害の定義、種類、症状、治療法に関する多くの基本的な医学的知見は、日本の精神医療研究の中核機関であるNCNPが提供する情報ポータルサイトや専門家向け資料に基づいています4。
- 厚生労働省: 日本国内の摂食障害の患者数、公衆衛生上の課題、および治療支援体制(支援拠点病院など)に関する統計データや方針は、厚生労働省の公式報告書および関連事業に基づいています5。
- 日本摂食障害学会: 低栄養状態の管理、再栄養症候群の危険性、電解質異常への対応といった、生命の安全確保に直結する専門的な医学的ケアに関する記述は、同学会が提供するガイドラインに基づいています6。
- 各種学術論文・医学マニュアル: 神経性やせ症の死亡率に関するシステマティックレビュー7、国際的な診断基準(DSM-5-TR, ICD-11)の解説89、治療法の有効性を示すランダム化比較試験10など、個別の記述は世界的に権威のある医学雑誌やマニュアルで公開された研究成果を典拠としています。
要点まとめ
- 摂食障害は意志の弱さではなく、専門的な治療が必要な精神疾患です。精神疾患の中で最も死亡率が高く、生命を脅かす危険な状態です37。
- 主な種類には、極端に痩せる「神経性やせ症」、過食と排出を繰り返す「神経性過食症」、過食のみの「過食性障害」などがあります8。
- 原因は一つではなく、遺伝的素因、心理的特性、社会文化的な要因(「痩せ礼賛文化」など)が複雑に絡み合って発症します11。
- 治療は、医師、心理士、管理栄養士などによる多職種チームで行われ、心理療法(認知行動療法など)が中心となります6。
- 日本国内には、国立精神・神経医療研究センターや各都道府県の摂食障害支援拠点病院など、信頼できる公的な相談先があります412。
第1節: 摂食障害とは何か?―その定義と日本の現状
1.1. 摂食障害の医学的定義:食行動の異常を本質とする精神疾患
摂食障害は、食事摂取における持続的な異常行動と、それに伴う体重や体型に対する過度なこだわりや歪んだ考えを特徴とする精神疾患の一群です。こころの情報サイトによると、具体的には、極端に食事量を制限する、コントロールを失って大量に食べてしまう、食べたものを意図的に吐いてしまうといった行動が挙げられます4。これらの行動は、心身の健康に深刻な、時には生命を脅かす影響を及ぼします。
医療法人北仁会いしばし病院が強調するように、極めて重要なのは、摂食障害が本人の「わがまま」や「意志の弱さ」に起因するものではないという点です11。その発症には、後述する生物学的、心理的、そして社会的な要因が複雑に絡み合っており、本人の力だけでコントロールすることは極めて困難です11。したがって、回復には専門的な医学的治療と心理的支援が不可欠となります。
1.2. 日本における摂食障害の現状:統計データで見る患者数と近年の動向
厚生労働省や関連機関の報告によれば、日本国内における摂食障害の推計患者数は約22万人とされています5。しかし、この数字は医療機関を受診している患者を中心としたものであり、実態を完全には反映していない可能性があります。
実際に、2014年から2015年にかけて行われた全国の病院を対象とした厚生労働科学研究の調査では、1年間に摂食障害で受診した患者数の推計値が約2万6千人(内訳:神経性やせ症12,674人、神経性過食症4,612人など)と報告されています13。この受診患者数と全体の推計患者数との間には約10倍もの大きな隔たりが存在します。この事実は、摂食障害に苦しむ多くの人々が、専門的な医療につながれていない「治療ギャップ」の存在を強く示唆しています。医学書院発行の摂食障害治療ガイドラインによれば、研究によっては摂食障害を持つ人の半数以上が未受診であるとの指摘もあり、スティグマ(偏見)、病気であるという認識の欠如、相談先がわからない、専門医療機関の不足といった、さまざまな障壁がその背景にあると考えられます14。この膨大な「隠れた患者層」の存在は、摂食障害が単なる個人の問題ではなく、社会全体で取り組むべき公衆衛生上の深刻な課題であることを物語っています。
近年の動向として、COVID-19パンデミックの影響も無視できません。国立成育医療研究センターが報告するように、複数の研究から、パンデミック期間中に学校閉鎖や生活様式の急激な変化といったストレス要因が重なり、特に若年層の神経性やせ症の新規発症が増加したことが報告されています15。学術誌『JAMA Network Open』に掲載された日本の研究では、パンデミック以前は減少傾向にあったものが増加に転じ、特に男子やより低年齢の層での増加が顕著であったというデータもあり、社会的な危機がメンタルヘルスに与える影響の大きさを示しています161718。
1.3. なぜ摂食障害は生命を脅かすのか?:精神疾患で最も高い致死率
摂食障害、とりわけ神経性やせ症は、すべての精神疾患の中で最も死亡率が高い疾患の一つとして知られています3。ケアネットで紹介された複数の研究を統合したシステマティックレビューによると、一般人口と比較した死亡のしやすさを示す標準化死亡比(SMR)は、神経性やせ症で5.21倍、神経性過食症で2.20倍と、著しく高いことが明らかになっています7。これは、神経性やせ症の患者が一般人口に比べて5倍以上も死亡しやすいことを意味します。
その死因は大きく二つに分けられます。国立精神・神経医療研究センターの解説によれば、一つは、極度の低栄養状態が引き起こす身体的合併症です。心臓の筋肉が萎縮することによる不整脈や突然死、免疫力の低下による重篤な感染症などが含まれます8。もう一つは自殺であり、日本摂食障害学会が発行したガイドの中でも指摘されるように、摂食障害に関連した死亡の半数は自殺によるという衝撃的な報告もあります6。この事実は、摂食障害が単なる「食の問題」や「体型の問題」ではなく、生命に直接関わる、緊急性の高い医学的状態であることを明確に示しています。
第2節: 摂食障害の主な種類と国際的な診断基準
摂食障害の診断は、世界的に二つの主要な診断基準に基づいて行われます。一つは米国精神医学会(APA)が発行する『精神疾患の診断・統計マニュアル(DSM)』、もう一つは世界保健機関(WHO)による『国際疾病分類(ICD)』です19。現在、最新版としてそれぞれDSM-5-TR(2022年発行のDSM-5改訂版)とICD-11(2019年正式承認)が用いられています19。
これらの診断基準の改訂の歴史は、摂食障害への理解が深まってきた過程そのものを反映しています。精神神経学雑誌の報告によると、かつてのDSM-IVでは、典型的な神経性やせ症や神経性過食症の基準を満たさない多様な病態が「特定不能の摂食障害(EDNOS)」という大きなカテゴリーに一括りにされていました20。しかし、このEDNOSが実際には摂食障害患者の半数以上を占めるという状況を踏まえ、より多くの患者の苦しみを正確に捉え、適切な治療につなげるために診断基準が見直されました。その結果、DSM-5やICD-11では、新たに「過食性障害(Binge-Eating Disorder)」や「回避・制限性食物摂取症(Avoidant/Restrictive Food Intake Disorder)」が独立した疾患単位として正式に位置づけられました20。この診断体系の進化は、これまで「非定型」とされ、自身の苦しみに病名がつかなかった多くの人々にとって、その状態が医学的に認識されたことを意味し、より個別化された治療法の開発や研究を促進する上で極めて重要な一歩と言えます。
以下に、現在の主要な摂食障害の分類について解説します。
2.1. 神経性やせ症 (Anorexia Nervosa, AN)
定義: 体重や体型に対する歪んだ認識(ボディイメージの障害)と、肥満になることへの極度の恐怖を中核とする疾患です8。その結果、食事を極端に制限したり、過剰な運動をしたりするなど、著しい低体重を維持するための異常な行動がみられます。低体重が健康を害するレベルであっても、本人はその深刻さを認識できず、むしろ痩せていることに安心感や達成感を得ることが特徴です。日本では、食欲が失われるわけではないという病態の実態をより正確に反映するため、DSM-5の改訂に伴い、従来の「神経性食思不振症」に代わって「神経性やせ症」という病名が推奨されています8。
病型:
- 摂食制限型 (Restricting type): 日本精神神経学会のDSM-5病名・用語翻訳ガイドラインによると、主に食事制限、絶食、過剰な運動によって体重を減少・維持するタイプです21。
- 過食・排出型 (Binge-eating/purging type): 期間内に過食(むちゃ食い)のエピソードがあり、その後に自己誘発性嘔吐や下剤・利尿薬の乱用といった排出行動を伴うタイプです8。
2.2. 神経性過食症 (Bulimia Nervosa, BN)
定義: 自分ではコントロールできないと感じる反復的な過食(むちゃ食い)のエピソードと、その過食による体重増加を防ぐための不適切な代償行動(自己誘発性嘔吐、下剤・利尿薬の乱用、絶食、過剰な運動など)が繰り返される疾患です8。自己評価が体重や体型に過度に左右される点は神経性やせ症と共通していますが、MSDマニュアル家庭版が示すように、体重は標準範囲内か、やや過体重であることが多く、外見からは病気であることが分かりにくい場合があります22。そのため、本人が長年にわたって誰にも相談できずに一人で苦しみ続けるケースも少なくありません。
学術研究によれば、ICD-11では、診断基準がより現実に即したものに改訂されました。客観的に見て食物の量が大量でなくても、本人が「コントロールを失ってたくさん食べてしまった」と感じる「主観的過食」も診断に含まれるようになり、これまで診断から漏れていた可能性のある患者も適切に評価できるようになりました23。
2.3. 過食性障害 (Binge-Eating Disorder, BED)
定義: 神経性過食症と同様に、コントロール不能感を伴う反復的な過食エピソードを特徴としますが、その後に嘔吐や下剤乱用といった不適切な代償行動を伴わない点が決定的な違いです21。過食後に強い自己嫌悪や罪悪感、抑うつ気分に苛まれることが多く、代償行動がないために体重が増加し、過体重や肥満に至るケースが一般的です8。神経性やせ症や神経性過食症と比較して、男性が占める割合が比較的高く、発症年齢も青年期後期から成人期とやや高い傾向が報告されています8。DSM-IVの日本語訳では「むちゃ食い障害」とされていましたが、DSM-5で正式な疾患単位となった際に「過食性障害」という病名に変更されました20。
2.4. 回避・制限性食物摂取症 (Avoidant/Restrictive Food Intake Disorder, ARFID)
定義: 世界保健機関のICD-11における分類解説によると、体重や体型へのこだわりや肥満恐怖とは無関係に、食べること自体を避けてしまう疾患です24。その理由として、食べ物の見た目、匂い、食感といった感覚的な特徴に対する極端な嫌悪、過去の窒息や嘔吐といった経験から生じる摂食への恐怖、あるいは食事や食べることへの明らかな無関心などが挙げられます。その結果、必要量のエネルギーや栄養を摂取できず、著しい体重減少、深刻な栄養不足、成長障害(小児の場合)、心理社会的な機能の障害などが引き起こされます。厚生労働科学研究の診療ガイドラインによれば、小児期に発症することが多いですが、成人になってから診断されることもあります25。
疾患名 | 中核となる心理 | 主な食行動 | 体重の状態 | 主な身体的リスク |
---|---|---|---|---|
神経性やせ症 (Anorexia Nervosa) | 強い肥満恐怖、ボディイメージの歪み、低体重の深刻さの否認 | 極端な食事制限、過剰な運動。過食・排出行動を伴う場合もある。 | 著しい低体重 (成人ではBMIが18.5kg/m2未満) | 低栄養による心機能低下・不整脈、無月経、骨粗鬆症、電解質異常 |
神経性過食症 (Bulimia Nervosa) | 自己評価が体重・体型に過度に影響される、過食後の自己嫌悪 | コントロール不能な過食、自己誘発性嘔吐や下剤乱用などの代償行動 | 標準体重または過体重 | 嘔吐による電解質異常(低カリウム血症)、歯の酸蝕、唾液腺の腫脹、食道炎 |
過食性障害 (Binge-Eating Disorder) | 過食に対するコントロール不能感、過食後の強い苦痛・罪悪感 | 反復する過食エピソード。不適切な代償行動は伴わない。 | 過体重または肥満が多い | 肥満に伴う生活習慣病(2型糖尿病、高血圧、脂質異常症など)のリスク |
回避・制限性食物摂取症 (ARFID) | 食べ物の感覚特性への嫌悪、摂食への恐怖、食事への無関心 | 特定の食物の回避、全体的な食事量の不足。体重・体型へのこだわりはない。 | 低体重、栄養不足 | 栄養失調、成長障害(小児)、心理社会的機能の障害 |
出典: 国立精神・神経医療研究センター8の情報に基づき統合
第3節: 摂食障害のサインと症状―こころとからだに現れる変化
摂食障害は、行動、心理、そして身体の各側面に特徴的なサインや症状を現します。国立精神・神経医療研究センターのポータルサイトが示すように、これらの変化に早期に気づくことが、重症化を防ぎ、回復への第一歩を踏み出すために極めて重要です26。
3.1. 行動面のサイン(ご家族や周囲が気づきやすい変化)
本人以外の人でも比較的気づきやすい行動上の変化には、以下のようなものがあります27。
- 食事関連の変化: 食べる量が極端に減る、あるいは逆に隠れて大量に食べている形跡がある。炭水化物や脂質など特定の食品群を徹底的に避ける。食品のカロリーを執拗に計算する、儀式的な食べ方をする。家族や友人と食事をすることを避ける。食後に決まって長時間トイレにこもる。自室に大量の食べ物を隠し持つ。食べ物を口に入れて噛むだけで飲み込まずに出す(チューイング)行動2527。
- 運動・活動の変化: 体重を減らす目的で、疲労困憊するまで運動をやめない(過活動)4。じっとしていることに罪悪感を覚え、常に動き回ろうとする。
- 日常生活の変化: 体のラインを隠すためにゆったりとした服を好んで着る。一日に何度も体重計に乗り、わずかな増減に一喜一憂する。趣味や友人との交流に関心を失い、社会的に孤立していく427。
3.2. 心理・情緒面の症状(本人が抱える苦しみ)
外からは見えにくい、本人が内面に抱える苦しみは深刻です。
- 思考の占拠: 常に食べ物やカロリー、体重、体型のことで頭がいっぱいになり、他のことを考える余裕がなくなる1。
- 自己評価の歪み: 自分の価値が体重や体型によって決まるという考えに囚われる。痩せていることが唯一の自信の源となり、「痩せ=成功、太る=失敗」という極端な価値観を持つ11。自己評価が極端に低く、強い無価値感に苛まれる4。
- 感情の不安定さ: 飢餓状態や血糖値の乱高下、心理的ストレスから、気分の浮き沈みが激しくなり、些細なことでイライラしたり、落ち込んだりする。強い不安感や抑うつ状態を伴うことも多い4。
- 病識の欠如 (Anosognosia): 周囲がどれだけ心配しても、本人は「自分は病気ではない」と強く思い込むことがあります4。これは、摂食障害、特に神経性やせ症の治療を最も困難にさせる中核的な症状の一つです。日本摂食障害学会のガイドでも触れられているように、この「病識の欠如」は単なる「頑固さ」ではなく、飢餓が脳機能に与える影響などから生じる、病気そのものの一部なのです6。本人の主張を病気の症状として捉えることが、共感的な関わりへの第一歩となります。
3.3. 身体面の症状(生命を脅かす医学的合併症)
異常な食行動と低栄養は、全身に深刻な身体的影響を及ぼします。
- 全身症状: 著しい体重減少、極度の倦怠感、寒がり(低体温)、血圧の低下(立ちくらみ)、心拍数の低下(徐脈)、むくみ4。
- 内分泌・代謝系: 女性では無月経4。若年での骨粗鬆症11。低血糖。
- 電解質異常: 嘔吐や下剤の乱用による低カリウム血症は、致死的な不整脈や心停止を引き起こす最も危険な合併症の一つです6。
- 皮膚・毛髪・歯: 皮膚の乾燥や黄変28、産毛の増加11、脱毛11。嘔吐による胃酸で歯が溶ける(酸蝕歯)4。
- 消化器系: 慢性的な便秘、胃もたれ、腹痛4。
- 嘔吐に伴う特有のサイン: 唾液腺の腫脹4、手の甲の「吐きだこ」11。
このチェックリストは、ご自身やご家族、ご友人に摂食障害の可能性がないかを確認するための目安です。医学的な診断に代わるものではありませんが、当てはまる項目が多い場合は、専門家への相談を検討するきっかけとしてご活用ください。 | |
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【食生活と行動の変化】 | |
[ ] | 以前と比べて食べる量が極端に減った、または増えた |
[ ] | ご飯やパン、揚げ物など、特定の食べ物をかたくなに避けている |
[ ] | 食べ物のカロリーや成分表示を過度に気にしている |
[ ] | 食事の後に、理由なくトイレに長時間こもることが増えた |
[ ] | 体型を隠すような、ゆったりした服装ばかり着るようになった |
[ ] | 誰にも見られないように、一人で隠れて食べることがある |
[ ] | 体重を減らすために、過剰な運動をすることがある |
【こころと感情の変化】 | |
[ ] | 食べ物や体重、体型のことで頭がいっぱいになっている |
[ ] | 体重計の数字によって、その日の気分が大きく左右される |
[ ] | 周囲から「痩せすぎだ」と心配されても、自分では太っていると感じる |
[ ] | 自分の価値は、痩せているかどうかで決まるように感じる |
[ ] | 以前よりもイライラしやすくなったり、気分が落ち込んだりすることが増えた |
【からだの変化】 | |
[ ] | 短期間で体重が大きく減った、または増減を繰り返している |
[ ] | 立ちくらみやめまいが頻繁に起こる |
[ ] | 常に体がだるく、疲れやすい |
[ ] | とても寒がりになった |
[ ] | (女性の場合)月経が不順になったり、止まったりしている |
【評価】 上記の項目に複数当てはまる場合、それは心と体が助けを求めているサインかもしれません。一人で抱え込まず、信頼できる専門機関に相談することをお勧めします。 |
第4節: 摂食障害の原因―なぜ、人は摂食障害になるのか?
4.1. 複雑に絡み合う要因:生物・心理・社会モデル
摂食障害がなぜ発症するのか、その原因を一つに特定することはできません。現在の医学では、特定の原因があるというよりも、**生物学的要因(遺伝的・体質的ななりやすさ)、心理的要因(性格特性や考え方の癖)、そして社会的・文化的要因(環境や時代の価値観)**という三つの側面が、パズルのように複雑に絡み合って発症に至ると考えられています11。この「生物・心理・社会モデル」は、摂食障害を多角的に理解するための基本的な枠組みです。
このため、「何が原因だったのか」と一つの犯人探しをすることは、本人や家族を不必要に追い詰め、罪悪感を増大させるだけで、回復の妨げになりかねません11。大切なのは、過去の原因追及に固執するのではなく、今ある苦しみを理解し、未来の回復に向けて何ができるかを考えることです。
4.2. 生物学的要因:遺伝的素因と脳の働き
摂食障害は、家族内で発症しやすい傾向があることが知られており、遺伝的な脆弱性が発症リスクに関与していると考えられています。医学書院の雑誌『精神医学』で紹介された近年の大規模なゲノムワイド関連研究(GWAS)では、神経性やせ症と特定の遺伝子領域との間に関連があることが報告されています。興味深いことに、その関連遺伝子には、不安や抑うつといった精神医学的な側面に関わるものだけでなく、血糖値や脂質などの代謝をコントロールする、身体的な側面に関わるものも含まれていました29。これは、神経性やせ症が単なる「心の病」ではなく、代謝系の体質的な特徴も背景にある「心身相関の疾患」であることを示唆する画期的な発見です。
4.3. 心理的要因:パーソナリティ特性と併存する精神疾患
摂食障害になりやすいとされる、いくつかの心理的な特徴が指摘されています。
- 性格特性: 完璧主義で何事も「白か黒か」で判断しがち、自分に厳しく、他者からの評価を過度に気にする、物事にこだわりやすい(強迫性)、自己評価が低い、感情を表現したりコントロールしたりするのが苦手、といった性格特性がリスク因子として知られています11。
- 「良い子」の苦悩: 患者の成育歴をたどると、しばしば幼い頃から親や周囲の期待によく応え、自分の意見や感情を抑圧してきた「手のかからない良い子」であったという話が聞かれます11。彼らは、他者を優先するあまり、自分自身の欲求や感情を認識し、表現する術を学ぶ機会が少なかったのかもしれません。その結果、思春期以降、自分でコントロールできる唯一の領域として「体重や食事」を見出し、そこに過剰にのめり込むことで、不安定な自己価値を支えようとすることがあります。
- 併存する精神疾患: 摂食障害は、他の精神疾患を併存していることが非常に多いです。特に、うつ病、双極性障害、不安症(社交不安症やパニック症など)、強迫症、パーソナリティ障害などが併存しやすく、これらが摂食障害の症状を悪化させたり、治療を複雑にしたりする要因となります8。
4.4. 社会・文化的要因:日本の「痩せ礼賛文化」とメディアの影響
個人の内的な要因に加え、その人が生きる社会や文化のあり方も、摂食障害の発症に深く関わっています。
現代日本社会には、「痩せていることが美しい」「痩せていることは自己管理ができている証拠であり、成功の象徴である」といった価値観、すなわち**「痩せ礼賛文化」**が根強く存在します30。テレビ、雑誌、広告、そして近年では特にSNSなどのメディアは、加工され、理想化された身体のイメージを絶え間なく発信し、この価値観を増幅させています31。
しかし、日本の状況をより深く考察すると、単なるメディアの影響だけでは説明できない、文化的に特有な圧力が浮かび上がってきます。神戸親和大学の研究者が行った質的調査などが指摘しているのは、日本の若者の痩身願望が、集団の中での調和を重んじる文化的価値観と強く結びついている点です。インタビュー調査では、「特別に痩せたいわけではないが、周りのみんなと同じくらいには痩せていたい」「集団の中で自分だけが太って見られたくない」といった声が聞かれます32。これは、他者からの視線を強く意識し、周囲との同質性を保つことで安心感を得ようとする心理(公的自己意識)が、痩せることへの強力な動機となっていることを示唆しています32。つまり、痩せるという行為が、集団からの逸脱を恐れ、社会的な受容を得るための、ある種の防衛的な戦略として機能してしまっているのです。この「浮きたくない」という文化的圧力は、痩身願望を個人の内面から湧き上がる抗いがたい力へと変えてしまう、日本社会に特有の深刻な要因と言えるでしょう。
第5節: 科学的根拠に基づく治療法―回復への道のり
摂食障害は、意志の力だけで治せるものではなく、科学的根拠に基づいた専門的な治療が必要です。国立精神・神経医療研究センターのポータルサイトが示すように、回復への道のりは一人ひとり異なり、時間がかかることもありますが、適切な治療と支援を受ければ、多くの人が回復し、自分らしい生活を取り戻すことが可能です33。
5.1. 治療の基本方針:多職種チームによる包括的アプローチ
摂食障害は、心の問題と身体の問題が複雑に絡み合った「心身症」の側面が強く、治療には多角的なアプローチが不可欠です。そのため、現在の標準的な治療は、精神科医や心療内科医、小児科医、内科医といった医師に加え、公認心理師/臨床心理士、管理栄養士、看護師、精神保健福祉士(ソーシャルワーカー)など、様々な専門家が連携してチームを組む**「包括的治療(multidisciplinary approach)」**です6。
治療の基本は外来通院ですが、後述するように身体的な危険が切迫している場合や、精神的に著しく不安定な場合などには、入院治療が選択されます28。
5.2. 身体的治療と栄養療法:生命の安全確保と栄養状態の改善
治療の第一歩は、何よりもまず生命の安全を確保することです。特に、神経性やせ症で著しい低体重状態にある患者の場合、厚生労働科学研究のガイドラインによれば、認知機能の低下などから心理療法の効果も限定的になるため、低栄養状態を改善するための身体的治療が最優先されます25。
- 再栄養療法 (Re-feeding): 栄養状態を回復させるプロセスを指します。原則として、本人の口から食事を摂る「経口摂取」が優先されますが、本人が全く食べられない場合や、身体的な状態が極めて悪い場合には、鼻から胃へチューブを入れて栄養剤を投与する「経管栄養」が選択されることもあります6。静脈から栄養を補給する「経静脈栄養」は、腸が機能していないなど特別な場合を除き、通常は行われません6。
- 再栄養症候群 (Refeeding Syndrome) への注意: ここで極めて重要な医学的知識があります。長期間にわたる飢餓状態の人が、急激に栄養を摂取すると、**「再栄養症候群」**という致死的な合併症を引き起こす危険があるのです。これは、急な糖質の投与によって体内の代謝バランスが劇的に変化し、血液中のリン、カリウム、マグネシウムといった電解質が急激に細胞内に取り込まれることで、血中の濃度が危険なレベルまで低下するために起こります6。その結果、心不全、呼吸不全、意識障害などを引き起こし、命に関わることがあります。この事実は、家族などが善意から「とにかく食べなさい」と大量に食事をさせることが、いかに危険であるかを物語っています。安全な体重回復のためには、専門家の管理下で、摂取カロリーを少量から開始し、血液検査で電解質などを注意深く監視しながら、段階的に増やしていくという、慎重な医学的管理が絶対に必要です6。
- 電解質管理: 嘔吐や下剤の乱用がある患者では、体内の電解質バランスが崩れがちです。特に、血液中のカリウム濃度が低下する「低カリウム血症」は、致死的な不整脈の直接的な原因となるため、定期的な血液検査と、必要に応じたカリウムの補充が不可欠です6。
5.3. 心理療法(サイコセラピー):回復の核となるアプローチ
身体状態が安定してきたら、摂食障害の背景にある心理的な問題に取り組み、異常な食行動を維持させている考え方や行動のパターンを変えていくための心理療法が中心となります。
5.3.1. 摂食障害に特化した認知行動療法 (Enhanced Cognitive Behavior Therapy, CBT-E)
概要: 精神神経学雑誌で詳しく解説されているように、英国のクリストファー・フェアバーン教授らによって開発された、摂食障害に特化した認知行動療法です34。その中核にあるのは、摂食障害の症状を維持させているメカニズム(自己評価が体重や体型に過度に影響されていること、極端な食事制限、出来事や気分への対処としての食行動など)に焦点を当て、それを修正していくという考え方です34。
エビデンスと保険適用: CBT-Eは、成人の摂食障害、特に神経性過食症に対して、数多くのランダム化比較試験(RCT)で有効性が証明されている、最もエビデンスレベルの高い治療法の一つです。この実績に基づき、日本では2018年から神経性過食症に対するCBT-Eが健康保険の適用対象となりました34。
治療の実際: 治療は構造化されており、通常は約20回(約5ヶ月)のセッションで構成されます35。患者はまず、食事やそれに伴う思考・感情を記録する「セルフモニタリング」を行い、自身の問題を客観的に把握することから始めます。その上で、治療者と協力しながら、規則正しい食生活の確立、過食や排出行動の代替となる問題解決スキルの学習、ボディイメージの歪みの修正、再発予防計画の作成など、段階的に課題に取り組んでいきます36。日本でも専門家による日本語版マニュアルが整備され、治療者を養成するための研修会が国立精神・神経医療研究センターなどを中心に活発に開催されています3437。
5.3.2. 家族療法 (Family-Based Treatment, FBT)
概要: 「モーズレイ法」としても知られ、特に思春期の神経性やせ症の患者に対する第一選択の治療法として国際的に推奨されています38。この治療法の特徴は、摂食障害を「本人の問題」や「親の育て方の問題」と捉えるのではなく、家族全員で病気に立ち向かう「治療チーム」として機能することを目指す点にあります。治療の初期段階では、両親がリーダーシップを発揮し、本人の体重を回復させることに全責任を負います。
日本での実践: 日本の医療文化や家族観の中でFBTをそのまま導入するには課題もあり、まだ広く普及しているとは言えませんが、その有効性は高く評価されています。近年では、日本の状況に合わせて修正した形での導入や、入院治療とFBTを組み合わせる試みなども報告されており、今後の普及が期待されています39。
5.3.3. その他の有効な心理療法
患者の年齢、病型、併存疾患、本人の希望などに応じて、他にも様々な心理療法が選択されます。聖路加国際病院のウェブサイトで紹介されているように、代表的なものとして、神経性やせ症の成人向けに開発された**「モーズレイモデルの神経性やせ症治療(MANTRA)」や「摂食障害専門家による支持的精神療法(SSCM)」、より深層の心理的葛藤に焦点を当てる「力動的精神療法(FPT)」**などがあります38。
5.4. 薬物療法:補助的な役割と適応
摂食障害の治療において、薬物療法は中心的な役割を担うものではなく、あくまで補助的な対症療法として位置づけられています25。摂食障害そのものを根本的に治す薬は、現在のところ存在しません。
適応: 神経性過食症や過食性障害における、抑えがたい過食衝動を軽減する目的で、選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)という種類の抗うつ薬が有効な場合があります22。また、摂食障害に併存するうつ病や不安症、強迫症の症状が重い場合には、それらの治療のために薬物療法が行われます。世界精神医学会連合(WFSBP)のガイドラインによると、神経性やせ症に対しては、体重増加に直接的な効果が証明された薬はありませんが、強すぎる不安やこだわり、不眠といった周辺症状を和らげる目的で、非定型抗精神病薬などが限定的に使用されることがあります40。
5.5. 入院治療が必要となる基準
治療は基本的に外来で行われますが、日本精神神経学会の提言などによると、以下のような場合には、生命の安全確保や集中的な治療のために、入院が必要となります33。
- 著しい低体重(例:成人の場合、標準体重の75%以下、BMIが14−15kg/m2を下回るなど)や、短期間での急激な体重減少がある場合25。
- 低血糖、重度の電解質異常、不整脈、腎不全、意識障害など、重篤な身体合併症を認める場合33。
- 自殺念慮が強く、実行に移す危険性が高い場合や、自傷行為が頻繁に見られる場合33。
- 外来治療では過食や嘔吐などの症状が全くコントロールできず、行動制限を含む治療環境が必要な場合33。
- 家族との関係が極度に行き詰まっており、治療的な環境を確保するために一時的に家族から離れることが望ましいと判断される場合33。
疾患 | 年齢層 | 第一選択の治療法 | 第二選択/併用療法 |
---|---|---|---|
神経性やせ症 | 児童・思春期 | 家族療法 (FBT)38 | 認知行動療法 (CBT-E)、個人精神療法、身体管理・栄養療法 |
成人 | 摂食障害に特化した認知行動療法 (CBT-E)38 モーズレイモデルの神経性やせ症治療 (MANTRA)38 摂食障害専門家による支持的精神療法 (SSCM)38 |
力動的精神療法 (FPT)、薬物療法(対症療法として) | |
神経性過食症 | 全年齢 | 摂食障害に特化した認知行動療法 (CBT-E)34 | 薬物療法(SSRIなど)40、対人関係療法 (IPT) |
過食性障害 | 全年齢 | 摂食障害に特化した認知行動療法 (CBT-E) | 薬物療法(SSRI、リスデキサンフェタミンなど)40、対人関係療法 (IPT) |
第6節: 日本国内の相談先と支援リソース
摂食障害からの回復には、専門的な支援が不可欠です。幸い、日本国内には信頼できる相談先や支援機関が複数存在します。一人で抱え込まず、これらのリソースを活用することが大切です。
6.1. 最初のステップ:どこに相談すればよいか?
摂食障害の専門的な診療は、主に精神科や心療内科で行われます13。小児や思春期(中学生・高校生など)の場合は、まずかかりつけの小児科に相談し、そこから専門医を紹介してもらうという流れも一般的です。児童精神科も重要な選択肢となります13。
ただし、注意すべき点として、日本精神神経学会の提言にもあるように、精神科や心療内科を標榜するすべての医療機関が、摂食障害の専門的な治療に対応できるわけではないという現実があります33。受診する前には、病院のウェブサイトで摂食障害の治療実績があるかを確認したり、電話で直接問い合わせたりすることをお勧めします。どこに相談すればよいか分からない場合は、後述する公的な専門機関に問い合わせるのが最も確実な方法です。
6.2. 公的機関と専門施設:信頼できる情報と治療の拠点
- 国立精神・神経医療研究センター (NCNP): 日本の精神医療研究における中核的な役割を担う国立の研究機関です。NCNPは、摂食障害に関する信頼性の高い情報を広く提供するため、以下の重要な事業を運営しています。
- 摂食障害支援拠点病院: 厚生労働省の「摂食障害治療支援センター設置運営事業」に基づき、各都道府県に設置が進められている、地域における摂食障害支援の中核(ハブ)となる病院です42。拠点病院は、専門的な医療の提供だけでなく、地域の医療機関からの相談に応じたり、患者や家族からの相談窓口を設置したり、関係機関との連携を調整したりする役割を担っています。NCGM国府台病院などの発表によると、2025年3月時点で、宮城県、千葉県、東京都、石川県、福井県、静岡県、栃木県、福岡県の8都県に設置されています12。お住まいの地域、または近隣の拠点病院に相談することは、適切な治療への最も確実な近道の一つです。
6.3. 孤立を防ぐために:患者会、家族会、自助グループ
摂食障害の苦しみは、しばしば深い孤立感を伴います。同じ病気や悩みを抱える仲間と出会い、体験や感情を分かち合うことは、スティグマ(病気であることの恥)を和らげ、「自分だけではない」という安心感を得て、回復へのモチベーションを高める上で非常に有効です43。
主要な団体:
- 一般社団法人 日本摂食障害協会 (JAED): 当事者、家族、支援者、医療専門家などが連携し、摂食障害の正しい知識の普及啓発や支援活動を行う全国的な組織です4445。
- NABA (日本アノレキシア・ブリミア協会): 摂食障害の経験者が主体となって運営する、歴史のあるピアサポート・自助グループです。全国各地でミーティングなどを開催しています4647。
- 各地の家族会・自助グループ: 上記以外にも、日本全国には地域に根差した多様な患者会や家族会が存在します。「ポコ・ア・ポコ」などがその一例です42。NCNPの摂食障害情報ポータルサイト43や、支援団体リストを体系的にまとめている研究者のウェブサイト48などで、お住まいの地域のグループを探すことができます49。
参加の際の注意点: 自助グループへの参加は非常に有益ですが、ご自身の状態によっては、他のメンバーの話を聞くことがかえって負担になる場合もあります。参加を検討する際は、現在治療を受けている主治医とよく相談することが望ましいです43。
第7節: ご家族と周りの方々へ―正しい理解とサポート
摂食障害からの回復において、ご家族やパートナー、友人といった身近な人々の理解とサポートは、何にも代えがたい力となります。しかし、厚生労働省の資料にもあるように、どのように関わればよいのか分からず、戸惑いや無力感を感じることも少なくないでしょう29。ここでは、本人を支える上での大切な心構えをお伝えします。
7.1. 本人への望ましい関わり方と避けるべき対応
【望ましい対応】
- 病気として理解する: 最も重要なことは、本人の不可解に見える言動(食べない、過食する、嘘をつくなど)を、本人の「性格の問題」や「わがまま」と捉えるのではなく、**「病気の症状」**として理解することです11。病気がそうさせているのだと考えることで、冷静に対応しやすくなります。
- 非難しない、ジャッジしない: 「なぜ食べないの?」「また食べたの?」といった食事に関する詰問や、「太った」「痩せた」といった体重・体型に関するコメントは、本人の罪悪感や不安を煽るだけで逆効果です。食事や体重の話は避け、一人の人間として尊重する姿勢を貫きましょう。
- 感情に寄り添う: 本人が抱える「太るのが怖い」「自分が嫌い」といったつらい気持ちや不安に、評価や否定をせずに耳を傾け、「そう感じているんだね」と共感的に受け止める姿勢が、本人の安心感につながります。
- 一貫した態度を保つ: 家族内で対応方針を話し合って統一し、ある時は厳しく、ある時は甘くといったように対応がぶれないようにすることが大切です。毅然とした態度と、温かい愛情の両方を持って見守りましょう。
【避けるべき対応】
- 本人や家族を責める: 「あなたのせいでこうなった」「育て方が悪かったのか」といった非難は、誰のためにもなりません。原因探しではなく、未来志向で回復を支えることにエネルギーを注ぎましょう6。
- 食事を無理強いする・監視する: 無理に食べさせようとすることは、食事をめぐる争いを激化させるだけです。食事の管理や監視も、たわらクリニックの解説にあるように、本人の自律性を損ない、信頼関係を壊すことにつながります50。
- 過度に干渉・管理する: 本人の行動すべてをコントロールしようとすることは、本人の反発を招き、症状を悪化させる可能性があります。
7.2. 治療を支える上での家族の役割
かつては、家族が病気の原因と見なされることもありましたが、現在ではその考え方は完全に否定されています。むしろ、家族は「治療の妨害者」ではなく、**「回復を支える最も重要な治療資源(リソース)」**と位置づけられています。特に、思春期患者への家族療法(FBT)では、家族が治療の主体的な役割を担います。治療者と密に連携し、病気について正しい知識を学び、家庭を本人が安心して療養できる「安全基地」にしていくことが、回復を力強く後押しします。
7.3. 支援者自身の心の健康を保つために
摂食障害の支援は長期にわたることが多く、終わりが見えない不安や、本人の言動に振り回されるストレスから、支援者自身が心身ともに疲弊してしまうことが少なくありません。支援者が倒れてしまっては、本人を支え続けることはできません。家族会に参加して同じ立場の仲間と悩みを分かち合ったり、専門家に相談して自身の心のケアを行ったりするなど、支援者自身が社会的に孤立せず、助けを求めることが極めて重要です。
よくある質問
摂食障害は本人の意志が弱いからなるのですか?
いいえ、全く違います。摂食障害は、本人の意志の弱さや性格の問題ではなく、生物学的、心理的、社会的要因が複雑に絡み合って発症する、専門的な治療が必要な医学的疾患です111。自分や他人を責めることはせず、病気として捉え、専門家の助けを求めることが重要です。
治療にはどのくらいの期間がかかりますか?
回復までにかかる期間は、病状の重症度、合併症の有無、治療開始のタイミング、本人の回復意欲、そして周囲のサポート体制など、多くの要因によって個人差が大きいため、一概には言えません。数ヶ月で改善するケースもあれば、数年単位の治療が必要になることもあります33。治療は一進一退を繰り返すことも多く、焦らずに粘り強く取り組むことが大切です。
家族として、本人にどのように接すれば良いですか?
最も大切なのは、本人の言動を「病気の症状」として理解し、非難しないことです11。体重や食事に関する話題は避け、本人のつらい気持ちに寄り添い、安心できる存在であることが重要です。また、治療は専門家に任せ、家族は「回復を支えるサポーター」に徹することが望ましいです。ご家族自身も疲弊しないよう、家族会に参加したり専門家に相談したりして、自分たちのケアも忘れないでください。
受診を嫌がる本人をどうやって病院に連れて行けば良いですか?
病識の欠如は摂食障害の症状の一部であるため、本人が受診を拒否することは少なくありません4。無理強いは逆効果になることが多いです。まずは、「食べること」ではなく、「眠れない」「気分が落ち込む」「疲れやすい」など、本人が困っている他の心身の不調に焦点を当てて受診を勧めてみるのが一つの方法です。また、すぐには受診につながらなくても、まずはご家族だけでも専門機関に相談することが非常に重要です。家族が病気について学び、対応を変えることで、本人の気持ちに変化が生まれることがあります。
結論
摂食障害は、時に生命を脅かす、深刻で苦しい病です。しかし、これまで見てきたように、それは決して不治の病ではありません。最新の科学的根拠に基づいた適切な治療と、周囲の粘り強いサポートがあれば、回復は十分に可能です。その道のりは決して平坦ではなく、一進一退を繰り返すこともあるかもしれません。それでも、希望を失う必要はありません。
このガイドが、今まさに暗闇の中にいるように感じているあなたや、あなたの大切な人にとって、一条の光となることを願っています。そして、ここで得た知識が、専門家への扉を叩くという、具体的で勇気ある次の一歩につながることを心から願っています。
助けを求めることは、弱さの表れではありません。それは、自分自身の人生を取り戻すための、最も力強く、賢明な選択なのです。
本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的助言に代わるものではありません。健康に関する懸念や、ご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
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