医学的レビュー:
この記事の作成にあたり、特定の医療専門家による個別の監修は受けておりませんが、日本の真菌症診療を主導する以下の専門家が所属する学会の指針や公表データを主要な科学的根拠としています。
• 宮﨑義継 先生(日本医真菌学会 理事長、国立感染症研究所 真菌部長)40
• 泉川公一 先生(長崎大学、日本医真菌学会 ガイドライン検討委員長)40
• 神田善伸 先生(自治医科大学、日本医真菌学会 アスペルギルス症診療ガイドライン作成委員長)40
この記事の科学的根拠
この記事は、下記に示すような権威ある国内外の医学会や公的機関が発表した診療ガイドライン、研究報告、統計データといった、質の高い科学的根拠にのみ基づいて作成されています。
- 日本呼吸器学会・日本医真菌学会: 本稿におけるアレルギー性気管支肺アスペルギルス症(ABPA)の解説や、その他の肺真菌症に関する国内の標準的な考え方は、これらの学会が公開する情報に基づいています122。
- 世界保健機関(WHO): 2022年に史上初めて公表された「真菌症の優先病原体リスト」は、本稿が肺真菌症の世界的な脅威を解説する上での重要な根拠となっています37。
- 米国感染症学会(IDSA): 侵襲性アスペルギルス症の診断・治療に関する国際的な標準治療の多くは、IDSAの診療ガイドラインを参考にしています423。
- 国立感染症研究所(日本): 日本国内におけるクリプトコッカス症やコクシジオイデス症の発生動向や疫学データは、同研究所が公表する最新の報告に基づいています8919。
要点まとめ
- 肺真菌症は、空気中や土壌など環境中に普通に存在する真菌(カビ)が、免疫力の低下した人の肺に感染して起こる病気です5。
- 人から人へうつることはありません8。主な危険因子は、糖尿病、がん治療、免疫抑制薬の使用などです810。
- 原因菌で最も多いのはアスペルギルスで、免疫状態により「侵襲性」「慢性」「アレルギー性」の異なる病態を示します16。
- 診断はCT検査や、真菌の成分を検出する(1→3)-β-D-グルカン、ガラクトマンナン抗原などの血液検査を組み合わせて行います23。
- 治療はボリコナゾールなどのアゾール系薬剤や、リポソーム化アムホテリシンBといった新しい抗真菌薬が中心となります10。
- WHOは真菌症を世界的な脅威と位置付けており37、日本でもアスペルギルス症が深在性真菌症による死亡原因の第一位です16。
第1部:肺真菌症とは?—基礎知識の完全ガイド
1.1. 肺真菌症の全体像
肺真菌症とは、真菌(カビ)が肺に感染して炎症を引き起こす病気の総称です。これは、皮膚の表面で起こる水虫(足白癬)のような「表在性真菌症」とは異なり、体の深部、特に内臓で発症するため「深在性真菌症」に分類されます6。真菌の胞子は空気中に浮遊しており、私たちは日常的に呼吸を通じて吸い込んでいます。肺は真菌が体内に侵入する主要な入り口であるため、深在性真菌症の中でも特に発症しやすい部位とされています6。患者様やご家族にとって最も安心できる重要な点の一つは、肺真菌症はヒトからヒトへうつる病気ではないということです8。インフルエンザや結核のように、咳やくしゃみで周囲の人に感染を広げる心配はありません。
1.2. なぜ発症するのか?—主な原因と危険因子
肺真菌症は、特殊な環境で強力な病原体に感染するというよりは、私たちの体の「免疫力」が低下したときに発症するケースがほとんどです。原因となる真菌は、空気中、土壌、水中など、ごくありふれた環境に存在しています5。健康な人であれば、これらの真菌を吸い込んでも免疫システムが働き、感染症が起こることは極めてまれです5。しかし、体の抵抗力が弱まっていると、これらの真菌が肺の中で増殖し、病気を引き起こすのです。このような感染症を「日和見(ひよりみ)感染症」と呼びます。肺真菌症を発症する危険性を高める要因は多岐にわたります。ご自身の状況を理解するために、以下の表を参考にしてください。これらの危険因子に心当たりがある場合、それは診断や治療方針を考える上で非常に重要な情報となります。
危険カテゴリー | 具体的な因子 | 解説 | 典拠 |
---|---|---|---|
基礎疾患 | 糖尿病 | 高血糖状態は免疫細胞の働きを低下させ、特にムコール症などの危険性を高めます。 | 8 |
基礎疾患 | 悪性腫瘍(がん) | 特に白血病や悪性リンパ腫などの血液がんは、免疫機能に直接影響を与えます。 | 8 |
HIV感染症/エイズ | CD4陽性Tリンパ球の減少により、細胞性免疫が著しく低下し、ニューモシスチス肺炎やクリプトコッカス症の典型的な危険性となります。 | 6 | |
膠原病(関節リウマチなど) | 疾患自体による免疫異常に加え、治療で使用される免疫抑制薬が危険因子となります。 | 8 | |
既存の肺疾患 | 肺結核後遺症、COPD(慢性閉塞性肺疾患)、気管支拡張症など | 肺に空洞や構造的な異常があると、そこに真菌が定着しやすくなります(特に慢性肺アスペルギルス症)。 | 11 |
医療関連 | 免疫抑制薬の使用 | 臓器移植後の拒絶反応を防ぐため、または膠原病の治療のために使用されます。 | 5 |
ステロイド薬の長期・大量使用 | 強力な抗炎症作用と同時に免疫を抑制するため、主要な危険因子です。 | 10 | |
抗がん剤治療 | 骨髄抑制を引き起こし、感染防御の主役である好中球が減少することで、侵襲性アスペルギルス症などの危険性が急激に高まります。 | 10 | |
臓器移植・造血幹細胞移植 | 強力な免疫抑制状態を必要とするため、侵襲性真菌症の最も高い危険性を伴う状況の一つです。 | 11 | |
その他 | 高齢 | 加齢に伴う全般的な体力や免疫機能の低下が危険因子となります。 | 5 |
患者様が医師に相談する際、「なぜ私が?」という疑問は当然のものです。この表は、その答えを見つける手助けとなります。例えば、「長年リウマチの治療でステロイドを服用している」という事実は、肺真菌症を疑う上で極めて重要な情報です。ご自身の健康状態や受けている治療について正確に伝えることが、早期診断への第一歩となります。
1.3. どのような症状が出るのか?
肺真菌症の症状は、原因となる真菌の種類や患者様ご自身の免疫状態によって異なりますが、多くの場合、他の一般的な呼吸器疾患と非常によく似ています6。これが、診断を難しくする大きな要因の一つです。主な症状には以下のようなものがあります6。
- 咳
- 痰
- 血痰・喀血
- 発熱
- 息切れ、呼吸困難
- 倦怠感
- 胸の痛み
- 体重減少
これらの症状は、風邪、気管支炎、細菌性肺炎、肺結核などでも見られるため、初期段階では肺真菌症が疑われにくいことがあります6。症状の進行も、数日から数週間で急激に悪化する場合と、数ヶ月から数年にわたってゆっくりと進行する場合があり、一様ではありません7。特に注意が必要なのは、高齢者の場合です。典型的な発熱や咳といった症状がはっきりと現れず、「なんとなく元気がない」「食欲が落ちた」といった非特異的な変化が、肺炎(肺真菌症を含む)の兆候であることがあります5。ここで重要なのは、「糖尿病がある」「ステロイドを飲んでいる」といった危険因子をお持ちの場合、そのことを積極的に医師に伝えることです。その情報が、医師の診断思考を助け、肺真菌症の可能性を早期に検討するきっかけとなります。
第2部:肺真菌症の主要な種類—原因となるカビと病態
肺真菌症は、単一の病気ではありません。原因となる真菌の種類と、感染した人(宿主)の免疫状態の組み合わせによって、全く異なる病像を示します。この「原因真菌+宿主の状態=病態」という方程式を理解することが、この複雑な病気を把握する鍵となります。ここでは、日本で問題となる主要な肺真菌症について、その特徴を詳しく解説します。
2.1. 肺アスペルギルス症:最も一般的で多様な病態
アスペルギルス属は、空気中や土壌に広く存在するごくありふれたカビで、多くの国で肺真菌症の最も一般的な原因菌です16。この菌が引き起こす病気は、患者様の免疫状態によって大きく3つのタイプに分けられます。
侵襲性肺アスペルギルス症(Invasive Pulmonary Aspergillosis – IPA)
これは、アスペルギルス症の中で最も重篤で、生命を脅かす緊急性の高い病態です。抗がん剤治療による好中球減少症の患者様や、造血幹細胞移植・固形臓器移植を受けた患者様など、免疫機能が極度に低下した状態で発症します13。菌が血管に侵入して肺組織を破壊し、他の臓器へ広がることもあります。死亡率は30%から70%と非常に高く、特に造血幹細胞移植後の患者様では1年生存率が25%という報告もあり、極めて予後不良です11。近年では、重症のインフルエンザや新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に伴って発症するCAPA(COVID-19-Associated Pulmonary Aspergillosis)も新たな危険因子として認識されています13。
慢性肺アスペルギルス症(Chronic Pulmonary Aspergillosis – CPA)
こちらは、免疫機能が比較的保たれているものの、肺結核の治癒痕やCOPD、非結核性抗酸菌症などによって肺に空洞(穴)や構造的な損傷がある方に発症します12。アスペルギルスがその空洞内に定着し、数ヶ月から数年かけてゆっくりと肺組織を破壊していきます。代表的な病型に、菌の塊を形成する肺アスペルギローマ(菌球)や、複数の空洞が拡大していく慢性空洞性肺アスペルギルス症があります。かつては比較的進行が緩やかと考えられていましたが、2024年に権威ある医学雑誌『ランセット感染症学』で発表された大規模なメタ解析によると、全体の死亡率は27%、5年後の死亡率は32%に達することが示されました12。これは、CPAが決して良性の疾患ではなく、長期的に生命を脅かす深刻な慢性疾患であることを明確に示しています。
アレルギー性気管支肺アスペルギルス症(Allergic Bronchopulmonary Aspergillosis – ABPA)
これは感染症ではなく、アスペルギルスに対するアレルギー反応(過敏反応)です。主に気管支喘息や嚢胞性線維症の患者様で、気道に定着したアスペルギルスに対して免疫系が過剰に反応し、気管支の炎症や閉塞を引き起こします11。治療の主軸は、感染を殺菌することではなく、ステロイド薬でアレルギー反応を抑えることです。菌量を減らす目的で抗真菌薬が併用されることもあります1。
病型 | 主な対象患者 | 主要症状 | 診断の要点 | 治療目標 |
---|---|---|---|---|
侵襲性肺アスペルギルス症 (IPA) | 免疫機能が極度に低下した患者(血液がん、移植後など) | 急性の発熱、咳、胸痛、呼吸困難、血痰 | CTでの特徴的陰影(ハローサイン等)、血清・気管支洗浄液中のアスペルギルス抗原(ガラクトマンナン抗原)陽性 | 迅速な抗真菌薬投与による菌の制圧と生命の救済 |
慢性肺アスペルギルス症 (CPA) | 肺に基礎疾患(結核後遺症、COPDなど)を持つ患者 | 慢性の咳、痰、血痰、体重減少、倦怠感 | CTでの空洞、菌球(アスペルギローマ)、血清中のアスペルギルス抗体陽性 | 症状の緩和、肺破壊の進行抑制、生活の質の維持 |
アレルギー性気管支肺アスペルギルス症 (ABPA) | 気管支喘息、嚢胞性線維症の患者 | 悪化する喘息症状、褐色の痰、発熱 | 血中の好酸球増加、アスペルギルス特異的IgE抗体高値、CTでの中枢性気管支拡張 | ステロイドによるアレルギー反応の抑制、気道炎症の制御 |
2.2. 肺カンジダ症 (Pulmonary Candidiasis)
カンジダ属は、皮膚や口腔、消化管などに普段から存在する「常在菌」です6。そのため、気管や痰からカンジダが検出されても、それが単なる「定着」なのか、実際に肺組織で炎症を起こしている「真の感染症」なのかを区別することが非常に難しい、という診断上の課題があります6。真の肺カンジダ症は、免疫力が極度に低下した患者様で、血液中にカンジダが侵入するカンジダ血症などに伴って肺に病巣を形成する場合などが典型的です。米国では、カンジダは院内感染による血流感染症の主要な原因菌の一つと報告されています15。
2.3. 肺クリプトコッカス症 (Pulmonary Cryptococcosis)
クリプトコッカス・ネオフォルマンスは、土壌やハトの糞などに存在する真菌で、これを吸い込むことで感染します8。この真菌症の最大の特徴は、重度の免疫不全がない健常者にも発症しうることで、日本では健常者に起こる侵襲性真菌感染症としては最も頻度が高いとされています8。多くは無症状か軽い肺炎で自然に治癒しますが、免疫力が低下している方(特にHIV感染者やステロイド使用者)では、菌が血液に乗って全身に広がり、特に中枢神経系(脳・脊髄)に感染して髄膜炎を引き起こすことが最も恐れられています8。国立感染症研究所の感染症発生動向調査(IASR)によると、2014年後半から2023年末までの約9年間で、日本全国から1,400例の播種性(全身に広がった)クリプトコッカス症が届け出られており、届出時点での死亡率は13.2%でした19。これは、この病気が決して稀ではなく、一定の致死率を持つ重要な感染症であることを示しています。
2.4. 肺ムコール症 (Pulmonary Mucormycosis / 接合菌症)
ムコール症は、パンや野菜などに生える「ケカビ」の仲間によって引き起こされる、稀ですが非常に進行が速く、致死率の高い真菌症です6。特に、コントロール不良の糖尿病(特にケトアシドーシス状態)や血液がんの患者様が典型的な高い危険性を伴う群です10。菌が血管に侵入して組織を壊死させる傾向が強く、診断が遅れると手遅れになることが少なくありません。治療には、強力な抗真菌薬の投与と、壊死した組織を外科的に切除する「デブリードマン」が不可欠となります10。
2.5. ニューモシスチス肺炎 (Pneumocystis Pneumonia – PCP)
かつては原虫に分類されていましたが、現在は真菌の一種と考えられているニューモシスチス・イロベチイによって引き起こされます。この病気は、細胞性免疫が著しく低下した状態、特にHIV感染者(エイズ患者)や、臓器移植後、ステロイドや免疫抑制薬を大量に使用している患者様で発症する、代表的な日和見感染症です6。痰を伴わない乾いた咳(乾性咳嗽)と、進行性の呼吸困難が特徴的な症状です6。
2.6. 輸入真菌症・地域流行性真菌症
近年のグローバル化に伴い、これまで特定の地域に限定されていた真菌症が、渡航者を通じて日本国内でも見られるようになりました22。これらは「輸入真菌症」や「地域流行性真菌症」と呼ばれ、診断には渡航歴の確認が極めて重要になります。代表的なものに、米国南西部や中南米に流行地を持つコクシジオイデス症があります9。この真菌は病原性が非常に高く、健康な人にも感染し、「渓谷熱」と呼ばれるインフルエンザ様の急性肺炎を引き起こします。国立感染症研究所の調査では、2012年から2023年末までに国内で34例の届出がありました9。公衆衛生上、重要な注意点として、コクシジオイデス症はその高い病原性から、日本の感染症法で唯一「四類感染症」に指定されており22、原因菌の培養はバイオセーフティレベル3(BSL-3)という厳重な施設でのみ許可されています9。
第3部:診断と治療の最前線
3.1. 診断プロセス:どのように見つけるのか
肺真菌症の診断は、単一の決定的な検査はなく、問診、画像検査、バイオマーカー検査、検体検査といった複数の情報を組み合わせて総合的に判断します。
- 問診と診察: 症状に加え、危険因子(基礎疾患、治療歴)や海外渡航歴を確認します1022。
- 画像検査: 胸部CT検査が不可欠で、結節影、空洞影、すりガラス影などの特徴的な陰影を探します5。侵襲性肺アスペルギルス症早期の「ハローサイン」は診断の手がかりとして有名です23。
- 非培養検査(バイオマーカー): 真菌の成分や体が作り出す物質を検出する迅速検査です。
- 検体検査(培養・病理): 確定診断のために、気管支鏡検査で採取した気管支肺胞洗浄液(BALF)や肺の組織(生検)から、原因菌そのものを証明します5。
検査法 | 目的 | 対象 | 要点・限界 |
---|---|---|---|
胸部CT | 肺の病変の形状、広がり、特徴を詳細に把握する | 肺 | X線より高解像度。ハローサインなど診断的価値の高い所見が得られることがある。 |
(1→3)-β-D-グルカン | 深在性真菌症の有無を迅速にスクリーニングする | 血液 | 幅広い真菌で陽性になるが、菌種は特定できない。クリプトコッカスやムコールでは陰性になることがある。 |
ガラクトマンナン抗原 | 侵襲性肺アスペルギルス症を疑う | 血液、気管支肺胞洗浄液(BALF) | アスペルギルス症に比較的特異的。治療効果の監視にも用いられる。 |
クリプトコッカス抗原 | クリプトコッカス症を診断する | 血液、髄液 | 感度・特異度ともに非常に高く、診断のゴールドスタンダードの一つ。 |
気管支鏡検査 (BAL, 生検) | 病変部から直接検体を採取し、菌の培養や病理組織学的検査を行う | 気管支肺胞洗浄液、肺組織 | 確定診断に最も重要。菌の同定と薬剤感受性試験が可能。ただし侵襲的で患者への負担がある。 |
3.2. 主要な抗真菌薬ガイド
肺真菌症の治療薬はここ20年で飛躍的に進歩しました。作用機序の異なる複数の薬剤が登場し、治療の選択肢が広がっています。
薬剤クラス | 主な薬剤 | 投与方法 | 主な対象真菌 | 主な注意点・副作用 |
---|---|---|---|---|
アゾール系 | ボリコナゾール | 注射、経口 | アスペルギルス、カンジダ、クリプトコッカス | 視覚障害、光線過敏症、肝機能障害、薬物相互作用26 |
フルコナゾール | 注射、経口 | カンジダ、クリプトコッカス | 肝機能障害、薬物相互作用10 | |
ポリエン系 | リポソーム化アムホテリシンB (L-AmB) | 注射 | アスペルギルス、カンジダ、クリプトコッカス、ムコールなど広域 | 点滴時の発熱・悪寒、腎機能障害、電解質異常27 |
キャンディン系 | ミカファンギン | 注射 | カンジダ、アスペルギルス(併用) | 肝機能障害、血液障害32 |
カスポファンギン | 注射 | カンジダ、アスペルギルス(併用) | 肝機能障害、点滴関連反応10 |
3.3. 治療戦略の選択
最適な治療法は、①原因真菌の種類と薬剤感受性、②患者様の状態(免疫状態、肝・腎機能、併用薬)、③病気の重症度と部位、という3つの要素を考慮して、主治医が個別に判断します10。例えば、侵襲性肺アスペルギルス症の標準治療はボリコナゾールですが23、患者様の遺伝的体質や併用薬によってはリポソーム化アムホテリシンBなどが選択されます。また、肺アスペルギローマ(菌球)が喀血の原因となっている場合には外科的に切除するなど、感染源の制御も極めて重要です2。治療期間は長期にわたることが一般的で、6週間から12週間、あるいはそれ以上となることもあります6。
第4部:データで見る肺真菌症—日本と世界の現状
4.1. 世界の動向:増加する真菌症の脅威
2022年、世界保健機関(WHO)は史上初めて「真菌症の優先病原体リスト」を発表し、アスペルギルス・フミガーツス、カンジダ・アルビカンス、クリプトコッカス・ネオフォルマンスなどを対策が急がれる病原体に分類しました37。さらに、2024年に公表された衝撃的な研究では、侵襲性真菌感染症による年間の死者数が375万人を超え、そのうち255万人が真菌症に直接起因すると推定されました38。これは以前の推定値の約2倍です。この研究は、COPDによる年間死亡者の最大3分の1、肺結核による死亡者の約28%に、それぞれ侵襲性アスペルギルス症や慢性肺アスペルギルス症(CPA)が「隠れた要因」として関与している可能性を指摘しており38、肺真菌症が他の呼吸器疾患の予後を著しく悪化させる要因として極めて重要であることを示唆しています。
4.2. 日本の現状:歴史と最新統計から
日本の病理剖検データを長期的に分析した研究によると、深在性真菌症の最大の原因は、1980年代までのカンジダ症から、1990年代以降はアスペルギルス症へと劇的に変化しました17。この背景には、1989年に日本で導入された抗真菌薬「フルコナゾール」がカンジダ症には有効であった一方、アスペルギルス症への効果は限定的であったことが影響していると考えられています17。この「アスペルギルス優位」の傾向は現在も続いており、2009年の日本の剖検データでも、真菌症による死亡原因の第1位はアスペルギルス症(47.2%)でした16。近年のデータでも、前述の通り、播種性クリプトコッカス症は国内で継続的に報告されており19、慢性肺アスペルギルス症の5年死亡率は32%と高い水準です12。
第5部:予防と日常生活での注意点
肺真菌症の原因となる真菌を完全に避けることは不可能ですが6、特に免疫力が低下している方は、日常生活でいくつかの点に注意することで感染の危険性を減らすことができます。
- 環境の管理: 浴室や台所の掃除と乾燥を心がけ、エアコンのフィルターを定期的に清掃し、部屋の換気を行いましょう6。工事現場や土埃が舞う場所は避けることが望ましいです6。
- 病院や家庭での注意: 免疫力が著しく低下している患者様の病室には、生花や観葉植物を持ち込まないようにすることが、米国の指針でも強く推奨されています6。
- 生活習慣: 免疫力が低下している場合、庭仕事や腐葉土を扱う作業は避けることが推奨されます23。また、喫煙は肺の防御機能を損なうため、禁煙が重要です6。
よくある質問
Q1: 肺真菌症は人にうつりますか?
いいえ、うつりません。肺真菌症は、患者様の咳やくしゃみなどを通じて周囲の人に感染することはありません。ご家族や周りの方が特別な予防策をとる必要はありません8。
Q2: 治療はどのくらいの期間かかりますか?
病気の種類、重症度、そして患者様の免疫状態の回復具合によって大きく異なります。一般的に、数週間から数ヶ月、場合によっては1年以上の長期間にわたる治療が必要となることが多いです6。根気強く治療を続けることが重要です。
Q3: 完全に治りますか?
侵襲性の病気の場合、早期に適切な治療を行い、免疫状態が回復すれば治癒(完治)が期待できます。一方で、慢性肺アスペルギルス症のように、肺にもともと基礎疾患がある場合は、完全に菌をなくすことが難しく、症状を制御しながら病気と長く付き合っていく「寛解」を目指すこともあります。治療の目標については、主治医とよく話し合うことが大切です。
Q4: 治療費はどのくらいかかりますか?
治療費は高額になる可能性があります。特に、リポソーム化アムホテリシンBなどの新しい抗真菌薬は薬価が高く、また、入院期間が長期にわたることが多いためです11。外科手術が必要な場合、さらに費用がかかります。高額療養費制度など、利用できる医療費助成制度について、病院のソーシャルワーカーや相談窓口に確認することをお勧めします。
結論
肺真菌症という診断は、身体的にも精神的にも大きな挑戦です。しかし、この20年間で、肺真菌症の診断技術と治療法は目覚ましく進歩しました。かつては救うことが難しかった多くの命が、今では救えるようになっています。最も大切なことは、呼吸器内科や感染症科の専門医と密な協力関係を築き、信頼して治療に臨むことです。わからないこと、不安なことは、どんな些細なことでも遠慮なく質問してください。研究の世界では、さらに新しい作用機序を持つ抗真菌薬の開発や、クリプトコッカス症に対するワクチン研究など、未来に向けた歩みも着実に進んでいます21。希望は常にあります。この記事が、病気について正しく知るための一歩を踏み出す力となり、皆様が一日も早く健やかな日々を取り戻されることを、心よりお祈り申し上げます。
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