この記事の科学的根拠
この記事は、入力された研究報告書に明示的に引用されている最高品質の医学的根拠にのみ基づいています。以下に示すリストは、実際に参照された情報源のみを含み、提示された医学的指針との直接的な関連性を示しています。
- 国立国際医療研究センター(NCGM): この記事における「日本国内の重症低血糖による年間入院患者数および死亡率」に関する指針は、NCGMが発表した研究報告書に基づいています1。
- 米国糖尿病協会(ADA): 「低血糖のレベル分類(レベル1, 2, 3)」に関する指針は、ADAの臨床実践基準に基づいています2。
- 厚生労働省(MHLW): 「低血糖の緊急対応におけるブドウ糖摂取量の基準」に関する指針は、MHLWが発行した重篤副作用疾患別対応マニュアルに基づいています3。
- 厚生労働省委託研究班: 「インスリノーマおよび自己免疫性低血糖症が日本における自発性低血糖症の主要原因であること」に関する指針は、厚生労働科学研究費補助金による研究報告に基づいています4。
- 日本糖尿病学会 & 日本老年医学会: 「高齢者における低血糖予防を重視した血糖管理目標」に関する指針は、両学会が合同で策定した提言に基づいています5。
- Endocrine Society: 「持続血糖測定器(CGM)やグルカゴン製剤の使用」に関する指針は、Endocrine Societyの最新の臨床実践ガイドラインに基づいています6。
要点まとめ
- 低血糖は、糖尿病患者だけでなく、糖尿病ではない人にも起こりうる深刻な健康問題です。日本では年間約2万人が重症低血糖で入院しています1。
- 低血糖の症状には、冷や汗や動悸などの警告症状と、錯乱や意識障害など脳の機能低下による危険な症状があります。
- 糖尿病ではない人の低血糖の主な原因として、日本ではインスリノーマ(膵臓の腫瘍)や、特定のサプリメント(α-リポ酸)が関連する自己免疫性低血糖症が報告されています4。
- 食後の眠気やだるさは、炭水化物の多い食事による血糖値の乱高下(血糖値スパイク)が原因の「反応性低血糖」の可能性があります7。
- 緊急時にはブドウ糖15〜20gを摂取する「15-15ルール」が基本ですが、意識がない場合は救急要請が必須です。最新の持続血糖測定器(CGM)は予防に極めて有効です6。
- 高齢者では症状が非典型的で気づきにくく、転倒や認知機能低下の危険性が高いため、特に厳重な注意が必要です5。
低血糖とは何か?― 基本的な定義と血糖値の基準
健康を維持するためには、血液中のブドウ糖(血糖)の濃度が一定の範囲内に保たれていることが不可欠です。低血糖とは、この血糖値が異常に低下した状態を指します。医学的には、単に症状があるだけではなく、客観的な血糖値の測定に基づいて診断されます。この基準を理解することは、状態を正確に把握し、適切に対処するための第一歩です。
国際的な基準として広く用いられている米国糖尿病協会(ADA)の「標準的医療における基準(Standards of Care)」では、低血糖をその重症度に応じて3つのレベルに分類しています2。この分類は、臨床的な緊急度を判断する上で非常に重要です。
- レベル1(警告低血糖): 血糖値が70mg/dL未満、54mg/dL以上の範囲。これは「注意」のサインであり、速やかな炭水化物の補給が推奨される段階です。
- レベル2(臨床的に重要な低血糖): 血糖値が54mg/dL未満。このレベルでは、脳のエネルギー源であるブドウ糖が不足し始めるため、神経症状が出現する明確な危険性があります。
- レベル3(重症低血糖): 特定の血糖値の閾値はなく、他者の援助を必要とするほどの重篤な認知機能障害を伴う状態と定義されます。意識障害やけいれんを引き起こし、生命に危険が及ぶ可能性があるため、緊急の医療介入が必要です。
日本の厚生労働省も、その「重篤副作用疾患別対応マニュアル」の中で、血糖値が70mg/dL以下になった場合を低血糖状態とみなし、迅速な対応を求めています3。これらの基準は、自分や家族の体調変化が低血糖によるものかどうかを判断するための重要な指標となります。
低血糖の症状:体からの危険信号を見逃さないために
低血糖の症状は、血糖値がどの程度、またどれくらいの速さで低下するかによって様々です。これらの症状は大きく二つのカテゴリーに分けられます。一つは体が血糖値を上げようとして出す「警告症状」、もう一つは脳のエネルギー不足が深刻化して現れる「危険な症状」です8。
警告症状(自律神経症状):体が発する最初のサイン
血糖値が下がり始めると、体は血糖値を正常に戻そうとして、アドレナリンやグルカゴンといったホルモンを分泌します。これらのホルモンの作用によって引き起こされるのが自律神経症状であり、低血糖の初期の警告サインです。これらのサインに気づき、早期に対処することが重症化を防ぐ鍵となります。
- 強い空腹感: 体がエネルギー補給を求めているサインです。
- 冷や汗: アドレナリンの作用で汗腺が刺激されます。
- 動悸(心臓がドキドキする): 心拍数を増やして血流を促進しようとします。
- 手足の震え: 特に指先が震えることが多く見られます。
- 不安感、イライラ: ホルモンバランスの変化が精神状態に影響します。
- 顔面蒼白: 末梢の血管が収縮するために起こります。
危険な症状(中枢神経症状):脳のエネルギー不足が引き起こすこと
警告症状が放置され、血糖値がさらに低下すると、脳が必要とするブドウ糖が供給されなくなります。脳は体重の約2%しかないにもかかわらず、体全体のエネルギーの約20%を消費し、そのエネルギー源をほぼ完全にブドウ糖に依存しています。そのため、脳のブドウ糖が不足すると(神経糖減少症)、中枢神経系の機能に深刻な障害が生じます9。
- 異常な眠気、生あくび: 脳の活動が低下している初期の兆候です。
- 強い疲労感、脱力感: 全身のエネルギー不足を感じます。
- 集中力の低下、思考力の減退: 簡単な計算や会話が困難になります。
- かすみ目、視覚異常: 視覚を司る脳の領域が影響を受けます。
- ろれつが回らない、言葉が出にくい: 会話の機能に障害が出ます。
- 錯乱、異常な行動: 判断力や理性が失われ、普段とは違う行動をとることがあります。
- けいれん、意識消失(昏睡): 最も重篤な症状であり、緊急治療が必要です。
無自覚性低血糖と夜間低血糖:静かなる脅威
特に注意が必要なのが「無自覚性低血糖(hypoglycemia unawareness)」です。これは、低血糖を繰り返すうちに体がその状態に慣れてしまい、アドレナリンなどによる警告症状が出にくくなる状態です。警告なしに突然、意識障害などの危険な症状が出現するため、非常に危険です。日本で行われたある調査では、重症低血糖を経験した患者のうち、その前兆となる症状を自覚できたのはわずか35.5%であったと報告されており、多くの患者が無自覚性低血糖のリスクに晒されている可能性が示唆されています10。この状態は夜間に起こることも多く(夜間低血糖)、睡眠中に重症化しても本人や家族が気づかず、朝になっても目覚めないといった事態につながることもあります。
低血糖の診断:原因を突き止めるための医学的アプローチ
低血糖の症状が見られた場合、それが本当に低血糖によるものなのか、そしてなぜそれが起こっているのかを正確に診断することが治療の第一歩となります。特に糖尿病ではない人において、原因を特定するためには系統的な医学的評価が不可欠です。
ウィップルの3徴:診断のゴールドスタンダード
低血糖症の診断、特に糖尿病治療中ではない人における診断の根幹をなすのが「ウィップルの3徴(Whipple’s triad)」として知られる古典的な診断基準です9。これは以下の3つの条件が全て満たされることを確認するものです。
- 低血糖に合致する症状(冷や汗、動悸、意識障害など)が出現する。
- 症状が出現しているまさにその時に、採血を行い、血漿中の血糖値が低いことを客観的に証明する。
- ブドウ糖などを摂取して血糖値を正常に戻すことにより、それらの症状が完全に消失する。
この3つが揃って初めて、その症状が真に低血糖によるものであると確定診断できます。
専門的な検査:血液検査から絶食試験まで
ウィップルの3徴が確認された後、次はその原因を特定するための詳細な検査が行われます。これには、低血糖時の血液を採取し、血糖値を調節するホルモンの状態を評価することが含まれます。具体的には、インスリン、C-ペプチド(インスリンが作られる過程でできる副産物)、プロインスリン(インスリンの前駆体)などの濃度を測定します11。
もしインスリノーマ(後述)のような、空腹時に低血糖を引き起こす疾患が疑われる場合には、「72時間絶食試験」という入院下での厳密な検査が必要になることがあります。この試験では、患者さんは医療スタッフの厳重な監視のもとで最長72時間絶食し、低血糖症状が誘発されるのを待ちます。症状が現れた時点で直ちに採血を行い、ホルモン値を測定することで、診断を確定します。
なぜ低血糖になるのか?― 糖尿病から、知られざる原因まで
低血糖の原因は多岐にわたります。最もよく知られているのは糖尿病治療に関連するものですが、それ以外にも様々な病気や生活習慣が引き金となり得ます。
糖尿病治療に伴う低血糖
これは低血糖の最も一般的な原因です。インスリン注射や特定の経口血糖降下薬(特にスルホニル尿素薬(SU薬)など)は、血糖値を下げる強力な作用を持ちますが、その効果が強すぎると低血糖を引き起こします。主な誘因としては、薬の量の誤り、食事を抜いたり炭水化物の摂取量が少なすぎたりすること、あるいは予定外の激しい運動などが挙げられます12。
【重要】糖尿病ではない人の低血糖:原因不明の体調不良の正体
「自分は糖尿病ではないはずなのに、なぜか低血糖のような症状が出る」と悩んでいる方は少なくありません。このような非糖尿病性の低血糖には、見過ごされがちながらも重要な原因が潜んでいることがあります。
インスリノーマと内因性高インスリン血症
インスリノーマは、膵臓にあるインスリンを分泌する細胞(β細胞)から発生する稀な腫瘍です。この腫瘍は血糖値とは無関係にインスリンを過剰に産生し続けるため、特に空腹時に重篤な低血糖を引き起こします。厚生労働省の委託研究班が実施した日本全国調査によると、自発性低血糖症(薬などが原因ではない低血糖)の原因としてインスリノーマが26%を占め、最も多い原因であることが判明しています4。これは、原因不明の低血糖を診断する上で常に考慮されるべき重要な疾患です。
自己免疫性低血糖症:サプリメントが引き金になる日本の特殊事情
自己免疫性低血糖症(Insulin Autoimmune Syndrome, IAS)は、体がインスリンに対する自己抗体(インスリン抗体)を作ってしまう疾患です。この抗体はインスリンと結合し、食後に分泌されたインスリンを一時的に溜め込み、後になってから予期せぬタイミングで大量に放出させるため、食後数時間経ってから低血糖を引き起こします。前述の全国調査では、IASが原因の18.4%を占め、インスリノーマに次いで2番目に多い原因でした4。特に日本人を含む東アジア人に多いとされています。そして、日本の消費者にとって極めて重要な発見は、この疾患が特定の健康食品やサプリメントに含まれる「α-リポ酸」の摂取と強く関連しているという報告です4。これは、安易なサプリメント摂取が予期せぬ健康被害をもたらす可能性を示す、価値ある公衆衛生上の警告と言えます。
反応性低血糖と「血糖値スパイク」:現代日本の食生活との関連
食後の強い眠気、倦怠感、イライラといった症状は、「反応性低血糖」のサインかもしれません。これは病的な状態というよりは、食生活に起因する生理的な反応と考えられています。白米、パン、麺類、甘い飲料など、糖質が多く吸収の速い食品を一度に大量に摂取すると、血糖値が急上昇します。この現象は俗に「血糖値スパイク」と呼ばれています713。この急激な血糖上昇に対し、膵臓は血糖値を下げようとインスリンを過剰に分泌します。その結果、インスリンが効きすぎてしまい、食後2〜4時間程度で逆に血糖値が下がりすぎてしまうのです7。多忙な生活の中で朝食を抜いたり、昼食を丼物や麺類で手早く済ませたりする現代日本の食生活習慣は、この反応性低血糖を引き起こしやすい環境と言えるでしょう。
その他の原因:重篤な疾患、薬剤、アルコール、ホルモン欠乏症
上記以外にも、低血糖は様々な深刻な病態の兆候として現れることがあります。重度の肝不全や腎不敗、敗血症のような重症感染症、胃切除後のダンピング症候群、栄養失調、過度のアルコール摂取などが原因となり得ます。また、インスリンの作用に拮抗するホルモン(コルチゾールや成長ホルモンなど)が不足する病気(アジソン病や下垂体機能低下症など)でも低血糖が起こることがあります9。
低血糖が起きたときの緊急対応:命を守るための行動
低血糖の症状が現れたら、迅速かつ冷静に行動することが何よりも重要です。対応は、本人の意識がはっきりしているかどうかで大きく異なります。
意識がある場合:「15-15ルール」の実践
本人の意識がはっきりしており、安全に飲み食いができる場合は、「15-15ルール」と呼ばれる国際的に推奨されている方法で対処します2。これは非常にシンプルで効果的な手順です。
- ステップ1:ブドウ糖を15〜20g摂取する。
これは、吸収の速い炭水化物でなければなりません。厚生労働省やADAの指針に基づき、具体的にはブドウ糖そのもの(薬局などで入手可能)や、それを含むジュース(約150〜200ml)、砂糖(大さじ2杯程度)などが推奨されます23。脂肪分を多く含むチョコレートやアイスクリームは、糖の吸収を遅らせるため、緊急時の対応としては不適切です14。 - ステップ2:15分待つ。
摂取した糖分が血液中に吸収され、血糖値を上げるまでには時間が必要です。焦らずに15分間、安静にして待ちます。 - ステップ3:血糖値を再測定する。
15分後に血糖自己測定器で血糖値を測ります。まだ低い場合(例:70mg/dL未満)や、症状が改善しない場合は、ステップ1から繰り返します。 - ステップ4:回復後の補食。
血糖値が正常に戻ったら、次の食事まで時間がある場合は、低血糖の再発を防ぐために、おにぎりやクラッカー、牛乳など、より持続性のある炭水化物やタンパク質を含む軽食を摂ります。
意識がない場合:グルカゴンの使用と救急要請
本人が呼びかけに反応しない、意識が朦朧としている、または完全に意識を失っている場合、これは極めて危険な医療緊急事態です。このような状況では、絶対に口から無理に食べ物や飲み物を与えようとしてはいけません。窒息や誤嚥のリスクがあり、命に関わります。
家族など周囲にいる人が行うべき最も重要な行動は以下の通りです。
- 直ちに救急車を呼ぶ(電話番号:119)。
- もし医師から処方され、家族が使い方を指導されている場合は、グルカゴン製剤を使用します。グルカゴンは肝臓に蓄えられたグリコーゲンをブドウ糖に変えさせて血糖値を上げるホルモンです。近年では従来の注射剤に加え、鼻からスプレーするタイプの製剤も利用可能になっており、一般の人でも使いやすくなっています。2022年のEndocrine Societyのガイドラインでも、重症低血糖のリスクが高い患者の家族や介護者へのグルカゴン処方と使用教育が強く推奨されています6。
- 救急隊が到着するまで、体を横向きにして気道を確保し、呼吸状態を観察します。
長期的な管理と予防戦略:低血糖と共存し、コントロールするために
低血糖は、一度起きたら終わりではありません。特に慢性的な原因がある場合は、再発を防ぐための長期的な管理戦略が不可欠です。食事、運動、生活習慣の改善、そして最新技術の活用がその柱となります。
食事療法:血糖安定化の鍵
血糖値を安定させるためには、食事の摂り方が極めて重要です。特に反応性低血糖に悩む方にとっては、食事療法が最も効果的な対策となります。日本の専門クリニックなどが推奨する、科学的根拠に基づいた食事のポイントは以下の通りです1516。
- 食事を小分けにする:一度に大量に食べるのではなく、1日3食の主食に加え、2〜3回の補食を摂ることで、血糖値の急激な変動を防ぎます。
- 食べる順番を工夫する(ベジファースト):食事の最初に野菜や海藻などの食物繊維を摂り、次に肉や魚などのタンパク質、最後に米やパンなどの炭水化物を食べることで、糖の吸収が緩やかになり、血糖値スパイクを抑制できます。
- 低GI(グリセミック・インデックス)食品を選ぶ:GI値とは、食後の血糖値の上昇度を示す指標です。玄米、全粒粉パン、豆類、きのこ類などの低GI食品は、血糖値をゆっくりと上げるため、インスリンの過剰分泌を防ぎます。
- タンパク質と良質な脂質を十分に摂る:タンパク質と脂質は糖の吸収を遅らせる効果があり、満腹感を持続させます。毎食これらをバランス良く取り入れることが重要です。
運動とライフスタイルの改善
適度な運動はインスリンの感受性を高め、血糖コントロールを改善しますが、やり方を間違えると低血糖のリスクを高めることもあります。食後1〜2時間程度のタイミングでウォーキングなどの軽い運動を行うのが効果的です。空腹時や強度の高い運動は避けるべきです17。
また、ストレスと睡眠も血糖値に大きく影響します。慢性的なストレスは、血糖値を上げるホルモンであるコルチゾールの分泌を促し、インスリン抵抗性を引き起こすことが知られています18。十分な睡眠、リラクゼーション法の実践など、ストレス管理も血糖安定化には欠かせません。
最新テクノロジーの活用:CGMとインスリンポンプ
近年の医療技術の進歩は、低血糖の管理に革命をもたらしました。特に重要なのが持続血糖測定器(CGM: Continuous Glucose Monitoring)です619。CGMは、皮下に留置した小さなセンサーで間質液中のブドウ糖濃度を5分おきなど、継続的に測定する装置です。これにより、指先穿刺によるスポット測定では捉えきれなかった血糖値の変動パターンや、夜間低血糖、無自覚性低血糖を「見える化」できます。さらに、血糖値が設定した閾値を下回りそうになるとアラームで警告する機能があり、低血糖を未然に防ぐことが可能です。Endocrine Societyの2022年ガイドラインでは、低血糖リスクの高い患者に対するCGMの使用が強く推奨されています6。
インスリンポンプとCGMを連動させたシステム(SAP療法やAIDシステム)は、血糖値に応じてインスリン注入量を自動調整し、低血糖が予測されるとインスリン注入を自動的に停止する機能も備えており、より高度な低血糖予防を実現しています。
【特に注意が必要な人々】日本におけるハイリスク群
低血糖のリスクは誰にでもありますが、特に注意を払うべき人々がいます。
高齢者:気づきにくい症状と認知症への関連
高齢者は低血糖に対して特に脆弱な集団です。加齢に伴う生理機能の低下や、複数の薬剤を服用していることなどがその理由です。高齢者の低血糖の危険な特徴は、症状が非典型的であることです。若年者に見られるような動悸や冷や汗といった典型的な警告症状が出にくく、代わりにめまい、ふらつき、脱力感、混乱といった症状が前面に出ることがあります。これらは「年のせい」と見過ごされやすく、発見が遅れる原因となります20。
重症低血糖は、高齢者において転倒や骨折の直接的な原因となり、生活の質を著しく低下させます。さらに、繰り返す重症低血糖が認知機能の低下や認知症の発症リスクを高める可能性も指摘されています。このような背景から、日本糖尿病学会と日本老年医学会は合同で、高齢者糖尿病の血糖管理目標を発表し、厳格すぎる血糖コントロールよりも重症低血糖を回避することを最優先する方針を示しています521。
女性:ホルモンバランスとの関係
女性は、月経周期、妊娠、更年期といったライフステージを通じてホルモンバランスが大きく変動します。このホルモンの変動が血糖値の安定性に影響を与えることがあります。例えば、女性ホルモンであるエストロゲンはインスリン感受性を高める一方、プロゲステロンは低下させるといった報告があります。月経前に体調が不安定になり、甘いものが欲しくなったり、イライラしたりする症状の一部は、このホルモン変動に伴う血糖値の不安定さが関与している可能性も考えられます22。
よくある質問(FAQ)
Q1: 低血糖の予防や対処にチョコレートは有効ですか?
緊急時の対処法としては最適ではありません。チョコレートに含まれる脂肪分が糖の吸収を遅らせてしまうため、血糖値の上昇が緩やかになります。意識があり、緊急に血糖値を上げる必要がある場合は、ブドウ糖、砂糖、または果物ジュースといった吸収の速い糖質を摂取することが推奨されます。予防目的で少量を楽しむことは問題ありませんが、緊急対応の手段としては頼るべきではありません14。
Q2: 「血糖値スパイク」は病気ですか?
「血糖値スパイク」は正式な医学的診断名ではありませんが、食後に血糖値が急上昇し、その後急降下する状態を指す広く使われている言葉です。この状態自体が直ちに病気というわけではありませんが、血管にダメージを与え、長期的には2型糖尿病や心血管疾患の発症リスクを高める重要な危険因子と考えられています。健康な人でも、不適切な食生活を続けていると血糖値スパイクを経験することがあります13。
Q3: 低血糖の疑いがある場合、何科を受診すればよいですか?
結論
低血糖は、単なる「お腹が空いた」状態とは全く異なる、深刻な医学的状態です。それは糖尿病患者だけの問題ではなく、現代の食生活やストレス、あるいはインスリノーマや自己免疫疾患といった隠れた病気が原因で、誰にでも起こりうるものです。特に日本では、高齢化の進展や特有の食文化、サプリメントの利用といった背景から、注意すべき独自の側面が存在します。
この記事で解説したように、低血糖の症状を正しく認識し、適切な緊急対応を知ることは、自分自身や大切な人の命を守る上で不可欠です。さらに重要なのは、食事や運動、生活習慣を見直すことで、低血糖を予防し、長期的に血糖値を安定させることです。持続血糖測定器(CGM)のような最新技術は、そのための強力なツールとなります。もしあなたが原因不明の体調不良に悩んでいるなら、それは低血糖が発している危険信号かもしれません。躊躇することなく専門医に相談し、根本的な原因を解明することが、真の健康を取り戻すための第一歩となるでしょう。
参考文献
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