本記事の科学的根拠
この記事は、ご提供いただいた研究報告書で明示的に引用されている、最高品質の医学的エビデンスのみに基づいています。以下は、実際に参照された情報源と、提示された医学的指導との直接的な関連性を示したものです。
- 厚生労働省: 本記事における妊婦のビタミンK摂取目安量(1日150µg)に関する記述は、同省策定の「日本人の食事摂取基準」に基づいています。
- 日本産科婦人科学会(JAOG): 妊娠中の重度摂食障害におけるビタミンK補充の推奨や、新生児のビタミンK欠乏リスクに関する解説は、同学会の提言・見解を参考にしています。
- 日本小児科学会: 新生児へのビタミンK2シロップの具体的な予防投与法(週1回法など)に関する記述は、同学会が発表した最新の共同提言に基づいています。
- 米国国立衛生研究所(NIH): ビタミンKの基本的な機能(血液凝固、骨代謝)や、ワルファリンとの相互作用に関する記述は、同機関のファクトシートを参照しています。
要点まとめ
- 母子のための二重の守り: ビタミンKは、分娩時の母親の安全な止血を助けるとともに、赤ちゃんの丈夫な骨格形成に不可欠な、二つの重要な役割を担っています。
- 1日150µgの目標は達成可能: 日本の食事摂取基準が示す1日150µgという目標は、納豆1パックや緑黄色野菜の小鉢一皿で十分に達成できる、身近で現実的な数値です。
- 食事とK2シロップは補完関係: 妊娠中の食事は主に母体の健康を守り、新生児へのK2シロップ投与は出生後の赤ちゃんの脆弱な時期を確実に守るための、連携した安全システムです。両方とも等しく重要です。
- 食事からのビタミンKは非常に安全: 食品から摂取するビタミンKに過剰摂取の心配はなく、上限量も設定されていません。納豆やほうれん草、小松菜などを、安心して毎日の食卓に取り入れてください。
第1部 ビタミンKの基本的な重要性:母体と赤ちゃんのために
ビタミンKは単一の物質ではなく、共通の化学構造を持つ脂溶性ビタミン群の総称です1。その働きは多岐にわたりますが、特に妊娠期間においては「血液凝固」と「骨の健康」という二つの側面で、母子双方にとって不可欠な役割を果たします。この二つの働きを理解することが、ビタミンKを意識的に摂取する第一歩となります。
1.1 「凝固のビタミン」:安全な妊娠と出産を支える
ビタミンKの最もよく知られた機能は、血液を固める、すなわち止血(ヘモスタシス)における中心的な役割です。ビタミンKは、肝臓で血液凝固因子を合成する際に補酵素として働きます1。具体的には、プロトロンビン(凝固第II因子)をはじめ、第VII、IX、X因子といった、血液が固まるために必須のタンパク質の生成を制御しています2。この機能は、妊娠期間中、とりわけ分娩時に極めて重要となります。出産は、どうしても出血を伴うイベントです。母体のビタミンKが充足していることで、これらの凝固因子が正常に機能し、出血を適切にコントロールすることができます。逆にビタミンKが不足すると、活性を持たない異常な凝固因子が作られてしまい、血液凝固能力が低下します2。これにより、出血が止まりにくくなるリスクが高まります。臨床的には、ビタミンK欠乏状態はプロトロンビン時間(PT)の延長という形で確認されます1。したがって、妊娠中からビタミンKを十分に摂取することは、分娩時の母体の安全を確保するための重要な栄養戦略の一つと言えます。
1.2 血液凝固だけではない:丈夫な骨を形成するパートナー
ビタミンKのもう一つの重要な役割は、骨の代謝への関与です。ビタミンKは、骨の形成に不可欠な「オステオカルシン」というタンパク質を活性化させる働きを持っています3。活性化されたオステオカルシンは、食事から摂取したカルシウムを骨基質(骨の土台)に沈着させる、いわば「案内役」のような役割を果たします4。これにより、骨の石灰化が促進され、骨密度が高まり、丈夫な骨が作られます4。この働きは、胎児の骨格形成と母親自身の骨の健康維持の両方にとって重要です。妊娠中、胎児の骨や歯は、母親の体から供給されるカルシウムを元に作られます5。母親が十分なビタミンKを摂取することで、摂取したカルシウムが効率的に胎児の骨格形成に利用されると同時に、母親自身の骨からカルシウムが過剰に溶け出すのを防ぎ、産後の骨粗しょう症リスクを低減する助けにもなります6。このため、専門家の間では、カルシウム、ビタミンD、ビタミンKを「骨の健康のゴールデントライアングル」と呼ぶことがあります4。ビタミンDが腸からのカルシウム吸収を助け、ビタミンKがそのカルシウムを骨へと導く、という見事な連携プレーが、母子双方の丈夫な骨を育むのです。このように、ビタミンKの摂取は、分娩時の安全性という短期的な目標と、母子の骨の健康という長期的な目標の両方に貢献する、非常に効率的な栄養管理と言えるでしょう。
第2部 新生児を守るために:ビタミンK欠乏性出血症(VKDB)という重要な課題
妊娠中の食事について考えるとき、生まれてくる赤ちゃんの健康は最も大きな関心事です。ビタミンKに関して、母親の食事が重要であると同時に、日本のほぼ全ての産院で新生児に対してビタミンK(K2シロップ)が投与されるという事実があります。この二つのアプローチは、一見すると重複しているように思えるかもしれませんが、実はそれぞれが異なる目的を持つ、補完的な安全対策なのです。この関係性を理解することは、不要な心配をなくし、安心して医療を受ける上で非常に重要です。
2.1 なぜ新生児は特にリスクが高いのか:3つの脆弱性
新生児、特に生後数週間から数ヶ月の乳児は、生理的にビタミンKが欠乏しやすい状態にあります。これは母親の健康状態とは無関係の、自然な現象です7。その理由は主に3つあります。
- 胎盤通過性が低い: ビタミンKは、他の多くの栄養素と異なり、胎盤を効率的に通過することができません2。つまり、母親が妊娠中にどれだけ十分なビタミンKを摂取しても、胎児の体内に十分な量が蓄積されるわけではないのです2。赤ちゃんは、ごくわずかなビタミンKの蓄えだけで生まれてきます。
- 腸内が無菌状態: 成人では、ビタミンK(特にビタミンK2)の一部は腸内細菌によって合成されます2。しかし、新生児の腸内は生まれてすぐは無菌状態であり、ビタミンKを産生する善玉菌が定着するには時間がかかります7。
- 母乳中のビタミンK含有量が少ない: 母乳は赤ちゃんにとって理想的な栄養源ですが、ビタミンKの含有量は、ビタミンKが強化された人工乳(粉ミルク)に比べて少ないことが知られています2。そのため、特に母乳栄養の赤ちゃんは、ビタミンKの予防投与を受けないと、欠乏症のリスクが相対的に高まります8。
これらの理由から、新生児は「新生児・乳児ビタミンK欠乏性出血症(VKDB)」という、特有の出血性疾患のリスクを抱えています。
2.2 日本の標準医療:K2シロップによる予防投与を理解する
新生児の生理的なビタミンK欠乏状態を補うため、全ての新生児へのビタミンK予防投与は、1960年代から世界的に確立された標準医療です9。日本では、経口のビタミンK2(メナテトレノン)シロップが一般的に用いられます10。この予防投与の目的は、VKDBを未然に防ぐことです。VKDBは稀な疾患ですが、発症すると消化管出血や皮下出血、そして最も重篤なものとして頭蓋内出血(脳出血)を引き起こす可能性があります。頭蓋内出血は、赤ちゃんの生命を脅かしたり、重い神経学的後遺症を残したりする危険性があるため、その予防は極めて重要です2。かつて日本では、「出生時・生後1週・生後1ヶ月」の計3回、K2シロップを投与する方法が主流でした。しかし、この3回法でもVKDB、特に遅発型の発症が報告されたことから、より確実な予防を目指してガイドラインが改訂されました2。日本小児科学会や日本産科婦人科学会などが共同で発表した2021年の最新の提言では、「哺乳確立時、生後1週または産科退院時のいずれか早い時期に投与し、その後は生後3ヶ月まで週1回投与する」方法が推奨されています11。このK2シロップの予防投与は非常に安全であり、万が一誤って多く飲ませてしまっても赤ちゃんに悪影響が出ることはないと報告されています8。ここで重要なのは、母親の食事(妊娠中のビタミンK摂取)と新生児へのK2シロップ投与は、それぞれが補完し合う二本柱の安全戦略であるということです。妊娠中の食事は、主に母親自身の分娩時の安全を確保し、胎児が極度の欠乏状態に陥るのを防ぐ役割を果たします。一方、新生児へのK2シロップ投与は、出生後の生理的な脆弱性を確実にカバーし、赤ちゃんが自身の力でビタミンKを維持できるようになるまでの「橋渡し」をする役割を担っています。したがって、妊娠中に十分な食事を心がけることと、出生後に赤ちゃんがK2シロップを確実に内服することは、どちらも等しく重要です。
第3部 あなたの食事目標:妊娠中のビタミンK推奨摂取量
ビタミンKの重要性を理解した上で、次に知りたいのは「具体的にどれくらいの量を摂取すれば良いのか」という点でしょう。ここでは、日本の公式なガイドラインを基に、具体的な目標摂取量と、その数値が持つ意味について解説します。
3.1 日本の食事摂取基準:目安量は1日150µg
厚生労働省が策定する「日本人の食事摂取基準(2020年版および2025年版)」では、妊娠中の女性(18歳以上)におけるビタミンKの摂取目標として「目安量(AI: Adequate Intake)」が1日あたり150マイクログラム(µg)と設定されています12。ここで「目安量(AI)」という言葉の意味を理解することが重要です。栄養素の摂取基準には、科学的根拠のレベルに応じていくつかの指標があります。十分な科学的データがある場合は「推奨量(RDA)」が設定されますが、ビタミンKのように、必要量を正確に算定するためのデータがまだ不十分な栄養素については、「この量を摂取していれば、不足のリスクはほとんどない」と考えられる量として「目安量」が設定されます13。妊婦のビタミンK目安量については、妊娠期に特有の付加量を設定するための十分なデータがないため、非妊娠時の成人の値がそのまま適用されています。これは、非妊娠時の目安量を満たしていれば、胎児の正常な発育に問題はないという考え方に基づいています13。この150µgという値は、日本人の一般的な食生活(納豆や海藻などを摂取する習慣)を考慮した上で、潜在的な欠乏状態を回避できる量として設定された、国際的に見ても比較的高めの水準です14。
3.2 グローバルな視点:日本の基準を他国と比較する
健康に関する情報を得る際、他国の基準と比較することで、より客観的な視点を持つことができます。日本の150µg/日という目安量は、他国の基準と比べて高いことがわかります。
機関・国 | 対象 | 摂取基準の種類 | 1日の摂取目標量 (µg) | 典拠 |
---|---|---|---|---|
厚生労働省(日本) | 妊婦 (18歳以上) | 目安量 (AI) | 150 µg | 13 |
米国国立衛生研究所 (NIH) | 妊婦 (19歳以上) | 目安量 (AI) | 90 µg | 1 |
欧州食品安全機関 (EFSA) | 妊婦 | 目安量 (AI) | 70 µg | 15 |
この表を見ると、日本の基準が欧米に比べて高いことが一目瞭然です。しかし、これは「日本人の妊婦が他国より多くのビタミンKを必要とする」あるいは「リスクが高い」ということを意味するわけではありません。各国の基準値の違いは、基準策定に用いる科学的方法論、対象集団の平均的な体格(参照体重)、そして何よりもその国の平均的な食事摂取量のデータに基づいているためです。欧米に比べて、日本の食生活は伝統的にビタミンKが豊富な食品(納豆、緑黄色野菜、海藻など)を多く含んでいます。そのため、日本人の摂取実態を反映した、より安全で達成可能な目標として150µgという値が設定されていると解釈できます。どの国の基準も、科学的根拠がまだ十分でないために「目安量(AI)」として設定されている点は共通しており1、いずれも健康な妊娠を維持するのに十分な量と考えられています。したがって、日本のガイドラインである150µg/日を目標に、安心して食生活を組み立てることが推奨されます。
3.3 重度の母体欠乏症の影響:稀だが重要な注意点
第4部 妊娠中の食事のための究極のビタミンK食品リスト
ここからは、日々の食事でビタミンKを効率的に摂取するための具体的な食品リストをご紹介します。日本の食生活で手に入りやすい食材を中心に、その含有量や特徴を詳しく解説します。
4.1 ビタミンKの2つの顔:K1とK2
食事から摂取するビタミンKには、主に2つの種類があります。それぞれの特徴を知ることで、より賢く食品を選ぶことができます。
- ビタミンK1(フィロキノン): 主に植物の葉緑体で作られるため、ほうれん草や小松菜といった色の濃い葉物野菜、ブロッコリー、海藻類、植物油などに豊富に含まれています2。私たちが食事から摂取するビタミンKの多くはこのK1です。
- ビタミンK2(メナキノン類): 微生物によって合成されるビタミンKの総称で、いくつかの種類(MK-4、MK-7など)があります。納豆などの発酵食品や、チーズ、肉類、卵などに含まれるほか、健康な人の腸内細菌によっても作られます1。
特に、納豆は「メナキノン-7(MK-7)」という種類のビタミンK2を極めて豊富に含んでいることで知られています4。研究によれば、このビタミンK2(特にMK-7)は、ビタミンK1よりも体内への吸収率が高く、血液中で長く活性を保つことができるという利点があります16。つまり、緑黄色野菜からK1を、納豆からK2を、というように両方をバランス良く摂取することが理想的と言えます。
4.2 ビタミンKの宝庫:日本のトップクラス食品
日本の食品成分データベースなどの信頼できる情報に基づき、特にビタミンK含有量が多い食品を以下に示します。100gあたりの含有量を知ることで、どの食品が特に効率的かを把握できます。
食品名 | ビタミンKの種類 | 含有量 (µg / 100gあたり) | 典拠 |
---|---|---|---|
玉露(茶葉) | K1 | 4,000 | 17 |
抹茶(粉末) | K1 | 2,900 | 17 |
あまのり(ほしのり) | K1 | 2,600 | 18 |
乾燥わかめ | K1 | 1,800 | 17 |
ひきわり納豆 | K2 (MK-7) | 930 | 17 |
パセリ(生) | K1 | 850 | 17 |
しそ(葉、生) | K1 | 690 | 17 |
モロヘイヤ(生) | K1 | 640 | 17 |
糸引き納豆 | K2 (MK-7) | 600 | 19 |
ほうれん草(油いため) | K1 | 510 | 17 |
しゅんぎく(ゆで) | K1 | 460 | 17 |
だいこんの葉(ゆで) | K1 | 340 | 19 |
小松菜(ゆで) | K1 | 320 | 19 |
ほうれん草(ゆで) | K1 | 320 | 19 |
ブロッコリー(生) | K1 | 210 | 20 |
鶏皮(生) | K2 (MK-4) | 120 | 18 |
注:玉露や抹茶は茶葉そのものの含有量であり、抽出液の含有量とは異なります。
この表から、納豆や海苔、色の濃い葉物野菜が非常に優れたビタミンK源であることがわかります。
4.3 ビタミンK豊富な食卓を作る:実践的フードガイド
100gあたりの含有量も重要ですが、実際に食べる「一食分」でどれくらい摂取できるかを知ることが、日々の献立作りには最も役立ちます。ここでは、1日の目安量150µgを達成するための具体的な食品と量の目安をご紹介します。
納豆の圧倒的なパワー
納豆はビタミンKの王様と言っても過言ではありません。特にひきわり納豆は含有量が多く、市販の1パック(約40-50g)を食べるだけで、1日の目安量を大幅に上回るビタミンKを摂取できます。さらに、納豆は良質なたんぱく質、食物繊維、鉄分、カルシウムの吸収を助けるマグネシウムなども豊富で、まさに妊娠中に最適なスーパーフードです6。また、富山大学の研究報告によれば、納豆などの発酵食品の摂取が、早期早産のリスクを低下させる可能性も示唆されています21。
毎日の食卓に取り入れたい緑黄色野菜
小松菜、ほうれん草、春菊、ブロッコリー、にら、おかひじきなどは、ビタミンKだけでなく、胎児の発育に重要な葉酸や、抗酸化作用のあるβ-カロテン、ビタミンCなども豊富に含んでいます22。おひたしや和え物、味噌汁の具、炒め物など、様々な料理に活用しましょう。
その他の優れた選択肢
海藻類(わかめ、海苔)、鶏肉(特に皮の部分)、卵(卵黄)、大豆油なども良いビタミンK源です18。特定の食品に偏らず、多様な食材を組み合わせることが、栄養バランスの観点からも理想的です。
食品名 | 一食あたりの目安量 | ビタミンK含有量の目安 (µg) | 典拠 |
---|---|---|---|
ひきわり納豆 | 1パック (50g) | 約 465 µg | 17, 20 |
糸引き納豆 | 1パック (50g) | 約 300 µg | 19 |
小松菜(ゆで) | 小鉢1杯 (80g) | 約 256 µg | 19 |
ほうれん草(ゆで) | 小鉢1杯 (80g) | 約 256 µg | 19 |
春菊(ゆで) | 1/4束 (50g) | 約 230 µg | 17, 19 |
ブロッコリー(電子レンジ加熱) | 1/4株 (50g) | 約 110 µg | 19 |
鶏もも肉(皮付き、ゆで) | 100g | 約 47 µg | 19 |
焼き海苔 | 全形1枚 (3g) | 約 78 µg | 17, 18 |
この表からわかるように、納豆を1日1パック食べる、あるいは小松菜やほうれん草のおひたしを小鉢で一皿食べるだけで、1日の目安量150µgは簡単にクリアできます。この事実を知ることで、ビタミンKの摂取が決して難しいことではなく、日々の食生活の中で手軽に実践できることだと感じていただけるでしょう。
第5部 実践的なアドバイスと安全性
ビタミンKを食事に取り入れる際に知っておくと役立つ、吸収率を高める工夫や安全性に関する情報について解説します。
5.1 吸収率を最大化する:脂質の役割
ビタミンKは「脂溶性ビタミン」に分類されます4。これは、油(脂質)と一緒に摂取することで、体内への吸収率が格段に高まるという性質を意味します。この性質を活かすための簡単な工夫は、ビタミンKが豊富な野菜を調理する際に、少量の油を使うことです。例えば、日本産科婦人科学会が示すように、ほうれん草や小松菜を炒め物にしたり2、サラダにオイルベースのドレッシングをかけたり、といった方法が効果的です。使用する油を、それ自体もビタミンKを含む大豆油などにすれば、さらに効率的です17。この一手間が、摂取したビタミンKを無駄なく体内に取り込むための鍵となります。
5.2 安全性について:過剰摂取の心配は?
栄養素を意識的に摂取しようとすると、「摂りすぎてしまったらどうしよう」という不安がよぎることがあります。しかし、ビタミンKに関しては、その心配はほとんどありません。食事からの摂取において、ビタミンK1(植物由来)およびK2(発酵食品・動物由来)のいずれも、通常の食事から摂取する範囲では、過剰摂取による健康被害(毒性)は報告されていません。そのため、厚生労働省も米国や欧州の機関も、耐容上限量(UL: Tolerable Upper Intake Level)を設定していません112。ビタミンKが豊富な食品は、安心して食事に取り入れることができます。また、赤ちゃんに投与されるK2シロップも非常に安全性が高く、万が一、指示された量より多く飲ませてしまった場合でも、健康上の問題は報告されていません8。過去に、ビタミンKの大量投与が新生児の黄疸(高ビリルビン血症)を引き起こす可能性が指摘されたことがありますが、スタンフォード大学医学部の資料によれば、これは現在では使用されていない合成型のビタミンK3(メナジオン)や、極端に高用量のビタミンK1を投与した場合に見られた現象です23。現在の食事からの摂取や、標準的な予防投与で用いられるビタミンK2シロップでは、このようなリスクはありません。ただし、一般的な注意として、医師の特別な指示がない限り、妊娠中に特定の栄養素のサプリメントを高用量で自己判断で摂取することは避けるべきです24。
5.3 重要な注意点:特定の医薬品との相互作用
ワルファリン服用中の注意
ビタミンKの摂取において、最も注意が必要なのは、特定の医薬品との相互作用です。妊娠中に該当することは稀ですが、安全のために知っておくべき重要な情報です。血液を固まりにくくする薬である抗凝固薬ワルファリン(ワーファリン)は、ビタミンKの働きを阻害することによってその効果を発揮します1。そのため、ワルファリンを服用している人がビタミンKを大量に摂取すると、薬の効果が弱まってしまいます。特にビタミンK含有量が突出して多い納豆は、ワルファリン服用中は摂取を控えるよう指導されるのが一般的です4。一部の抗てんかん薬や、長期間にわたる抗生物質の使用も、ビタミンKの代謝や腸内での合成を妨げ、欠乏のリスクを高めることがあります2。これらの薬を服用中に妊娠した場合は、必ず主治医と産婦人科医に相談し、適切な管理を受ける必要があります。
よくある質問
Q1: 妊娠中にビタミンKを摂りすぎても大丈夫ですか?
Q2: なぜ赤ちゃんにはK2シロップが必要なのですか?妊娠中の食事だけでは不十分ですか?
Q3: 1日のビタミンK摂取目標(150µg)を達成するのは難しいですか?
結論:バランスの取れた安心なマタニティ栄養学
本稿を通じて、妊娠中におけるビタミンKの多面的な重要性をご理解いただけたことと思います。最後に、要点をまとめ、日々の食生活に自信を持っていただくためのメッセージをお伝えします。ビタミンKは、分娩時の母親の安全な止血を助けるとともに、赤ちゃんの丈夫な骨格を形成するために不可欠な、二つの重要な役割を担っています。日本の食事摂取基準が示す1日150µgという目標は、納豆1パックや緑黄色野菜の小鉢一皿で十分に達成できる、身近で現実的な数値です。妊娠中の食事は主に母体の健康を守り、新生児へのK2シロップ投与は出生後の赤ちゃんの脆弱な時期を確実に守るための、連携した安全システムであり、両方とも等しく重要です。食品から摂取するビタミンKに過剰摂取の心配はなく、上限量も設定されていません。納豆やほうれん草、小松菜などを、安心して毎日の食卓に取り入れてください。妊娠期間は、ご自身の体と赤ちゃんの成長のために、栄養について深く考える素晴らしい機会です。ビタミンKの働きとその摂取方法を正しく理解することで、日々の食事が母子の健康への確かな投資となります。特定の食品に固執するのではなく、本稿でご紹介したようなビタミンK豊富な食材を、多様な食品と組み合わせてバランス良く楽しむことが、最も賢明なアプローチです。ご自身の食事の選択と、産科・小児科医療チームが提供するケアの両方を信頼し、自信を持って、健やかで喜びに満ちたマタニティライフをお送りください。
本記事は情報提供のみを目的としており、専門的な医学的アドバイスを構成するものではありません。健康に関する懸念がある場合、またはご自身の健康や治療に関する決定を下す前には、必ず資格のある医療専門家にご相談ください。
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